【紙ふうせんブログ】

令和2年

紙ふうせんだより 10月号 (2020/11/30)

揺るぎない視座はありますか?

ヘルパーの皆様、いつもありがとうございます。朝夕が冷えてきましたので風邪などひかれぬようにご自愛下さい。今年で介護保険制度開始から20年です。

介護保険制度の20年を見渡せば?

介護保険制度によって「介護の社会化」が行われ、家庭内の問題(※1)とされてきた介護に社会的支援の光が差し込んだことは、日本の社会の大きな文化的発展となりました。一方でベテラン介護職員のケアマネへの転出によって介護現場での支援技術の構築や継承が停滞したり、支援の枠組みが縦割り化になりがちで「医療モデル」などの古い介護文化が払拭しきれていないなどが反省点として挙げられます。今行われている対策は、主任ケアマネージャーの育成や、ベテラン介護職員を特定処遇改善などで厚遇して後進指導を担わせるなどがあります。

※1:場合によっては家庭内の抑圧構造となる。

ところで技術の発展や継承に必須のものは何でしょう。曖昧を好む文化の日本人が苦手とする「原理を提示する、言語化して伝える」という筋道です。“愛情”や“寄り添って”という気持ちは大切ですが、情緒的な言葉では技術は伝わりません。また、その“気持ち”の伝わり方もズレてしまうことがあります。弱音を吐く利用者さんを“叱咤”することが愛情だと考える人もいれば、“利用者さんの好きなようにさせる”ことが愛情だと考える人もいるからです。これらはどちらも支援者の主観で利用者さんを見ています。利用者さんとのズレを生じさせないためには、対人支援職には自分の主観を“客観視”する努力が必要です。それは、自分の好みや感情に左右されない視座(※2)を持つことです。「〇〇さんとは合わない」「あのタイプは嫌い」といった主観的評価から抜け出さなければ、「相手を選ぶ人」となります。合う人への支援が上手く行くのは当たり前で、技術ではありません。皆さんの心の中に介護への揺るぎない視座はありますか?

※2:物事を認識する時の立場。

それがあなたの「原理(※3)」です。それを自分の言葉で語れたら誰かに助言ができますし、相手の考えも聞きやすくなります。判断の軸があればお互いのズレに気が付くことができます。お互いの個人的な原理を語り合い、より多くの人が納得できる言葉に変換・集約していきます。相互触発から「普遍的な原理」が紡ぎだされていきます。それが記述されていけば学問や技術となり、後世へ継承され社会や文化の発展に寄与するでしょう。介護の教科書はカタカナ単語が多いですよね。欧米で発展した「原理」が他人事の理念となっていないでしょうか。難しいことは専門家や“お上”に「おまかせ」という距離感はありませんか? 物事の判断を他人任せにしていては、“お上”が制度改悪など変なことを言いだしても反論できませんし、介護現場での緊急対応にあたふたしてしまいます。現場の自立した「問いと学び」が大切なのです。私たち自らが「原理」を内面化していくならば、技術向上と共に自身の生き方の深化も行われるでしょう。誰の為ではなく自分自身の為です。もっと良いやり方はないか? 自分はどうしたいのか? 問うことから学びが始まります。問いましょう「学問の秋」なのですから。見つけて語りましょう「自分の答え」を。

※3:事物・事象が依拠する根本法則・基本法則。他のものを規定するが、それ自身は他に依存しない根本的・根源的なもの。福祉や社会の原理の一つに「基本的人権」がある。




【紙面研修】  「自立」への歩み

ある脳性麻痺1種1級の方が、色々考えぬいた挙句に辿り着いた一つの理解として、『自立は依存の反対語として解釈されるべき概念ではなく、むしろ自立した生活は、依存できる先をオプションとして可能な限り多く確保し、それらを巧みに賢く利用することだ』と述べていました。この場合、身体的には誰かに依存しないと生活できないこともあるが、周囲の方に依頼や指示をして『賢く利用する』ことができますから、精神的には自立していると言えます。これは「依存の自覚」をして自分自身を問うことによって見てきた、逆説的な「自立は依存によって成り立つ」という自分の答えです。
【自立】じりつ ①他への従属から離れて独り立ちすること。他からの支配や助力を受けずに、存在すること。「精神的に自立する」

②支えるものがなく、そのものだけで立っていること。「自立式のパネル」(大辞泉)
「ADL向上を目指して自立支援をしましょう」という時、たいていは「身体的自立」を指します。「自分の足で歩きましょう」と言う意味です。しかし、歩行練習を効果のあるものとして行うためには、「頑張って歩こう」という強い自分の意志、いわば「精神的自立」が必要です。そして歩行練習を行うためには、ヘルパーさんなどの手を借りることを潔しとする妥協が必要です。大正や昭和一桁世代は、「手を借りること」を「甘え」や「依存」と見なして忌避する方もおられます。

しかし、「手を借りること」も「自立」の一つなのではないでしょうか。

必要な時には誰かに「助けて下さい!」と言えるのは「精神的自立」でもあるのです。しかし、助けを求めることは自分の弱さをさらけ出すことになってしまい、誰かに励まされたり世話を焼かれたりして、「精神的な自立も無くなってしまうのではないか?」というような自分を情けなく思う気持ちも出てくるかもしれません。それはそれで良いのです。人生の最終段階での自立への欲求は、身体や精神の自立を越えて、いわば「魂の自立」だからです。このような人生の究極目標を様々な心理学派が「自己実現」や「自己統合」や「自己超越」などと呼んでいます。死を見据える段階では、身体的には誰かに依存し、精神的にも誰かの支えや優しさを受けながらも、自分自身の中に「他に依存しない根本的、根源的なもの」を見つけられるかどうかが課題となってきます。それは、性別や親や子や身体的特徴であるとか、かつて「○○であったという記憶」などといった属性を全て取り去って見いだされる「自己」そのもの(自己実現)であり、また、今までの自己にこだわる狭い自己から抜け出して自己を包摂する世界もまた自己のうち(自己統合)にあり、開かれた自己が世界をも包摂していくような境地(自己超越)でもあります。自他や彼我の境界を越えていくならば、助ける者と助けられる者は同一のものの二つの顕れと見えるでしょう。若年性認知症によって「自分」を規定する記憶を失っていく『私は誰になっていくの?』という不安の中で「自己自身」を再発見した心境をクリスティーン・ブライデンさんは次のように語っています。

『私の魂としての自己は、過去も未来もない「今」という時に存在している。仏教の「刹那」という言葉は、このように時間の枠から離れた存在感覚を捉えたものだ。万物が「今」という場所に存在することを理解すれば、時間の外に在られる神がなんであるかをより深く知ることができる』『私たちにわかったことは、「自分が何を言うか、何をするかが私なのではなく、私はただ私である」ということだ。自分が誰かは魂が決めることだ。認知と感情は人生で変化するが、私たちの本質である魂は神の手の内にある。』(『私は私になっていく 認知症とダンス』クリエイツかもがわ)
【梵我一如】ぼんがいちにょ 梵(ブラフマン:宇宙を支配する原理)と我(アートマン:個人を支配する原理)が同一であること。古代インドではこれを悟ることが究極とされた。
「自立」への志向は、赤子が親に育てられて歩けるようになり親から自立して独り立ちしていくように、本能の欲求です。その最後の試みとして「魂の自立」への挑戦が現れます。認知症が進行し動作もままならず誰かの優しさに触れる時、「自分は生かされている!」という喜びから自他の境界が消えていく「自己超越」もあるのです。青年期には「自分は一人で生きるんだ!」という気概も大切です。しかし老年期にはそれが自立ではなく「孤立」になってしまいかねません。助けを受け入れることは、自分や自分を含む社会を肯定的に受け入れることにもなるのです。

 

考えてみよう

「魂の自立」への課題が自分自身に現れた時、どのように周囲から助けてもらいたいだろう?

①その時にそのように助けて貰える(助けてと言える)自分になるためには、今、どのように利用者さんを助けていくと良いだろう。

②一見、誰かの助けを受けなければままならない方も、誰かを助けてはいないだろうか。

※身体的自立と精神的自立の達成が「魂の自立」とならないことからも判る通り、ここで言う魂(spiritual)とは、精神と身体の二項対立を越えた人間存在のより根本的、根源的なものを指す。「魂の自立」支援はスピリチュアルケアとも言えます。


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