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紙ふうせんだより
紙ふうせんだより 10月号 (2024/11/15)
何度でも繰り返そう
皆様、いつもありがとうございます。年々、雲の多い日が増えてきました。温暖化の進行により空気中に含まれる水分量が増えてきたからでしょう。空が霞むのもそのためですが、晴れた空が高くなってきました。秋の深まりと共に、自身も深まっていきましょう。
もっと高く何度でも
「落ちてきたら今度はもっと高くもっともっと高く何度でも打ち上げよう」これは『紙風船(※1)』という黒田三郎の詩です。
「紙風船」
落ちてきたら
今度は
もっと高く
もっともっと高く
何度でも打ち上げよう
美しい
願いごとのように
※1 詩集『もっと高く』1964年刊
誰もが一度は遊んだことのある紙風船。ゆっくりと落ちてくるところを見上げながら「今度は」と自分に言い聞かせ、「もっと高く」と想いを新たにすること。それが「美しい願いごと」だと言うのです。高く打ち上げようとして叩きすぎてしまうと、紙風船は凹んで空気が抜けてしまいます。しかし、丈夫なグラシン紙のおかげで破れてしまうことはめったにありません。凹んでしまったっていい。もう一度、息を吹き込んであげればいい。いつか願いがかなう時まで、何度でも何度でも繰り返せばいい…。
自身と世界を照らし出す心の火
私たちは、日々の生活を繰り返しながら、月々を廻(めぐ)り年を重ねていきます。その永続性に、かつて社会学者の宮台真司は『終わりなき日常を生きろ』と果てしなさに倦(う)む若者を挑発しました。しかし20代も後半になり青春時代が遠のいていった時、「十代はいつか終わる 生きていればすぐ終わる(※2)」という悔恨がやってきます。仕事に打ち込んだ30、40代も過ぎてみれば「光陰矢の如し」です。そして残された時間が気になり始めた頃、この両手が掴みとったものは一体何だったのかを考えるようになります。
私たち介護職員は知っています。人生も要介護の生活も「いつか終わる 生きていればすぐ終わる」ということを。それが自然の成り行きだということを。しかし、「すぐ終わる」からと言って、粗雑にはできません。すぐ終わるからこそ残された時間を少しでも明るいものにしていきたいのです。
古代インドでは、全ては「輪廻(りんね)」すると考えました。車輪のように廻り続けることが全ての基本構造であると捉えたのです。その車輪の一回転は、繰り返したとしても一つとして同じものはありません。そうであれば、繰り返しに倦むことなく願い続けることそれ自体が美しく崇高です。
もし真の「美しさ」というものがあるとするならば、落ちてきても凹んでしまっても何度も繰り返し立ち向かっていく心、その心を明るくする心の中の灯(ともしび)、その小さな燃えている火によって照らし出されていく自身と世界にこそあるのではないでしょうか。
「繰り返す過ちの そのたび人は ただ青い空の 青さを知る」これは覚和歌子が作詞した『いつも何度でも(※3)』の一節です。
※2 フラワーカンパニーズの『深夜高速』の歌詞の一節。作詞作曲、鈴木圭介2004年。歌詞中に「生きててよかった」を22回繰り返す。
※3 映画『千と千尋の神隠し』の主題歌2001年。この後に「果てしなく道は続いて見えるけれど この両手は光を抱ける」という歌詞が続く
2024年11月15日 2:58 PM | カテゴリー: 【紙ふうせんブログ】, 令和6年, 紙ふうせんだより
紙ふうせんだより 9月号 (2024/10/22)
夕暮れの物語り
皆様、いつもありがとうございます。ようやく過ごしやすくなってきましたね。とは言え油断は禁物です。急な涼しさに身体の準備が整わず、風邪をひくこともあるでしょう。夏の体力低下は食事と運動で補い、利用者さんとの関わりで心の活力を得ていきましょう。
秋は夕暮れ
秋の日はつるべ落としです。陽が傾くと昼間には霞んで見えなかった山々が、青紫色の影として西方のオレンジ色の空に浮かび上がります。空を渡る鳥が二羽三羽。帰って行くのはあの山の麓か西の彼方でしょうか。暗くなった庭影から虫の声が湧き上がってきます。私たちは、秋の夕暮れに懐かしさやもの悲しさ、愛おしさを感じます。それはなぜでしょう。
「秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の寝所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。まいて、雁などの連ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず」
これは清少納言(※1)の「枕草子」の一節です。一日の終わりの秋の夕暮れは、一年のみならず一生の終わりを予感させます。平安時代中期の貴族の平均寿命は40歳前後と言われています。ひとたび体調を崩せば死が目前に迫る時代です。この時代の貴族の信仰は浄土教にあり、辛い人の世にあって真の救いは西方極楽浄土にあると説かれていました。
無常である人の世から眺めた太陽は沈んだように見えても、真理の世界では太陽そのものは決して失われません。夕陽の輝きは感傷を誘います。人の命は急ぎ足で過ぎ去って有限ではあるけれど、西の空の果てに行くことができれば(※2)、永遠なるものに連なることができるかもしれない。寝床に急ぐ鳥の姿を見送りながら、深い安らぎへの希求や再生への願いを重ねたのです。
家に帰りたくなる「夕暮れ症候群」
夕方に「帰宅願望」が生じやすいことは、「夕暮れ症候群」などと呼ばれています。
「認知症の方の中には、日中は穏やかで話もよくわかるのに、夕暮れ時になると、落ち着かなくなったり、話が通じないような状態になる人があります。この状態を『夕暮れ症候群』といいます。原因は確定していませんが、一番大きな要因は1日の睡眠と覚醒のリズムがおかしくなって、夕方になると半分寝ているような起きているような状態になるからだといわれます。その他に、周囲の介護者が夕方になって疲れた顔をしているのをみて不安になるといった心理的な要因もあるようです。対応は以下のようなことを考えます。
-
・夕方、暗くなる前に早めに点灯する
-
・昼寝を制限する
-
・日中の日光浴をおこなう
その他に、介護者自身が、体調をととのえていつも明るく接していることができる状態であることも重要です。」
これは国立長寿医療研究センターによる解説です。対応を工夫することに異論はありません。ただし、「症状」という理解はすべきではないでしょう。これらは生理的にも長年の生活習慣としても、とても自然なことなのです。
※1 966年頃-1025年頃
※2 日が暮れた後に西方に高速で進むと暮れる前の昼の太陽が現れます。北緯35度(日本の京都付近)では、地球1周の長さは約32800kmであるため、時速13667km(マッハ1.1)で西に移動すればほぼ同じ位置の太陽を眺め続けることができます。
2024年10月22日 6:19 PM | カテゴリー: 【紙ふうせんブログ】, 令和6年, 紙ふうせんだより
紙ふうせんだより 8月号 (2024/09/18)
あの夏を忘れない
皆様、いつもありがとうございます。連日の猛暑にも負けずにヘルパーさんが利用者さんのもとに訪問するその姿は、利用者さんの心の中に前向きな気持ちを呼び起こし、励みとなっています。いつもありがとうございます。
忘れられない記憶
新聞を脇に置きながら利用者さんが「8月6日が過ぎましたね」と言われるので、「広島ですね。何か思い出はありますか?」と伺うと、利用者さんは「僕には忘れられない記憶があるんです」と言われます。その方の郷里は島根県で、中国山地を挟んだ反対側には広島県があります。「…8月6日には、『広島が大変なことになっているらしい』という話が伝わってきて、防空壕に皆で隠れていたんだ。大人達は食べ物を持ってきたりするために時々外に出たりするけれど、『子供達は隠れてなさい』と言われて、トイレの時以外は1週間くらい防空壕に隠れていたんだ…」
その日の午後6時のラジオ放送は「8月6日午前8時20分、B-29数機が広島に来襲、焼夷(しょうい)弾を投下したのち、逃走せり。被害状況は目下調査中…」と「原子爆弾(※1)」を伏せ事実を隠す内容でした。当時、日本政府は情報統制や検閲をしており、政府にとって都合の良いことしか国民に伝えない方針でした。そもそも「表現の自由」に大幅な制限のある明治憲法でしたが、1940年12月に内閣情報局が設置されると、自主取材による報道は政府発表のプロパガンダに置きかわっていきます。しかし、人の口に戸は立てられぬものです。
「そのうちに『広島に落とされたのは新型爆弾だったらしい』、『広島は全滅で大勢の人がやられたらしい』、ということが伝わってきて、防空壕の中で怖かったことを覚えている」と、その利用者さんは言われていました。緑豊かな山々の向こう側では多くの命が奪われているのです。しかし8日の新聞は曖昧で、「相當(そうとう)の被害を生じたり」「新型爆彈を使用せるものの如(ごと)きも詳細目下調査中」と、僅か2行の大本営発表のみを伝えています。
※1 日本も開発中だった。1945年8月6日の広島へのウラン型で約14万人、9日の長崎へのプルトニウム型で約7万4千人が45年末までに死亡したとされる。
死んでいたのは自分かもしれない
9日、原爆を搭載したB-29爆撃機は、福岡県の小倉上空に現れます。しかし、雲と煙で目標が定まらずB-29は長崎に移動し、午前11時2分に原爆を投下します。当時、小倉在住だった別の利用者さんは、この投下目標の変更について戦後知ることになり、「死んでいたのは自分だったかもしれない」という思いを強く持ったそうです。
なお、小倉上空の視界不良については前日の八幡大空襲の煙だと言われてきましたが、八幡製鉄の従業員が次に目標になるとしたら陸軍造兵廠のある小倉ではないか(※2)と予測して、敵機来襲の警報を聞いて用意していたコールタールに火をつけて煙幕を張ってから避難した、と近年証言しています。
他人の死と自分の死を分けるものは一体何でしょう。いずれにしても、一歩違っていれば自分も死んでいたであろうことは、この時代を生きた多くの方が感じていることなのです。
※2 米軍機は9日から10日朝に「即刻都市より退避せよ 日本国民に告ぐ!」との「原子爆弾」投下予告チラシを大阪、長崎、福岡、東京に投下。ただし、日本では敵国宣伝チラシの所持や内容の口外は固く禁じられていた。
2024年9月18日 9:19 AM | カテゴリー: 【紙ふうせんブログ】, 令和6年, 紙ふうせんだより
紙ふうせんだより 7月号 (2024/08/16)
境界線を越えて
皆様、いつもありがとうございます。熱中症にご注意下さい。水分とともに塩分やミネラルやビタミンの摂取にも気を配って下さい。落日にほっとしてしまう猛暑です。日が沈んでほの暗くなる頃には、銀河が頭上に横たわります。今では都市部では見ることができない天の川ですが、この霞んだ空を突き抜けたなら、そこに今でもあるのです。
荒海や佐渡に横たふ天河(あまのがわ)
これは、旧暦の七夕に近い頃(新暦の8月18日)の松尾芭蕉の句です。風がごうごうと吹きすさぶ荒波の立つ日にも、天の川は泰然と空に掛かっています。現世の無常や困難のその先に永遠の光彩を放つ銀河。この荒海を越えることができたならば、この悲しみもきっと癒えるでしょう。そんな夢想をしてしまうような星空がこの世界のどこかにあるのです。
想像の翼
もし、どこまでも飛んでいける翼があって、輝けるあの天の川を目指したとしましょう。空と宇宙に境界線はあるのでしょうか。雨が降り雲が流れる対流圏を越え、成層圏のジェット気流を突き抜けて羽ばたいた時、どこからが「宇宙」となるのでしょうか。
やがて、漆黒の海のような空間に数多の星が輝き、足元に青い惑星が見えるようになるでしょう。それでも私たちは明確な空と宇宙との境界線を見つけられないはずです。地上に立っていた時は大地と空が二分され、空に掛かる川は境界のように見えました。その川は、あちらの世界とこちらの世界を橋渡しするようにも、区切っているようにも見えます。しかし今、大地を離れた身となって虚空に浮かんでみると、不思議なことに一切の境界が見当たらないのです。
空と宇宙に境が無いように地球と宇宙に境は無く、地球は宇宙の一部であり、「私」も宇宙の一部なのです。満天の星に圧倒され私の身体が透けて消えて行くように感じます。漆黒の宇宙が潮のように身体を満たします。静まった心はどこまでいっても尽きない深淵のようです。静寂に叫びたくなります。「やまびこ」に返答を求める旅人のように、「誰かいませんか」と、その声を聞いてみたくなるのです。どこまでも続く星空と、ここに私が居ます。
2024年8月16日 4:19 PM | カテゴリー: 【紙ふうせんブログ】, 令和6年, 紙ふうせんだより
紙ふうせんだより 6月号 (2024/07/17)
身体が含み持つ「他者性」の大切さ
皆様、いつもありがとうございます。気象庁の発表によりますと、昨年の春から続いていたエルニーニョ現象が終息したとみられ、ラニーニャ現象が発生する可能性が高いとのことです。そうなると太平洋高気圧が優勢になるので猛暑になります。今の内から暑さに身体を慣らしておきながら、夏バテを感じたら十分な栄養補給と休息が必要です。また、多量の発汗によって水溶性のビタミン(B群やC)やミネラル(ナトリウムやカリウムなど)が失われると、身体ばかりではなく鬱やイライラなど心にも悪影響があると言われています。
この身体は誰のもの?
身体が極度に疲れると自分の身体ではないと感じてしまうことがあります。身体には、「自分のものでありながら、自分のものではない」という両義性があります。「この身体を取り替えたい」というようなことを述べる利用者さんは時々おられますが、元気な時には身体を平気で酷使しながら、身体に不調をきたしてしまうと自分の身体を嫌ってしまうのです。身体の視点からは酷い扱いです。
ここには、身体は自分の所有物であるから自分の好き勝手にして良いし、思い通りにならなかったら腹が立つ、というような「身体=私のもの」という観念があります。自己所有の観念は、所有者の「精神」が上で操作され使役される「身体」が下という支配関係となります。これが身体の軽視へとつながるのです。
この観念の傲慢さは、身体を「子供」に置き換えれば理解できるでしょう。虐待親は短絡的な自己所有の観念を「我が子」にまで延長し、子供を思い通りにしようとします。思慮の浅さを防ぐために昔の人は工夫をしてきました。ある利用者さんは「お前の持っているものは、本当はお前だけのものではない。皆ために使え」と親に教えられたと言っていました。
「頂いたもの」「預かったもの」という意識は大切です。人は、「他者」への責任を感じてこそ物事を尊重できるのです。
2024年7月17日 4:48 PM | カテゴリー: 【紙ふうせんブログ】, 令和6年, 紙ふうせんだより
紙ふうせんだより 5月号 (2024/06/25)
衝突矛盾のあるところに…
皆様、いつもありがとうございます。すがすがしい気候もやがて移ろいゆきます。食中毒に気を配るべき雨の季節がそろそろやってきます。
梅雨の別名に「五月雨」があります。なぜ五月かと言えば、旧暦の5月が新暦の6月から7月ころに該当するからです。従って、「五月晴れ」とは本来は梅雨の晴れ間を指す言葉でした。しかし、天気予報などの放送用語では、新暦の5月のさわやかな晴天を指して使われることもあります。なんだか矛盾していますね。
自分の中にある「矛盾」を認めること
「どんな盾も突き通す矛(ほこ)」と「どんな矛も防ぐ盾(たて)」を武器商人が売っていて驚いた。中国の故事(韓非子)に有名なこの「矛盾(むじゅん)」という言葉は、「二つ以上の事柄が一致しない状態、または、一つの事柄が自身の内部で一貫性を欠く状態を指す言葉」(実用日本語表現辞典)と解説されています。私たちが接する利用者さんも一方には是と言い他方には非とする矛盾した自己表現をされる方が多くいます。訪問しては振り回されて「困った方だ」と断じたくもなりますが、“断罪”は早計です。そもそも人間の存在は矛盾を内包しているものだからです。
生物は生存競争の過程で個体の死を獲得しましたが、個体の意識は死を拒みます。最大の矛盾は生死です。社会的な動物である人間は社会と個の関係が重要ですが、個の視点のみの利益追求が過剰になると個人が生きにくい社会となってしまいます。ミクロ視点での個々の合理性が全体となった時、マクロ的な観点からは非合理になっていることがあります。世界的な環境問題もその一つです。これは経済用語の「合成の誤謬(ごびゅう)」です。
矛盾の対立軸を個人の中にも見てみましょう。宿題をしなければ追い詰められることが解っているのにゲームが止められないという葛藤は、現在と未来の視点からの矛盾です。アイドルの“推し活”が冷めてしまった時など、アイテムを大量購入しため込んだ自分が馬鹿らしく感じます。かといって、捨ててしまうことは過去の自分を否定してしまうようで簡単にはできません。人間とは「今ここにいる自分」に限定されない、今の自分とは異なる視点を持つことができる存在なのです。位相(いそう)(※1)の異なる視点の同時所有、これが矛盾を感じさせる基本構造です。
※1 氷・水・水蒸気は位相の異なる同じ物質。自分の中に状況や場面関係性によって多様な自分が現れるとも言える
2024年6月25日 6:49 PM | カテゴリー: 【紙ふうせんブログ】, 令和6年, 紙ふうせんだより
紙ふうせんだより 4月号 (2024/05/27)
今日までの日は今日捨てて…
皆様、いつもありがとうございます。初々しい学生や新社会人が闊歩する季節になりました。新年度です、気持ちを新たに進んでいきましょう。
「批判」は悪い事?
新人教育の現場などでは、「最近の若者は批判を悪い事と思っているのか、批判する事ができないし批判される事にも弱い」などということが聞かれます。皆がそうなっているとしたら構造的な問題です。まことしやかに語られる原因は、「今の若者世代は同調圧力が強い」とのこと。本当なら「圧力」には上の世代が作り出した「空気」もあるでしょうから、責任はオジサンにもあります。
もっとも、柳田国男が古代オリエントの研究者のセイス教授から聞いた話として、エジプトの中期王朝の一書役の手録に「この頃の若い者は才智にまかせて、軽佻(けいちょう)の風を悦(よろこ)び、古人の質実剛健なる流儀を、ないがしろにするのは嘆(なげ)かわしいことだ云々(※1)」と記されているというので、四千年前も今と同じことを言っているのです。
オジサンの若者批判は、世代刷新と文化変容に伴うありがちな構図です。オジサンが「ステレオタイプ(※2)」の反応をしているとも言えます。私はここでオジサンのぼやきを批判していますが、これはオジサンの否定ではありません。「批判」とは問題の意味や所在を明らかにすることです。
※1柳田国男(1875-1962)「木綿以前の事」
※2社会心理学のステレオタイプとは多くの人に浸透している類型化された固定観念で印刷術の鉛の原版(ステロ版)が語源
※紙面研修は本月号はお休みです。
2024年5月27日 11:46 AM | カテゴリー: 【紙ふうせんブログ】, 令和6年, 紙ふうせんだより
紙ふうせんだより 3月号 (2024/04/23)
「他者」と出会うことの大切さ
皆様、いつもありがとうございます。北風と太陽の綱引きのような、寒いのか暖かいのか「どっちなんだい?」という日々が続きましたが、春も本番です。気持ちを新たにして、草木が葉を伸ばすように、私たちもまた降り注ぐ光を捉えて成長していきたいと思います。
そこにある「価値」を発見すること
利用者さんが、「いつもニコニコして朗らかだねぇ。会うと元気を貰えるよ」と言って下さいました。対して私は「ありがとうございます。私の方こそ元気を貰っていますよ」とお答えしています。またあるヘルパーさんは、常日頃から「仕事が楽しいです。楽しい上に給料を貰えるのだから、本当にいい仕事です」と言って下さっています。どちらも訪問介護の実践がポジティブな相互作用となっています。喜びなどが好循環して掛け算のように増えているのです。
好循環は入口を誤れば起きません。「お金の為に働くのだから、給与額以上に労働の価値は無い」とか「この人からは得るものは無い」などと、自分中心の狭い了見で価値や利益を決めつけてしまったら、ゼロの掛け算です。原点に立ちかえり、自分とは異なる「他者」との出会いを積極的に肯定しましょう。ひとり一人の存在には掛け替えの無い価値があります。これを「尊厳」と言います。それは、他からの認識や評価の優劣や判断の有無に関わらず、それそのもの自体の絶対的な価値としてそこに存在しているものなのです。
2024年4月23日 4:53 PM | カテゴリー: 【紙ふうせんブログ】, 令和6年, 紙ふうせんだより
紙ふうせんだより 2月号 (2024/03/19)
禍を転じて福となす
皆様、いつもありがとうございます。「立春」の前日、季節の分かれ目のこの日は「節分」です。変わり目に現れる邪気や疫鬼を払い、古い年を送りだして新たな年の春の陽気と吉福を内に迎えるこの行事の歴史は古く中国から伝来し、室町時代の記録(※1)には「散熬豆因唱鬼外福内」とあり、今と同様の掛け声をして、魔目(豆)を投げて「魔滅」を祈願していました。
「節分の夜、父が各部屋を回って、部屋の窓から外に向かって『鬼は外!』と豆をまいていた。そこかしこの家から掛け声が聞こえてきた…」、これは利用者さんの思い出です。
※1 相国寺の僧、瑞渓周鳳の文安4年12月22日(1449年1月16日)の日記
鬼は本当に「外」であるべきか
「鬼は外、福は内」の掛け声ですが、地域によっては「鬼も内」と言うところがあります。その由来は様々で、鬼を神や神の使いとして祀(まつ)っていたり、鬼が逃げないようにという配慮であったり、鬼の改心の可能性を考えたり、不動明王と鬼が重ね合わされるなどがあります。
これらは「鬼」の持っている多義性の表れと考えられます。福知山市の大原神社では、鬼(災厄)を神社の内に迎え入れるために「鬼は内」と呼びかけ、受容された鬼はお多福に変身(改心)し、「福は外」と言って恩返しに福を地域に送り出すそうです。
「鬼」という漢字は、元来「死体」を表す象形文字でした。中国では「鬼」は死者の姿形のない「霊魂そのもの」とされてきましたが、日本に伝わると姿形のない「恐るべきもの(※2)」の概念に「鬼」の漢字が当てられるようになったと考えられます。卑弥呼が用いたまじないは「鬼道」でしたし、万葉集や日本書紀では「鬼」を「カミ」と読む場合もありました。
日本では、「鬼」の言葉に様々な意味が重ねられるようになります。その本質は、病のいくつかは鬼によってもたらされる「鬼病」であると考えられたように、「鬼とは安定したこちらの世界を侵犯する異界の存在(※3)」としてイメージされてきました。日本各地で行われる「来訪神(※4)」の行事は、ナマハゲに代表される仮面を被った異形の存在が人々を怖がらせますが、人々のもてなしによって教訓や福を残して去っていきます。
※2 折口信夫
※3 岡部隆志
※4 10件の重要無形民俗文化財の地域行事がユネスコ世界遺産に登録されている。
2024年3月19日 4:38 PM | カテゴリー: 【紙ふうせんブログ】, 令和6年, 紙ふうせんだより
紙ふうせんだより 1月号 (2024/02/27)
竜を治める者
明けましておめでとうございます。お世話になっている皆様に感謝申し上げます。今年は辰年です。十二支の中で唯一伝説上の生きものです。時々、過去の干支の置物が飾ったままの利用者宅があります。その干支の頃までは自分でなんとかやって来られたと察するのですが、入れ替えを放擲(ほうてき)せざるを得ない「変化」がその年の間に生じてしまったのでしょう。
未知の物事を「恐れ敬う」こと
人は、現在の安寧(あんねい)を脅かす「変化」を恐れます。しかし万物は流転します。だから人は、変化という根源的な力の発現を敬いもします。恐れるか敬うかによって、導かれる意味は両義性を持ちます。
「老い」という変化を恐れるばかりでは、それを悪化や理不尽な痛みにしてしまうでしょう。一方で、先達に対するように自らの老いを敬えば、変化を好機として良いことも見出せるはずです。かといって、「恐れるに足りず」という態度では、慢心からフレイル(※1)や転倒骨折となりかねません。古(いにしえ)より人は、自らの手に余るものや人間の思惑によって制御できないものに対しては、「正しく恐れ敬う」ことを旨(むね)としてきました。
「老い」に直面した利用者さんは、必然的にそれぞれのやり方で老いを畏怖(いふ)するようになります。そのような時に、老いに慣れっこになっている支援者の態度が不遜(ふそん)なものとして目に映れば、ケアに拒否感を抱いてしまうことはあるでしょう。支援者がとるべき姿勢は、利用者さんと共に揺れる気持ちを共有しながら、適切に「恐れ敬う」ことを利用者さんに示していくことではないでしょうか。少しだけ「老い」について知っている私たちは、それを神聖なものに見立てて譬(たと)えるなら、利用者さんと老いの仲立ちをする「巫女(みこ)」のようなものと言えるかもしれません。
しかし、介護ニーズをネガティブ面からのみ捉えて(「老い」を恐れる家族と一緒になって)「対策」ばかりを考えていては、「不安」は決して解消されません。不安は「老いを適切に恐れ敬うこと」ができていない、その向き合い方の中から生じているからです。不安から逃げたい人に、魔法の薬を提供してみせるような「専門家」ぶった態度は、私たちを「毒薬を提供する魔女」に変えてしまうかもしれません。
※1 老年医学の概念で「虚弱」と訳される。心身が衰えた状態を指すが、適切な対応で回復する可能性を併せ持つ状態。要因に多面性があり、「心や認知機能」の虚弱、「身体」の虚弱、「社会性」の虚弱等などが相互作用して起こる。予防と早期対応が重要。
「神獣」であり「怪物」である根源的な存在の「竜」
竜もまた善悪理非(ぜんあくりひ)という両義性を持っています。古代メソポタミアの大河は、適度な氾濫なら肥沃な土地をもたらしましたが、ひとたび暴れれば人家を呑み込みます。河川の力や自然の脅威は竜の現れとされ、竜は大河を統べる王権の象徴にもなりました。しかしローマ皇帝がキリスト教を弾圧すると、竜はキリスト教から邪悪の化身とみなされるようになります。
一方、古代中国の漢の高祖劉邦(りゅうほう)には、雷と共に母親の上に竜が現れ懐妊したという出生伝説があり、日本書記では神話上の最初の天皇とされる神武の母親は海神(わだつみ)の娘であり竜の化身とされてきました。東洋では、王権と神威(しんい)が西洋のように分離されず近代文明に遅れた面もありますが、根源の多義性の表象としての「竜の両義性」は分離せず保たれていきます。
2024年2月27日 2:59 PM | カテゴリー: 【紙ふうせんブログ】, 令和6年, 紙ふうせんだより