【紙ふうせんブログ】

令和6年

紙ふうせんだより 5月号 (2024/06/25)

衝突矛盾のあるところに…

皆様、いつもありがとうございます。すがすがしい気候もやがて移ろいゆきます。食中毒に気を配るべき雨の季節がそろそろやってきます。

梅雨の別名に「五月雨」があります。なぜ五月かと言えば、旧暦の5月が新暦の6月から7月ころに該当するからです。従って、「五月晴れ」とは本来は梅雨の晴れ間を指す言葉でした。しかし、天気予報などの放送用語では、新暦の5月のさわやかな晴天を指して使われることもあります。なんだか矛盾していますね。

自分の中にある「矛盾」を認めること

 「どんな盾も突き通す矛(ほこ)」と「どんな矛も防ぐ盾(たて)」を武器商人が売っていて驚いた。中国の故事(韓非子)に有名なこの「矛盾(むじゅん)」という言葉は、「二つ以上の事柄が一致しない状態、または、一つの事柄が自身の内部で一貫性を欠く状態を指す言葉」(実用日本語表現辞典)と解説されています。私たちが接する利用者さんも一方には是と言い他方には非とする矛盾した自己表現をされる方が多くいます。訪問しては振り回されて「困った方だ」と断じたくもなりますが、“断罪”は早計です。そもそも人間の存在は矛盾を内包しているものだからです。

生物は生存競争の過程で個体の死を獲得しましたが、個体の意識は死を拒みます。最大の矛盾は生死です。社会的な動物である人間は社会と個の関係が重要ですが、個の視点のみの利益追求が過剰になると個人が生きにくい社会となってしまいます。ミクロ視点での個々の合理性が全体となった時、マクロ的な観点からは非合理になっていることがあります。世界的な環境問題もその一つです。これは経済用語の「合成の誤謬(ごびゅう)」です。

矛盾の対立軸を個人の中にも見てみましょう。宿題をしなければ追い詰められることが解っているのにゲームが止められないという葛藤は、現在と未来の視点からの矛盾です。アイドルの“推し活”が冷めてしまった時など、アイテムを大量購入しため込んだ自分が馬鹿らしく感じます。かといって、捨ててしまうことは過去の自分を否定してしまうようで簡単にはできません。人間とは「今ここにいる自分」に限定されない、今の自分とは異なる視点を持つことができる存在なのです。位相(いそう)(※1)の異なる視点の同時所有、これが矛盾を感じさせる基本構造です。




※1 氷・水・水蒸気は位相の異なる同じ物質。自分の中に状況や場面関係性によって多様な自分が現れるとも言える




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人は、今の自分とは異なる視点を考えられる

私たちは自分を社会や他者や異なる時間軸の自分の視点から見つめなおすことができます。今は是の気分でも明日には非になっている自分を想像することもできます。矛盾に葛藤するということは、現在が視野狭窄(きょうさく)の危機にあるか、今まで以上の視野の拡がりを獲得する契機が訪れているか、恐らくはそのどちらでもあります。葛藤は「必要なこと」として起きているのです。

矛盾に自覚的になり対立項の双方と向き合い、他者や今の時間軸ではない自分と、今の自分とを対置させながら本当の最適解とは何かを模索すること。矛盾に対して開かれた態度で止揚(しよう)(※2)を目指す時、私たちは動物的な個体としてではなく、複層的な繋がりの中での人としての自己を見出し、社会的歴史的存在としての「個人」として自立していくのです。




※2 ヘーゲル1770-1831の弁証法の言葉で、矛盾対立する二つの概念や事物をより高次の視点によって統合して調和や秩序を見出すこと




矛盾と向き合い乗り越えていくこと

介護保険制度にも矛盾があります。総則で「尊厳」と「自立した日常生活」をうたいながら、「健康で文化的な最低限度の生活」に配慮できていない制度運用や日常生活の文化的な側面を切り捨てる給付抑制が行われているからです。

もちろん制度的矛盾には、行政に対して意見を述べたり政治や選挙を通じて声を上げたりする必要があります。しかし、だからと言って矛盾の全てが制度に起因するものではありません。「絶対に事故を起こさない、絶対に安全な車」が存在しないように、完璧な制度は存在しないからです。

つまり、制度の不備をどうにもならないような「矛盾」にまで拡大させてしまっているのは「人」なのです。手間を省きたい、楽をしたい、責任を負いたくないといった個々の安易な合理性が優先された時、その集合の結果として主体者不在の硬直化した「制度中心」が生じるのです。

現在の介護保険をめぐる状況は、介護職員の私たち自身が要介護になったことを悲観しないでいられる仕組みになっているでしょうか。疑問に感じるならその自覚は良いことです。「利用者中心」という考えを知っていて、その空文化の矛盾を認識しているからです。全体の問題は合成の誤謬的な要因もあり、個々を一方的に断罪することは出来ません。

ただ、もしこの「矛盾」を乗り越えたいと本当に願うなら、矛盾から逃避したり他責的に原因を何者かに押し付けたりせずに、まずは自分自身の中にある矛盾と向き合うべきです。

哲学者の西田幾多郎(※3)は主著の「絶対矛盾的自己同一」の中で「過去と未来との矛盾的自己同一としての自己自身の中に矛盾を包む歴史的現在は、いつも自己自身の中に自己を越えたもの、超越的なるものを含むということができる。いつも超越的なるものが内在的であるのである。現在が形を有(も)ち、過去未来を包むということ、そのことが自己自身を否定し、自己自身を越えゆく」と述べています。

矛盾の超克は自己超越の鍵です。過去や未来を認識し作っていくのは現在の自分です。その自覚が自己や世界像を「作られたものから作るものへ(※4)」と転換していくのです。




※3 禅と近代哲学を融合した西田哲学を展開1870-194京都学派の創始者

※4 同書に75回登場する言葉。過去(作られたもの)と未来(作るもの)を矛盾的に内包する現在をどのように生きるかが自己を転換させていく




 どんな時にも、人は楽しむことや喜ぶことができる

生存者の究極の矛盾である生存否定の願望が語られる時、考えたくないことを考えてしまう辛い葛藤があります。家族や社会のことを考えたり過去の自分に捕らわれたりしているのかもしれません。未来を恐れているのかもしれません。作られた“利用者”という自己像を打ち破り、自らを「作るものへと」するために究極の自己選択を夢想しているのかもしれません。葛藤の内容を安易に決めつけてはいけません。

ただこれだけは言えます。「命は生老病死を内包している」という矛盾的自己同一的な事実と利用者さんは向き合っていて、命の意味について自己覚知したいと願っています。覚知はどのように訪れるのでしょう。それは論理的考察ではなく、自分が苦しい中にあっても自然の美しさに見とれたり、人と人とのふれあいに楽しさや喜びを感じたりできる「実感」によるのではないでしょうか。

苦境の中にも心が煌めく瞬間はあります。人は、どんな時にも楽しむことや喜ぶことができるのです。その矛盾を発見した驚きと悲哀が、人を自己統合へと歩ませるのです。どんな葛藤も最後は「受容」に至るとキューブラー・ロス(※5)は指摘しています。安心して心の多様性の現れでもある利用者さんの矛盾と向き合いましょう。

心の多様性は苦悩一色に塗り潰されません。出会いの不思議に心を満たして日々の生活に楽しみを見出し、喜びを利用者さんと共有しましょう。




※5看取り研究の先駆者1926-2004






紙面研修
 

マインドフルネス瞑想

東洋思想と西洋思想の融合

西田幾多郎は参禅による感得と仏教思想を西洋哲学の中で捉え直して論理化を試みました。「哲学は我々の自己の自己矛盾の事実より始まるのである。哲学の動機は〈驚き〉ではなくして深い人生の悲哀でなければならない」と西田は述べています。西田の葬儀では、遺骸を前に座り込んだ元同級生で親友の鈴木大拙は号泣したといいます。鈴木大拙は、仏教や禅についての英文著作があり禅を欧米に紹介したことで有名です。禅の影響を受けた著名人は多く、アップルの創業者スティーブ・ジョブズも自己を高めていく生き方を求めたその一人です。スティーブ・ジョブズには有名な演説(2005)があります。

「私は毎朝、鏡の中の自分に向かって、『今日が人生最後の日だったとしたら、今日の予定をやりたいと思うだろうか』と問いかける。『ノー』の日が続いたら、何かを変えなければいけない」

ZENブームにより参禅の効果が知られるようになると、技法を整理したマインドフルネスが考案されます。基本はとてもシンプルで姿勢を正し「呼吸」に意識を向けます。抑圧や葛藤が強いとかえって気が散ってネガティブな感情が現れることもありますが、練習により静めていくことができます。集中力が高まりQOLや生産性にも良い影響があるため、Googleなどの世界的大企業で取り入れられています。

マインドフルネスとは (現代精神医学事典・弘文堂2011)

1979年にジョン・カバットジンによりマサチューセッツ大学医学部にストレス低減プログラムとして創始された瞑想とヨーガを基本とした治療法。慢性疼痛、心身症、摂食障害、不安障害、感情障害などが対象となる。ジョン・カバットジンは鈴木大拙の禅に影響を受け、仏教を宗教としてではなく人間の悩みを解決するための精神科学としてとらえ、医療に取り入れた。

その基本的考えは、煩悩からの解脱と静謐な心を求める座禅に軌を一にしている。マインドフルネスの語義は“注意を集中する”である。一瞬一瞬の呼吸や体感に意識を集中し、“ただ存在すること”を実践し、“今に生きる”ことのトレーニングを実践する。これにより自己受容、的確な判断、およびセルフコントロールが可能となる。マインドフルネスは認知行動療法に取り入れられ脚光を浴びるようになった。しかし、認知行動療法は認知の変容を目指すのに対して、マインドフルネスは認知のとらわれからの解放を誘導する。

衝突矛盾によって、さらに大きな統一に進む

「衝突矛盾のあるところに精神あり、精神のあるところには矛盾衝突がある。たとえば、われわれの意志活動についてみるも、動機の衝突のないときには無意識である。すなわち、いわゆる客観的自然に近いのである。しかし、動機の衝突が著しくなるにしたがって意志が明瞭に意識せられ、自己の心なる者を自覚することができる。

(中略)衝突に由って我々は更に一層大なる統一に進むのである。実在の統一作用なる我々の精神が自分を意識するのは、その統一が活動し居る時ではなく、この衝突の際においてである」と西田は「善の研究」で述べています。

マインドフルネスでは、瞑想の入り口では身体感覚の不快や自我が意識されますが、無心となり、自我の執着から離れて矛盾を止揚し自己に至る、とも言えましょう。意識的に「今この瞬間」に「判断しないあるがままの意識」を向けることで、新しい気付きが得られるのです。

 自己の心を意識して整える 認知症ケアに用いられる瞑想

 認知症の利用者さんが穏やかに過ごされている時、まるで瞑想のように見えることがあります。ですが、技法を行うのは介護者です。バリデーションでは「センタリング」といって、瞑想することで自分の中のイライラや不安などから離れ、心の静まった状態で利用者さんと向き合うことの大切さを説いています。実際のところ、自身の心が静まると自然の美しさへの感受性や他者への共感性が高まります。




実践してみよう

(導入)姿勢を正して座ります。(天井から伸びた糸に頭部が吊るされているイメージなどで)

両手を太ももの上に置いて静かに目を閉じます。(浅すぎず深すぎず自然なペースで) 大きく5回深呼吸。

〈呼吸に集中する瞑想〉

自分の意識を呼吸に集中し、鼻から入って出ていく空気の流れだけに注意を向けます。

「調身・調息・調心」を行い心身を整えていきます。雑念が生じたと気が付いたら呼吸に意識を集中するよう努めます。瞑想を5~10分程度続けます。

(終了)集中させていた意識を、少しずつ自分そのものに戻していきます。自分に意識が集中できたら、ゆっくりと目を開けて瞑想を終了します。

 

発展〈ボディスキャンによる瞑想〉

瞑想中に緊張など不快な情報を確認したら、不快な感覚を呼気と一緒に吐き出すイメージを繰り返します。

静まったら、心の落ち着いた感覚を観察します。次に、光で頭の表面や内部をくまなく照らし、確認していくイメージを持ちます。頭の次に、両目、鼻、口周り、頬、顎、首、両肩、胸、背中、腹、尻、左右の太ももからふくらはぎ、両足底と順に身体感覚を観察していきます。瞑想中に緊張など不快な情報を確認したら、不快な感覚を呼気と一緒に吐き出すイメージを繰り返す。





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