【紙ふうせんブログ】
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紙ふうせんだより

紙ふうせんだより 7月号 (2017/09/19)

皆様、いつもありがとうございます。暑さが本番です。脱水・熱中症にはくれぐれもご注意下さい。7月は先祖供養のイベントのお盆でした。お盆は旧暦の7月15日に行われていたもので、地方では旧暦にならって8月15日に行うところが多いようです。


いずれご先祖様になる その「死」は誰のもの?

日本の農村を取材した外国のドキュメンタリーを見て、印象的な場面がありました。おばあさんが「いずれご先祖様になる」と穏やかにその希望を語っていた言葉の英訳は、“私は神様になる”でした。ご先祖様の訳語が欧米には無いんですね。日本人にとっても“ご先祖様”は人によって感じ方が異なるものですが、このような方にとって「死」は、ご先祖様になる事によって、子孫から大切にされ子孫を温かく見守る存在となる事なのです。一方、欧米にはキリスト教文化があり「死」は天国への旅立ちです。しかし洋の東西問わず「死」が恐れられているような状況について、アメリカのホスピスで音楽療法士をしている佐藤由美子さんは、『死と向き合ったとき人間が最も恐れるものは、「死」そのものではなく、死に至るまでの「過程」である場合が多いのだ。』として、誰に「尊厳」あるのかを問うています。

 

死に逝く人は「死」を恐れない? 彼らが本当に恐れていること       佐藤由美子

末期の病気の人たちにとって、死は必ずしも避けたいことではなく、待ち望んでいる変化(transition)となることもある。しかし、日本国内では、望まない延命治療を施されている末期の患者さんが驚くほど多い。胃ろうや過激な点滴などのさまざまな延命治療は、彼らが苦しむ時間を引き延ばしているに過ぎない。終末期の問題を語るとき、欧米人と日本人は死生観が違う、という点が必ずと言っていいほど話題になる。欧米人はクリスチャンで天国を信じているから、死に対する考えが違うのだ、と。

でもそれは、あくまでも表面的なことだ。死生観がどうであれ、大切な人を失うということは、人生において最もつらいことであり、喪失(グリーフ)による苦悩は人類共通である。

違いはむしろ、誰に尊厳があるかという点だ。欧米の医療では、何よりも患者さん本人の尊厳を重んじる。たとえ家族がそれを望んだとしても、末期の患者さんの命を、彼らが望まないかたちの延命治療で引き延ばすことは、非人道的・非倫理的である、と考えるのだ。

愛する人に「1日でも長く生きて欲しい」と思う気持ちは自然なことだが、「もう逝っていいよ」と言って見送ってあげること。これも遺される家族にできる最期の愛情の表現ではないだろうか。

 

 

死に至るまでの過程 「クオリティ・オブ・デス」を考える

死にゆく「過程」での悩みについて、順天堂大学で「がん哲学外来」を開設している樋野興夫さんは、それを「後悔」としています。「死」を意識した事によって『それまで見ないふりをしてきた問題が顕在化する』するというのです。そして、『「病気になんかなって、自分の人生は一体何だったのだ」と後悔している人たち』の中にある比較してしまう心の癖に焦点をあて、『自分の人生に意味が見出せないのは、いつも他人と比べているから』であり、『自分を認めることが、人生を肯定して後悔を残さないための第一歩』だとし、『死とはどういうものなのか、自分がどう死んでいきたいのかが決まっていれば、いざというときに慌てずにすみます。』と、自身の「クオリティ・オブ・デス」について考える事を勧めています。

 

人はなぜ、死が迫ると過去を悔やんでしまうのか       樋野興夫(PRESIDENT Online

死を意識した人たちの悩みは、病気によってもたらされたものばかりではありません。どちらかといえば、それまで見ないふりをしてきた問題が顕在化すると思ったほうがいいでしょう。死を意識すると、自然と感情の襞が繊細になり、いろいろなことが目に付くようになるのです。

がんになったある男性は、妻ときちんとコミュニケーションをとってこなかったことを後悔していました。病気になって仕事を休むと、家にずっといることになります。そんなとき、夫婦関係がうまくいっていないと、30分同じ空間にいるだけでも苦痛に感じるのです。(略)

世代や性別に関係なく、自分には生きがいがない、居場所がないと感じている人が非常に多いのです。ですが、そう感じている人が怠惰で自堕落な人生を送ってきたかといえば、そうではありません。一生懸命働いて、家庭でも自分の義務を果たしてきた人がほとんどです。それなのに自分の人生に意味が見出せないのは、いつも他人と比べているからです。

人間は、価値を確認するために何かと比較する癖がついています。ですが、人生においてそれは意味のないことです。どんな人生にも意味があるし、等しく素晴らしい。誰にでも、天から定められた使命や役割があります。それが世界中から認められるような偉業だとは限りません。誰かの父として、母としての役割もあるでしょう。つまり、「社長」「役員」などの肩書を取り払って、自分を認めることが、人生を肯定して後悔を残さないための第一歩なのです。

 

 

比較しない事 命のありのままを肯定する事

「比較しない事」の大切さは、子育てや教育や障害者支援でも言われています。比較された側が委縮してかえって可能性を狭めてしまう事があるからです。障害のある子どもの親には、障害を克服したいという切実な願いがあるがゆえに、他の子と比べてしまう事もあるでしょう。そんな“焦り”を防ぐために障害者支援では、障害はその子の「個性」と言ったりしています。「個性」とはその人自身「個」が持つ性分です。その人自身を尊重するという事は、「障害」はその人自身の一部としてきちんと向き合う必要があり、「障害」そのものをネガティブに考えたり、「障害」持つことを理由に、何かを排除しようとしてはならないのです。

さて、先ほどの文の「障害」を「老・病・死」と置き換えてみましょう。すると、過度な延命治療は「死」を排除しようとするものであり、病気による後悔は、「病気」を否定しようとするあまり、病気の「自身」を否定してしまっている事だと理解されてくると思います。

 

 

与えられた時間を、病気の色だけに支配されることは、やめました

小林麻央さんは、癌に侵されるなかで、『病のイメージをもたれること』を『怖れ』るあまり『周囲に知られないよう人との交流を断ち、生活するようになっていきました。』と述べています。そして、自分の理想の生き方『理想の母親像』が全く出来なくなった事に苦しみました。それは過去の自分と病を持った自分を比較し、現在の自分に『「失格」の烙印』を押し、自分を苦しめてしまう事でした。

しかし、『なりたい自分になる。人生をより色どり豊かなものにするために。だって、人生は一度きりだから。』と、病状を公開します。それは麻央さん自身が、自身の尊厳を取り戻した瞬間でした。

麻央さんの中で灯った尊厳の光は、多くの人をこれからも励まし続けることでしょう。

 

**小林麻央さんがBBCに寄稿した文(抜粋)**

「がんの陰に隠れないで!」

私は気がつきました。

元の自分に戻りたいと思っていながら、

私は、陰の方に陰の方に、望んでいる自分とは

かけ離れた自分になってしまっていたことに。

何かの罰で病気になったわけでもないのに、

私は自分自身を責め、それまでと同じように

生活できないことに、「失格」の烙印を押し、

苦しみの陰に隠れ続けていたのです。

(略)

自分の心身を苦しめたまでの

こだわりは

失ってみると、

それほどの犠牲をはたく意味のある

こだわり(理想)ではなかったことに

気付きました。

そして家族は、私が彼らのために料理を作れなくても、幼稚園の送り迎えができなくても、

私を妻として、母として、以前と同じく、

認め、信じ、愛してくれていました。

 

 

【紙面研修】

介護保険どうやって使うの?と相談されたら…

【介護保険を利用したいけど、どうしたら良いの?】

介護保険の利用対象者は、65歳以上の高齢者(第1号被保険者)か、40歳から64歳の16の特定疾病のある方(第2号被保険者)が対象となっています。介護保険を利用開始するためには、介護認定を受けなければいけません。介護認定とは、介護の“必要度”の目安となる「要介護度」を決定する事です。「要介護度」とは、軽い方から順に「要支援1・2」と「要介護1~5」の七段階あります。介護認定を受けるためには、区市町村に申請して「認定調査」を受ける必要があります。「認定調査」では、認定調査員よりさまざまな質問があり、日常生活や心身状況を確認します。そのデータをもとに、コンピューター判定と審査会(人による判定)があり、介護度が決定します。介護度が決定すると「介護保険被保険者証」が郵送されてきます。また、介護保険が使える「認定有効期間」は「認定調査」を申請した日にさかのぼりますので、初めて介護保険を使う時は、認定調査を申請した日より“暫定”でサービスを利用できる場合があります。

【どこに相談すればいいの?】

介護保険の申請は区市町村に行いますので、世田谷区でも相談に乗ってくれますが、そもそも“介護を受けたい”という方やその配偶者にとって申請等は大変なものです。ですから各地域に行政の出先機関として「地域包括支援センター」(区内27か所)があります。地域包括支援センターに相談すると、介護保険のサービス利用のレールを敷いてくれます

【地域包括支援センターに相談した後はどうなるの?】

その地域包括支援センターがそのまま担当する場合と、居宅介護支援事業所(民間企業)の“ケアマネージャー”を紹介される場合があります。ここで言う「担当」とは「ケアプラン」を作成する事です。ケアプランの作成は、地域包括支援センターが「要支援」を担当する役割分担になっていますので、ケアマネージャーが紹介された場合は「要介護」の可能性もあります。いずれにしても、担当になった方が介護保険の申請等を代行してくれます。

なお、地域包括支援センターはその地域の介護問題を包括的に対応する機関で、さまざまな業務を行っています。また、最初から居宅介護支援事業所に直接相談しても構いません。

【ケアプランって何?】

ケアプランとは、介護保険サービスを利用するための計画書で、正式には「居宅介護支援計画書」と言います。これは、公的サービスである介護保険を利用する法的根拠となります。ですから、ケアプランに記載の無いサービスは受ける事ができません。また、ケアプランを作成するケアマネージャー(正式には、介護支援専門員)が、介護の上で一番の相談相手となります。「不安なこと」や「どんな生活をしたいか」「これからどうしたいか」などのイメージをケアマネージャーにしっかりと伝える事によって、サービス事業者の選定も含め、自分に合ったケアプランを具体的に作成してもらう事ができます。自分の想いを伝える事が、サービス利用者の1番の仕事とお考え下さい。

【ケアマネージャーとの関係は?】

担当のケアマネージャーが自分に合わなかった場合は、ケアマネージャーを替える事ができます。介護保険制度の利用は全て、事業者とサービス利用者の契約に基づく合意が基礎となりますから、不必要なサービスも断る事ができますし、自分で事業者を選ぶ事もできます。ただ、ご一考いただきたいのは、人間関係はお互い様ですから、ケアマネージャーが自分の意向を聞いてくれないと感じる場合、ケアマネージャー側も“利用者さんが介護保険制度や介護生活に必要な注意等から外れようとして困っている”という場合もあります。


紙ふうせんだより 6月号 (2017/09/15)

皆様、いつもありがとうございます。梅雨ですね。食品を出しっぱなしにしている利用者さんはいませんか? 食中毒のへの注意喚起をお願いします。また、雨天時の転倒には注意して下さい。交差点前では自転車は減速。段差の乗り越えは無理しない。階段等でのながら歩きはしない。事故にはくれぐれもご注意下さい。

 

その方を形作った体験を聞きたい


利用者さんの昔話を聞く事が、仕事のやりがいになっているというヘルパーさんは、とても多いと思います。できれば、その人の人生の原体験に迫るような話も聞きたいですよね。私は次のように話の導入をします。

「○○さん、生まれは何年ですか?」

「そうすると終戦時は□歳くらいですね」

「すると△△を体験している世代ですよね?」

この△△がポイントです。利用者さんの世代が共有しているような歴史的な出来事を、名前だけでも知っていれば話題のきっかけができます。自分自身の切実な体験を人に話をした時に、「ふーん…」という薄い反応しか返ってこなかったら、利用者さんは辛くなります。だから利用者さんは、話をして良い相手かを見ています。△△をヘルパーさんが知っていれば、利用者さんは安心して話す事ができます。もちろん、自分自身の青少年期の話をしたくない利用者さんもいます。その時代が、日本国民に(周辺諸国民にも)大日本帝国政府が、塗炭の苦しみを強いた時代だったからです。△△の話題を利用者さんに振っても反応が薄ければ、この話題は終わりです。多くの方の共通項の一つの△△に、「学徒動員」があります。

 

 

利用者さんの生きた時代背景を知る

利用者さんの戦争体験を伺うと、従軍した経験はほとんど聞かれなくなってきました。その世代の多くが鬼籍に入ってしまったのです。今聞くことができる話は、学徒動員の話が主です。第二次世界大戦末期の1943年(昭和18年)以降に深刻な労働力不足を補うために、中学校以上の生徒や学生が軍需産業や食料生産に学徒勤労動員されました。

 

【ある利用者さんの話①】

私はね、学徒動員で無線を作ってたんですよ。それである意味、東條首相に命を救われましてね。大学生も徴兵されるようになった時(1943年10月)、理系の学生は兵器開発のために徴兵猶予されてね。それで、戦争に勝つために無線の誘導装置を開発していた。当時、B29は無線誘導で夜間でも視界が無くても日本を爆撃できた。一方で日本の飛行機は、経験の未熟なやっと操縦ができるくらいの若者が乗って、有視界飛行で島伝いに南の島の米軍基地を目指した。でも、途中で迷ってしまって、燃料切れでほとんどが海に落ちてしまった。ようやくたどり着いて爆弾を1個落としても帰りの燃料が無い特攻作戦。それを、奴さんたちチューインガム噛みながら、ブルドーザーで滑走路を数時間で直してしまうんだよ。日本じゃ“もっこ”かついで数日かかるのにね。これじゃあ勝つわけないよ。

【ある利用者さんの話②】

学徒動員されて立川の工場で飛行機を作っていた。米軍の爆撃があってその度に防空壕に入った。一度外で作業していた時に、突然飛行機がやってきて機銃掃射を受けた。走って2メートルくらいの川に飛び込んで頭まで潜って命は助かったけど、逃げ遅れた友人は死んでしまった。トラックの荷台に乗せられて移動している時に、被弾した飛行機から落下傘で米兵が降りてきたのを見た事がある。人が集まって来て寄ってたかってその米兵をなぶり殺しにしてしまった。惨いものだった。

 

 

前へ倣え!なおれ!右向け右!

学徒動員は1938年から部分的に始まっていますが、1943年6月に「学徒戦時動員体制確立要綱」が東條内閣によって閣議決定されてから、学徒動員は通年行われる“強制労働”と化していきます。閣議決定で興味深いのは、「教育錬成の一環」として“労働”が“教育”とされた事でしょう。教育勅語によって定められた教育の目的は子供自身の未来のためではなく、国難があれば国家に命をささげる「臣民」の育成にありました。だから学校教育は軍隊を模しており、命令に絶対服従の人間を育てる“強制”が“教育”で、軍事教練も“義務教育”でした。「愛国心」も当然義務、「学徒尽忠の至誠を傾け」に少しでも意見を言えば治安を乱そうとしている“疑い”で事情聴取の名目で連行しリンチを加え、拷問による自白強要・殺人もありました。これらは普遍的な人権意識からは「人権侵害」です。しかし当時の政府には大日本帝国憲法や法令という錦の御旗がありましたので、何の痛痒もなく「法令に基づいて粛々と進めており、そのような指摘は全く当たらない」等と言うことができました。

 

「学徒戦時動員体制確立要綱」  昭和18年6月25日 閣議決定

第一 方針

大東亜戦争の現段階に対処し、教育練成内容の一環として学徒の戦時動員体制を確立し、学徒をして有事即応の態勢たらしむると共に、之が勤労動員を強化して学徒尽忠の至誠を傾け、其の総力を戦力増強に結集せしめんとす。        (カタカナをひらがな表記とし、適宜句読点を加えた)

 

 

利用者さんの生きた歴史を継承する

利用者さんの話をうかがう時、なんとなく聞いている時もあるでしょう。しかし、その時代背景を少しでも知っていると、一人の人間や社会がたどってきた道筋を立体的に見る事ができます。そこから、そこにある因果関係の連鎖に気が付く事を、大げさに言えば「歴史に学ぶ」と言えるのではないでしょうか。「歴史に学ぶ」本質は、「失敗に学ぶ事」とよく言われています。個人も社会も自己批判的に振り返った時、失敗の無い事などありません。歴史に親しむ事は、同じ過ちを繰り返す前に立ち止まって考える力となります。

 介護をしていくなかで、私自身も多くの「恥ずかしい失敗」や「悔やまれる失敗」をしてきました。その失敗によって私が形作られていると言っても過言ではありません。あの時は「自分が絶対に正しい」と思った事でも、経験の蓄積や視野の拡がりによって「実は失敗だった」と考えが変わる事もあります。大切なのは、失敗の無い事ではなく、失敗から何を学ぶのかという事です。利用者さんとの関わり合いで上手くいかなった時、その方を取り巻く環境や歴史的背景、そして自身の置かれている環境や自分の心の歴史など、出来るだけ多くを立体的に見ようとすると、進むべき方向性が見えてくるのではないかと思います。そのような学びの営みは、利用者さんの生きた歴史を、自らの血肉として継承する事となるでしょう。これこそが、介護の仕事の本当のやりがいとなるのではないでしょうか。

 

★震災に備える★

【震災時に使える簡易トイレの作り方】

震災時は断水となるのでトイレを流す事ができなくなります。

便器に2重にビニール袋を設置し、中に吸収材を入れる


◎吸収剤について

震災時の非常用トイレ用として、紙オムツ素材の袋状のもの、粉状、タブレット状のものなど多数商品がありますが、機能性とコストでは大人用紙オムツ(テープ式)か、夜間用の大きい尿取りパット(小さめの尿取りパットを重ねても良い)が一番手軽で安くて確実

考え方はポータブルトイレと同じですね。介護職の経験が活きてきます。袋を二重にするのは、中のビニール袋の外側を濡らさないようにするためです。吸収剤は、何も用意していないような時は、新聞紙を拡げて入れ、つぎに細かくちぎった新聞紙を入れておきます。催したあとは、あれば消臭剤(ファブリーズ等)を吹きかけましょう。(お風呂に水を溜めておけば、その水で水洗トイレを流す事ができます。)

 

【震災時に力を発揮する介護職】

いま、震災時に行政で一番の課題として考えられているのは、災害弱者に対してどのように支援するかという事です。つまり私たちが関わっている要支援・要介護の方々です。私たちはその方々の身体的な問題や、日常生活の課題を良く知っています。例えば、週に2回の買い物で1週間の食糧を確保しているような方には、どのような買い置きが必要かなどを知っています。その延長線上で発想を膨らませていけば良いのです。ガスも電気も使えなくなるので、LEDの懐中電灯が複数個とカセットコンロとボンベ、飲料水の買い置き、常温保存の利くレトルト食品などは、必須です。利用者さんに声掛けし、それらを少しずつ日常の買い物付け加えていく事ができれば良いでしょう。

あとは、震災の初動?としては、家具の転倒に巻き込まれない事です。

 

【世田谷区の家具転倒防止器具の取付け支援

高齢者・障害者等の住宅の家具について、地震時の転倒を防ぐため区では家具転倒防止器具の取付を支援しています。申請後、区が委託する器具取付事業者が見積調査に伺い、後日器具を持参して取付けます。取付費用の2万円までは、世田谷区より助成。2万円を超える部分を器具取付事業者に直接支払います。



 



 



 

 

 

 

 


紙ふうせんだより 3月号 (2017/04/14)

 

桜が咲きました。皆様、いつもありがとうございます。生まれ出ずる力を象徴するような桜の花を見ると、何か新しい出会いがそこにあるのではないかと思え、気分も昂揚します。

出会いから生まれる奇跡

自分の人生が変わるような出会いが人には何度か訪れます。自分の生活の一部と誰かの生活の一部が重なった時、その出会いが運命的に決められた必然であったかのように突然意味を持ちます。自分の今までの歩みが、まさにその出会いに至るための唯一の細い道のりとして選びとられた軌跡のように感じられ、紡がれた糸のように誰かの糸と交錯していくのです。

1887年3月3日、一つの奇跡的な出会いがありました。“三重苦”(見えない・聞こえない・しゃべれない)として知られるヘレン・ケラーはこのとき7歳、アニー・サリヴァン先生は21才。この出会いは、障害者を孤独の中に閉じ込めていた偏見を打ち破り、それぞれが自分の道を自分で選び歩む旅路の出発点でもありました。この日の事をヘレンは終生「わたしの魂の誕生日」と呼んでいます。

この3月3日は、二人の出会いのきっかけを作り、良き友人として二人を生涯支え続けた“電話の父”と呼ばれるアレグサンダー・グレアム・ベルの誕生日でもあります。ベルは電話の発明だけが取り上げられる事を嫌っていました。ベルは「聴覚障害者の教師」を一生の仕事として誇りを持っていたのです。(聴覚障害者のコミュニケーション方法の研究から音の性質について理解し電話の着想を得ていたベルは1876年3日10日に電話による史上初の通話を行った。)そして、

ヘレン、アニー、ベルの出会いは、障害者教育の可能性を切り開いて切り拓いていくのです

皆さんは海で濃い霧に閉ざされたことがおありでしようか。白い闇にとじこめられ、方角も港がどこにあるのかもわからない船が鉛の重りを海に投げては深さを測り、手探りで進んでいく、あの時の不安な気持ちをご存じでしょうか。

先生の教育が始まる前の私は、まるでそのようなものでした。私には、羅針盤、深さを測る鉛もなく、どこに港があるかもわかりようかありません。ただ、「光を、光をください。と、声にならない叫びをさけび続けていたのでした。しかし、その時すでに、光は私の上に注がれていたのです。私は、近づく足音を感じました。母だと思って、手をさしのべました。誰かがその手を取り、抱き上げ、胸の中に、強く抱きしめてくれました。その方こそ、わたしの心の目をひらくために、わたしを愛するためにきてくださった先生だったのです

(「ヘレン=ケラー自伝」)

人間が人間らしく生きていくには、人とのふれあい、コミュニケーションがなくてはなりません。音のない闇の中でもがいていたヘレンを、知性と人間愛にみちた世界に引きだしたのはアニー・サリヴァンでした。そして、アニーが無限の忍耐を必要とするこの仕事をなし遂げた陰には、ベルのはげましと信頼がありました。ベルは終生、障害者と健常者のあいだにバリアがあってはならない、と主張していましたが、バリアフリーの生き方を身をもってつらぬいたのがヘレンでした。〈奇蹟の人〉と珍しがられながらも、世間の弱者蔑視の壁にたびたび行く手をさえぎられるヘレンを、ベルは折にふれてはげましました。「できると思うことは、どんなことでもできるものだ。きみから勇気をもらう人が大勢いる。それを忘れちゃいけない」

この三人は運命的な出会いをはたし、支えあい、 触発しあって生き、それぞれの仕事によって人間のコミュニケーションの可能生を大きく広げ、さらにバリアのない、だれもがより人間らしく生きる社会の実現を後世に託して去っていきました。 (「ヘレン・ケラーを支えた電話の父・ベル博士」片山しのぶ訳)

ノーマライゼーションの先駆者として

1950年代のデンマークで生まれた「ノーマライゼーション」という理念は、障害者と高齢者・健常者が分け隔てなく同じように社会参加していこうというものです。

その理念の誕生よりも50年以上も前、多くの人の疑問の声を振り払ってヘレンとアニーはラドクリフ大学(ハーバード大学の女子部)への進学を決意、ヘレンは見事に点字での入試に合格。ラドクリフ大学は当時ヘレンの入学を快く思っていませんでした。講義ではアニーが付き添い教授の話を指文字でヘレンに伝え、毎夜ヘレンは記憶をたどって内容を点字タイプライターでまとめました。視覚障害者のアニーは弱視の悪化に苦しみながらも、毎日の課題の本をヘレンに夜通し指文字で読んで聞かせ、教科書の点字訳もアニーやヘレンの友人たちが引き受けました。二人の命を削るような努力があってヘレンは優等賞で卒業。証書授与式で檀上に上がった二人には万雷の拍手が鳴りやみませんでした。アニーの献身をたたえ「大学はサリバン先生にも学位をあげるのが当然ではないか」との声もあがりました。

卒業が間近に迫っていた頃、ベルはヘレンに語っています。「いいかい、ヘレン。自分を一つの型にはめてしまってはいけないんだよ。本を書くのもいいだろう。演説してまわるのもいいだろう。何かを研究するのもいいと思う。できるだけ多くの仕事をすれば、それだけ、世の中にいる目の見えない人や、耳の聞こえない人を助けることになるのだよ。」

聴覚や視覚に障害をもつ人が健常者と同じ公立学校に通学できる事を理想とし、実際に私立学校を設立するなどの活動をしていたベルにとって、ヘレンの大学入学と卒業はその理想の証明と勝利であり、大きな喜びと勇気となりました。

ノーマライゼーションは誰のため

ノーマライゼーションは障害者のためのものではありません。多様性あふれる豊かな社会で生きたいという全ての人のためであり、自分の多様な可能性を拡げていく上で何よりも自分自身のためなのです。ベルがヘレンに「きみから勇気をもらう人が大勢いる」と言ったように、私たちもたくさんの利用者さんと出会い、元気や勇気をたくさん貰っています。同じように介護は利用者さんのためだけのものではなく、私たち自身のためではないでしょうか。

4月からは新年度です。単に仕事として介護をするだけでなく、「自分の人生をどのように自分は生きるのか」という自分自身への問いかけや、この仕事と自分の関わり等を考えながら、春という出会いの季節に新しい出発をしていきたいと思います

ヘレン・ケラーの言葉

ひとつの幸せのドアが閉じる時、もうひとつのドアが開く。しかし、よく私たちは閉じたドアばかりに目を奪われ、開いたドアに気付かない。自分でこんな人間だと思ってしまえば、それだけの人間にしかなれないのです。あきらめずにいれば、あなたが望む、どんなことだってできるものです。第六感は誰にもあります。それは心の感覚で、見る、聴く、感じることがいっぺんにできるのです。ベストを尽くしてみると、あなたの人生にも他人の人生にも思いがけない奇跡が起こるかもしれません。世界で最も素晴らしく、最も美しいものは、目で見たり手で触れたりすることはできません。それは、心で感じなければならないのです。


紙ふうせんだより 2月号 (2017/04/14)

皆様、いつもありがとうございます。今年は大雪が無くホッとしています。南風が吹く日は自転車を飛ばすと暑いくらいで、桜の開花が待ち遠しいですね。くれぐれも油断なく体調や自転車移動にご注意下さい。

変化を受け入れなければならない時

花芽の殻が割れ落ちて花が咲き、やがてその花も落ちると今度は新緑がでてきます。わずかばかりの間に桜は変身を遂げていきます。そのドラマをつぶさに見ると、次の衣をまとうために、古い衣を脱ぎ捨てていくのです。脱ぎ捨てる事は、痛みでしょうか。花芽の殻や、花にとって散っていく事は痛みかもしれません。しかし、生命の全体としての桜の木を見ると、それは痛みではなくなります。それは、誰でもなのです。

3.11の痛み

昨年の1月下旬、「呼び覚まされる霊性の震災学 3.11生と死のはざまで」(新曜社)という本が話題を呼びました。第一章は「死者たちが通う街 タクシードライバーの幽霊現象」。東北学院大学の金菱ゼミの学生が、被災者等から聞いた事を論文としてまとめています。

また、NHKスペシャルでは2013年夏に「亡き人との“再会”~被災地三度目の夏に~」を放映。『被災地では今、「故人と夢で再会した」「気配を感じた」など「死者との対話」体験を語る人が後を絶たない。残された者の悲しみの深さの現れであるとともに、その体験が、その後の生き方にまで影響を与える事実が分かってきた。最新医学でも、これらの体験は、大切な「回復プロセス」だと分析され、被災地では実態調査も始まった。』という番組です。

オカルト的な“幽霊”という言葉に、唐突さと戸惑いを感じる方も多いでしょう。金菱ゼミの工藤優花さんは、聞き取りを重ねる中で、次のように怒られた事もあるそうです。

「きみは大事な人を亡くしたことがあるかい? 人は亡くなると、眠っているように見えるんだ。あのとき、こうすれば良かったと後悔する。亡くなっても、会いに来てくれたら嬉しいんじゃないかな」「私が『幽霊』というと、そんな風に言うなと怒る方がいました。きっと、『幽霊』という言葉に興味本位だと思われる響きがあったからでしょう。怪奇現象とか、心霊写真とか恐怖を楽しむような言葉だと思われてしまった。『亡くなられた方』とか『(亡くなった方の)魂』というと、お話してもらえました」(工藤優花さんへのインタビュー記事/BuzzFeed)

私がここで“幽霊”の話を持ち出したのは、もちろん興味本位ではありません。それが、受け入れがたい痛みの大切な「受容のプロセス」だと考えるからです。

「巡回してたら、真冬の格好の女の子を見つけてね」。13年の8月くらいの深夜、タクシー回送中に手を挙げている人を発見し、タクシーを歩道につけると、小さな小学生くらいの女の子が季節外れのコート、帽子、マフラー、ブーツなどを着て立っていた。

時間も深夜だったので、とても不審に思い、「お嬢さん、お母さんとお父さんは?」と尋ねると「ひとりぼっちなの」と女の子は返答をしてきたとのこと。迷子なのだと思い、家まで送ってあげようと家の場所を尋ねると、答えてきたのでその付近まで乗せていくと、「おじちゃんありがとう」と言ってタクシーを降りたと持ったら、その瞬間に姿を消した。

確かに会話をし、女の子が降りるときも手を取ってあげて触れたのに、突如消えるようにスーっと姿を消した。                      (新曜社「呼び覚まされる霊性の震災学」より)

受容のプロセス、痛みの昇華

私たちが介護する方々も、心の痛みを抱えている方は多くいます痛みの受容が行われる時、痛みに囚われて身動きができなかったり自分を見失っている状況から抜け出ようと、心は記憶の再評価を試みます。「××だったけど、本当は〇〇ではなかったか…」というように、心は過去から新しい意味を汲む事によって、未来へとつながる自分の“物語”を紡ぐのです。心は“物語”を紡ぐ事によって痛みの意味を見出し、昇華した痛みは心の発展に寄与するのです。そのような“物語”の一つとして、被災地の“幽霊話”は心理的な意味があるのです。その“幽霊”が実在するかしないか、“科学的”な客観性や立証性などの議論は、受容のプロセスにとって、あまり意味がありません。大切な事は、そのことが当事者にとってリアルに感じられ、心が変容していく事です

「被災地の人は恐怖、不安、悲しみ、帰ってきて欲しいという気持ちなど色々な感情をもっている。心の中で処理しきれない非常に多くの感情が霊の投影という形で現れたと考えることができます」「(被災後の)色々な感情は溜め込んでいられなく、表現していかないといけない。現実に適応していくために、前に進むために必要だから、起きていることでしょう」

(心理カウンセラー池田宏治氏へのインタビュー記事/AFP)

例えば、最愛の夫を亡くした妻の話。自暴自棄に陥り、死にたいと思う毎日。車で自損の重傷事故を起こしたりもした。ある時、夫の霊に会う。見守られている感覚が芽生え、お父ちゃんと一緒に生きようと思い直した。私はとても感動した。他にも犠牲者の霊の存在を感じ、生きる勇気をもらう話が多かった」

(ジャーナリスト奥野修司氏へのインタビュー記事/河北新報)

物語を生きる

私たちが介護する方々も自分の“物語”を持って生きています。その“物語”は、理想的なものではないかもしれません。物語られるものごとは、(関わる側がストレスの溜まってしまう例としては)“被害妄想”や“アルコール依存”だったり、“過去の恨み節”など、さまざまな“事件”であったりします。また、話の中には多分に事実誤認や誇大表現を含んでいます。

しかし、だからと言って誰が正しくて誰が間違っているとか、その“物語”が無意味なものであるとは、誰にも言えないのです。私たちの人生全体を眺めて、人生の目的を「自己実現」や「本当の自分を見出していく」事と仮定した時、それが、自分を取り戻し自分らしく死んでいくために、「前に進むために、必要だから起きている事」では無いと、誰が断言できるでしょうか。

それらの“物語”に付き合っていく事は、当事者のヘルパーさんにとって、時にストレスとなるでしょう。そのストレスは、事務所での懇談等で軽口でも叩いて吐き出してください。そして実際の現場での応答では、状況の発展のために多様性が必要ですが、心は「受容」の一言に尽きます。その受容の大変さが、本人自身が持つ痛みの受容の大変さでもあるのです。私たちの受容が、利用者さんの痛みの受容となり、そして自己受容から自己変容へと変わっていくのです。桜の花が散るのは淋しいけれど、それは自然の摂理です。同じように癒えぬ苦しみは無いという事も自然の摂理なのです。痛みに苦しんでいる本人が今は信じようとしなくても、私たちは「冬は必ず春となる」と訴え続けたいと思います。それこそが、受容するという事なのだと思います。


紙ふうせんだより 1月号 (2017/04/14)

皆様、明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。年末年始から救急搬送が相次ぎ、せわしない年越しとなってしまいました。ヘルパーの皆様は体調を崩されていませんか? 疲れをしっかりとって、体調を維持されてください。

新年を迎える事は目標を立てて決意を新たにする良い機会ですね。しかし年を重ねるごとにタイムリミットが迫ってくるのも現実で、「来年の正月は生きていないよ」などと言われる利用者さんもいます。時間の流れは全てに対して等しく、その寿命の長短の多少はある程度あるにせよ、全てを死へと向かわせます。その流れのあまりの速さに驚いた言葉が「光陰矢の如し」です。

過ぎ行く瞬間をどうやって充実させていくか

「光陰矢の如し」の「光」は太陽「陰」は月を意味し、「光陰」と重ねる事で歳月や時間の積み重ねを表し、月日の過ぎるのは矢が飛んで行くように速いと譬えています。事務所にいるサービス提供責任者は、私含めこれを毎月実感し嘆いています。毎月10日までの国保連請求業務が、「この前終わったばかになのに、もう翌月!?」と嘆きながら日々を過ごしています。これを12回繰り返すと1年です。サービス提供責任者に限らず「速いわね~」と年末には多くの方が挨拶したかと思います。

「光陰矢の如し」は時間の速さを嘆くばかりの言葉ではありません。日々を無為に送ってはならないという戒めと共に、その過ぎ行く瞬間瞬間をどうやって充実させていくか、という問いが含まれています。この問いは、すぐに介護の仕事と結びつきます。

マンネリになりがちな訪問サービス、型どおりの内容と会話をして毎回終わっているうちに、気が付けばタイムリミットが迫っているかもしれません。私自身の反省を込めて書きますが、自分自身をときどき振り返る事が大切でしょう。もっと良いやり方はないか、もっと良い声掛けはどうしたら良いか…。利用者さんや周囲から「教わる」だけではなく、積極的に自分から働きかけ「学ぶ」のです。そこから学ぶべき事は何か、結局は、学ぶべき事は多く尽きないとなってくるでしょう。その学びの積み重ねも、学びを感じている瞬間の実感も、どちらも充実した生につながるのではないでしょうか。

人生は学ぶにあり

死の瞬間に自らの人生で得たかった事を振り返ってみる空想を私はしてみます。得たかったものを“愛情”などの精神的なもの入れて考えると、“愛情を学ぶ”というような言い回しもできるわけで、「学ぶ」という言葉に私の中では集約されていきます。もし私が死ぬ時、金や名誉は手にしていても充実を感じられる学びがなかったら、命や人生について何かしらの学びや考えを得ないでいたら、「私の得たかったものはこれじゃない」と感じると思うのです。だから「人生は学ぶにあり」と言えるのではないかと思います。では、どうやって「学ぶ」事ができるのか考えてみましょう。

多くを問う者は多くを学ぶ

確かに「少年老い易く学成り難し」と言うように、学校に通って勉強する事は老いては難しいかもしれません。しかし、学ぶ事はできるはずです。寝たきりになっても、ヘルパーさんとの交流の中で、ヘルパーさんがどんな気持ちかを考えてみたり、どうやったら自分の気持ちをヘルパーさんに伝えられるか、などを考えていく事は学びとなっていくでしょう。また、自分の今までの在り方を振り返っていく事も自身に対する学びとなっていくでしょう。このような事は、論理的な思考のみが可能とするものではなく、感じていく力も大切になっていきますから、認知症の方も学んでいけると私は考えたいと思います。学んだ事を言葉や論理として記憶できなくても、感情としての心の働きの積み重ねはあるのですから。

さて、「多くを問う者は多くを学ぶ」とはイギリスのことわざです。「どうしたら」とか「なぜ」など、問う事こそが学びの原動力です。では、どうしたら良い「問い」の視点を持つ事ができるのでしょうか。「問い」には良い悪いがあるのです。例を示してみます。

A 今までに対する非難を込めて、「なぜ、あの人は優しくないんだろう」

B これからの変化を期待して、「どうやったら、あの人は優しい気持ちになるだろう」

“あの人”にとって、どちらの問いかけが良いか悪いかは何とも言えませんが、この「問い」を発する人にとってどちらがより「学び」となるかは、Bと言えるでしょう。それは、Bの問いには将来の展望があり、そこには自身の態度への問いも含まれているからです。追うべきは自身の頭の上の蠅であり、常に「将来を指向した問い」を持つ事が大切なのです。

人生の本舞台は常に将来に有り

大正デモクラシーの核心である普選(フセン=普通選挙)運動を指導し“憲政の神様”と称賛された政治家・尾崎行雄は1919年(大正8)、第一次世界大戦直後の欧米を視察し悲惨な戦禍を目の当たりにして、国益があるならば戦争も辞さない国家主義的なところを持っていた自身を改めて、平和主義を唱え始めます。61歳の大転換です。不戦(フセン=戦争反対)を唱えたため命を狙われる事が幾度もありました。

「人生の本舞台は常に将来に有り」との言葉は、75歳の時に病床にあった尾崎行雄に、天啓のように浮かんだといいます。その後、軍部政治や近衛内閣の大政翼賛会、東条内閣などを、「万機公論ニ決スベシ」という明治憲法の理念をも守らない憲法違反の独裁政治であると痛烈に批判。尾崎行雄の信念は「世人の幸福を増す言行はみな善事 減らす言行はみな悪事」という判断基準でした。戦後、1945年12月には「世界連邦建設に関する決議案」を国会に提出。世界憲法を創り国際紛争を国際裁判で解決する事を提案しています。また、「新憲法こそは、日本の前途をてらす光明である。新日本を祝福する天来の福音である」「こんな高い代償をはらった憲法はあるまい。ただでもらったなどと思ったら、ばちがあたる」と述べています。94歳まで衆議院議員を務めており、この時「人生の本舞台は常に将来に有り」と揮毫。96歳(1954)で没。常により良い「世人の幸福」を問い続けた生涯でした。

94歳で「人生の本舞台は常に将来に有り」と言えるのです。「昨日までは人生の序幕で、今日以後がその本舞台だ」との意味です。この言葉は、私たちにとっても、励みと勇気になりませんか。今年もより良い一年として参りましょう。


紙ふうせんだより 12月号 (2017/04/14)

皆様、いつもありがとうございます。風邪はひかれていませんか? 疲れは溜まってはいませんか? 皆様のおかげで今年1年を乗り越える事ができました。皆様のご尽力あってこその紙ふうせんであり、利用者さんの生活です。感謝してもしきれない恩があり、ささやかな形でしか報いる事はできませんが、もっと良いことが何かあるでしょう。昔の人は「陰徳あれば陽報あり」と言って、天の照覧があると考えました。私も皆様への感謝と今後の健康を、澄んだ夜空の星を見上げながら祈ります。

未知なるもの、その多様性

さて、私たちはこの宇宙の事をどれくらい解っているでしょうか。実のところ、宇宙で私たち人間が理解している物質やエネルギーは宇宙全体の4%でしかなく、宇宙は私たちの知らない物質やエネルギー(ダークマターが22% ダークエネルギーが74% ダークは“未知の”という意味)によって成り立っていると言われています。さまざまな観測結果や物理学の計算からそのような事が推測されるのです。

同じような事が生物学でも言われています。最新の研究では地球上には870万種以上の生物が存在すると考えられていますが(1億種以上という説もある)、その中で、陸生生物の約86%、海生生物の約91%が未知の未発見の生物種となります。(現在1年間に4万種以上の生物が人為的な環境破壊により絶滅しているとされており、これを譬えて、「宇宙船地球号は、1時間に4~5個の部品を落としながら飛んでいる」と言う人もいます)

前回の紙ふうせんだよりでは「汝自身を知れ」という事が一つのキーワードでしたが、私たちは、この世界の事も宇宙の事も実はまだよく解っていないのです。私たちの生は、膨大な未知なるものを基盤として成り立っているのです。そして、その未知なるものは、私たちの知っている世界が多様性に満ちているように、想像もつかないような豊かな“多様性”が隠されているのです。

多様性の尊重と受容

福祉の世界で“多様性の尊重と受容”が叫ばれて久しいですが、その考えは今、多方面に広がり、自然科学や人文科学やビジネスの世界にまで及んでいます。それは、現代文明が画一性を推し進めた結果として、差別や格差や環境破壊を生じてきた事(過度なグローバリゼーションの推進による地域紛争の拡大等)への反省からなのかもしれません。

例えば北欧の家具・雑貨の直販メーカーのIKEAでは、イケア・ジャパン社内に「ダイバーシティ&インクルージョン」という部門を2002年に新設し、「100人いれば100通りある個性や才能。この多様性(ダイバーシティ)を互いに尊敬し認め合い、インクルージョン(受容)していくことで、国や文化の違いを越えたビジネスに活かしていく。」(月刊事業構想)という理念を掲げています。イケア・ジャパンは2014年の経産省の「ダイバーシティ経営企業100選」にも選ばれています。

また考古学や民族学の分野でも、“単一稲作民族”と考えられてきた日本の歴史観は誤りで、日本は“多様な文化”から成り立っている事が発掘や調査などから明らかにされてきており、その多様性から成り立っている事実の価値を再認識しようとの訴えが出てきています。

「われわれ日本人は、何よりも多様な価値軸をもつユニークな文化を有するという認識を十分に抱くことが必要です。その上で多文化・多文明の時代の到来したいまこそ、われわれの文化が、本来その中に内包してきた協調と調和の精神の必要性を世界に向けて発言し、その方向に向かって行動すべきではないでしょうか。」と、元国立民族学博物館の佐々木高明は『日本文化の多様性 稲作以前を再考する』(小学館)で述べています。

これらが志向している“多様性”の何が尊重されなければならないのか。それは私たち自身が、未知なものも含め多様なものの上に成り立っているという事実であり、私たちの依って立つ基盤(=多様性)を大切するという事は、何よりも私たち自身を大切にする事に他ならず、自他を区別なく尊重する事が自身の為でもある、という自他を包摂する考えです。

生物学者の岩槻邦男は『生命系 生物多様性の新しい考え』(岩波書店)の中で、「個は全体のうちにあって、全体を構成する要素となる。全体が生きなければ個の生存はない。同時に、個々の要素が生きなければ、全体の生存は成り立たない。君という個人の幸せは、君一人で完結するものではない」と述べています。

では、受容とは何でしょうか。それは、未知なるものとしての“他”であり、未知なるものを排除せずに受け入れ、「知ろうと努力をしていく事」ではないでしょうか。そして、その未知なるものの身近な最たるものこそ、“自身”に他ならないのです。私たちは介護を通して他者を知っていきます。他者との接触によって自身の心はリトマス試験紙ように反応しますが、それによって自分自身を知れるのです。鏡が無ければ自分の姿は解りませんが、利用者さんが鏡となってくれるのです。それは介護の仕事の大きな価値となっています。

未知なるもの、「可能性」への挑戦

一人の人間の“意識”は、膨大な人類史的な“無意識”を基層として成り立っていると言われています。分析心理学者のユングは、自分自身に内在する無意識という未知なる可能性に挑戦し自分自身の中にある多様性を開花させ結実させる努力(「個人に内在する可能性を実現し、その自我を高次の全体性へと志向せしめる努力の過程」)を「自己実現の過程」と呼んでいます。また、未知なるものへの挑戦に必要な態度とは、「実は、自分は未だによく解っていない」という「未知」の多さを自覚し、ないがしろにしないで謙虚に知っていこうとする、自分自身に対しても開かれた、自己受容の態度でしょう。未知なるものへの挑戦は、それが他者や環境に向かっていても自身に向かっていても、結局は自他どちらの為でもあるのです。だからこそ、他に対する自身の態度を自覚していかなければなりません。

今これから先の一分一秒も「未知なるもの」です。環境の変化も既に出会っている他者も、これから出会う他者も自分自身も、全て「未知なるもの」です。私たちはとても多くの未知なるものに囲まれた、豊かな多様性の中に生きているのです。その多様性が一人ひとりの可能性となり、豊かな人間性の輪が拡がっていくように念願し、新しい年に向かって挑戦していきたいと思います。来年もどうぞよろしくお願いします。

 


紙ふうせんだより 11月号 (2017/04/14)

皆様、いつもありがとうございます。11月だというのに雪が降り、大した積雪こそなかったものの濡れや冷えや自転車移動が大変でしたね。これから寒さは厳しくなってきますので、体調維持のためにも、濡れや冷えの対策を怠らないようにしてください。腹巻1枚追加だけでも、風邪や腰痛予防になります。また、早め早めの行動と早めの就寝を心がけてください。自転車操作はくれぐれもご注意ください。大雪の際の電車・バス移動は、申請して頂ければ実費会社負担となります。ただ、大雪の際は公共交通機関もあてになりませんので、ご苦労をおかけしますが、徒歩移動となるかもしれません。掃除などの不急のサービスは利用者さんにキャンセルをお願いするなどしますので、大量の積雪が予想される場合(地表付近の気温が0度を下回る時が危険ですので1月2月頃が要注意)は、申し出て下さい。

良い介護としての“自立支援”を考える

11月11日は、「介護の日」でした。「いい日、いい日、毎日、あったか介護ありがとう」をキャッチフレーズに、“介護について理解と認識を深め、介護従事者、介護サービス利用者及び介護家族を支援するとともに、利用者・家族・介護従事者、それらを取り巻く地域社会における支え合いや交流の促進を目的として、平成20年に制定されました。

さて、介護保険法の第1条1項には、「この法律は、加齢に伴って生ずる心身の変化に起因する疾病等により要介護状態となり(中略)これらの者がその有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう(中略)国民の共同連帯の理念に基づき介護保険制度を設け(後略)」とあります。このように介護保険法の考える良い介護とは「有する能力に応じ自立した日常生活を営むこと」として、“自立支援”である事が明確に示されています。

そこで、そもそもその人にとっての“自立”とは、一体何なのかを考えていかなければなりません。身体状況や生活環境に千差万別のある利用者さん一人ひとりにとって、何をもって自立と考えるのか。例えば、手足が全く動かなくて、日常生活全般に介助を要する身体障害のあるような利方でも、ヘルパーさんを上手に使いながら自分の生き方を追求し、日々“やりたい事”の実現を目指している方もいます。このような方に対して、介助を利用しているから“自立”していないとは言えません。自立とは、身体的な側面と精神的な側面の両方を含む言葉であり、生き方という面では“精神的自立”がより重要になってくるでしょう。

私たち介護職の仕事に置き換えて考えてみれば、リーダー等の指示がなければ判断が一切できないような思考停止状態があるとすれば、それは精神的自立ができていないという事になり、仕事ではいつも不安や責任転嫁がつきまとうかもしれません。このように考えると、要介護や障害の有無は関係なく、全ての人にとって“自立”への課題があると考えられます。リハビリによる回復が見込めないような方でも、その方の自分らしい生き方(死に方)ができるように、精神的な側面を支えていく事も自立支援となるのではないでしょうか。それは、その方が自分自身を知っていく“自己覚知”への過程を支援する事となるしょう。

“自立”の根本は、自分自身を知ろうとする事

利用者さんにリハビリを勧めてともうまくいかない時があります。本人が主体的に取り組まないと効果は上がらないからだ。自立支援には、利用者さんが自分自身や現状をどのように理解しておりどのような気持ちであるかを考えた支援が不可欠です。その気持ちの両側面を試みに下図に示してみた。ポジティブな気持ちが前面に表れている時、それ以外の気持ちは陰に隠れているが無くなってしまうわけではない。周囲の関わりや何かをきっかけに陰と陽は容易に入れ替わるし状態像も相前後するから、自分でも自分の気持ちが解らなくなるその時、自分自身の事をできるだけ知ろうとし自分なりに理解し、できる限り主体的に生きようとする肯定的な気持ちに対して、そのような状況に自らが陥るのは状況や環境のせいだとし、自分自身の気持ちからも逃げてしまうような拒否的な態度が一方にはあります。解ろうとしないのは誰かではなく自分なのです。感情の力は自分らしさと取り戻そうと、自らに働きかけます。自暴自棄も自分を虐める事によって自らを(自分自身の大切さを)知ろうとするギリギリの試みなのかもしれません。自分らしさの根本は自分自身を知る事であり、自立はそこから始まります。そして自立した生があるならば、自らの死を知り周囲の人と心を分かち合い、自ら落ち着いて赴くような“自立した死”もあるのではないでしょうか

汝自身を知れ

元高校教師の利用者さんと散歩をした時に、国士舘の学生が歩いていたので「先生の時に学生達に伝えたかった事は何ですか? いろいろな思いがありましたか? 一つのテーマがありましたか?」と伺ったところ、「一つだったね。“汝自身を知れ”という事を伝えたかった。生きる事の基本だからね」とおっしゃっていました。「長く生きて来られたと思いますが、自分では自身の事を知り尽くす事はできましたか?」と伺うと、「全然解らないよ」と微笑されていました。だからこそ少しでも知ろうとする努力が人生にとって大切なのです。この会話の翌日、この方は急逝されました。“死”は、ある意味で自分自身を知る事が出来る人生の最大のチャンスです。好奇心と希望を持って臨まれたのであろう事を信じ、ご冥福を祈ります。

 


紙ふうせんだより 10月号 (2017/04/14)

皆様、いつもありがとうございます。ようやくの秋晴れにヘルパーの皆様は、自転車で気持ちの良い風に吹かれているでしょうか。「学問や芸術の秋」と呼ばれていますが、学究の奥にどんな真理があるのか、美しさの秘密とその本質とは何か、などを“自らに問う”思索にふさわしい季節が“秋”なのでしょう。では“自問”を始めてみましょう。

風に吹かれて

『風に吹かれて』 訳詞:忌野清志郎どれだけ遠くまで歩けば、大人になれるの?どれだけ金を払えば、満足できるの?どれだけミサイルが飛んだら、戦争が終るの?その答えは風の中さ 風が知っているだけさいつまで追っかけられたら静かに眠れるの?どれだけテレビが唄えば、自由になれるの?どれだけニュースを見てたら、平和な日がくるの?その答えは風の中さ 風が知っているだけさ

どれだけ強くなれたら、安心できるの?どれだけ嘘をついたら、信用できるの?いつまで傷つけあったら、仲良できるの?その答えは風の中さ 風が知っているだけさ

したがって、どれだけ風が吹いたら、解決できるの?どれだけ人が死んだら、悲しくなくなるの?どれだけ子供がうえたら、何かが出来るの?その答えは風の中さ 風が知っているだけさ
ボブ・ディランの代表作『風に吹かれて(Blowin’ in the Wind)』(1963)は誰でも一度は聞いた事があるでしょう。淡々とした歌声にのせられたその問いは、「どれだけの砲弾を発射すれば、武器を永久に廃絶する気になるのか」「一人一人にいくつの耳をつければ、他人の泣き声が聞こえるようになるのか」「人はどれだけの死人を見れば、これは死に過ぎだと気づくのか」などです。ボブ・ディランはその答えを「ただ答えは風の中で吹かれているということだ。」「しかも紙切れみたいに、いつかは地上に降りてこなきゃならない。でも、折角降りてきても、誰も拾って読もうとしないから、誰にも見られず理解されず、また飛んでいっちまう。世の中で一番の悪党は、間違っているものを見て、それが間違っていると頭でわかっていても、目を背けるやつだ。」と述べている。The answer is blowin’ in the wind.(答えは風の中で吹かれている)の訳はさまざまな見解があり、「その答えは 風に吹かれて 誰にもわからない」と訳している人もいる。

風の象徴性

古来から「風」は“眼に見えないもの”を象徴している。古代インドや仏教では、世界の諸要素の働きを「地水火風空」(ちすいかふうくう)の五大(ごだい)で表しているが、「風」の働きは成長・拡大・自由など。“五大”を身体の諸機能にあてはめると風は“息=呼吸”であり、日本では「息を引き取る」は死を意味する。風を描いた映画監督として知られている宮崎駿の『風の谷のナウシカ』では、風の谷の村が破滅的な死に襲われようとしている時、「風が止まった」とあり、主人公の死によって村人が救われ、主人公に奇跡が起きて「風が戻ってきた」となる。このように風は“眼に見えないもの”としての“命”そのものも意味する。するとボブ・ディランの問いの答えは、「一人一人の命の中にある」という意味に解する事もできる。しかし「誰も拾って読もうとしない」のだ。答えは“そこ”にあるもかかわらず。『風に吹かれて』が透明な悲しみをまとっているのはそのためかもしれない。

白い美しい蝶

命あるものは全て微生物から人類に至るまでみな、成長・拡大・自由を指向している。細胞の増殖は目に見える変化ではあるが、心の営みは他人からは眼に見えない。風のように“感じる”くらいが精いっぱいだ。見えないものから目を背けてしまうと、外見の見栄えばかりを気にして中身が失われてしまう。人は見かけによらぬものだ。心の中の風に気が付いているだろうか。

『僕はまるでちがって』という黒田三郎の詩がある。外見の「僕」は「昨日と同じ」でしょぼくれてはいるが、心の中には「僕のなかを明日の方へとぶ 白い美しい蝶がいるのだ」という、秘密を打ち明けるような詩だ。私の中には風に舞う白い蝶はいるだろうかと自問しよう。それを明日の方へと飛ばそうと努力する。その営みは他人からは秘密である。本当の成長も本当の美しさも眼には映らないのだから。

僕はまるでちがって』 黒田三郎

 

僕はまるでちがってしまったのだなるほど僕は昨日と同じネクタイをして昨日と同じように貧乏で昨日と同じように何も取柄がない

それでも僕はまるでちがってしまったのだなるほど僕は昨日と同じ服を着て昨日と同じように飲んだくれで昨日と同じように不器用にこの世に生きている

それでも僕はまるでちがってしまったのだ

ああ

薄笑いやニヤニヤ笑い口をゆがめた笑いや馬鹿笑いのなかで僕はじっと眼をつぶる

すると

僕のなかを明日の方へとぶ白い美しい蝶がいるのだ

 

   美しき秘密

美しき秘密はそっとビンに入れ時々フタをあけては覗く

この短歌の作者はどんな人でしょうか。若い女性が淡い恋心をそっと胸にしまっている様な初々しさがあります。この方は実は大正13年生まれの要支援の利用者さんなのですが、歌集の刊行は平成8年なので、若いとは言えない頃に詠んだ歌かもしれません。しかし実際今のこの方も美しいのです。好奇心に満ちている様子が気品として感じられる方です。きっと心の中には白い美しい蝶がいるのでしょう。蝶が心の中で小さな風を起こしている事が元気の秘訣かもしれません。私が美しいという事は、私だけが知っている私だけのないしょで良いのです。私の秘密を他人に宣伝する必要も他人と比較する必要もありません。

私たちは介護を通して多くの高齢者に会います。その多くの方が肌はしわしわで、髪は白くなっています。テレビの化粧品やシャンプーのCMが喧伝するような美しさはどこにもありません。だからといってそのような外見に惑わされて、その方の持つ本当の美しさに気が付かないのであれば、眼がショボショボしているのは利用者さんではなく自分自身であり、それはとても損です。「自分磨き」とはテレビのCMが言うようなお肌や毛髪の問題だけではないでしょう。私は、眼の前の利用者さんの心の中の白い蝶に気が付きたいし、それができれば、自分の心の中にも白い蝶が羽ばたくでしょう。風は利用さんからもいつも吹いてきています。その風に身をさらしていこうと思います。もう一つこの方の歌を紹介します。

人は死に空も風も死なしめて男はどうして戦争がしたい

「風を入れる」とは変化させること。変化は常に問いかけから始まります。心の中に風を入れていきましょう。『風の歌を聴け』とは村上春樹の小説のタイトルですが、自分は風の歌を聴いているのか、自問していきたいと思います。

 

 

 


紙ふうせんだより 9月号 (2017/04/14)

皆様、いつもありがとうございます。秋雨前線の停滞と台風で雨の多い月でした。雨天時の自転車操作はくれぐれもご注意ください。マンホールや横断歩道段差でのスリップ、交差点での出会い頭の衝突など。自転車のスピードは控えめに、早め早めの段取りで事故を未然に防いでください。

パラリンピックについて

障害者スポーツの競技大会の起源は、1948年7月28日、ロンドンオリンピックの開会式と同日に行われた、イギリスのストーク・マンデビル病院での競技大会です。この病院は「手術よりもスポーツを」というリハビリ理念を掲げており、競技大会の参加者は、第二次世界大戦で脊椎を損傷した元兵士たちで、この病院の入院患者です。この競技大会は毎年開催され、1952年にはオランダからも参加者があり、「第1回国際ストーク・マンデビル競技大会」となりました。

1960年、ローマオリンピック開催にあたって、同じくローマで第9回国際ストーク・マンデビル競技大会が開催され、これが現在パラリンピックの第1回大会とされています。大会の正式名称に「パラリンピックス」が用いられるようになったのは、1988年のソウル大会からで、“パラ”とは、もともとは“対”麻痺(下半身麻痺=Paraplegia)を指す言葉でしたが、パラレル(Parallel=平行)として、「もうひとつのオリンピック」という解釈もされるようになりました。なお、知的障害者の参加が認められるようになったのは、1998年の長野パラリンピックのクロスカントリースキーからです。

国枝がいるじゃないか

今回のリオ大会で、車椅子テニス男子ダブルスの国枝・齋田は銅メダルでした。国枝さんは、野球少年だった9歳のころ腰に違和感を生じ痛みがひどくなり足が動かなくなってしまいます。脊髄の腫瘍の手術後、下半身麻痺のため車いす生活となりましたが、小学校6年生の時、自宅近くにテニスセンターがあったのが縁で車椅子テニスを始めています。

世界のテニス界に錦織圭選手が躍り出るちょっと前の話です。『日本の記者が男子プロテニス選手のロジャー・フェデラーにインタビューしたときに「なぜ日本のテニス界には世界的な選手が出てこないのか」と聞いたらしいんです。するとフェデラーは「何を言っているんだ君は? 日本には国枝慎吾がいるじゃないか!」と言った。国枝慎吾とは2008年の北京パラリンピックで金メダルを獲得した車椅子のテニスプレーヤーですが、残念ながらこの国のジャーナリズムの障害者スポーツに対する認識はまだその程度ということでしょう。』(スポーツジャーナリストの二宮清純さんへのインタビュー記事「Premium web」より)

史上最高のテニスプレーヤーとの呼び声が高いロジャー・フェデラー(グランドスラム17回優勝)は、国枝を知らない日本の記者をたしなめたのです。二宮清純さんが指摘する認識の低さとは、健常者と障害者のスポーツの価値に優劣があるような“偏見”です。

グランドスラム達成という偉業 

テニスには、グランドスラムと称される、4大大会(全豪オープン・全仏オープン・ウィンブルドン選手権・全米オープン)があります。グランドスラムとはその大会で優勝することであり、グランドスラム達成とは、1年間で4大大会全てに優勝する事で、僅かな人しか達成していません。国枝信吾は2007年、史上初となる車いすテニス男子シングルスのグランドスラム達成をしました。また、国枝のグランドスラム(優勝回数)は、車椅子部門で男子世界歴代最多となる計40回(シングルス20回・ダブルス20回)です。

ウィンブルドンで5連覇したロジャー・フェデラーは、「グランドスラム達成をいつできるか?」と問われたとき、「僕よりクニエダの方が近い」と答えたといいます。超一流の選手ともなれば、世間の評価など関係なく凄いものは凄いと認め、そこから自分自身が何を学べるのかを考えるのでしょう。国枝選手も次のように述べています。

『「車いすだからここまでしかできない」という思い込みを取り払い、「健常者や格下の選手のプレーから盗めるものはないか」と常に考えて取り組むことが、今の自分を超えるために必要な要素。』

国枝選手に学ぶ

『人生は何が起こるかわからないですから、「毎日を悔いなく生きていこう」と思っています』

この国枝さんの言葉は、生老病死の現場に臨む私たち介護職にとっても重なります。

『すごく基本的なことなんですが、まずは一球に全力をかけてプレイすることが勝利への近道だと改めて気づきました。』

私たちにとっての一球は、一つの訪問に“一期一会” で臨む気構えと言えます。私たちにとっての“勝利”とは何か、それは競技の順位のような物差しはありませんが、利用者さんとの心の交流を深める事であり、また自身の人間的な成長ではないでしょうか。スポーツ選手であるか無いかや障害の有無等に関わらず、抱える課題は人それぞれです。病気や借金や人間関係など「なんで自分がそんな事で悩まなければならないのか」と、自身の課題を他者のそれと比べて優劣を論じる事に価値はありません。自身の課題に取り組んでいるかどうかが大切であり、今の自分を乗り越えようするところに“価値が生じてくる”のです。

『壁にぶち当たったり、一進一退を繰り返したときも「絶対に乗り越えられる!」と自分を信じれば、いい方向に行けると思うんです。』

『「自分に向き合う」作業に必要なのが「ノート」です。反省、取り組むべき課題、その課題を克服して得たことをメモする。「現状」と「課題」を記録し続ければ、「今、自分に必要なこと」が常に明確になり、成長への近道になります。』

介護の仕事は、その仕事内容から必然的に、自分自身と向き合う必要性が生じてくる事は、紙ふうせんだよりでも以前から述べていますが、ノートなどの記録をする事は、私としても耳が痛いところです。ただ、ノートまでは取らないまでも、自分の「現状」や「課題」を自覚しているかどうかは、自ら問う必要があるでしょう。基本的な事ですが、“より良いサービスを目指す事”は、それによって自分自身の課題が明確になり“成長の近道”となり、良い方向に行くという、自分自身にとっての価値が生じてくるのです。

利用者さんに良いサービスを提供する方法(参考)

  • 利用者さんを好きになる事逆に言えば、「悪い」と自分が考えているところのとらえ直し、再評価をする事です。 ・自分の空想や理念の中で生きている人 ・愚痴やなげやりな発言が多い人 ・意欲がわかずに弱っていく人
 
  1.    →静かに死や人生を見つめる無欲な目
  2.    →その発言の裏に秘められた「頑張ろう」という気持ちがある
  3.    →少年のような心
  4. それはどんな人に対してもです!!
  5. 利用者さんを好きになるためには「良いところをみつける」事です。
良いところが見つけられないのは、「自分がサボっているから」と考える。

利用者さんの、今見えているものとは別の面を引出し、良いところに気が付くにためには、自分のアプローチを変える事。具体的には、会話の中での「質問の内容」を変える事。

・本人の好きな事 ・自慢話 ・今の想い ・過去の想い…

★その方の心の世界に入っていこうとしていますか?

もし、新しい発見があれば、そこを糸口に、その方を好きになれます。

 

【良いところを引き出すための“仮説=想像力”

○この方は「こんな人」 ネガティブ仮説とポジティブ仮説を立てます。

・ネガティブ仮説は、その人の苦しみや悩みを考え、そんな経験をすればそうなっても仕方がない…というように、いたわりの気持ち(共感的理解)を自分が持てるようにするために、考えます。

・ポジティブ仮説は、「実はこの人はこんなにすごい人」との仮説を立て、その仮説を自分の感想として伝え、『そんなすごい面があるのは、どんな「考え」を持っているからですか?どんな「経験」をされてきたからですか?どんな「信念」を持って生きてきましたか?』等、心の琴線に触れる質問をしてみる。

 

ポジティブな内面を引き出す質問に喜ばない人はいません。自分の理解者を得られる事こそが孤独を生き抜く力です。これがエンパワーメントです。

 
  • 関係に飽きない事
 

飽きない為には、やはり質問が大切です。そのためには、「質問の仕方」を変えていく事です。

【良い質問の仕方】

・まずは、室内の様子等をよく観察する事です。相手に興味を持ってください。事実に着目して質問をします。(ネタは、「本」でも「食べ物」でも「テレビ番組」でも「レコード」でも何でもよい)

(例)本がいっぱいある これに気が付いたら、質問してみます。

「本がいっぱいありますね!」と、あくまで気軽な感じで聞いてみてください。もし、返事が無いようなら、会話の間が変にならないように、言葉を早めに重ねてください。もし自分が知っている事などがあるなら、「○○がありますね!?」と少し話題を掘ってつなげてみます。だいたいは、「○○はね、学生の時、はまったんだよ」等と、なにかしらの応えがあります。自分と共通項があることはうれしいものです。そうしたら、「○○は私にとっては□□ですよ」と必ず相手の言葉と意味を拾って返事をします。拾わないとここで会話が止まってしまいます。もし知っている事などが無ければ、素直に「どんな本を読まれるんですか?」と少し掘って聞きましょう。会話には心地よいテンポというものがあります。言葉を返す時に、考え込む時間が長いと気持ちの悪い会話となり、“気が合わない人”とのレッテルを貼られてしまいます。そしてこの時点で、既にもう他のネタが仕込まれている事に気をとめておいて下さい。

もしこの後の会話で「○○」についての話が途切れたら、「学生の時、○○にはまってと言っていましたけど…」とつないで、「どうしてですか?」とか「他には何にはまりましたか?」とか、さらには「私は△△にはまったんですよ~」と話題を拡げられる可能性があるのです。

そして、会話の終わりかた(回収の仕方)ですが、“おもしろい話を聞けた”“いっぱい話せてよかった”“知らない面を知る事ができた”等と、会話の全体に対して、つまりお互いの「関係性の進展」についての“肯定的”な総括をなるべく自然な形で伝えて締めくくります。この印象が残れば、次回また話をしたいという気持ちになります。次回の訪問につながる事を意識した締めくくりが大切です。

 

【悪い質問の仕方】(例)

「本がいっぱいあるんですね~~へ~~」→重いと、相手は質問者の意図をはかりかねて、返事しにくくなります。

「本がいっぱいあるんですね~、私と大違いだ…すごいわ~~」→質問に対して自分で答えており、相手が入ってくる隙がありません。また、「すごいわ~」といういきなり突きつけられた肯定的評価は、会話を楽しむ余裕を相手から奪っています。「そうでしょ、すごいでしょ!!実はね~」などど、高度な返答のできるような余裕のある利用者はほとんどいません。大抵は「まぁ~ね~」となり、会話は終わってしまいます。また、カンの鋭い人は、「私と大違いだ…」との言葉の無意識的な挿入に、自己卑下に対してフォローしながら会話をしなければならないめんどくささを感じ取とります。人によっては“私とあなたの違い”という“壁=拒否感”を感じ取ります。疲れてしまうので会話は気乗りしません。

また、肯定的な評価の言葉は、実はその内容(=相手)を十分に理解してから発しないと、うわべだけのゴマすりという印象を与えかねません。何がどう肯定なのか、相手の要素を具体的に伝えないと逆効果です。「私と大違いだ…」は自己卑下であり相手を評価する言葉にはなりません。乗り越えましょう。


紙ふうせんだより 8月号 (2016/09/15)

皆様、いつもありがとうございます。引き続き熱中症には十分注意して下さい。

相模原市で絶対に許せない事件が起きてしまいました。7/19日未明、犯人は19人を刃物で殺害。逃げることさえできない重度障害者を刃物で刺して回ったという計画的な残忍さや、犯人の“障害者を殺すことが正義”と言わんばかりの主張が、一体どのように生じてきたのか、衝撃が世界にまで走った。

【相模原事件】障害者襲った大量殺人  現代社会の写し鏡ではないと否定できるのか

これは、インターネットニュースサイトのBuzzFeed Newsもインタビュー記事の見出しです。全盲であり聴覚障害もある障害当事者の東京大学先端科学技術研究センター教授・福島智氏は、『重度の障害者への差別とは、現代社会に要求される生産能力(知的能力)の低さに対する差別です』と、インタビューに答えている。

相模原事件】障害者襲った大量殺人 現代社会の写し鏡ではないと否定できるのか(BuzzFeed Newsより)

——なぜ、こういう考えを持つ人間が生まれるのでしょうか?

容疑者は衆議院議長にあてた手紙で、重度障害者を抹殺する理由の一つとして「世界経済の活性化」という言葉を使っています。つまり、重度障害者の存在は、経済活動の活発化や経済成長にとってマイナスになる、だから抹殺するのだ、というのが犯行の動機と思えます。

これは何にもまして ——ときには人間の命よりも—— 経済的な価値を優先させる、という考え方です。こうした考え方が育った背景には、今の日本社会の中に、経済活動を何よりも優先させるという風潮があることが関係しているのではないかと思います。

つまり、品物やサービスを生産する労働力や生産効率で、人間の価値の「優劣」を決めてしまうという風潮です。

こうした風潮は、学校教育にも「逆流」するでしょう。学校では、直接的に労働力や生産能力が問題になる代わりに、成績や偏差値の高低が生徒や学生の優劣を決めてしまいます。

成績や偏差値が非常に低い子供たちは、まるで存在価値がないかのように扱われたり、自分でもそう思ったりしてしまう。そうした傾向はないでしょうか。

こうした社会や学校での風潮や傾向が容疑者の考え方に何らかの影響を与えたのではないかと思います。

福島氏は、『「幸福」や「不幸」は、机や椅子といった形のある物体のように「作る」ことや「壊す」ことはできない』とし、『それらは一人ひとりの人間が心の中で感じ取るものです。同じ環境や出来事に対しても「不幸と感じる人」「幸福と感じる人」「幸不幸を感じない人」など様々でしょう。そう考えれば「障害者は不幸を作ることしかできない」』という犯人の断定は、根本的に間違っていると指摘している。

“足手まといは自決しろ”とでも言いたいのだろうか?

石原慎太郎氏は、かつて知事時代に重度障害者施設を視察して「ああいう人ってのは人格あるのかね?」と口にしている。漫画家の小林よしのり氏は『下流老人の解決方法』として、「構造改革・規制緩和と延々と言っているが、真っ先に規制緩和すべきは安楽死だろう。国民としての役割を果たし終えて、若者の迷惑にしかならない老人は安楽死するのが一番いい」とブログで発信している。作家の曽野綾子氏は、「高齢者は『適当な時に死ぬ義務』がある」と、週刊ポストのインタビュー記事に答えている。これらの主張には“自分は要介護や障害者や下流老人にはならない”という自分自身への傲慢な特別視がある。

当事者意識の欠陥

「生老病死」は、本来どんな人間にとっても当事者的問題のはずだ。ただ一部の人は、誰かに差別感情を向ける事によって、あたかも自分自身は“特別”で「生老病死」の問題は自分には訪れない、と“勘違い”をしたいのだろうか。そのような当事者意識の欠陥に関して、インターネットニュースサイトで身体障害のある30代男性が、「今回の事件では人間が殺されたのではなく、障害者が殺されたように感じている人が多いのではないでしょうか。だから、事件に対して怒る人が少ないように感じます」と指摘している。

犯人の『障害者は死んだ方がいい』といった差別的発言に対して怒る人たちはよく見ます。でも今まで大量殺人事件が起きれば、明日は我が身と当事者意識を持つものですが、今回に関しては抜け落ちているような。世間一般の反応としては『障害者は役立たずだけど殺しちゃダメ』みたいな風潮を感じる。でも、そうじゃなくて『人間だから殺しちゃダメ』っていう当たり前の怒りが今回は少ないんです。不謹慎かもしれないけど、自分が巻き込まれなくてよかったと安堵をしている人も全く見かけないんですよ。まるで自分とは全く関係ない世界の話のように見ている人が多いように感じます。

犯人の動機の根底にある『障害者は人間ではない』というメッセージは、実は障害のない人たちの心の奥底に眠っている感情なのかもしれません。障害があってもなくても人間なんだということを、もっと考えてほしいと思っています」

(しらべぇ編集部)
死生観は、生命存在の根幹に関わる問題であるからこそ、個人が自分自身に対してどのように考えるかは勝手だとしても、ネガティブな価値観は他人には押し付けてはならない。犯人は、一度は介護職として障害当事者と関わった身だ。その犯人は希望通りの就職ができずに劣等感を持っていたように見受けられる。犯人は自分に存在価値が無いように思い、その反動として“自分こそが障害者を救済する”というような自我肥大に囚われてしまったのだろうか。病的な妄想も相まって、生きる価値が無い”という自己評価を他者に投影し、他者を「生きる価値が無い」と一方的に断罪した事に、インターネット社会に漂う病的な自我肥大から生み出される“ゆがんだ当事者意識”を感じてしまう。

実際、ネットの中では犯人への共感の声も少なく無い。中には、犯人に共感する声として、知的障害者からの犯罪被害にあった女性の声を取材した記事もあったが、それは別の問題として論じるべきだろう。

Twitterでは「よくやった」などと信じがたいつぶやきが続出、「遺族は自分で面倒見きれないから、金を払って施設に押し付けてたんだろ。殺してくれた植松に感謝すべき」「人に危害を加える重度障害者に、人権なんて与えなくていい。犯人はよくやったと思う」「植松はぶっちゃけ、障害者という税金食い潰すだけのやつらを殺処分した英雄」と、目も覆いたくなる発言があった。

(片岡亮/NEWSIDER Tokyo)

今この社会で何が起きているのか
日本の自殺者数は、1997年の2万4391人から、1998年には3万2863人へと急増し、高止まりした状態が続いています。平成17年における自殺者数は、3万2552人(警察庁統計)であり、交通事故死者数(平成17年6871人)の約5倍となっています。これは、1日あたり90人近くが自殺している計算になります。約16分に1人、日本のどこかで誰かが命を絶っていることになり、毎年、市町村が毎年消えていっている計算になるのです。(自殺対策支援センター ライフリンク)
「15年の自殺者数は前年比1402人減の2万4025人となり、4年連続で3万人を下回った。」と政府は発表している。しかしこの数字は注意が必要だ。『自殺、他殺あるいは事故死のいずれか不明のときは自殺以外で処理しており、(中略)自殺に計上していません』(内閣府)となっており、遺書の無い“転落”などはカウントされず、実際の自殺者数はもっと多いと言われている。そのため本当の数は10万人超というネットの風説さえある。人口あたりの自殺率は先進主要国(G7)の中で日本は1位。20~30代の死因1位は自殺だ。G’7の中で若者の死因のトップが自殺という国は日本以外になく、原因は主に“職業問題”と言われている。前出の福島氏によると「現代社会で要求される生産能力は、記憶力・情報処理力・コミュニケーション力など」というから、気が利かなかったり人付き合いの苦手な若者は、仕事で悩んでしまうだろう。“進め一億火の玉だ! 生産性を上げろ! 足まといは自決しろ!” 苦しんでいる人にとって、この国の風はこのように哭いているのかもしれない。

生きる意味を再考する

これだけの数の人が「自分は生きるに値しない」として命を絶っている。中には、自分の内面の闇を他者に投影し、他者を襲撃する身勝手な人間がごく一部ながらも出てきてもおかしくはない。「死刑になりたかった。誰でもよかった」という事件は、今までもある。

このような状況に対して、私は介護職として、人として健全な当事者意識を持ちたいと思う。深く悩んでいる人や、自己卑下に浸っている人に「人生は生きるに値する」と言う事は、生易しいものではない。しかし、一方的に弱者と考えられてきた“障害者”や“要介護高齢者”が、その命の煌めきをかい間見せる時に感じた事を、語っていく事くらいはできると思う。介護の仕事を通じて感じたことを発信する事は、かならず社会に対して、生きる意味の再考の材料を提供していく事になるはずだ。最後に、介護福祉ジャーナリストの田中元氏の記事を引用します。皆様もご一考ください。

障がい者施設の殺傷事件で考えること (介護職のウェブマガジン けあZine/田中元)

 

今回のように逃走や抵抗が難しい人々に対し、これだけ執拗な殺傷行為に出るというのは、本人の中に「(身勝手としか言いようがないものでも)相当に強い衝動」が生じていたといえます。しかも、本人は過去にそこで働き、少なからず当事者と接する時間をもっていたわけです。どんなに偏った考え方に支配されていても、いくらかでも「情」は残り、それが最後の防波堤として立ちふさがるはずです。しかし、その防波堤を乗り越えてしまうということは、何かの力が彼の後押しをしてしまったのではと思えてなりません。

それは何でしょうか。今でもネット上では、彼の犯行を礼賛するような記述も散見されます。また、以前から、障がいをもった人をはじめ、社会的な弱者に対する差別的な言動が(社会的地位のある人からでも)発せられ、それが拡散するという光景も見られました。

それはごく一部の偏った考えと言えるかもしれません。しかし、社会全体の構造が無意識のうちに人の心をむしばむことがあります。そのむしばまれた心の隙間に、先のような差別的発信がすっぽり収まると、そこに「一理あるのでは」という思考が生じることもあります。もちろん、通常であれば「それはやっぱりいけないこと」という内省をもって排除されるものですが、社会全体で「むしばまれる穴」がどんどん広がり、差別的思考を排除する力が薄くなりがちな風潮も感じられます。

 

人が社会の中で生きていくうえで、特定の価値で存在意義を測ることはあってはなりません。人はその時々でさまざまな他者と向き合い、それを鏡としながら「自分の存在意義」を見つめていくものです。「あなたに会えてよかった」という思いには、特定のものさし(価値)が入り込む余地などないはずです。

何年か前、在宅で暮らす重症心身障がいの人を訪ねたことがあります。こちらが見てわかる反応は「まぶたの微妙な動き」だけなのですが、同席した家族やケアマネが、「今日は機嫌がいいね」とか「何で怒ったの?」と話しかけています。それを見て「なぜ分かるのだろう」と心の中で首をかしげたものです。しかし、その人の好きなCD(私も好きな曲でした)を一緒に聞き、同じ時間と空間を共有する中で、不思議なことに少しずつ相手の心の動きが理解できるようになりました。その人と別れる時には、「自分はとても大切なものをもらった」という気分になったものです。

そんな経験を思い起こせば、「社会の役に立つか否か」などという犯人の言説がいかに狭く貧しいものであるかと言わざるをえません。しかし、そうした狭く貧しい心の隙間を狙うものが社会に厳然と存在しており、そうしたものに毅然と立ち向かえるかどうか。自分自身にも改めて問わなければと感じています。

津久井やまゆり園の事件について(障害のあるみなさんへ)

7月26日に、神奈川県にある「津久井やまゆり園」という施設で、障害のある人たち19人が殺される事件が起きました。容疑者として逮捕されたのは、施設で働いていた男性でした。亡くなった方々のご冥福をお祈りするとともに、そのご家族にはお悔やみ申し上げます。また、けがをされた方々が一日でも早く回復されることを願っています。

容疑者は、自分で助けを呼べない人たちを次々におそい、傷つけ、命をうばいました。とても残酷で、決して許せません。亡くなった人たちのことを思うと、とても悲しく、悔しい思いです。

容疑者は「障害者はいなくなればいい」と話していたそうです。みなさんの中には、そのことで不安に感じる人もたくさんいると思います。そんなときは、身近な人に不安な気持ちを話しましょう。みなさんの家族や友達、仕事の仲間、支援者は、きっと話を聞いてくれます。そして、いつもと同じように毎日を過ごしましょう。不安だからといって、生活のしかたを変える必要はありません。

障害のある人もない人も、私たちは一人ひとりが大切な存在です。障害があるからといって誰かに傷つけられたりすることは、あってはなりません。もし誰かが「障害者はいなくなればいい」なんて言っても、私たち家族は全力でみなさんのことを守ります。ですから、安心して、堂々と生きてください。

平成28年7月27日 全国手をつなぐ育成会連合会 会長 久保厚子


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