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紙ふうせんだより
紙ふうせんだより 1月号 (2025/02/26)
ひとりひとりへの気持ちを乗せて
皆様、明けましておめでとうございます。正月にお仕事をしてくださった方、本当にありがとうございました。「株式会社いちしんウエルフェア」として出発して、本年がいよいよ本番の年となります。皆様のお力をお借りしたくお願いを申し上げます。本年もひとりひとりの利用者さんと向き合い、笑顔を交わしていきましょう。
「ひとりひとり」を忘れない
「ひとりひとり」という絵本があります。谷川俊太郎さん(※1)の四行連詩の一連ごとにいわさきちひろさん(※2)の美しい水彩画が彩ります。冒頭から第三連まで引用します。
ひとりひとり / 違う目と鼻と口をもち / ひとりひとり / 同じ青空を見上げる
ひとりひとり / 違う顔と名前をもち / ひとりひとり / 良く似たため息をつく
ひとりひとり / 違う小さな物語を生きて / ひとりひとり / 大きな物語に呑みこまれる
いわさきちひろさんは大正7年、谷川俊太郎さんは昭和6年生まれです。この時代の「大きな物語」は国家でした。国家は大東亜共栄圏や八紘一宇をスローガンに戦争に邁進していきます(※3)。当時ほどの重圧はありませんが、現代にも大きな物語はあります。会社をイメージする人もいるでしょう。仕事をしていなくても人は文化や社会から様々な規制を受けていきます。
私たち個人は、それらの枠組みに呑み込まれていきます。要介護高齢者は制度や事業所の在り方に生活が左右されます。その枠組みの在り方や雰囲気を決める力を持つ人は、ひとりひとりの物語を改変する力を持ち得ます 。そのような私たちだからこそ、そこにいるひとりひとりの存在とその揺れ動く心を大切にしていかなければなりません。
※1(1931-2024)1952年の「二十億光年の孤独」が第一詩集。以来詩作を中心に評論や脚本や翻訳なども行う。レオ・レオ二の絵本「スイミー」や漫画「ピーナッツ」は谷川の翻訳
※2(1918-1974)子どもの幸せと平和を生涯のテーマとした画家、絵本作家
※3 国民学校(小学校)では教育勅語が朗読され「一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ」は国に命を捧げることとされていた。
人に成るということ
社会は、時にひとりひとりの物語に区切りをつける強制力を持ちます。民法改正により昨年から成人年齢が18歳となりました。成人式を迎えたら大人の自覚に立つことが個人の事情に関係なく求められます。谷川さんの詩に「成人の日に」というものがあります。
成人とは人に成ること もしそうなら / 私たちはみな日々成人の日を生きている / 完全な人間はどこにもいない / 人間は何かを知りつくしているものもいない / だからみな問いかけるのだ / 人間とはいったい何かを / そしてみな答えているのだ その問いに / 毎日のささやかな行動で
異なるひとりひとりが共に暮す世の中だからこそ、私たちは日々のささやかな行動の中に、人は人とどう関わるべきか、社会の枠組みとひとりひとりの関係はどうあるべきか、という答えを示していかなければなりません。
子供は共同体に依って生存が支えられ育まれていきます。大人はその共同体がひとりひとりに対して優しいものとなるように共同体を支え、社会がその機能を発揮して多くの人の生存を支えられるように組み直していかなければなりません。それが、人が人に成っていくための基盤であり日々の務めなのです。
2025年2月26日 5:48 PM | カテゴリー: 【紙ふうせんブログ】, 令和7年, 紙ふうせんだより
紙ふうせんだより 12月分 (2025/02/10)
せわしなさを越えて
師走ですから忙(せわ)しないと思います。事故等にはお気を付け下さい。まずは皆様に御礼申し上げます。皆様の頑張りによって笑顔の利用者さんが増えたと信じております。本年はどうもありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いします。
タイパ志向の弊害
近頃は老いも若きも忙しくしています。時代がそうさせるのでしょう。最近は「タイパ(※1)」と称して無駄な時間を嫌う若者もいます。寸暇を惜しんでトイレの中も電車の中もスマホに釘付けになって情報の消費に追われながら、次から次へと画面をスワイプします。2時間の映画は長すぎるので倍速再生をします。逡巡する間合いや息を呑むような沈黙は、早送りでスルーされます。
登場人物の息づかいを賞味しながら自らを鑑みるという「鑑賞」ではなく、あらすじさえ把握出来れば良いという考えです。時間節約志向によって何にでも「速さ」を求めてしまうようになると、「熟慮」はどうしても疎(おろそ)かになってしまいます。
※1 タイム・パフォーマンスの略。費用対効果を指すコスト・パフォーマンス(コスパ)をもじってできた造語。
考えないで「判断」してしまう
前提条件が1つ2つしかない問題と10も20もある問題は、条件が少ない方が「判断」が速く済みます。条件が多ければ優先度や重みを考量する必要があるからです。では、ある問題を構成する要因として視野に入っているものが1つ2つなのと、10も20も見えている場合、どちらがより適正に判断ができるでしょう。多い方が適正に近づくはずです。つまり、考えるということは、拙速(せっそく)に判断したい欲求(考えたくない欲求)を抑えて視野を広げて、更に考えを深掘りするというところに意味があります。「考えること」と「判断すること」は逆のベクトルを持つのです。
しかし、判断したことを持って「考えた」と主張する「取り違えている人」がいます。人は、時間をかけたくないと思うと、考慮すべきめんどうくさい要素を無意識的に無視します。速さではそれが合理的だからです。そして、無視する要素は自分の思惑に沿わないものなので、気が付かずに判断は自分の願望に引きずられます(※2)。こうやって失敗は構造的に繰り返されます。これは「考えなかった」結果なのです。
※2自分の先入観や思惑を補強できるような都合のよい情報ばかりを見てしまう心理傾向は誰でも持っており、確証バイアスと言う。
2025年2月10日 5:24 PM | カテゴリー: 【紙ふうせんブログ】, 令和6年, 紙ふうせんだより
紙ふうせんだより 11月号 (2025/01/15)
「学ぶということ」は何かが変わること
皆様、いつもありがとうございます。今年も残すところあと僅かとなりました。やり残した事、やろうと思ってそのままになっている事、沢山あると思います。やりたい事が多いほど全部をやるのは難しいかもしれません。しかしそれでも良いのです。大切なことは形式的な達成よりも、様々な過程で学びを得て深めていくことです。学びにゴールはありません。
自分が変わったことで、利用者さんも変わる
11月11日は「介護の日」(※1)です。東京都では、11月を「福祉人材集中PR月間」として福祉の仕事の魅力の発信に取り組んでいて、「#なにゆえ私が介護職?」とハッシュタグをつけた投稿キャンペーン(InstagramやX)も行っています。そのPRサイトにインタビュー記事があったので、それぞれの福祉職が一歩深まる転機となった部分を引用します。
※1 介護について理解と認識を深め、介護従事者、介護サービス利用者及び介護家族を支援するとともに、利用者、家族、介護従事者、それらを取り巻く地域社会における支え合いや交流を促進する観点から、高齢者や障害者等に対する介護に関し、国民への啓発を重点的に実施するための日。2008年厚労省制定。
(訪問介護・障害児童対応)「最初から『それはできない』と否定して全て介助するのではなく、どうしたらできるのか一緒に考えて工夫した結果、少しの介助で、お味噌汁を飲むことができました。その子は『自分で食べると本当においしい!』と今までに見たことがない笑顔を見せてくれたんです。」
(有料老人ホーム)「仕事を続けていて思うのは、もちろん自分の心意気は大切だけれど、介護の仕事は利用者からもらうもののほうが多いということ。一人で悩んでいると『元気ないね、どうしたの?下向いてたら幸せ逃げちゃうよ』と声をかけてもらったり、昔話を一緒にして笑ったり、私が経験したことのない話を聞いて勉強になったり。人生の大先輩たちだからこそ、話と言葉がすとんと胸に落ちてくる。」
(障害者グループホーム)「『不安』から『楽しい』への気持ちの変化は、自然とご利用者様にも伝わったようで、その辺りから今まで以上にご利用者様との距離も近づき、仲良くコミュニケーションをとれるようになったと思います。」
これらの引用にあるような経験は、皆さんもしてきていることと思います。私たちはそこで何かを学び、その学びによって意欲を高め、自分を一歩前進させてきたのです。学ぶということの本質はどのようなことなのでしょうか。
最初のエピソードでは、自分の先入観で“できない”としてしまったのを改めて、本人の“したい”に向き合うように変わりました。次のエピソードでは “してもらう” ことが多いとの気付きがあり、一方通行の“してあげる”から元気が循環する心の交流へと変わっています。最後のエピソードでは、自分が変わったことで、利用者さんも変わるという発見がありました。
全てに共通しているのは「自分が変わる」ということであり、それによって相手との関係が変わり、好循環を発見した時に「これで良かった」という確証が持てて一歩前に進んでいます。正しい知識や新しい考え方を研修などで得ることはきっかけに過ぎません。きっかけを得て、自分の認識や態度や行動を変えてみる試行錯誤を始めてみることによって、本当の「学び」が始まるのです。
2025年1月15日 6:48 PM | カテゴリー: 【紙ふうせんブログ】, 令和6年
紙ふうせんだより 10月号 (2024/11/15)
何度でも繰り返そう
皆様、いつもありがとうございます。年々、雲の多い日が増えてきました。温暖化の進行により空気中に含まれる水分量が増えてきたからでしょう。空が霞むのもそのためですが、晴れた空が高くなってきました。秋の深まりと共に、自身も深まっていきましょう。
もっと高く何度でも
「落ちてきたら今度はもっと高くもっともっと高く何度でも打ち上げよう」これは『紙風船(※1)』という黒田三郎の詩です。
「紙風船」
落ちてきたら
今度は
もっと高く
もっともっと高く
何度でも打ち上げよう
美しい
願いごとのように
※1 詩集『もっと高く』1964年刊
誰もが一度は遊んだことのある紙風船。ゆっくりと落ちてくるところを見上げながら「今度は」と自分に言い聞かせ、「もっと高く」と想いを新たにすること。それが「美しい願いごと」だと言うのです。高く打ち上げようとして叩きすぎてしまうと、紙風船は凹んで空気が抜けてしまいます。しかし、丈夫なグラシン紙のおかげで破れてしまうことはめったにありません。凹んでしまったっていい。もう一度、息を吹き込んであげればいい。いつか願いがかなう時まで、何度でも何度でも繰り返せばいい…。
自身と世界を照らし出す心の火
私たちは、日々の生活を繰り返しながら、月々を廻(めぐ)り年を重ねていきます。その永続性に、かつて社会学者の宮台真司は『終わりなき日常を生きろ』と果てしなさに倦(う)む若者を挑発しました。しかし20代も後半になり青春時代が遠のいていった時、「十代はいつか終わる 生きていればすぐ終わる(※2)」という悔恨がやってきます。仕事に打ち込んだ30、40代も過ぎてみれば「光陰矢の如し」です。そして残された時間が気になり始めた頃、この両手が掴みとったものは一体何だったのかを考えるようになります。
私たち介護職員は知っています。人生も要介護の生活も「いつか終わる 生きていればすぐ終わる」ということを。それが自然の成り行きだということを。しかし、「すぐ終わる」からと言って、粗雑にはできません。すぐ終わるからこそ残された時間を少しでも明るいものにしていきたいのです。
古代インドでは、全ては「輪廻(りんね)」すると考えました。車輪のように廻り続けることが全ての基本構造であると捉えたのです。その車輪の一回転は、繰り返したとしても一つとして同じものはありません。そうであれば、繰り返しに倦むことなく願い続けることそれ自体が美しく崇高です。
もし真の「美しさ」というものがあるとするならば、落ちてきても凹んでしまっても何度も繰り返し立ち向かっていく心、その心を明るくする心の中の灯(ともしび)、その小さな燃えている火によって照らし出されていく自身と世界にこそあるのではないでしょうか。
「繰り返す過ちの そのたび人は ただ青い空の 青さを知る」これは覚和歌子が作詞した『いつも何度でも(※3)』の一節です。
※2 フラワーカンパニーズの『深夜高速』の歌詞の一節。作詞作曲、鈴木圭介2004年。歌詞中に「生きててよかった」を22回繰り返す。
※3 映画『千と千尋の神隠し』の主題歌2001年。この後に「果てしなく道は続いて見えるけれど この両手は光を抱ける」という歌詞が続く
2024年11月15日 2:58 PM | カテゴリー: 【紙ふうせんブログ】, 令和6年, 紙ふうせんだより
紙ふうせんだより 9月号 (2024/10/22)
夕暮れの物語り
皆様、いつもありがとうございます。ようやく過ごしやすくなってきましたね。とは言え油断は禁物です。急な涼しさに身体の準備が整わず、風邪をひくこともあるでしょう。夏の体力低下は食事と運動で補い、利用者さんとの関わりで心の活力を得ていきましょう。
秋は夕暮れ
秋の日はつるべ落としです。陽が傾くと昼間には霞んで見えなかった山々が、青紫色の影として西方のオレンジ色の空に浮かび上がります。空を渡る鳥が二羽三羽。帰って行くのはあの山の麓か西の彼方でしょうか。暗くなった庭影から虫の声が湧き上がってきます。私たちは、秋の夕暮れに懐かしさやもの悲しさ、愛おしさを感じます。それはなぜでしょう。
「秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の寝所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。まいて、雁などの連ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず」
これは清少納言(※1)の「枕草子」の一節です。一日の終わりの秋の夕暮れは、一年のみならず一生の終わりを予感させます。平安時代中期の貴族の平均寿命は40歳前後と言われています。ひとたび体調を崩せば死が目前に迫る時代です。この時代の貴族の信仰は浄土教にあり、辛い人の世にあって真の救いは西方極楽浄土にあると説かれていました。
無常である人の世から眺めた太陽は沈んだように見えても、真理の世界では太陽そのものは決して失われません。夕陽の輝きは感傷を誘います。人の命は急ぎ足で過ぎ去って有限ではあるけれど、西の空の果てに行くことができれば(※2)、永遠なるものに連なることができるかもしれない。寝床に急ぐ鳥の姿を見送りながら、深い安らぎへの希求や再生への願いを重ねたのです。
家に帰りたくなる「夕暮れ症候群」
夕方に「帰宅願望」が生じやすいことは、「夕暮れ症候群」などと呼ばれています。
「認知症の方の中には、日中は穏やかで話もよくわかるのに、夕暮れ時になると、落ち着かなくなったり、話が通じないような状態になる人があります。この状態を『夕暮れ症候群』といいます。原因は確定していませんが、一番大きな要因は1日の睡眠と覚醒のリズムがおかしくなって、夕方になると半分寝ているような起きているような状態になるからだといわれます。その他に、周囲の介護者が夕方になって疲れた顔をしているのをみて不安になるといった心理的な要因もあるようです。対応は以下のようなことを考えます。
-
・夕方、暗くなる前に早めに点灯する
-
・昼寝を制限する
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・日中の日光浴をおこなう
その他に、介護者自身が、体調をととのえていつも明るく接していることができる状態であることも重要です。」
これは国立長寿医療研究センターによる解説です。対応を工夫することに異論はありません。ただし、「症状」という理解はすべきではないでしょう。これらは生理的にも長年の生活習慣としても、とても自然なことなのです。
※1 966年頃-1025年頃
※2 日が暮れた後に西方に高速で進むと暮れる前の昼の太陽が現れます。北緯35度(日本の京都付近)では、地球1周の長さは約32800kmであるため、時速13667km(マッハ1.1)で西に移動すればほぼ同じ位置の太陽を眺め続けることができます。
2024年10月22日 6:19 PM | カテゴリー: 【紙ふうせんブログ】, 令和6年, 紙ふうせんだより
紙ふうせんだより 8月号 (2024/09/18)
あの夏を忘れない
皆様、いつもありがとうございます。連日の猛暑にも負けずにヘルパーさんが利用者さんのもとに訪問するその姿は、利用者さんの心の中に前向きな気持ちを呼び起こし、励みとなっています。いつもありがとうございます。
忘れられない記憶
新聞を脇に置きながら利用者さんが「8月6日が過ぎましたね」と言われるので、「広島ですね。何か思い出はありますか?」と伺うと、利用者さんは「僕には忘れられない記憶があるんです」と言われます。その方の郷里は島根県で、中国山地を挟んだ反対側には広島県があります。「…8月6日には、『広島が大変なことになっているらしい』という話が伝わってきて、防空壕に皆で隠れていたんだ。大人達は食べ物を持ってきたりするために時々外に出たりするけれど、『子供達は隠れてなさい』と言われて、トイレの時以外は1週間くらい防空壕に隠れていたんだ…」
その日の午後6時のラジオ放送は「8月6日午前8時20分、B-29数機が広島に来襲、焼夷(しょうい)弾を投下したのち、逃走せり。被害状況は目下調査中…」と「原子爆弾(※1)」を伏せ事実を隠す内容でした。当時、日本政府は情報統制や検閲をしており、政府にとって都合の良いことしか国民に伝えない方針でした。そもそも「表現の自由」に大幅な制限のある明治憲法でしたが、1940年12月に内閣情報局が設置されると、自主取材による報道は政府発表のプロパガンダに置きかわっていきます。しかし、人の口に戸は立てられぬものです。
「そのうちに『広島に落とされたのは新型爆弾だったらしい』、『広島は全滅で大勢の人がやられたらしい』、ということが伝わってきて、防空壕の中で怖かったことを覚えている」と、その利用者さんは言われていました。緑豊かな山々の向こう側では多くの命が奪われているのです。しかし8日の新聞は曖昧で、「相當(そうとう)の被害を生じたり」「新型爆彈を使用せるものの如(ごと)きも詳細目下調査中」と、僅か2行の大本営発表のみを伝えています。
※1 日本も開発中だった。1945年8月6日の広島へのウラン型で約14万人、9日の長崎へのプルトニウム型で約7万4千人が45年末までに死亡したとされる。
死んでいたのは自分かもしれない
9日、原爆を搭載したB-29爆撃機は、福岡県の小倉上空に現れます。しかし、雲と煙で目標が定まらずB-29は長崎に移動し、午前11時2分に原爆を投下します。当時、小倉在住だった別の利用者さんは、この投下目標の変更について戦後知ることになり、「死んでいたのは自分だったかもしれない」という思いを強く持ったそうです。
なお、小倉上空の視界不良については前日の八幡大空襲の煙だと言われてきましたが、八幡製鉄の従業員が次に目標になるとしたら陸軍造兵廠のある小倉ではないか(※2)と予測して、敵機来襲の警報を聞いて用意していたコールタールに火をつけて煙幕を張ってから避難した、と近年証言しています。
他人の死と自分の死を分けるものは一体何でしょう。いずれにしても、一歩違っていれば自分も死んでいたであろうことは、この時代を生きた多くの方が感じていることなのです。
※2 米軍機は9日から10日朝に「即刻都市より退避せよ 日本国民に告ぐ!」との「原子爆弾」投下予告チラシを大阪、長崎、福岡、東京に投下。ただし、日本では敵国宣伝チラシの所持や内容の口外は固く禁じられていた。
2024年9月18日 9:19 AM | カテゴリー: 【紙ふうせんブログ】, 令和6年, 紙ふうせんだより
紙ふうせんだより 7月号 (2024/08/16)
境界線を越えて
皆様、いつもありがとうございます。熱中症にご注意下さい。水分とともに塩分やミネラルやビタミンの摂取にも気を配って下さい。落日にほっとしてしまう猛暑です。日が沈んでほの暗くなる頃には、銀河が頭上に横たわります。今では都市部では見ることができない天の川ですが、この霞んだ空を突き抜けたなら、そこに今でもあるのです。
荒海や佐渡に横たふ天河(あまのがわ)
これは、旧暦の七夕に近い頃(新暦の8月18日)の松尾芭蕉の句です。風がごうごうと吹きすさぶ荒波の立つ日にも、天の川は泰然と空に掛かっています。現世の無常や困難のその先に永遠の光彩を放つ銀河。この荒海を越えることができたならば、この悲しみもきっと癒えるでしょう。そんな夢想をしてしまうような星空がこの世界のどこかにあるのです。
想像の翼
もし、どこまでも飛んでいける翼があって、輝けるあの天の川を目指したとしましょう。空と宇宙に境界線はあるのでしょうか。雨が降り雲が流れる対流圏を越え、成層圏のジェット気流を突き抜けて羽ばたいた時、どこからが「宇宙」となるのでしょうか。
やがて、漆黒の海のような空間に数多の星が輝き、足元に青い惑星が見えるようになるでしょう。それでも私たちは明確な空と宇宙との境界線を見つけられないはずです。地上に立っていた時は大地と空が二分され、空に掛かる川は境界のように見えました。その川は、あちらの世界とこちらの世界を橋渡しするようにも、区切っているようにも見えます。しかし今、大地を離れた身となって虚空に浮かんでみると、不思議なことに一切の境界が見当たらないのです。
空と宇宙に境が無いように地球と宇宙に境は無く、地球は宇宙の一部であり、「私」も宇宙の一部なのです。満天の星に圧倒され私の身体が透けて消えて行くように感じます。漆黒の宇宙が潮のように身体を満たします。静まった心はどこまでいっても尽きない深淵のようです。静寂に叫びたくなります。「やまびこ」に返答を求める旅人のように、「誰かいませんか」と、その声を聞いてみたくなるのです。どこまでも続く星空と、ここに私が居ます。
2024年8月16日 4:19 PM | カテゴリー: 【紙ふうせんブログ】, 令和6年, 紙ふうせんだより
紙ふうせんだより 6月号 (2024/07/17)
身体が含み持つ「他者性」の大切さ
皆様、いつもありがとうございます。気象庁の発表によりますと、昨年の春から続いていたエルニーニョ現象が終息したとみられ、ラニーニャ現象が発生する可能性が高いとのことです。そうなると太平洋高気圧が優勢になるので猛暑になります。今の内から暑さに身体を慣らしておきながら、夏バテを感じたら十分な栄養補給と休息が必要です。また、多量の発汗によって水溶性のビタミン(B群やC)やミネラル(ナトリウムやカリウムなど)が失われると、身体ばかりではなく鬱やイライラなど心にも悪影響があると言われています。
この身体は誰のもの?
身体が極度に疲れると自分の身体ではないと感じてしまうことがあります。身体には、「自分のものでありながら、自分のものではない」という両義性があります。「この身体を取り替えたい」というようなことを述べる利用者さんは時々おられますが、元気な時には身体を平気で酷使しながら、身体に不調をきたしてしまうと自分の身体を嫌ってしまうのです。身体の視点からは酷い扱いです。
ここには、身体は自分の所有物であるから自分の好き勝手にして良いし、思い通りにならなかったら腹が立つ、というような「身体=私のもの」という観念があります。自己所有の観念は、所有者の「精神」が上で操作され使役される「身体」が下という支配関係となります。これが身体の軽視へとつながるのです。
この観念の傲慢さは、身体を「子供」に置き換えれば理解できるでしょう。虐待親は短絡的な自己所有の観念を「我が子」にまで延長し、子供を思い通りにしようとします。思慮の浅さを防ぐために昔の人は工夫をしてきました。ある利用者さんは「お前の持っているものは、本当はお前だけのものではない。皆ために使え」と親に教えられたと言っていました。
「頂いたもの」「預かったもの」という意識は大切です。人は、「他者」への責任を感じてこそ物事を尊重できるのです。
2024年7月17日 4:48 PM | カテゴリー: 【紙ふうせんブログ】, 令和6年, 紙ふうせんだより
紙ふうせんだより 5月号 (2024/06/25)
衝突矛盾のあるところに…
皆様、いつもありがとうございます。すがすがしい気候もやがて移ろいゆきます。食中毒に気を配るべき雨の季節がそろそろやってきます。
梅雨の別名に「五月雨」があります。なぜ五月かと言えば、旧暦の5月が新暦の6月から7月ころに該当するからです。従って、「五月晴れ」とは本来は梅雨の晴れ間を指す言葉でした。しかし、天気予報などの放送用語では、新暦の5月のさわやかな晴天を指して使われることもあります。なんだか矛盾していますね。
自分の中にある「矛盾」を認めること
「どんな盾も突き通す矛(ほこ)」と「どんな矛も防ぐ盾(たて)」を武器商人が売っていて驚いた。中国の故事(韓非子)に有名なこの「矛盾(むじゅん)」という言葉は、「二つ以上の事柄が一致しない状態、または、一つの事柄が自身の内部で一貫性を欠く状態を指す言葉」(実用日本語表現辞典)と解説されています。私たちが接する利用者さんも一方には是と言い他方には非とする矛盾した自己表現をされる方が多くいます。訪問しては振り回されて「困った方だ」と断じたくもなりますが、“断罪”は早計です。そもそも人間の存在は矛盾を内包しているものだからです。
生物は生存競争の過程で個体の死を獲得しましたが、個体の意識は死を拒みます。最大の矛盾は生死です。社会的な動物である人間は社会と個の関係が重要ですが、個の視点のみの利益追求が過剰になると個人が生きにくい社会となってしまいます。ミクロ視点での個々の合理性が全体となった時、マクロ的な観点からは非合理になっていることがあります。世界的な環境問題もその一つです。これは経済用語の「合成の誤謬(ごびゅう)」です。
矛盾の対立軸を個人の中にも見てみましょう。宿題をしなければ追い詰められることが解っているのにゲームが止められないという葛藤は、現在と未来の視点からの矛盾です。アイドルの“推し活”が冷めてしまった時など、アイテムを大量購入しため込んだ自分が馬鹿らしく感じます。かといって、捨ててしまうことは過去の自分を否定してしまうようで簡単にはできません。人間とは「今ここにいる自分」に限定されない、今の自分とは異なる視点を持つことができる存在なのです。位相(いそう)(※1)の異なる視点の同時所有、これが矛盾を感じさせる基本構造です。
※1 氷・水・水蒸気は位相の異なる同じ物質。自分の中に状況や場面関係性によって多様な自分が現れるとも言える
2024年6月25日 6:49 PM | カテゴリー: 【紙ふうせんブログ】, 令和6年, 紙ふうせんだより
紙ふうせんだより 4月号 (2024/05/27)
今日までの日は今日捨てて…
皆様、いつもありがとうございます。初々しい学生や新社会人が闊歩する季節になりました。新年度です、気持ちを新たに進んでいきましょう。
「批判」は悪い事?
新人教育の現場などでは、「最近の若者は批判を悪い事と思っているのか、批判する事ができないし批判される事にも弱い」などということが聞かれます。皆がそうなっているとしたら構造的な問題です。まことしやかに語られる原因は、「今の若者世代は同調圧力が強い」とのこと。本当なら「圧力」には上の世代が作り出した「空気」もあるでしょうから、責任はオジサンにもあります。
もっとも、柳田国男が古代オリエントの研究者のセイス教授から聞いた話として、エジプトの中期王朝の一書役の手録に「この頃の若い者は才智にまかせて、軽佻(けいちょう)の風を悦(よろこ)び、古人の質実剛健なる流儀を、ないがしろにするのは嘆(なげ)かわしいことだ云々(※1)」と記されているというので、四千年前も今と同じことを言っているのです。
オジサンの若者批判は、世代刷新と文化変容に伴うありがちな構図です。オジサンが「ステレオタイプ(※2)」の反応をしているとも言えます。私はここでオジサンのぼやきを批判していますが、これはオジサンの否定ではありません。「批判」とは問題の意味や所在を明らかにすることです。
※1柳田国男(1875-1962)「木綿以前の事」
※2社会心理学のステレオタイプとは多くの人に浸透している類型化された固定観念で印刷術の鉛の原版(ステロ版)が語源
※紙面研修は本月号はお休みです。
2024年5月27日 11:46 AM | カテゴリー: 【紙ふうせんブログ】, 令和6年, 紙ふうせんだより
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