【紙ふうせんブログ】
  1. HOME
  2. 【紙ふうせんブログ】
  3. 紙ふうせんだより

紙ふうせんだより

従業員対談企画(3月号) (2025/04/22)

訪問介護で人間力が上がった?

訪問介護の実態は――(2)

佐々木 ところで堤さんの考える「人間力」ってなにかな?

 …そうズバリ聞かれると難しいですね。上がった感じがすると言うか…。

佐々木 手ごたえがあったわけでしょ?どんな感じだったの?

 そうですね。認知症の方と接して、最初は理解できなくて黙るしか出来なかったんですけど、自分なりに行ったのが、「とにかく話を聞いてみる」ということだったんですよね。
 その方は何度も同じ話を繰り返すし支離滅裂な事を言う時もあるんですが、話を聞く態度を維持して、「そうなんですね、大変でしたね。ですよね、わかります。頑張ったんですね。」と、最後はポジティブな言葉を選んで締めくくるようにしたんですよ。
 そうしたら、段々と打ち解けるようになった気がします。まぁ相変わらず名前は、覚えてもらえませんが、「水曜日に来るお姉さん」まで認識してもらえるようになりました。

佐々木 凄いじゃない。それが「相手の世界に入る」ということなんだよ。要介護ともなれば生活も大変だよ。あそこもここも痛いし、何をやるにも時間はかかるし、「あれ、何をしようとしてたんだっけ?」ともなる。頑張ってない人なんていないんだ。その辛さや頑張りに共感をまず示すこと。それが「相手の世界に入ること」なんだよね。
堤さんは、相手の意味不明な言葉の中にも、伝えたいこととして「自分は頑張っている」という気持ちがあることに気が付いたんだよね?


 そう言われれば、そうだと思います。「あんた、何しに来たの?」っていう態度を取られたとき、「ヘルパーさんを要らない」って言ってるのかな?って思って、相手の希望に反してまで自分が前に出ていくことにためらいがあって、私、黙ってしまったんです。でも、話を聞いていくうちにこの人は、本当は「私、独りで頑張ってるの!」って言いたいのかな?って感じたんですよね。

佐々木 いいねぇ!良かったよ。堤さんが、変に“ベテラン”だったら、「介護拒否の認知症」と表面的に決めつけて理解の努力が止まってしまい、その先は進展しなかったかもしれないよ。でも、堤さんが開かれた態度だったから「この人は、私を受け入れてくれた!」ってなったと思う。だからその人は、自分の世界の中に「水曜日のお姉さん」として入れてくれたんだよ。他にも何か苦労はあるかな?

 そうですね。ベットで寝たきりの方のおむつ交換は難しかったですね。指示が通らないし、少し腰をあげるだけでいいのに伝わらない。重くて持ち上げられない、といったことがありました。

佐々木 そう、その「指示を通そう」というところが自分中心のペースだよね。「持ち上げる」というのも一方的な動作で、俺だって上がらないよ。相手だって自分で動いた方が痛くないしね。だから、相手の動こうという気持ちを確認して、そのタイミングに合わせて「動作を支える」というのが正しいんだよ。

 はい。優しくお声かけて、向いて欲しい方向をわかるように示して、ゆっくりとしたその動作に合わせるようにしたことで、排泄介助も出来るようになりました。しかし、そうしていると、次に、間に合わない!ってなってしまうのが課題ですね。また、閉じる前に出ちゃう方もいるし…。

佐々木 いいんだよ。最初はゆっくりでいいし遅れたっていい。二人の呼吸があってきたら、必要があれば阿吽の呼吸で多少速くできるしね。閉じる前に出ちゃうのは小かな? 寝たきり歴にもよるけど膀胱の筋肉が緩んでいると、いつも出し切れずに溜まっていることはよくある。介助に入る前に端坐位とって腹圧かけて出してから介助するとか工夫がいるよね。本当は可能な限りPトイレを導入して移乗させて自立排泄を促すことが自立支援。

佐々木 俺はね、自分の訪問時に便が出ることが嬉しいんだ。寝たきりだと便秘になる方が多くて、なんとか自力排便して欲しいんだよね。だから出ると嬉しくなって「今日は宝くじ買いに行きます!」とか言ってると、当たりを本当によく引くようになる。この方もPトイレを入れて貰ったんだけどね。相手もこっちを見て「合わせてくる」ことを忘れちゃいけない。

 最近感じている事ですが、認知症や精神的な問題を持っている方などはコミュニケーションが大変ですが、同じ人間であるので、こちらが工夫や努力をしてそれが相手に伝われば、少しずつでも分かり合える瞬間があると言うこと、分かり合えた時の嬉しい瞬間があると言うことを感じていますね。

佐々木 うん。大切なのは相手も自分を解って貰うための何かをしているんだよね。それは自分のプライドを守るためのひねくれ言葉や嫌味になる時もあるけど、自分を解ってもらいたいのは誰でも同じなんだ。

 ですよね。同じ人間ですもんね~

佐々木 それ! それを本当に知ることが「人間力」なんだよ!




★★人物紹介★★ 

■佐々木伸孝:統括本部副部長 「いちしんウエルフェアだより」執筆

■堤真理:R4.3(時の生産物)入社。前職は事務で介護未経験。R6.7訪問介護ステーションNIWAに異動。

 
 


紙ふうせんだより 3月号 (2025/04/15)

ひさかたの光より眺む

 皆様、いつも有難うございます! 桜の花が綺麗ですね!

 桜の花を見て皆様はどんな印象を持ちますか? 卒業や入学式からくる新たな出発のイメージや、春爛漫のあふれる生命力を感じたり、さまざまな受け止め方があると思います。日本人の好きな桜は、時代や世代によって感じ方が違うのです。

ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花ぞ散るらむ  紀友則(※1)

 この和歌は、こんなのどかな日に、桜の花がせわしなく(静(しづ)心なく)散っていくのを見て、すべてのものは変化していくという無常感を読んだものです。

 この和歌を、戦時中の軍国教育(※2)を受けた方はまた違う受け止め方をします。たとえばこんな感じに。
「私の心は、さまざまな思いから波風が立ってはいるが、私はこののどかな日に、潔く花と散っていこう」
花と散るとは勇ましく戦死をすることでした。


 もし、戦時中の戦争指導者が、日本古来の無常感(※3)、たとえば平家物語の「祗園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常(しょぎょうむじょう)の響きあり。娑羅双樹(さらそうじゅ)の花の色、盛者必衰(しょうじゃひっすい)の理をあらはす。おごれる人も久(ひさ)しからず、唯(ただ)春の夜の夢のごとし。たけき者も遂(つい)にはほろびぬ、偏(ひとえ)に風の前の塵(ちり)に同じ。」
の感性を持っていれば、泥沼の戦争への道にどこかで歯止めがかかったのではないかと考えてしまいます。


 桜一つをとっても、感じ方は異なるのですから、なおさら「人間」の「老後」のとらえ方ともなれば、千差万別でしょう。ここに、さまざまな人間らしい「個性」を持ったヘルパーが介護をしていく意味があると思います。

 さて、私としましては、音もなく静かに散っていく桜を見て、春の柔らかい光線に桜も自分も包まれている事に気が付いて、自転車に乗りながら、「ああ、桜はあんなに静かなのに、自分はこんなにもせわしないなあ」と思う日々です。




※1 きのとものり「古今和歌集」(905年)の中で最も有名な歌

※2 当時“大和魂”は「パッと咲いてパッと散る」など花に譬えられ御国のために死ぬことを奉公とし、強要された死が多くあった

※3 この世には「常なるもの」は存在しないという世界観。強者の驕りは自分だけを「常なるもの」にしようとする




続きを読む

永遠の視点から現世を見る

 ここまでの文章は、実は12年の3月号のお便りです。当時から介護は3Kなどと呼ばれ既に斜陽化しつつありました。育児や介護をすることは、TVなどでは「負担」の文脈で語られ、関わった者が損をしているような空気がありました。

 しかし人間存在は「生老病死」そのものですから、人間の一面を安易に切り捨てるような風潮は、やがてもっと生きづらい非人間的な社会の空気になるのではないかと私は恐れていました。介護は「負担」だけではない。介護することにもされることにも喜びや楽しみがあり、介護という事象そのものの中に、人間の価値を再発見させるものがあるはずだ。仕事を通してそれらを学べる介護職の素晴らしさを伝えたい、そのような思いでお便りを書き始めました。

 先ほどの文章には、書きたくて書けなかった続きの内容があります。それは、紀友則の和歌のように、私たちの仕事は、「永遠の視点」から人と我が身を省みるものではないか、というものです。

刹那(せつな)の中に感じる永遠

 「久方(ひさかた)の」とは、久遠や永遠(※4)を意味するのでしょう。主に天空を観ずる状況に係る枕詞ですが、天を永久に確かなものとみなすような、その永遠性を称える意味があります。対して地べたで生きる人間の儚(はかな)い有限性に、空を見上げながら和歌は詠嘆するのです。

 あるご利用者さんが言われていました。「自分は死ぬのは怖くはないんだ。だけど、死んだら何もかも無くなってしまうのだとしたら、今まで生きてきたことや、今辛い中で生きていることに何の意味があるのかと考えてしまう…」

 散り急ぐ桜を 惜しむ時、人は一つひとつの桜の花に人間存在を重ねています。そして同時に視点は久方の空に置かれ、散華(さんげ)を俯瞰します。永遠の視点からは、桜の花はどのように映るのでしょう。この問いは、「人間の生涯は永遠の視点からはどのように映るのか」と同型です。このような問いを持つ時、人は一個人の狭い視点からの離脱を目指しています。

 現世の目前の利害得失に汲汲としてしまう一個人の視点からは、死は断末であり消滅であり無かもしれません。しかし、永遠の視点に立てた時、死は解放であり昇天であり再生かもしれないのです。散った花はそれで終わりです。同じ花は二度と咲きません。しかし散ることによって若葉に場所を譲ります。葉もやがては紅葉して風に舞います。冬、木は枯れたように見えながら春を待ち、時と共に芽吹き花を咲かせます。その花は以前と同一の花ではありませんが、樹木を通して同じ花とも言えます。その木がやがて枯死したとしても、大地には別の草木が芽吹きます。大地を通して生命は再生します。

 私たちの命もまた天を通して一つの大きな命に繋がっているとは言えまいか。散りゆく花の刹那に惜別を感じながら、久方の光は、静かな心をもってその光景を「時よ止まれ(※5)」と思わんばかりに眺めているのです。




※4(例:万葉集)ひさかたの都を置きて草枕旅行く君をいつとか待たむ

※5 ゲーテの戯曲「ファウスト」にある有名なセリフ




惜別の時に感じていたいこと

「今まで生きてきたことや、今辛い中で生きていることに何の意味があるのか」

 死後を知り得ぬ私たちは、その答えを持ちません。これは、個人では回答不能な形式の問いなのです。個物の存在の「意味」は、他の存在との関係によって初めて現れてきます。私たちは「他者」という項を導入して、問いの形式を別の式に変換する必要があります。

「今現在や将来に仮定される他者との関わり方によって、今を意味のある時間にする」

 答えはあらかじめ決まっているものではなくて、見出すものなのではないでしょうか(※6)。

 病状思わしくなく寝たきりとなり訪問開始となったご利用者さん。静かに目を閉じておられ透き通るような肌の空気感に、先の長くないことが観じられます。こちらも静かに挨拶をします。薄目を開かれてアイコンタクト。「お体を綺麗にしましょう。少し見させて下さい。」そうして「向こう側を向いて下さい」と声をかけると、必死になって身体を動かして下さいます。弱いながらも着実な動作に、待ちながらその方の相手を思う気持ちを受け取ります。共同作業をやり終えて退室の挨拶です。その方のこちらを見てのかすれた発声に、耳を近づけます。

「あ・り・が・と・う…」

「大丈夫です。しっかりと聴こえましたよ。こちらこそありがとうございます」

と笑顔でお返しします。ニッコリとした微笑み。かすかに濡れている眼差しが、射貫くように私に幸福感を届けます。

 旅立つにはもう少しだけ時間があります。世話し世話される関係は、命が繋がりの中にあることの幸せな実感となるのです。




※6 私たちが「生きる意味」があるかどうかと問うのは間違っている。「人生こそが問いを出し私たちに問いを提起している」とホロコーストを生き延びたユダヤ人精神科医V・E・フランクルは、人生からの問いに自らの態度で答えることの重要性を説く。フランクルは実存分析(ロゴセラピー)という心理療法の創始者。





 

紙面研修

人生の意味を見出すために

【ロゴセラピーの基本的な考え方】

・人間は様々な状況・条件下であっても、自分の態度決定の自由(意思の自由)を持っている。

・人間は生きる意味を強く求めている(意味への意思)。「生きる意味が無い」ような嘆きは意味を見失っている状態と考えられる。

・それぞれの人生にはその人独自の意味があり(人生の意味)、それを見つける事が大切。




私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからです。私たちは、人生がたえずそのときそのときに出す問い、『人生の問い』に答えなければならない、答をださなければならない存在なのです。    

『それでも人生にイエスと言う』 V・E・フランクル
(人生を「意味のあるものにしよう」と決めた時、人は困難を乗り越えていこうとします)




自らが生きることによって示す人生の「意味」

 死がそう遠くない先に待っていることを自覚した人は「残りの人生から何を得られるか」「残りの人生に何を期待できるか」と自問します。やり残した仕事を完成させたい。自分が生きた証として何かを残したい。旅行に行って美味しいものを食べたい。そう思ってあれこれ考えを巡らせるかもしれません。しかしそうしているうちに体は衰え歩くこともままならず思考も働きにくくなったとしたら、「残りの人生に何も期待できない」となってしまうのでしょうか。

 確かに何かを作りあげる「創造価値」や素晴らしい体験をする「体験価値」の機会は、失われていくものです。しかし体の自由が全くきかないような状況になったとしても、息を引き取る瞬間まで「態度価値」は示すことができるのです。「態度価値」とは、運命から挑戦を受けた自分自身が、運命に対してどんな態度をとることもできるという“意思の自由”によって示される自分自身の尊厳なのです。「より良く生きる」とは、人生に何かを求める態度ではなく、生きることによって自らの「人生の意味」を示す「態度」にあります。

 「態度価値」を提唱するフランクルは、人生の意味はその究極において「つくりだされるものではなく、発見されるもの」と述べています。自分の外側に答えを求めてばかりいては、自分の心の内側に生じる「意味」を見落としてしまいます。

 

人生を豊かにする 3つの「価値」


創造価値人が何かを創造することによって、世界に何かを与える価値

体験価値人が人との出会いや経験を通じて、世界から何かを受け取る価値

態度価値人が現実に対して「とる態度」によって実現される価値
 

 

 

『たとえぼくに明日はなくとも――車椅子の上の17才の青春』(立風書房)

筋ジストロフィーと診断されていた石川正一さんは10歳の夏、ついに歩けなくなります。

「お母さん / もう一度立ってみる / ちきしょう / ちきしょう / ぼくはもう駄目なんだ / ぼくなんかどうして生れてきたんだ! / 生れてこなければよかったんだ!」

 苦しみを抱えてまでして人はなぜ生きなければならないのか、死んでしまってもいいじゃないか。苦しい時、そう思うことがあります。

 しかし無くなって欲しいものは、本当は「苦しみ」の方です。その苦しみに「どうして」と問いかけても答えてはくれません。苦しみを抱えた自分が「どうやって」生きて行くのか。答えを求められているのは自分自身だったのです。問いを反転させるために、仮定として自分の「死」を空想します。それが「死にたい」と言う表現です。それは、「今までの自分の考え方は終わりにして、新しい考え方のできる自分に再生したい」という気持ちの表れなのです。

 石川さんは14歳の時に20歳までの命と宣告され変わっていきます。そして自分に問います。

「たとえ短い命でも / 生きる意味があるとすれば / それはなんだろう / 働けぬ体で /一生を過ごす人生にも / 生きる価値があるとすれば / それはなんだろう / もしも人間の生きる価値が / 社会に役立つことで決まるなら / ぼくたちには / 生きる価値も権利もない / しかし どんな人間にも差別なく / 生きる資格があるのなら / それは何によるのだろうか」

「たとえぼくに明日はなくとも / たとえ短かい道のりを歩もうとも / 生命は一つしかないのだ / だから何かをしないではいられない / 一生けんめい心を忙しく働かせて / 心のあかしをすること / それは釜のはげしく燃えさかる火にも似ている / 釜の火は陶器を焼きあげるために精一杯燃えている」

 生きる意味について考えている利用者さんは多くいます。そのような方と向き合う時、問われているのは私たち自身かもしれません。




考えてみよう

自分が利用者の前に立った時、示そうとしている「態度」は何だろう。

自分の中には、自ら課した原則や規範はあるだろうか。

自分の尊厳は、自分自身の態度の中にあるとすれば、それは何だろう。





従業員対談企画(2月号) (2025/03/25)

「訪問介護は大変なんでしょ?」とよく言われます。

本当に大変なのか? はたしてその実態は――   

 

佐々木 堤さんはどうして訪問介護はじめたの?

 社員旅行でお酒を飲んで盛り上がっている時に、突然渡部さんから「訪問介護」やらない?って言われたんですよね。私、デイに事務で入って介護の経験無いのに、勢いで了解しちゃって、あとで凄く不安になったんです。「私に出来るのかな?」って。でも自分を鼓舞して、「いくしかない!!」と。

佐々木 ふーん

 佐々木さん、今流したでしょ。ちゃんと聞いて下さいよ。

佐々木 ごめんごめん。理由なんて本当はどうでもいいんだよ。やったら凄かったでしょ、カルチャーショック的な。色々考えさせられたりしたことがあると思うよ。そこらへんを聞きたい。

 いやー、濃かったですね。そうですね、色々ありますけど…。最初は先輩に同行訪問をしてもらっていたのですが、その時にですね、先輩が買い物代行で外出して、私が自宅に残り掃除を行う事になりまして。私が一人の時に利用者さんが「お姉さん。台所行ってゴキブリほいほいにゴキブリ入っているか見てきて。」と言うんですよ。え、ゴキブリ? 私、世の中で一番苦手なものが虫なんですよ。「ゴキブリ……………。」と私固まってしまったんです。

「『自分で見て下さい』と言っていいのだろうか? なぜ自分で見ないのだろうか?『嫌です』と拒否していいんだろうか?……」と数秒の間にいろんな感情が沸き、「断れない」と思い、足でゴキブリほいほいをひっくり返し、ひっくり返した瞬間にゴキブリがいない事を確認し、「入っていませんでした!」とお伝えした事を覚えています。

佐々木 虫系か。あるあるだよね。あるお宅の初めての支援で片付けを手伝うことになって、山積みの洗ってない食器やゴミを片付けて洗いカゴを綺麗にしようとしたら、水受けにびっしりと白いご飯粒みたいなものがザワザワ蠢いていて、心の中で叫びながらそっと排水口に流したことがあったなぁ。

 やめて下さいよ。そんな話。

佐々木 じゃあ、もうちょと良い話。知的障害の方が高齢で軽費老人ホームに入ってね。入居の際、ホームから作業所の行き帰りを覚えるまで支援して、その後介護保険で入浴の支援になったんだよね。真夏でもいつも散歩されていて、頭は真っ白なんだけど真っ黒に日焼けしていて、背が低くて少女みたいなキラキラした瞳をしていてね。よく外で見かけては声かけたんだ。「なにしてたの?」て聞くと、「うん。虫見てた」「そっか。虫いた?」「うん。いた。」「いたんだ」「アリがいた。」「そっかー」みたいな感じで、一緒にしばらくの間、虫を眺めたよ。とっても豊かで幸せな時間だったから忘れられない。

佐々木 その方の周りだけ時間の流れが違うんだよね。その方の空間に入らせてもらうと、いつもの自分を外側から眺めるような感覚になるんだよね。サスペンス劇場で登場人物全員が切羽つまってるのに「こっちは平和だなぁ」みたいな感じでね。その方、ダンゴムシとかケースに入れて部屋で飼おうとしてたな。

 虫のことは理解できませんが、時間は解る気しますね。確かに、時間の流れが違いますよね…。

佐々木 そうそう。そういった気付き、結構あると思うよ。認知症の方とかさ。

 認知症の方…。そうですね。毎週同じ曜日、時間に伺っているのにも関わらず、「誰?何をする人?うちに来て何をするの?」と必ず毎回聞かれる方がいて、トレーニングセンターや、デイサービスでは接する機会がなかったから最初の頃は凄く戸惑いました。

佐々木 どうやって慣れていったの?最初は指示が入らないというか、「指示が入らない」という言い方自体が考え方を間違えているんだけど、慣れないとこちらの言っていることが全然伝わらないでしょ。

 そうなんですよね。時間ばかり過ぎちゃうのに何もやらせて貰えないと、焦ってきて余計早口になっちゃうというか…。

佐々木 そこに気が付くと変るよね。相対的に早口になってたと解ると、合わせようとするもんね。

 そうなんです。なんかもう、堂々巡りになっちゃうので、とりあえず自然な会話を心掛けて、相手に合わせていったら、「ああ、どうぞ」みたいな感じで受け入れてくれるようになって下さったんですよね。最近では全く気にする事なく毎回新鮮な気持ちで自己紹介していますよ。

佐々木 それだよ。指示が入らないって言う人は、自分が相手の世界に入っていないんだよ。ゴキブリの話にも繋がるんだけど、皆本当はひとりひとり違う感覚で違う世界を生きているんだよね。でも家族は自分の延長のようなものだし、友達はある意味似た者だし、職場はやることも方向も決まっているから、多くの人が自分の世界とは違う世界があるということに気付かないんだよね。

佐々木 現実世界に絶望する人は時々いるけど、本当は現実は多層性があって人の数だけ世界はある。北海道の人が東京で初めてゴキブリを見て「珍しい虫だ!」と喜んで、飼育しようとした笑い話があるけど、現実はいくらでもある。訪問介護は社会階層の違う様々な人との出会いがあるでしょ。どの階層や世界が良いなんて絶対に言えないんだけど、僕らの仕事は別の世界の入口を見つけて入っていくことなんだよね。そうやって外的経験の世界が豊かになると、自分の心の中の世界も多様性を増して豊かになってくるという……。

 はい。異動前の自分と比べると明らかに人間力が上がったと感じますね。 

 (つづく)


紙ふうせんだより 2月号 (2025/03/24)

何のために、誰のために

 皆様、いつもありがとうございます。2024年は介護事業者の倒産が過去最多(172件前年比40.9%増)となり、うち81件が訪問介護ということです。昨年のマイナス改定により訪問介護の無い自治体は、この半年で97の町村から107の町村へと増加、1事業所しか無い町村は272にのぼります。何のための制度改正でしょう。誰のための介護保険法でしょう。法を遵守して、いったい私たちは何を守ろうとしているのでしょうか。

何を基に判断するか

 コンプライアンスとは法令遵守とされています。遵守(じゅんしゅ)とは守ることです。法令とは、法と法に基づく命令(政令や省令等)です。法律の上位には「憲法」があります。憲法は、主に国が「してはならないこと」と「すべきことを」定めています。

 例えば、「この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる(※1)」という条文は、国が国民の人権を侵害してはならないことを定めています。「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する(※2)」という条文は、基本的人権に含まれる「生存権」を意味しますが、国が生活保障の制度化をしなければならないと述べています。

 では、憲法の上には何があるでしょう。憲法を制定する基礎となった理念があります。日本国憲法の三原則は、国民主権・基本的人権の尊重・平和主義ですが、「基本的人権」は憲法や法律が規定しなくとも、生まれながらに全ての人が有している権利(自然権)とされており、「普遍的人権」とも呼ばれます。

 当然ですが人権擁護の原則に日本国籍の有無は関係ありません。世界人権宣言(※3)では「わたしたちはみな、意見の違いや、生まれ、男、女、宗教、人種、ことば、皮膚の色の違いによって差別されるべきではありません。また、どんな国に生きていようと、その権利にかわりはありません。」とうたっています。これは、世界中のどんな権力者も犯してはならない普遍的な原理なのです。




※1 第11条

※2 第21条 国民には生存権があり国家には生活保障の義務があると「社会保障制度に関する勧告」(昭和25年社会保障制度審議会)で明らかにしている

※3「すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準」として1948年12月10日国連総会で採択。引用は第2条で谷川俊太郎による翻訳。左上の画像は同翻訳で第1条、画像は国際連合広報センターHPより




続きを読む

コンプライアンスは、法や憲法の目指すところを含む

 コンプライアンスは「法令さえ守れば良い」という意味ではありません。法律の目的やその上にある理念や原理や社会規範に照らし合わせて判断し、行動することを求めています。その時の判断基準となるものを「倫理」といいます。倫理とは、「どのような行為が正しいか」を示すものであり、社会規範や善悪正邪の普遍的な判断規準となるもので、人の「内的な自律」を基盤とします。

 一方、法は「どのような行為が正しくないか」という外的規制となります。法律がNGリストと呼ばれる所以(ゆえん)ですが、法の抜け穴を突く者を想定してNGリストを量産したら社会は窒息するでしょう。善行を強制する法は作るべきではないということもあり、倫理はひとりひとりに委ねられています。

 コンプライアンスという課題は、私たちが「何をするべきか」という問いかけです。「してはならないこと」と「すべきこと」の両方が意識されなければ、組織も社会も機能不全に陥って弊害がでてくるのです。

利用者さんの日常を知らない者の無責任

 あるご利用者さんが退院することになりました。病院にお迎えに行くと、ヒゲぼうぼうの顔には精彩がありません。寝たきりに近い状態にいたようで体にも力がありません。タクシーから降りて自宅の上がり框(がまち)に苦労して、数歩で力尽きてしまいました。ようやく食卓の定位置にたどりつくも体をまっすぐにできません。応答は覚(おぼ)つかず、必死に片方の眼を開けては「目があけられない…」と言われます。そのうちに嘔吐。明らかに異常です。

 今まで必要としたこともない睡眠薬や向精神薬らしきものがいくつも処方されています。朝食時の薬だけで29錠あります。ケアマネに来て貰い病院に電話を入れます。状況を説明し、「〇〇さんは以前強い薬が影響して意識障害を起こして救急搬送されたこともあり、薬ではないかと疑っています。先生に薬について伺いたい。」しばらくの保留の後、「今先生がいないので答えられない。救急車を呼んだ方が良いと思うが、当院では受け入れられない」とのこと。ご本人に病院に行きたいか伺うと「絶対に嫌だ」とのことで、ベットに誘導し一晩様子を見ます。

 翌午前、在宅医の臨時往診ですが、代診のため薬については判断できない旨を言われます。昼に訪問すると朝の薬を飲んでいないためか元気な様子です。薬を飲むように言うと、「薬を飲むと動けなくなるんだよなぁ」と、その害と飲みたくないことを明確に言われます。しかし、心筋梗塞だったので抗血栓薬や心臓の薬は飲まなければなりません。他の薬はどうするか…。

 酷い様子を見た上で何も考えずに飲ませるわけにはいきません。別包の向精神薬だけは抜いて、服薬して頂きます。すると30分ほど経過してまた脱力が見られるようになりました。一包化された物の中にも脳神経に作用する薬が入っていたのです。

内的な自律なくして人は守れない

 医師でない者が服薬について判断することは、ルール的には正しくありません。しかし、飲みたくない薬を飲ませることもまた倫理的に問題があります。

 判断に対立が生じた時はより根本的な原則に基づくべきです。過剰投薬なら医療倫理の「無危害原則」に反します。介護保険法の総則の「尊厳を保持し、その有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう」にという法の目的にも反します。自立した介護職として自律した判断をせずに漫然と内服させることもまた「危害」に加担することになります。

 医師よりも看護師よりも「日頃の利用者を知る者の責任」として職業倫理に基づいて“騒ぎ”、内服薬から向精神薬を抜くことをケアマネに連絡し数日の様子見を約束しました。すると翌日には元気が戻り、翌々日には介助で広いスーパーの店内を一周し、寿司を買って食べることができました。

 「処方通りに飲ませてさえいれば良い」という表層的なルール主義を狭義のコンプライアンスとすれば、より「倫理性の高いコンプライアンス(※4)」は、医療の目的や生活の質や人権擁護や自己決定の原則までも視野に入れなければなりません。薬も過ぎれば毒となるというような状況で陳腐化したルールを克服していくためには、誰かからの指示を待つのではなく、自らが判断していかなければなりません。

 訪問介護の現場は利用者と一対一の関係です。自分が問題提起をしなければ、誰も問題を知らず放置が続くということも起こり得る環境です。責任重大と言えますが、自らの働きかけで利用者さんのQOLが大きく変わる関係でもあります。そうして良くなった時の利用者さんの笑顔は、何ものにも替え難いものです。




※4 フルセット・コンプライアンスという。同論では、真のコンプライアンスとは「社会的要請への適応」とし、「コンプライアス=法令遵守は誤り」と主張する。法令のみを意識した受けとめによって思考停止に陥り組織が硬直化したことが日本の衰退の一因になったと主張する。介護職の離職や介護という仕事の精神的貧困化も同根と考えられ、想像性や創造性の衰退が原因。





紙面研修

「倫理的判断」はどのように行われるか

倫理と法

【倫理】人として守り行うべき道。善悪・正邪の判断において普遍的な規準となるもの。道徳。モラル。

【法】社会秩序維持のための規範で、一般に国家権力による強制を伴うもの。

【道徳】人のふみ行うべき道。ある社会で、人々がそれによって善悪・正邪を判断し、正しく行為するための規範の総体。




倫理
「どのような行為が正しいか」を示す 「どのような行為が正しくないか」を示す
内的な自律から生じる 外的強制力によって作られる
 

・それぞれ異なるレベルの規範である 

・規範はそれが「欠如している状態」にあって意識される




内的規範や自律性から生じる「倫理的判断」

 多様な人々の集合であるこの社会において、さらに柔軟さや臨機応変が必須の対人支援職ともなれば、全ての事例に対応できるルールの細則を全て網羅することは不可能です。そこで状況に応じて「判断」が必要になってきます。

 私たちはどのように「判断」をしているでしょうか。以下の判断方法の類型を見ていくと、判断する場面での葛藤を回避しようとする姿勢と、葛藤に立ち向かっていく積極的な姿勢があるように思います。そしてその姿勢の違いによって、内的規範や自律性の発展も左右されます。哲学者のカントは「自由な行動とは自律的に行動することで、自律的とは自然の命令や社会的な因習ではなく、自ら課した法則に従って行動することである」と述べています。

《判断方法の類型》

※5項目までが「非合理的」、それより下が「合理的」アプローチとされる

服従:権威者のルールや指示に賛成してはいなくても、ただそれに従う。

模倣:判断を自分以外の他人の判断に依存する。従うのは自らモデルと定めた対象で、優れた対象であれば学びにもなるが、やがては自立・自律していかなければならない。

感情や願望:自らの感情や願望を満たすために判断をしている。時に、願望と判断を取り違える。

直観:洞察によるひらめきを通じて直ちに決定に導く。時に優れた判断になることもあるが、体系的でも意識的でもないため再現性に問題があり、その人の資質や状況によっても大きく変動する。

習慣:良い習慣と悪い習慣がある。体系的な意思決定の過程を繰り返す必要がないので判断は効率的となるが、既存の状況と異なる時は大幅な変更が必要で、漫然とした習慣は弊害となる。

義務論:道徳的決定の基礎となりうる根拠の確かな基準を探求しルール化を求める。但し、そのルールについては合意が得られない状況は往々に生じる。(例:森鴎外の『高瀬舟』など)

結果主義:異なる選択肢から起こり得る結果を予測して、都度、功利主義的に判断をする。正しい行動が最善の結果を生むと考える。
 しかし、予測の立ちにくい問題については、逆説的に「結果によって手段を正当化する」「結果を出しさえすれば良い」態度になってしまいがちで、過程(合意形成や過程での失敗)を軽視してしまう傾向となり、独断となる。何をよい結果とみなすかについての合意がなければ、ズレた結果を「良かった」とするような一人よがりになる。

美徳:意思決定の以前の段階にある、日々の行動に表れる意思決定者の道徳性を重視し、日頃から徳を涵養する。重要な道徳性のひとつは共感、他には、正直・思慮分別・献身など。但し、有徳な人でも、状況によっては確信をもてないことも多々あり、誤った判断は完全には回避できない。(徳があればよい決断を下しよい行動をするとされる儒教の徳治主義に近い)

原則主義:ルールと結果の両方を考慮しつつ、正しい行為を決定するために、判断基準(倫理原則)を設けてそれを判断の基礎とする。それでも複数の原則が衝突することがあるため、その都度それぞれぞれ原則の意味や優先度を状況に応じて吟味する。

(※いずれにしても、より良い判断をするためにケア会議等を開催することはとても大切です。)

 

医療倫理の四原則

医療倫理の四原則はトム・L・ビーチャムとジェイムズ・F・チルドレスが『生命医学倫理の諸原則』(1979)で提唱したもの。生命倫理における「自律尊重」の原則は、特に重要なもので、患者に情報を開示し患者がその内容を十分に理解し、納得した上で「自律的な決定」ができるよう支援するインフォームド・コンセント(説明と同意)が重要となります。

【自律性尊重原則】患者が自律的に自己決定し行動することを尊重し、それを妨げないこと

【善行原則】患者にとっての最善を尊重し、医療的な最善を提供すること

【無危害原則】患者に危害を加えないこと、また危険を予防すること

【公正原則】すべての患者を差別せず、医療資源を公正に適切に活用すること




考えてみよう

自分はどのような判断方法を取る傾向があるだろうか。

自分の中には、自ら課した原則や規範はあるだろうか。





紙ふうせんだより 1月号 (2025/02/26)

ひとりひとりへの気持ちを乗せて

 皆様、明けましておめでとうございます。正月にお仕事をしてくださった方、本当にありがとうございました。「株式会社いちしんウエルフェア」として出発して、本年がいよいよ本番の年となります。皆様のお力をお借りしたくお願いを申し上げます。本年もひとりひとりの利用者さんと向き合い、笑顔を交わしていきましょう。

「ひとりひとり」を忘れない

「ひとりひとり」という絵本があります。谷川俊太郎さん(※1)の四行連詩の一連ごとにいわさきちひろさん(※2)の美しい水彩画が彩ります。冒頭から第三連まで引用します。

ひとりひとり / 違う目と鼻と口をもち / ひとりひとり / 同じ青空を見上げる

ひとりひとり / 違う顔と名前をもち / ひとりひとり / 良く似たため息をつく

ひとりひとり / 違う小さな物語を生きて / ひとりひとり / 大きな物語に呑みこまれる

 いわさきちひろさんは大正7年、谷川俊太郎さんは昭和6年生まれです。この時代の「大きな物語」は国家でした。国家は大東亜共栄圏や八紘一宇をスローガンに戦争に邁進していきます(※3)。当時ほどの重圧はありませんが、現代にも大きな物語はあります。会社をイメージする人もいるでしょう。仕事をしていなくても人は文化や社会から様々な規制を受けていきます。

 私たち個人は、それらの枠組みに呑み込まれていきます。要介護高齢者は制度や事業所の在り方に生活が左右されます。その枠組みの在り方や雰囲気を決める力を持つ人は、ひとりひとりの物語を改変する力を持ち得ます 。そのような私たちだからこそ、そこにいるひとりひとりの存在とその揺れ動く心を大切にしていかなければなりません。




※1(1931-2024)1952年の「二十億光年の孤独」が第一詩集。以来詩作を中心に評論や脚本や翻訳なども行う。レオ・レオ二の絵本「スイミー」や漫画「ピーナッツ」は谷川の翻訳

※2(1918-1974)子どもの幸せと平和を生涯のテーマとした画家、絵本作家

※3 国民学校(小学校)では教育勅語が朗読され「一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ」は国に命を捧げることとされていた。




人に成るということ

 社会は、時にひとりひとりの物語に区切りをつける強制力を持ちます。民法改正により昨年から成人年齢が18歳となりました。成人式を迎えたら大人の自覚に立つことが個人の事情に関係なく求められます。谷川さんの詩に「成人の日に」というものがあります。

 成人とは人に成ること もしそうなら / 私たちはみな日々成人の日を生きている / 完全な人間はどこにもいない / 人間は何かを知りつくしているものもいない / だからみな問いかけるのだ / 人間とはいったい何かを / そしてみな答えているのだ その問いに / 毎日のささやかな行動で

 異なるひとりひとりが共に暮す世の中だからこそ、私たちは日々のささやかな行動の中に、人は人とどう関わるべきか、社会の枠組みとひとりひとりの関係はどうあるべきか、という答えを示していかなければなりません。

 子供は共同体に依って生存が支えられ育まれていきます。大人はその共同体がひとりひとりに対して優しいものとなるように共同体を支え、社会がその機能を発揮して多くの人の生存を支えられるように組み直していかなければなりません。それが、人が人に成っていくための基盤であり日々の務めなのです。

続きを読む

私に自覚されて「私」は人に成っていく

 「人間とは常に人間になりつつある存在だ(※4)」という言葉は確かに本当です。人を粗末にすれば「人でなし」に転落します。自分も他人も等しく大切にすることが人を創り育てます。子供たちはいつかの自分です。大人はいつか老人となり、支えられる側に回ります。年寄たちはいつかの自分です。大切なことは、他者の気持ちを自分事のよう感受する共感性です。

 あるご利用者さんが言われていました。「ある時お母さんが『80にならないと、80の気持ちはわからない』と私に言ったの。私はその時お母さんに何かを言ったと思うの、お母さんの言葉を覚えているから。今になってお母さんの言葉が理解できる。」

 ここに、育つことや老いることを含めた「生きること」の価値があります。身体性の伴う実感がなければ理解しえないことは、人生にたくさんあります。老いてもなお「わかった」があるということは、学んだ内容に意義があり、学びの前奏としての今までの人生に意味があり、年を重ねた価値があり、今この時にも私は「人」に成っていっているということなのです。この方は「自分は自分でつくらないといけない。人のせいにしても始まらない」と言われました。

 人生とは、言い換えれば「私が私になっていく(※5)」過程であるとも言えます。私の可能性を持つ者が「私」として生まれ、私のささやかな行動の積み重ねとして「私」になっていく。そして、私を「私」たらしめるものは、「他者」に他なりません。「自分を大切にする」とは、「他者のように見なした私」を私が尊重することです。大切にされた(大切にされなかった)他者が私に対する表情で(声掛けや目線で)「私」が何者なのかを物語ってきます。

 「過去の私」は今の私に宿題を置いて去る者として他者であり、今の私が責務を負う対象として「未来の私」は他者なのです。今を生きる私の責任の中に「私」があるのです。




※4俊太郎の父、哲学者の谷川徹三(1895-1989)の言葉。「インテリで権威主義なところが嫌いで反面教師にして捉えてきた」と俊太郎

※5副題が「認知症とダンス」という同名の書籍があり、著者の若年性認知症当事者であるクリスティーン・ブライデンは認知能力が衰えても日々瞬間の私を生きるということが際立ち「私になっていく」ことが実感されるという趣旨を述べている。




一対一の関係を原点に

 谷川俊太郎さんは、昨年の11月13日に亡くなられました。谷川さんは朝日新聞に毎月一回詩を掲載されていました。11月17日発表の最後の詩は「感謝」という表題です。「目が覚める / 庭の紅葉が見える / 昨日を思い出す / まだ生きてるんだ」と始まり、「どこも痛くない / 痒(かゆ)くもないのに感謝 / いったい誰に?/ 神に?/ 世界に? 宇宙に? / 分からないが / 感謝の念だけは残る」と締めくくられています。

 人生の最後を迎える時、私たちは、自分の人生の一切を「過去」に手渡して、他者や過去の私に感謝を述べて「私自身」から去っていきます。そうやって私の人生が終わり、いつかまた未来に、今までとは違う別の私に「私」を手渡していくのです。

 人は物語を生きています。物語の核心はひとりひとりを大切にすることです。人を大切にすれば、それは自分に返ってきます。ひとりひとりの中には、過去や未来の「私」も含みます。そして、人間関係の原点は一対一の関係です。たとえ施設介護のように多対多のように見える状況であっても瞬間瞬間は一対一です。大勢に呼びかけている時でさえ、目線はひとりひとりと交わり、気持ちを乗せた声はひとりひとりの胸の内に重なっていきます。

 「認知症だから何を言ってもわからない」ということは絶対にありません。顔を忘れ言葉が出なくなり、たとえ意識が薄れても感謝の念だけは残り続けます。だから私たちは心をこめて気持ちを送り届けるのです。過去がどうあれ、それが最後の瞬間の「幸せ」を決するからです。


紙面研修
紙面研修
ひとりを大切にするケアの実践
 

「生きることの全体像」を見る

 私たちの「介護」という他者に対するアプローチは、医療に従属する立場で始まったこともあり、医療の考え方が採用されてきました。医療の第一は患者を治療すること(善行原則…医療的善行を施すこと)であるため、介護の方法論も身体(病気や障害)を見て「生きることの全体像」を見ていない、ということに陥りがちでした。

 例えば、身体的安全のために本人の意向に反して「施設入所をすすめる」というのもその一つです。在宅介護の限界ラインは個別的状況で変わっていきますが、意向に反する推進は身体的安全は確保しても心理的安全性は無視されてしまい、既存の生活からの切り離しとなり本人を追い込み生きる気力を奪ってしまいます。

 そういった反省から、支援の考え方は、「医学モデル(専門家モデル)」から「社会モデル(生活モデル)」へと変わってきました。生活モデルの考え方は、障害等が生じても既存の生活への再参加や社会参加を推進する考え方となります。

 一方で心身機能の回復の有用性も失われたわけではありません。そこで、「機能回復」と「参加」の両方の視点を取り交ぜた考え方が提示されています。それが、「統合モデル」とも呼ぶべき「生活機能分類モデル」です。

「障害分類モデル」の問題点

 「医学モデル」は“原因は一つ”の線形モデルで、疾患変調を全ての原因とする「障害分類モデル」です。原因を取り除かない限り解決しない考えで、医療的限界が全ての限界を決めてしまいます。「足を切断⇒切断は回復しない⇒歩けない・社会的不利は致し方ない」となるのです。

(図は厚労省PDFより)



 一方で「生活モデル」は生活上の機能に着目します。「歩く」ということは「移動できる機能」ですが、機能を車椅子やバリアフリー(社会的不利の除去)や支援で補えば、移動は可能となり社会参加や生活を取り戻せます。生活機能は多面的要素から成るため、改善の方法論も多面的に可能になります。

 



国際生活機能分類モデル

 生活機能分類モデルは、個人をとりまく状況(環境・文化・社会・歴史的要因)と個人的要因の上に「生きることの全体」が成り立っていることを示しています。そして、その中での生活のあり方を、「活動」を中心にすえ、身心機能や参加との相互作用によって生活が成り立っていることを示しています。

 心身機能は要介護ともなれば衰えていることが前提であり、その結果として本人の望まぬ活動制限が生じ社会参加が阻害され活動量が低下し、意欲が低下し更なるADLの低下がみられ健康が悪化する、という関係性が上記図表から読み取れます。

 では、回復の為にはどうしたら良いでしょう。「医学モデル」の中心課題の心身機能の回復を主題とするのではなく、「参加」を中心課題とするのです。介護職等の支援を受けて参加を促し、参加できたことによって活動量と自信や喜びを高め、それを心身の回復に結びつけるとともに、好循環によって全体を底上げしていくのです。

 目標はQOL(人生の質)そのものです。心身機能が低下しているから活動させない(ふらつきがあるから「歩かないで下さい」、危ないから「やらないで下さい」)というような働きかけは、かえって悪循環となります。「心身機能が低下しているからこそ」いかに支援によって「参加」を促し再び「活動」ができるようにするか、ということが大切なのです。

企業活動や事業所にたとえてみる

 「活動」の活性化は業績向上となります。組織の心身機能面は資金や運営体制やビジョンですが、従業員が嫌々の参加では活性化しません。企業活動は従業員の「参加」で成り立っています。「何にどのように参加してもらうか」を主題として、ひとりひとりと十分に関わり参加の価値(能力が認められる、自分の考えが採用される等)が明確であれば、受け身を脱して「活動」は活性化するのではないでしょうか。

ひとりひとりを大切に

 ひとりひとりを大切にしないということはどのようなことかと言えば、「十把一絡げ(じっぱひとからげ)」に人を扱うということです。ひとりひとりには、それぞれの要因、それぞれの心身、それぞれの活動への願い、それぞれの参加意欲があります。それらのひとつひとつをつぶさに見てそれらの相互作用的全体像を理解していくことが、ひとりの人間の「生きることの全体像」を見ることになり、ひとりの人を大切にすることになります。「ひとりの人が大切にされること」はそのまま「その人のQOLの向上」ともなるのです。

谷川俊太郎の背景要因と詩

学校 

「ぼくがはじめて暴力ふるわれたのは、やっぱり小学校の先生だもんね。ビンタ張られた。」

「ぼくの世代はちょっと特別で、自我が育っていく段階が、ちょうど戦争の時期だったんですよ。だから学校教育は荒廃してたわけ。教育のかたちがぼくは嫌ではあったけど、小学生の頃はまだ、ちゃんとしていたわけです。そのうち教科書がだんだん黒塗りになって、先生はみんな生活難。食うや食わずです。」

「強制疎開で、われわれ生徒も一緒になって、家の取り壊しなんかもしてました。そのとき、先生が壊した家のガラスを大切に持って帰ったりしてるわけですよ。そういうのを見ていたから、教育の権威みたいなものは、もう、なくなっちゃったわけです。教育と戦争が併行した時代だった、ということが学校嫌いの一因であると思います。」

(ほぼ日刊イトイ新聞2022.7.5 糸井重里と対談)

 

戦争

「中学生だった戦時中、東京の空襲で近所まで焼けて、翌朝、友だちと自転車で焼け跡を見に行きました。焼死体がゴロゴロ転がっていて、人間の体のようではなくて、焦げて鰹節みたいになっていたんですよね。子どもだから怖いっていうより、不思議な感じがしていました。それが強く印象に残っていて、自分に何らかの形で影響を与えていると強く思いますね。」

(GLOBE+2023.3.2 インタビュー記事)

 

父の教え

「私は人間とは常に人間になりつつある存在だと考えているものであります。という意味は、自己の人間成長を常に心がけているものにとって、これで満足だという状態はないので、まだ自分はほんとうに人間らしい人間になっていないという思いを常に抱かざるを得ないからでありますが、しかし同時に、少しでも成長のあるところ、そのほんとうに人間らしい人間に常になりつつあるものとして自分を考えることができるので、その二重の意味をこれはもっているのであります。」

(谷川徹三「調和の感覚」)




「ひとりひとり」

ひとりひとり

違う目と鼻と口をもち

ひとりひとり

同じ青空を見上げる

 

ひとりひとり

違う顔と名前をもち

ひとりひとり

よく似たため息をつく

 

ひとりひとり

違う小さな物語を生きて

ひとりひとり

大きな物語に呑みこまれる

 

ひとりひとり

ひとりぼっちで考えている

ひとりひとり

ひとりでいたくないと

 

ひとりひとり

簡単にふたりにならない

ひとりひとり

だから手がつなげる

 

ひとりひとり

たがいに出会うとき

ひとりひとり

それぞれの自分を見つける

 

ひとりひとり

ひとり始まる明日は

ひとりひとり

違う昨日から生まれる

 

ひとりひとり

違う夢の話をして

ひとりひとり

いっしょに笑う

 

ひとりひとり

どんなに違っていても

ひとりひとり

ふるさとは同じこの地球




「成人の日に」

人間とは常に人間になりつつある存在だ

かつて教えられたその言葉が

しこりのように胸の奥に残っている

成人とは人に成ること もしそうなら

私たちはみな日々成人の日を生きている

完全な人間はどこにもいない

人間は何かを知りつくしているものもいない

だからみな問いかけるのだ

人間とはいったい何かを

そしてみな答えているのだ その問いに

毎日のささやかな行動で

 

人は人を傷つける 人は人を慰める

人は人を怖れ 人は人を求める

子どもとおとなの区別がどこにあるのか

子どもは生まれ出たそのときから小さなおとな

おとなは一生大きな子ども

 

どんな美しい記念の晴着も

どんな華やかなお祝いの花束も

それだけではきみをおとなにはしてくれない

他人のうちに自分と同じ美しさをみとめ

自分のうちに他人と同じ醜さをみとめ

でき上がったどんな権威にもしばられず

流れ動く多数の意見にまどわされず

とらわれぬ子どもの魂で

いまあるものを組み直しつくりかえる

それこそがおとなの始まり

永遠に終わらないおとなへの出発点

人間が人間になりつづけるための

苦しみと喜びの方法論だ




感謝

目が覚める

庭の紅葉が見える

昨日を思い出す

まだ生きているんだ

 

今日は昨日のつづき

だけでいいと思う

何かをする気はない

 

どこも痛くない

痒くもないのに感謝

いったい誰に?

神に?

世界に? 宇宙に?

分からないが

感謝の念だけは残る




考えてみよう

ひとりひとり背景に触れながら「生きることの全体像」を感じてみよう。そして、ひとりひとりの関わりについて想像してみよう。


紙ふうせんだより 12月分 (2025/02/10)

せわしなさを越えて

 師走ですから忙(せわ)しないと思います。事故等にはお気を付け下さい。まずは皆様に御礼申し上げます。皆様の頑張りによって笑顔の利用者さんが増えたと信じております。本年はどうもありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いします。

タイパ志向の弊害

 近頃は老いも若きも忙しくしています。時代がそうさせるのでしょう。最近は「タイパ(※1)」と称して無駄な時間を嫌う若者もいます。寸暇を惜しんでトイレの中も電車の中もスマホに釘付けになって情報の消費に追われながら、次から次へと画面をスワイプします。2時間の映画は長すぎるので倍速再生をします。逡巡する間合いや息を呑むような沈黙は、早送りでスルーされます。

 登場人物の息づかいを賞味しながら自らを鑑みるという「鑑賞」ではなく、あらすじさえ把握出来れば良いという考えです。時間節約志向によって何にでも「速さ」を求めてしまうようになると、「熟慮」はどうしても疎(おろそ)かになってしまいます。




※1 タイム・パフォーマンスの略。費用対効果を指すコスト・パフォーマンス(コスパ)をもじってできた造語。




考えないで「判断」してしまう

 前提条件が1つ2つしかない問題と10も20もある問題は、条件が少ない方が「判断」が速く済みます。条件が多ければ優先度や重みを考量する必要があるからです。では、ある問題を構成する要因として視野に入っているものが1つ2つなのと、10も20も見えている場合、どちらがより適正に判断ができるでしょう。多い方が適正に近づくはずです。つまり、考えるということは、拙速(せっそく)に判断したい欲求(考えたくない欲求)を抑えて視野を広げて、更に考えを深掘りするというところに意味があります。「考えること」と「判断すること」は逆のベクトルを持つのです。

 しかし、判断したことを持って「考えた」と主張する「取り違えている人」がいます。人は、時間をかけたくないと思うと、考慮すべきめんどうくさい要素を無意識的に無視します。速さではそれが合理的だからです。そして、無視する要素は自分の思惑に沿わないものなので、気が付かずに判断は自分の願望に引きずられます(※2)。こうやって失敗は構造的に繰り返されます。これは「考えなかった」結果なのです。




※2自分の先入観や思惑を補強できるような都合のよい情報ばかりを見てしまう心理傾向は誰でも持っており、確証バイアスと言う。




続きを読む

成熟とは「宙吊り」に耐える力

 哲学者の内田樹は、日本文化の特質を「『どこにも着地できないで宙吊りになったままでいられること』を成熟の指標と見なす」と述べています。難しい物事の難しさを理解せずに簡単なように言うことは誰にでもできますが、難しさの重みに耐えながら「宙吊り状態」の中で舵を取り続け時機の到来を待つということは、誰にでもできることではありません。

 「考える」ということは判断を留保することです。手持ちの情報の貧弱さに判断留保は選択されます。熟慮しようと決めた時、人は五感と記憶と思考をフル稼働させます。見落としはないか、理解を取り違えている問題は無いか、大切な事を聞き洩らしてはいまいか…。今までとは違う見方ができるようにならなければ、それらを発見することはできません。

考えることの目的は「視座が変わること」

 タイム・イズ・マネーと言われるような世の中です。決断を迫るプレッシャーは常にかかります。しかし、考えるということが必要な時は、「正か反か」どちらも選べないという競合があります。どちらも選ばないで、より最適解となる「合(ごう)」にたどり着くには、「正・反」を見下ろせる「合(※3)」の次元にまで自分の意識が変わらなければなりません。考えるということの目的は、まさにここにあります。今の自分の視点を脱して新しい視座を得ること。その跳躍を目指すことが考えるということなのです。

 心の中の競合に挟まれて葛藤にもがいている人に対して、河合隼雄(※4)は、魂が「ある」と思ってみると、ふっと次元がかわり、視座がより広がると述べています。「魂というものがあるかないか、そういうことを言っているのではない。『魂』という、ものの見方でみてみよう。」そうすることによって、損得や感情とは異なる見方ができるようになるのです。




こころの天気図」河合隼雄

魂が「ある」と思ってみると……

魂とか心とか言っても、誰もみたりさわったりした人はいない。実体はありません。ないけれども「ある」というふうにすると、自分の状態について違った観点から、ものが言えるわけです。――心が浮き立つとか、沈むとか、魂がゆさぶられるとか。そういうものがあるのだと「思ってみる」というのが一番近い言い方だと思います。

ユング派の分析家、ヒルマンという人が面白いことを言っています。

魂というものがあるかないか、そういうことを言っているのではない。「魂」という、ものの見方でみてみようと、そういうことなんだと。

そうやってみると違ってくるんですね。たとえば自分のしていることを、損得の面からみることもできる。また、自分の行為で誰が喜んだか悲しんだか、そういう感情面からみる見方もある。だけどもうひとつ、自分のこの行為で、私の魂はどう感じたろう、あの人の魂はどう感じたろうと思ってみるやり方もあるのだと。

そういう思い方をすると、ふっと次元がかわり、視座がより広がるんですね。




※3 正反合はヘーゲルの弁証法における用語。テーゼとアンチテーゼの葛藤を超克してジンテーゼに至ることを「アウフヘーベン」と言う。

※4(1928-2007)高校数学教師を経て心理学の道に進み米国留学。日本人で初めてスイスのユング研究所にてユング派分析家の資格を取得した分析心理学者。日本臨床心理士資格認定協会を設立(1988)。元文化庁長官。著作や著名人との対談が多数ある。




自分の枠を超えていく

 介護現場も時間に追われています。利用者さんが介護職員を呼び止めます。「(何?忙しいんだから。何だって?その話はさっきも聞いた。で、用があるの?無いの?無いなら私行くわよ)」と職員は心の中で思っています。職員は「(だからその話はさっき聞いたって!)」と、見通しが崩れてイライラします(※5)。「問題は無い」と判断して、さっさと次に行きたいのです。

 しかし、のんびりしてみせる勇気を持ちましょう。タイパ感覚では倍速映画と同じで、見落とす原因になります。言葉を聞いて終わりではなく、聴いたことを自分の心に入れて一言一句に重みを感じていきましょう。利用者さんの息づかいに触れ、利用者さんの目と耳と心で世界を見ようとすることが大切です。成熟とは待てることであり、様々な視座を受容できることでもあります。「自分の判断」を留保し、自分の見えてないものにも心を巡らせましょう。利用者さんの目や別の見方で自分自身を見てみようとすることによって感受性は高まります。

 自分が相手に及ぼしている影響を感じとっていきましょう。そうすると自然と自分の態度も柔らかくなり、相手も優しい表情になってくるはずです。全体と個がどのように相関しているのかを考えていくことも、五感で利用者さんを感じることも六感で魂を直覚しようとすることも、目指すところは同じです。自分の枠を超えた視座の跳躍を目指し、飛翔する鳥のような自由な目で世界を見ることができるようになること。人はそのような心の自由を求めています。

 見方が変わり解像度が高くなれば、何気なく通過していた日常の風景も、喜怒哀楽に美しく彩られた鮮やかな光景に変わっていくはずです。忙しくても新鮮で充実した日々となりますように。




※5河合隼雄はカウンセリング関連の著作も多く、話を聞きながらイライラするのは見通しが立っていない証、との旨を述べている。





紙面研修

感染症研修
感染症の流行 予防と対策
 

マイコプラズマ肺炎・伝染性紅斑が増加しています(厚労省)

マイコプラズマ肺炎、伝染性紅斑の定点当たりの報告数が増えており、例年の同時期と比べてかなり多い状況となっています(2024年12月現在)。

 

【マイコプラズマ肺炎】とは

 秋冬に増加する傾向のある、頑固なせきをともなう呼吸器感染症(肺炎マイコプラズマ細菌)で、患者の約80%は14歳以下(成人の報告もある)。発熱や全身の倦怠感、頭痛、せきなどの症状がみられます。せきは少し遅れて始まることがあり、多くは気管支炎で済み、せきは熱が下がった後も3~4週間残るなど軽い症状がしばらく続きます。しかし、一部の人は肺炎となるなど、重症化もあり得ます。(5~10%未満で中耳炎、胸膜炎、心筋炎、髄膜炎などの合併症の報告があります。)



※画像はイメージです

 

感染経路と予防と対策

 感染した人のせきのしぶき(飛沫)を吸い込んだり(飛沫感染)、感染者と接触したりすること(接触感染)により感染します。家庭のほか、施設などでも感染の伝播がみられます。感染してから発症するまでの潜伏期間は長く、2~3週間くらいです。短時間の曝露による感染拡大の可能性はそれほど高くなく、濃厚接触により感染することが多いと考えられています。

 普段から流水と石けんによる手洗いをすることが大切です。感染した場合は、家族間でも洗面所等のタオルの共用(洗濯済のものを個別使用)は避け、マスクを着用しましょう。治療にはマクロライド系の抗菌薬が主に用いられます。

 

【伝染性紅斑(でんせんせいこうはん)】と

 両頬がリンゴのように赤くなることから「リンゴ病」とも呼ばれます。ヒトパルボウイルスB19による小児を中心にみられる流行性の感染症です。患者の年齢分布では、5~9歳での発生が最も多く、ついで0~4歳が多いとされています。

 多くの場合、約10~20日の潜伏期間の後、微熱や風邪の症状などがみられ、この時期にウイルスの排出が最も多くなります。7~10日経って、両頬に蝶の羽のような境界鮮明な赤い発しん(紅斑)が現れます。この時点では、既にウイルスの排出はほとんどなく、感染力もほぼ消失しています。

 続いて、体や手・足に網目状やレース状の発しんが広がりますが、これらは1週間程度で消失します。少ないケースですが、一度消えた発しんが短期間のうちに再び出現したりするなど長引くこともあります。成人では関節痛を伴う関節炎や頭痛などの症状が出ることもありますが、ほとんどは合併症を起こすことなく自然に回復します。



※画像は紅斑の現れたこども(厚労省HP)

 

感染経路と予防と対策

 飛沫感染や接触感染により感染しますので、対策の基本の「手洗い・うがい・マスク着用・咳エチケット・現場の換気・共用タオルの中止」は同じです。軽い症状の病気のため、予防薬もワクチンもなく、特別な治療法はありません。また、感染しても症状がない場合(不顕性感染)もあります。

 

妊娠中又は妊娠の可能性がある方へ

 これまで伝染性紅斑に感染したことのない女性が妊娠中に感染した場合、胎児にも感染し、胎児水腫などの重篤な状態や、流産のリスクとなる可能性があります。熱や倦怠感が出現した後に発疹が出るなど、伝染性紅斑を疑う症状がある場合は、医療機関に相談しましょう。

 周囲に伝染性紅斑の人がいる場合は、妊婦健診の際に、医師に伝えてください。かぜ症状がある方との接触をできる限り避け、手洗いやマスクの着用などの基本的な感染予防(※)を行ってください。
(※)手洗い・うがい・マスク着用・咳エチケット・現場の換気・タオルの個別使用
 

冬の感染対策をお願いします(厚労省)

 インフルエンザは2024年第44週(10月28日から11月3日まで)に定点当たり報告数が流行開始の目安である「1」を上回り、流行シーズン入りしました。また、新型コロナウイルス感染症については、例年、冬にかけて感染者が増加する傾向が見られます。

 インフルエンザや新型コロナウイルス感染症をはじめとする感染症の予防には、「手洗い」「マスクの着用を含む咳(せき)エチケット」「換気」などが有効です。

 特に高齢者や基礎疾患のある方が感染すると、重症化するリスクが高まります。高齢の方と会ったり、通院や大人数で集まったりするときは、マスクの着用を含めた感染対策へのご協力をお願いします。

 
点検してみよう

感染症に対する自分の意識の持ち方などで、「油断」となってしまう要素はあるだろうか。

紙ふうせんだより 11月号 (2025/01/15)

「学ぶということ」は何かが変わること

 皆様、いつもありがとうございます。今年も残すところあと僅かとなりました。やり残した事、やろうと思ってそのままになっている事、沢山あると思います。やりたい事が多いほど全部をやるのは難しいかもしれません。しかしそれでも良いのです。大切なことは形式的な達成よりも、様々な過程で学びを得て深めていくことです。学びにゴールはありません。

自分が変わったことで、利用者さんも変わる

 11月11日は「介護の日」(※1)です。東京都では、11月を「福祉人材集中PR月間」として福祉の仕事の魅力の発信に取り組んでいて、「#なにゆえ私が介護職?」とハッシュタグをつけた投稿キャンペーン(InstagramやX)も行っています。そのPRサイトにインタビュー記事があったので、それぞれの福祉職が一歩深まる転機となった部分を引用します。




※1 介護について理解と認識を深め、介護従事者、介護サービス利用者及び介護家族を支援するとともに、利用者、家族、介護従事者、それらを取り巻く地域社会における支え合いや交流を促進する観点から、高齢者や障害者等に対する介護に関し、国民への啓発を重点的に実施するための日。2008年厚労省制定。




(訪問介護・障害児童対応)「最初から『それはできない』と否定して全て介助するのではなく、どうしたらできるのか一緒に考えて工夫した結果、少しの介助で、お味噌汁を飲むことができました。その子は『自分で食べると本当においしい!』と今までに見たことがない笑顔を見せてくれたんです。」

(有料老人ホーム)「仕事を続けていて思うのは、もちろん自分の心意気は大切だけれど、介護の仕事は利用者からもらうもののほうが多いということ。一人で悩んでいると『元気ないね、どうしたの?下向いてたら幸せ逃げちゃうよ』と声をかけてもらったり、昔話を一緒にして笑ったり、私が経験したことのない話を聞いて勉強になったり。人生の大先輩たちだからこそ、話と言葉がすとんと胸に落ちてくる。」

(障害者グループホーム)「『不安』から『楽しい』への気持ちの変化は、自然とご利用者様にも伝わったようで、その辺りから今まで以上にご利用者様との距離も近づき、仲良くコミュニケーションをとれるようになったと思います。」

 これらの引用にあるような経験は、皆さんもしてきていることと思います。私たちはそこで何かを学び、その学びによって意欲を高め、自分を一歩前進させてきたのです。学ぶということの本質はどのようなことなのでしょうか。

 最初のエピソードでは、自分の先入観で“できない”としてしまったのを改めて、本人の“したい”に向き合うように変わりました。次のエピソードでは “してもらう” ことが多いとの気付きがあり、一方通行の“してあげる”から元気が循環する心の交流へと変わっています。最後のエピソードでは、自分が変わったことで、利用者さんも変わるという発見がありました。

 全てに共通しているのは「自分が変わる」ということであり、それによって相手との関係が変わり、好循環を発見した時に「これで良かった」という確証が持てて一歩前に進んでいます。正しい知識や新しい考え方を研修などで得ることはきっかけに過ぎません。きっかけを得て、自分の認識や態度や行動を変えてみる試行錯誤を始めてみることによって、本当の「学び」が始まるのです。

続きを読む

本当の学びは自分だけのものではない

 学ぶことは自分が変わることです。教育哲学者の林竹二(たけじ)(※2)は、次のように述べています。

「学ぶということは、覚えこむこととは全くちがうことだ。学ぶとは、いつでも、何かがはじまることで、終ることのない過程に一歩ふみこむことである。一片の知識が学習の成果であるならば、それは何も学ばないでしまったことではないか。学んだことの証しは、ただ一つで、何かがかわることである」(国土社 1978年)

 学ぶということは知識の入力(インプット)ではありません。知識は種です。消費して終わりでは何も残りません。行動変容という出力(アウトプット)があって、自分次第で状況が変わるという循環的な再入力があってこそ、学ぶということの本当の理解が始まります。自分の働きかけには力があるという「自己効力感(※3)」を得て、好循環は加速します。その先には、学び始める前には思いもよらない「知らない自分」の姿があるはずです。

 学ぶことの意義や価値は、学び始める前には理解できません。しかし学びの効果がわからなくても、種をまいて水やりをしましょう。芽が育ち始めると張り合いが出てきますが、その芽の意味はまだわかりません。ようやく育った植物が多くの実りをつけた時、種をまいたことの本当の意味がわかります。本当の学びは自分だけのものに留まりません。そして、本当の価値は多くの人を幸せにするものです。




※2(1906-1985)全国の小学校で対話型授業を実践した教育者でもある

※3 課題があるとき「どうせできない」ではなく「自分はきっとできる」と思えること。それまでの自分の経験や他者との関わり(成功体験の見聞や励まし)がそう思える背景にある。




学ぶということは、自他の相互作用の循環を確認すること

 まずは失敗から学んでみましょう。介護職員を頻繁に呼び止めて不安を訴える利用者(入居者)さんがいたとします。「相手にしていたら、要求が多くなるからやらないで」と言う考えを持つ職員の声が大きくてスルーが標準の対応となっていった時、その方は職員を呼び止めることをしなくなり表情は失せ、状況への反応も弱くなっていきました。

 これは認知機能の問題ではなく「学習性無力感(※4)」です。利用者さんは、状況への反応は無駄、自分の働きかけは無意味ということを職員の態度から学び、自らの心を守るために反応を閉ざしてしまったのです。これは悪循環です。この方法に職員は仕事のやりがいを保てるでしょうか。

 好循環はどうでしょう。「呼び止められた時は、不安を安心に転換するチャンス」という方針のもと、手を止めて粘り強く関わり、笑顔にさせてハイタッチで締めくくるようにしていきました。利用者さんは職員が何をしているのか、自分と職員はどのような関係なのかを理解していきます。

 ハイタッチの意味も自分なりに学び、職員が脇を通るとよく利用者さんが手を広げてくるのでハイタッチになります。「応援してるよ。頑張ろう!」というニュアンスでしょうか、職員が忙しくしていても一瞬で通じ合うものがあります。今では不安な様子も消え、目と目を合わせただけでお互いの暖かい気持ちが伝わってくるようです。




※4 自分の行動が結果を伴わないことを何度も経験していくうちに、やがて何をしても無意味だと思うようになっていき、たとえ結果を変えられるような場面でも自分から行動を起こさない状態のこと




「刮目せよ」 心の中の決意の火は、外からは見えない

 「三日会わざれば刮目(かつもく)して見よ。」このことわざは、変り映えしないと揶揄された「呉下(ごかの)阿蒙(あもう)」の故事に由来します。

 三国時代、武勇に優れるが文盲(もんもう)の呂蒙(りょもう)は、主君の孫権(そんけん)の「呂蒙に学があったら」との嘆きに意を決し、多忙な軍務の傍ら文字を学び書を読み始めます。後日、あまりの博学と見識の深さに魯粛(ろしゅく)が驚嘆した時、呂蒙は「志のある者は変わるから、三日会わなければ認識を改めるべき」と言いました。

 人は変わります。行き詰まりは大きく変わる時です。僅かなことにも注意を払い変化の好機とし好循環にしていきましょう。


紙面研修
 

「学習性無力感」と「自己効力感」

学習性無力感とは

「学習性無力感」は、刺激に対しての反応を観察する行動主義心理学の考えのもと、動物実験によって1960年代にセリグマンによって確認されました。

 実験1日目は、身体拘束をされて電撃を受けるイヌ(A)グループと、身体拘束をされるが電撃を受けないイヌ(B)グループに分けます。実験2日目、それぞれの身体拘束を解いて柵の中に入れ電気刺激を与えます。すると(A)は電撃を受け続けましたが、(B)は柵を飛び越えて回避行動をしました。この反応の差は、(A)は、「自分ではどうすることもできない状況」で苦痛を与えられたため「苦痛は回避できない」と学習してしまったと考えられたのです。しかし(A)に(B)を観察させると、回避行動を学習して回避できるようになることもわかりました。

 人間を対象とした研究では、学生に答えの出せない計算問題を立て続けに出題すると、その後の問題(それが実は答えを導き出せるものであっても)に取り組む意欲が低下し、最初に簡単な問題を経験すると答えの出せない計算問題が出てきても意欲的に取り組めることがわかってきました。

【POINT】 
  • 自分の力ではどうすることもできない(統御不可能)と思い込むと状況を改善しようとしなくなる。
  • 改善の可能性が示されると、無気力から脱することができる。
  • 行為に対して結果が伴うこと(結果の随伴性)に、意欲は左右される。
 さらに人間の場合には、動物には無い結果のばらつきや矛盾が見られたため、「自分」を勘定に入れる人間らしさが反映していると考えられました。人は、統御不可能状態の原因を自分の内的要因(状態の変わりにくい自分の基盤となるような要因)に結び付けてしまうと、無気力や抑うつに繋がってしまうのですが、統御可能性が自分の内的要因(自分にはそれを行う能力がある)に結び付けられると自信となるのです。

 また、「無力感」は不運に対する「弱さ」としての反応ではなく、受動的になることで困難な期間をやり過ごして自分を守ろうとする反応であることもわかってきました。これはパワハラや虐待やDVの被害者にも見られる反応です。どんな状況になっても人は懸命に自分を守ろうとするものなのです。




「減量に失敗する人は、食事量と体重の間には関係が無いと感じており、カロリーの低い食品しかとらなくても、自分は太ってしまうと考える傾向がある。すなわち、減量失敗者はその失敗を「自己の体質」という安定的で、統御不可能な要因に帰属することによって、減量行動に無力感を抱いているのである。この安定的、統御不可能な要因への帰属を不安定的、統制可能な要因への帰属に変えれば、次回の減量に成功する可能性の認知が増すであろう。

 しかし、不安定的、統制可能な要因に帰属を変えさせても、行動の変容が容易に生じない場合がある、それは『原因は自分が努力すれば変えられるところにあるが、自分にはその能力がない』と感じている場合である。この自己の行動する能力に対する認識は、健康行動の生起に重要な役割を果たしている。これが次に取り上げる自己効力感である。」

(「主観的統制感と健康」日本看護研究会雑誌Vol.22 No.2 1999)




どのように取り組んでいくか

 取り組み慣れていない問題について「難しい」と人は考えてしまいますが、いたしかたないことです。何が問題なのかを上手く掴めなかったり、全体像が見えないこともあるからです。そのような時「どのように物事を考えるのか」という考える順番を意識してみるだけでも、何から取り組んだら良いか、少しは見えてくるのではないでしょうか。ここまでについて整理・検討してみましょう。

【物事への考え方を整理する】
  • 改善可能な物事の場合は、自分にも要因がある部分については自分の行動を変えることが大切。
  • 改善しにくい物事の場合は、それを自分の内的な本質的な要因のみに落とし込んでしまうことはしない。(改善行動への意欲が下がってしまうし、気分も落ち込んでしまう)
  • 改善しにくい物事の場合は、要因は様々なものが合わさった構成的なものと考えるが、どんな物事でも、時間がかかっても、少しづつでも改善は可能であると考える。
  • 改善しようとする時は、自分が「統制可能」なものを探してそこから着手する。
  • 自分には「能力が無い」と思い込むと取り組めないので、他の事例の成功体験(自分の強み)を思い出して、強みを援用すれば自分にも「できる」と考える。
  • 小さなことでも取り組んで「できた」ということがあったらそれを大切にし、一つひとつ積み重ねていく。
 

ポジティブ心理学の創設

 マーティン・セリグマン(1942-)はアメリカ心理学会の会長に就任(1998)すると、「心理学は人間の弱みばかりでなく、人間の良いところや人徳を研究する学問でもあり、すでに主要な心理学的理論はそのような補強を行う方向に変貌しつつある」と指摘し、「どうすればもっと幸福になれるか」を領域とする「ポジティブ心理学」を創設します。人の長所や強みに着目しそれを促進することが課題なのです。

 「自己効力感」とは

 人が行動を起こす時、「その行為を行えば良い結果が得られる」という予測(結果期待)と、「自分にはその行為ができる」という予測(効果期待)の両者が伴ってはじめて実行に移されます。結果期待については、自分がわからなくても信頼のできる人から勧められれば、「やってみよう」という気になることができます。しかし、 効果期待については「できないだろう」という思いが強ければ、よっぽどのことでもない限り、やってみようとはなりません。

 ここでより重要になってくるのは、効果期待についてです。これは言い換えれば「自信」ですが、「自己効力感」と呼ばれます。できるかどうかわからない問題について、「がんばってやってみよう」と思える人と、「無理そうだからやらない」と諦めてしまう人、その両者の間にある差は「自己効力感」なのです。

 自己効力感(セルフ・エフィカシー)は、自己効力や自己可能感とも訳されており、アルバート・バンデューラ(1925-2021)が1990年代に提唱した概念で、ポジティブ心理学で大きな意味を持っています。




喫煙をやめる意思の強さは、喫煙による肺癌や心臓病の発生率の高さや疾患の重症度の認識よりも、自己効力感と強く関連していた。また、この効果は被験者が喫煙の中止が疾患の罹患率を下げると確信した時のみ有効であった。このことは自己効力感が健康行動の生起に関して重要であるが、さらにその前提条件として、結果期待が必要であることを示している。(同書)




自己効力感と結果期待の関係

 自己効力感(効果期待)と結果期待のそれぞれの度合いの組み合わせによって、人の感情はさらに複雑に変化することがわかっています。その複雑さは一筋縄ではいきません。例えば、自己効力感が低下してしまっている人に配慮して、簡単すぎる課題をお願いすることで、かえって、モチベーションを低下させてしまうことも考えられます。結果を得られる期待が単純に高ければ良いというものでもないのです。

 デイでのレクなどで考えてみましょう。自分には色々できなくなってきたことがあると嘆かれる方に配慮し、とても簡単にできる課題を用意した時、「こんな事をやらされるなんて、自分も落ちたもんだ」と捉えてしまい、「やらされ感」となって、かえって自己評価の低下や気分の落ち込みを誘発することもあります。(先日の管理者研修会での北原佐和子さんの講演にも同様のお話しがありました。)

また、「簡単にできる〇〇」等と誘導されて期待が高まったのに上手くいかなった場合も「がっかり感」となってしまうこともあるでしょう。押しつけにならないように勧めていくことが大切です。

 

自己効力感を高める方法

バンデューラは、自己効力感が高まる際の先行要因に、

1.達成経験 2.代理経験 3.言語的説得 4.生理的情緒的高揚

の4つをあげています。それらを理解しながら利用者さんとの語らいなどに取り入れていくことは、先行要因となって、自己効力感が高まることに繋がっていくでしょう。

1.本人が達成した経験を思い出してもらう。(強みはその人の歴史の中にある)

2.他人の頑張っているところを見てもらったり、「できるようになった」好例を話す。

3.「能力がある。きちんと出来ている。上手い」等と言葉で肯定的評価を伝える。褒める。

4.日頃から「できた」という時には、嬉しい感情を表現して喜びあう。気持ちが高まるような仕掛けを使う。ドキドキ・ワクワク感を演出する。楽しめるイベントを取り入れる。(例えば、盛り上がる音楽をかけたり、賞状を作成して読んだり…)

 これらの他には、「できた」ときの状態を一緒に想像したり、自己効力感に揺れる気持ちを聞いて、それらを含めて承認していくことも大切です。自己否定に傾きがちな時だからこそ、ネガティブな発言についても、その発言や考えを安易に否定したりせずに「思慮深くて素晴らしい。物事をずっと深く考えておられて学びになった。一緒に考えていきたい」などと伝えて、肯定的に受け止めていくのです。

 

 もう一つの要因「統制の所在」

 例えば、自分の人生は運命によって決まっているか、運命は自分で変えられるか、という捉え方の違いによっても、自己効力感は異なってきます。「運命は変えられない」(統制の所在が運命にある)と強く思っている人は、過酷な目にあうと諦めてしまう傾向が強くなります。「統制の所在」の問題について示唆に富んでいる交流分析のエリック・バーンの名言を引用します。まずは自分自身の統御可能な態度や固定観念を変えていくことから始めましょう。自分が変われば、相手との関係も未来も変わり得るのです。

「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」

 
考えてみよう

リハビリに乗り気になれない方の心の中には、どのような気持ちや考えがあるだろう。

責められた気持にならないようにしながら、その人の考えなどを聞くことは可能だろうか。

気持ちや考えを聞けたなら、リハビリをめぐる支援者と利用者の関係はどのようになるだろう。


紙ふうせんだより 10月号 (2024/11/15)

何度でも繰り返そう

 皆様、いつもありがとうございます。年々、雲の多い日が増えてきました。温暖化の進行により空気中に含まれる水分量が増えてきたからでしょう。空が霞むのもそのためですが、晴れた空が高くなってきました。秋の深まりと共に、自身も深まっていきましょう。

もっと高く何度でも

「落ちてきたら今度はもっと高くもっともっと高く何度でも打ち上げよう」これは『紙風船(※1)』という黒田三郎の詩です。




「紙風船」

落ちてきたら

今度は

もっと高く

もっともっと高く

何度でも打ち上げよう

 

美しい

願いごとのように

※1 詩集『もっと高く』1964年刊




 誰もが一度は遊んだことのある紙風船。ゆっくりと落ちてくるところを見上げながら「今度は」と自分に言い聞かせ、「もっと高く」と想いを新たにすること。それが「美しい願いごと」だと言うのです。高く打ち上げようとして叩きすぎてしまうと、紙風船は凹んで空気が抜けてしまいます。しかし、丈夫なグラシン紙のおかげで破れてしまうことはめったにありません。凹んでしまったっていい。もう一度、息を吹き込んであげればいい。いつか願いがかなう時まで、何度でも何度でも繰り返せばいい…。

 

自身と世界を照らし出す心の火

 私たちは、日々の生活を繰り返しながら、月々を廻(めぐ)り年を重ねていきます。その永続性に、かつて社会学者の宮台真司は『終わりなき日常を生きろ』と果てしなさに倦(う)む若者を挑発しました。しかし20代も後半になり青春時代が遠のいていった時、「十代はいつか終わる 生きていればすぐ終わる(※2)」という悔恨がやってきます。仕事に打ち込んだ30、40代も過ぎてみれば「光陰矢の如し」です。そして残された時間が気になり始めた頃、この両手が掴みとったものは一体何だったのかを考えるようになります。

 私たち介護職員は知っています。人生も要介護の生活も「いつか終わる 生きていればすぐ終わる」ということを。それが自然の成り行きだということを。しかし、「すぐ終わる」からと言って、粗雑にはできません。すぐ終わるからこそ残された時間を少しでも明るいものにしていきたいのです。

 古代インドでは、全ては「輪廻(りんね)」すると考えました。車輪のように廻り続けることが全ての基本構造であると捉えたのです。その車輪の一回転は、繰り返したとしても一つとして同じものはありません。そうであれば、繰り返しに倦むことなく願い続けることそれ自体が美しく崇高です。

 もし真の「美しさ」というものがあるとするならば、落ちてきても凹んでしまっても何度も繰り返し立ち向かっていく心、その心を明るくする心の中の灯(ともしび)、その小さな燃えている火によって照らし出されていく自身と世界にこそあるのではないでしょうか。

 

「繰り返す過ちの そのたび人は ただ青い空の 青さを知る」これは覚和歌子が作詞した『いつも何度でも(※3)』の一節です。




※2 フラワーカンパニーズの『深夜高速』の歌詞の一節。作詞作曲、鈴木圭介2004年。歌詞中に「生きててよかった」を22回繰り返す。

※3 映画『千と千尋の神隠し』の主題歌2001年。この後に「果てしなく道は続いて見えるけれど この両手は光を抱ける」という歌詞が続く 




続きを読む

明るい方へ

 私たち介護職員は、利用者さんの繰り言や、せっかく積み上げた石積みを「鬼(※4)」に崩されるような体調不良や転倒にあって、その繰り返しに疲れてしまうことがあります。投げ出したくなる自らの心を明るくしていくためにはどうしたら良いでしょう。凹んだ心にはどうやったら息を吹き込めるでしょうか。

「明るい方へ 明るい方へ 一つの葉でも陽の洩(も)るとこへ」これは金子みすゞ(※5)の詩『明るい方へ』です。草や虫や子供たちは、遮るものがあっても光のある方へひたむきに進みます。「翅(はね)は焦(こ)げよと灯(ひ)のあるとこへ」と「夜飛ぶ虫」も目指します。これが、時に小さな利己に囚われて自らを暗い方へと誘導する打算に動く大人とは違うところで、自然の営みであり本性なのです。私たちに備わる本性は、「明るい方」を願い求めているのです。




「明るい方へ」

明るい方へ

明るい方へ。

 

一つの葉でも

陽の洩るとこへ。

 

藪かげの草は。

 

明るい方へ

明るい方へ。

 

翅は焦げよと

灯のあるとこへ。

 

夜飛ぶ虫は。

 

明るい方へ

明るい方へ。

 

一分もひろく

日の射すとこへ。

 

都会に住む子等は。

 




※4 生活の安定を脅かす存在の意もある(お便り2024年2月号参照)

※5 本名 金子テル(1903-1930)
1923年に童謡を投稿して西條八十に激賞され、童謡詩人会(女性会員は与謝野晶子とみすゞのみ)に入会。1926年に嫁ぐが放蕩の夫に淋病をうつされた上に詩作を禁じられる。1930年に別居し離婚、親権争いを病床に苦しみ同年服毒自殺。没後半世紀はほぼ忘却されていたが矢崎節夫の再発見により再評価が進み1984年に『金子みすゞ全集』刊行




誰かのために灯した光

 あるご利用者さんは塞ぎ込んだ顔をしてベットにおられ、ぶっきらぼうに「調子が悪い」と拒絶的です。「コーヒーをいれるから起きてきてください」とお願いすると起きて来られるのは、葛藤を抱えて自分自身を持て余していても、変化の糸口を求めているのでしょう。「調子が悪いのは、色々と考えてしまうからですか?」とあえて伺うと、「人間は独りで生まれて独りで死んでいくんだ。全部自分持ちなんだ」と鋭い口調です。

「哲学的ですね。その自分が何者なのか考えているんですね」とお返しすると「そんな話はしたくない」と言いつつもコーヒーを飲みだして会話の姿勢です。「自分をどのように考えていますか?」と伺うと「社会的には死人だから生きている価値が無い」と言われます。

「私たちの関係も社会ですよ」と会話を続け、その方の生活史の中の「人の為に頑張った話」に焦点をあてていくと、「コーヒー旨いな、もう一杯いれてくれないか」と言われます。「私もお話しできて良かったです」と感謝を伝えると「本当はめんどくさい奴と思っているんだろ?」と言われます。「重大な問いを私にぶつけられて、私自身がどう答えるかスリリングで楽しかったです」と率直に伝えます。受け入れ難い自分を受けとめてくれた姿勢は、自分を立て直す支えとなります。その瞬間、「ありがとう」と笑顔になられました。

この会話は、私にとっても心に残る価値あるものになりました。人は、自分の枠組外の課題が生じると矛盾葛藤を抱えます。矛盾葛藤はいわば内的な「他者」であり、どのように関わるかという「社会問題」が生じます。矛盾葛藤は生きている限り何度も繰り返します。行き詰まりには「他者」の存在が必要です。私自身も、利用者さんや先輩や家族、音楽や書物や自然等の「他者」によって自己の枠を拡げてきました。

 支えとしての「他者」に必要なことは自分より優れていることではなく、自分の心の側に在るような手触りのある実感です。私たちが誰かの心に寄り添う時、相手も自分の心の側に在ることになります。暗い夜道で誰かの足元を明るく照らし出そうとする時、灯した光によって自分も明るくなるのです。

 


紙面研修

繰り返しによって形成される自己像

 

杉浦の自己モデル

 自分とは「何者なのか」という問いは、誰の心にもあるものでしょう。その問いに対して各人が持つ「自己像」は十人十色ですが、その自己像がどのように形成されるかを考えることは、自己像の変化を目指す時に手掛かりとなります。近畿大学の杉浦健の「自己モデル」をその論文から紹介します。




循環によって立ち現れる多面的自己のプロセスモデル

 循環によって立ち現れる多面的自己のプロセスモデル

 「杉浦 (2014) の自己モデルにおいては、自己とは認識された自己であり、さまざまな行動 ( 他者とのコミュニケーションも行動のひとつである) とその結果のフィードバックの記憶が循環的に軌跡の重なりを形作ることによって、その輪郭が自己として認識されると考えられている。

 例えば、恋人とうまくやっている自分、勉強ができる (できない) 自分、 クラブに熱中する自分などが、一連の行動とそのフィードバックの記憶によって浮かび上がってくるという ことである。またそのように認識される自己はシステムの特徴をもっており、今ある状態を保つように収束する方向で働いている (循環によって立ち現れる自己、システムとしての自己)。例えば、勉強ができない自分という自己認識は、1回テストでいい点を取ったからといって簡単には変わらないということである。

 そのような循環の軌跡の重なりを輪郭として捉えて認識される自己は、唯一のものではなく、さまざまな分野、さまざまな他者との関係において複数認識することができる。私たちは 時と場合に応じてさまざまに異なる自己を認識し、それに基づいて自己呈示を行っている(作動自己、多面的自己)。また、それらの多面的自己同士の関係やバランスによって、私たちのアイデンティティのあり方も左右されている。

 そして当然だが私たちは今でも外に働きかけて行動し、他者とコミュニケーションし続けている。それによって自己として認識される循環の軌跡は付け加わったり、ブレたり、時には大きく軌跡を変えたりしている。例えば、ずっと勉強ができない自分だと思っていたのが、いい先生の授業を受けて授業内容が理解できるようになり、テストでも何回か点数を取れるようになって自信がつき、他の教科もできるようになって、勉強ができる自分に変わるような状況である。

 循環の軌跡の重なりを輪郭として捉えて認識される自己は一見変わらないものに思えたとしても、実は常に外に開かれ、常に変わり続けてその状態を保っていることになる(プロセスとしての自己、外に開かれたシステムとしての自己)。

 さらに私たちは自分の認識した自己に影響を受けて、思考したり行動をしたりしている。私たちの認識した自己はそのまま自分や世界を見る色めがねになっている。より適応的に、より健康的に、より生産的に生きるためには、私たちは自己がどのような性質を持っているのかを知り、自分が自己をどのように認識しているのかを知り、適切な姿勢で自己に向き合い、そして主体としてどのように行動すべきかを考えることが必要になる。(近畿大学教育論叢 第26巻2号 2014.2)




 自己像の変化が必要な時

 好循環とは平均台の上にいるようなもので、バランスが崩れそうになった時はバランスのとり直しが必要になってきます。そのバランスの取り方については、些細なことや自分が直接関われない物事いついて、過度に捉われたり悩み過ぎないことも含まれます。特に意識せずとも問題がない時は何もする必要はありませんが、非適応的な自己像や悪循環が意識されているのなら、どうしてなのか検討が必要です。




変わるのを待つ

 「杉浦の自己モデルでは、循環の軌跡は行動とその結果のフィードバックの記憶であり、その重なりが輪郭となって自己として認識されると考えている。そうすると循環の軌跡が重なって輪郭が浮かび上がり、それが自己の特徴として認識されるまでには、当然それなりの時間の流れが内在している。今の状態の自己はある程度の時間的プロセスを経て現在ある状態に保たれているものなのである。そうすると自分を変えようと思ったとき、行動や心の持ちようを一度変えたくらいでは自分は変わらないことがわかる(図2)。

 図2のように、一回循環の軌跡が変わった(つまり一度、いつもとは異なる行動をした)くらいでは循環の重なりとして立ち現れた輪郭としての自己認識は変わらず、システムとしての自己はそれまでと同じ状態を保とうと働き、もとの状態に戻ってしまうのだ。

 自己が変わるためには、たとえば人生の転機のような、循環の軌跡が変わるような行動や思考や出来事があり、変わった循環の軌跡の重なりが新たな輪郭として認識されるまで、行動や思考の変化が続くためのある程度の時間が必要なのである(図2下図)。もしも小さな変化から自分を変えていこうと思ったなら、そんな小さな変化を続けていくことが求められることになる。」(同書)



 




介護職に必要な気付き

 私たち介護職員に必要な気付きは一体何でしょう。

 私たちの態度や姿勢が利用者さんの自己像の形成に大きく関わっていることは、杉浦の自己モデルを学べば理解できます。例えば、利用者さんの介助を行う時に、嫌そうな表情や大きなため息をついて行っていたら、利用者さんはそれによって「自分は周囲に対して迷惑をかけているダメ人間」という自己像を形成することは十分にあり得えます。そのような時、「嫌そうにやられて気分が悪い」と言える方のほうが、自他の問題を切り分けることができる健全な精神の持ち主と言えるでしょう。

 一方で、業務内容として必要かつ許容される内容を、介護職が嫌な顔をして行うことの問題は、それを利用者が要求するからではなく、自分の無自覚的な表情の表出にあると気が付くべきです。無自覚さは、「働くこと」に対する自身の無意識的な受け止め方もあるでしょうし、「嫌な顔」の相互作用による自身の自己像の矮小化という悪循環も起こるでしょう。

 私たちが楽しく働いていくためには、介護職としての「自己像」を利用者さんとの関係によって成長・発展させていく必要があるのです。杉浦は、固着した家族関係などを例に取りながら、自己像の悪循環が見られる時は、それを「外に開く」必要があるとして、以下のように述べています。

 「本来、循環によって立ち現れる自己は外に開かれた関係性の存在であり、その関係性の中で常に変化しうる(変化し続けている)存在なのだが、問題を抱えた状態の場合、しばしばその関係性が閉じたり、特定の関係に固着してしまったりして問題が維持されてしまっているのである。」自己像の変化や発展には「他者」の拡がりが必要です。

 人間関係が狭まく閉じた環境(施設等)で生活する場合にあっては、その狭さによって些細なことに注目が向いてしまい、それがネガティブな内容ともなれば、そこに居る人(利用者さん等)のメンタルや自己像に影響を与え悪循環してしまいます。そのためには些細なところまで十分に配慮することが必要です。

 ある利用者さんは、医師より「転んだら終わりだよ」と言われて怖くなって外出できなくなってしまい、外出をしていないことから、「自分は歩けない」と事実とは異なる自己像が生じてしまっていました。物忘れやできない事や状態悪化への注視は、自尊心を傷付け自己否定になりかねない繊細なものです。些細なことについても暖かい態度や誉め言葉を贈り、好循環となるように心掛けていきましょう。

 

【memo】「本質主義」とは、男女や民族や個人など属性や個物にその性質を決定するものが内在し、それは本質なので変わらないとする決定論的な考え方。「日本人は勤勉」「女は狡猾」等の見方も本質主義だが、偏見に陥ってしまう面がある。「構成主義」は関係性の中で性質が形成されるので性質は変化し得ると考える。何が本質で何が構成されているかについては決めつけに偏るべきではない。

 

考えてみよう

どのような声かけや態度が利用者さんの自己像をポジティブやネガティブにするだろう。

その言葉を発しその態度を取ることによって自分自身の自己像はどのようになっていくだろう。

従業員間の声かけや態度は、どのようなものが望ましいだろう。


紙ふうせんだより 9月号 (2024/10/22)

夕暮れの物語り

 皆様、いつもありがとうございます。ようやく過ごしやすくなってきましたね。とは言え油断は禁物です。急な涼しさに身体の準備が整わず、風邪をひくこともあるでしょう。夏の体力低下は食事と運動で補い、利用者さんとの関わりで心の活力を得ていきましょう。

 

秋は夕暮れ

 秋の日はつるべ落としです。陽が傾くと昼間には霞んで見えなかった山々が、青紫色の影として西方のオレンジ色の空に浮かび上がります。空を渡る鳥が二羽三羽。帰って行くのはあの山の麓か西の彼方でしょうか。暗くなった庭影から虫の声が湧き上がってきます。私たちは、秋の夕暮れに懐かしさやもの悲しさ、愛おしさを感じます。それはなぜでしょう。

 

 「秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の寝所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。まいて、雁などの連ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず」

 

 これは清少納言(※1)の「枕草子」の一節です。一日の終わりの秋の夕暮れは、一年のみならず一生の終わりを予感させます。平安時代中期の貴族の平均寿命は40歳前後と言われています。ひとたび体調を崩せば死が目前に迫る時代です。この時代の貴族の信仰は浄土教にあり、辛い人の世にあって真の救いは西方極楽浄土にあると説かれていました。

 

 無常である人の世から眺めた太陽は沈んだように見えても、真理の世界では太陽そのものは決して失われません。夕陽の輝きは感傷を誘います。人の命は急ぎ足で過ぎ去って有限ではあるけれど、西の空の果てに行くことができれば(※2)、永遠なるものに連なることができるかもしれない。寝床に急ぐ鳥の姿を見送りながら、深い安らぎへの希求や再生への願いを重ねたのです。

 

 家に帰りたくなる「夕暮れ症候群」

 夕方に「帰宅願望」が生じやすいことは、「夕暮れ症候群」などと呼ばれています。

 「認知症の方の中には、日中は穏やかで話もよくわかるのに、夕暮れ時になると、落ち着かなくなったり、話が通じないような状態になる人があります。この状態を『夕暮れ症候群』といいます。原因は確定していませんが、一番大きな要因は1日の睡眠と覚醒のリズムがおかしくなって、夕方になると半分寝ているような起きているような状態になるからだといわれます。その他に、周囲の介護者が夕方になって疲れた顔をしているのをみて不安になるといった心理的な要因もあるようです。対応は以下のようなことを考えます。

 

  • ・夕方、暗くなる前に早めに点灯する

  • ・昼寝を制限する

  • ・日中の日光浴をおこなう

  •  

その他に、介護者自身が、体調をととのえていつも明るく接していることができる状態であることも重要です。」

 

 これは国立長寿医療研究センターによる解説です。対応を工夫することに異論はありません。ただし、「症状」という理解はすべきではないでしょう。これらは生理的にも長年の生活習慣としても、とても自然なことなのです。



※1 966年頃-1025年頃

※2 日が暮れた後に西方に高速で進むと暮れる前の昼の太陽が現れます。北緯35度(日本の京都付近)では、地球1周の長さは約32800kmであるため、時速13667km(マッハ1.1)で西に移動すればほぼ同じ位置の太陽を眺め続けることができます。



続きを読む

 日暮れて道遠し

 「世俗のもだしがたきに随(したが)ひてこれを必ずとせば、願ひも多く、身も苦しく、心の暇もなく、一生は、雑事の小節にさへられて、空(むな)しく暮れなむ。日暮れ塗(みち)遠し」

 

 これは兼好法師(※3)の「徒然草(つれづれぐさ)」です。雑事に追われているだけでは空しく人生が暮れてしまうと兼好は述べています。「日暮れて道遠し(※4)」とは、年老いたのに求める生き方に届いていないと感じる焦燥(しょうそう)を表していますが、晩年に人生の意味を求めることは自然なことで、この時期の課題は「私は私でいてよかったか?(※5)」という自問に対して、どのように自ら回答するかにかかっているとされています。

 

 そうであれば、「私はここに居て良いか?」という問いを含み持つ夕暮れ症候群は、実感の伴う自分や人生の安息地を求めて「私は私でいてよかったか?」ということを確かめたい気持ちなのです。言い換えれば、守り守られてきた温かい生活や人生の回顧などを背景にした「人生を追憶する情動」の表れでもあるのです。

 

 「人は健康なときには死のことなどを忘れて生活している。しかし、死が迫って来ると、人生の意味への問い、生きている目的、過去の出来事に対する後悔、死後の世界などへ関心をもち、人間はこの関心事を追及し、苦悩を持つ。この苦悩をスピリチュアルペインと定義(※6)」した時、「スピリチュアルペインを『症状』とみて『緩和』することを意図するのではなく、『関係性』でもって患者が『意味』を見出すのを支えること(※7)」が重要なのです。

 

 スピリチュアルペインは和訳すれば「魂の痛み」です。利用者さんの葛藤に向きあい受けとめることは、利用者さんの「魂の痛み」に寄り添うことになります。人が変化する時、そこには必ず情動が伴います。悲しみや後悔がその人を変え、喜びや充足が心を潤していきます。寄り添う人の存在は利用者さんに安心をもたらします。それは、支える人の心をも充実させることでしょう。そして、寄り添い続けることそのものが両者を癒していくのです。



※3 1350年頃-1283年頃

※4「史記」に描かれる伍子胥の話が語源

※5 心理学者のエリクソンが示す発達課題で「自己統合」の課題と言われる。孤独を怒りで表現することや抑うつ状態もあるが、再体験を試みる続ける努力が統合へとつながっていく

※6「終末期患者から学んだスピリチュアルペインとケア」新潟県立がんセンター新潟病院看護部

※7 亀田メディカルセンター疼痛・緩和ケア科「緩和ケア革命宣言」



 空にはきらきら金の星

 「夕焼け小焼けで日が暮れて 山のお寺の鐘が鳴る お手て繋いで皆帰ろう 烏と一緒に帰りましょう / 子供が帰った後からは 丸い大きなお月さま 小鳥が夢を見るころは 空にはきらきら金の星」

 

 これは中村雨紅(※8)の童謡「夕焼小焼」です。国語教師の雨紅は、この詩を八王子駅から恩方までの徒歩16㎞の帰宅路の光景に着想したと言われています。発表は1919年、草川信が1922年に曲をつけています。この名曲の印象について、要介護高齢者の心理に重ねあわせて、独自の解釈を物語ってみましょう。

 

 夕暮れの鐘が人の世における生の終わりを告げています。人生を遊び楽しんだ「私」という人間も、振返ってみれば非力な「子供」にすぎません。人生の総体やその意味を完全に捉えるには、「私」という視界はあまりにも小さすぎます。今すべきことは皆と手を繋ぐこと。「私」から離れて、自然の営みを告げる烏の声に背中を押されながら、あるべきところに一緒に帰ることです。

 

 やがて私たちは小鳥のように眠りにつきます。皆と仲良くできたことは良い夢見を誘います。しかしそれができなくとも心配することはありません。円満を表す満月は必ず昇ります。悪い夢から月が守ってくれます。夜の世界に等しく降り注ぐ月光に見守られながら、やがて全ては眠りの中です。その時、きらきらと金の星が輝くのです。



※8 本名は髙井宮吉1897年-1972年



紙面研修

スピリチュアルペインと宮沢賢治

スピリチュアル」とは

 英語のスピリチュアル(spiritual)は、本来はラテン語の spiritusに由来し、霊的であること、神の、聖霊の、霊の、魂の、精神の、超自然的な、神聖な、などを意味します。オカルトチックな話ではありません。ここでの話は、人間の存在要素の根底にある全体性をスピリチュアリティとして、スピリチュアルな次元でのアプローチを検討します。人の「尊厳性」に関わる領域の話でもあります。

 

 人間は身体のみによって生きるのではありません。「身体的・物質的」な側面のみで人間を捉えることは誤りです。かといって、「考えや感情」を重視しても、それで全てがわかったとはとても言えません。例えるなら、身体に病気が無い人は「健康か」と言えば、必ずしもそうではありませんし、病気を抱えるから「弱い」とも言えません。激怒していても「優しい」気持ちが失われたわけではありませんし、「どうでも良い」と言ってもどうでも良く無かったりします。「元気だよ」と返事をしても元気でないこともあります。

 

 私たちが個人の人間存在の全体を見ようとした時には、その難しさに困惑してしまいます。私たちは、どうしても物事を部分で見てしまい、それを全てのように錯覚してしまうからです。人間を人間たらしめている精神性やその心の奥底や、感性や感情と身体の結びつきや個人の歴史性・社会性など、さまざまな側面を持つ人間の全体性を捉えようとすることは、とても難しいことです。

 

 しかし、臨床心理学者の河合隼雄は、支援にあたっては、その全体性を見ようとすることの重要性を説きます。河合隼雄は、人間の様々な側面を統合し、その全体性を支えるものを「たましい」という言葉を使って表しています。ここで言う「スピリチュアル」と同義です。確かに人間存在の基層となるようなものは生きとし生けるものにあるのでしょう。そのような物語を昔から人間は考えてきたのですから。

 

 スピリチュアルペイン(ペイン=痛み)とは、スピリチュアルな次元、つまり全体や統合性の次元で生じている「痛み」です。スピリチュアルケアとは、スピリチュアルな次元に働きかけ、またはその働きを利用して、スピリチュアルペインを癒していこうというものです。

 

宮沢賢治の捉えかた

 宮沢賢治は、月について正確な科学的知識を持ち合わせています。それが岩石の塊であることなどを知っています。しかし、そのような断片的な情報の総体が「月である」とする理解を賢治は拒んでいます。

 

 「月」という存在の全体性の中には、月と地球や地球の生物との「関係性」や月と人間の歴史的・情緒的な「関係性」も当然含まれるからです。科学的にも言われていることですが、月が存在しなければ地球の自転速度は恐ろしく速くなり大型生物が誕生することは不可能とのことです。賢治は月を「月天子」と称し、いわば「仏様」のように敬っています。これが、賢治がスピリチュアルな次元で捉えた「月」です。

 

 ものごとを全体性の視点で捉えようとする時、それを観察する「観察者」も全体性の中に含まれます。それは、ある人に邪険にされたとしても部分的な「関係性」であって、全体の中では他の「観察者」も存在するので、その人を邪険だとは決められないことを意味します。全体性を見ることの困難さは、そこに「自分との関係性」も含み、自己都合による視野狭窄があるからです。

 

 ですが、これは救いでもあります。全体性の次元ではそこに「自分との関係性」も含むのですから、自分の態度や言動の変化によって、全体性の中での変化は「自分のアプローチによって部分的に可能」ということもまた言えるのです。

 

宮沢賢治の人間観・人生観

 賢治は、「人とは人の身体のことであると、そう言うならば誤りであるやように」と述べています。人間は身体のみによって生きるのではありません。賢治は、「人は身体と心であると言うならば、これも誤りであるように」と述べています。人は、単なる身体と心の集合体ではありません。さりとて人は心であると言うならば、また誤りであるように」と賢治は「唯心論」も否定します。では、賢治は「人間」をどのように捉えていたのでしょう。

 

 賢治は「しかれば私が月を月天子と称するとも、これは単なる擬人でない」と、本気でそう思っていることを賢治は述べています。賢治は信じているのです、月が仏様であることを。

 

 しかれば、賢治が「人」を何と称しているのか、ここでは賢治は明言を避けています。賢治にとってはそれがどうしようもなく大切なことだったからです。理解されないことも解っています。しかし賢治はその生き方を実践しました。その生き方は、死後に発見された賢治の手帳に明らかでした。「雨ニモマケズ」には自分の目指す態度を、困っている人と共に「涙を流し」「おろおろ歩き」としています。あまつさえ「みんなにデクノボーと呼ばれ」「ほめられもせず」と見下される痛みを甘受します。なぜでしょう。

 

賢治は、自分を馬鹿にしイジメてくるような「関係性」こそが自分の魂を磨いてくれると信じ、苦しんでいる人と一緒に苦悩する「関係性」こそが困っている人を真に救い得ると信じていたのです。篤く法華経を信仰する賢治の生きた“物語”は、自分が「仏様」と敬うことによって、自分が(差別する・される)痛みを引き受けることによって、自分が苦悩することによって、皆が「仏様」になれるというものでした。

 

物語ることの大切さ

人は、自分の「物語」を紡ぎながら生きています。ナラティブとは「語る・物語る」ことです。自身の経験や空想したことなどを他者と共有することなどから人生の「物語」は紡がれていきます。新たな関係性やその変化から新たな「意味」が生じ、それを物語ることから「物語」は変容していきます。

 

 【物語例】甲子園を目指していた野球選手がケガで出場を断念せざるを得ず、夢見ていたプロ入りも断たれ自暴自棄になってしまいます。破滅的な生活を送り「自分はだめな奴だ」と自身を呪っています(ドミナントストーリー)。しかし、偶然から子供を助け、その子の「憧れの存在」となってしまいます。「自分は良い奴じゃない」と言い聞かせても「僕にとってはヒーローだよ」と簡単に言われてしまい困惑します。そして、期待を裏切らないようにと、その子の前ではヒーローであろうとしているうちに、新たな自分の可能性(オルタナティブストーリー)に気が付き、挫折に立ち向かっていきます。

 

 介護職の存在は、既に利用者さんの人生物語の一部となっています。私たちの在り方や接し方によっても、利用者さんの「物語」は紡がれ変容していくのです。



参考資料

月天子 宮沢賢治

私はこどものときから
いろいろな雑誌や新聞で
幾つもの月の写真を見た
その表面はでこぼこの火口で覆はれ
またそこに日が射してゐるのもはっきり見た
后そこが大へんつめたいこと
空気のないことなども習った
また私は三度かそれの蝕を見た
地球の影がそこに映って
滑り去るのをはっきり見た
次にはそれがたぶんは地球をはなれたもので
最后に稲作の気候のことで知り合ひになった
盛岡測候所の私の友だちは
──ミリ径の小さな望遠鏡で
その天体を見せてくれた
亦その軌道や運転が
簡単な公式に従ふことを教へてくれた
しかもおゝ
わたくしがその天体を月天子と称しうやまふことに
遂に何等の障りもない
もしそれ人とは人のからだのことであると
さういふならば誤りであるやうに
さりとて人は
からだと心であるといふならば
これも誤りであるやうに
さりとて人は心であるといふならば
また誤りであるやうに
しかればわたくしが月を月天子と称するとも
これは単なる擬人でない

 



ナラティブを重視したがん緩和医療のあり方を探る

 

 スピリチュアルケアとペインの関係

スピリチュアルケアは一見、「こころのケア」と混同されがちであるが、こころのケアはストレスに苦しむ人を対象とした心理的・精神的症状に対するケアである。スピリチュアルケアはスピリチュアリティから派生するスピリチュアルペインのケアと考えられている。前者には薬物療法がある程度奏功するが、後者には効かないという点に大きな違いがある。

 前述した日本臨床死生学退会の一般演題「死とスピリチュアリティ」で座長を務めた窪寺敏行氏(正学院大学大学院人間福祉学研究科教授)によれば、「スピリチュアル“ケア”は“キュア”ではない」 と言う。そして、「スピリチュアルペインは人間存在に伴うものであるから、治療(キュア)して取り去るということができない」。
 つまり、スピリチュアルケアとは、単なるペインの緩和ではなく、人生の意味を失い、揺れ動く患者に寄り添って一緒に揺れ動きつつ患者を支える「寄り添い型ケア」であるべきで、「患者自らが納得できる人生の意味や目的を探し出し、かつ死後のいのちについての理解を持つことができるようにケアし、援助すること」が目的となる。(Medical ASAHI 2021 March)



考えてみよう

介護職の言動が利用者さんにとって否定的なナラティブとなってしまう場面を想像しよう。

自分(介護職員)の物語の中では、利用者さんはどのような役回りとなっているだろうか。

介護職員が、利用者さんを敬うことは、利用者さんの「物語」にどのように影響するだろう。

自己否定的な「物語」は、何がどのように「物語られる」ことで変わり得るだろう。











 


紙ふうせんだより 8月号 (2024/09/18)

あの夏を忘れない

皆様、いつもありがとうございます。連日の猛暑にも負けずにヘルパーさんが利用者さんのもとに訪問するその姿は、利用者さんの心の中に前向きな気持ちを呼び起こし、励みとなっています。いつもありがとうございます。

忘れられない記憶

 新聞を脇に置きながら利用者さんが「8月6日が過ぎましたね」と言われるので、「広島ですね。何か思い出はありますか?」と伺うと、利用者さんは「僕には忘れられない記憶があるんです」と言われます。その方の郷里は島根県で、中国山地を挟んだ反対側には広島県があります。「…8月6日には、『広島が大変なことになっているらしい』という話が伝わってきて、防空壕に皆で隠れていたんだ。大人達は食べ物を持ってきたりするために時々外に出たりするけれど、『子供達は隠れてなさい』と言われて、トイレの時以外は1週間くらい防空壕に隠れていたんだ…」

 その日の午後6時のラジオ放送は「8月6日午前8時20分、B-29数機が広島に来襲、焼夷(しょうい)弾を投下したのち、逃走せり。被害状況は目下調査中…」と「原子爆弾(※1)」を伏せ事実を隠す内容でした。当時、日本政府は情報統制や検閲をしており、政府にとって都合の良いことしか国民に伝えない方針でした。そもそも「表現の自由」に大幅な制限のある明治憲法でしたが、1940年12月に内閣情報局が設置されると、自主取材による報道は政府発表のプロパガンダに置きかわっていきます。しかし、人の口に戸は立てられぬものです。

 「そのうちに『広島に落とされたのは新型爆弾だったらしい』、『広島は全滅で大勢の人がやられたらしい』、ということが伝わってきて、防空壕の中で怖かったことを覚えている」と、その利用者さんは言われていました。緑豊かな山々の向こう側では多くの命が奪われているのです。しかし8日の新聞は曖昧で、「相當(そうとう)の被害を生じたり」「新型爆彈を使用せるものの如(ごと)きも詳細目下調査中」と、僅か2行の大本営発表のみを伝えています。




※1 日本も開発中だった。1945年8月6日の広島へのウラン型で約14万人、9日の長崎へのプルトニウム型で約7万4千人が45年末までに死亡したとされる。




死んでいたのは自分かもしれない

 9日、原爆を搭載したB-29爆撃機は、福岡県の小倉上空に現れます。しかし、雲と煙で目標が定まらずB-29は長崎に移動し、午前11時2分に原爆を投下します。当時、小倉在住だった別の利用者さんは、この投下目標の変更について戦後知ることになり、「死んでいたのは自分だったかもしれない」という思いを強く持ったそうです。

 なお、小倉上空の視界不良については前日の八幡大空襲の煙だと言われてきましたが、八幡製鉄の従業員が次に目標になるとしたら陸軍造兵廠のある小倉ではないか(※2)と予測して、敵機来襲の警報を聞いて用意していたコールタールに火をつけて煙幕を張ってから避難した、と近年証言しています。

  他人の死と自分の死を分けるものは一体何でしょう。いずれにしても、一歩違っていれば自分も死んでいたであろうことは、この時代を生きた多くの方が感じていることなのです。




※2 米軍機は9日から10日朝に「即刻都市より退避せよ 日本国民に告ぐ!」との「原子爆弾」投下予告チラシを大阪、長崎、福岡、東京に投下。ただし、日本では敵国宣伝チラシの所持や内容の口外は固く禁じられていた。




続きを読む

運よく助かった命

 広島の思い出には続きがあります。「学校の校外学習で先生が連れていってくれて、僕は戦後の広島に行ったんだ。大きな部屋に長机がいくつも並べてあって、その間を歩いて回った。机の上には皿のような物が並んであって、その一つ一つに真っ黒な骨が置いてあった。子供の骨もあった。焼け焦げて炭になった肉がまだついているような骨もあった。見て回るのが辛くて、皆、涙を流していた。皆黙ったままで、しゃべることができなかった。旅館に戻って食事が出たが喉を通らず、皆、下を向いたまま食事ができなかった…。」

 当時、広島市は爆心地周辺に平和記念公園を建設中で、食器のかけらや黒焦になった家財道具とともに、多くの遺骨が掘り出されていました。現れるはずもない引き取り手を待っていた遺骨は、やがて原爆供養塔の地下納骨室(昭和30年建立)に納められていきますが、その後も復興工事の際には広島市内の各地から遺骨が見つかっています。

 のどかな山陰地方の島根県は玉湯や浜田に空襲があった他は大きな被害が見られない地域であり、利用者さんは昭和15年生まれでもあり、苛烈な戦争の記憶は無いように思われました。しかし、自身の避難体験と校外学習で見たものが重なった時、多くの子供や大人が死んでいった傍らで、自分が運良く助かっていたことを利用者さんは痛切に感じ取ったのです。

 この利用者さんは、やがて勉学を志して国立大学の夜間学生となり、上京して就職。苦学しながら60年安保闘争に参加。その後も労働運動や貧しい人を助ける活動を行うなどして、「人のために」という生き方を貫いていかれました。

かけがえのなさに気が付くこと

 奇跡的なことの結果として今の命があることを知った人は、その後どのように生きることになるのでしょう。自分自身にそのようなことが起こったら、その後の自分はどのような考えを持つでしょう。ただ、世の中には、突然の出来事であっけなく日常の連続性が絶たれてしまうことがあまりにも多くあり、それらを知るとむしろ「奇跡は大災害や大事件の中にのみあるのではない」と言わねばなりません。

 本当のところは、今日から明日へと命を繋いで行けること自体が、奇跡それ自体なのです。しかし私たちの日常の生活意識は、明日の後には変わらぬ明後日が来ることを疑いません。人が安心して暮らすために必要な心のメカニズムとして、日常の連続性を信じる思い込み(正常性バイアス(※3))が備わっているからです。

 あるご利用者さんが新型コロナに罹患され、気力も体力も衰えて寝たきりに近い状態となって退院、家族の自宅での懸命な対応がありました。落ち着いた頃、家族が大変な病気にかかっていたことをご本人に教えると、「そうか、助かったんだな。感謝しないとな…」と深く感慨され、家族の絆を深める話し合いができました。そして、ご本人の瞳には光が戻り、日に日に回復されてきました。

 生活や命の連続性が絶たれてしまうような時、私たちは「かけがえのない日常」の幸せに気が付くことになります。その時に後悔を抱いてしまうことになるでしょうか。それとも今までのことに感謝できるようになるでしょうか。良いことも悪いことも人生の一場面であり、それらを全部ひっくるめて「かけがえのない人生」です。そうであれば、本当のところは、後悔も感謝も全部ひっくるめて「かけがえのなさ」に気が付くことそれ自体もまた、「幸せ」と言えるのではないでしょうか。




※3 正常性バイアスは心の安定を保つメカニズムで、ちょっとした変化なら「日常のこと」として処理してしまう人間心理の事を言う。危険な状況であっても「異常を正常の範囲内」として判断の遅れや思考停止を生じさせてしまうので、災害時は要注意。例えば、火災時に「薄い煙だからまだ大丈夫だ。大きくはならないだろう」と願望と判断を取り違えて逃げ遅れてしまうのです。





紙面研修

震災時シミュレーション(業務中発災)

 

20XXXX日(秋)

 日本晴れの爽やかな風の吹く日、天気をネタに気分を盛り上げれば、いつもは「疲れた」と言ってすぐに歩行器機能付きの車椅子に座ってしまう大木さん(仮名)も気分よく歩行練習してくれるかな、と考えながら独居宅に訪問します。ベットサイドのリクライニングチェアに座っている大木さんにご気分を伺いながら外出に誘います。

 と、「ドン!」という突き上げの直後にグラグラと大きな揺れ、大木さんは目を見開いて恐怖の表情、携帯電話の緊急地震速報(1)が鳴っています。とっさに近寄ると大木さんは私の両肩を掴んでくるので、そのまま両脇を抱くようにして椅子から降ろし、二人でベット脇に身を横たえます(2)。ベットの足もとの引きダンスがベット柵に倒れ掛かります。天井が落ちてもベット柵が受け止めてくれるはず、と念じているとようやく揺れは納まりました。しばらくベット脇で抱き合いながら、ふいに笑みがでてきます。「怖かったですね~、死んじゃうかと思いました」と私が言うと、「私はいつ死んでいいんだよ」と笑う大木さんです。

 この(笑)は心理的な防衛機制(3)です。「じゃ、その時は残った寿命は私に下さいね」と努めていつもの調子で、大木さんを起します。幸いなことに二人とも怪我は無いようです。「さて、と…。まずは事務所に電話しますね…(4)」見まわすとテレビも倒れています。事務所の固定電話も事務所携帯も通じません。「ツーツー」という音は回線がビジー状態なのでしょう。大木さんの固定電話(5)を借りても同じです。

 「大木さん、息子さんの番号教えてください」と言うと、大木さんが手帳からメモを出します。息子さんの携帯は、幸いなことに呼び出し音が鳴ります。その間、サ責のラインに「大木様宅にいます。ご本人、私両名とも無事です」と入れました。結局、息子さんの携帯には「大木様宅のヘルパーです。ヘルパー、大木さん共に怪我無く無事です」とメッセージを残しました。リビングの食器棚の扉が開いて、食器のいくつかが床に落ちて割れています。「大木さん、区の助成で転倒防止器具(6)を付けてて良かったですね。食器棚は無事ですよ」と言いながら、内心では扉のロックを付けていた方が良かったかな…でもそれだと大木さんが自分では開けられないかもしれないし…などと思う。




(1)直下型地震では揺れの方が早い  (2)まず身の安全を確保する

(3)ストレスから身を守るための健全な働き (4)安否確認報告は必須

(5)携帯よりも固定、市内よりも遠方が繋がる 携帯の一斉通話で基地局はパンクする可能性が高い、市内固定通話も同じ

(6)上限2万まで助成 03-6432-7177(区)




臨時的内容のサービス提供

 「大木さん、休めるよう枕を置いておきますけど、しばらくここにいてくださいね。余震があるかもしれないので。私、外の様子を見てから買物に行ってきますね」と、リビングで掃除機のコンセントを差し込みました。しかし、停電(7)しています。ベランダのサンダル(8)を履いて玄関にたどり着きました。大木宅は古い都営住宅ですが壁構造の鉄筋コンクリート(9)なので、大きな損傷は無さそうです。エレベーターは案の定動きません。

 私は、落ち着くように自分に言い聞かせつつ優先順位を考えながら階段を登ります。最上階から街中を見渡します。酷い倒壊家屋や火災発生のような様子は見られません。急いで避難する必要は無さそうです。自分の家族にも安否確認のLINEを送ります。家族とは日頃から震災時対応を話あっているので、慌てる必要はありません。降りていくと、大木宅の隣の方(10)が廊下に出て外を見渡しています。

 「こんにちは、隣の大木さんのヘルパーです。私、これから買物に行ってくるのですが、大木さんは怪我無く無事です。大木さんの息子さんの留守電にはメッセージを残しましたが、私が帰ると大木さん一人になってしまうので、何かあったらよろしくお願いします」と伝えます。コンビニでは、店員が行列を前に電卓で会計を行っています。電子マネーは使えません。チリトリと箒は取り扱いが無く、ガムテープとお弁当、パンなどの常温で日持ちする食品とお菓子と飲み物を数点購入し、段ボールを貰って帰ります。

 大木宅に戻ると、大きな破片を拾ったあと段ボールを箒のように使って食器の破片を集めます。集めた破片はガムテープでくっつけて拾います。最後に仕上げとして濡れ雑巾で床をふきあげます。棚の食器は出してしまい、床のすみに置いておきます。普段使いするものは、台所の安全そうなところに置きます。水道は気のせいか水流が弱くなっている(11)ようで、止まってしまう可能性も考えられ、洗ってあるペットボトル全てに水を入れて(12)おきます。ガス(13)も止まっています。

 大木さんの座卓には、冷凍庫の保冷剤を出して置き、その上にお弁当を乗せます。他の食品やペットボトルもその周りに置きます。大木さんは食事に常温保存のレトルト食品や缶詰(自分では開けられないが)を取り入れており、そのストックが結構あるので、いざとなったらレトルトも加熱無しでも食べられなくはないので、食料については何とかなりそうです。テレビとタンスを直して臨時内容の記録を書き、大木さんには定位置に戻ってもらい「息子さんにも連絡したし、私たちもまた来ますね」と安心させる声掛け(14)をして退室します。




(7)送電ルートや発電所や変電所に被害がある 

8)慌てて足を傷つけないように

(9)地震に強く旧耐震でも倒壊事例なし (10)日常の声掛け大切

(11)埋設水道管が破損すると水漏れのため水圧が下がる

(下水管のズレ等の損傷時は流すと悲惨、要建物確認)

(12)カルキで保存に適す (13)震度5以上でマイコンメーターで自動停止

(14)絶対必須




事業所の対応

 事務所には社員1名しかおらず、皆出払っていました。全てのパソコンモニターが倒れましたがUPSで緊急時に稼働(15)させるパソコンを立ち上げると共有フォルダのヘルパーシフトを開き、全ヘルパーのシフト画像を撮影して、一旦電源を落としました。準備してある緊急連絡先一覧(16)震災時情報共有ボードと従業員名簿(17)を出して、事務所の目につきやすい場所に展開します。

 その日のシフトを見て、今から安否確認(今日中にこれからの訪問が無いお宅で、順位が高いお宅)すべきお宅を確認していると、大木様は今現在ヘルパーが入っています。大木様宅と担当ヘルパーに電話をかけてみましたが通じません。LINEで安否情報を流そうとすると、ホームタブに赤枠で「LINE安否確認(18)」が出現しています。どうやら“友だち”に一斉に安否情報を送れるようです。そのうちに社員が1人戻ってきましたが、「LINE?届いてないよ」と言います。

 「いやー、びっくりしたよ。私が伺ってた津山さん(仮名)は大丈夫だったけど、津山さん変に落ち着いちゃってさ、『私は良いから、他の皆さんを守ってあげて下さい。あなたは大切な人です』って津山さん言ってくれて、取り乱すどころかクリアになってて、これが一番びっくり感動だよ」と言った後、「で、どうする?」となりました。

 「これだけ回るところがあるんだけど、手分けした方が良いかな、それとも一人は待機した方が良い?」「ここにいても心配なだけだから、できることはやろう。とりあえず必要そうな物を買って持ちながら回ろう。ヘルパーさんが来たら、各種情報がわかるようにメモしてさ」ということで玄関扉に「中に情報共有ボードがあります。ご記入下さい」と貼り、従業員名簿の自分の安否OKに〇をして、これから回るところに対応実行中と書き込み出発。途中、食品等を買物(19)してリュックに詰め利用者宅に訪問し、必要な人には実費精算です。ヘルメット着用し、軍手、掃除用のコロコロも持参。




(15)無停電電源装置、PCやデータ損傷を防ぐため停電後も短時間電気を供給する

(16)安否確認優先順位等が記載

(17)これらの書式はブラッシュアップさせる

(18) iOSまたはAndroid 12.2.0以降対応、出現条件は震度6以上だが状況による

(19)現金必須、食品等はすぐに売切れ




ヘルパーさんの報告・その後

 大木さんの次のお宅はご夫婦ですが、奥様だけの認定なので少し遅れても大丈夫。事務所に寄ってみると、扉に貼り紙があり鍵が開いています。「安否情報書いて下さい」メモで目的の用紙はすぐに目につきました。自分の安否に〇をします。大木さんの名前等を書き、「在宅生活」は可能に〇をするも、困難条件に「毎日の食事提供?」と書きます。緊急対応状況の終結までの数日間を書き込む一覧で、自分の対応を記入。「あの息子さんなら、車でしばらくの間新潟(息子所在地)に連れてってくれるかな…」と考えながら留守電のことも記します。

 さて、次のお宅です。商店街では古い看板建築(20)が倒壊して屋根が電線に引っかかっています。停電の原因はこんな事でしょう。人だかりを裏道に避けながら、「古くて構造に問題のある建物は他にも倒壊しているな」と考えます。ならば火災が心配です。消防や救急のサイレンは遠くから聞こえますが火災とは限りません。しかし、街の雰囲気、音、臭い、空の霞みに目を凝らしながら移動します。もし火の気を感じたら、自分自身がまず避難行動(21)です。ご夫婦宅では、ご主人が割れた食器を片付けており、その手伝いをして臨時内容の記録(22)「共に行う掃除」を記録し30分で終了。ご主人は避難所を知っているとの事。その次へと向かいます。

 さて、また別の社員が事務所に戻ってくると、震災時情報共有ボード等へ記入があり、各自の自発的行動に勇気をもらいます。大木さんの留守電の件が気になり、事務所の電話番号で災害伝言ダイヤル(23)をしてみました。すると、大木さんの息子さんから「何時に着くか分かりませんが、これから東京に向かいます」と入っています。




(20)通りの壁面を看板用に四角くした木造家屋。店入口の開口部に柱無く脆弱

(21)木密地域の最大リスクは火災

(22)介助した記録あれば請求OK、安否確認のみは不可

(23) NTTは「171」




考えてみよう

シミュレーションに無理はないか? 季節や条件は? もっと工夫できないか? 日頃の自分の備えはどうか? 実際に出来ることと出来ないことは何か? 分らない事、知りたい事は何か?

2025年4月
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930  
  • 求人情報
  • 紙ふうせんブログ
  • リンク集
  • 資格取得支援制度

紙ふうせん

紙ふうせん(梅ヶ丘オフィス)

住所:〒154-0022
東京都世田谷区梅丘1-13-4
朝日プラザ梅ヶ丘202(MAP

TEL:03-5426-2831
TEL:03-5426-2832
FAX:03-3706-7601

QRコード 

ヘルパー募集(初心者) 
ヘルパー募集(経験者)