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紙ふうせんだより

紙ふうせんだより 11月分 (2017/11/27)

皆様いつもありがとうございます。風邪などひかれぬようにご自愛ください。廻りゆく季節は暦の上では立冬を迎え、再び冬の足音がしています。良い冬を迎えるためにも、秋に何かを実らせていけたら素敵ですね。秋は実りの季節、人生の話です。

実りある秋にするために

「酒とつまみ貰って花見の場所取りした。後で金くれんだよ。」上野で“フーテン”をしていたというこの方、某高級住宅街に新しく出来た食事付きの高齢者住宅に入居して、借りてきた猫のようだったので児童文学の『王子と乞食』を思い出してしまいました。懐具合の良くなったこの方は買い食いを重ねるようになり、お金を使い切ってしまうと「金が無いから行かない!」とむくれて、ヘルパーさんとの外出(歩行練習)を拒んでは困らせる事も出てきました。私は、「公園に連れてって紅葉を見るなど、新しい外出の楽しみが得られるように試みたら?」とヘルパーさんに提案。この方は“公園で外出を楽しむ”なんていう習性はきっと無かったでしょうから、 上手くいくかどうかはわかりません。でも瓢箪から駒が出ないとも限りません。もし、“介護”が今までの人生の壊れかかった延長線上にあるものではなくて、新たな人や価値観との出会いを通して180°ならぬ360°くらいの人生の転換を成し遂げるような、人生の円満にむけての実りある試みだとしたら、今まで以上に人生は輝くし、“介護”は楽しく素敵なものとなるでしょう。介護の目的をもう一度確認したいと思います。

諦めた想いともう一度向き合うために

介護は、身体機能等が不自由になってゆく状況の中でも尊厳を維持し、成熟した人生の終盤を迎えられるようにする事が目的です。誤解を恐れずに断言すれば、介護はケアプランの目標を達成する事が目的ではありません。あくまで目的は(ケアプランを含めて)その人の「人生」にあるべきです。しかし「人生」などといった大きなものは、A4 3枚の紙に描き切れるわけはありません。ですから細かくニーズをキャッチする必要がありますが、それも実際には大変難しいのです。どうしてかというと、身体の不自由が顕著になってきた方は、介護認定を受けるずっと前から生活について少しずつ色々な事への諦めを重ね、自分の心を縛っているのではないでしょうか。そのような方に、正面から「こうなったら良いな、という生活はありますか?」と尋ねても、返答に窮するばかりです。

想像してみて下さい。経済的家庭的な事情から進学や自分の夢を諦めた人に夢を語らせようとする事が、いかに古傷に触るようなものであるか、という事を。突っ込んで聞いてみても「妹や弟に苦労させたくない」という様なものばかりでしょう。諦めた想いともう一度向き合うためには、夢を語る事が痛みではなく「もしかしたらできるかもしれない」という“希望”に変わらなければなりません。そのためには聞く側の態度が本気であると同時に、「もしかしたら」と思わせる小さな“実績”を積み重ねていく必要があります。

諦めを“できたらいいな”“できるかもしれない”に変えていく

買い物代行を頼んではみたものの、買ってきたものに納得がいかなかったり、「何を買ってきて貰ったらいいかわからない」とこぼされる方がいました

「やっぱり食べ物は自分で選んで買いたいですよね? 一緒に買い物に行くようにしませんか?」「でも私、こんな体だから歩けない…」「大丈夫ですよ、車椅子を私が押して行きますから、スーパーまで行きましょう。スーパーの中はカートを使って歩きましょう。運動になるし自分で選べるし、一度だけでいいからお試しで車椅子を借りてやってみませんか?」「転ばないかな…」「大丈夫です!支えますから!」こんな調子で久しぶりにスーパーに行くと、じっくりと選んで食べきれないくらい食品を購入したのでした。

一度“できる”と解ると欲が出てくるもので、翌週も大量に購入。しかしその矢先、室内で転倒してしまいました。「『転ぶ度に体は弱くなるよ』って医者に言われたのよ…。」もう絶望的な面持ちです。いつも嘆いてばかりいるこの方の、『縛り』が解ったような気がします。『どうせ一方的に悪くなるばかりだ』という諦めの中で、“どのような生活を送りたいか”という絵が描けずにいるのです。このような時、「もう危ないから家事はヘルパーさんに任せて…」という考えも一理ありますが、それが諦めを加速させてしまわないか、見極めが肝心です。このような時こそ、諦めようとしている気持ちを“できたらいいな”に変えていけるかが問われます。タイミングを逃してしまったら諦めが普通となり、古傷となってしまいます。「失ったものを数えるのではなく、持っているものを数えよう」とはよく言います。ストレングス(強味)に注目するというやつです。この場面でのストレングスは転んだ事です。

「“転んでもただでは起きない”って言葉があるでしょ。中年になっても若い頃と同じように運動もせず食事にも無頓着って人、普通でしょ。でもそれで身体を悪くして、“このままじゃいけない”って食事に気を付けて運動したら、以前より健康になるんです。これを機に、一緒に買い物に行って今まで以上に歩きましょう。そしたら必ず前より歩けるようになりますよ。“転んでもただでは起きない”って言葉が有るんだから本当ですよ!」するとこの方の口から意外な言葉が出てきました。「私、自分で味噌汁作りたいって思ったんだけど、自分で運べないでしょ?」諦めた想いがもう一度出てきたのです。室内で使用している歩行器に、トレーを付けるなどの工夫をこの方と約束しました。“できるかもしれない”という心の中の小さな“革命”の積み重ねが、老いてこそ輝く“心の自由”となるのではないでしょうか。

心の中の小さな変革から“命の意味”を実感したい

全てが理想的に運んだとしても、いずれは死を迎えます。だからといって、今月の目標や今年の目標が全て無意味とは言えないでしょう。残された時間を諦めながら数えていたとしても、人は“生きる目的”を探しているものです。ある聴覚障がい者のブログには「外側の世界が不自由であるほど、心は自由になっていく」とありました。「外側に制限がどんなにあったって、心は自由。それが本当の自由、なのかもしれないね。」と、締めくくっています。これは仮定の話ですが、いずれ誰もがもうどうしようも無くなって、命を繋ぐことが目的となる日が来るかもしれません。でもそのような時が「本当の自由」という“命の意味”を実感できるような機会となって、大団円となり得るのかもしれません。

http://morinomajo.blog.jp/archives/55654237.html  (一部省略して引用しました)

このブログ主は、耳が聞こえない事で周囲の会話に加われない自分に引け目を感じて、取り残された感じの辛さを抱いていたようです。しかし、そんな“縛り”から心が自由になる瞬間がやってきます。

このブログ主のような疎外感は、周囲と会話の噛み合わない辛さを持つ認知症のある方の持つ気持ちと同じでしょう。共感的理解の参考になると思い引用しました。“外側に制限がどんなにあったって、心は自由”だからこそ、「病気や障害は“不幸”ではない」と断言できるのではないでしょうか。
外側の世界が不自由であるほど、心は自由になっていく

http://morinomajo.blog.jp/archives/55654237.html

私は聞こえないから、「みんなと一緒にできること」がすごく大事で、 「そうなれるようにがんばらなくちゃ、でもできなくてつらい」って思っていたんだな・・・

がんばればなんとかなる、でもがんばってもがんばってもどうにもならない、

よくなっていかない、ってこともつらかったんだ。

こんなにがんばっているのに、よくならない、だから、こんな自分はだめだし、

周りにも「こんなにがんばってるのに、なんでわかってくれないの!」って思ってたんだなぁ・・・

でもやっと、みんなと同じようにできなくても、できないところがあっても、それでよくて、 みんなと一緒じゃなくていいって思えるようになってきたんだ。 そんなことが思えるようになってきたところに、ある食事会に参加して、 話はあまりわからなかったけれど、いつものようにつらくなることはなくて、 「ま、いいか」と思えた。

そのときに話されている話がほとんどわからなくても、別にどうってことないんだなって思った。 (もちろん、時々書いてもらったり、私にわかりやすく話してもらう配慮もしてもらえたけれど、  それでもほとんどわからないことが多かった) そして、話のわからない私だけれど、そこにいたみんなは、私のこと好きなんだな~、って 勝手に思ったら(そんな感じが伝わって)、楽しくなってきた。
きっと、みんなと同じように話を楽しめない私なんて、好きになってもらえない、って いうことも思っていたみたい。 だから、このとき、「なんだ、私が聞こえる聞こえないにかかわらず、みんなは私のこと好きなんだ」 って勝手に思ったら、楽しくなったんだ。 そして帰りの電車で、「なんか、楽しかったな」なんて思えて、 話があんまりわからなかったのに、「楽しかった」なんて思ったのは、初めてかも、 って自分でもびっくりだった。 そして今日、そのことを思い出したりしていたら、 ふいに、 私はこの体に生まれてきてよかった! って気持ちが湧き上がってきて、号泣した。 自分で自分のことを、受け入れられた瞬間だった。 それで思ったんだよ。 障がいとか、マイノリティとか、物理的に、社会的に、外側に制限があると、 どうしても、行動にも制限がかけられてしまう。 例えば、聞こえないと、ここに書いたように、みんなと話が楽しめない、とか 歩けない人だと、一人で遠くへ行けない、とか・・・ でも外側に制限があるからこそ、その制限を外そうともがく、苦しむ、なんとかしようとする・・・ それを外側のせいにしないで、社会のせいにしないで、自分の内側をとことん見つめる、 傷はどこから来ているのか、自分の闇を見る、そしてそれでもいいって、どんな自分でもいい、 ってOKを出してあげる、自分を愛してあげる・・・ それができたら、外側にどんな制限があっても、心は自由になっていき、 心が自由になったら、逆に、外側に制限はなくなる。 だから制限は、自分で作り出している、ってことなんだ。 「周りに理解してもらえない」っていうなら、「自分で自分を理解しな」ってことなんだよね。

外側に制限がどんなにあったって、心は自由。 それが本当の自由、なのかもしれないね。
築地鮮魚・磯焼 漁火 経堂店
 

 

平成29年12月14日 (木)19:00

会費3500円~4000円程度

★ヘルパーさんには別途ミーティング参加手当が付きます!
経堂駅北口 ロータリー前

ケンタッキーフライドチキン隣

経堂2-2-4 美登利ビル2F 03-3426-1881

 
お気軽にご参加下さい。予約の都合上、参加連絡は早めにお願いします。

 
~~ヘルパーミーティングのお知らせ~~

【日時】 平成29年 12月14日 木曜日

忘年会会場にて行います。ケアマネさんも参加します。

懇談・交流会となります。(個別研修計画に基づく研修会も兼ねています)

会議参加手当(ミーティング)は1回につき1370円です。
<年末年始のシフト調整>

★担当の利用者さんに、年末年始のサービス利用の有る無しの意向を聞いて下さい。

★自分自身のお休み希望と併せて、利用者さんと相談して事務所まで報告下さい。

★年末年始のお休み希望の申請は極力早めに提出して下さい。(申請時は以下の2点に留意)

①ヘルパーさんのお休み時のサービスは、キャンセルか振替か?の利用者さんの意向

②振替サービスの変更日時を利用者さんとの確認

★12/30~1/3の時給は、25%割り増しとなります(移動支援を除く)。

 

<年末年始のサービス実施記録集計業務>

★業務分散のために、12月の半ば頃に2~3度サービス実施記録の提出をお願いします。

★年末の最終業務日に、必ず自分の事務所まで「実施記録」をご持参下さい。

★もし、持参できない場合はその日中に郵送をお願いします。その際、可能であれば出勤簿はあらかじめ事務所にFAXして下さい。FAXの出勤簿で集計作業を行います。

★事務所休業期間は、12/30~1/3です。


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