【紙ふうせんブログ】

平成27年

紙ふうせんだより6月号 (2015/07/31)

 

皆様、いつもありがとうございます

梅雨です。自転車のスリップ(マンホール、横断歩道、歩道の段差)、傘さし運転による出会い頭の事故には、くれぐれもご注意ください。レインコートなど事前の準備と、余裕を持った移動をお願いいたします。

さて、正月から数えてもう一年の折り返し地点です。「一年の計は元旦にあり」と言いますが、ここらでもう一度自分のやりたい事や目標を振り返ってみるのも良いでしょう。

私の本当に“やりたい事”は何だろう?

就職活動など学生や若い人は、度々「私の本当に“やりたい事”は何だろう?」と自問自答をします。それは「どんな職業に就きたいか」として具体化され、明確になれば行動に結びつきます。しかし、なかなか明確にならない方もいます。明確化されないのは、自分自身の掘り下げ不足や視野の拡がり方などの問題もあるでしょう。また、マニュアル的な“目標は具体的なほど実現する”などの考え方に偏りすぎると、一面性の弊害が出てくる場合もあります。職業というのは器であって、本質的には「そこに何を入れるのか」という“想い”が重要なのです。問われているのは、「どんな」ではなく「どのように」という事なのです。

サッカーをやりたい、映画をやりたい、起業をしたい、ビジネスパーソンとしてバリバリと仕事をしたい等という事が見えているということは、幸せな事です。それを目指していけば良い。しかしそこに、自分の何を入れていくのかという事が無ければ、例えばサッカー哲学や、どのような映画で人間の何を謳い上げるのか、誰の為に何の為にという信念がなければ、一流になるなど程遠く生き残る事さえ危ういと思われます。介護の仕事も、誰の為に何の為にという信念に裏打されていなければ、皆さんのように長く続ける事はできなかったと言えるでしょう。

一方で、つきたい職業ややりたい事が分らないという事も、決して寂しいわけでも劣っているわけでもありません。「どのようにありたいか」という人間性を追求してゆく信念があれば、器の具体性が無くても、可能性はいつどんな時でも拡がっていると言えるでしょう。もし、中身ではなく器にしか価値がないのであれば、

え 仕事を引退した隠居には、価値が無いという事になってしまいます。そうでは無い事を私たちは介護を通して知っています。

また別の例えをすれば、「どのようにありたいか」は、人生の土台であり、その上に「やりたい事」が乗っているとも言えましょう。6月18日の研修では土台としての「パーソンセンタードケア」があり、それを具体的に表現する技術としての「ユマニチュード」について学びました。このような、重なりあっている構造に理解があれば「私の本当にやりたい事は何だろう?」というように、自分自身の方向性について取り組んでいる事は、若年者も高齢者も年齢に関係なく、実は同じであるという事が了解されます。要介護高齢者には、職業などのやりたい事やれる事はもう無いかもしれません。しかし、人生の総まとめという場面において、より直接的に「どのような人生、生き方でありたいか」という課題を、まさに体現しなければならない段階に入っているのです。

やりたい事とやるべき事

 ミャンマーの非暴力民主化運動の指導者、アウンサンスーチーさん(独立を目前にして暗殺された「ビルマ建国の父」アウンサン将軍の娘、1991年ノーベル平和賞受賞)は、インタビューで「研究者になりたかった」と語り「政治家になった事を後悔していないか?」との問いに「人生にとって、やりたい事よりもやるべき事をやらなければならない時があるのです」と答えています。スーチーさんは、軍事独裁政権の圧政を許してはおけないという人間としての信念に基づいて行動を起こしました。それは、狭い意味で自分を“犠牲にして”というようなものではなく、より自分自身を高め信念に生きるという意味で、自分の為でもあり皆の為でもあったのです。そして「やるべき事をやらなければならない時」も、年齢に関係なく現れます。例えば“神風”に散った青年たちも、やりたくて“特攻”したのではなく、郷土の人々の平和な暮らしの為、それを“やるべき事”として飛び立ったのです。祖国がいずれ平和になるようにと祈り、願いを後世の人々に託したのです。『きけ わだつみのこえ』(岩波文庫)に収められている学徒出陣した上原良司の遺書にもそれを伺う事ができます。

いずれにしろ、自分の人生の終わりを見通すようになると、やるべき事の比重が大きくなってくると思われます。それを具体化すれば、後進を育てるという事が中心になってくるのではないでしょうか。その「育てる」という事を本当に行おうとすれば、それは相手を自分のカラーに染め上げるというようなエゴの拡大ではなく、相手の内発性や主体性を信じ託して、その人が自分の中に秘めている宝石に気が付き、自分らしく輝いていけるようにしてく事となるのではないでしょうか。私の行った雑な介護にもかかわらず、私の頭のてっぺんから爪先まで全身を包み込むように暖かく眺め、「ありがとう、また来てね」とおっしゃって下さる方の眼の中に、そして時に厳しい眼の中に、その「託す」ような育つのを見守る気持ちを見る事があります。この時、お世話をしているのは私達ではなく、実は立場は逆で、自分はお世話をされているのだと痛感させられるのです。(それに気が付かずに「この利用者は何も文句を言わないから楽だ」と思ってしまう浅ましい自分がいる事もありますが…)

このように介護の世界では、主体と客体の逆転が常に生じます。その逆転の作用こそが、利用者の意欲を高め介護職の自分自身を癒すという働きを生じさせるのではないでしょうか。

 

足下を掘れ、そこに泉あり

 自分はどうするべきか考えあぐねている方に、「足下を掘れ、そこに泉あり」とのニーチェの言葉を贈ります。足下とは、自分の置かれている状況や環境、自分に起こった事、自分が起こした事、自己の内面、今の仕事など人によって捉え方は様々できます。掘るとは、それらに真剣に向き合い誠実に我が身を振り返る事です。今ある関係性や出来事に着目し、そこから意味を汲み上げる作業です。そのように、他人の足元や他の場所ではなく自分自身の足元を掘り下げる事こそが、自分自身にとっての本当の“宝”となるのではないでしょうか。

 
 (資料)1945年5月11日 22歳で沖縄県嘉手納沖で戦死した、上原良司の遺書(下線は佐々木)「所感」栄光ある祖国日本の代表的攻撃隊ともいうべき陸軍特別攻撃隊に選ばれ、身の光栄これに過ぐるものなきと痛感いたしております。 思えば長き学生時代を通じて得た、信念とも申すべき理論万能の道理から考えた場合、 これはあるいは自由主義者といわれるかもしれませんが。自由の勝利は明白な事だと思います。 人間の本性たる自由を滅す事は絶対に出来なく、たとえそれが抑えられているごとく見えても、 底においては常に闘いつつ最後には勝つという事は、 かのイタリアのクローチェもいっているごとく真理であると思います。権力主義全体主義の国家は一時的に隆盛であろうとも必ずや最後には敗れる事は明白な事実です。 我々はその真理を今次世界大戦の枢軸国家において見る事ができると思います。 ファシズムのイタリアは如何、ナチズムのドイツまたすでに敗れ、 今や権力主義国家は土台石の壊れた建築物のごとく、次から次へと滅亡しつつあります。真理の普遍さは今現実によって証明されつつ過去において歴史が示したごとく未来永久に自由の偉大さを証明していくと思われます。 自己の信念の正しかった事、この事あるいは祖国にとって恐るべき事であるかも知れませんが吾人にとっては嬉しい限りです。 現在のいかなる闘争もその根底を為すものは必ず思想なりと思う次第です。 既に思想によって、その闘争の結果を明白に見る事が出来ると信じます。愛する祖国日本をして、かつての大英帝国のごとき大帝国たらしめんとする私の野望はついに空しくなりました。 真に日本を愛する者をして立たしめたなら、日本は現在のごとき状態にはあるいは追い込まれなかったと思います。 世界どこにおいても肩で風を切って歩く日本人、これが私の夢見た理想でした。空の特攻隊のパイロットは一器械に過ぎぬと一友人がいった事も確かです。 操縦桿をとる器械、人格もなく感情もなくもちろん理性もなく、ただ敵の空母艦に向かって吸いつく磁石の中の鉄の一分子に過ぎぬものです。 理性をもって考えたなら実に考えられぬ事で、強いて考うれば彼らがいうごとく自殺者とでもいいましょうか。 精神の国、日本においてのみ見られる事だと思います。 一器械である吾人は何もいう権利はありませんが、ただ願わくば愛する日本を偉大ならしめられん事を 国民の方々にお願いするのみです。こんな精神状態で征ったなら、もちろん死んでも何にもならないかも知れません。 ゆえに最初に述べたごとく、特別攻撃隊に選ばれた事を光栄に思っている次第です。飛行機に乗れば器械に過ぎぬのですけれど、いったん下りればやはり人間ですから、そこには感情もあり、熱情も動きます。 愛する恋人に死なれた時、自分も一緒に精神的には死んでおりました。 天国に待ちある人、天国において彼女と会えると思うと、死は天国に行く途中でしかありませんから何でもありません。

明日は出撃です。 過激にわたり、もちろん発表すべき事ではありませんでしたが、偽らぬ心境は以上述べたごとくです。 何も系統立てず思ったままを雑然と並べた事を許して下さい。 明日は自由主義者が一人この世から去って行きます。彼の後姿は淋しいですが、心中満足で一杯です。

言いたい事を言いたいだけ言いました。無礼をお許し下さい。ではこの辺で

 
【解説】上原は権力主義全体主義の国家は「必ずや最後には敗れる」と日本の敗戦を予見している。その「自己の信念の正しかった事」を「祖国にとって恐るべき事」ではあるが「吾人にとっては嬉しい」と述べている。あえて毒杯を呑んだソクラテスにも似た心境だろう。「大帝国たらしめん」とは皮肉と偽装だろう。一貫して“日本”との文言を使い、一度も“大日本帝国”とは言わない上原の愛する祖国は「日本」なのだ。「真に日本を愛する者をして立たしめたなら、日本は現在のごとき状態にはあるいは追い込まれなかった」と、日本の取るべき別の道があった事を示唆しつつ、権力主義全体主義の支配者たちが偽りの愛国者である事を見抜いている。「願わくば愛する日本を偉大ならしめられん事を国民の方々にお願いするのみです」と後進の日本人に願いを託し、自己の信念は国家権力と戦う「過激」なものとし、「彼の後姿は淋しい」と権力主義全体主義に呑み込まれ“大日本帝国”に殉じるように見える淋しさを記しつつも、実は「愛する日本を」後世の「国民の方々にお願い」し、誤りに気付かせる為に死して国を諌める信念に忠実である自己を「心中満足で一杯です」としている。上原の心は真に自由だったのだろう。なお、上原は出撃前の昭和20年4月、最後の別れのため帰郷した夜、家族や近所の人々に対して「俺が戦争で死ぬのは愛する人たちのため、戦死しても天国へ行くから、靖国神社には行かないよ」と語ったという。その魂も真に自由であった。今の日本人は上原の願いどおり「世界どこにおいても肩で風を切って歩く」事ができる。世界中で平和主義の「日本」が認知され、武力によって国際紛争を解決しないという主張が、不安定な世界情勢の中で信頼に値するからだ。東南アジア(ミャンマーやタイなど)や西アジア(イスラム圏)の人々は、日本に対して親愛と尊敬を示す方が多いと言われている。権力主義全体主義の人はそれをもって「日本は、太平洋戦争によって欧米の植民地支配から解放した英雄だからだ」と言うが根本的に誤りである。日本が尊敬されるのは、植民地支配からの独立のきっかけを作ったという事もないわけではないが、その後の日本が真摯に反省し偉大な理想を掲げ憲法9条を抱き、敗戦の焼野原から立ち上がり、ベトナム戦争などにも参加せずODAなど平和外交に努め、戦後70年にわたる不戦・非暴力を築いてきた、その歴史の転換にこそある。今再び権力主義全体主義が、権力者のエゴを国家にまで拡大しようとその暴力を増しているこの状況に、私は上原ら先人に対して申し訳ないと思う。今、戦後を生きる日本人の覚悟が再び問われている。
 


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