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平成27年
紙ふうせんだより 11月号 (2016/02/08)
皆様、いつもありがとうございます。あっという間に年末がやってきます。早いものですね。この早い感じは、それなりに充実している事だと捉え、前向きにいきましょう。
人間の心の中に生じる暴力
先日、パリで大規模なテロ事件が発生しました。犠牲になった方の無念さや、ご家族や友人の方々のはかり知れない痛みに、足のすくむような思いがします。また、テロを弁護するつもりはありませんが、テロリストに志願した者も心に苦悩や痛みがあり、やがて憎悪へと成長し、それが悪用されての事件と考えると、人間社会の痛みや憎しみの連鎖というものに、やるせない悲しみを感じます。ロックバンド「ザ・ブルー・ハーツ」の『トレイン・トレイン』に、「弱いもの達が夕暮れ さらに弱いものをたたく / その音が響き渡れば ブルースは加速して行く / 見えない自由が欲しくて 見えない銃で撃ちまくる / 本当の声を聞かせておくれよ」の歌詞が思い出されます。移民として差別されたものがその恨みを晴らそうと、銃を手に取り“弱者”から“強者”になろうとしたのです。
このような暴力の連鎖は国際社会が解決してゆかねばならない問題ですが、人間の心の中に生じる問題と捉えると、介護や福祉の問題ともリンクしてきます。
暴力の連鎖の背後にある構造的な問題
暴力とは銃で撃つ事だけではありません。例えば虐待防止法が虐待の定義を、①身体的虐待 ②放棄・放任 ③心理的虐待 ④性的虐待 ⑤経済的虐待 としているように、心理的なものも暴力になります。また、個人間の暴力だけではなく、組織や国家が個人に対して暴力を振うという事もあります。ここでは、暴力の連鎖について考えてみたいと思います。
ある方が幼児期に親から暴力を受けたとします。その方が親になり子を授かった後に、子育てで周囲から孤立しイライラも高じて、泣く子を黙らせようとつい手をあげてしまったとします。本当に辛い気持ちになります。その辛い気持ちから自分を省みる余裕が失われ、子供の心を想像する事が出来ませんでした。後ろめたさから“しつけの為なんだ”と自己弁護します。叩けば子供は一時は言う事を聞きます。自己弁護が自己欺瞞となると正常な感覚がマヒしてしまいます。手を挙げる事がやがて習慣化してしまう…。このような時、個人の病理の背景に家族の病理がある事を見ていかなければなりません。この方は、自分が小さかった時に、泣いていても優しく抱きしめて貰う事ができずにいたため、言う事を聞かずに泣く子を見てどうしたらよいか解らなかった。そして自分の受けた心の傷の痛みが瞬時に蘇ってパニックになり気がついたら手を挙げていた、という事もあるのです。このような親から子への暴力の連鎖は、事実よく見られます。暴力とは、“強者が“弱者”に何かを強制するものです。その暴力が連鎖する時、単純に個人の問題と捉えるのではなく、個人の背後に働く構造的な力を見逃してはなりません。ここでは親子関係が連鎖しているのですが、学校でイジメを働く子供が、家では親からの心理的な暴力にさらされていた、という事もあるのです。
暴力の連鎖を断つ
暴力が連鎖する場合、そこには構造的な問題が隠れています。暴力を働いた者を処罰すれば解決するというような単純な考え方では、暴力の連鎖は止められません。ではどうしたらよいのか。パリのテロの被害者が「君たちに憎しみという贈り物はあげない」という文章をフェイスブックに投稿しています。憎しみに対して憎しみを返さない事。それが本当の意味で暴力に勝つという事だと教えてくれています。
テロ遺族フェイスブック投稿文(朝日新聞デジタルより)
金曜の夜、君たちは素晴らしい人の命を奪った。私の最愛の人であり、息子の母親だった。でも君たちを憎むつもりはない。君たちが誰かも知らないし、知りたくもない。君たちは死んだ魂だ。君たちは、神の名において無差別な殺戮(さつりく)をした。もし神が自らの姿に似せて我々人間をつくったのだとしたら、妻の体に撃ち込まれた銃弾の一つ一つは神の心の傷となっているだろう。
だから、決して君たちに憎しみという贈り物はあげない。君たちの望み通りに怒りで応じることは、君たちと同じ無知に屈することになる。君たちは、私が恐れ、隣人を疑いの目で見つめ、安全のために自由を犠牲にすることを望んだ。だが君たちの負けだ。(私という)プレーヤーはまだここにいる。
今朝、ついに妻と再会した。何日も待ち続けた末に。彼女は金曜の夜に出かけた時のまま、そして私が恋に落ちた12年以上前と同じように美しかった。もちろん悲しみに打ちのめされている。君たちの小さな勝利を認めよう。でもそれはごくわずかな時間だけだ。妻はいつも私たちとともにあり、再び巡り合うだろう。君たちが決してたどり着けない自由な魂たちの天国で。
私と息子は2人になった。でも世界中の軍隊よりも強い。そして君たちのために割く時間はこれ以上ない。昼寝から目覚めたメルビルのところに行かなければいけない。彼は生後17カ月で、いつものようにおやつを食べ、私たちはいつものように遊ぶ。そして幼い彼の人生が幸せで自由であり続けることが君たちを辱めるだろう。彼の憎しみを勝ち取ることもないのだから。
介護現場の問題を構造的に理解する
ある利用者さんが、こんな事を言っていました。「娘が介護してくれるんだけど、私にいろいろ命令したり指示したり口うるさくて、本当に辛い。でも、仕方がないのよね。今になって気が付いたんだけど、私もそのように子供を育てたんだもの…」
ここにも構造的な問題が見られます。辛い気持ちは辛いと受け止めつつ、一つ良かった事を挙げれば、介護されるようになって親がそれまで知らなかった子供の心を理解したという事です。そして子供の方も親の世話をしながら、自分を世話してくれた時の親の気持ちを理解するでしょう。そしてお互いに介護状況を辛いと感じながらも、その共感の先にそれぞれが新たに理解した事を話あえれば、親子関係が再構築される可能性があるのです。
ケアする人の「共感疲労」 日本赤十字看護大学名誉教授 武井麻子 (こころの健康だより No113)
人をケアする施設で起きてはならないことが起きる。それは、その仕事の性質と関連しています。そうした施設でケアを必要としている人たちは、身体的にも心理的にも自由を奪われ、健康な生活や自分なりの楽しみ、自尊心、大事な人とのつながりなどを失ってしまっています。多くは、そうした状況に怒りや無力感、虚しさを抱えながら言葉にできず、孤独と絶望の中で目や声や行動で伝えてくるのです。こうした言葉にならない感情にさらされる中で、スタッフはまるで自分が責められているように感じるようになります。気づかないうちに毎日の仕事に意味を感じられなくなり、時にそうした状況を引き起こすクライエントに苛立ちや憎しみまでもが湧いてくるのです。
つまり、クライエントの怒り、無力感、絶望などがスタッフに流し込まれ、彼らに代わってスタッフがそうした感情を体験するのです。そこにはある意味「共感」が起きているのですが、スタッフとしてはそのようには思えず、自分がケア提供者として失格のような気がして、自己嫌悪が募ります。すると、クライエントのところに行きたくなくなり、仕事が嫌になっていくのです。これが、「共感疲労」と呼ばれる心理的状況です。
実は、ケアする者にネガティブな感情が湧いてくるのは必然的なことなのですが、悪いことには、そうした感情は言葉にしにくく、言っても伝わらない気がします。そして、同僚や家族など身近で一番わかってほしい人に苛々してしまいます。こうして職場の人間関係が悪くなっていくのです。そこで、ケアする者の第一の任務は、こうした辛い感情を持ちこたえ、そしてクライエントとともに生き延びることなのです。
共感のその先を見る
ところで、辛い気持ちへの共感は「共感疲労」が生じます。東京都の「こころの健康だより」では、怒りなどの感情が連鎖する事を指摘しています。利用者(クライエント)の怒りなどがスタッフに流し込まれ、スタッフは利用者と同じ感情を体験します。そうして、怒りなどが利用者→スタッフ→同僚や家族へと連鎖していくのです。
共感疲労が生じていると感じる時、疲労は疲労として受け止め何か別のストレス解消法を試みつつ、その共感から生じる肯定的な人間関係の変化を見つめていきたいと思うのです。それは、スタッフの利用者に対する視点の深化であり、感情を受け止めて貰った事による利用者さんの安堵感であり、それらの相互作用としての人間関係の発展なのです。共感の疲労は、新しい関係性が生じてくる産みの苦しみなのです。
辛い感情を持ちこたえ、生き延びること
私たち介護職は仕事の性質上、怒り、無力感、絶望などの感情にさらされます。構造的に「共感疲労」を生じやすい職種なのです。もし共感疲労が生じた時に、利用者→スタッフ→利用者と返してしまったら、怒りなどが際限なく増幅され、苛立ちが憎しみに変わり、ついには虐待事件を発生させてしまうのです。
先月の研修では「メンタルヘルスとストレスチェック」を行いました。自分に生じた苛立ちをそのまま他人にぶつけていないか。そのようにならないために、自分自身にどの程度ストレスがあり、心の健康は保たれているかを確認するという主旨でした。
利用者さんの苛立ちがヘルパーさんに流し込まれた時、ヘルパーさんも苛立ちます。そのような時、苛立ちを持ちこたえ、切り替えて次に訪問する事。これが大切です。苛立ちの連鎖も小さな暴力の連鎖です。暴力の連鎖を止めるためには、自分に順番が回ってきた時に、自分のところでそれを留める事です。憎しみには、憎しみを返さない。怒りには怒りを返さない。苛立ちには苛立ちを返さない。なかなか難しい事なのかもしれませんが、辛い気持ちになったら「君たちに憎しみという贈り物はあげない」という言葉を思い出して、(君には苛立ちをあげないよ)と心の中でつぶやいて頂きたいと思います。そしてその努力は、きっと新しい何かを産むのです。
2016年2月8日 3:40 PM | カテゴリー: 【紙ふうせんブログ】, 平成27年, 紙ふうせんだより