【紙ふうせんブログ】

令和6年

紙ふうせんだより 9月号 (2024/10/22)

夕暮れの物語り

 皆様、いつもありがとうございます。ようやく過ごしやすくなってきましたね。とは言え油断は禁物です。急な涼しさに身体の準備が整わず、風邪をひくこともあるでしょう。夏の体力低下は食事と運動で補い、利用者さんとの関わりで心の活力を得ていきましょう。

 

秋は夕暮れ

 秋の日はつるべ落としです。陽が傾くと昼間には霞んで見えなかった山々が、青紫色の影として西方のオレンジ色の空に浮かび上がります。空を渡る鳥が二羽三羽。帰って行くのはあの山の麓か西の彼方でしょうか。暗くなった庭影から虫の声が湧き上がってきます。私たちは、秋の夕暮れに懐かしさやもの悲しさ、愛おしさを感じます。それはなぜでしょう。

 

 「秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の寝所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。まいて、雁などの連ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず」

 

 これは清少納言(※1)の「枕草子」の一節です。一日の終わりの秋の夕暮れは、一年のみならず一生の終わりを予感させます。平安時代中期の貴族の平均寿命は40歳前後と言われています。ひとたび体調を崩せば死が目前に迫る時代です。この時代の貴族の信仰は浄土教にあり、辛い人の世にあって真の救いは西方極楽浄土にあると説かれていました。

 

 無常である人の世から眺めた太陽は沈んだように見えても、真理の世界では太陽そのものは決して失われません。夕陽の輝きは感傷を誘います。人の命は急ぎ足で過ぎ去って有限ではあるけれど、西の空の果てに行くことができれば(※2)、永遠なるものに連なることができるかもしれない。寝床に急ぐ鳥の姿を見送りながら、深い安らぎへの希求や再生への願いを重ねたのです。

 

 家に帰りたくなる「夕暮れ症候群」

 夕方に「帰宅願望」が生じやすいことは、「夕暮れ症候群」などと呼ばれています。

 「認知症の方の中には、日中は穏やかで話もよくわかるのに、夕暮れ時になると、落ち着かなくなったり、話が通じないような状態になる人があります。この状態を『夕暮れ症候群』といいます。原因は確定していませんが、一番大きな要因は1日の睡眠と覚醒のリズムがおかしくなって、夕方になると半分寝ているような起きているような状態になるからだといわれます。その他に、周囲の介護者が夕方になって疲れた顔をしているのをみて不安になるといった心理的な要因もあるようです。対応は以下のようなことを考えます。

 

  • ・夕方、暗くなる前に早めに点灯する

  • ・昼寝を制限する

  • ・日中の日光浴をおこなう

  •  

その他に、介護者自身が、体調をととのえていつも明るく接していることができる状態であることも重要です。」

 

 これは国立長寿医療研究センターによる解説です。対応を工夫することに異論はありません。ただし、「症状」という理解はすべきではないでしょう。これらは生理的にも長年の生活習慣としても、とても自然なことなのです。



※1 966年頃-1025年頃

※2 日が暮れた後に西方に高速で進むと暮れる前の昼の太陽が現れます。北緯35度(日本の京都付近)では、地球1周の長さは約32800kmであるため、時速13667km(マッハ1.1)で西に移動すればほぼ同じ位置の太陽を眺め続けることができます。



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 日暮れて道遠し

 「世俗のもだしがたきに随(したが)ひてこれを必ずとせば、願ひも多く、身も苦しく、心の暇もなく、一生は、雑事の小節にさへられて、空(むな)しく暮れなむ。日暮れ塗(みち)遠し」

 

 これは兼好法師(※3)の「徒然草(つれづれぐさ)」です。雑事に追われているだけでは空しく人生が暮れてしまうと兼好は述べています。「日暮れて道遠し(※4)」とは、年老いたのに求める生き方に届いていないと感じる焦燥(しょうそう)を表していますが、晩年に人生の意味を求めることは自然なことで、この時期の課題は「私は私でいてよかったか?(※5)」という自問に対して、どのように自ら回答するかにかかっているとされています。

 

 そうであれば、「私はここに居て良いか?」という問いを含み持つ夕暮れ症候群は、実感の伴う自分や人生の安息地を求めて「私は私でいてよかったか?」ということを確かめたい気持ちなのです。言い換えれば、守り守られてきた温かい生活や人生の回顧などを背景にした「人生を追憶する情動」の表れでもあるのです。

 

 「人は健康なときには死のことなどを忘れて生活している。しかし、死が迫って来ると、人生の意味への問い、生きている目的、過去の出来事に対する後悔、死後の世界などへ関心をもち、人間はこの関心事を追及し、苦悩を持つ。この苦悩をスピリチュアルペインと定義(※6)」した時、「スピリチュアルペインを『症状』とみて『緩和』することを意図するのではなく、『関係性』でもって患者が『意味』を見出すのを支えること(※7)」が重要なのです。

 

 スピリチュアルペインは和訳すれば「魂の痛み」です。利用者さんの葛藤に向きあい受けとめることは、利用者さんの「魂の痛み」に寄り添うことになります。人が変化する時、そこには必ず情動が伴います。悲しみや後悔がその人を変え、喜びや充足が心を潤していきます。寄り添う人の存在は利用者さんに安心をもたらします。それは、支える人の心をも充実させることでしょう。そして、寄り添い続けることそのものが両者を癒していくのです。



※3 1350年頃-1283年頃

※4「史記」に描かれる伍子胥の話が語源

※5 心理学者のエリクソンが示す発達課題で「自己統合」の課題と言われる。孤独を怒りで表現することや抑うつ状態もあるが、再体験を試みる続ける努力が統合へとつながっていく

※6「終末期患者から学んだスピリチュアルペインとケア」新潟県立がんセンター新潟病院看護部

※7 亀田メディカルセンター疼痛・緩和ケア科「緩和ケア革命宣言」



 空にはきらきら金の星

 「夕焼け小焼けで日が暮れて 山のお寺の鐘が鳴る お手て繋いで皆帰ろう 烏と一緒に帰りましょう / 子供が帰った後からは 丸い大きなお月さま 小鳥が夢を見るころは 空にはきらきら金の星」

 

 これは中村雨紅(※8)の童謡「夕焼小焼」です。国語教師の雨紅は、この詩を八王子駅から恩方までの徒歩16㎞の帰宅路の光景に着想したと言われています。発表は1919年、草川信が1922年に曲をつけています。この名曲の印象について、要介護高齢者の心理に重ねあわせて、独自の解釈を物語ってみましょう。

 

 夕暮れの鐘が人の世における生の終わりを告げています。人生を遊び楽しんだ「私」という人間も、振返ってみれば非力な「子供」にすぎません。人生の総体やその意味を完全に捉えるには、「私」という視界はあまりにも小さすぎます。今すべきことは皆と手を繋ぐこと。「私」から離れて、自然の営みを告げる烏の声に背中を押されながら、あるべきところに一緒に帰ることです。

 

 やがて私たちは小鳥のように眠りにつきます。皆と仲良くできたことは良い夢見を誘います。しかしそれができなくとも心配することはありません。円満を表す満月は必ず昇ります。悪い夢から月が守ってくれます。夜の世界に等しく降り注ぐ月光に見守られながら、やがて全ては眠りの中です。その時、きらきらと金の星が輝くのです。



※8 本名は髙井宮吉1897年-1972年



紙面研修

スピリチュアルペインと宮沢賢治

スピリチュアル」とは

 英語のスピリチュアル(spiritual)は、本来はラテン語の spiritusに由来し、霊的であること、神の、聖霊の、霊の、魂の、精神の、超自然的な、神聖な、などを意味します。オカルトチックな話ではありません。ここでの話は、人間の存在要素の根底にある全体性をスピリチュアリティとして、スピリチュアルな次元でのアプローチを検討します。人の「尊厳性」に関わる領域の話でもあります。

 

 人間は身体のみによって生きるのではありません。「身体的・物質的」な側面のみで人間を捉えることは誤りです。かといって、「考えや感情」を重視しても、それで全てがわかったとはとても言えません。例えるなら、身体に病気が無い人は「健康か」と言えば、必ずしもそうではありませんし、病気を抱えるから「弱い」とも言えません。激怒していても「優しい」気持ちが失われたわけではありませんし、「どうでも良い」と言ってもどうでも良く無かったりします。「元気だよ」と返事をしても元気でないこともあります。

 

 私たちが個人の人間存在の全体を見ようとした時には、その難しさに困惑してしまいます。私たちは、どうしても物事を部分で見てしまい、それを全てのように錯覚してしまうからです。人間を人間たらしめている精神性やその心の奥底や、感性や感情と身体の結びつきや個人の歴史性・社会性など、さまざまな側面を持つ人間の全体性を捉えようとすることは、とても難しいことです。

 

 しかし、臨床心理学者の河合隼雄は、支援にあたっては、その全体性を見ようとすることの重要性を説きます。河合隼雄は、人間の様々な側面を統合し、その全体性を支えるものを「たましい」という言葉を使って表しています。ここで言う「スピリチュアル」と同義です。確かに人間存在の基層となるようなものは生きとし生けるものにあるのでしょう。そのような物語を昔から人間は考えてきたのですから。

 

 スピリチュアルペイン(ペイン=痛み)とは、スピリチュアルな次元、つまり全体や統合性の次元で生じている「痛み」です。スピリチュアルケアとは、スピリチュアルな次元に働きかけ、またはその働きを利用して、スピリチュアルペインを癒していこうというものです。

 

宮沢賢治の捉えかた

 宮沢賢治は、月について正確な科学的知識を持ち合わせています。それが岩石の塊であることなどを知っています。しかし、そのような断片的な情報の総体が「月である」とする理解を賢治は拒んでいます。

 

 「月」という存在の全体性の中には、月と地球や地球の生物との「関係性」や月と人間の歴史的・情緒的な「関係性」も当然含まれるからです。科学的にも言われていることですが、月が存在しなければ地球の自転速度は恐ろしく速くなり大型生物が誕生することは不可能とのことです。賢治は月を「月天子」と称し、いわば「仏様」のように敬っています。これが、賢治がスピリチュアルな次元で捉えた「月」です。

 

 ものごとを全体性の視点で捉えようとする時、それを観察する「観察者」も全体性の中に含まれます。それは、ある人に邪険にされたとしても部分的な「関係性」であって、全体の中では他の「観察者」も存在するので、その人を邪険だとは決められないことを意味します。全体性を見ることの困難さは、そこに「自分との関係性」も含み、自己都合による視野狭窄があるからです。

 

 ですが、これは救いでもあります。全体性の次元ではそこに「自分との関係性」も含むのですから、自分の態度や言動の変化によって、全体性の中での変化は「自分のアプローチによって部分的に可能」ということもまた言えるのです。

 

宮沢賢治の人間観・人生観

 賢治は、「人とは人の身体のことであると、そう言うならば誤りであるやように」と述べています。人間は身体のみによって生きるのではありません。賢治は、「人は身体と心であると言うならば、これも誤りであるように」と述べています。人は、単なる身体と心の集合体ではありません。さりとて人は心であると言うならば、また誤りであるように」と賢治は「唯心論」も否定します。では、賢治は「人間」をどのように捉えていたのでしょう。

 

 賢治は「しかれば私が月を月天子と称するとも、これは単なる擬人でない」と、本気でそう思っていることを賢治は述べています。賢治は信じているのです、月が仏様であることを。

 

 しかれば、賢治が「人」を何と称しているのか、ここでは賢治は明言を避けています。賢治にとってはそれがどうしようもなく大切なことだったからです。理解されないことも解っています。しかし賢治はその生き方を実践しました。その生き方は、死後に発見された賢治の手帳に明らかでした。「雨ニモマケズ」には自分の目指す態度を、困っている人と共に「涙を流し」「おろおろ歩き」としています。あまつさえ「みんなにデクノボーと呼ばれ」「ほめられもせず」と見下される痛みを甘受します。なぜでしょう。

 

賢治は、自分を馬鹿にしイジメてくるような「関係性」こそが自分の魂を磨いてくれると信じ、苦しんでいる人と一緒に苦悩する「関係性」こそが困っている人を真に救い得ると信じていたのです。篤く法華経を信仰する賢治の生きた“物語”は、自分が「仏様」と敬うことによって、自分が(差別する・される)痛みを引き受けることによって、自分が苦悩することによって、皆が「仏様」になれるというものでした。

 

物語ることの大切さ

人は、自分の「物語」を紡ぎながら生きています。ナラティブとは「語る・物語る」ことです。自身の経験や空想したことなどを他者と共有することなどから人生の「物語」は紡がれていきます。新たな関係性やその変化から新たな「意味」が生じ、それを物語ることから「物語」は変容していきます。

 

 【物語例】甲子園を目指していた野球選手がケガで出場を断念せざるを得ず、夢見ていたプロ入りも断たれ自暴自棄になってしまいます。破滅的な生活を送り「自分はだめな奴だ」と自身を呪っています(ドミナントストーリー)。しかし、偶然から子供を助け、その子の「憧れの存在」となってしまいます。「自分は良い奴じゃない」と言い聞かせても「僕にとってはヒーローだよ」と簡単に言われてしまい困惑します。そして、期待を裏切らないようにと、その子の前ではヒーローであろうとしているうちに、新たな自分の可能性(オルタナティブストーリー)に気が付き、挫折に立ち向かっていきます。

 

 介護職の存在は、既に利用者さんの人生物語の一部となっています。私たちの在り方や接し方によっても、利用者さんの「物語」は紡がれ変容していくのです。



参考資料

月天子 宮沢賢治

私はこどものときから
いろいろな雑誌や新聞で
幾つもの月の写真を見た
その表面はでこぼこの火口で覆はれ
またそこに日が射してゐるのもはっきり見た
后そこが大へんつめたいこと
空気のないことなども習った
また私は三度かそれの蝕を見た
地球の影がそこに映って
滑り去るのをはっきり見た
次にはそれがたぶんは地球をはなれたもので
最后に稲作の気候のことで知り合ひになった
盛岡測候所の私の友だちは
──ミリ径の小さな望遠鏡で
その天体を見せてくれた
亦その軌道や運転が
簡単な公式に従ふことを教へてくれた
しかもおゝ
わたくしがその天体を月天子と称しうやまふことに
遂に何等の障りもない
もしそれ人とは人のからだのことであると
さういふならば誤りであるやうに
さりとて人は
からだと心であるといふならば
これも誤りであるやうに
さりとて人は心であるといふならば
また誤りであるやうに
しかればわたくしが月を月天子と称するとも
これは単なる擬人でない

 



ナラティブを重視したがん緩和医療のあり方を探る

 

 スピリチュアルケアとペインの関係

スピリチュアルケアは一見、「こころのケア」と混同されがちであるが、こころのケアはストレスに苦しむ人を対象とした心理的・精神的症状に対するケアである。スピリチュアルケアはスピリチュアリティから派生するスピリチュアルペインのケアと考えられている。前者には薬物療法がある程度奏功するが、後者には効かないという点に大きな違いがある。

 前述した日本臨床死生学退会の一般演題「死とスピリチュアリティ」で座長を務めた窪寺敏行氏(正学院大学大学院人間福祉学研究科教授)によれば、「スピリチュアル“ケア”は“キュア”ではない」 と言う。そして、「スピリチュアルペインは人間存在に伴うものであるから、治療(キュア)して取り去るということができない」。
 つまり、スピリチュアルケアとは、単なるペインの緩和ではなく、人生の意味を失い、揺れ動く患者に寄り添って一緒に揺れ動きつつ患者を支える「寄り添い型ケア」であるべきで、「患者自らが納得できる人生の意味や目的を探し出し、かつ死後のいのちについての理解を持つことができるようにケアし、援助すること」が目的となる。(Medical ASAHI 2021 March)



考えてみよう

介護職の言動が利用者さんにとって否定的なナラティブとなってしまう場面を想像しよう。

自分(介護職員)の物語の中では、利用者さんはどのような役回りとなっているだろうか。

介護職員が、利用者さんを敬うことは、利用者さんの「物語」にどのように影響するだろう。

自己否定的な「物語」は、何がどのように「物語られる」ことで変わり得るだろう。








 


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