【紙ふうせんブログ】

令和4年

紙ふうせんだより 5月号 (2022/06/17)

あなたも家族も助ける為に

本来はすがすがしい晴天の続く5月ですが、今年は梅雨の走りのようなじめじめとした日が多かったですね。「走り梅雨」とも呼ぶそうです。雨の日の自転車走行にはご注意下さい。

交通事故というものは自宅近くで起こることが多いと言われています。「安心感」が気の緩みとなって事故に繋がるのです。もちろん皆様は十分に注意されていることと思います。うるさいようですが、くれぐれもご注意下さいませ。

「決めつけ」が人を苦しめる

「うるさい」という言葉、漢字ではなぜか「五月蠅い」と書きます。何でも旧暦の5月、つまり梅雨ごろに蠅(はえ)が群れて発生し、その羽音がうるさいことから「五月蠅」との漢字をあてるようになったとのことです。「うるさく言われているうちが花」とはよく言いますね。これは注意する側の視点から「うるさい」ことを肯定的に捉えています。期待や関心が無かったらうるさく言わない、という意味です。うるさく言えるのは、そこに言えるだけの肯定的な結びつきがあることを前提としているがゆえに、相手に対して否定的なことが言えるのです。

でも、そのうるさい内容が「決めつけ」であったら言われる側はたまりません。注意をした側も、労多くして関係を壊してしまったら何の為に今まで言ってきたのか、ということになってしまいます。皆さんも自分の昔のことを振返ってみましょう。「親は私のことを何でも決めつける!」と思っていませんでしたか。しかし子供の側にも「親なのに何で私の事を解ってくれないの!」という期待の裏返しの否定的な決めつけがあります。親の立場からは、「自分自身の気持ちや考えがあるなら、はっきり言ってくれれば良いのに」という言い分があります。しかし子供は、思わずついた溜息に「ウチの子は全く…」(手がかかる、愚図なんだから)といった否定的なメッセージ(二重拘束(ダブルバインド))を読み取っているのです。

「決めつけ」の悪循環を変える為には

お互いに相手を“悪者”として決めつけをしていたら、「鶏が先か、卵が先か」と同じで相互作用によって噛み合わない関係をさらに強化してしまう悪循環となります。自分の見解が「決めつけ」と受け取られてしまうのは、自分にとっては当たり前すぎる思考の「枠組み」があって、当たり前すぎるから気が付かずにその「枠組み」の中に相手を押し込もうとしてしまっているからです。だから、自分の中にそのような固定的な思考の枠組みが無いかを点検し、物事の見方を変えてみる必要があります。これをリフレーミング(再枠付け)と言います。

「○○すべき」「○○しなければならない」という思考パターンが強い方は要注意です。何も親子関係に限った話ではなく、介護関係でも同様です。先の段落の「子」を「利用者」に、「親」を「ケアマネ」や「利用者家族」と読み替えても意味が通じますよね。訪問介護でよく耳にする利用者さんの不満の第一位は、上から目線を含めて「決めつけられて嫌だ」というものです(※1)。「決めつけ」が人を苦しめているのです。

 

※1 こんなことを書くと利用者の不満第一位は「ヘルパーさんがやってくれないこと」だとケアマネさんから叱られそうですが、それぞれの立場としてそれは当然であるし、生活に不具合を抱えて潜在的に不満のある利用者さんにとってはヘルパーさんへの期待値が高く、その反動としての「期待の裏返し」としても説明ができる。しかし、ヘルパーも自戒が必要である。
 

“治らなかった終わり”という観念を生じさせる「治療モデル」

決めつけた態度は、経験に対する自負があるベテランほどとってしまいがちですが、古い介護観の根底ある「治療モデル」が構造的な悪影響を及ぼしています。

治療モデルでは、要介護という現象を病気やケガや健康状態により生じた個人の身心の医学的な問題として捉えるため、治療やリハビリによって回復を目指すことが優先されます。そのため、利用者は医師などの専門家の指示に従わねばならず、ケアマネージャーなどはその専門性から利用者を“指導”することが務めであると考えます。利用者や利用者家族の生活上の困難さは、結局は利用者(の病気等)が原因であるとして、構造的に利用者を責めてしまいます。

“指示の入らない”利用者がいた場合、そこに見られる“反発”を加齢に伴う性格変化や理解力の低下、精神状態の不安定さなどとして捉え、それを病気か病気に近い状態と判断し、その状態や病勢は不可逆的に進行すると予測します。そして、根本的に解決するためには原因を排除するしか無く、健常者と病人・障害者の生活を分離して利用者には遅かれ早かれそれ相応の施設に入って頂くしかない、と考えます。これは、生きる意欲を奪う介護観です。そんな介護観に利用者さんが反発しても“認知が入ってるから…”として“専門家”は、そこに在る心の声をスルーしてしまい、利用者さんと家族を精神的に追い込んでいくのです。

一方の「生活モデル」では、「生活の困難(障害)」の原因は、障害や病気ではなく「生活環境や支援体制の不備」の問題であると捉えます。専門家の役割はそれらを整備することであり、生活の主役は利用者であることを共に確認します。利用者さんに反発があるならば、利用者さんに疎外感を与えてしまった関係性や専門家の説明不足などとして捉えます。支援は、相談や提案という形で利用者の気持ちに寄り添いながら利用者の身心の安定(=生活の安定)に努めます。生活モデルの人間観は、人間を健常者と病人・障害者として分別するのではなく、全ての人間は生老病死を抱えながら生きているのであるから、専門家も同じ痛みを持つ人間として共感し、生きる希望を利用者さんや家族と一緒に考えていくのです。

相手を責めない態度で、部分ではなく全体を視る

「治療モデル」は究極の原因からドミノ倒しのように問題が生じている(直線的因果律)と考えるため、必然的に“悪者”を作ってしまいます。一方、“悪者”を作らない考え方もあります。「家族療法(※2)」は、問題を“家族システムの不調”にあると考えるのです。

例えば、認知症利用者とその家族の不安は相互作用によって「利用者の不安→変な行動→家族の不安→利用者の不安→」と不安は連鎖(円環的因果律)していきますが、「変な行動」に意味やメッセージがあるのではないかと検討してみたりして、部分ではなく全体を、要素だけでなくその繋がりや関係性を重視し、関係性の調整に努めるのです。家族療法では家族の成員全体を支援する視点を持ち、家族を集めた面談が大切であると考えています。

「『(※3)あなたを助けるために、あなたの家族と会いたい』と告げること、それ自体が効果的な介入になっていることは、家族療法の奇跡とも言われている。開放的でかつ相手を責めない態度で、家族の一員の痛みや障害を調べ、修正するために、できるかぎり家族を集めることは、驚くほど有益である」とは、家族療法の実践者の指摘です。サービス担当者会議や訪問介護の現場を、利用者さんとその家族の心を癒していく絶好の機会としていきましょう。

※2 ダブルバインド、直線的・円環的因果律、相互作用、リフレーミングは家族療法の用語。家族療法では、家族システムの中に支援者が加わることによって関係性の調整を促進します。

※3システム心理研究所HP「心理療法とシステム論」

 

紙面研修

医療モデルと生活モデル

治療モデルは、あるがままの「その人」と向き合わないで、その人を利用者・患者・病人・障害者といった枠組みに押し込んでしまいます。治療モデルは「障害」の原因を「個人」の心身機能に求めますから「個人モデル」とも言われます。

対して、生活モデルは、「障害」の原因を社会機能に求めます(個人に原因を求めないところは家族療法も同様)から、「社会モデル」とも言われます。どんな人でも地域で普通に暮らせることが、本来の「普通」と呼ぶべき社会の在り方であるという「ノーマライゼーション」の考え方が根底にあります。

ノーマライゼーションは1950年代に提唱されるようになりましたが、それ以前の考え方は「障害者」を社会の中にある異物(障害)と捉えて社会から排除し施設に収容するものでした。しかしこれは人道的に誤った考えです。「障害」は社会の側にあるのです。社会にある障害を取り除いていくことをバリアフリーと言います。バリアとなっているものは交通障壁のみならず、偏見や差別、営利企業の態度や脆弱な社会保障制度なども含まれます。

 



 

 



 
【考えてみよう】

医療の視点に偏り過ぎて生活や人生の視点に欠けている支援や、特定の個人に原因を負わせ過ぎている支援や、“専門家”が上から目線となっているような支援はないだろうか。
 

 

 

 


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