【紙ふうせんブログ】

令和4年

紙ふうせんだより 9月号 (2022/10/21)

「希望」を語ることの大切さ

皆様、いつもありがとうございます。台風が秋の空気を連れてきました。雨の中を訪問して下さったヘルパーの皆様、お疲れ様でした。近年なんだか雨の降り方が変ってきています。まるでスコールのような土砂降り。海水や大気などの地球規模の温度上昇が、海からの蒸発量や大気に含むことができる水分量を増やしてしまい、今までより大規模な雨雲を発生させるようになってきたからです。雨は「しとしと」とかせいぜい「ザーザー」と降るものと思っていましたが、爆撃のように降る雨。雨を肯定的に捉えたことわざに「雨降って地固まる」とありますが、こんな極端な雨では「過ぎたるは猶(なお)及ばざるが如し(※1)」です。

※1 論語の「過猶不及」が原典

「不安」に呑み込まれてしまうと状況は悪化する

「たとえば食物の要は身体を養うに在りといえども、これを過食すればかえってその栄養を害するがごとし」 これは福沢諭吉の「学問のすゝめ」にでてくる「過ぎたるは猶及ばざるが如し」の説明です。行き過ぎたことは足りないことと同じで、道理には適(かな)いません。このことわざは、物事には中庸(ちゅうよう)(ほどほど)があるということを示しています。介護でも時々これは「過ぎたるは…」ではないかな? と感じるプランが見られます。そうなってしまう理由の第一をあげるなら「不安」ではないでしょうか。

利用者本人が不安な気持ちでいっぱいでサービスを望む場合は、本人が支援に依存してしまい自立から遠ざかってしまったり、より不安が強化されてしまわないように注意が必要です。しかし、不安に寄り添いながら本人が自分でできることを「再発見」していくような支援を行っていけば、不安はヘルパーを待つ楽しみに変わり、サービス利用は「依存」ではなく「生きがい」となっていくでしょう。

問題は、利用者さんの生活状況に不安を感じた家族やケアマネジャーが、利用者を説得してサービスの導入や増回を求めた場合です。支援内容を工夫して自立支援につながっていけば、拒否的な感情もやがては楽しみや安心に変っていくでしょう。しかし、本人の望まぬタイミングに本人の望まぬ内容で、複数の人に繰り返し訪問されたら利用者さんはどう感じるでしょう。

「何で来るの!?要らないって言っているのに!」と言われてしまったらどのように理由を説明するでしょうか。「ご家族から頼まれているんですよ」と言えば利用者さんの「自己決定権」の没収宣言となりますし、「○○さんの生活で××ができていないから必要なんですよ」と言ってしまえば利用者さんへのダメ出しとなってしまいます。ご本人の気持ちを解きほぐすには、「あなたに会いたくて(お話したくて)来た」という“気持ち”を伝える必要がありますが、それには訪問してから終始一貫して利用者さんのペースに合わせなければならず、なかなか難しいものです。

やむを得ない状況もありますが、支援の枠組み自体が利用者さん自身を「否定」する構造になってしまっていないか、点検が必要です。自らが「否定」される関係が続けば、利用者さんの身心はおかしくなっていきます。「介護」という行為は「諸刃(もろは)の剣(つるぎ)」であることを自覚しなければなりません。

 

予言の自己成就

「角を矯(た)めて牛を殺す(※2)」ということわざがあります。曲がった牛の角を無理に矯正しようとして、肝心の牛を殺してしまう。小さな欠点を直そうとして全体を台無しにしてしまうことの譬えです。利用者さんの生活を正そうとしてあれこれやっているうちに、利用者さんをより悪い状態にしてしまったら、全く意味の無いことです。

例えば、自分が人や物事に対して、「ダメなところをちゃんとしないともっとダメになるぞ」と言い聞かせ続けて、本当に「ダメになる」ということがあります。無根拠な思い込みであっても、そうなりそうだと思って行動することによって、本当に実現させてしまうこと。これを社会心理学では「予言の自己成就(※3)」と言います。

このプロセスを大まかに言えば次のようになるでしょう。まず始めに、思い込みや不安などの強い感情的な動機があります。そのような時、人は自分の感情の不確かさ(不確かなものは人にとって「不安」)を確かなものにしようとして、自分の思い込みに合致する情報ばかりに注目してしまいます。これを「確証バイアス(※4)」と言います。

ダメだと思ったら、ダメなところばかりが目につき、良いところが見えなくなってしまいます。何とか「良くしよう」と思って実施することは「ほどほどさ」を欠いていますが、ダメだと決めつけている自分に気が付いていないので、極端な対応になっていることにも気が付きません。そうして「やり過ぎて」しまった結果、本当にダメになってしまうのです。

※2 同様の意味の英語のことわざに「ネズミを追い出そうとして家を焼くな」がある。

※3「自己成就予言」とも言う。ロバート・A・マートン(米国)が提唱

※4 認知バイアスの一種で、仮説や信念を検証する際にそれを支持する情報ばかりを集め反証する情報を無視または集めようとしない傾向のこと。

 

生きることを「あきらめさせない」ために

紛争地から命がけで逃れてきた難民の子供達が「あきらめ症候群(※5)」になってしまうことがあります。絶望的な状況を乗り越えて命は助かっても、自由が制限され将来の展望が全く見えない収容先での生活に希望が絶望へと変わってしまったのか、子供達は次第に周囲に無反応になり食べなくなります。身体を動かそうとせず寝たきりとなり経管栄養に繋がれます。意識レベルが低下し呼びかけに反応しなくなります。それでも身体機能には異常がみつからないのです。根本的な治療は「将来の希望を示すこと」や「安心感」だと言われています。

利用者さんを元気にさせる「本当に必要なケア」とは何でしょう。利用者さんは自然現象として低下曲線をたどるがことが自明であるため、私たちの介護業界は、利用者さんの状態を人為的に低下させてしまうことに鈍感になっています。確証バイアスによって支援者側は「言ったとおりに悪くなった。だから、悪化を見越したあのやり方で良かった」というような考えになってしまい、自己批判的検証が難しくなるからです。人為的な悪化を防ぐためには、ケアの方向性について複数の意見を交えて、あらかじめ原理原則に基づいて理性的に検討しておかなければなりません。

原則に立ち戻る「問い」をいくつか挙げてみましょう。

  • その判断は「不安」に基づいていないか、それは「誰の」不安か?
  • 利用者の「弱み」を基に判断していないか?
  • 利用者の「強み」を知っているか?
  • 利用者の「強み」に基づいて判断しているか?
  • 利用者の希望を聞いているか?
  • そのケア内容は利用者の望んでいる内容か?
  • そのケアの内容は利用者の自尊心を回復させるか、傷付けてしまうか?
「生きる意欲」とは何でしょう。「生きていても良い」と思うこと。「もうちょっと生きていたい」と思えること。どんなケアでも利用者さんの生きる意欲となるように、生きる「意味」や「希望」をお互いに語りながら、ケアを楽しめる工夫をしていきたいと思います。

※5  2000年代初頭からスウェーデンに亡命した難民の子供に度々見られ、生存放棄症候群とも言う。ホロコーストでも同様の症状が確認されている。

「次第に周囲に無反応になり、食事せず体も動かさず、ほとんど植物状態のようになる。医師らは、難民申請が通らなかったり収容が長期化したりして、生きる希望が失われたことが原因だと見ている。」(Buzz Feed Newsより抜粋)

 


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