【紙ふうせんブログ】

平成29年

紙ふうせんだより 2月号 (2017/04/14)

皆様、いつもありがとうございます。今年は大雪が無くホッとしています。南風が吹く日は自転車を飛ばすと暑いくらいで、桜の開花が待ち遠しいですね。くれぐれも油断なく体調や自転車移動にご注意下さい。

変化を受け入れなければならない時

花芽の殻が割れ落ちて花が咲き、やがてその花も落ちると今度は新緑がでてきます。わずかばかりの間に桜は変身を遂げていきます。そのドラマをつぶさに見ると、次の衣をまとうために、古い衣を脱ぎ捨てていくのです。脱ぎ捨てる事は、痛みでしょうか。花芽の殻や、花にとって散っていく事は痛みかもしれません。しかし、生命の全体としての桜の木を見ると、それは痛みではなくなります。それは、誰でもなのです。

3.11の痛み

昨年の1月下旬、「呼び覚まされる霊性の震災学 3.11生と死のはざまで」(新曜社)という本が話題を呼びました。第一章は「死者たちが通う街 タクシードライバーの幽霊現象」。東北学院大学の金菱ゼミの学生が、被災者等から聞いた事を論文としてまとめています。

また、NHKスペシャルでは2013年夏に「亡き人との“再会”~被災地三度目の夏に~」を放映。『被災地では今、「故人と夢で再会した」「気配を感じた」など「死者との対話」体験を語る人が後を絶たない。残された者の悲しみの深さの現れであるとともに、その体験が、その後の生き方にまで影響を与える事実が分かってきた。最新医学でも、これらの体験は、大切な「回復プロセス」だと分析され、被災地では実態調査も始まった。』という番組です。

オカルト的な“幽霊”という言葉に、唐突さと戸惑いを感じる方も多いでしょう。金菱ゼミの工藤優花さんは、聞き取りを重ねる中で、次のように怒られた事もあるそうです。

「きみは大事な人を亡くしたことがあるかい? 人は亡くなると、眠っているように見えるんだ。あのとき、こうすれば良かったと後悔する。亡くなっても、会いに来てくれたら嬉しいんじゃないかな」「私が『幽霊』というと、そんな風に言うなと怒る方がいました。きっと、『幽霊』という言葉に興味本位だと思われる響きがあったからでしょう。怪奇現象とか、心霊写真とか恐怖を楽しむような言葉だと思われてしまった。『亡くなられた方』とか『(亡くなった方の)魂』というと、お話してもらえました」(工藤優花さんへのインタビュー記事/BuzzFeed)

私がここで“幽霊”の話を持ち出したのは、もちろん興味本位ではありません。それが、受け入れがたい痛みの大切な「受容のプロセス」だと考えるからです。

「巡回してたら、真冬の格好の女の子を見つけてね」。13年の8月くらいの深夜、タクシー回送中に手を挙げている人を発見し、タクシーを歩道につけると、小さな小学生くらいの女の子が季節外れのコート、帽子、マフラー、ブーツなどを着て立っていた。

時間も深夜だったので、とても不審に思い、「お嬢さん、お母さんとお父さんは?」と尋ねると「ひとりぼっちなの」と女の子は返答をしてきたとのこと。迷子なのだと思い、家まで送ってあげようと家の場所を尋ねると、答えてきたのでその付近まで乗せていくと、「おじちゃんありがとう」と言ってタクシーを降りたと持ったら、その瞬間に姿を消した。

確かに会話をし、女の子が降りるときも手を取ってあげて触れたのに、突如消えるようにスーっと姿を消した。                      (新曜社「呼び覚まされる霊性の震災学」より)

受容のプロセス、痛みの昇華

私たちが介護する方々も、心の痛みを抱えている方は多くいます痛みの受容が行われる時、痛みに囚われて身動きができなかったり自分を見失っている状況から抜け出ようと、心は記憶の再評価を試みます。「××だったけど、本当は〇〇ではなかったか…」というように、心は過去から新しい意味を汲む事によって、未来へとつながる自分の“物語”を紡ぐのです。心は“物語”を紡ぐ事によって痛みの意味を見出し、昇華した痛みは心の発展に寄与するのです。そのような“物語”の一つとして、被災地の“幽霊話”は心理的な意味があるのです。その“幽霊”が実在するかしないか、“科学的”な客観性や立証性などの議論は、受容のプロセスにとって、あまり意味がありません。大切な事は、そのことが当事者にとってリアルに感じられ、心が変容していく事です

「被災地の人は恐怖、不安、悲しみ、帰ってきて欲しいという気持ちなど色々な感情をもっている。心の中で処理しきれない非常に多くの感情が霊の投影という形で現れたと考えることができます」「(被災後の)色々な感情は溜め込んでいられなく、表現していかないといけない。現実に適応していくために、前に進むために必要だから、起きていることでしょう」

(心理カウンセラー池田宏治氏へのインタビュー記事/AFP)

例えば、最愛の夫を亡くした妻の話。自暴自棄に陥り、死にたいと思う毎日。車で自損の重傷事故を起こしたりもした。ある時、夫の霊に会う。見守られている感覚が芽生え、お父ちゃんと一緒に生きようと思い直した。私はとても感動した。他にも犠牲者の霊の存在を感じ、生きる勇気をもらう話が多かった」

(ジャーナリスト奥野修司氏へのインタビュー記事/河北新報)

物語を生きる

私たちが介護する方々も自分の“物語”を持って生きています。その“物語”は、理想的なものではないかもしれません。物語られるものごとは、(関わる側がストレスの溜まってしまう例としては)“被害妄想”や“アルコール依存”だったり、“過去の恨み節”など、さまざまな“事件”であったりします。また、話の中には多分に事実誤認や誇大表現を含んでいます。

しかし、だからと言って誰が正しくて誰が間違っているとか、その“物語”が無意味なものであるとは、誰にも言えないのです。私たちの人生全体を眺めて、人生の目的を「自己実現」や「本当の自分を見出していく」事と仮定した時、それが、自分を取り戻し自分らしく死んでいくために、「前に進むために、必要だから起きている事」では無いと、誰が断言できるでしょうか。

それらの“物語”に付き合っていく事は、当事者のヘルパーさんにとって、時にストレスとなるでしょう。そのストレスは、事務所での懇談等で軽口でも叩いて吐き出してください。そして実際の現場での応答では、状況の発展のために多様性が必要ですが、心は「受容」の一言に尽きます。その受容の大変さが、本人自身が持つ痛みの受容の大変さでもあるのです。私たちの受容が、利用者さんの痛みの受容となり、そして自己受容から自己変容へと変わっていくのです。桜の花が散るのは淋しいけれど、それは自然の摂理です。同じように癒えぬ苦しみは無いという事も自然の摂理なのです。痛みに苦しんでいる本人が今は信じようとしなくても、私たちは「冬は必ず春となる」と訴え続けたいと思います。それこそが、受容するという事なのだと思います。


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