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【紙ふうせんブログ】
紙ふうせん便り 8月号 (2019/10/17)
2019年(令和元年) 8月 葉月号 |
ヘルパーの皆様、いつもありがとうございます。8月15日は終戦記念日と呼ばれてています。この日を境に、日本はその姿を大きく変えていきます。夫も子供も居ない独居の利用者さんから自筆の「手記」を託されましたので、ほんの一部を引用しご紹介します。
1945年より前の日本の空気
戦前の日本では、国民は天皇の家来(臣民)であり、お国の為に命をお国に捧げる事こそが尊い生き方とされてきました。それは同時に、“役立たず”とされる働けない人や、子供を産めない女性、兵隊になれない男性は、差別される時代でした。
父が若い時長男に苦労させたからだろう、長男はその恨みを感じているのか父とは何一つ会話しなっかた。母が良いことを云っていたことを覚えている。「昔のことは忘れてお父さんと仲良くお話をしておくれ」今ではお前にだけは済まない気持ちで一杯なんだから…と兄に頼んでいた。でも兄は黙っていた。でも兄はそれよりも自分の病気で一杯だったんだろう。不治の病故明るくなれなかったんだろう。 この兄が生きていたら私の人生も違った道を歩いていただろう。その兄の病がひどくなりひどい息切れをはじめた。すでに苦しんでいたようだ。 或る日珍しく兄が私を呼んだ。「猫がいて眠れないから『猫いらず』を買って来てくれ」私は何のためらいもなく買ってきた。その『猫いらず』を飲んでとてつもなく苦しみ兄はこの世を去った。私は何とも言えない気持ちで一ぱいだった。私はバカだなと同時に何もかも嫌になった。と同時に父が病の床についた。 |
戦争は“命の重み”への感覚を麻痺させて、人の心をおかしくさせる
人は、自分たちが作り上げた社会に縛られて生きています。国を挙げて“軍国教育”を施した“成果”として、お国の為に自分が死ぬことについて多くの国民は疑問を持てなくなっていました。戦争遂行のスローガンは「一億玉砕」、一億の国民は“玉のように砕け散って死ね!”そうすれば神風が吹いて日本は戦争に勝つ!というものでした。
兄の死後3ヶ月目に父はこの世を去った。「倒れるまで働いた父」「愚痴一つ云わなかった父」いまも思うことは父の言葉ばかりであーしてやりたい、こうもしてやりたい!つくづく思う。 まもなく私は女学校を卒業した。 昭和18年、大東亜戦争ますますはげしくなるばかり、お国の為少しは働きたいと思う心は誰しも強く、私は陸軍病院の看護婦婦生徒として試験を受けた。見事入隊して私達は生徒隊として一年間軍隊生活が始まった。それはそれは厳しい訓練であった。今の時代には理解できない教育であった。 やがて一人前の看護婦となり活躍をした。陸軍病院は完全看護である。軍隊故に身内が「危篤」でも会えないし、又見舞いも許されない。だから身内の居ない部屋で一人でベットで死んで去った兵隊…何人送っただろう…。 お通夜は一人淋しくしてあげる。きっと身内に会いたいだろう、でもその時は思わなかった、ただただお国の為であった。あの時の私達は一生懸命だった。何時死ぬかわからない死を覚悟した毎日がつづいた…。 でも女心にも有意義な日々と思った。今思うと時代の変わりのはげしさに昔のことが夢みたいに浮かんでくる。その時そっと心を寄せていた軍医がいた。「久垣大尉」であった。とても優しい大尉だった。今思うと淡い恋みたいなものだった。無論片思いである。時代としては許されない恋である。 まもなく終戦を迎えた。 考えられない事であった。天皇より終戦の言葉がラジオできかされた。はじめは、まさか天皇陛下だとは思わなかった。ただ頭を下げて聞いた昭和二十年八月十五日であった。広島原爆も長崎原爆も後で報じられた。これから日本はどうなるのだろう、そればかりだった。毎日考えた。まもなく進駐軍が上陸した。軍医衛生兵はみんな階級はずした。外地より引揚げてくる傷病兵の看護と地方患者護送にあたった。ぞくぞく引揚げる傷病兵は長い戦争に疲れた顔々…でも生きててよかったと思う心は誰しも同じであろう。 |
原爆投下後、8月13日の御前会議では、“特攻”の唱道者の一人大西瀧治郎軍司令部次長が「われわれが特攻で2000万人の命を犠牲にする覚悟を決めるならば、勝利はわれわれのものとなるはずです」と主張している。個人の命の重みは“赤紙一枚”でした。1945年9月発表の日本人「戦没者数」は陸海軍人約50万人という過小評価でしたが、1977年の厚生省発表の「戦没者数」は軍人・軍属230万人、一般邦人80万人となっています。
体の自由がきかなくなって思ったこと
戦後、天皇は「人間宣言」を行い、明治政府の統治政策としての「現人神」という虚飾を脱ぎ棄てました。時代は民主主義です。国民の命は「神」や「国」に捧げるものではなく、国民一人一人のものとなりました。そして、国民が主権者となって政治や社会を変えていける時代となりました。そうは言っても、人生の荒波は人々を木の葉のように押し流していきます。1973年、この利用者さんに病魔がやってきました。兄や父の命を奪った肺結核です。
私の肺はすでに空明が出来ていた。昨日まで一生懸命働いてたのに明日からは働けない…どうしよう。まだまだ借金が一杯あるのに…でも死んではいけない、私を助けてくれてる方々に御恩返し出来るまでは…。私は先生に聞いた。「働いたらいけませんか?」 「明日から貴女は動けませんよ」とお医者さんから言われたとおり、私は動けなかった…動くと息をすること自体が苦しかった。凄く痩せてきた。夕方は微熱が続いた。もう自分自身お金もいらない。健康であれば…とつくづく思った。それ以来私は治療に専念した。 (略)その内母の最期の知らせがきた。七月だった。絶対安静の最中である。母は去った。死ぬ目も合えずなんて親不孝だろう…と思った。(略)安らかに成仏して欲しい…心より祈った… |
私は家族に恵まれなくても周りはとても暖かい人に恵まれていることをつくづく幸せに思った。人を愛することっていいことだなぁ…としみじみ思った。人を愛することって今まで自分から思ったことはなかった。やらなくてはいけない境遇と情にからまれ愛を出してきた。でもこれからは私は人を愛する事を基本として仕事をしようと体の自由のきかない時に心だけは力強く考え思った。 |
2012年、転居から体調を崩します。結核の後遺症の痛みや様々な葛藤が書かれています。
2013.9 ヘルパーさんが来てくれるようになった。お風呂のお掃除をしていただく。それだけでも楽である。だんだんと夕食の用意が苦になりだした。(略) 最近なにか考え込む。ただ食べることだけ毎日同じことばかり。時間がありすぎる。しびれの痛みだけが神経にひびく。毎日まいにち…来る日もくるひも… お世話になることばかりで心苦しい。年をとるとだんだん弱くなり持病は良くならない。 |
「2015.1」の記述には「もう字が書けなくなった これからは字を書くのをやめよう」とあります。その次の項目は「2015.12.24」で、最後の行は「ヘルパーさんが来て下さるのでストレスも解消!!」とあり、その後は白紙を3ページ残して手記は終わっています。
白紙の部分をここで述べさせていただきます。ヘルパーさんなどから93歳の誕生日を祝ってもらって「今が一番幸せ!」とおっしゃったこの方は、誕生日の翌日の夜に心筋梗塞を発症、翌朝の訪問による発見で救急搬送され、3日後に息を引き取られました。病院には関わったヘルパー全員が見舞いに訪れ、「暖かい人に会えて本当に幸せ。ありがとう」との言葉を頂いています。誰かが生きて死んだ記憶は時代と共にやがて消え去ります。しかし、人が必死に生きて死んでいくその“命の重み”は、いつまでも忘れないでいたいと思います。
この利用者さんは身の上話をヘルパーさんにする事がとても大好きでした。利用者さんがどのように生きてどのような気持ちだったかを明きらかにする事は遺志にかなうと考え、一時は出版も考えたその「手記」を公開させて頂きました。 |
(上)生前、利用者さんより頂いた写真。小倉陸軍病院の看護婦時代。利用者さんは一番左。 8月9日の原爆投下の第一目標は小倉だったが、雲による視界不良で長崎に変更となった。 (中) 「手記」の見開き (下) 仏壇にしまっていた紙片 |
【健康診断を受けて下さい!】 健康診断の領収書と診断書のコピーを持参して頂ければ、その費用をお支払いいたします。 ※領収書の提出は、できるだけ当月以内です。 ※費用にはオプションは含まれません。 【サービス実施記録と出勤簿】 記載間違いが多くなっています。身体介護はその内容、生活援助はその内容を必ず記載して、出勤簿に記載してから提出して下さい。 |
紙面研修
利用者さんが何か調子悪い
“何か調子悪い”“ぼんやりしていて、いまいち受け答えがはっきりしない”
この場面で、真っ先に疑うべき事は何だろう?
今の季節はやっぱり“脱水症状”や“熱中症”!!と言いたいところですが、今すぐに救急車要請をしないといけないケースからまずは考えましょう。まずは「脳梗塞」です。これらは大きな病変が発生する前に、予兆がみられる場合もあります。「四肢のどこかに力が入らなくなったり痺れが現れた」などの症状があります。そして、脳梗塞は、脱水によってドロドロ血液になって引き起こされる事もあるのです。
脳梗塞を疑った場合、どうやって判断すると良いか?
脳血管障害の場合は障害が片側全体におよぶところが特徴的です。両手をバンザイしたり前方に伸ばしてみると、片方の腕が上がりにくかったりすぐに下がったりします。ポイントは左右差、これを「バレー徴候」と言います。手や足をつねったりくすぐってみると片方が感じにくい、温度を感じる事も片側が鈍くなったり、顔がひきつったりもします。これらのサインが「急に」現れた場合には脳を疑い、すぐに救急車要請です。救急隊には「バレー徴候あり」と伝えます。
“何か調子悪い”“ぼんやりしていて、いまいち受け答えがはっきりしない”
2番目に疑うべき事は何だろう?
これからも残暑が続きます。今度こそもちろん“脱水症状”や“熱中症”を疑います。このような時は、「水分+塩分」摂取を行いましょう。昼間エアコンを付けていても夜間は切っており、就寝中の“こもり熱”で“脱水”になっている事もあります。急ぎの「水分+塩分」摂取は経口補水液やポカリスエットなどがあると便利ですが、インスタントの味噌汁を水で溶いて飲ませるのも良いでしょう。
利用者さんに買い物を頼まれたら、塩飴や塩分タブレットをおせっかいで購入して「部屋に置いといて、調子悪い時、水分と一緒になめると良いですよ!」と声掛けするのもあり。何か簡単に対応できる物が普段から家にあると良いです。水分摂取しても改善しない場合は通院か救急車を検討します。
他に疑うべきものは何があるか?
暑さに体力が低下して食欲不振になっての栄養不足もあるでしょう。ビタミンB群はエネルギー代謝に関わるので慢性的に不足すると、食欲不振・記憶力減退・集中力低下・疲れ眼や眼の充血・口角炎・口内炎・うつ・無気力・幻覚症状・イライラ・不安・精神障害・かゆみ・浮腫性湿疹・皮膚炎・貧血・手足のしびれやもつれ・神経痛・筋肉痛・めまい・頭痛・動悸・傾眠などを起します。ビタミンB不足を放置すると、脳障害を引き起こす事もあります。介護職はすぐに「認知が悪化した!」と考えがちですが、可能性は様々あります。本当にアルツハイマー病などの進行である場合は、すぐにもっと悪くなるわけでも簡単に回復するわけでもないので、慌てて判断する必要はありません。対応として優先しなければならないのは、放置すると「悪化する可能性」と対応によって「回復する可能性」です。他にも回復する可能性のある認知症状としては「正常圧水頭症」や「老人性うつ」があります。
~ヘルパーミーティングのお知らせ~ 月一回定例のヘルパーミーティングは、偶数月を梅丘と祖師谷の合同で全体のミーティングとして行い、奇数月は梅丘・祖師谷別に開催します。 (内容)利用者さんの状況等・支援計画の変更の必要性の有無 今月の議題・伝達事項 ★ミーティングと研修会を同時開催しています。 会議参加手当(ミーティング)は1回につき1370円です。 |
梅丘ヘルパーミーティング 9月19日(木)18:30~ 【研修】認知症ケア-理解と対応- (荻野) |
祖師谷ヘルパーミーティング 9月10日(火)18:15~ 【研修】回想法(認知症ケア) (佐々木) |
2019年10月17日 6:06 PM | カテゴリー: 【紙ふうせんブログ】
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