【紙ふうせんブログ】

平成29年

紙ふうせんだより 1月号 (2017/04/14)

皆様、明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。年末年始から救急搬送が相次ぎ、せわしない年越しとなってしまいました。ヘルパーの皆様は体調を崩されていませんか? 疲れをしっかりとって、体調を維持されてください。

新年を迎える事は目標を立てて決意を新たにする良い機会ですね。しかし年を重ねるごとにタイムリミットが迫ってくるのも現実で、「来年の正月は生きていないよ」などと言われる利用者さんもいます。時間の流れは全てに対して等しく、その寿命の長短の多少はある程度あるにせよ、全てを死へと向かわせます。その流れのあまりの速さに驚いた言葉が「光陰矢の如し」です。

過ぎ行く瞬間をどうやって充実させていくか

「光陰矢の如し」の「光」は太陽「陰」は月を意味し、「光陰」と重ねる事で歳月や時間の積み重ねを表し、月日の過ぎるのは矢が飛んで行くように速いと譬えています。事務所にいるサービス提供責任者は、私含めこれを毎月実感し嘆いています。毎月10日までの国保連請求業務が、「この前終わったばかになのに、もう翌月!?」と嘆きながら日々を過ごしています。これを12回繰り返すと1年です。サービス提供責任者に限らず「速いわね~」と年末には多くの方が挨拶したかと思います。

「光陰矢の如し」は時間の速さを嘆くばかりの言葉ではありません。日々を無為に送ってはならないという戒めと共に、その過ぎ行く瞬間瞬間をどうやって充実させていくか、という問いが含まれています。この問いは、すぐに介護の仕事と結びつきます。

マンネリになりがちな訪問サービス、型どおりの内容と会話をして毎回終わっているうちに、気が付けばタイムリミットが迫っているかもしれません。私自身の反省を込めて書きますが、自分自身をときどき振り返る事が大切でしょう。もっと良いやり方はないか、もっと良い声掛けはどうしたら良いか…。利用者さんや周囲から「教わる」だけではなく、積極的に自分から働きかけ「学ぶ」のです。そこから学ぶべき事は何か、結局は、学ぶべき事は多く尽きないとなってくるでしょう。その学びの積み重ねも、学びを感じている瞬間の実感も、どちらも充実した生につながるのではないでしょうか。

人生は学ぶにあり

死の瞬間に自らの人生で得たかった事を振り返ってみる空想を私はしてみます。得たかったものを“愛情”などの精神的なもの入れて考えると、“愛情を学ぶ”というような言い回しもできるわけで、「学ぶ」という言葉に私の中では集約されていきます。もし私が死ぬ時、金や名誉は手にしていても充実を感じられる学びがなかったら、命や人生について何かしらの学びや考えを得ないでいたら、「私の得たかったものはこれじゃない」と感じると思うのです。だから「人生は学ぶにあり」と言えるのではないかと思います。では、どうやって「学ぶ」事ができるのか考えてみましょう。

多くを問う者は多くを学ぶ

確かに「少年老い易く学成り難し」と言うように、学校に通って勉強する事は老いては難しいかもしれません。しかし、学ぶ事はできるはずです。寝たきりになっても、ヘルパーさんとの交流の中で、ヘルパーさんがどんな気持ちかを考えてみたり、どうやったら自分の気持ちをヘルパーさんに伝えられるか、などを考えていく事は学びとなっていくでしょう。また、自分の今までの在り方を振り返っていく事も自身に対する学びとなっていくでしょう。このような事は、論理的な思考のみが可能とするものではなく、感じていく力も大切になっていきますから、認知症の方も学んでいけると私は考えたいと思います。学んだ事を言葉や論理として記憶できなくても、感情としての心の働きの積み重ねはあるのですから。

さて、「多くを問う者は多くを学ぶ」とはイギリスのことわざです。「どうしたら」とか「なぜ」など、問う事こそが学びの原動力です。では、どうしたら良い「問い」の視点を持つ事ができるのでしょうか。「問い」には良い悪いがあるのです。例を示してみます。

A 今までに対する非難を込めて、「なぜ、あの人は優しくないんだろう」

B これからの変化を期待して、「どうやったら、あの人は優しい気持ちになるだろう」

“あの人”にとって、どちらの問いかけが良いか悪いかは何とも言えませんが、この「問い」を発する人にとってどちらがより「学び」となるかは、Bと言えるでしょう。それは、Bの問いには将来の展望があり、そこには自身の態度への問いも含まれているからです。追うべきは自身の頭の上の蠅であり、常に「将来を指向した問い」を持つ事が大切なのです。

人生の本舞台は常に将来に有り

大正デモクラシーの核心である普選(フセン=普通選挙)運動を指導し“憲政の神様”と称賛された政治家・尾崎行雄は1919年(大正8)、第一次世界大戦直後の欧米を視察し悲惨な戦禍を目の当たりにして、国益があるならば戦争も辞さない国家主義的なところを持っていた自身を改めて、平和主義を唱え始めます。61歳の大転換です。不戦(フセン=戦争反対)を唱えたため命を狙われる事が幾度もありました。

「人生の本舞台は常に将来に有り」との言葉は、75歳の時に病床にあった尾崎行雄に、天啓のように浮かんだといいます。その後、軍部政治や近衛内閣の大政翼賛会、東条内閣などを、「万機公論ニ決スベシ」という明治憲法の理念をも守らない憲法違反の独裁政治であると痛烈に批判。尾崎行雄の信念は「世人の幸福を増す言行はみな善事 減らす言行はみな悪事」という判断基準でした。戦後、1945年12月には「世界連邦建設に関する決議案」を国会に提出。世界憲法を創り国際紛争を国際裁判で解決する事を提案しています。また、「新憲法こそは、日本の前途をてらす光明である。新日本を祝福する天来の福音である」「こんな高い代償をはらった憲法はあるまい。ただでもらったなどと思ったら、ばちがあたる」と述べています。94歳まで衆議院議員を務めており、この時「人生の本舞台は常に将来に有り」と揮毫。96歳(1954)で没。常により良い「世人の幸福」を問い続けた生涯でした。

94歳で「人生の本舞台は常に将来に有り」と言えるのです。「昨日までは人生の序幕で、今日以後がその本舞台だ」との意味です。この言葉は、私たちにとっても、励みと勇気になりませんか。今年もより良い一年として参りましょう。


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