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平成26年

平成26年9月 紙ふうせんだより (2014/10/23)

ヘルパーの皆様いつもありがとうございます。急に寒くなり驚くばかりですが、風邪などひかれぬようにお気を付け下さい。

物言えば唇寒し秋の風

人権と差別

この時代は、“人権”という考え方が希薄で、国民が自由な意見を述べる事などとんでもない事でした。ただ、このような状況を軍部や政治家やジャーナリズムの責任だけにすましてしまう事は、本質を見誤ります。“くちびる寒し”とささやきあう人々の間に、「長いものに巻かれろ」「寄らば大樹の陰」「出る杭は打たれる」などと、お互いに規制しあう空気が流れていたのではないでしょうか。これは、「空気の読めない人」を“KY”とレッテルを貼って、仲間外れにする現代の風潮にも表れています。

島国根性とかムラ社会と呼ばれるこのような風潮は、“私たち”と毛色の違う人を暗黙のうちに排除しながら、差別している事は自覚せず、制度化されない水面下の隠れた“差別”を生む温床となっています。これは現在の学校などでの“イジメ”の問題とも呼応していると思われます。

さて、紙ふうせんでは平成26年9月より訪問介護事業所として、障害者のホームヘルプサービス(居宅介護・重度訪問介護・移動支援)を開始する事となりました。実は、障害者を取り巻く環境や障害者福祉の歴史などを語る上で、この“差別”という語りにくい問題は、避けて通れないものなのです。

人権の歴史

世界的に“人権”を守る機運が高まり、国際的にそれを確認しあったのは、第二次世界大戦後の1948年。第3回国連総会の12月10日に「世界人権宣言」が採択されました。

 

第一条

すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。

第二条

1  すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる。

2  さらに、個人の属する国又は地域が独立国であると、信託統治地域であると、非自治地域であると、又は他のなんらかの主権制限の下にあるとを問わず、その国又は地域の政治上、管轄上又は国際上の地位に基づくいかなる差別もしてはならない。

 

第一条の「生まれながらにして」の部分は、“国家の保障する範囲内において”などの限定されたものから、憲法や国家の規定などよりも上位に人権があるとした、初めて人権の保障を国際的にうたった画期的なものでした。それは、国家のエゴイズムの対立により多くの人命が失われた第二次世界大戦への反省から、国家を超えて人権が守られる世界を築こうと立てられた目標なのです。また、“天(神)から授けられた”との表現にならなかったのは、宗教の多様性と人権思想が相容れるものにするためであり、“人権=命の価値”は誰かから与えられるものではなく、命の存在そのものに基づくという信念を示しています。

制度化された差別の一例

最近になって国家として日本がハンセン病者に謝罪した事は記憶に新しい事です(2001)。ハンセン病者への科学的に誤った考えから、戦前の政府はハンセン病者に“強制隔離政策”を行ってきました。また、戦時中はナチスドイツに影響されて、断種・優生政策として強制的な不妊手術や違法な強制人工妊娠中絶が横行しました。1904年に制定された「癩予防法」は戦後も「らい予防法」に引き継がれ漫然と隔離政策は続き、1998年の違憲判決を受けて、2009年に「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律の成立」によって「らい予防法」は廃止され、ようやく“制度化された差別”がなくなりました。

熊本地裁にハンセン病訴訟を提起した敬愛園の入所者の原告夫妻は「入所者に迷惑をかけないで」「賠償金が歩いている」と中傷され、敗訴判決が出れば、裁判所からの帰り道に夫婦で死ぬつもりだったそうです。

「ハンセン病の患者や家族を差別してはいけないのは、ハンセン病が安全な病気だからではありませんし、まして遺伝しない病気だからでもありません。感染力の強い病気の患者も、遺伝性疾患に苦しむ患者や家族も、私たちと同じ社会の構成員として『共生』できる社会を目指さ」なければならない。と、『九〇年目の真実』(かもがわ出版)にはあります。

戦時中の障害者をめぐる状況

当時、「お国のために」戦えない者は無駄飯食いとされ、障害者も陰に陽に差別にあっていました。兵隊にもなれず勤労動員もできない我が子を、その親も“非国民”と思っていたかどうかは解りませんが、“恥ずかしい”“他人様に見せられない”と感じ、自宅に軟禁し、特に精神・知的障害者などは座敷牢に入れられていた事もあったようです。親自身が自覚なく我が子を差別してしまうような状況はまさに悲劇です。このような状況は、日本が国際社会に参加していこうとする東京オリンピック(1964)頃まで、密かに行われていたようです。『ノーマライゼーション 障害者の福祉』2006年3月号には以下の記述があります。

「集団疎開のころ」

「世田谷の学校も爆撃されるおそれがあるので(中略)疎開をさせてほしいと軍に許可を求めに行くと、軍は障害児など国の役に立たないものを疎開などして助ける必要はないと拒否したそうです。しかし校長は本土決戦になったら足手まといになるからと重ねて許可を求めると、軍は、それなら良いだろう、ということになったそうです。そしてこれは校長でなく、別の人の話ですが、その時軍は、本土決戦が全国に及んで長野県が戦場になった時は、これを使って障害児を処分するようにと、毒薬を渡したそうです。つまり障害児はいざというとき処分の対象になる動物園の動物と同じに見られていたというわけです。また当時の教育関係者が、光明学校に見学に来ると、校長に向かってこんな子供たちを教育して何になるんだ、こんな無駄なことをしているあなたは非国民だ、といったそうです」

ここに出てくる光明学校(1932年開校)は梅丘の近くにある特別支援学校ですが、当時肢体不自由者などに対する教育は例外的にわずかに行われるにすぎませんでした。1947年の教育基本法・学校教育法の公布で、「養護学校」が初めて制度化されました。しかし重度の障害者に対しては就学免除・就学猶予という“差別”措置が執られ、ほとんどの場合就学が許可されませんでした。ようやく1979年に養護学校の義務化があり、就学猶予・就学免除が原則として廃止され、重度・重複の障害者も学校に入学できるようになりました。

『かわいそうなぞう』というノンフィクション絵本があります。(あらすじ:第二次世界大戦が激しくなり、東京市にある上野動物園では空襲で檻が破壊された際の猛獣逃亡を視野に入れ、殺処分を決定する。ライオンや熊が殺され、残すは象のジョン、トンキー、ワンリー(花子)だけになる。象に毒の入った餌を与えるが、象たちは餌を吐き出してしまい、その後は毒餌を食べないため殺すことができない。毒を注射しようにも、象の硬い皮膚に針が折れて注射が出来ないため、餌や水を与えるのをやめ餓死するのを待つことにする。象たちは餌をもらうために必死に芸をしたりするが、ジョン、ワンリー、トンキーの順に餓死していく…)象の健気さに涙を誘われるお話しですが、同様の事が人間に行われてようとしていた事実は、「かわいそう」では済まされず、戦争の悲劇などではなく犯罪であるという認識を、現代では持つべきでしょう。

障害者福祉の理念

現在“私たち”は、差別の壁を感じる事もなく、あたりまえのように基本的人権が障害者にもある事をなんとなく認めています。しかしその差別の壁を打ち壊してきたのは、“私たち”ではなく障害者自身であり、障害者運動の戦いの積み重ねによるものなのです。

1975年、障害者の人権宣言とも言える「障害者の権利宣言」が遅ればせながら国連で採択されます。

 

2 障害者は、この宣言において掲げられるすべての権利を享受する。これらの権利は、いかなる例外もなく、かつ、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上若しくはその他の意見、国若しくは社会的身分、貧富、出生又は障害者自身若しくはその家族の置かれている状況に基づく区別又は差別もなく、すべての障害者に認められる。

 

障害者福祉の理念の中心的なものに『ノーマライゼーション』というものがあります。

1950年代、デンマークの知的障害者の子を持つ親たちの会が、障害者施設の中で多くの人権侵害が行われていることを知り、運動を開始しました。提唱者であるバンク・ミケルセンは、「障害のある人たちに、障害のない人たちと同じ生活条件をつくり出すこと。障害がある人を障害のない人と同じノーマルにすることではなく、人々が普通に生活している条件が障害者に対しノーマルであるようにすること」と言っています。

つまり、障害者等に訓練などを施し“私たち”の社会に馴染ませ適応させるのではなく、障害者等が普通にしていても、普通に人間らしく生活していける社会こそが“ノーマル=普通”であるという考え方です。障害者等の為に特別な施設を作らなければならないような社会は、逆に言えば“ノーマル”な社会ではないという事になります。例えば社会参加をめぐって、何かを改善しなければならないのは障害者個人の側ではなく社会の側なのです。日本では、1993年にノーマライゼーションの思想に基づき障害者基本法が制定されました。

私たちが仕事をしている介護保険制度も“施設から在宅へ”との方向性が打ち出されており、国の社会保障費抑制という下心もありますが、背景にはノーマライザーションがあります。高齢者福祉の理念の多くは、障害者運動から生まれたものが多いのです。

マイノリティー(少数者)の視点 

さて、現在の日本は障害者差別に限らず“制度化された差別”(同性婚不可などは除く)は、かなり撤廃されたと思われます。しかし、制度化されていない陰の差別はどうでしょうか。

認知症の方が、人間らしく生活できるような社会になっているでしょうか。高齢者が何のストレスも無く、行きたい時に外出できるような社会になっているでしょうか。それらを“高齢者差別だ”とはここでは言いません。ただ、差別とは常に差別する側からはほとんど目に見えない気が付かないものであり、差別する側の常識や合理性や“普通”という観念から、差別される側が、知らず知らずに傷を受け、痛みを感じているという事を、心に留めておく必要があるでしょう。

戦後史の中でも、ヒロシマ・ナガサキ出身者への差別や、水俣などの公害地域出身者への差別があった事が明らかになっています。昨今のHIVをめぐる状況はどうでしょうか。残念な事に、インターネット上には中傷の書き込みが見られます。また、アイヌや沖縄、在日や同和やLGBTなど、我が国のマイノリティーたちは、この“私たち”の社会をどのように見ているでしょうか。それらだけでなく、“私たち”が知らず知らずに傷つけている誰かの心はないでしょうか。また、“私たち”という“同質性の感じ方”そのものが、実は独りよがりであり、“私”の幻想であるという風に、疑って見る事も必要かもしれません。そこをくぐり抜けてこそ困難な時代に強く生きる“個”が鍛え上げられるとも思います。自分には無関係と思えるような遠い他者に対しても、その痛みに共感していこうと努力していく事こそが、全ての人が安心・安全に生活できる社会を築いていくのです。

社会的弱者という要介護高齢者の世界に分け入る事になった、ある意味でマイノリティーな職業の介護職こそ、聞こえてこない声や社会に取れ上げられにくい視点に、注意を払っていきたいと思うのです。

1945年11月16日に採択されたユネスコ憲章(ユネスコ=国際連合教育科学文化機関。第二次世界大戦後、1946年に、人類が二度と戦争の惨禍を繰り返さないようにとの願いを込めて、各国政府が加盟する国際連合の専門機関として創設された。日本は1951年に60番目の加盟国となった。)の「前文」には、以下のようにあります。

 

戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。

相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信を起こした共通の原因であり、この疑惑と不信の為に、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった。

ここに終わりを告げた恐るべき大戦争は、人間の尊厳・平等・相互の尊重という民主主義の原理を否認し、これらの原理の代りに、無知と偏見を通じて人種の不平等という教養を広めることによって可能にされた戦争であった。

文化の広い普及と正義・自由・平和のための人類の教育とは、人間の尊厳に欠くことのできないものであり、 かつ、すべての国民が相互の援助及び相互の関心の精神を持って、果たさなければならない神聖な義務である。

 

「戦争は人の心の中で…」の「戦争」を「差別」と置き換えて読んでみても、うなずける内容だと思いませんか。

 


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