【紙ふうせんブログ】

令和3年

紙ふうせんだより 10月号 (2021/11/19)

「ありのまま見る」ことの難しさ

ヘルパーの皆様いつもありがとうございます。木々が色づきはじめて、一段と寒くなりましたね。お風邪をひかぬようご自愛ください。また、身体が硬くなり腰を痛めやすいのでお気を付け下さい。

紅葉と聞いて思い浮かべるのは、真っ赤な紅葉や一面の黄金色のイチョウでしょうか。私は案外と桜が好きです。ぼんやりと眺めると何だか茶色であまり綺麗ではない桜ですが、注意深く見つめると一つとして同じ葉は無く、それぞれが赤や黄色、緑や茶色のグラデーションやまだら模様になっていて、とても趣があるのです。

決めつけてしまうのは、解像度が低いから?

ぼんやりと眺めることと注意深く見るのとでは、見え方が異なってきます。良い介護サービスを提供できている人の共通要因を考えてみますと、確かに言えることの一つは、利用者さんのことを良く見ています。そのことについて「解像度」というキーワードで考えてみましょう。(画像参照)

解像度が高いのはAです。これは普通の画像でもありますから、解像度高く見るというのは「ありのまま見る」ということに通じてきます。これが良く見えている状態です。解像度を落としたものがB、もっと落とすと昔のTVゲームのドット絵のようなCとなり、経験によるパターン認識のおかげで顔と認識できるようになります。そして画像Dは、もはや背景は消えて記号化された情報としての「笑顔」となります。

私たちは利用者さんをどのレベルで見ているでしょうか。良くてB、だいたいはC、レッテルを貼ってしまうような人はDになっているのではないでしょうか。Dの問題点は、笑顔なのか泣き顔なのか判断を躊躇してしまうようなCよりも、「笑顔」と断定してしまっているところです。判断が早くて迷いが少ないためにDの「決めつけ」をしたくなる誘惑は、誰にでも常にあります。そして、パターン認識を押し進めてしまった結果、記号のように利用者さんを「利用者」と決めつけて見てしまい、ありのままが見えなくなってしまうです。

『良く見たくなる』ための工夫

どんな人も関わりの深い相手に対しては、その人のことを理解したいと思っていることでしょう。にもかかわらず利用者さんを決めつけで見てしまうのは、第一に「良く見る」ことが足りていないのではないかと思われます。そこには時間などの余裕が無かったり、“効率的”に関わりたいなどの自身の欲求が、「良く見る」欲求を上回っているようなこともあるかもしれません。しかしそれを性格や人格の問題としてしまうと、改善はよほど時間がかかってしまいます。“向いていない”と自分を決めつけてしまうかもしれません。

そうではなくて、利用者さんを『良く見たくなる』ような工夫をしましょう。工夫には、例えば文学や映画などを味わうことも挙げられます。優れた作品は高解像度で人間を描いています。眼を養うことができれば、心象風景はより鮮やかとなり、同じ介護サービスでもより楽しくなるはずです。締めくくりに、解像度の高い吉野弘(※1)の「詩」を4篇ご紹介します。電車移動のぼんやりとした時間も、見る人によってはこんなにも違うのか、と驚かされるのです。

※1吉野弘(1926- 2014)詩人。有名な作品に「祝婚歌」、鳩山元首相はこれを“外交の要諦”述べる。「生命は」は是枝裕和が映画に引用している(紙ふうせん便りH27.1にも引用)。浜田省吾は「雪の日に」刺激を受け全文をアルバムに引用。

 
白い表紙

ジーンズの、ゆるいスカートに

おなかのふくらみを包んで

おかっぱ頭の若い女のひとが読んでいる

白い表紙の大きな本。

電車の中

私の前の座席に腰を下ろして。

 

白い表紙は

本のカバーの裏返し。

やがて

彼女はまどろみ

手から離れた本は

開かれたまま、膝の上。

さかさに見える絵は

出産育児の手引き。

 

母親になる準備を

彼女に急がせているのは

お腹の中の小さな命令――愛らしい威嚇

彼女は、その声に従う。

声の望みを理解するための知識をむさぼる。

おそらく

それまでのどんな試験のときよりも

真摯な集中。

 

疲れているらしく

彼女はまどろみ

膝の上に開かれた本は

時折、風にめくられている。

 
夕焼け

いつものことだが

電車は満員だった。

そして

いつものことだが

若者と娘が腰をおろし

としよりが立っていた。

うつむいていた娘が立って

としよりに席をゆずった。

そそくさととしよりが坐った。

礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。

娘は坐った。

別のとしよりが娘の前に

横合いから押されてきた。

娘はうつむいた。

しかし

又立って

席を

そのとしよりにゆずった。

としよりは次の駅で礼を言って降りた。

娘は坐った。

二度あることは と言う通り

別のとしよりが娘の前に

押しだされた。

可哀想に。

娘はうつむいて

そして今度は席を立たなかった。

次の駅も

次の駅も

下唇をぎゅっと噛んで

身体をこわばらせて――。

僕は電車を降りた。

固くなってうつむいて

娘はどこまで行ったろう。

やさしい心の持ち主は

いつでもどこでも

われにもあらず受難者となる。

何故って

やさしい心の持ち主は

他人のつらさを自分のつらさのように

感じるから。

やさしい心に責められながら

娘はどこまでゆけるだろう。

下唇を噛んで

つらい気持ちで

美しい夕焼けも見ないで。
 
好餌

或る駅で電車に乗り込んできたお婆さん

顔中、黒胡麻をまぶしたような風貌

大きく膨らんだ布の袋を引きずって

私の左側に腰を下ろした

腰を下ろすと、すぐ

袋を膝の上に載せ

中を覗いて探しもの

右腕の肘が

遠慮なく

私の脇腹をゴリゴリと突っつく

袋の中身をひっかきまわし、

探しものは出てこない

右腕の肘はしつこく私の脇腹を突っつく

電車に乗ると私は

なぜか、いつも

この種の災難に出会うのだ

探しものは見つからず

お婆さんの右肘は

際限もなく私の脇腹を見舞う

いつまで続く肘鉄ぞ!

私が席を立とうとしたとき

一瞬先に黒胡麻婆さんが席を立ち、袋をひきずり

少し離れたドアの傍まで歩いて行った

ドアの傍らには、深々と腰の曲がったお婆さんがいた

その人に

私の左側を指さして

「坐れ」と言っているのだ

腰の曲がったお婆さんは私の左側に来て腰を下ろし

黒胡麻婆さんは

ドアの傍らに立ったまま外の景色を見ている

――袋の中ばかり覗いていたお婆さん目に

ドアの傍らの腰曲がり婆さんが見えていたとは!

そのとき私の耳に届いた腹話術もどきの声は

黒胡麻婆さんの閉じた口から

私に向けられて発せられていた

「何の不思議もありはしないよ

私を非難することでいきり立っていたお前さんの目に

私以外のものなど見えなかった筈さ」

 

人の欠点を責める人間が大好物という神さま

そういう神さまがおわすと

かねがね私は信じていたが

ひょっとしたら、この黒胡麻婆さんは……

 

黒胡麻婆さんは、やがて電車を降りた

ホームに出たその人の横顔は

窓越しに私を見て

かすかに笑っていた

腹話術もどきの声が、また

そのヒト(?)の閉じた口から

はっきりと

私の耳に届いた

「他を非難して周囲が見えなくなっている人間が

私の舌の好みには一番でね

おいしいことこの上なし、さ!」

 
或る声・或る音

発車合図の笛が駅のホームに響き

電車が静かに動き出すと

隣り座席の若い母親の

膝に寝かされた一歳ほどの男の子が

仰向いたまま

また、声を発する。

初めは低く

次第に声を高め

或る高さになったところで

そのあと、ずーっと同じ声を発し続けるのだ。

電車が次のホームにすべりこむと

その声は止む

電車が動き出すと

その声は再び声を発し

次第に声を高め

或る高さの声を保ち続ける

母親の膝に仰向いたまま、微笑んで。

――私は気付いた

レールを走る車輪の音を、その子は

声で真似ていたのだ。

発車して、車輪が低いサイレンのうように唸り始める

速度を増すにつれて、やや高まり

走行中、唸りは切れめなく続く

その音を、声でなぞっていたのだ。

レールを走る車輪の音に、こんなにも親しく

どこの大人が

声で寄り添っただろう。

電車に乗れば足もとから

必ず湧き上がってくる車輪の音に

私は、なんと久しく耳を貸さなかったことか。

私は俄かに身の内が熱くなり

目をつむり

あどけないその子の声と

その声に寄り添われた鉄の車輪の荒い息づかいを

そのとき、聞いた

聞こえるままに、素直に聞いた。

 
考えてみよう

良く見るために必要なことは、

自分にとっては何だろう
 


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