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紙ふうせんだより

紙ふうせんだより 4月号 (2018/05/15)

2018年(平成30年) 4月

紙ふうせんだより

有と無の間のゆらぎから生じるもの

ヘルパーの皆様、いつもありがとうございます。萌黄色が青空に揺れて空は若葉の演奏会です。薫風に誘われて、空を見上げて自転車を走らせてしまいますが、事故にはご用心。

ついこの前まで冬枯れて何もない梢だったのに、今はこんなに多くの葉っぱ。この葉っぱはどこにあったのでしょう。どこに隠れていたのでしょう。それとも無かったのでしょうか。

「ある」の反対語は「ない」です。それは誰でも知っています。でも本当にそうでしょうか。

生きる意味は「ある」か「ない」か?

「何にも自分ではできない体になっちゃって、こんな体では生きる意味がない」と嘆かれる方がいました。「何ができなくなりましたか」と問うと、美味しいものを好き勝手に食べに行ったり、何か目的を持って生活できていた頃の自分をイメージしているようでした。話はいつの間にかバリバリと仕事をしていた頃の武勇伝になります。その頃は意味が「ある」と考える物事に向かって必死で生きていました。しかしそれらが失われたと感じる時、人は生きる意味が「ない」となってしまうのです。そんな時はどうしたら良いでしょう。

一つは、意味があると考える範囲を拡げる事ではないでしょうか。人は生きる意味を、自分の個人的(パーソナル)な欲求を満たすことを越えて、自分と他者との関わりの中に自分の価値を見出していこうとしています。“役に立つ”自分を目指し自己評価に悩みますが、やがてそこに価値があるのではなく、自他の“繋(つな)がり”そのものが大切なんだと気がつきます。自分の存在は“繋がり”の結晶であり「自分が存在している事自体に意味がある」と自覚されると、ついには、自分が居ようが居まいが自分の思惑を越えて「全てに意味がある」というところに行きつくでしょう。これは“自分(パーソナル)を超える(トランス)”トランスパーソナルの方向性です。トランスパーソナル心理学は「欲求五段階説」で有名なアブラハム・マズロー(1908-1970アメリカ)が、「自己実現欲求」の上位に「自己超越」を人生の究極目標として置いたことなどに始まり、他者や共同体や生態系や地球や宇宙との“一体感の回復”を目指しています。

もう一つは、『「ある」の反対は「ない」』というような二項対立の考え方を越えていくことです。冬枯れた樹木に青々とした葉は「ある」でしょうか。「ある」と言うわけにはいきませんが、「ない」と言っても嘘になります。「有無」の二語では表せない存在様式を捉えてそれを仏教では「空(くう)」と呼びました。かたち「ある」もの(=色(しき))は、必ずいつかは壊れ消えていきますが、決して無くなったわけではありません。「空」となり、いずれまた「色」として現れてくるのです。これが「色即是空(しきそくぜくう) 空即是色(くうそくぜしき)」です。自分が生きる意味を見出せなくなったからと言っても、意味が無くなった訳ではないのです。今の自分には見えないだけ。そのような時は、見えないものが見えるようになるチャンスかもしれないとも考えられます。有無の二語を超えるものとして解りやすい例は、人の心です。人体や脳のどこを切っても心の形は見えませんが、「ない」と言うことはできないのです。

もう一つの手の声

禅の公案に「隻手(せきしゅ)音声(おんじょう)」という、「両手を打ち合わせると音がする。では片手ではどんな音がするでしょうか?」という有名な問いがあります。手を打ち合わせる前は、「音」はあるでしょうか、ないでしょうか。可能性は常に「ある」のですが実態は「ない」、これは「空」です。では「片手」ではどうでしょう。やはり「ない」とも言い切れません。しかし「音」が生じるための“相手”の存在、自他の“繋がり”は不可欠です。これを仏教では縁起(えんぎ)(=“繋がり”によって起こる)と言います。さて、「生きる意味がない」と感じる人の心には、生きる意味を得て、喜びを感じる心は「ない」のでしょうか。ない訳はありません。ヘルパーさんとの出会いによって、その気持ちを再び現すことは出来るのです。できればそのような響きを共鳴させられるもう一つの「手」であり「声」でありたいと私は思っています。

量子力学の「ある」「ない」の不思議 有と無の間のゆらぎから世界は生まれた

量子(りょうし)力学(りきがく)とは、原子や電子や素粒子などのミクロな世界の物理学ですが、宇宙の仕組みなどマクロな世界の解明にも役に立っています。量子力学では、存在は物質でもありエネルギーでもあります。事実、光や電子の実験をすると、粒子(物質)として振る舞う時もあれば波動(エネルギー)としても観測されます。さらに粒子としてのある瞬間の位置と運動量はピンポイントには特定でき「ない」のですが、存在の可能性の拡がりとしては「ある」のです。極小(物理量の最小単位=量子)の世界では、「粒子」だとか「波動」だとか「ある」とか「ない」など様々な状態が、言わば同時に重なっているのです。場の量子論では一切何も無い全くの「無」という状態はなく、私たちが「真空」と呼ぶ空間の中にもエネルギーのゆらぎがあって、正のエネルギーをもつ粒子と負のエネルギーをもつ反粒子がペアで生成し対(つい)消滅を繰り返している事が実証されています。そしてたまたま対消滅の起きなかったところから有と無のバランスが破られ「ある」に偏り、空間が超光速で膨張しビックバンが起きたようなのです。そのため観測できないだけで宇宙は無数に生じており、例えば今コーヒーで一服する自分がいる宇宙がある一方で飲まなかった平行宇宙も存在し、可能性の拡がりだけ無限に宇宙は枝分かれしていくとの理論(多世界解釈による多元宇宙論)もあるのです。

「ある」か「ない」かではなく、ここにある自分を生きてみる

西洋哲学では二元論的な発想から『「ある」と断言できないのなら「ない」のではないか?』(逆も真なり)など、「ある」「ない」を対立概念としてその意味をややこしく悩んできました。しかし、今ここで何かを現実として感じている“自分”の存在(現実存在)があります。数億の精子と1個の卵子の出会いや多元宇宙論的な可能性まで含めて考えると、自分は、無限の可能性から選ばれたたった一つの自分なのです。ここにそれが在るのなら「なぜ生きているのか」を悩むのではなく、「どのように自分を生きて行く」のかを胸に刻みながら生きていきたいと思います。

マズローの欲求五段階説】

介護業界でこの図が引用されると、介護の目的は「生理的欲求や安全欲求を満たすことから」となる。まずは、ウンチ・おしっこ・食事・睡眠という訳だ。確かに基本はそうだが、必ずしもそこからではない。物質的に甚だしく欠けているにもかかわらず、暖かな食事や布団を拒否してしまう方もいるからだ。これは精神的な欠乏や欲求(実存的な悩み)から、そうせざるを得なくなっているところもあるだろう。
マリコ
津慶
知代子
どうか仲良く がんばって
ママをたすけて下さい
パパは本当に残念だ
きっと助かるまい
原因は分らない
今五分たった
もう飛行機には乗りたくない
どうか神様 たすけて下さい
きのうみんなと 食事をしたのは
最后とは
何か機内で 爆発したような形で
煙が出て 降下しだした
どこえどうなるのか
津慶しっかりた(の)んだぞ
ママ こんな事になるとは残念だ
さようなら
子供達の事をよろしくたのむ
今六時半だ
飛行機は まわりながら
急速に降下中だ
本当に今迄は 幸せな人生だった
と感謝している
マズローも「より高次の欲求に移行するためには現時点の欲求が完全に満たされる必要はない」としている。欲求は低位から高位へと段階的に現れるとは限らないのだ。物質的な欲求が満たされていなくても、高位の欲求を持ち得るし、逆もある。

そこで私が思い出すのが、「日航機123便墜落事故」の犠牲者が家族に宛てたメモだ。自分の生存が極限までに侵された時、父の気持ちは、自身の生存への願いを越えて一瞬の葛藤の後に家族への励ましや感謝の想いへと昇華し、自己を超越している。生命存続の危機だからこそ心根が現れたのかもしれないし、自己超越し得たのかもしれない。

介護を必要とする状態になるという事は、ゆるやかではあるが生命存続の危機であることは同じだ。そう理解するなら、人生最晩年の目標には「自己超越」も必然的に含まれてくるだろう。最晩年の葛藤は、それは今までの自己の殻を破っていくための生みの苦しみと言えよう。私たちが関わるのは、そのような段階の方々なのだ。

 

【祖師谷での研修(発展)の日程を決めました!!】
2018年度 訪問介護研修計画 / 発展 (会場:祖師谷 担当/佐々木)
日程 曜日 時間 研修内容 関連項目
5月21日 16:00~ リフレーミング 構成的グループ・エンカウンター、非構成的エンカウンター、グループワーク、自己分析、懇談 他
8月29日 16:00~ 自己理解、他者理解、自己受容、自己主張、信頼体験、感受性の促進 等
10月12日 16:00~
12月18日 16:00~
※シフトの交代はご相談下さい。
「身体介護」及び「生活援助」の区分

前号で取り上げた「老計第10号」にはさらに解釈があるんです。ややこしいですね。これら国の規制体系(法律・施行令・施行規則・告示・通知・通達)がややこしいので、「老計第10号」に記載の無い支援は保険給付の対象にならないと考える事業者もいるようです。しかし「老計第10号」の文面には「例示」と記されておりますので、記載の無い支援でも排除されるものではなく、アセスメントとケアプランとその作成のプロセスが適切であれば保険給付の対象となり得ます。考え方として基本的には、どのような支援が必要で、どのように実施すれば良いかは、法令の範囲内でのケアプランに基づきます。

以下が解釈の「Q&A」(厚労省)です。かなりの長文ですが、内容的に老計第10号に追加されている部分(太字)はわずかで、要するに「単なる見守り・声かけは訪問介護として算定できない」という事です。

Q. 自立生活支援のための見守り的援助の具体的な内容について

A. 身体介護として区分される「自立生活支援のための見守り的援助」とは自立支援、ADL向上の観点から安全を確保しつつ常時介助できる状態で行う見守りをいう。単なる見守り・声かけは含まない。 例えば、掃除,洗濯,調理などの日常生活の援助に関連する行為であっても、 ・利用者と一緒に手助けしながら調理を行うとともに、安全確認の声かけや疲労の確認をする ・洗濯物を一緒に干したりたたんだりすることにより自立支援を促すとともに、転倒防止予防などのための見守り・声かけを行う ・認知症高齢者の方と一緒に冷蔵庫の中の整理などを行うことにより生活歴の喚起を促す ・車イスの移動介助を行って店に行き,本人が自ら品物を選べるように援助する という、利用者の日常生活動作能力(ADL)や意欲の向上のために利用者と共に行う自立支援のためのサービス行為は身体介護に区分される。掃除,洗濯,調理をしながら単に見守り・声かけを行う場合は生活援助に区分される。 また、利用者の身体に直接接触しない、見守りや声かけ中心のサービス行為であっても、 ・入浴,更衣などの見守りで、必要に応じた介助、転倒予防のための声かけ、気分の確認を行う ・ベッドの出入り時など自立を促すための声かけなど、声かけや見守り中心で必要な時だけ介助を行う。 ・移動時、転倒しないようにそばについて歩き、介護は必要時だけで、事故がないように常に見守る という介助サービスは自立支援、ADL向上の観点から身体介護に区分される。そうした要件に該当しない単なる見守り・声かけは訪問介護として算定できない
~~ヘルパーミーティングのお知らせ~~

【日時】 2018年 5月23日 水曜日 18:30~

梅丘の事務所内にて

★担当利用者さんの状況等・支援計画の変更の必要性の有無 ★今月の議題・伝達事項

会議参加手当(ミーティング)は1回につき1370円です。
【研修会】 緊急時の対応 (担当・斉藤)

(ヘルパーミーテイングと同時開催。個別研修計画に基づく研修会です)
 


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