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平成26年
平成26年12月 紙ふうせんだより (2015/03/10)
皆様いつもありがとうございます。寒いですね~。身が縮こまって体も硬くなってしまいますね。ご利用者さんも体が痛くなります。体操を促してみましょう。皆さんも自転車運転の判断や操作が鈍くなると思われますので、くれぐれも事故にはご注意下さい。見通しの悪いところでは、徐行や一時停止をお願いします。
12月22日は冬至です。冬至は一年のうち最も昼の短い日です。どんどん短くなってきた昼が、冬至を境にこれからは長くなっていきます。それを昔の人は、太陽が死んで生まれ変わると考えました。冬至をさす言葉に「一陽来復(いちようらいふく)」というものがありますが、その意義は「陰が極まって陽がかえってくること」や「悪い事ばかりあったのがようやく回復して善い方に向いてくること」となっています。(今年の冬至は19年に一度の特別な冬至で朔旦冬至と言い、冬至に新月が重なります。太陽と月の再生の日が重なる朔旦冬至は、古来朝廷では盛大な祝宴を催しました。)
昔話に現れる“死と再生”のテーマ
昔話には庶民の智恵や人生訓があり、時代の変化に耐える重みがあるからこそ語り継がれます。その中には普遍的なテーマがあり、象徴的に表現される“死と再生”もその一つです。
河合隼雄は『日本人とアイデンティティ』の中で、「赤ずきん」を例に「成長するためには、内面的に死と再生ということを経験しなくてはならない」と語っています。
日本の昔話でも、「一寸法師」が死を覚悟して敢えて鬼に飲み込まれる事によって、一人前の大人として生まれ変わる事ができましたし、「こぶとり爺さん」では恐ろしい
鬼との出会いをユーモアによって乗り越え、コブが治ります。また、「花咲かじいさん」では“枯れ木に花が咲く”という命の再生の前には、愛犬の死がありました。
赤ずきんが狼のお腹に食われながら、またそこから出てきたことは、おとぎ話の中によく出てくる「死と再生」というテーマを示していると思います。赤ずきんが一段と成長するにためには、内面的に死と再生ということを経験しなくてはならないのではないでしょうか。
こんな風に考えてゆくと、赤ずきんがお母さんの言いつけを破ったことは悪いことだし、危険でもあるけれど、本当に成長してゆくためには必要なことだったとさえ考えられます。(『日本人とアイデンティティ』)
ノーベル平和賞のマララさんの話
女性や子供が教育を受ける権利を訴えて武装勢力に頭を撃たれたマララ・ユスフザイさんは、国連でのスピーチで、次のように語っています。
「2012年10月9日、タリバンは私の額の左側を銃で撃ちました。私の友人も撃たれました。彼らは銃弾で私たちを黙らせようと考えたのです。でも失敗しました。(中略)私の人生で変わったものは何一つありません。次のものを除いて、です。私の中で弱さ、恐怖、絶望が死にました。強さ、力、そして勇気が生まれたのです。」
生命の本質的な力
マララさんの話を引き合いに出してしまうと、“死と再生”は、とてつもなく大変な事と思われてきます。確かに大変な側面もありますが、一方で、万物は絶えず日常的に“死と再生”を繰り返しているとも考えられます。
私たちの身体のなかでは、約3000億個の細胞が日々死に続けています。その一方で、死んでゆく細胞の数とほぼ同数の細胞が誕生し、生体の恒常性が保たれます。
また、古代人は太陽も毎朝毎晩、生まれては死んでいくと考えていました。何度も死と再生を繰り返すその強い生命力に対して、古代人は畏敬の念を抱きながら、その生命力を我が身に取り込もうとして太陽信仰が生じてきた事は想像に難くありません。私たち人間も朝な夕なに生まれ死に、80年の人生では、約29000回以上もの生死を繰り返してきたと言えなくもありません。命の持つ力は、どんなに奥深いものなのかと考えさせられます。
私たちが夜空を見あげる時、そこに永遠の昔から星々の煌めきがあり、それはずっと続いていくように見えます。しかし、最新の物理学の知見では、宇宙を満たしている素粒子は瞬間瞬間に生成消滅を繰り返し絶えず激しく運動している事が解ってきました。宇宙も含めて生命として捉え、『生命の本質とは、その力とは何か』と突き詰めるならば、それは、“変化してゆく力”を絶えず発揮しながら、同時に自らの“恒常性を保つ力”をも発揮しているという一見矛盾した解になります。“死と生”という対立概念が、分離不可分のものとして繰り返し人生のさまざまな場面で現れるように、『矛盾が対立を孕みながら均衡を保ち調和している』という姿が、命の本質的な有り様ではないでしょうか。
人は常に変化してゆく力を持っている。老いとは変化するということ
そもそも、命というものは生まれた時から死を運命づけ
られている矛盾した存在です。私たちが介護をしていると
き悩んでしまうのは、元々存在していたさまざまな矛盾の
均衡が崩れ、対立が表面化した時です。
制度の事を言えば給付と財源のバランスもそうですし、
利用者本人と家族の葛藤もよくあります。利用者さんが、
ヘルパーさんに依存しながら反発するという事もよくあり
ます。「早く死にたい」と言いながら足繁く病院に通う方も
います。それらを見て私たちは「難しいよね~」と嘆きま
すが、むしろそれらの矛盾と向き合う事こそが、仕事の本
筋とも言えるのではないでしょうか。
なぜならば“老い”とは、身体のバランスが崩れ内在していた矛盾が表面化する事に他なりません。矛盾とは“変化してゆく力”の源泉あり、生きる力の源泉なのです。
変らないか、悪く変わるか、良く変わるか
「人は変れない」と思っている人もいます。「自分は変りたくない。変わる必要はない」と思っている人もいます。しかし、カナダの精神科医エリック・バーン(エリック・バーンについては、「交流分析」の研修会で取り上げた事があります)は次のように言っています。
「他人と過去は、変えられない。自分と未来は、変えられる」
考えてゆくと、変わらない人には共通点があるように思われます。一つは、他者や環境との矛盾が生じた時に、無意識的に“常に正しいのは自分”という態度をとってしまう事です。この態度を貫くと、思考や感情が柔軟性を失い、結果として悪く変わっていく事のほうが多いように思われます。そしてもう一つは、多くの矛盾にさらされながら、(それは、日常の些細な失敗や行き違いなど小さな事なのかもしれませんが)それらを気にもとめない事によって、自分自身が良く変わっていくチャンスを逃しているように思われるのです。命は常に変化してゆく力に満ちているのに、「人は変わらない」という開き直りを持っているのであれば、それは本当に惜しい事だと思います。
変化の力をどのように自分のものにするか
ここまで自戒をこめて書いてきました。私自身も、良く変わりたいと思いながら変わらない一人であり、常に模索をしているからです。そして変わらない自分の中には、自分自身が気に入っている自分もあるのです。まぁそれは良しとしながらも、良く変わっていくにはどうしたら良いのでしょうか。これは願いであり、実際に実践できている事ではないのですが、毎日毎日を、「朝に生まれ夕べに死す」というような新鮮さをもって、どんな些細な事にも真剣な誠実さをもって取り組んで行きたいという事です。それは、いつ何時死んでも構わないという覚悟とも通じてきます。具体的には、挨拶だったり掃除だったり言葉づかいや気遣いの一つ一つなのですが、そのような一所懸命さが、生命に満ちている変化する力を、自らのものにする事になるのではないでしょうか。
私たちの日常生活も、実に多くの矛盾を内包しています。「朝はゆっくり寝ていたい。でも仕事に行かなければならない」というのも些細な一つです。矛盾は葛藤を生じます。その葛藤という心のエネルギーの高まりから、自分自身がより良く変化してゆく力を取り出していくのです。
今年一年、本当にありがとうございました
もう少しで年が明けます。古い年が死に新しい年が生まれます。一つの死は一つの生でもあります。今年一年本当にありがとうございました。皆様の利用者さんの老いという変化に寄り添う努力が、老いを肯定する安穏とした境地に利用者さんを導いていく事を信じています。そして同時に、利用者さんに寄り添う事で、皆様も一人一人が良く変わっていく事を信じています。
楽な人生が無い事は、皆様は十分解っているかと思います。困難は常にあります。その困難に直面し葛藤する度に、古い自分が死に新しい自分が生まれ、新鮮な強さ、力、勇気が湧いてくるように願っています。来年もどうぞよろしくお願いいたします。
2015年3月10日 4:39 PM | カテゴリー: 【紙ふうせんブログ】, 平成26年, 紙ふうせんだより
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