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紙ふうせんだより
紙ふうせんだより 2月号 (2019/03/05)
2019年(平成31年) 2月 如月号
終わらないもの 終わってはならないもの
ヘルパーの皆様、いつもありがとうございます。幸いにも今年は大雪には見舞われていません。寒さが和らぐのもあと少しの辛抱です。身体にはお気をつけください。
台湾で長年タブーとされてきた2月28日の出来事、「228事件」
大日本帝国敗戦後“光復”に沸く台湾は、工場も鉄道も滞りなく治める者も治められる者もいない平等な社会となり、誰もが台湾の未来に希望を抱いていました。しかし、10月に中国本土から“戦勝国”として台湾統治にやってきた蒋介石の国民党政府は、結局のところ台湾人(本省人)にとって外国人(外省人)だったのです。外国の軍隊が侵略的性質を帯びるのは歴史の常で、国民党軍による強姦や強盗が横行し治安は悪化、明治製糖の下で農園経営(小作人4000人)する利用者さんのお父さんはこの時暗殺されます。
1947年2月27日、当局は台北市で闇煙草を販売していた女性を摘発し殴打、その騒ぎに集まった群衆に発砲し市民の一人を射殺。翌2月28日、抗議デモに警備兵が機銃掃射、戒厳令(1987年まで続く事になる)が敷かれます。デモは外省人支配への反抗運動となって台湾ラジオを占拠、街頭ラジオは「台湾人よ立ち上がれ!」と外省人にわからないよう日本語で呼びかけ、嘉儀農林高校では学生が蜂起、利用者さんは農薬散布用の長いノズルを軍刀の代用として指揮を執ったそうです。農具で武装した学生隊は、利用者さんの運転するトラックの荷台に乗って武器庫を襲撃、銃器を確保すると続いて空港の制圧に向かう。多くの市民と学生が射殺されたが国民党軍は全面衝突を避けて逃げ出し、蜂起は旧日本軍の残党も加わり瞬く間に全島に拡大します。再び台湾が台湾人の手に戻ったのも束の間、蒋介石は「暴動は共産党の扇動によるもの」との虚偽の発表を行い、3月11日には中国から続々と国民党軍が上陸し、虐殺と恐怖政治が始まった。利用者さんは弾圧を逃れ、1949年漁船で与那国島を経由して四国に渡り日本に亡命。神田のYMCAを頼ってその後も独立運動を続けたそうです。(冷戦の下での反国民党は、親共産党とみなされてなかなか理解されなかったようです。)
戦前この方は日本国籍の台湾人でしたが、1952年の日華平和条約により日本国籍を喪失し“在日外国人”となり、その後帰化しています。亡くなる数日前、私は「祖国として思い浮かべるのはどこですか?」と尋ねてみました。答えは「台湾民主国」でした。台湾民主国とは、1895年5月に台湾民主国独立宣言が発表されてから10月下旬に台湾全土を日本が軍事占領(台湾平定)するまでの半年に満たない幻の独立国の名称です。「どんな国を夢見ていましたか?」と聞くと「台湾人・高砂族(台湾先住民)・日本人の皆が平等で、平和で自由な国」とおっしゃっていました。一般に1945年8月15日以降は“戦後”と呼ばれていますが、祖国を失い続け、その後も戦い続けたこの方に“戦後”はあったのでしょうか。
訪れない“戦後”
1944年3月、日本陸軍は援蒋ルートを断つべくビルマからインパール攻略に出撃。補給が無いままに、3個師団9万人が大河川を渡渉し密林や2000m級の山岳地帯を470㎞踏破する「太平洋戦争で最も愚劣な作戦」だった。栄養失調の軍隊はインパールにたどり着けず、餓死やマラリアやデング熱や赤痢から生き残った1万2000人の撤退路は「白骨街道」と呼ばれた。インパール作戦を含めビルマで命を落とした日本軍将兵は16万。敗戦後もこの地に留まり、戦死者の遺骨を拾い集め慰霊に身を捧げようとする水島上等兵の創作物語「ビルマの竪琴」は有名ですが、1985年の映画化では、もう亡くなられましたが紙ふうせんの利用者さんが美術監督を務めていました。インパール作戦の生存者の「まだ、あの地に残っている仲間がいる」という証言に、“戦争”が終わらないという事実に気づかされます。
戦争体験者が高齢になった今、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症し、不眠や悪夢に苦しむといった症例が増えているのだそうです。戦場の残虐な光景、加害の体験、沖縄戦やシベリア抑留など、壮絶な体験は人知れず心の奥底にしまい込む方がほとんどでしょう。高度経済成長やバブルに日本が物質的豊かさをいくら謳歌しても、平和の中に戦争を忘れていくという事はできないのです。
終わってはならない“戦後”
1945年4月1日、沖縄本島中部西岸に米軍は易々と上陸した。米軍を沖縄に上陸させて釘付けにして本土決戦への時間稼ぎとする作戦だった。「沖縄島に尺寸の土地が残る限り一兵まで戦え」と大本営は命じ、沖縄の60万の島民は軍隊と共に戦う事を強いられた。沖縄が本土防衛の“捨て石”となった凄惨な地上戦で9万4000人の島民が死亡、看護婦として動員された「ひめゆり学徒隊」の女学生も軍隊と行動を共にして自決を迫られた。1952年、日本は米軍支配下に沖縄を置き去りにしたまま独立。1972年に沖縄が日本に返還された後も、日本政府は米軍基地で要塞化した沖縄を本土防衛の“不沈空母”とする政策を取った。今も新たな基地が作られようとしている沖縄の本当の“戦後”とは何だろう。
沖縄に背を向け続ける日本政府の差別的態度とは反対に、明仁皇太子は「石ぐらい投げられてもいい。そうしたことに恐れず、県民の中に入っていきたい」と、1975年に沖縄を訪問。「(沖縄の)払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものではなく、人々が長い年月をかけてこれを記憶し、一人一人、深い内省の中にあって、この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません」と、“戦後”への決意を述べられた。そして即位した後も何度も沖縄に訪問し心を寄せられている。昨年末85歳を迎えられ「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」と述べられた。
もし“戦後” の意味を、日本が国権の発動としての戦争を行わなかった「時代」として限定的に考えるならば、「平成」は明治以降初めて始終一貫した“戦後”時代となる。この意味での“戦後”は、絶対に終わってはならない。そして平成も次の時代も、未来において“戦前”とならない事を願う。それが戦争を体験された方々のまっすぐな気持ちだと思う。
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サービス実施記録を再確認!(記入漏れが多いです) 利用者印・利用者名・ヘルパー名・サービス内容 身体?生活? |
緊急時の対応について《1》 |
【ケース1】 利用者さんが、顔色が悪かったので体調を伺うと「大丈夫、大丈夫、休めば治るよ。」と言っていたので、特に事業所には連絡しなかった… |
(サ責の対応)ヘルパーさんから、「利用者さんが、顔色が悪かったので『大丈夫ですか?』って聞いたら『大丈夫、大丈夫』と言っていたので、大丈夫だと思いますが一応連絡まで」との連絡を受けたけど、大丈夫らしいので一応記録に書いておいた。→この対応は×です。〇の対応は、ヘルパーさんに質問をして、「いつからなのか、どうしてなったのか、時々なるのか、目まいふらつき、気持ち悪いかなどは無いか」等、様子を具体的に聞き込んだ上で、既往歴から考えて危険な兆候はないか検討する。検討した内容を含めケアマネに報告。必要があれば、訪看やかかりつけ医や前回訪問のヘルパーさんに電話して意見を頂く。翌日以降のヘルパーさんに連絡して様子を見るように伝える。◎の対応はすぐに様子を見に行く。(いつもできるとは限らないので代替案を検討する。)
【ケース2】 利用者さんが室内で転倒していた。力が急に入らなくなったらしい。どこかを打った様子は無く意識もしっかりしているので、とりあえずトイレに行けずに汚してしまっていたので、着替えさせてベットに誘導して、サービスが終わってから事業所に連絡した。 |
(ヘルパーさんの対応)この対応は△です。×の対応は事業所への連絡がもっと遅くなった場合。〇の対応は、利用者さんの安楽の姿勢を取ったあと、その場ですぐに事業所に電話をして倒れていた旨を伝え、救急車を呼ぶべきかどうかを相談する。
(サ責の対応)ヘルパーさんから連絡を受けたが、介助されながらベットに移動するなどの動作はできたようで意識もしっかりしている事から、一応今日のところは大丈夫なようなので、後日様子を見に行く予定を組んでサービス内容が変更になった事をケアマネに報告した。この対応は×です。〇の対応は、電話を受けた時点からあらゆる手段を講じて、救急搬送が必要かどうかの情報収集をする。様子を見て大丈夫だという確信が得られない場合は、家族にすぐに病院に連れて行くように約束をするか、救急車を呼ぶ。本人に電話を替わって貰って、「救急車に乗って病院にいきませんか? 大丈夫だと思ってもそれは、そう思いたいだけで、倒れてしまったんだから大丈夫なわけないです。力が入らなくなってしまった原因はわからないんだから、病院で検査して貰った方がよいですよ。それで問題が無かったら無かったで良いじゃないですか。様子見ている間に症状が悪化してしまう危険もあるし、どのみち調べた方が良いんですからすぐに行きませんか?」と話す。
★考えるヒント★下線のところに、用心しなければならない“いつものように物事を運びたい心理”が隠れています。それを『正常性バイアス』と言います。(次号へ続く)
~~ヘルパーミーティングのお知らせ~~ 【日時】 2019年 3月29日 金曜日 18:30~ 梅丘の事務所内にて(祖師谷・梅丘含む訪問介護全体のMTGです) ★担当利用者さんの状況等・支援計画の変更の必要性の有無 ★今月の議題・伝達事項 会議参加手当(ミーティング)は1回につき1370円です。 |
【研修会】 テーマ 高齢期になっても元気に生きる (荻野) (関連項目:フレイル、要介護に至る前の状態、介護予防体操、身体介護) |
衛生備品配布しています! 私たちの身の回りには目には見えないウイルスや細菌が潜んでいます。感染症等の拡大予防のためにうがい・手洗い・手袋の使用、手指の消毒等を行い感染症から身を守りましょう! 事業所に使い捨て手袋、アルコールを常時保管し、必要なヘルパーさんに提供しています。気軽にお声かけください。 |
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