【紙ふうせんブログ】

平成27年

紙ふうせんだより4月号 (2015/07/31)

 

皆様、いつもありがとうございます。これから暑くなってきますね

ゴールンウィークに向かって気温が上昇していく季節です。季節の変化に追い付けない利用者さんは、水分が足りなかったり厚着のままでいて、“脱水症状”や“熱中症”という事もあり得ます。これからの季節は、利用者さんが「なんか調子悪い」「ぼんやりしていて、いまいち受け答えがはっきりしない」という時は、それらも可能性の一つとして考えておいて下さい、利用者さんからおかしな発言が見られる時、認知症の進行だけではなく、“脱水”や“こもり熱”“低栄養”なども疑いの中に入れておいて下さい。

 

それ以外の可能性としては、本当に緊急事態になりますが“脳卒中”です。脳血管障害は、主に「脳出血」か「脳梗塞」になります。これらは大きな病変が発生する前に、「かくれ脳出血」や「かくれ脳梗塞」などの予兆がみられる場合があります。倒れてしまう前に「四肢のどこかに力が入らなくなったり痺れが現れた」などの場合が多く、利用者さんは「歩けない」「立てない」と訴えます。普段から脊椎圧迫骨折などがあり歩行困難な方は、その症状と見誤る事があり注意が必要です。脳血管障害に特徴的なのは、痺れや力が入らないなどに『左右差』(片麻痺)がある事です。脊椎の神経障害でも左右差が出る事がありますが部分に限られており、脳血管障害の場合は障害が片側全体におよぶところが特徴的です。両手をバンザイしてみると片方の腕が上がりにくい。手や足をつねったりくすぐってみると片方が感じにくい。温度を感じる事も片側が鈍くなります。また、うつらうつら寝てばかりになる事もあります。これらのサインが急に現れた場合には脳を疑い、基本的には救急車要請です。

 

最近の利用者さんでこのような状態が見られたのである大学病院に救急搬送をしてもらったところ、しっかりとした検査をしてもらえずその日のうちに帰され(脊椎に病気がある方でした)、後日別の病院で精密検査をしてもらうと、やはり脳梗塞が見つかったとういケースがありました。救急搬送の場合は、私たちは診断はできませんが、こちらの疑念をしっかりと伝えていきたいと思います。

 

いずれにしても、普段の利用者さんの日常生活のイメージを持っている事が大切です。私たちは限られた時間しか訪問しませんが、それ以外の時間で利用者さんがどのような生活をしているのかという事に、想像力をしっかりと働かせるのです。それは、現実には「見ていない」「知らない」事ですが、『見えない事』を想像し、“理解”する事が良いサービスにつながるのです。この見えない事を見ようとする事は、介護の仕事の本質に深く関わる事なので、掘り下げて書いてみたいと思います。

 

見えないものを見ようとし、見えるようにする事

映画監督の黒澤明は、自伝『蝦蟇の油』でモーパッサンの「誰にも見えないところまで見ろ、そして誰にも見えるようになるまで見ろ」という言葉を引いて、目に見えないものを、見えるようにしていく事が映画監督の仕事だと語っています。黒澤明は映画『夢』で、富士山が噴火し浜岡原発が被災し放射能をまき散らし、その放射能には色が付いて「見えてしまう」という恐怖を描いています。目に見えない恐怖(原子力発電所と共に生活する恐怖など)を、まさに「見える」ようにしたのがこの作品です。

 私たちの介護の仕事は、特にケアマネージャーさんは利用者さんの「表現できていない」「言葉にならない」気持ちをケアプランという形で“見える化”し関係者で共有すると共に、利用者さん自身の自己覚知を促し、生活に対して新たな目標などを持って臨めるようにしていくケアマネジメントが重要です。

 

このように考えていくと、どんな物事でもその本質はなかなか見えないもの、隠されたものであって、見えないものだからこそ見ていこうという姿勢が大切であると言えるでしょう。また、本当に大切な気持ちはなかなか表現できないもので、言いやすい耳障りの良い事を言って自分の本心を誤魔化したり、目の前の人に無意識的に合わせたりするのが、多くの人の取り得る態度だと言えるでしょう。こんな複雑な裏腹さをもって表現される人の心は、恋愛を例にすると了解しやすいのではないでしょうか。

 

見えぬものでもあるんだよ

 

金子みすずの詩に「星とたんぽぽ」と いうものがあります。この詩には「目には見えないけど本当は存在するものがいっぱいあるんだよ」という他者との共生感覚のような愛情が、ふるえるような言葉で紡がれています。金子みすずの言う「見えぬけれどもあるんだよ / 見えぬものでもあるんだよ」というようなものごとは、何が考えられるでしょうか。

 

           星とたんぽぽ

                                           金子みすず

青いお空のそこふかく、

海の小石のそのように、

夜がくるまでしずんでる、

昼のお星はめにみえぬ。

   見えぬけれどもあるんだよ、

   見えぬものでもあるんだよ。

 

ちってすがれたたんぽぽの、

かわらのすきにだァまって、

春のくるまでかくれてる、

つよいその根はめにみえぬ。

見えぬけれどもあるんだよ、

見えぬものでもあるんだよ。

 

 

それらの一つに人の心があります。例えば恋愛の場面では、一番気になるのは相手が自分に対して好意を持っているかどうかでしょう。しかし自分の気持ちでいっぱいいっぱいになると、相手の気持ちは全く見えなくなります。見えないからといって、相手に心が無いかといえばそんな事はありません。相手には相手独自の気持ちや考えがあります。それを、どうせ考えても解らないから、見えないからと言った理由で、自分の気持ちを押しつければ、稀に成功するかもしれませんが、たいていは失敗します。そして成功に見えた関係も長続きはしないでしょう。人の気持ちを考えない傾向が、だんだん顕著になってくると相手が離れていくからです。こうして、その人はだんだん孤独になっていきます。

 

目に見えないものをおろそかにする気持ちと「孤独感」の関係

 

私たちが介護をする方のなかにも、強い孤独を抱えておられる方が沢山います。それは、親しい人が亡くなったなどのさまざまな理由があるでしょう。一概に論ずる事はできませんが、先の恋愛の例で言うと、もしかしたら孤独だからこそ、自分の気持ちを相手に押し付けてしまったと言えるかもしれません。そうすると、悲しいことに孤独がさらに孤独を強めてしまう負のスパイラルに陥っているのかもしれません。そのような方は時々見受けられ、介護現場で “手を焼かせる”方になっているように思われます。それは、支援の在り方の至らなさもありますが、心からの忠告も耳に入らず、自分の孤独さのみに気を奪われ、周囲で大勢の人が支えてやろうと一所懸命になっているのに、煩わしいと感じてはねのけたりするような方などです。

 

そのような方は、周囲の人は優しくしてくれているのに、その優しさでは自分の孤独感は埋まらないというようなアマノジャクな態度を見せる事になります。周囲の優しさに気が付かないから孤独に陥っているとも言えます。このような方には心を開いて頂いて、AKB48の「恋するフォーチュンクッキー」の歌詞にもありますが「人生捨てたもんじゃないよね」という事を、介護者としては解って頂きたいと思うのです。困った事にこのような方は、自分自身でも自分がどうしたいか解らなくて、周囲の人を振り回す事が多々あります。

 

人の優しさは明確な形で目に見えるものではありません。むしろ自身の心で感じていく性質のものです。だからこそ、見えないものを見ようとする気持ちが必要なのではないでしょうか。目に見えないものをどうやって見て、どのように感じていくかは、一朝一夕には上手くいかない積み重ねのようなところがあります。

 

例えば、掃除の仕事の時に、「どうせ利用者さんは見えないから」「見ていないから」「指示がないから」と、当初のサービス計画よりも質を下げて(さぼって)支援をしたとします。このような時、利用者さんからクレームが有るとか無いとかは本質的な問題ではありません。利用者さんは、内心では「あそこの掃除もお願いしていたんだけど、いつの間にかやってくれなくなった…でも、いろんな方がいるから口に出して指摘するのはやめよう。そのうち気が付いてくれればいいんだけれど…」と思っているかもしれません。このような時、二重の意味で、目に見えないものを意図的に無視している事になります。一つは利用者さんの気持ち、そして何よりも重要なのは、自分自身の良心です。仕事をしっかりとやって利用者さんに気持ち良くなって頂こうという自分自身の優しさを、自分で無い事にしてしまっているのです。このような態度を「裏表がある」と言います。「人間には裏があって当然」と開きなおってしまったら、困るのは自分自身です。目に見えないものは無いものとしているうちに、他人の心に不感症になり、その優しさを感じられずに孤独感を抱いてしまったり、無視し続けたがために自分自身の本当の気持ちが解らなくなってしまうのではないでしょうか。

 

誰かの孤独感を感じた時、自分自身はどう振る舞うのか

 

「孤独感」をこのような構図だけで説明するのは実は乱暴な事です。その背景には生い立ちや時代背景や、現在の人間関係やどうにもならなかった悔しさなどもあるでしょう。ただ、こうやって裏表のある態度と孤独感の関連性を明らかにすると、誰しもがドキッとするのではないでしょうか。それは、全く裏の無い人は居ないからです。だからこそ利用者さんが抱いている孤独感とどう向き合っていくかは大きな課題なのです。利用者さんの孤独感は「私は関係ない」というものではなく、私の孤独感の問題でもあると捉える必要があるのではないでしょうか。そのような気持ちになった時、利用者さんとヘルパーさんとの間で目に見えない信頼関係が生まれます。そして、その孤独感について一緒に考えていき、ヘルパーの気持ちも素直に利用者さんに述べるというような壁の無い態度が、利用者さんの孤独感を解きほぐしていく可能性があると言えるのではないでしょうか。

 

本来、人間関係を成り立たせている関係性は、目に見える存在としては無いものです。その目に見えないものに対して、存在を信じる心になれば優しさを感じ、疑う気持ちになれば孤独感を生じるのでしょう。介護の仕事の本命を、三大介護(排泄・入浴・食事)ではなく人の心やスピリチュアル・ケアと捉えれば、私たちの仕事は、目に見えないものの存在や価値を信じていく事に他なりません。私たちは単なる掃除屋や入浴屋ではありません。生活援助や身体介護を機会として、手の温もりや声の響きを通して自分の心を相手に伝え、人の心の畑を耕し、心の豊かさを開拓する仕事なのです。私たちがこの仕事のやりがいを感じる時は、必ず、お互いの気持ちが通じ合ったと感じる時ではないでしょうか。通じ合ったその“感じ”に疑問を挟む必要はありません。自信をもってそこは素直に信じていきましょう。

 

利用者さんがいつの間にか明るくなり元気になったという時には、必ずヘルパーさんや家族の目に見えない努力があるという事を私は信じています。そして、そのような皆様方を待っている利用者さんが沢山いるという事は、私たちの心にとっても、豊かな実りとなり得るとても幸せな事ではないでしょうか。


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