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平成27年
紙ふうせんたより 7月号 (2016/02/08)
皆様、いつもありがとうございます。暑くなりましたね!!移動時・休憩時の水分補給は欠かさないようにして下さい。利用者さんにも水分補給の必要性の声かけを宜しくお願いします。健康管理的な意味以上に、気遣う言葉はお互いの気持ちを柔らかくします。そこに、ヘルパーさんの真心が見えた時は、利用者さんは本当に喜んで下さいます。そのような些細な事に目を向けてこそ、人は変わっていくのです。
さて、前回の紙ふうせんだよりでは、「ケアマネから見た訪問介護」を瀬口さんに書いて頂きました。最前線としての重要な意味をヘルパーさんは持っています。今回はサービス提供責任者視点でヘルパーさんについて書いてみたいと思います。
サービス提供責任者から見たヘルパーさん
ヘルパーさんに利用者さんをお願いする時には、お互いの相性をまず考えます。相性とは、例えば利用者さんの生活に対する考え方が、こだわりや硬さがあると感じられる場合は、対応するヘルパーさんも、筋道立てて依頼された事を依頼された通りにしっかりやれる方が適任だと考えます。利用者さんが、やる事さえしっかりやってくれれば良い、というような方の場合も、余計なおせっかいをせずに手を抜く事もないような“仕事”意識の高い方を考えます。
逆に、利用者さんが介護の枠組み以前に、ヘルパーさんとの人間的な関わりを求めているような場合には、少々脱線しても柔軟な対応ができるヘルパーさんを考えます。また、事業所の想定した相性が必ずしも最善の答えではありませんから、良い意味で意外な結果がでる事(実際そのような事は多くあります)を楽しみにしています。その時、最も重要視している事は、その出会いから生じる、ヘルパーさん・利用者さん双方の「変化(成長)の可能性」です。この時、ヘルパーさんに求めているのは介護職としての完璧さではありません。むしろ膠着した状況を破るような個性の力を求めています。
“内的な人間関係”と“外的な人間関係”
老いや死の受容には葛藤があります。一つは、過去や未来の自分を考えた時に起こる現在の自分との葛藤や、自分自身の中にある様々な気持ちのせめぎ合いというような、“内的な人間関係”の葛藤です。そしてもう一つは、家族などの周囲の人との“外的な人間関係”の葛藤です。葛藤は、気持ちや考えのどうどう廻りとして現れます。「これからどのように生活したらよいのだろう」という不安が、出口を求めて行ったり来たりします。
そのような時、利用者さんと異なる視点を持った人が、利用者さんの主体性を尊重しながら生活に寄り添っていくという事は、利用者さんの気持ちや考えに新しい風を吹き込み、不安にへこたれそうな気持ちの支えとなり、心の中の霧が晴れるという事があります。
ここで言う“内的な人間関係”とは、「自分関係」とも言えます。自分関係は、その中のどの気持ちも“自分”であるため、両方の気持ちに耳を傾けようとすると膠着状態が生じます。
板挟みに耐えられなくなって、片方の気持ちを立てて他は切り捨てるというような態度を取ると、本当のところは両方とも“真”であるため、無視された気持ちは無意識に潜り込み、表看板の上っ面の自分を毀損しようとします。それを他人から見た時、“感情にムラがある”とか“表裏がある”とか、“一貫性がない”などと評価されて付き合いにくいと思われてしまうのです。残念な事に、内的葛藤を切り捨てたつもりになっている本人は、意図的に自分の表のみに焦点を合わせているため、自分の裏腹さが相手に透けて見られてしまっている事に気が付きません。このため、外的な人間関係もこじれていきます。
このように自分関係は外的な人間関係に影響を及ぼすのですが、もちろん外的な人間関係も内的な人間関係に影響を及ぼします。他人を自分の心に入り込ませないようにガードするような孤独感を抱えた頑なな利用者さんが、ヘルパーさんの真心を感じてヘルパーさんを受け入れる気持ちになった時、自分の中で切り捨てていた、自分や他人へのいたわりや信頼の気持ちも同時に息を吹き返すという事もあるのです。それが“合わせ鏡”の相互関係なのです。相互関係の及ぼす
心への作用は、立場の上下などの表面的な人間関係などとは無関係に作用します。その相互作用は、上っ面の自分を取り繕えない“認知症”の方のほうがより繊細に感じています。
新しい出会いは変化の始まり
訪問介護は出会いの場です。さまざまな内面を持つヘルパーさんと利用者さんが出会い、それぞれの個性を発揮した時に思ってもみなかった“化学変化”が生じて、利用者さんやヘルパーさん共々に生活や人生観の新たな展望が得られるとすれば、それはとても幸せな出会いです。幸せな出会いとはそこから肯定的な“変化”が始まるという事です。
ある方が介護認定を受け介護サービスが始まるという事は、生活の枠組みが“変化”するという事です。しかし、枠組みの変化に利用者さんの心がついていかない時、利用者さんの葛藤は高まり、変化への評価は望まぬ否定的なものになります。利用者さんの心の変化と同じ歩調で生活の枠組みが変化していけば、拒否感はそれほど強まらないでしょう。しかし、実際は生活の変化に心が追い付かない事が多いようです。
ケアプランの実施も生活の枠組みの変化です。その変化は具体的に生活の困難さを解決するという意味でとても大切ですが、老いの受容という意味では「心の変化」が最も大切なのです。心の変化は、人と人の触れ合いによって行われます。どんなに科学技術が発展しても機械に介護はできない理由がそこにあります。介護の根本課題は、物理的困難さの除去のみならず、老いや死の受容といった心の成長過程を支え見守る事に他なりません。身近に関わる人の温かさが伝わって「生きててよかったな」と感じて頂く事が、変化の始まりです。そこに個性を持ったヘルパーさんが、ヘルパーであると同時に“人”として関わっていく重要性があります。そして、老いや死の受容は単にマイナス面をあきらめて受け入れるというような消極的なものではなく、老いてこそ輝く自分自身を発見するというような、新たな価値を見出す肯定的・積極的なものであって欲しいと願っています。
個性をより良く発揮する事が、変化を肯定的なものにする
利用者さんの個性を尊重し、介護がお仕着せにならないようにしなければならないのは大原則ですが、それを行っていくヘルパーさんも同時に個性をより良く発揮していく事ができれば、“化学変化”は肯定的に促進されます。その為には、ヘルパーさんには利用者さんの気持ちをしっかりと受け止めて頂きたいと思います。同時に、サービス提供責任者としては利用者さんや家族、ヘルパーさんそれぞれの“当事者”の声をしっかりと聴いていきたいと思っています。特にヘルパーさんには、一人一人の利用者さんに対する疑問や不安、提案などを率直に話して頂ければと思っています。
そして注意しなければならないのは、ヘルパーさんの「個性」を強調すると、ヘルパーさん独自のやり方を利用者さんに押し付けて、それで良しとしてしまうヘルパーさんもいるかもしれませんが、それは誤りです。利用者さんの個性も尊重されより良く発揮できるようにならなければ、介護の価値は半減します。人間らしい偽らない自然体の心の表出は、頑なな心の武装解除を促します。ヘルパーさんの個性の発揮はそこを目的とするのです。ヘルパーさんのやり方の押し付けで利用者さんが窮屈になってしまうような事は、慎まなければなりません。個性の発揮とワガママは、意識して一線を画す必要があります。
その為にはヘルパーさんは、ヘルパーとしての技術などを高めて頂く必要がありますし、同時に、“人”としての人間性を高めて頂きたいと思っています。自分の心の裏側にも意識を払い自分自身を理解しようと努め、自分が相手に与える相互作用も自覚し、相手の為に自分を働かせる事を目指すような、高められた人間性の発露こそが、真の個性の発揮なのです。一人の人間の持つ心の奥深さは、いくら汲んでも汲みつくせない泉のようなものです。だからこそ、どんな時どんな年齢でも人間性を成長させて
行ける変化の可能性があるのです。自戒をしつつ希望を持ってここは書いています。
この訪問介護の仕事は、人間性を高められる仕事です。相互作用に着目すれば、相手にとって良い事は自分にとっても良い事です。ヘルパーさん一人一人がこの仕事を通して成長していく事は、利用者さんにとっても最大の価値になりますし、サービス提供責任者としても大きな喜びとなるところです。ヘルパーの皆さんの成長はサービス提供責任者のやりがいにも大きく関わってくるのです。人に成長しろと言っておいて、自らがそれを怠るわけにはいきません。それは、要介護者と支援者の関係も同じです。「先ず隗(かい)より始めよ」の故事どうり、サービス提供責任者自身が成長していきたいと思っています。
もとより、人の身体や心の変化の持つ意味は、最初から「善悪」に色分けされてはいません。色を付けるのは自分の“眼鏡”です。人と人との相互作用を謙虚に感じとり、相手と自分自身を信じていく事ができれば、どんな出来事からも肯定的な意味を汲めるようになると思うのです。今後とも、利用者さん・ヘルパーさん・ケアマネージャーさんとしっかりと連携を取っていきたいと思います。
【訪問介護の研修会について】
今まで、ほぼ毎月研修会を行ってきました。その内容を振り返ってみます。(囲み)
実は、同じ内容は2度と行わないでここまでやってきました。意識していた事はなるべく皆さんが主体的に自分の話ができるようにする事。状況を考えてタイムリーなテーマを選ぶ。新しい知識や幅広い分野から資料を用意する事。単なる理屈やマニュアル的にならないようにする事。「詩」なども資料として使い感性に訴える。「汝自身を知れ」「己を知れば百戦殆からず」として、研修を通して自己覚知を目指す。
マニュアル的な発想が良くない事は三好春樹氏も「痴呆論」で、バリテーションなどの外来のケア論を形式的に導入しても、その理念の確認がなされなければ意味が無いという旨の持論を展開していますが、そのような意味では、「何のため」「誰のため」「どのように」介護をするのか、その意味を考えるような「理念」を常に基盤にする事、なども心掛けてきました。
特に面白かったのは、精神分析理論などをもとに自己分析をした回(エゴグラム・エニアグラム等)です。皆さんから「納得了解した“自分”」「自分の知らない“自分”」が出て話は盛り上がり、自分で自分をどう見ているのか、他人からはどう見られているのか、などを話し合いました。自己分析は今後もやってみたいと思います。
今後も皆さんにふるって参加をお願いしたいのですが、悩みの種は、参加者が固定化されてしまっている事です。「あんまり参加してないわ」という方は、是非参加をお願いします。
そして、あんまり参加されない方にお願いがあるのですが、もっと多様性に満ちた研修にしていくためにも、どんな研修を望んでいるかをお聞かせ下さい。今後の改革としては、①階層別・グループ別研修を行う。②研修参加手当の見直しなど、研修の達成・修了度が給与に反映される仕組みを作る(その代り、一部研修を義務化するなど)が考えられます。研修の目的は、学びよって今まで“介護”を振り返り、明日からの、「何のため」「誰のため」「どのように」介護をするのかに活かしていく事にあります。その時に一番重要なのは、同じヘルパーさん同士なので悩みなどを話し合い、相互作用的に自分自身を客観視し、自分自身の感情から距離を取って考えてみる事によって、精神的にリフレッシュする事です。気軽におしゃべりにくるぐらいの気持ちで参加して下さい。
2016年2月8日 3:02 PM | カテゴリー: 【紙ふうせんブログ】, 平成27年, 紙ふうせんだより