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平成27年
紙ふうせんだより 10月号 (2016/02/08)
皆様、いつもありがとうございます。
最近、何人かの利用者さんから、最近の状況が「昔の日本と似てきた」「怖い」という声を聞きます。戦前の何が今と似ているのか、考えずにはいられません。人生の最晩年の方々の想いを引き受け、社会や次世代へと受け渡していく使命が介護職にはあります。その想いに介護職として寄り添い理解する為にも、あの時代について考えてみたいと思います。
あの時代、国民の何奪われたのか
あの時代の日本は全体主義だった。個人の幸福追求よりも全体の利益追求が優先される。それを盾に、我こそは全体の利益を代表するものだと騙り“利権”を貪る者は、戦争を取
り返しのつかない方向に導いていった。個人の幸福を追求するように見られた一般人は、非国民として非難され警察に逮捕される事もあった。そんな事になれば“村八分”
で生きていけない。同調圧力が強く働き、場の論理を優先する日本人は、自然と自己規制を始めた。「進め一億火の玉だ」というスローガンが作られ歌にもなった。国民生活の目的
は戦争勝利となり、全精力が傾けられた。「欲しがりません勝つまでは」「贅沢は敵だ」「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」“一億総動員”の価値観で育てられた若者は、全体に忠誠を尽くす生き方しか知らなかった。最も崇高な死は全体に命を捧げる事であって、その全体の質がどのようなものかは、疑って見る尺度は持っていなかった。全体の利益を代表するように騙っている者たちにとって、からっぽの頭の国民は都合が良かった。国民が目覚めないようにする為には、日本は「神の国」であり続ける必要があり大本営発表ではウソの戦勝報告を垂れ流し続けた。そのウソも隠せなくなってくると、特攻作戦を同調圧力によって強要し、“聖戦”で戦死したものは靖国神社で“軍神”に成ると強調した。その為、南方戦線では餓死や病死も多かったが全て戦死とされた。“一億玉砕”すれば“神風”が吹き、国民が死んでも大日本帝国は戦争に勝てると叫ばれた。若い男たちはお国の為に命を捧げる“戦死”を目的に戦地に赴いた。「国破れて山河在り」とは杜甫の漢詩だが、権力者は庶民の“国=郷土(山河)”意識と“国=統治機構”を意図的にすり替えた。
「男たちは挙手の礼しか知らなくて きれいな眼差しだけを残し皆発っていった」
「わたしの頭はからっぽで わたしの心はかたくなで」
若い女たちも勤労動員という強制労働で兵器などの生産に励んだ。疑問を持つ事は許されず汗と油にまみれながら、空襲にあって死ぬものもいた。
茨木のり子さんは、19歳で敗戦を経験した。戦争体験は青春時代の一時期だけだったが、その影響は生涯続いた。「わたしが一番きれいだったとき」とは、単純に身体的なきれいさだけでは無いだろう。こころの純粋無垢さも表している。そのような時に軍国主義が刷り込まれた。「おしゃれ」も美しいものや綺麗なものを楽しむ心と言える。頭は空っぽになり心は頑なになった。その戦争で奪われたものは、自己選択・自己決定・自分らしさなど、一人の人間としての“尊厳”だったのだ。
わたしが一番きれいだったとき
茨木 のり子(1958年)
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがらと崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした
わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった
わたしが一番きれいだったとき
誰もやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆(みな)発っていった
わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った
わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた
わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった
わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった
だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように
ね
“尊厳”はどこにあるのか
茨木のり子さんは、敗戦の街を怒りに震えながら歩いたのだろう。国民一人一人が自分を含め馬鹿だったのだ。好んで聴いた「ジャズ」は敵国アメリカの音楽。しかも奴隷として連行されてきた黒人の“魂の解放”の音楽だ。二度と「ふしあわせ」「とんちんかん」「さびしかった」思いをしない為に、自分自身の尊厳は自分で守らなければならないと強く誓った。その決意の一つが「長生き」にあった。その“尊厳”について自身を厳しく戒めている詩「自分の感受性くらい」がある。そこからは「腕をまくり」、「のし歩いた」時の気持ちが伺われる。介護の現場でも“尊厳を守る”とよく言いうが、“守る”主語は誰だろう。真の尊厳は、生命の存在そのものに基づくものと考えれば、誰かに与えられものではなく一人一人の心に元からあるものだ。自分の尊厳を自分で守る事が自立であり、それを支える事が自立支援だ。介護職は上の者が下の者を守るというような上下関係を作ってはならない。
翻って私達は自身の尊厳を自分で守れているだろうか。強者に媚びを売ったり、お金に頭を下げたり、心にも無い事を言ったり、社会に過剰適応して、自身の尊厳を自分から捨ててはいないだろうか。「尊厳」とは自らの存在に関わるものであり、生死に関わるような厳しさがあるのではないだろうか。
自分の感受性くらい
茨木 のり子(1975年)
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
同調圧力が強まりつつある社会
近年、高校生・大学生の間で“便所飯”という言葉があります。若者の間で働いている同調圧力は、“友達がいないのは悪い事”“友達と一緒でなければならない”というようなものであり、“友達のいないヤツ”と思われたくない為に、一人で食事をしている所を見られないように、一人の時は、便所の個室の中に隠れて食事をするのだそうです。同調圧力の強まりは、子供や若者の心に対人恐怖症的な影を落としているのです。
メディア論についての書籍『ご臨終メディア 質問しないマスコミと一人で考えない日本人』では、現在の大手メディアが権力に対して「質問しない」、国民に対しては「見せない」「懲罰機関化」していると警鐘を鳴らしています。その根底には、権力や国民からの「抗議を恐れる優等生が垂れ流す報道と、一般市民の善意による共同正犯」の関係が「過剰なまでの自主規制」を生じさせているとしています。そのような風潮が強まってきたのは、地下鉄サリン事件以後だと森達也は述べています。何か事件が起こると、権力やそれを監視するべきメディアや一般市民が同一化して、一斉にバッシングを始める空気があります。
これらの“同調圧力”の本質は、「みんなと一緒でなければならない」という意識です。そしてこれは、自分自身の真の“自立”を考えた時、真っ先に疑問を持ち、ぶつからなければならないものなのです。すると同調圧力が強まりつつある今という時代は、社会全体が“自立”から遠ざかりつつあるという事になるのではないでしょうか。
戦前の何が今と似ているのか、一つはかつてない程に“同調圧力”が社会全体を覆ってきており、民主主義の危機的状況になってきているのではないかという事です。民主主義とは一人一人の国民が自発的・自律的に自分自身で判断し意見を述べるところこそが要諦です。最近某国会議員が、ツイッターで「戦争に行きたくない」という「若者」は「自分中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまで蔓延したのは戦後教育のせいだ」と、民主主義の根幹である基本的人権や言論の自由に圧力をかけるような主張をしました。政治の現場は、このような発言がこぼれ落ちるような、危うい“空気”が流れているようです。
介護の理念と同調意識
民主主義と介護の理念は、実は根底を共有しています。それは、どんな人もそれぞれ“平等”の権利を有しているという信念です。認知症者でも障害者でも、健常者と同じようにその“基本的人権”は保障されなければならない。誰かの人権や尊厳が侵害される事は、“全ての人の人権や尊厳の平等性”を侵す事であり、それは自分自身への人権侵害でもあるのです。
介護の現場でも同調圧力は作用しています。施設介護での複数犯による虐待の背景には、その人間関係内での同調圧力が必ずありますし、単独犯でも周囲からブレーキがかからなかったのは、「事を荒立てたくない」という同調意識でしょう。また在宅の家族介護でも、世間様向けの顔を作る為に、内心は嫌だけど一生懸命介護をしているというような場合、家族による隠れた虐待を生じやすい状況となります。ここで作用している力は、“世間様”という顔の無い同調圧力です。
周囲と同調しようという意識は、必ずしも悪いものではありません。適度な調和の範囲内では、「和」という日本人の美意識そのものとなります。しかし、同調意識が圧力にまで高まると、それは日本人の「病理」となります。介護は基本的人権に関わる仕事である為、その現場で、同調意識がどのように作用しているのか、注意深く見ていく必要があります。
『トランスパーソナル心理学入門』諸富祥彦(講談社現代新書)
「“自分”を実感する事ができない、“自分”が何をしたいのか、何を感じているのかわからない、と多くの人は言います。それは何かと言えば、一つにはやはり、周りに合わせ過ぎるからです。私たち日本人には昔から、“まわりの目” “世間の目”を過剰に気にするところがあります。よく言われる事ですが、“人さまからどう思われるか”という意識、それが日本人にとって、欧米の罪に代わる恥の意識となり、私たちにとって最大の規範となってきたのです。」
介護の現場を良くする為、そしてその先に
同調意識は、主体性の無い仲間意識のようなものでもあり、悪く作用すれば「仲間はずれ」や「差別」を簡単に生じさせます。悪い組織の典型は、真に利用者さんにとって良い介護は何だろうと模索する職員が「めんどくさい事をする迷惑なヤツ」として足を引っ張られ、全体の質が、志の低い人基準に引き下げられていきます。そして介護職は、相変わらず離職率の高い職業です。実は、この話は前回の紙ふうせんだよりと繋がっているのです。前回、「積極的に主観的判断を積み上げていく事が重要です。それが介護職員の真の主体性です。」と書きましたが、介護現場を良くしていく最大の鍵は、この主体性の発揮にあると私は考えます。
このように見ていくと、歴史的過去の日本の課題は、現代でも同じように日本人が考えなければならない課題である事が理解されます。介護の現場を良くしていく事は、日本の社会を良くしていく事でもあるのです。
誰しも幸せに生きたいと願っています。しかし周囲との関わりに悩み「自分とは一体なんだろう」と、自己存在の手ごたえを探す不安と苦悩に苛まれる時がある。あの時代は、個人が呑み込まれ色を付けられ消されてしまい「自分とは何だろう」という疑問すら持てなかった。自分らしく生きる“自立”は多くの人々の想いだ。しかし、自分らしさが周囲と対立してしまう孤立も悲しい。自他共に自分らしく繋がっていくにはどうしたら良いだろう。個人や組織や国家や民族といった狭い枠を越えて、地球民族や人間や生命、自然や宇宙といった深いところを基盤として繋がり、自他が調和していく在り方を志していきたい。
★お願い★
風邪をひきやすい季節になってきました。利用者さんに風邪をうつしてしまっては、元も子もありません。ウガイ手洗い等をお願いします。訪問時は細心の配慮をお願いします。インフルエンザ予防接種を受けて下さい。摂取したら領収書を事務所まで持参して下さい。1000円の助成を行っています。
2016年2月8日 3:35 PM | カテゴリー: 【紙ふうせんブログ】, 平成27年, 紙ふうせんだより