- HOME
- 【紙ふうせんブログ】
- 紙ふうせんだより
- 平成31年
平成31年
紙ふうせんだより 4月号 (2019/05/09)
2019年(平成31年) 4月 卯月号
紙ふうせんだより
さまざまな事を未来に活かすために
さまざまの事おもひ出す桜かな 松尾芭蕉 |
自分の責任を棚上げし、誰かに押し付けてはならない
2005年4月25日 9時18分、JR福知山線が脱線。運転手含め死者107名、562名負傷、史上最悪の鉄道事故となった。制限速度70キロのカーブに時速約116kmで進入、1両目が外へ転倒するように脱線し後続車両が続いた。なぜ運転手のブレーキ操作が遅れてしまったのだろう。運転士歴11ヶ月の23歳の運転手は、事故直前の伊丹駅で70メートルのオーバーラン(正しい停車位置を越えるミス)を起してしまい、車掌に無線でミスを過小に報告するように「まけてくれへんか」と頼んでいる。列車は1分半の遅延を取り戻す“回復運転”のために速度を上げていた。この時、総合指令所にオーバーランを報告する車掌の交信を運転手は、慌てふためきながら聞き耳を立てていたのではないかと言われている。カーブ手前、列車は速度を落とす事はなかった。運転手が恐れていたのは、遅延やオーバーランなどのミスを起こすと会社から罰せられる「日勤教育」だったと後に証言されている。
日勤教育とは、就業規則や経営理念の書き写しや、プラットホームの先端に立って発着する乗務員に「おつかれさまです。気をつけてください」との声掛や、草むしりやトイレ清掃などを一日中させられる懲罰的な勤務で、軟禁状態にして管理者が集団で毎日のように恫喝や罵声を浴びせ続けて自殺や鬱に追い込んだ事例もあったという。このような“教育”を行うJR西日本の企業としての態度は、数多くのトラブルの原因を過密ダイヤや目一杯の運行速度等の組織の構造的問題と捉えずに、安全への責任を現場の個人に押し付けるものだった。
この事故とその後の変革への闘いを取材した『軌道』によると、「運転士のブレーキ遅れ」「日勤教育」「ATS-Pの未設置」等は事故の原因ではなく、結果だと言う。国鉄民営化から18年間の経営手法と、それによって形成された組織の無責任体質が招いた必然的な「組織事故」という指摘だ。これは責任者や事故当事者を追及すれば済むようなものではなく、一人ひとりが意識改革すべきものだ。自分に染み付いた“無責任”を問い、各自が「安全」と向き合う必要がる。
『軌道』東洋経済新報社 松本創
トップや幹部が悪いせいでこうなったと問題を単純化するのは、会社側が運転士個人のミスに帰そうとする姿勢の裏返しに過ぎない。組織の中の個々人が自分の責任を棚上げし、誰かに押し付けて断罪する、その『切断処理』こそが、組織全体を無責任体質にしたのではなかったのか。
「組織事故」という視点で「介護事故」を検討し、自立支援でリスクを減らす
これらが見られたら体力を維持向上させる取り組みや手すりや自助具の使用なども検討しなければならない。実は、これらはほとんどの利用者さんに当てはまる。利用者さんは異常をきたしているからこそ要介護の判定が出ているからだ。だから利用者さんの自立支援(ADLやIADLの向上への取り組み)をどうやって進めて行くかは、支援体制の最初から考えておくべきものなのだ。事故発生をシステムの問題として見る時、300の異常(要因)に対処しきれていないシステムの特性に問題があったと言えよう。
「前に家で転んだと言っていた」「ふすまが大きく破れていた」これらは既にヒヤリハットだ。ヒヤリハットはヘルパーさんの訪問時に起こるとは限らない。時間帯などを考えると訪問時以外の可能性が高いからこそ、目撃情報以上に利用者さんからの聞き取りが大切であり、会話の中のヒヤリハット事象を聞き逃してはならない。またヘルパーさんはヒヤリハットを目撃したら、宝くじに当たったくらいの重要事象だと理解してすぐに報告を入れなければならないが、現場のヘルパーさんに全ての責任があるのではもちろん無い。そもそも支援の方向性をサ責やケアマネが、自立支援など明確な意思を持って本人や家族やヘルパーさんと話し合っているかが問われてくる。私たち支援組織の全員は、利用者さんのADL低下に慣れっこになってはならない。異常を皆でスルーした結果としての事故と考えれば、異常に慣れ切った私たちの意識の問題があり、自立支援に有効な支援の仕組み作りの失敗があり、利用者さんときちんと向き合って来なかった私たちの態度こそが、より本質的な原因なのだ。私はここで“事故ゼロ”を声高に主張したいのではない。在宅生活とは自分らしい生活のためのリスク選択である。自立支援はその選択を支持し、リスクを減らすためにADL向上に取り組み、利用者さんが一人の時でも生活し続けられるようにしていく事が目的となる。在宅生活支援とはつまり継続的な自立支援なのだ。私たちの支援は、訪問時間だけではなく生活や人生の全体へと想像を拡げていく事によってこそ、本当に意味のあるものとなってくる。
利用者さんの変化に気づいたら(聞いたら)すぐ電話!!
紙面研修
失敗に学ぶ
300の異常やヒヤリハットをただ恐れてばかりでは、在宅生活に限界を感じてしまうのもまた事実だ。また、自立を促してご本人にやって貰おうと取り組んだことが、結果的に「できない」「やっぱり無理」という本人に対してのダメ出しになってしまい、本人が意欲を失ってしまうのも避けたい。また、「事故を起こさない事」のみが正しくて、一切の事故が許されないのであれば、「もう在宅生活はやめて施設に入ってもらおう」という事になりかねない。これでは在宅介護を推進する意味が無い。「角を矯めて牛を殺す」になってしまう。
【角を矯めて牛を殺す】 曲がった牛の角をまっすぐにするために叩いたり引っぱったりすると、牛は弱って死んでしまうことから、わずかな欠点を直そうとして、かえって全体をだめにしてしまうことをいう。「矯める」とは、矯正する。曲がったものをまっすぐにするという意味。
全ての「失敗」を排除しようとするのではなて、失敗からも学ぶ事ができるという事を理解しておこう。失敗があったからと言って落ち込む必要は無い。英語のことわざには「一度も失敗を経験したことのない者は成功できない」というものがある。発明王トーマス・エジソンは「私は失敗したことがない。ただ、1万通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ。」と言っている。失敗学では「失敗」を以下の3つに分類している。
1.織り込み済みの失敗。ある程度の損害やデメリットは承知の上での失敗。 2.結果としての失敗。果敢なトライアルの結果としての失敗。 3.回避可能であった失敗。ヒューマンエラーでの失敗。 |
- と2. の失敗は、「失敗は成功の元」となり得る失敗である。また、この2つの失敗については、状況・結果などがある程度予測できたり、経験からくる的確な判断で対処したりすることができる。3.の失敗は、失敗からさらなる悪循環が生まれる失敗である。予想しておけば回避可能であったにも関わらず、予想をしていなかったためにパニックに陥り、ますます、状況を悪くしてしまう。
3の失敗はどうやったら未然に防げるだろうか。
外部研修のご案内 (主催:世田谷区福祉人材育成・研修センター) | |
以下の研修は、登録ヘルパー対象で登録ヘルパーさんに世田谷区から助成金が支給される研修です。 研修1時間につき1,000円が支給されます。事前に区内の事業所からの申し込みと登録が必要です。 ご希望のある方は、お申し出下さい。(紙ふうせんからも数名の参加実績があります) |
|
介護職員研修【新任】基礎的な内容です(4,000円助成)6月14日(金)13:00~17:00 成城6-3-101F研修センター | |
信頼関係を築くための接遇・マナー研修(2,000円助成)10月30日(水)15:00~17:00成城6-3-101F研修センター | |
障害福祉の理解研修 (仮)「当事者とその家族から学ぶ高次脳機能障害者への支援」調整中 |
|
(仮)「性的マイノリティの理解研修」調整中 | |
上記以外でも社員向け(とは言え、登録ヘルパーさんの参加を拒むものではありません)のさまざまな研修があります。詳しい研修内容等はHPで確認下さい。 世田谷区社会福祉事業団 世田谷区福祉人材育成・研修センター https://www.setagaya-jinzai.jp/ |
月一回定例のヘルパーミーティングは、偶数月を梅丘と祖師谷の合同で全体のミーティングとして行い、奇数月は梅丘・祖師谷別に開催します。
(内容)利用者さんの状況等・支援計画の変更の必要性の有無 今月の議題・伝達事項
★ミーティングと研修会を同時開催するのは、今までと同じです。
会議参加手当(ミーティング)は1回につき1370円です。
梅丘ヘルパーミーティング
5月14日(火)18:30~
【研修】緊急時の対応 (本郷)
祖師谷ヘルパーミーティング
5月24日(金)18:10~
【研修】自立支援のアイデア (佐々木)
全てのヘルパーさん対象です!! 健康診断を受診して下さい。
受診結果と領収書をお持ち下さい。特定検診の費用(オプションを除く)をお支払いします。
紙ふうせんだより 2月号 (2019/03/05)
2019年(平成31年) 2月 如月号
終わらないもの 終わってはならないもの
ヘルパーの皆様、いつもありがとうございます。幸いにも今年は大雪には見舞われていません。寒さが和らぐのもあと少しの辛抱です。身体にはお気をつけください。
台湾で長年タブーとされてきた2月28日の出来事、「228事件」
大日本帝国敗戦後“光復”に沸く台湾は、工場も鉄道も滞りなく治める者も治められる者もいない平等な社会となり、誰もが台湾の未来に希望を抱いていました。しかし、10月に中国本土から“戦勝国”として台湾統治にやってきた蒋介石の国民党政府は、結局のところ台湾人(本省人)にとって外国人(外省人)だったのです。外国の軍隊が侵略的性質を帯びるのは歴史の常で、国民党軍による強姦や強盗が横行し治安は悪化、明治製糖の下で農園経営(小作人4000人)する利用者さんのお父さんはこの時暗殺されます。
1947年2月27日、当局は台北市で闇煙草を販売していた女性を摘発し殴打、その騒ぎに集まった群衆に発砲し市民の一人を射殺。翌2月28日、抗議デモに警備兵が機銃掃射、戒厳令(1987年まで続く事になる)が敷かれます。デモは外省人支配への反抗運動となって台湾ラジオを占拠、街頭ラジオは「台湾人よ立ち上がれ!」と外省人にわからないよう日本語で呼びかけ、嘉儀農林高校では学生が蜂起、利用者さんは農薬散布用の長いノズルを軍刀の代用として指揮を執ったそうです。農具で武装した学生隊は、利用者さんの運転するトラックの荷台に乗って武器庫を襲撃、銃器を確保すると続いて空港の制圧に向かう。多くの市民と学生が射殺されたが国民党軍は全面衝突を避けて逃げ出し、蜂起は旧日本軍の残党も加わり瞬く間に全島に拡大します。再び台湾が台湾人の手に戻ったのも束の間、蒋介石は「暴動は共産党の扇動によるもの」との虚偽の発表を行い、3月11日には中国から続々と国民党軍が上陸し、虐殺と恐怖政治が始まった。利用者さんは弾圧を逃れ、1949年漁船で与那国島を経由して四国に渡り日本に亡命。神田のYMCAを頼ってその後も独立運動を続けたそうです。(冷戦の下での反国民党は、親共産党とみなされてなかなか理解されなかったようです。)
戦前この方は日本国籍の台湾人でしたが、1952年の日華平和条約により日本国籍を喪失し“在日外国人”となり、その後帰化しています。亡くなる数日前、私は「祖国として思い浮かべるのはどこですか?」と尋ねてみました。答えは「台湾民主国」でした。台湾民主国とは、1895年5月に台湾民主国独立宣言が発表されてから10月下旬に台湾全土を日本が軍事占領(台湾平定)するまでの半年に満たない幻の独立国の名称です。「どんな国を夢見ていましたか?」と聞くと「台湾人・高砂族(台湾先住民)・日本人の皆が平等で、平和で自由な国」とおっしゃっていました。一般に1945年8月15日以降は“戦後”と呼ばれていますが、祖国を失い続け、その後も戦い続けたこの方に“戦後”はあったのでしょうか。
訪れない“戦後”
1944年3月、日本陸軍は援蒋ルートを断つべくビルマからインパール攻略に出撃。補給が無いままに、3個師団9万人が大河川を渡渉し密林や2000m級の山岳地帯を470㎞踏破する「太平洋戦争で最も愚劣な作戦」だった。栄養失調の軍隊はインパールにたどり着けず、餓死やマラリアやデング熱や赤痢から生き残った1万2000人の撤退路は「白骨街道」と呼ばれた。インパール作戦を含めビルマで命を落とした日本軍将兵は16万。敗戦後もこの地に留まり、戦死者の遺骨を拾い集め慰霊に身を捧げようとする水島上等兵の創作物語「ビルマの竪琴」は有名ですが、1985年の映画化では、もう亡くなられましたが紙ふうせんの利用者さんが美術監督を務めていました。インパール作戦の生存者の「まだ、あの地に残っている仲間がいる」という証言に、“戦争”が終わらないという事実に気づかされます。
戦争体験者が高齢になった今、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症し、不眠や悪夢に苦しむといった症例が増えているのだそうです。戦場の残虐な光景、加害の体験、沖縄戦やシベリア抑留など、壮絶な体験は人知れず心の奥底にしまい込む方がほとんどでしょう。高度経済成長やバブルに日本が物質的豊かさをいくら謳歌しても、平和の中に戦争を忘れていくという事はできないのです。
終わってはならない“戦後”
1945年4月1日、沖縄本島中部西岸に米軍は易々と上陸した。米軍を沖縄に上陸させて釘付けにして本土決戦への時間稼ぎとする作戦だった。「沖縄島に尺寸の土地が残る限り一兵まで戦え」と大本営は命じ、沖縄の60万の島民は軍隊と共に戦う事を強いられた。沖縄が本土防衛の“捨て石”となった凄惨な地上戦で9万4000人の島民が死亡、看護婦として動員された「ひめゆり学徒隊」の女学生も軍隊と行動を共にして自決を迫られた。1952年、日本は米軍支配下に沖縄を置き去りにしたまま独立。1972年に沖縄が日本に返還された後も、日本政府は米軍基地で要塞化した沖縄を本土防衛の“不沈空母”とする政策を取った。今も新たな基地が作られようとしている沖縄の本当の“戦後”とは何だろう。
沖縄に背を向け続ける日本政府の差別的態度とは反対に、明仁皇太子は「石ぐらい投げられてもいい。そうしたことに恐れず、県民の中に入っていきたい」と、1975年に沖縄を訪問。「(沖縄の)払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものではなく、人々が長い年月をかけてこれを記憶し、一人一人、深い内省の中にあって、この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません」と、“戦後”への決意を述べられた。そして即位した後も何度も沖縄に訪問し心を寄せられている。昨年末85歳を迎えられ「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」と述べられた。
もし“戦後” の意味を、日本が国権の発動としての戦争を行わなかった「時代」として限定的に考えるならば、「平成」は明治以降初めて始終一貫した“戦後”時代となる。この意味での“戦後”は、絶対に終わってはならない。そして平成も次の時代も、未来において“戦前”とならない事を願う。それが戦争を体験された方々のまっすぐな気持ちだと思う。
※「紙ふうせんだより」のバックナンバーが必要な方はお申し出下さい。
サービス実施記録を再確認!(記入漏れが多いです) 利用者印・利用者名・ヘルパー名・サービス内容 身体?生活? |
緊急時の対応について《1》 |
【ケース1】 利用者さんが、顔色が悪かったので体調を伺うと「大丈夫、大丈夫、休めば治るよ。」と言っていたので、特に事業所には連絡しなかった… |
(サ責の対応)ヘルパーさんから、「利用者さんが、顔色が悪かったので『大丈夫ですか?』って聞いたら『大丈夫、大丈夫』と言っていたので、大丈夫だと思いますが一応連絡まで」との連絡を受けたけど、大丈夫らしいので一応記録に書いておいた。→この対応は×です。〇の対応は、ヘルパーさんに質問をして、「いつからなのか、どうしてなったのか、時々なるのか、目まいふらつき、気持ち悪いかなどは無いか」等、様子を具体的に聞き込んだ上で、既往歴から考えて危険な兆候はないか検討する。検討した内容を含めケアマネに報告。必要があれば、訪看やかかりつけ医や前回訪問のヘルパーさんに電話して意見を頂く。翌日以降のヘルパーさんに連絡して様子を見るように伝える。◎の対応はすぐに様子を見に行く。(いつもできるとは限らないので代替案を検討する。)
【ケース2】 利用者さんが室内で転倒していた。力が急に入らなくなったらしい。どこかを打った様子は無く意識もしっかりしているので、とりあえずトイレに行けずに汚してしまっていたので、着替えさせてベットに誘導して、サービスが終わってから事業所に連絡した。 |
(ヘルパーさんの対応)この対応は△です。×の対応は事業所への連絡がもっと遅くなった場合。〇の対応は、利用者さんの安楽の姿勢を取ったあと、その場ですぐに事業所に電話をして倒れていた旨を伝え、救急車を呼ぶべきかどうかを相談する。
(サ責の対応)ヘルパーさんから連絡を受けたが、介助されながらベットに移動するなどの動作はできたようで意識もしっかりしている事から、一応今日のところは大丈夫なようなので、後日様子を見に行く予定を組んでサービス内容が変更になった事をケアマネに報告した。この対応は×です。〇の対応は、電話を受けた時点からあらゆる手段を講じて、救急搬送が必要かどうかの情報収集をする。様子を見て大丈夫だという確信が得られない場合は、家族にすぐに病院に連れて行くように約束をするか、救急車を呼ぶ。本人に電話を替わって貰って、「救急車に乗って病院にいきませんか? 大丈夫だと思ってもそれは、そう思いたいだけで、倒れてしまったんだから大丈夫なわけないです。力が入らなくなってしまった原因はわからないんだから、病院で検査して貰った方がよいですよ。それで問題が無かったら無かったで良いじゃないですか。様子見ている間に症状が悪化してしまう危険もあるし、どのみち調べた方が良いんですからすぐに行きませんか?」と話す。
★考えるヒント★下線のところに、用心しなければならない“いつものように物事を運びたい心理”が隠れています。それを『正常性バイアス』と言います。(次号へ続く)
~~ヘルパーミーティングのお知らせ~~ 【日時】 2019年 3月29日 金曜日 18:30~ 梅丘の事務所内にて(祖師谷・梅丘含む訪問介護全体のMTGです) ★担当利用者さんの状況等・支援計画の変更の必要性の有無 ★今月の議題・伝達事項 会議参加手当(ミーティング)は1回につき1370円です。 |
【研修会】 テーマ 高齢期になっても元気に生きる (荻野) (関連項目:フレイル、要介護に至る前の状態、介護予防体操、身体介護) |
衛生備品配布しています! 私たちの身の回りには目には見えないウイルスや細菌が潜んでいます。感染症等の拡大予防のためにうがい・手洗い・手袋の使用、手指の消毒等を行い感染症から身を守りましょう! 事業所に使い捨て手袋、アルコールを常時保管し、必要なヘルパーさんに提供しています。気軽にお声かけください。 |
★紹介料を大幅にUPしました!
★気になる方に募集のチラシを渡して下さい。
(無資格者は0円で資格取得できます)
★「紹介した人」の対象は紙ふうせんで働いている全ての方です。
ご紹介頂ければ最大で35,000円プレゼント!
紙ふうせんだより 1月号 (2019/01/31)
「穏やかな生活」から「穏やかで豊かな生活」を目指して
ヘルパーの皆様、明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。昨年中に体調を崩された方や事故に合われた方は、今年は快方に向かうように、良いことのあった方は、良いことが次への基礎へとなっていくようにお祈りします。
これからの未来を大過なく過ごすことはできるのか?
2019年はどんな年になるでしょうか。もっとも安易な未来予測は“2018年と大して変わらない”という予測です。人や社会や経済には大きな変化を嫌う性質があって流動性にさらされても復元力が働きますから、この予測には根拠があります。このような人の心の性質は、昔から退職・退任のあいさつでよく使われてきた「大過なく過ごす」という言葉にも表れています。前例に縛られるような行政組織などの場合は特に“問題を起こさないように”こなす事に一定の価値があるのは確かで、実際に課題が何もないならば、前任者と同じ仕事のやり方によって安定感や信頼は維持されるでしょう。しかし、不確実性の高まってきている状況にあって、大過なく勤めようとし過ぎる事は、一歩間違えれば“何も仕事をしなかった”となってしまいかねません。判で押したような対応に慣れ、解決すべき課題を見過ごしているうちに、些細な事がついには大問題になってしまうのです。そして今、平成が終わるこの時代、社会情勢は不確実性を高めています。では、どうしたら良いのでしょう。
不確実性が高まる中での仕事のやり方
どのようなスタイルで仕事をしていきたいかは、仕事をする個人の主体的な選択に本来ゆだねられるべきものです。自分のスタイルに対する周囲の様々な評価を受け入れる必要もありますが、それを含めて責任を持って自分自身で決めていく事は自身へのマネジメントとなり、個人が良くマネジメントされていけば組織も上手く機能していくからです。しかし一方で、今置かれている状況はどのようなものなのかという視点を持ち、そこで自分が注力すべき事は何なのかを視野に入れていく事も、スタイルの確立と同じくらいの重要さがあります。自分自身の仕事は、自分だけで成り立っているものではありません。周囲との関係性への意識が薄くなれば、結局は自分が行き詰まってしまいます。自分のスタイルを確立しながら、同時に周囲の求めにも適切に応えていく。この同時作業が実は難しいのです。
この難しさは、先ほどの文章の「仕事」を「生活」に、「組織」を「家族」と読み替えて、利用者さんの生活として考えると客観的に理解できるかと思います。多くの要介護世代は、“老後”を大過なく穏やかに過ごしたいと願っています。それを願うあまりに「リハビリは要らない」「今のままで良い」と言って、不確実性の高まっているADLであるにも関わらず、自分のスタイルを変えようとしない方がいます。そのような頑なな方は、本当に一歩間違えて寝たきりになってしまう事があります。そうなるまでは“今年も変わらない”という願望を元に、何もしないでいても安定性を保って過ごせるだろうと漠然と考えていたのです。
安定性を保っているように見えるその背景 「複雑系の科学」
水を加熱すると水温は一定に上昇しますが、沸騰しはじめると温度上昇は止まり、臨界(りんかい)と呼ばれる状態になります。臨界では、水は水蒸気というまったく別の様相に変化(相(そう)転移(てんい))します。デンマークの物理学者パー・バクは、臨界と相転移を研究しているうちに、ある事に気が付きました。パー・バクはその気付きを砂山モデルとして説明しています。
平らなテーブルに砂時計のように砂を落としていくと砂山が形成されます。砂山は次第に高くなってこれ以上高くなれないところまで成長し、さらに砂をこぼし続けると砂山はどこかで雪崩を起こしながら一定の高さを保ち続けます。このとき砂山は、砂によって安定した形状を保っている(自己組織化)が、その形状は砂の流入によって維持されているという意味で臨界状態にあります。世の中の様々なものは、臨界という絶妙なバランスによって形を保ち続けている状態(自己組織化臨界)にあるのではないか?
この “自然のしくみ”は人間にも当てはまります。普通に安定を保っているように見える人間の身体は、体細胞や体細胞を構成する物質の絶え間ない新陳代謝や物質代謝の継続によって、実は動的平衡(へいこう)の中にかろうじて安定を保っているのです。「複雑系の科学」は、複雑なものを安易な要素に還元(かんげん)しないで、複雑な関係性そのものを理解しようという試みであり、人間理解にも役に立ちます。利用者さんのADLを砂山に譬えるなら、砂の供給量が日常生活動作であり、供給低下によって砂山はすぐに風化(廃用性)してしまいますから、砂の供給量をどうやったら確保できるかを考えていく事が、ADLの向上する介護となるでしょう。
「穏やかで“豊かな”生活」を目指して
利用者さんのADLが低下した時、私たちは安易に“利用者さんがリハビリを断ったから”などの個別的要素に還元して理解しがちです。一面的にそれは正しいのですが、利用者さんの気持ちの表現をそのままに受け止めるだけでなく、“その表現は、支援の関係性の結果として現れているのではないか”という視点も導入すると、より立体的な支援となるでしょう。実際、支援の関係性が利用者さんの気持ちに与える影響は、計り知れないほど大きいものです。関係性への着目が「穏やかで“豊かな”生活」の鍵となります。
どんな内容の支援でも、まずは気持ちだけでも利用者さんがヘルパーさんと一緒に行えている気分になれるように、支援内容を相談する声掛けをしながら支援を進め、利用者さんの気持ちの動きを感じ取っていきたいと思います。その中から、「本当は自分でやりたい」「自分ならこうしたい」という気持を読み取って“できるだけ共に行う”提案を試み、「工夫したらできるかもしれない」という想像を利用者さんにしてもらう事も大切です。利用者さんの諦めの気持の中には、説明不足や 決めつけと受け取られるような一方的な声掛けなど、私達の関わり方の課題もきっとあるでしょう。しかし期待するほどに人は変わりません。砂山に注ぐ砂のように私達の丁寧な取り組みもまた雪崩を起こし続けて、利用者さんの砂山は姿を保ったまま変わらないかもしれません。しかしその砂山のテーブルの下にもう一つ“意欲”という層があると考えてみて下さい。私達の注ぐ情熱の砂は、やがて臨界を迎えて下のテーブルに落ちはじめ、気が付いたら相転移のように意欲のテーブルには、“ヘルパーさんとの心の交流の楽しさ”や“生きがい”といった新たな砂山が築かれているかもしれません。
インフルエンザの予防接種を受けて下さい。1000円を助成します。
領収書を事務所までご持参下さい。(持参はなるべく当月以内)
<インフルエンザ患者数が200万人超え>
★すでに紙ふうせんのヘルパー・利用者さんが罹患しています。
★症状がまったく現れない「不顕性感染」というインフルエン
ザを発症する場合もあります。
★一般的にインフルエンザは急激に発症し、38℃以上の高熱、全身倦怠感、食欲不振などの「全身症状」が強く現れます。そのような症状がでない時でも、体調が悪い時はお申し出ください。
★高齢者などは、インフルエンザに感染していても免疫機能の衰えから生体防御反応としての自覚症状が出にくい場合があり、体に強い異常を感じることなく普通の生活を続け、周囲も感染させてしまうことがあります。
★利用者さんの体調をよく観察し本人の近況を聞きながら、気になる変化があったら報告をお願いします。
飛沫感染……感染している人の咳・くしゃみにより発生した
飛沫を吸い込む
接触感染……感染した人が触った直後のドアノブなどに触り、そのまま目、鼻、口に触る
【予防】人の集まるところでのマスク着用。うがい手洗い。電車のつり革などにも注意、洗わない手で食物や顔を触らない。洗顔も。スマホは油等でウイルスが生存しやすく、除菌ウエットティッシュで拭く。人前では咳エチケットに注意。
サービス実施記録を再確認!(記入漏れが多いです) 利用者印 ・ 利用者名 ・ ヘルパー名 ・ サービス内容 身体?生活? |
などが最近とても多いです。特に“自立支援”の項は、記入欄が下の方にあるため、記入漏れが多いようです。事務所でその都度確認してしますが、記入漏れにはご注意下さい。
~~ヘルパーミーティングのお知らせ~~
【日時】 2019年 2月20日 水曜日 18:30~
梅丘の事務所内にて(祖師谷・梅丘含む訪問介護全体のMTGです)
★担当利用者さんの状況等・支援計画の変更の必要性の有無 ★今月の議題・伝達事項
会議参加手当(ミーティング)は1回につき1370円です。
【研修会】 関連項目 事故発生・再発防止 (小泉) (関連項目はあくまで関連であり、内容はいろいろ膨らむ予定です) |