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平成26年
平成26年1月 紙ふうせんだより (2014/04/23)
遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます!本年が皆様にとって良い年になるように、お祈り申し上げます。
風は未だに冷たいですが、陽ざしは温かくなってきています。ホトケノザが小さなピンクの花をゆすって愛嬌を振りまいています。実はこの草は、緑が枯れてゆく秋にひっそりと芽吹き冬を越し、他の草に先駆けて今花を咲かせるのです。いつの間にか繰り返される命の営みは、何かの指示や目標があるのでなく、ただ命の中に内在する力を自然に存分に発揮した結果なのです。ホトケノザは他の草花が咲き競う頃、種を残し枯れていきます。
一方、飽きずに繰り返される一年一年にどんな意味があるのだろう、と“意味”を考えてしまうのが人間です。「一年の計は元旦にあり」と、今年の目標などを書初めしてみたりするのです。その向上心が人類文明を発展させた事は言うまでもないのですが、いちはやく“意味”を掴もうとするあまりに、近視眼的になってしまう事もあります。
1月28日の研修では、「利用者さんと介護者の立場」や認知症の「竹内三分類」などの資料をもとに、私達の心の奥底では要介護高齢者や認知症の方に対してどのように“理解”しているのかについて話合いました。そのなかで、「人は生きたように死んでいくのよ」との意見が出ました。あえて「では、“痛いよ~苦しいよ~”と訴える方がいたら、この方は一体どんな生き方をしたんだろうと、否定的に考えてしまう事はありませんか?」と問いました。すると「みんな本当はいい人なのよ」と返ってきました。別の方も「どんな方にも、良い所を見つけていかないとやっていけないですよね」と言っていました。それらの意見には、“命”と命の営みから生じるさまざまな出来事、つまり“生老病死”全てを肯定しようとする視座がありました。
「目標を設定し、合理的に実行し、到達度を検証し、再度目標を立てる」というサイクルが成長の方程式であるという“思想”は介護保険制度にも採用されていますが、この思想は目標達成に対する阻害要因が現れると、それを不条理なものとして心情的に排除したくなる側面を持っています。西洋近代文明はこの思想によって爆発的に発展しましが、その代償として、“成長神話”を阻害するものとしての「老い」や「死」を、忌まわしいものと感じるようになりました。命の営みの半分を切り捨てるような思想は、“命”の本来の姿を見失い、かえって、心の病というような“不条理さ”を個人に押し付けるようになりました。
時々、「老いて衰えていくのを見ているのはつらい」との声が聴かれる事があります。しかし私達は、介護の経験から学んだ事、命の営みの全てを肯定する視座こそが本来“自然”なものであるという事を、このような時代だからこそ、語る価値があるのではないでしょうか。
もとより、ものごとの本当の“意味”とは、人間の知恵では把握しきれないものなのです。
だからこそ、どんな事でも肯定的に見ようとする視点が必要あると共に、それにとらわれないおおらかさが肝心なのです。
介護のヒントになるかもしれない『言葉』
『塞翁が馬』(さいおうがうま)
むかしむかし、国境の塞(とりで)の側に住むおじいさんがおりました。ある日おじいさんの飼っている馬が逃げていってしまい、村の人は「残念でしたね」とおじいさんに言いました。しかしおじいさんは「いやいや、これが福となるかもしれん」と言いました。
すると、逃げた馬が、別の立派な馬を連れて戻ってきました。村の人が「よかったですね」と言うと、おじいさんは「いやいや、これが禍になるかもしれん」と言いました。その後、おじいさんの息子が、立派な馬に乗っていると馬から落ちて足の骨を折ってしまいました。村の人が「大変でしたね」と言うと、おじいさんは「いやいや、これが福となるかもしれん」と言いました。
やがて隣の国と戦争が起こりました。村の若者は皆、兵隊として戦争に行かなくてはならなくなりましたが、おじいさんの息子は、足がまだ治ってなかった為に、戦争に行かずにすみました。そして村の若者の十人のうち九人は死んでしまうという有り様でしたが、おじいさんの息子は、助かりました。
福は禍となり、禍は福となるという変化は深淵で、見極める事はできないのである。
(解説)私達は、何か事は起こるとすぐに「良かった」とか「悪かった」とか決めてしまいがちですが、人生の禍福の本当の意味は簡単にわかるものではなく、それらに一喜一憂しない心が大切である。
人間(じんかん)万事塞翁が馬、人生万事塞翁が馬とも言う。
2014年4月23日 3:30 PM | カテゴリー: 【紙ふうせんブログ】, 平成26年, 紙ふうせんだより