令和5年
幾山河 山川の末
皆様、いつもありがとうございます。庭木の紅梅の鮮やかさに「暖かくなりましたね」と言葉を交わす時、再びの春の巡りに安堵します。利用者さんとの外出介助がだんだんと楽しい季節となってきました。足もとにはオオイヌノフグリやヒメオドリコソウやホトケノザが咲いています。また共に春を喜ぶことができる――。あと何回それができるのか。それは誰にもわからないことだけれど、陽射しに微笑む花々を今は見とれていたいのです。
行く河の流れは絶えずして
小さな虫たちや一年草は冬の訪れにその命を終えますが、種子や卵で子孫を繋ぎます。季節の移ろいは大きな変化のように見えますが、自然の本質からみれば繰り返すさざ波のようなものです。数えきれない無限の生と死から成り立っている自然界に私たち人間も連なっています。自然や宇宙が生死そのものであると思えれば、私の苦悩もまたさざ波でしょうか。
あるご利用者さんが「私はもう歩けなくなった」とこぼしておられました。生活可動域の部分的な制限は、齢を重ねれば誰にでもあることです。しかし、制限に悩む胸の内は個別的です。春の陽射しは万人に等しく降り注ぎますが、胸の内が晴れてくるかどうかについては個別的な関わりが必要です。パーソン・センタード・ケアなどその人中心のケアを試みるならば、「齢をとったら衰えるのは当たり前」と言って、その人の胸の内の苦悩を軽視することはできません。
ADLとしては歩行に問題の無いその方に「私との掃除が終わった後に、ご自分で散歩に行かれたらどうですか?」と声をかけると、一緒の沈黙の後に「私と今から一緒に歩いてもらえませんか」と言われるのです。「歩けなくなった」というのは、様々な制限に自分を否定されたと感じて自己効力感が大きく揺らいで悩んでいる表現です。このままでは、自分で自分を全否定しまいかねないことに苦しんでおられる様子が伺えました。
仙川の遊歩道を歩きながらどのような言葉かけをしようかと思案します。川面の明滅の上をハクセキレイが飛んでいきます。「方丈記(※1)」の冒頭が思い出されます。
「行く河の流れは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかた(泡沫)は、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし。世の中にある人と栖(すみか)と、またかくの如し。」
川の流れは永遠であるように見えて、それをつぶさにみれば川を構成する水は一瞬の後に入れ替わり前と同じ川のように見えても、もはや同じ川ではない。世界も人も街もそれは同じ。永遠に続くように思われる苦悩もまた日々の更新に維持されるのであって、何かをきっかけにして変わることもできるはずです。
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」込み上げてきたものは、この言葉でした。
溺れかかっている時はあがけばあがくほど深みにはまります。しかし開き直って流れに身をまかせれば浮きあがり、浅瀬に寄せられていくのです。私は先の句を引用しながら、「嘆きを一旦脇に置いてみたら、別の景色が見えてくるかもしれませんよ」とお伝えしました。
※1 鴨長明(1155-1216)が1212年に出家し隠棲する一丈四方の庵にて記す。飢饉、疫病、地震、兵革、大火、風水害などが相次ぐ平安末期を描く。「世をのがれ身を捨てしより、恨みもなく恐れもなし。命は天運にまかせて惜しまず厭わず、身をば浮雲になぞらへて頼まず全しとせず。一期の楽しみはうたた寝の枕の上に極まり、生涯の望は折々の美景に残れり」と心境を記している。 |
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本当に捨てるべきものとは?
古典には日本人の心象が描かれています。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という句は、江戸時代の「仮名草子集」にみられますが、戦国大名武田氏の軍学書「甲陽軍鑑」や室町時代の「一休ばなし」にも出てきます。出典の中で最も古い時代と思われるものは「空也(くうや)上人絵詞伝」です。空也(※2)は武士の台頭に乱れる平安中期の世にあって、野ざらしの遺体を弔い貧民や病人を助けながら諸国を行脚し、井戸を掘り道や橋を作り市聖(いちのひじり)と呼ばれました。
「山川の末に流るる橡殻(とちがら)も 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」
上の句にある「橡殻」とは、栃の実の殻のことです。ずっしりと重い「実」を抱えたままだと栃の実は水に沈んでしまいますが、「実」を手放すことによって「殻」は浮かびあがります。「殻よりも実の方が大切だ」と大抵の人は思っています。
捨てるべきものは、本当は何でしょう。地位や権力や金、過去の出来事や感情や「こだわり」にとらわれて、周囲の大切な人や自分を見失ってしまう人は多くいます。若々しさ健康ばかりを念ずれば老いた身の不都合や窮屈さが際立ちます。そういった「とらわれ」があるから人は苦悩に沈んでしまうのです。
重い気持ちが再び浮かび上がってくるためには、自分が大切だと思っている(本当はどうでも良い)ことを、手放してみることです。浮かぶ瀬とは「執着」から離れた悟りの境地であり、念仏信仰から見れば阿弥陀如来の救済や極楽往生を示しているのでしょう。
また、「身を捨てて」と言っても自殺が良いというわけではありません。「身体」が魂を宿すものならば「殻」もあってこその悟りなのですから、自他の命を粗末にしながら世俗的な実利や体裁や虚栄心に執着していれば「実」と思っているものは我執(がしゅう)(※3)であり、空虚な観念となってしまうのです。
いずれにしても「山川の末に流るる」という言葉に幾山河を越えてきた人生行路航の究極の場面や終盤での課題が示されているように思えてなりません。
※2 空也(903-972)子供の頃から乞食し山野で修行。称名念仏を日本で初めて実践したとされ、貴賤を問わず救済を説いた。
※3 自分だけの小さい考えにとらわれて、離れられないこと。自分の心身の中に恒常不変の実体があると考えて執着すること。
「捨て身」になって見えてくること
自暴自棄の利用者さんと対面することは、大変な労苦を支援者に強いることになります。捨てている「自棄」が、介護拒否などで自らの身体を虐めることであれば、セルフネグレクトと呼ばれたりします。
そのような方も自分の一切を捨てているかと言えば、プライドから「介護なんか受けたくない」という観念を護っていたりします。プライドは「尊厳」と近接するので取り扱いが難しく踏み込むことに支援者は躊躇し、「人は変われないよ」と働きかけを断念することもままあります。「人は変われるのか、変われないのか」という議論は不要です。変わりたくても変われない寂しさに人の世は満ちているとも言えるのですから、変れなくても「それもまた人生」です。
しかし、変わりたかったり変って欲しいと願うならば、今度は支援者側こそが「捨て身」ならなければなりません。人は如何なる生きものなのか、本当に大切なものは何か、そのような価値観の自己開示を一所懸命に行い、必死に語り掛けるのです。
お互いが死に物狂いになって考えの限りを尽くすことできれば、「自分ですら見捨てていた自分に、本気になってくれる人が居た」という安堵の気持ちくらいは訪れるのではないでしょうか。それはお互いにとってかけがえのないものとなるはずです。
「幾山河越えさり行かば寂しさの はてなむ国ぞ今日も旅ゆく」この歌は若山牧水(※4)です。寂しさが消滅する国は無いけれど、私たちは自転車を漕ぎ漕ぎ今日も旅を続けるのです。
※4 若山牧水(1885-1928)近代人の自我意識の苦悶の解決を自然に求めた歌人。自然と旅と酒を愛し肝硬変で亡くなる。 |
2023年3月14日 11:08 AM |
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向こうのお山の麓まで
あけましておめでとうございます。今年もおごらず弛まず歩みを進め、来年の正月もまた皆様と笑顔を交わせることを願っています。本年もどうぞよろしくお願いします。
私の中にもある『うさぎ と かめ』
「もしもし かめよ かめさんよ せかいのうちに おまえほど
あゆみの のろい ものはない どうして そんなに のろいのか」
兎の挑発から始まる童謡「兎と亀」の物語は、紀元前6世紀ころの古代ギリシアの奴隷だったアイソーボス(イソップ)が昔話の語り手として各地を巡りながら広めた寓話です。日本には室町時代後期には伝わったとされ、江戸時代には「伊曾保(イソポ)物語」として出版されています。明治時代になると「油断大敵」という題で尋常小学校の国語の教科書に掲載され、自らを過信すると失敗するが、歩みが遅くとも着実に進むことに大成があるという教訓が込められています。
しかし教科書通りではつまらないので別の解釈を試みてみましよう。人の心には、自分の中にある自分にとっての好ましくない性質を他人の性質にしてしまって、他人を責めてしまう「投影(※ 1)」というメカニズムがあります。だから、対立的な感情を抱いてしまう相手のモヤモヤとするその要素は、実は自分の中にある要素ではないか?と、自分を疑ってみることが大切です。同様に、対立的に描かれている兎と亀もどちらも一人の人間の中にある要素として、これを人格的成熟への道のりのとして考えてみましよう。
※ 1自己のとある衝動や資質を認めたくないとき(否認)、自分自身を守るため(防衛機制)それを認める代わりに、他の人間にその悪い面を押し付けてしまう(帰属させる)ような心の働きをいう。たとえば「私は彼を憎んでいる」は「彼は私を憎んでいる」に置き換わる。一般的には悪い面を強調することが多いが、良い投影も存在する。(Wikipedia)
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「兎の子の生まれつはなし」という言葉があります。これは、兎が多産であることに由来する「無責任」を意味することわさですが、兎は生殖性の強さから若さの象徴であると者えられます。兎は自信過剰で挑戦的で亀の歩みの遅さを馬鹿にするのです。
「なんと おっしやる うさきさん そんなら おまえと かけくらべ
むこうの こやまの ふもとまで どっちが さきに かけつくか」
亀はおじけることなく兎の挑戦を受けて立ちます。しかし普通に考えれは亀に勝ら目はありません。亀は、兎が者えている勝敗とは別次元の考え方をしていると思われます。
「どんなに かめが いそいでも どうせ はんまで かかるたろう
ここらで ちょっと ひとねむり グーグー グーグー グーグーグー」
兎は、亀との競争に勝つことだけを目的としています。勝てれは良いだけなのでコスパ良く勝とうとします。一方で亀は、どんなに引き離されたように見えても歩みを止めません。「亀は万年」として長寿とされる亀は、老いの象徴であると考えられます。そしてまた歩みが遅くとも着実に進むものとして時間の経過をも示しています。物語は、時間の経過によって者いが若さを追い越していった後の狼狽をクライマックスとして描いています。
「これは ねすぎた しくじった ピョンピョン ピョンピョン ピョンピョンピョン
あんまり おそい うさきさん さっきの じまんは どうしたの」
「自分の考えとは別の評価尺度」 に気が付くこと
「老い」馬鹿にしていた兎は、その「老い」に「自分は負けてしまった」と者えて、自分を受け入れ難く感じることもあるでしよう。大切なことは、「自分の考えとは別の評価尺度」があることに気が付くことです。これこそが兎が成熟していくための課題であり、それは亀の態度によっても示されています。
亀は、兎に勝てると思ったから勝負を受けたのではありません。兎は「他人に勝つ」ことを目的としたのに対して、亀は「自分に勝つ」ことを目的としたのです。亀は、「人生から挑戦を受けたとき自分はどのように応じるのか?」という自分の「応答責任」を果たしたまでなのです。もし兎の目覚めがもう少し早くてゴール直前に亀を追い抜いたとしましよう。「すこいな、やつはり兎さんにはかなわないや」と、亀は悔しがらすに兎を賞賛するのではないでしようか。これが後進を育てる年長者の姿勢であり、自分を貫いた者の満足なのです。これらの自負が内面的成熟を促していくのです。
若さから老いへと至る「成熟」の課題
若者には若者の課題があります。若さを活かすために必要なこととして、「一寸法師」は向こう見すな挑戦を、「桃太郎」は仲間の大切さを描き、時として待っことや運命に導かれることも必要なことを「わらしペ長者」は描いています。また、無責任さは若者の特性であり、馬鹿なことをしでかして失敗をして、そこから学ぶこともまた若者には必要です。
一方で、者いを自分のものとして成熟していくためには何が必要でしよう。兎が亀になっていくために必要なことは、どんなに歩みが遅くても歩み通すことです。自分がもうかつての兎ではないと気が付いた時、それでも「歩み通してみせる」という若い時とは異なる形での自分への挑戦が必要となってきます。かっての挑戦の思い出もその原動力となります。たとえ日が暮れてきたとしても、亀の歩みでも歩み通せは何か見えてくる景色があるはすです。それは、外面的な栄誉や成功などではなく自分の心の中の風景です。
体験できることや成し遂けられることの規模や内容が劣っていても、状況に対して示し得る自身の態度の如何は、自分の手の中にあって決して失われないのです。V・E・フランクルの3つの価値に即して言えは、「体験価値」や「創造価値」が失われてしまっても、兎であっても亀であっても、自分の人生の意味への回答は「態度価値」として自分で示すことができるのです。
今いる場所で最言を尽くすこと
「私をどういう人間だとお思いですか」と自身を卑下し「一介の洋服屋の店員ですよ。私はどうしたらいいんですか。私は、どうすれは人生を意味のあるものにできるんですか」と、投けやりに問う人に対して、フランクル(※ 2)は次のように答えています。「なにをして暮らしているか、どんな職業についているかは結局どうでもよいことで、むしろ重要なことは、自分の持ち場、自分の活動範囲においてどれほど最善を尽くしているかだけだということです。活動範囲の大きさは大切ではありません。大切なのは、その活動範囲において最善を目くしているか、生活がどれだけ『まっとうされて』いるかだけなのです。」
私たちはまたまた兎ですが亀でもあります。日気持ちを新たにして、痛みや悲しみに絶えす寄り添っていこうとすることもまた新しい挑戦です。最善を目くしながら「歩み通す」ことによってのみ生じてくる意味について、利用者さんと共に感じていきたいと思います。
※ 2「それでも人生にイエスと言う」春秋社
フランクルは態度価値について同書で「さまざまな人生の可能性が制約を受け、行動と愛によって価値を実現することができなくなっても、そうした制約に対してどのような態度をとり、どうふるまうか、そうした制約をうけた苦悩をどう引き受けるか、 こうしたすべての点で、価値を実現することがまだできる」と述べている。
紙面研修
食中毒・感染症対応
【ノロウイルスの場合】
Q ノロウイルスによる「感染性胃腸炎」のまん延を防止する方法は?
毎年11月頃から2月の間に、乳幼児や高齢者の間でノロウイルスによる急性胃腸炎が流行します。感染した人の便や吐物からの二次感染、ヒトからヒトへの直接感染、飛沫感染を予防する必要があります。
便や吐物がごく少量であっても、乾燥し空気中に浮遊し二次感染を起こすとされています。また、トイレのノブや水洗のレバーや水道の蛇口の栓なども感染源となりやすいので、感染が疑われる方がいる場合は消毒をします。
Q ノロウイルスに感染するとどんな症状になるのか?
潜伏期間(感染から発症までの時間)は24~48時間で、主症状は吐き気、嘔吐、下痢、腹痛であり、発熱は軽度です。通常、これら症状が1~2日続いた後に治癒し後遺症はありません。また、感染しても発症しない場合や軽い風邪のような症状の場合もあります。
ノロが疑われる症状が自分自身や周囲の方に見られた場合は、すぐに必ず報告をお願いします。
Q ノロウイルス食中毒の原因となる食品
食品から直接ウイルスを検出することは難しく食中毒事例のうちでも約7割では原因食品が特定できていません。そのほかの原因としてはノロウイルスに汚染された二枚貝による加熱不足の食中毒が考えられます。ウイルスを失活させるには中心部が85~90℃で少なくとも90秒間の加熱が必要です。子どもやお年寄りなどの抵抗力の弱い方は、加熱が必要な食品は中心部までしっかり加熱することが重要です。十分に加熱されていれば汚染された食品を食べても問題はありません。
Q 手洗いはどのようにすればいいのか?
手洗いは、 手指に付着しているノロウイルスを減らす最も有効な方法です。調理の前、食事の前、トイレに行った後、下痢等の患者の汚物処理やオムツ交換等を行った後(手袋をして直接触れないようにしていても)には必ず行いましょう。常に爪を短く切って、指輪等をはずし、石けんを十分泡立て、ブラシなどを使用して手指を洗浄します。すすぎは温水による流水で十分に行い、清潔なタオル又はペーパータオルで拭きます。
石けん自体にはノロウイルスを直接失活化する効果はありませんが、手の脂肪等の汚れを落とすことにより、ウイルスを手指から剥がれやすくする効果があります。
Q 感染者の便や吐物を処理する際に注意すること
ノロウイルスが感染・増殖する部位は小腸と考えられています。したがって、嘔吐症状が強いときには、小腸の内容物とともにウイルスが逆流して、吐物とともに排泄されます。このため、便と同様に吐ぶつ中にも大量のウイルスが存在し感染源となります。そのため処理には十分注意する必要があります。12日以上前にノロウイルスに汚染されたカーペットを通じて感染が起きた事例も知られており、時間が経っても汚染物には、感染力のあるウイルスが残っている可能性があります。
床等に飛び散った患者の吐ぶつや便を処理するときには、使い捨てのガウン(エプロン)、マスクと手袋を着用し汚物中のウイルスが飛び散らないように、便、吐物をペーパータオル等で静かに拭き取ります。拭き取った後は、次亜塩素酸ナトリウム(ご家庭にある塩素系漂白剤:ハイタ―)で浸すように床を拭き取り、その後水拭きをします。おむつ等は速やかに閉じて便等を包み込みます。おむつや拭き取りに使用したペーパータオル等は、ビニール袋に密閉して廃棄します。
ノロウイルスは乾燥すると容易に空中に漂いこれが口に入って感染することがあるので、吐物や便は乾燥しないうちに床等に残らないよう速やかに処理し、処理した後はウイルスが屋外に出て行くよう空気の流れに注意しながら十分に喚気を行うことが感染防止に重要です。
感染症対策の基本
新型コロナ感染症も同様ですが、日常の感染拡大予防は、換気、マスク着用、手指洗浄や消毒が基本となります。必要に応じて、エプロン等の着用や帰宅後の速やかな着替え等となります。また、汚染された可能性のある手などで、自分の顔の目や鼻や口を触らない様にすることも大切です。また、「汚染が予想される物の取り扱いについての細心の注意」が必要です。 |
考えてみよう
嘔吐や下痢のある人が二次的になってしまう症状に対する対応として、ご本人に声掛けをすべきことは何だろう。(現場判断で簡単に対応できることです)
2023年2月24日 3:07 PM |
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新年あけましておめでとうございます。
旧年中は格別のお引き立てをいただき、誠にありがとうございました。
本年も紙ふうせんスタッフ一同、ご利用者様および関係各所の皆様のために精一杯力を尽くして参りたいと思います。
皆様のご健康とご多幸をお祈りし、新年のご挨拶とさせていただきます。
本年も宜しくお願い申し上げます。
2023年1月13日 5:26 PM |
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