- HOME
- 【紙ふうせんブログ】
【紙ふうせんブログ】
紙ふうせんだより 9月号 (2017/04/14)
皆様、いつもありがとうございます。秋雨前線の停滞と台風で雨の多い月でした。雨天時の自転車操作はくれぐれもご注意ください。マンホールや横断歩道段差でのスリップ、交差点での出会い頭の衝突など。自転車のスピードは控えめに、早め早めの段取りで事故を未然に防いでください。
パラリンピックについて
障害者スポーツの競技大会の起源は、1948年7月28日、ロンドンオリンピックの開会式と同日に行われた、イギリスのストーク・マンデビル病院での競技大会です。この病院は「手術よりもスポーツを」というリハビリ理念を掲げており、競技大会の参加者は、第二次世界大戦で脊椎を損傷した元兵士たちで、この病院の入院患者です。この競技大会は毎年開催され、1952年にはオランダからも参加者があり、「第1回国際ストーク・マンデビル競技大会」となりました。
1960年、ローマオリンピック開催にあたって、同じくローマで第9回国際ストーク・マンデビル競技大会が開催され、これが現在パラリンピックの第1回大会とされています。大会の正式名称に「パラリンピックス」が用いられるようになったのは、1988年のソウル大会からで、“パラ”とは、もともとは“対”麻痺(下半身麻痺=Paraplegia)を指す言葉でしたが、パラレル(Parallel=平行)として、「もうひとつのオリンピック」という解釈もされるようになりました。なお、知的障害者の参加が認められるようになったのは、1998年の長野パラリンピックのクロスカントリースキーからです。
国枝がいるじゃないか
今回のリオ大会で、車椅子テニス男子ダブルスの国枝・齋田は銅メダルでした。国枝さんは、野球少年だった9歳のころ腰に違和感を生じ痛みがひどくなり足が動かなくなってしまいます。脊髄の腫瘍の手術後、下半身麻痺のため車いす生活となりましたが、小学校6年生の時、自宅近くにテニスセンターがあったのが縁で車椅子テニスを始めています。
世界のテニス界に錦織圭選手が躍り出るちょっと前の話です。『日本の記者が男子プロテニス選手のロジャー・フェデラーにインタビューしたときに「なぜ日本のテニス界には世界的な選手が出てこないのか」と聞いたらしいんです。するとフェデラーは「何を言っているんだ君は? 日本には国枝慎吾がいるじゃないか!」と言った。国枝慎吾とは2008年の北京パラリンピックで金メダルを獲得した車椅子のテニスプレーヤーですが、残念ながらこの国のジャーナリズムの障害者スポーツに対する認識はまだその程度ということでしょう。』(スポーツジャーナリストの二宮清純さんへのインタビュー記事「Premium web」より)
史上最高のテニスプレーヤーとの呼び声が高いロジャー・フェデラー(グランドスラム17回優勝)は、国枝を知らない日本の記者をたしなめたのです。二宮清純さんが指摘する認識の低さとは、健常者と障害者のスポーツの価値に優劣があるような“偏見”です。
グランドスラム達成という偉業
テニスには、グランドスラムと称される、4大大会(全豪オープン・全仏オープン・ウィンブルドン選手権・全米オープン)があります。グランドスラムとはその大会で優勝することであり、グランドスラム達成とは、1年間で4大大会全てに優勝する事で、僅かな人しか達成していません。国枝信吾は2007年、史上初となる車いすテニス男子シングルスのグランドスラム達成をしました。また、国枝のグランドスラム(優勝回数)は、車椅子部門で男子世界歴代最多となる計40回(シングルス20回・ダブルス20回)です。
ウィンブルドンで5連覇したロジャー・フェデラーは、「グランドスラム達成をいつできるか?」と問われたとき、「僕よりクニエダの方が近い」と答えたといいます。超一流の選手ともなれば、世間の評価など関係なく凄いものは凄いと認め、そこから自分自身が何を学べるのかを考えるのでしょう。国枝選手も次のように述べています。
『「車いすだからここまでしかできない」という思い込みを取り払い、「健常者や格下の選手のプレーから盗めるものはないか」と常に考えて取り組むことが、今の自分を超えるために必要な要素。』
国枝選手に学ぶ
『人生は何が起こるかわからないですから、「毎日を悔いなく生きていこう」と思っています』
この国枝さんの言葉は、生老病死の現場に臨む私たち介護職にとっても重なります。
『すごく基本的なことなんですが、まずは一球に全力をかけてプレイすることが勝利への近道だと改めて気づきました。』
私たちにとっての一球は、一つの訪問に“一期一会” で臨む気構えと言えます。私たちにとっての“勝利”とは何か、それは競技の順位のような物差しはありませんが、利用者さんとの心の交流を深める事であり、また自身の人間的な成長ではないでしょうか。スポーツ選手であるか無いかや障害の有無等に関わらず、抱える課題は人それぞれです。病気や借金や人間関係など「なんで自分がそんな事で悩まなければならないのか」と、自身の課題を他者のそれと比べて優劣を論じる事に価値はありません。自身の課題に取り組んでいるかどうかが大切であり、今の自分を乗り越えようするところに“価値が生じてくる”のです。
『壁にぶち当たったり、一進一退を繰り返したときも「絶対に乗り越えられる!」と自分を信じれば、いい方向に行けると思うんです。』
『「自分に向き合う」作業に必要なのが「ノート」です。反省、取り組むべき課題、その課題を克服して得たことをメモする。「現状」と「課題」を記録し続ければ、「今、自分に必要なこと」が常に明確になり、成長への近道になります。』
介護の仕事は、その仕事内容から必然的に、自分自身と向き合う必要性が生じてくる事は、紙ふうせんだよりでも以前から述べていますが、ノートなどの記録をする事は、私としても耳が痛いところです。ただ、ノートまでは取らないまでも、自分の「現状」や「課題」を自覚しているかどうかは、自ら問う必要があるでしょう。基本的な事ですが、“より良いサービスを目指す事”は、それによって自分自身の課題が明確になり“成長の近道”となり、良い方向に行くという、自分自身にとっての価値が生じてくるのです。
利用者さんに良いサービスを提供する方法(参考)
- 利用者さんを好きになる事逆に言えば、「悪い」と自分が考えているところのとらえ直し、再評価をする事です。 ・自分の空想や理念の中で生きている人 ・愚痴やなげやりな発言が多い人 ・意欲がわかずに弱っていく人
- →静かに死や人生を見つめる無欲な目
- →その発言の裏に秘められた「頑張ろう」という気持ちがある
- →少年のような心
- それはどんな人に対してもです!!
- 利用者さんを好きになるためには「良いところをみつける」事です。
利用者さんの、今見えているものとは別の面を引出し、良いところに気が付くにためには、自分のアプローチを変える事。具体的には、会話の中での「質問の内容」を変える事。
・本人の好きな事 ・自慢話 ・今の想い ・過去の想い…
★その方の心の世界に入っていこうとしていますか?
もし、新しい発見があれば、そこを糸口に、その方を好きになれます。
【良いところを引き出すための“仮説=想像力”】
○この方は「こんな人」 ネガティブ仮説とポジティブ仮説を立てます。
・ネガティブ仮説は、その人の苦しみや悩みを考え、そんな経験をすればそうなっても仕方がない…というように、いたわりの気持ち(共感的理解)を自分が持てるようにするために、考えます。
・ポジティブ仮説は、「実はこの人はこんなにすごい人」との仮説を立て、その仮説を自分の感想として伝え、『そんなすごい面があるのは、どんな「考え」を持っているからですか?どんな「経験」をされてきたからですか?どんな「信念」を持って生きてきましたか?』等、心の琴線に触れる質問をしてみる。
ポジティブな内面を引き出す質問に喜ばない人はいません。自分の理解者を得られる事こそが孤独を生き抜く力です。これがエンパワーメントです。
- 関係に飽きない事
飽きない為には、やはり質問が大切です。そのためには、「質問の仕方」を変えていく事です。
【良い質問の仕方】
・まずは、室内の様子等をよく観察する事です。相手に興味を持ってください。事実に着目して質問をします。(ネタは、「本」でも「食べ物」でも「テレビ番組」でも「レコード」でも何でもよい)
★(例)本がいっぱいある これに気が付いたら、質問してみます。
「本がいっぱいありますね!」と、あくまで気軽な感じで聞いてみてください。もし、返事が無いようなら、会話の間が変にならないように、言葉を早めに重ねてください。もし自分が知っている事などがあるなら、「○○がありますね!?」と少し話題を掘ってつなげてみます。だいたいは、「○○はね、学生の時、はまったんだよ」等と、なにかしらの応えがあります。自分と共通項があることはうれしいものです。そうしたら、「○○は私にとっては□□ですよ」と必ず相手の言葉と意味を拾って返事をします。拾わないとここで会話が止まってしまいます。もし知っている事などが無ければ、素直に「どんな本を読まれるんですか?」と少し掘って聞きましょう。会話には心地よいテンポというものがあります。言葉を返す時に、考え込む時間が長いと気持ちの悪い会話となり、“気が合わない人”とのレッテルを貼られてしまいます。そしてこの時点で、既にもう他のネタが仕込まれている事に気をとめておいて下さい。
もしこの後の会話で「○○」についての話が途切れたら、「学生の時、○○にはまってと言っていましたけど…」とつないで、「どうしてですか?」とか「他には何にはまりましたか?」とか、さらには「私は△△にはまったんですよ~」と話題を拡げられる可能性があるのです。
そして、会話の終わりかた(回収の仕方)ですが、“おもしろい話を聞けた”“いっぱい話せてよかった”“知らない面を知る事ができた”等と、会話の全体に対して、つまりお互いの「関係性の進展」についての“肯定的”な総括をなるべく自然な形で伝えて締めくくります。この印象が残れば、次回また話をしたいという気持ちになります。次回の訪問につながる事を意識した締めくくりが大切です。
【悪い質問の仕方】(例)
「本がいっぱいあるんですね~~へ~~」→重いと、相手は質問者の意図をはかりかねて、返事しにくくなります。
「本がいっぱいあるんですね~、私と大違いだ…すごいわ~~」→質問に対して自分で答えており、相手が入ってくる隙がありません。また、「すごいわ~」といういきなり突きつけられた肯定的評価は、会話を楽しむ余裕を相手から奪っています。「そうでしょ、すごいでしょ!!実はね~」などど、高度な返答のできるような余裕のある利用者はほとんどいません。大抵は「まぁ~ね~」となり、会話は終わってしまいます。また、カンの鋭い人は、「私と大違いだ…」との言葉の無意識的な挿入に、自己卑下に対してフォローしながら会話をしなければならないめんどくささを感じ取とります。人によっては“私とあなたの違い”という“壁=拒否感”を感じ取ります。疲れてしまうので会話は気乗りしません。
また、肯定的な評価の言葉は、実はその内容(=相手)を十分に理解してから発しないと、うわべだけのゴマすりという印象を与えかねません。何がどう肯定なのか、相手の要素を具体的に伝えないと逆効果です。「私と大違いだ…」は自己卑下であり相手を評価する言葉にはなりません。乗り越えましょう。
2017年4月14日 1:55 PM | カテゴリー: 【紙ふうせんブログ】, 平成28年, 紙ふうせんだより
第1回防災訓練 (2016/09/15)
平成28年9月12日に紙ふうせんで防災訓練を行った。
目的は
1:避難経路の確認
2:避難場所(1次・2次)の確認
3:障害物や落下物の確認
である。
想定は震度5以上で事務所が危険となった時である。
まず防災課長である、井上を先頭に第1次避難場所で梅が丘まちづくりセンターへ。
途中で障害物や落下物の危険を行った。梅丘まちづくりセンターに到着すると避難者の確認。第2次避難場所が羽根木公園であるので、そちらに移動。井上を戦闘して行った。
途中で落下物や障害物を確認。ここからは大通りに面している為、人通りも多くなる。
白いヘルメットをかぶり、同じ方向に10数人が歩いている。町の人に見られてちょっと恥ずかしい。車椅子も使い、どのように動いた良いか、どういった面に問題がるかなどを確認
羽根木公園につくと避難者を確認して終了
事務所に戻り、非常時の持ち出し物を袋に各人がつめる
まとめ
初めての防災訓練であったが各人が流れを確認できたことは良かった。今後はさらにいろいろな対応ができるようにしていくことが必要。
2016年9月15日 2:50 PM | カテゴリー: 活動報告
紙ふうせんだより 8月号 (2016/09/15)
皆様、いつもありがとうございます。引き続き熱中症には十分注意して下さい。
相模原市で絶対に許せない事件が起きてしまいました。7/19日未明、犯人は19人を刃物で殺害。逃げることさえできない重度障害者を刃物で刺して回ったという計画的な残忍さや、犯人の“障害者を殺すことが正義”と言わんばかりの主張が、一体どのように生じてきたのか、衝撃が世界にまで走った。
【相模原事件】障害者襲った大量殺人 現代社会の写し鏡ではないと否定できるのか
これは、インターネットニュースサイトのBuzzFeed Newsもインタビュー記事の見出しです。全盲であり聴覚障害もある障害当事者の東京大学先端科学技術研究センター教授・福島智氏は、『重度の障害者への差別とは、現代社会に要求される生産能力(知的能力)の低さに対する差別です』と、インタビューに答えている。
相模原事件】障害者襲った大量殺人 現代社会の写し鏡ではないと否定できるのか(BuzzFeed Newsより)
——なぜ、こういう考えを持つ人間が生まれるのでしょうか?
容疑者は衆議院議長にあてた手紙で、重度障害者を抹殺する理由の一つとして「世界経済の活性化」という言葉を使っています。つまり、重度障害者の存在は、経済活動の活発化や経済成長にとってマイナスになる、だから抹殺するのだ、というのが犯行の動機と思えます。
これは何にもまして ——ときには人間の命よりも—— 経済的な価値を優先させる、という考え方です。こうした考え方が育った背景には、今の日本社会の中に、経済活動を何よりも優先させるという風潮があることが関係しているのではないかと思います。
つまり、品物やサービスを生産する労働力や生産効率で、人間の価値の「優劣」を決めてしまうという風潮です。
こうした風潮は、学校教育にも「逆流」するでしょう。学校では、直接的に労働力や生産能力が問題になる代わりに、成績や偏差値の高低が生徒や学生の優劣を決めてしまいます。
成績や偏差値が非常に低い子供たちは、まるで存在価値がないかのように扱われたり、自分でもそう思ったりしてしまう。そうした傾向はないでしょうか。
こうした社会や学校での風潮や傾向が容疑者の考え方に何らかの影響を与えたのではないかと思います。
福島氏は、『「幸福」や「不幸」は、机や椅子といった形のある物体のように「作る」ことや「壊す」ことはできない』とし、『それらは一人ひとりの人間が心の中で感じ取るものです。同じ環境や出来事に対しても「不幸と感じる人」「幸福と感じる人」「幸不幸を感じない人」など様々でしょう。そう考えれば「障害者は不幸を作ることしかできない」』という犯人の断定は、根本的に間違っていると指摘している。
“足手まといは自決しろ”とでも言いたいのだろうか?
石原慎太郎氏は、かつて知事時代に重度障害者施設を視察して「ああいう人ってのは人格あるのかね?」と口にしている。漫画家の小林よしのり氏は『下流老人の解決方法』として、「構造改革・規制緩和と延々と言っているが、真っ先に規制緩和すべきは安楽死だろう。国民としての役割を果たし終えて、若者の迷惑にしかならない老人は安楽死するのが一番いい」とブログで発信している。作家の曽野綾子氏は、「高齢者は『適当な時に死ぬ義務』がある」と、週刊ポストのインタビュー記事に答えている。これらの主張には“自分は要介護や障害者や下流老人にはならない”という自分自身への傲慢な特別視がある。
当事者意識の欠陥
「生老病死」は、本来どんな人間にとっても当事者的問題のはずだ。ただ一部の人は、誰かに差別感情を向ける事によって、あたかも自分自身は“特別”で「生老病死」の問題は自分には訪れない、と“勘違い”をしたいのだろうか。そのような当事者意識の欠陥に関して、インターネットニュースサイトで身体障害のある30代男性が、「今回の事件では人間が殺されたのではなく、障害者が殺されたように感じている人が多いのではないでしょうか。だから、事件に対して怒る人が少ないように感じます」と指摘している。
犯人の『障害者は死んだ方がいい』といった差別的発言に対して怒る人たちはよく見ます。でも今まで大量殺人事件が起きれば、明日は我が身と当事者意識を持つものですが、今回に関しては抜け落ちているような。世間一般の反応としては『障害者は役立たずだけど殺しちゃダメ』みたいな風潮を感じる。でも、そうじゃなくて『人間だから殺しちゃダメ』っていう当たり前の怒りが今回は少ないんです。不謹慎かもしれないけど、自分が巻き込まれなくてよかったと安堵をしている人も全く見かけないんですよ。まるで自分とは全く関係ない世界の話のように見ている人が多いように感じます。 犯人の動機の根底にある『障害者は人間ではない』というメッセージは、実は障害のない人たちの心の奥底に眠っている感情なのかもしれません。障害があってもなくても人間なんだということを、もっと考えてほしいと思っています」 (しらべぇ編集部) |
実際、ネットの中では犯人への共感の声も少なく無い。中には、犯人に共感する声として、知的障害者からの犯罪被害にあった女性の声を取材した記事もあったが、それは別の問題として論じるべきだろう。
Twitterでは「よくやった」などと信じがたいつぶやきが続出、「遺族は自分で面倒見きれないから、金を払って施設に押し付けてたんだろ。殺してくれた植松に感謝すべき」「人に危害を加える重度障害者に、人権なんて与えなくていい。犯人はよくやったと思う」「植松はぶっちゃけ、障害者という税金食い潰すだけのやつらを殺処分した英雄」と、目も覆いたくなる発言があった。
(片岡亮/NEWSIDER Tokyo)
今この社会で何が起きているのか
日本の自殺者数は、1997年の2万4391人から、1998年には3万2863人へと急増し、高止まりした状態が続いています。平成17年における自殺者数は、3万2552人(警察庁統計)であり、交通事故死者数(平成17年6871人)の約5倍となっています。これは、1日あたり90人近くが自殺している計算になります。約16分に1人、日本のどこかで誰かが命を絶っていることになり、毎年、市町村が毎年消えていっている計算になるのです。(自殺対策支援センター ライフリンク) |
生きる意味を再考する
これだけの数の人が「自分は生きるに値しない」として命を絶っている。中には、自分の内面の闇を他者に投影し、他者を襲撃する身勝手な人間がごく一部ながらも出てきてもおかしくはない。「死刑になりたかった。誰でもよかった」という事件は、今までもある。
このような状況に対して、私は介護職として、人として健全な当事者意識を持ちたいと思う。深く悩んでいる人や、自己卑下に浸っている人に「人生は生きるに値する」と言う事は、生易しいものではない。しかし、一方的に弱者と考えられてきた“障害者”や“要介護高齢者”が、その命の煌めきをかい間見せる時に感じた事を、語っていく事くらいはできると思う。介護の仕事を通じて感じたことを発信する事は、かならず社会に対して、生きる意味の再考の材料を提供していく事になるはずだ。最後に、介護福祉ジャーナリストの田中元氏の記事を引用します。皆様もご一考ください。
障がい者施設の殺傷事件で考えること (介護職のウェブマガジン けあZine/田中元)
今回のように逃走や抵抗が難しい人々に対し、これだけ執拗な殺傷行為に出るというのは、本人の中に「(身勝手としか言いようがないものでも)相当に強い衝動」が生じていたといえます。しかも、本人は過去にそこで働き、少なからず当事者と接する時間をもっていたわけです。どんなに偏った考え方に支配されていても、いくらかでも「情」は残り、それが最後の防波堤として立ちふさがるはずです。しかし、その防波堤を乗り越えてしまうということは、何かの力が彼の後押しをしてしまったのではと思えてなりません。
それは何でしょうか。今でもネット上では、彼の犯行を礼賛するような記述も散見されます。また、以前から、障がいをもった人をはじめ、社会的な弱者に対する差別的な言動が(社会的地位のある人からでも)発せられ、それが拡散するという光景も見られました。
それはごく一部の偏った考えと言えるかもしれません。しかし、社会全体の構造が無意識のうちに人の心をむしばむことがあります。そのむしばまれた心の隙間に、先のような差別的発信がすっぽり収まると、そこに「一理あるのでは」という思考が生じることもあります。もちろん、通常であれば「それはやっぱりいけないこと」という内省をもって排除されるものですが、社会全体で「むしばまれる穴」がどんどん広がり、差別的思考を排除する力が薄くなりがちな風潮も感じられます。
人が社会の中で生きていくうえで、特定の価値で存在意義を測ることはあってはなりません。人はその時々でさまざまな他者と向き合い、それを鏡としながら「自分の存在意義」を見つめていくものです。「あなたに会えてよかった」という思いには、特定のものさし(価値)が入り込む余地などないはずです。
何年か前、在宅で暮らす重症心身障がいの人を訪ねたことがあります。こちらが見てわかる反応は「まぶたの微妙な動き」だけなのですが、同席した家族やケアマネが、「今日は機嫌がいいね」とか「何で怒ったの?」と話しかけています。それを見て「なぜ分かるのだろう」と心の中で首をかしげたものです。しかし、その人の好きなCD(私も好きな曲でした)を一緒に聞き、同じ時間と空間を共有する中で、不思議なことに少しずつ相手の心の動きが理解できるようになりました。その人と別れる時には、「自分はとても大切なものをもらった」という気分になったものです。
そんな経験を思い起こせば、「社会の役に立つか否か」などという犯人の言説がいかに狭く貧しいものであるかと言わざるをえません。しかし、そうした狭く貧しい心の隙間を狙うものが社会に厳然と存在しており、そうしたものに毅然と立ち向かえるかどうか。自分自身にも改めて問わなければと感じています。
津久井やまゆり園の事件について(障害のあるみなさんへ)
7月26日に、神奈川県にある「津久井やまゆり園」という施設で、障害のある人たち19人が殺される事件が起きました。容疑者として逮捕されたのは、施設で働いていた男性でした。亡くなった方々のご冥福をお祈りするとともに、そのご家族にはお悔やみ申し上げます。また、けがをされた方々が一日でも早く回復されることを願っています。
容疑者は、自分で助けを呼べない人たちを次々におそい、傷つけ、命をうばいました。とても残酷で、決して許せません。亡くなった人たちのことを思うと、とても悲しく、悔しい思いです。
容疑者は「障害者はいなくなればいい」と話していたそうです。みなさんの中には、そのことで不安に感じる人もたくさんいると思います。そんなときは、身近な人に不安な気持ちを話しましょう。みなさんの家族や友達、仕事の仲間、支援者は、きっと話を聞いてくれます。そして、いつもと同じように毎日を過ごしましょう。不安だからといって、生活のしかたを変える必要はありません。
障害のある人もない人も、私たちは一人ひとりが大切な存在です。障害があるからといって誰かに傷つけられたりすることは、あってはなりません。もし誰かが「障害者はいなくなればいい」なんて言っても、私たち家族は全力でみなさんのことを守ります。ですから、安心して、堂々と生きてください。
平成28年7月27日 全国手をつなぐ育成会連合会 会長 久保厚子
2016年9月15日 2:40 PM | カテゴリー: 【紙ふうせんブログ】, 平成28年, 紙ふうせんだより
紙ふうせんだより 7月号 (2016/09/15)
皆様、いつもありがとうございます。なんとなく涼しい日もありますが、熱中症にはくれぐれもご注意ください。
ヘルパーさん自身の熱中症にご用心
まずは、ヘルパーの皆さん自身の水分補給を欠かさないようにお願いします。入浴介助を行った時は汗をたくさんかいていると思います。そのまま放置すると脱水症状となりますが、脱水の怖いところは「だるくなって、やる気がなくなる」「ぼんやりとしてしまって、思考が鈍る」事です。ヘルパーさんが炎天下に帰宅して、だるくってコップ1杯の麦茶を飲んで寝てしまった。その後目が覚めても、疲れが抜けず夕食を抜いてそのまま寝てしまった…。単なる“疲れ”であれば、1食抜いても寝て休めば治ります。しかしこの“疲れ”が脱水に起因するものであれば、寝てる間にも症状は進行します。そして、お茶などの摂取が決して多くなくても食事から補給される水分量は多いわけですから、食事を抜いた事による脱水の悪化は避けられません。翌朝、「もっとだるくなっている」「なんとなく手足がツルような、痺れるような感じがする」にもかかわらず、「頭がぼんやりとして身体の危険信号に注意を払えなくなって」無理して仕事に出かけてしまった……。その結果、訪問している最中に、「頭が痛くなった」「吐き気がする」「めまいがする」等となってしまったら、“アウト”です。すぐに病院に行く必要があります。そうならないように、思考力が鈍る前に、日頃の用心が大切です。
高齢者の熱中症の危険性
熱中症は若い人でも起こり得ます。「いわんや高齢者をや」です。高齢者は、若い人よりも体内の水分量が少なく体力もありません。食事量が少ない方はなおさらです。さらに、温度への感受性が鈍り、暑さをきちんと認識できない方もいるでしょう。高齢者は誰でも熱中症の危険性があると考えて差支えありません。
なかには「昔は、熱中症なんて言葉はなかった。軟弱な人が増えてでてきた病気だ」とか「俺は海軍で機関士をしていて裸で作業していたんだ。このぐらいの暑さなんか大した事ない」と言われる方もいます。そのような方は、さらに危険が増すでしょう。
一般に、身体の融通がきかなくなった高齢者ほど、自分自身の生活スタイルを変えたがらない傾向にあります。年を重ねるに従い「目がかすんできた」「膝が痛くて立ち上がりにくい」「腰が痛むので休み休み歩く」等となってきた場合、日常生活の範囲は狭まってきます。もちろん金銭的にも狭くなってくる方も多いでしょう。そこを何とか自分で工夫しながら活動するのですから、今までと違ったやり方や新しいものを選択する事には、抵抗感が生じてきて当然でしょう。この抵抗感も、“身体の危険信号” に対して、注意を払えない重要な要素になります。くれぐれも、熱中症への注意は怠らないようにしたいと思います。
注意喚起を促すヘルパーさんの位置づけ
さて、私たちヘルパーの注意喚起の役割は、なにも熱中症に限った事ではありません。転倒の注意や、身体能力の低下、家族関係や悪徳商法等々、さまざまあります。注意を促す必要のある状況において、しかし利用者さんからは「大丈夫だからほっといてくれ」というような態度が出る場合があります。ヘルパーさんとしてはそれ以上踏み込んだ発言は出来ないので、危険性は会社に連絡し、後はケアマネやサ責・家族に対応して貰いたいと考えるところでしょう。基本的にはそれで問題無いのですが、そのような場面の時に、ヘルパーさんが状況を打開し変化のきっかけを作る不思議な役割を担う事があります。ユング心理学(“元型心理学”)でいうところの“トリックスター”というものです。
状況を変化させるトリックスターの出現
ユング心理学では、個人の心の底流や芸術や宗教や文化の奥底には、太古より受け継がれつつ形成されてきた無意識的な力(元型)があり、それらは似たパターン(働きやイメージ)をもって現れてくると考えられています。そのパターンの一つとしての “膠着状態にある硬直化した関係性を打ち壊すもの”に対して、ユングは神話や昔話の言葉を援用し“トリックスター”と名づけています。
家族との関係性が悪い利用者さんがいたとします。その利用者さんは家族のアドバイスも受け入れず、「ほっといてくれ」という態度をとっていました。しかしある時、転倒してしまい、一人ではどうにもならない状況になってしまいました。しかしこの転倒によって、ご本人や家族が改めて家族関係と向き合う必要が生まれ、入院中の世話を通して家族の気持ちもご本人の気持ちも共に理解され、わだかまりが解消し安定した在宅生活に移行できたとします。この時の「転倒」というトラブルは、トリックスターの働きをもっていたと言えます。
また、要介護状態の自分に苛立ちがあり、訪問するヘルパーさんに無自覚的に苛立ちをぶつけていた方がいたとします。ヘルパーさんとしても気持ちよく仕事ができる訳ではないので、重たい気持ちで訪問していました。その為か、ヘルパーさんが利用者さんへのサービスでミスをして利用者さんと言い合いになってしまい、クレームになったとします。しかし、ヘルパー交代と同時にサービス内容を見直し、その事について全体で話し合いを行ったところ、利用者さん自身の苛立ちも和らいで、落ち着いて生活できるようになったとします。
これらのトラブルや言い合いをしたヘルパーさんはトリックスターの表れと考えられます。変化を求める無意識の力が高まり、周囲の人の心とも共鳴しながらトリックスターを呼び込んだのです。“トリックスター”は状況に“いたずら”や“トラブル”を巻き起こしながら、“瓢箪から駒が出る”ような解決の導きをもたらすのです。
変化が求められるときに自覚しておきたい事
物事には常に両面的な価値があります。“トリックスター”は、“変化”の原動力となるけれども、反面“破壊”も生じます。変化を二元論的に言えば、それは“良く変わる”か“悪く変わる”かのどちらかです。そして、要介護状態とは、人生に変化の季節が訪れた場面でもあります。その場面に立たされた利用者さんや家族やヘルパーさんは、変化を促す風にさらされています。しかし、利用者さんや家族が自ら変化のきっかけを作れない場合、変化のきっかけ作りは、第三者のヘルパーさんに無意識的に託される事になります。その時、知らず知らずにヘルパーさんが、自ら“トリックスター”を演じる状況になってしまう事があるのです。
このような事が訪問介護の現場には生じてくるのですから、ヘルパーさんがその役回りを自覚的に行うか無自覚的に行うかによっては、結果には大きな差が出てきます。“良く変わる”か“悪く変わる”かです。そうであれば、単に介護をするだけでなく、介護を通しながら、「この利用者さんには○○になってもらいたいな」また、「自分自身は、介護を通して○○になっていきたいな」というような、願いや希望を強く持って頂きたいと思います。私たちは、介護の現場で「人は何歳になっても、どんな状況になっても、良く変わっていく力を持っている」という事を目の当たりにします。目の前の利用者さんが変化してゆく時は、変化の風は自分にも吹いています。目の前の利用者さんとの関わりが上手くいかなかった時こそ、この利用者さんは、自分自身にとっての“トリックスター”なのではないかと考えみる事によって、私たち自身も良く変わっていくきっかけを掴んでいきたいと思います。また同様に、現場でトラブルが生じた時こそ事業所が良く変わっていくきっかけなんだと考えています。
2016年9月15日 2:34 PM | カテゴリー: 【紙ふうせんブログ】
紙ふうせんだより 6月号 (2016/09/15)
皆様、いつもありがとうございます。雨天時の自転車操作は注意して下さい。スピードの出し過ぎや急ブレーキは衝突や転倒の原因です。
さて事務所としましては、総合事業への移行など制度改正への対応で、2月頃からとても忙しくしていましたが、ようやく落ち着いてきました。
ところで、介護保険の制度改正と言えば、平成27年4月の、介護報酬の大幅なマイナス改定(身体2 404単位→388単位)がありました。そして、平成26年4月は、消費税が8%への増税にともなう、微増の改定(身体2 402単位→404単位)がありました。そのまた少し前、平成24年には生活援助の時間短縮(実質的な給付抑制)もありました。本来、介護保険制度は、制度の安定と発展性から3年に1回の見直しが原則となっていますが、こんなに頻繁に制度が変わっては、安定性もあったもんじゃありません。振り回される事業所はたまりません。重要事項説明書等の差し替えなど、追加の業務が山のように積みあがるばかりです。平成27年8月からは、一部の利用者(年金換算で単身280万以上、夫婦で346万以上の世帯)の自己負担が2割に変更にもなりました。どうしてこんなにコロコロと変わるのか、ここ最近、介護保険に限らずさまざまな政策が“拙速”のように感じます。
介護保険制度、これからどうなる?
特筆すべきは、平成27年4月の介護保険史上初のマイナス改定です。その影響を今年の1月の業界ニュース(ケアマネジメントオンライン)から拾ってみます。
「東京商工リサーチは1月13日、2015年(1月~12月)の全国の老人福祉・介護事業の倒産件数が、過去最多の76件(前年54件)であったと発表した。」マイナス改定が、経営継続への意欲を奪いトドメを差した事が想像されます。
また、「訪問・通所介護を運営する法人の4割超が赤字運営であることが、日本政策金融公庫総合研究所の調べにより、1月26日、明らかになった。」「撤退や縮小を考えている企業も、訪問介護で8.6%、通所介護で8.4%」とあります。介護保険制度の先行きに対して明るい観測を持っている事業者は多くないのです。
このような発表が相次ぐなかで国は一体どのような舵を切るのか、東京新聞の今年の1月21日の朝刊には、このような見出しが出ていました――
介護保険、家事援助除外も 軽度者対象の自己負担を検討(東京新聞見出し)
厚生労働省は二十日までに、介護の必要度が比較的低い「要介護1、2」の人を対象に、在宅での生活を援助するサービスの在り方を見直す方針を固めた。掃除や調理、買い物などの援助を介護保険の対象から外し、原則自己負担とすることを検討する。膨張する社会保障費を抑制する狙いがあるが、負担増につながる高齢者の反発も予想される。
トイレや入浴などの介助をする身体介護は見直しの対象とはしない。社会保障審議会の部会で二月から議論を始め、年内に結論を出し、二〇一七年の通常国会での法改正を目指す。
見直しの対象となるのは、主に介護ヘルパーが自宅を訪れる訪問介護の生活援助サービス。一三年度の厚労省の調査で、訪問介護の利用者のうち生活援助サービスだけを使う割合は、要介護1は50%を超えるため「ヘルパーを家政婦代わりにしている」との指摘が出ていた。財務省も昨年、介護の必要度が低い人については原則自己負担とするよう求めた。(後略) (東京新聞 H28.1.21)
「介護の必要度が低い人については原則自己負担とする」とありますが、そもそも要介護度というものは、国の厳密な基準に照らし合わせ判定されたもので、“介護が必要だ”との国のお墨付きなのです。それを介護の専門家でもない財務省の“要介護1、2には介護(生活援助)は必要ない”というような主張はいかがなものでしょうか。
社会保障審議会の部会でも「生活援助を担うヘルパーが来なくなることで、利用していた人の状態悪化の兆候に気づかずに対応が遅れる」「介護保険からの軽度者外しは重症化を招く」との声が出ています。また、要支援(総合事業)ではサービスが自己負担1~2割で受けられるが、要介護になると生活援助は全額自己負担というおかしな事態になります。それとも総合事業と同じように、区市町村へ負担を押し付けようというのでしょうか。
平成27年度のマイナス改定をめぐる動き
平成26年11月、安倍首相は平成27年度に予定されていた消費税10%への増税を先送りの決定をし、財務省は恨みを飲みました。そのころ財務省は、「特別養護老人ホームにおいては、巨額の内部留保の存在が確認されている。→ 今後は内部留保が蓄積しない水準まで介護報酬水準を適正化することが必要。」(10/8財政制度分科会資料)と主張しています。そのため介護業界では、来年度改正は、特養はマイナス改定かもしれないが他の業種は現状維持と観測されていました。しかし蓋を開けてみると、翌年2月6日「賃金・物価の状況、介護事業者の経営状況等を踏まえた介護報酬の改定率は、全体で▲2.27%である」(介護給付費分科会)と、全ての介護事業のマイナス改定の方針が決定されます。4月開始にもかかわらず介護報酬の具体的な数字は「案」しかないという稚拙ぶりで、役所から介護事業所まで大混乱です。これは消費増税を見送る代わりにマイナス改定を財務省に差し出したという構図です。
消費税の増税の見送りと介護保険改正の関連性
これまでの動きを見ていくと、消費増税見送りの見返りとして介護給付費の削減を行うというのが政府の方針と考えて間違いないでしょう。2月18日の朝日新聞では「今夏の参院選を控えて与党議員が高齢者の負担増や給付減の議論に敏感なため、本格的な議論は参院選後となる見通しだ」と報じています。このままだと、来年度には要介護1・2の方の生活援助は全額自己負担が決定されてしまい、実質的には生活援助が使えなくなる事態となるでしょう。福祉用具や住宅改修も全額自己負担となります。住宅改修を見送ったばかりに転倒してしまう利用者さんも出てくる事でしょう。ヘルパーの買い物が命綱という利用者さんも多くいます。ヘルパーさんの仕事も減ってしまいかねません。
アベノミクスとして現在、日本銀行は日経平均採用225銘柄のうち約200社で保有率上位10位内に入る大株主となっています。また、政府は国民の資産である年金も株式市場に投じました。このような政府による株価釣り上げで利益を得た方もいるでしょう。しかしその後の株価下落で年金積立金管理運用独立行政法人の昨年度決算は、5兆円を超える運用損失が出ています。継続的な社会保障政策の実現の為には景気浮揚策や財源論も大切です。しかしそこで働く人を含めて、基本的人権とも言える“生活の継続性”も考えて欲しいのです。そして、何のため誰のための社会保障なのかという原点を忘れないで頂きたい。現場にいる私達は利用者さんを目の前にして、その方にとっての幸せを思い描いているのです。
★震災時対応について③★
まずは自分自身の安全確保と家族の安否確認は、ヘルパーさん含め全ての方の優先事項です。ただ、営業時間内の被災であれば、家族の電話が通じないなどの状況あるでしょう。その場合は焦って行動しない事です。自身の安全確保しつつ他の従業員との連携図りつつ冷静に対応しましょう。最終的には、全体状況の情報収集と利用者安否確認、そして高優先度順に利用者宅訪問へと行動は集約されていきます。
訪問介護としては、利用者安否確認に先立ってはヘルパーさんの安否確認がより重要になりますが、その対応は、「会社に報告」から「情報収集」までの流れと理解して下さい。ヘルパーさんも自分自身の状況を会社に報告をお願いします。しかし、やはり電話が通じない事もあるでしょう。災害伝言ダイヤルを活用しつつ、ヘルパーさんの行動も「帰社」(通常時は馴染がないかもしれませんが)が必要になってくるかもしれません。ヘルパーさんの行動も社員の行動も、基本的な考え方は同じです。
【災害時対応のケアプラン上の位置づけ~世田谷区への質問~】
「災害が起こった際に、利用者の安否確認を行い必要があれば“落下物の片付け”“安全なところへの移動介助”“食料の買い出し”などを臨時対応として行われると考えるが、それらを介護保険(訪問介護)で算定できるか。またその為に必要な事(ケアプランへの明記・内容等)は何か、具体的にご教示して下さい」と質問したところ、回答は「臨時対応は介護保険で算定できる。但し安否確認のみでは不可で、“何か”を行えば可。しかし“救助活動(と判断される記録)”は不可。ケアプランへの災害時対応の明記は望ましいが、無くても算定できる」との事でした。ケアプランへの明記は取り組んでいきたいところです。
【年休(有給)について】
年次有給休暇は雇用形態に関わらず、全ての労働者に適用されます。
|
時短労働者(パート)の年休取得時の給与計算は、平均賃金方式で、以下のような計算方式があります。
平均賃金の1日分 =前3ヶ月の賃金合計÷その期間の暦日数 |
皆様に、紙ふうせんだより発送時に配布している「休暇申請書」は“希望休”の申請のため、年休の申請とはなりません。年休の申請書は事業所にあります。
2016年9月15日 2:31 PM | カテゴリー: 【紙ふうせんブログ】, 平成28年, 紙ふうせんだより
紙ふうせんだより 5月号 (2016/09/15)
皆様、いつもありがとうございます。雨の降りかたがだんだん梅雨みたくなってきましたね。長雨の季節はだしっぱなしの食品のカビや腐敗などに注意しましょう。食中毒(急性の胃腸炎)の危険性も高まります。手洗い等を積極的に行って下さい。
障害者の権利に関する条約
さて、平成28年4月1日から「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」(障害者差別解消法)施行された事はご存じでしょうか。この法律の前提となっているのは、2006年12月に国連総会にて採択された「障害者の権利に関する条約」(以下、条約)という国際条約です。ここに至るまでの人権や差別に関する歴史的背景は、26年9月号の紙ふうせんだよりを読んで頂きたいのですが、この条約を批准する条件として、具体的な国内法の整備などがありました。日本は国内法の水準が国際条約を満たしていないために、2011年「障害者基本法」改正、2013年「障害者差別解消法」成立という法整備のもと、2014年1月20日にようやく140番目の条約批准国となりました。(国連加盟国は193か国)
(条約 第2条)「合理的配慮」とは、障害者が他の者との平等を基礎として全ての人権及び基本的自由を享有し、又は行使することを確保するための必要かつ適当な変更及び調整であって、特定の場合において必要とされるものであり、かつ、均衡を失した又は過度の負担を課さないものをいう。 |
障害者に対する差別の具体例
山田肇氏は、参政権を例に差別の実例を説明しています。(以下の囲みはブログより引用)
投票所入場券が郵送されてきても視覚障害者には内容が伝わらず、代読をヘルパーに頼もうとしても、週に一度しか来ないなどの事情で、投票日が過ぎてしまう事態も起きていた。投票所の場所がわかりづらかったり、点字ブロックがなかったりもした。視覚障害者は代理投票の際、声で候補者名・政党名を言うことになるが、その声が遮蔽されないため、投票の秘密が守れなかった。総務省が公表する候補者名簿が画像PDFで音声読み上げできないという問題も参議院選挙で起きた。
投票所に車いすで入れるかわからなかったりなど、投票所入場券には基本的情報の提供が欠けている。投票用紙の記入台の高さは、普通人が立って記入することしか想定しておらず、車いす利用者や長時間立ち続けるのが困難な高齢者などは、投票用紙に記入できない。
街頭演説という候補者にじかに触れる機会を、手話通訳が禁止されているので、聴覚障害者は利用できない。一般的な手話通訳に比べ特異性(時事単語への対応、公職選挙法の知識等)があるので、政見放送や街頭演説に特化した手話通訳士の養成も必要だが、まったく取り上げられていない。
このように障害者の参政権は、社会の側に配慮が欠如していたために、制限されていた。ましてや障害者が立候補するなど、立候補手続きのバリアフリー化や政見放送での代理人による演説などを進めない限り、不可能に近かった。しかし、条約を批准した以上、これからは選挙権・被選挙権に関わる差別は許されない。
これらを見ると、差別をしようとしている意図が全く無かったとしても、結果として「差別」が生じていたという事実が理解できると思います。条約が画期的なのは、合理的配慮を欠く事により障害者が普通の人と同じように生活する権利を侵害されるという、“制度化されていない陰の差別”をも、差別解消法などを制度化する事によって、解決していこうとする志の高さです。障害のある方にとってどんな社会的障壁があるのか、パラリンピック・オリンピックを控えている今こそ、社会全体で考えていく必要があるでしょう。
どんな人も生活しやすい社会を目指して
障害者基本法では、「障害者」の定義を『身体障害、知的障害、精神障害(発達障害を含む。)その他の心身の機能の障害(以下「障害」と総称する。)がある者であって、障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるものをいう。』としている。社会になじめずに生きづらさを抱えている発達障害も定義に入っていますし、「継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるもの」という表現は、要介護高齢者なども該当するでしょう。幅広く理解されるようになった「障害」に対して社会の側が合理的配慮を行うようになれば、障害の有無の区別なく、どんな人も生活しやすい優しい社会となるでしょう。「“障害者だから”特別あつかい」は時代遅れのイメージなのです。
これまで「障害」という困難は、障害者自身の心身機能(病気等)が原因と考えられてきましたが(医学モデル)、条約等の理念は、「障害」の真の原因はさまざまな機能障害をもった人がいるという事を考えないで作られた社会の仕組み(社会的障壁)こそが、「障害」の原因としています(社会モデル)。この考え方が明確になったのは、1975年の国連「障害者の権利宣言」ですが、40年を経てついに解決を目指す義務が国際標準となったのです。
現在、紙ふうせんでは障害手帳をお持ちの方が一名、移動支援のヘルパーとして活躍しています。仕事(社会参加)をしていく中での困難さは、障害手帳の有無にかかわらず人それぞれあるでしょう。改善や成長してゆく一人一人の努力も必要でしょう。しかし私としては、合理的配慮を努力し、どんな人でも自分の力を発揮できる働き甲斐のある、働き易い事業所を目指していきたいと思います。
★震災時対応について②★
震災時対応を想定するとしても、震災の被害が想定されないと、対応を考えにくいというところまでが前回の話でした。今回はその対応のイメージを掴むべく書いてみました。
1:日本大震災の時の東京の揺れよりも少々強い程度
・被害想定
日本は今、地震の活動期に入っています。今後地震が予想される活断層としては、立川断層(世田谷区は震度6予想)や三浦断層帯などがあり、活断層から離れた世田谷区もかなりの揺れとなるでしょう。ただ、世田谷区は活断層の直上ではないため、世田谷区では倒壊家屋は多くないと考えられます。被害は家屋の一部損壊や、家具転倒などが考えられます。電話線の寸断は無くとも、回線利用が制限される事から、電話は非常につながりにくくなると思われます。
・訪問介護の対応
訪問予定の利用者宅は、安否確認を含め全て訪問したいです。ただ、効率良く安全に訪問する為にも、命に関わらない不急のサービスは時間短縮する事も考えられます。訪問すると、転倒や転落物によりしてケガをしている利用者を発見する事もあるでしょう。救急車要請をしたり、割れたガラスなどの片付けも必要です。入浴や外出などの身体介護を、共に行う片付けや移動・移乗等の介助に振替えて、介護保険の支援として記録します。家事代行の場合は、ガラスの片付けはそのまま掃除の記録で良いでしょう。食料の在庫が多い方の買物代行は割愛しても良いかもしれませんが、在庫の少ない方は、プランに無くとも買物代行を行う必要もあるかもしれません。なお、救急車には同乗しません。大切な情報は必ず事業所へ報告です。電話が通じなければ業務終了後には必ず事業所へ直接報告に来て欲しいと思います。連携がとれなくても、震災翌日の訪問先は基本的には予定通りです。
2:首都直下型地震
・被害想定
フィリピン海プレートと北米プレートの境界の地震の地震が想定され、東日本大震災と同じプレート境界型のため震源域は広く、内閣府の想定モデルでは、東京湾北部を震源とするM7.3の地震では、世田谷区は震度6予想です。広域での家屋倒壊が見込まれ、世田谷区で一番心配されるのは時間帯によっては火災の発生と延焼です。木造密集市街地(環6、環7沿い)の焼失が顕著であると想定されています。
・訪問介護の対応
余震が多くなく、目立った倒壊家屋がなければ、対応は上記と同じですが、ライフラインは寸断されると思われます。室内が入れないくらいのぐちゃぐちゃな様子になってしまえば、一部の方は避難所に誘導する必要がでてくるかもしれません。初動体制としての訪問介護はさらに効率的に、安否確認を中心に行います。印は無くても良いので、記録は日時・時間だけでもつけたいものですが、メモでも構いません。世田谷区が区内の事業所に求めているのも安否確認体制への協力です。災害伝言ダイヤルを逐一活用しましょう。移動時は崩れかけた建物や壁の近くは避けましょう。そして付近で火の手が見える場合は安否確認活動も中止せざるをえません。ヘルパーさんも一時避難所(付近の学校の校庭など)に行くなどし身の安全を図りましょう。家屋倒壊がなくても、電気ガス水道が止まれば、要介護高齢者の在宅支援は見直しが必要になってきますが、それは初動の安否確認の後の対応です。そのような方は、親族を頼って被災地域外へ疎開するのが現実的だと思われます。親族の無い独居の方への対応は継続する必要がありますが、人数は多くはありません。事業所は速やかな業務再開への連携を目指し、伝言ダイヤルに指示等を録音します。電話が通じるまでは各ヘルパーさんの自主的な活動が必要です
3:想定外状況(破滅的状況)
・被害想定
世田谷区内でも震度6~7が複数回起こり、あちこちで家屋が倒壊し火災が発生しライフラインが寸断され、広範囲に被災した場合。
いたるところで道路に亀裂や陥没が発生し、倒壊家屋のがれきで通行も困難です。きな臭い匂いがし、煙があがっているのが見えます。
プレート境界型の震源が、想定よりずれて世田谷区が震源直上であったり、世田谷区内で未知の活断層が動いたり等…。(現在国内に活断層は、2000以上あると言われていますが、未知のものはその3倍以上あると言われています)
電話は不通になり災害伝言ダイヤルも機能していません。
・訪問介護の対応
まずは自分自身の身を守る事が第一です。ヘルパーさん自身も被災者となっています。こうなると安否確認活動もできません。業務は中止ですがたまたま近くに利用者宅があった場合は様子を見る事は必要でしょう。しかし、周辺のがれきから助けを求める声が聞こえれば、そこに向かうべきです。今いるところで精一杯の人としての行動をする。利用者宅に訪問できなくても、自分と同じように近所の誰かが救助活動をしてくれている事を信じて、目の前の事に全力を注ぎます。しかし火の手が上がったら速やかに一時避難所に向かいます。自己犠牲ではなく生き延びた自分自身を震災復興にどう役立てるか考えましょう。避難所では、被災者として悲嘆に暮れて受け身になるのではなく、日頃の介護活動の精神性を活かし、自立した被災者として積極的に避難所開設等に協力しましょう。身辺が落ち着いたら事業所へ向かって下さい。また、気になる独居の利用者の情報収集も行いたいところです。社員も出勤不可能かもしれませんが、事業所の壁などに自分が確認した安否情報や自分の避難先などを書いた紙を貼るなどして、復興へ向けてのできる事を開始します。心の中に希望の灯をともしましょう。
マニュアルとして具体化するにはもっと掘り下げる必要がありますが、細かくマニュアル化していくと結局は現実と乖離するでしょう。今後は社員の対応も検討していかなければなりません。
2016年9月15日 2:23 PM | カテゴリー: 【紙ふうせんブログ】, 平成28年, 紙ふうせんだより
紙ふうせんだより 4月号 (2016/09/15)
皆様、いつもありがとうございます。これからはどんどん暑くなってくるので、水分補給には気を付けてくださいね。
新緑がまぶしいですね。街角にはたくさんの花が咲いています。ツバメも飛んできました。鳥たちは巣づくりに夢中です。曲がり角の先には、どんな草花や新しい風景がまっているのでしょうか。新しい季節がはじまっているのです。
新しい季節
ちょっと前は桜の季節でした。皆さんは桜を楽しく眺めることはできましたか? 農大横の千歳通りの桜のトンネルは、桜吹雪がきれいです。桜のトンネルで思い出されるのは、『赤毛のアン』(L・M・モンゴメリ)のリンゴの並木道です。
汽車でプリンスエドワード島に到着したアンは、これから先にどんな生活がやってくるのか、期待に胸を膨らませています。マシュウの馬車に乗ってリンゴの花のトンネルをくぐったアンは、感激のあまりその道を“歓喜の白路”と名付けるのです。そんなアンを変な子だと思いながらマシュウは、欲しかったのは仕事を手伝ってくれる男の子で、女の子のアンが来たのは何かの手違いだろうという事を言い出せずに困っていました。
人は、トンネルの先にはいつも希望を見出しています。しかし辛い経験を多くすると、トンネルの先には、闇が拡がっているかもしれないと考えます。アンはトンネルの先で絶望的な事を言われますが、マシュウやマリラと一緒に暮らす事になります。不安なのはアンもマシュウもマリラも同じです。アンの物語は、その“不安”を“未知との出会い”として楽しんだからこそ開かれていくのです。
何かを楽しみにして待つということ
新しい季節には不安はつきものです。そんな気持ちを吹き飛ばしてしまうアンのひたむきな言葉を紹介します。
「何かを楽しみにして待つということが、そのうれしいことの半分に当たるのよ。」
この言葉は、待たれている私達ヘルパーとしては、とても重いものです。来週もまたあのヘルパーさんが来てくれる。そう思うだけで一週間を楽しい気持ちで過ごせるのです。一方で、「年を取ったら何の楽しみもない。今後の不安ばかり」という方もいます。そのような方は、まだ来ない先のことばかり考えて、今を生きる事を忘れていると言えるのではないでしょうか。不安とは現在や過去の事ではなく、必ずまだ来ない事への悪い考えを伴っています。仕事など何らかの責任がある場合は、最悪の事態を想定して備えを怠らない事は必要ですが、現実の今を忘れて不安にのまれてしまっては、意味がありません。楽しく生きる秘訣は、今この瞬間を丁寧に大切に自分の心に入れていくというような、“今を生きる”という事ではないでしょうか。アンの言葉には今を楽しむ気持ちに溢れています。
「あしたがまだ何ひとつ失敗をしない新しい日だと思うと、うれしくない?」
曲がり角をまがった先に
ある利用者さんがいました。だんだんと歩けなくなり、やがてベットをいつも汚してしまうようになりました。介護環境から入所が検討され、ショートステイを試みる事になりました。ショートステイの初日、笑顔も見られ食事も召し上がり、うまくいくかと思われましたが、嘔吐してしまい施設から急遽自宅に戻されてしまいました。
その方は状態が悪化してからは、口数もますます少なくなり、認知症も悪化したように思われました。でもそうではなかったようです。きちんと自身の事を理解されていたようでした。介護環境と自身の関わりへの複雑な想いから、将来の在宅生活の不安が増して気分が塞ぎ込みましたが、かといって心の準備も無しに入所を望んでいたわけでもないのです。
言葉を発しなくなったからといって、何もかも解らなくなってしまったのではありません。
在宅に戻ってからヘルパーの訪問回数も増え、その方は無気力から脱しつつあり、汚してはしまうけれど一人でポータブルに行ったり自分で食事を摂るようになってきました。誰かが良く生きようとして力を発揮するところを見るのは、とても嬉しいものです。その上で、介護の専門家としてその方の生活を見ると身体的に改善する可能性が多くあり、食事もままならない現在の環境よりは、施設の方が可能性が拡がるのではないかとの話になりました。その方にショートステイの話を伝えると「なんとも言えないわね…」とつぶやいていました。
その方のベットの脇には「『赤毛のアン』と花子」がありました。この本は自分で買ったんですか? と伺うと、「誰かが持ってきたのかねぇ」とおっしゃるので、私は本を開いて終わりのほうのアンの言葉を読みあげました。
「いま曲がり角に来たのよ。曲がり角をまがった先に何があるのかは、わからないの。でも、きっといちばん良いものにちがいないと
思うの。それはまた、それのすてきに良いところがあると思うわ。」
その方は静かに聞いた後、にっこりと笑って下さいました。
私達は、一人の人としては、誰かの人生にとって何が良い事であ
るとか悪いとか、本当は一つも言えません。私達にできる事は、そ
の時に考えられる最善の方向へと、手探りで進んでいこうとする努力だけです。思いがけず良くない結果になったとしても、それはその時のもので、全ての物語の結末ではありません。
「それはまた、それのすてきに良いところがあると思うわ。」と、ひたむきに一歩づつ進んでいけば、その先の物語は開かれていくのです。現れたものは「きっといちばんよいものにちがいない」と信じ、関わった方々のその先の幸せを祈っていきたいと思います。
『「赤毛のアン」と花子 ~翻訳者・村岡花子の物語~』村岡恵理・著
何よりも花子が若い読者に一番伝えたかったのは
「曲がり角をまがった先にもっと素晴らしい 景色が広がっている」
というアンの言葉。最愛のマシュウの死にあい、大学の進学をあきらめ、マリラのためにグリン・ゲイブルズを守りながら、学校の先生になる決心をしたときにアンが言う言葉です。
「いま曲がり角に来たのよ。曲がり角をまがったさきになにがあるかは、わからないの。でも、きっといちばん良いものにちがいないと思うの。それはまた、それのすてきに良いところがあると思うの。」
アンを心の友としている人は、きっとどんなときも希望を失わず、人生を良い方向に変えていくことができると花子は思っていました。
★震災時対応について①★
平成28年熊本地震で被害を受けられたみなさまに心よりお見舞い申しあげます。
4月のミーティングは、震災直後という事もあり、震災時の対応について話し合いました。そこで出てきたのは、行政も想定していない震災の実情です。
1:熊本地震
大きな本震を1回と想定。15日に政府が「全避難者の屋内避難」の方針を打ち出したことに対し、県知事は「避難所が足りなくてみなさんがあそこに出たわけではない。余震が怖くて部屋の中にいられないから出たんだ。現場の気持ちが分かっていない」と反発。
障害者や要介護高齢者が被災した場合に施設へ避難入所する“福祉避難所”の協定を県内176施設と結んでおり、1700名の定員があった。
NHKラジオでは強く屋内で夜を過ごすことを勧めた。しかし度重なる余震で室内はぐちゃぐちゃ。
気象庁は「今後1週間ほどは震度6弱程度の余震に注意が必要」と繰り返す。
16日の本震ではさらに被害が拡大した。
福祉避難所が実際に開設できたのは34施設のみで104名の受け入れしかできていない(4/25朝日新聞)。介護職員も被災して出勤不能になっているケースもあると思われる。
2:世田谷区で直下型起こった場合の想定
備蓄食料等も少なく、地域の方が避難所に皆やってきたら対応しきれない。倒壊などで自宅に住めなくなった方以外は「自宅避難」を呼びかけている。救護所も設置されるが、対応しきれない事が想定される。命に係わるような方を中心に対応する(トリアージ)するので、骨折程度の方は、救護所に来ても手当は期待できない。要介護高齢者や障害者の為に、区内の施設も“福祉避難所”の協定を結んでいるが、各施設とも数名程度の受け入れ枠しかなく、よっぽどの方でないと施設避難はできない。基本的には、要介護者も引き続き自宅で対応して欲しい。福祉避難所は勝手に行っても入れません。入所の調整は区が行います。
・度重なる余震で室内がぐちゃぐちゃになった場合は、余震が本当に落ち着くまでは室内に入れないのではないか?多くの方の自宅はそのようになるのではないか?その時避難所は足りるのか?
・認知症の方など、混乱してしまい手厚い見守りが必要になるかもしれないが、在宅継続は本当に可能なのか?
・福祉関係の事業所も、職員が被災して出勤不能者がでれば、既存の方への対応だけでも手が足りない事になる。それ以上の臨時対応は難しいのでは。
福祉施設自体も被災するのではないか?
・倒壊家屋や火災で道路が通行不能となれば、安否確認も難しいのではないか?
このように見ていくと現在も行政の想定は、震度6~7が複数回起こり、あちこちで家屋が倒壊し火災が発生しライフラインが寸断され、広範囲に被災した場合(阪神淡路大震災の被害がもっと広範囲のイメージ)は“想定外”となってしまいかねません。
紙ふうせんでも、震災時対応をしっかりと考えていきたいと思っていますが、その為には、災害のレベルを、東日本大震災の時の東京の揺れよりも少々強い程度から破滅的状況まで、3段階くらいに分けて検討する必要があると思っています。いずれにしても、どんな事になっても落ち着いていられるように、ヘルパーの皆様自身と自宅等の備えを、しっかりとご検討下さい。
2016年9月15日 2:11 PM | カテゴリー: 【紙ふうせんブログ】, 平成28年, 紙ふうせんだより
紙ふうせんだより 3月号 (2016/09/15)
皆様、いつもありがとうございます。待ち焦がれた桜の花が咲きました。桜の季節はいつも寒の戻りがありますが、それを越えてようやく本当の春という気がします。一年生は二年生に、小学六年生は中学一年生になる季節です。成人○年生の私達は、何年生になるのでしょうか。新しい春はどのような人にも等しく訪れます。変化するのは子供だけではないはずです。私達も一年一年成長をしていきたいと思っています。
変化をどのように受け止めるのか
私達が関わっている高齢者も、今まさに変化の季節を迎えています。それは、身体の衰えという表象とともに現出する、心の変化の要請です。身体の変化に伴い心の成長が求められるにもかかわらず、身体の変化を否定的にしか受け止められない場合、心は変化する事を拒否します。そのような心と体のアンバランスは苦痛となるでしょう。
(「老いを生きる意味」浜田晋) |
|
ライフサイクルという考え方
人生には様々な段階があり時に応じて課題も変化していくと言われています。洋の東西を問わずこのような考え方は昔からありますが、発達心理学者のエリクソンが、人生の課題を乳児期・幼児期初期・幼児期・学童期・青年期・成人期初期・成人期後期・老年期という8段階に分けて説明した事によって、「ライフサイクル」という言葉が広く世間に知られるようになりました。エリクソンに先立って、分析心理学の創始者ユングは人生を太陽の運行に譬えて、少年・成人前期・中年・老人というサイクルを示しました。その太陽の運行は、夜を越えてまた再び朝となる円運動です。“サイクル”(=円環)と言われる所以です。
古代インドでは、人生を、学生期・家住期・林住期・遊行期(がくしょうき・かじゅうき・りんじゅうき・ゆぎょうき)としています。また、全てのものが成・住・壊・空(じょう・じゅう・え・くう)と、その次にまた「成」を繰り返すという円環の思想がありました。古代中国では青春・朱夏・白秋・玄冬といって、人生を四季と重ねて緑赤白黒を象徴とします。孔子は、志学・而立・不惑・知命・耳順・従心(それぞれ15・30・40・50・60・70歳)と述べています。
時代や地域によって定義や区分けは異なりますが、いずれの考えも、人生の各段階の毎に課題があり、現在の考え方の単純な延長線上に次の未来を想定するわけにはいかない事を示しています。今、超高齢化が叫ばれ、老年期が長期化するようになった近年の日本の社会においては、高齢期の心理状況や課題を、もっと分析し研究する必要があるのではないかと言われています。“発達”心理学などは成長期の分析に重点が置かれており、超高齢化社会をカバーできません。ところで日本では、能の大成者の世阿弥が「守破離」として、道を極めていく過程を示しています。「守」とは教わった通りに行い、「破」とは師匠の教えや経験則を破り試行錯誤します。「離」とは、新しい自分を確立する段階です。そしてその上で、一つの部分を極めてもその上を目指すならば、離の後の「守」を再び破っていく円環を繰り返すと考えられます。人生はその内部においてたえず円環を繰り返してしているのです。
では生と死を含めた命の全体は、果たして円環しているのだろうか? 日没を迎えた太陽はその後どうなるのか? このような各個人の考察や試論こそが、超高齢化社会を越えていく為に必要になってくるのではないでしょうか。新しいこれからの日本にとって必要なライフサイクルの考え方とはどのようなものか。死生観に対しても臆せずに向き合う必要があります。その試行錯誤の最先端にいるのは、実は介護の仕事をする私たちなのです。
人格心理学』(鈴木乙史, 佐々木正宏 編著)
「一回限りの人生を生きる個人にとって、正午の絶頂から午後の下降を前もって実感を込めて知ることはできない。人生の午後にいる人間は、生の縮小を強いられるのだということを悟らなければならないのである。そして、自己に対して真剣な考察を捧げることが、義務であり必然だとユングはいう。 人生の午後は、午前と同じプログラムで生きるわけにはいかない時期なのである。人生の午後の課題は、自己に対する真剣な考察を捧げ、人生の前半で排除してきた自己を見つめ、自己のなかに取り入れることである。ユングは、このことを個性化と呼んだ。中年期の転換期ではこのように、生き方や価値観の転換をしなければならないのである。」
<総合事業について>
かねてよりお伝えの通り、4月から、「予防訪問介護」のサービスが利用者さんの介護認定更新時に、順次、世田谷区の新しい「総合事業」に移行になります。(正式名称 介護予防・日常生活支援総合事業第1号訪問事業)
★利用者さんにとってのサービスの内容は、直接的には変更はありません。
★総合事業に変わっても、ヘルパーさんの給与は変りません。
★変更する点
①事業の実施主体が国ではなく、世田谷区になります。
②事業所からの国民保険団体連合会への請求方法等が変わります。
③書式の変更
会計の区分け等のために、サービス実施記録や出勤簿などの社内書式の変更を行います。(ケアマネさんが発行しているケアプランやサービス利用票も変更になります)
★注意する点…利用者さんへのサービスが、2種類に分かれます。
どちらになるかを最終的に決定するものは“ケアプラン”です。
①「総合事業訪問介護サービス」(現行相当と一般に言われています)
いままで同じ内容で、全国的にH30年度末までは同じ基準となっています。料金も今までの制度と同じです(月定額制)。支援内容は、主に自立支援や共に行う家事など、基本的には身体的な介護内容が対象です。
②「総合事業生活援助サービス」(世田谷区の指定を受けた事業所のみ対応可)
支援内容が、主に家事代行の方へのサービスです。1回ごとの利用料金で、事業所への報酬は介護保険の生活援助3(加算無し)と同じで、今までの予防の月額料金よりは少し安くなります。
<総合事業の記録用紙について>
★個別支援計画書
今までの「予防訪問介護書」から変更になります。
名称混同を避けるために、「個別支援計画書」という名称にします。
特徴は、1枚の書式で「総合事業訪問介護サービス」と「総合事業生活援助サービス」のどちらも記載できるようになっています。そして、この二つのサービスは、制度上は併用可となっています。2つのサービスは、介護報酬が異なるので、それぞれのサービスの基準に適合した支援を行ってかどうかが、今後問われる事になってくると思います。そのため、2つのサービスの基本的な考え方を計画書に解るように記載しました。同封の計画書の見本を読んで下さい。(利用者さん各自の計画書は、利用者さんの記録の箱に入っています。初回サービス時等は、ヘルパーさんにもお見せしています。※不明な点は必ず事務所まで確認して下さい)
★サービス実施記録
サービス実施記録は、「総合事業訪問介護サービス」と「総合事業生活援助サービス」に分れる為に、それぞれのサービスの枠組みにあった記録用紙に変更します。どっちのサービスだったっけ?と解らなくなる事を防ぐ意味もあります。順次、総合事業が始まるヘルパーさんには、記録用紙を同封していきます。(総合事業の初回訪問時に、できるだけ同行して説明したいと考えています。)
今回は、サービス実施記録2種を両面印刷で見本を同封しています。ご確認ください。
今までの複写式のA5の1回で1枚記入の用紙(伝票方式)から、A4で10回のサービスまで記載できる用紙に変更しました。これよって、“紙”の多さの煩わしさは解消でると思います。ヘルパーさん2人の場合は、それぞれ別に自分の用紙に記入して下さい。
月末頃まで利用者宅に置いておいて、最終サービス日には回収するようにして下さい。※最終サービス日の回収を忘れないようにして下さい。その為には、月末の2回前くらいには、自分の荷物に移しておくと、回収忘れや急なキャンセルで回収不能になる事を防げると思います。※また、サービス実施記録の誤り記入や事後報告が多くて困っています。迷ったらその場からご連絡下さい。
2016年9月15日 2:05 PM | カテゴリー: 【紙ふうせんブログ】, 平成28年, 紙ふうせんだより
紙ふうせんだより 2月号 (2016/09/15)
皆様、いつもありがとうございます。今年もやっぱり雪が降りましたね。電車も大混乱でした。皆様も大変な中お仕事をされたかと思います。本当にお疲れ様です。体調を崩されてしまった方は、是非ご養生して頂きまして一刻も早い回復をお祈りしています。
なお、このような大雪や台風の時に公共交通機関をご利用されたヘルパーさんには、請求があればその費用を会社で負担させて頂いています。ただ、今回も電車やバスは全くあてになりませんでしたね。
今後の教訓ですが台風や大雪の時は、緊急ではないサービス(予防などが考えられる)をキャンセルか振り替えるなどして、“間引き”したルートを徒歩で移動するなどが考えられます。そのような対応が必要な際は、ヘルパーさん側からも事務所に問い合わせして頂いて、どのように変更するかを相談し利用者さんに電話をかけて調整したいと思います。ただ、サービスはヘルパーさんの大切な収入源ですので、皆さんの希望を聞いて対応したいと思っていますので、皆さまからの情報発信も是非よろしくお願いしたいと思います。
相性の問題
さて、このところ個別研修計画を策定にあたってヘルパーさんの課題を明確にするためには、どのような“問い”が必要かを考えていました。結論としては、サービスが長続きしない場合は、主にコミュニケーション領域の問題があるわけですが(ヘルパーさんに限らず、ケアマネさんや事務所と利用者さんの関係もある)、コミュニケーションについて話題になると必ずと言ってよいほど出るのが『相性ってあるよね』と、“どうしようもない”といったニュアンスで相性が語られるのです。相性とは、そそっかしいとか、のんびりとか、性分や生理的な要素に関わるため、自分では自覚しにくいものであると同時に、なかなか改善する事が難しいのです。だから、“どうしようもない”という言葉で撤退が模索される訳ですが、今回は敢えて相性の問題に取り組む価値を述べたいと思います。
一致しない事や隔たりがある事の価値
日常生活で、意見が一致を見ない事や、考え方や感性に隔たりがある事はよくあります。そのような二人は、喧嘩別れしてしまうしか方法はないのでしょうか。
心理学者の河合隼雄さんはこのように語っています。「夫婦ってのは、川の流れの中に杭を二本打つようなものだと思います。離れたところに杭を打って、川の流れに苦労しながら何とか網を張ることができれば、魚がたくさん獲れる。あまり相反するところがなくて杭を近くに打った夫婦は、網を張りやすいけど収穫は少ない。」(ラジオ深夜便こころの時代)
逆に言えば、似たもの同士で集まっても収穫は少ないという事です。自分と違う人間と出会って、何とか関係を作ってみようという努力があるからこそ自分が変わっていく。「自分を変えよう!!」という想いこそが自分を成長させるのであり、その想いが無い人は能力や技術や人格を高める事とは縁遠くなるでしょう。
隔たりがある事についての生物学的な価値について、有名な話があります。
スイスのベルン大学で、匂いに関する面白い実験が行われました。約40人の男の人たちが、2日くらいお風呂に入らずにTシャツを着ます。そして、そのTシャツの匂いを年頃の女の子たちにかいでもらい、どれが好きで、どれが嫌いかを決めてもらいました。そうやって決めたものは、外見で、自分が好みだと思う相手と、だいたい一致するのです。人が着たTシャツの匂いはたいてい嫌なものですが、「これなら許せる」と感じる匂いの人の事を、女の子は気に入ることが多いらしい。さらに面白いことに、好ましいと判断した匂いをもっていた人は、その女の子と最も離れた遺伝子をもつケースが多かったということです。無意識のうちに、遺伝子に多様性をつける方向へと判断していたということですね。 (「つながりの進化生物学」岡ノ谷一夫) |
さて、このように成立したカップルが、この後どうなるか考えてみましょう。恋愛の熱が冷めると、相手と自分との違いに愕然としてしまいます。「どうしてこんな人選んじゃったんだろう」「こんな筈ではなかった」と、ため息がでます。そうして“価値観が違う”“相性が合わない”との理由で別れようとします。育児や仕事に一段落ついた熟年もまた、父親や母親や世帯主や妻といった旧来の役割から降りて、新たに個人として自分のパートナーと向き合ってみた時、このような溜息を漏らす事がよくあります。実はここからが、生物としての個体ではなく、人間的な個人としての課題がスタートするのではないでしょうか。人間として豊かな個性を育てるために、自分とは異なるかけ離れた相手と敢えて交流する事によって、内面の多様性を獲得するための心の仕事がはじまるのです。
多様性の受容
ヘルパーさんから利用者さんとの関係を伺っていると、利用者さんに対してしっくりとこない感情を抱いていると、やっぱり利用者さんもそんな感情を抱いていて、結局長続きしない事が多々あります。それはそれで致し方ない事かもしれませんが、私としてはやっぱりもったいないと思うのです。せっかくのご縁なのだから、今まで自分とは異なった新たなものを受容し、多様性を自分自身に取り入れる事ができれば、仕事のしがいがあると思うのです。
相性の問題はつい割り切って切り捨ててしまいがちですが、そんな時、川に二本の杭を打って網をかけている自分の姿を思い浮かべて欲しいと思います。感情の川の流れに翻弄されてしまうような内面の苦労はありますが、苦労が多いほど心の収穫は多くなるのです。
<個別研修の年間計画>
個別研修計画策定に関するアンケートは、誠にありがとうございました。おかげさまで計画策定は3月までには終了予定です。そこで研修の実施について、年間計画を立てましたのでお知らせします。
※実施時期の幅は、アンケートに基づく参加者や事業所から指定する対象者のスケジュールを個別にお伺いし、日程を調整する為です。また、予定を変更する場合もございます。ご了承ください。
具体的な日程は個別にお知らせするとともに、決定したら紙ふうせんだよりでも告知します。
事業所としての目標
全員が参加できて、皆の想いを受け止める研修実施
【事業所の方針】
心が軽くなった!気負いが柔らかくなった!元気が出た!学べた!やる気がでた! 少しでも良い変化を創りましょう。
1:介護技術
介護技術(事業所で学習できるもの) を学習したい希望者 技術向上の必要がある事業所から指定した方:7~12月頃。事務所で。
現場で介護技術を学習した希望者 術向上の必要がある事業所から指定した方:随時現地同行訪問
2:コミュニケーション
アンケートを提出されていない方などで、目標や課題が明確でない方。 新年度から新たに目標立てて取り組みたい新人の方など:4~6月頃
チームワーク研修 コミュニケーション領域の研修 周辺分野の研修:7~12月頃
ストレスマネジメント研修 ヘルパー同士やサ責やケアマネと懇談:8月 12月
来年度へ向けて目標を明確にしたい方:翌1~3月
3:介護知識
介護保険制度や制度改正についての学習 法令遵守:4~6月頃
食中毒や感染症 事故・救急時等の緊急対応:4~6月頃
介護や医療の基礎知識:7~12月頃
外部研修:随時
2016年9月15日 2:00 PM | カテゴリー: 【紙ふうせんブログ】, 平成28年, 紙ふうせんだより
紙ふうせんだより 1月号 (2016/09/15)
皆様、明けましておめでとうございます。皆様のおかげで無事年を越すことができました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
ところで、皆さんは今年の目標は立てられましたか? 私は「ヘルパーさんともっとコミュニケーションを取りたい」と考えています。そこには、それが思うように出来ていない業務繁多な事もあるのですが、ヘルパーの皆さんあっての事業所運営ですので、一番大切な事だと思っています。
自分を知る
ところで、私は皆さんの事を良く知りたいと思っています。なぜかというと、その方が適切な指導ができるからで、知らないと的外れになってしいます。同様に、自分自身の事も良く知らないといけないと考えています。そこが欠けていると、やはり指導は自分の価値観を押し付けるものになってしまうでしょう。皆さんはどのように考えますか? 適切な利用者さんへの支援は、同じように相手や自分の事を良く知る必要があります。
ジョハリの窓
心理学者のジョセフ・ルフトとハリー・インガムが1955年に発表した、「対人関係における気づきのグラフモデル」は、自分と他人の関係を解りやすく示してくれます。研修でも取り上げた事がありますが、二人の名前を合せて「ジョハリの窓」と呼ばれるこの概念によると、自己には「公開された自己」と「隠された自己」があり、また「自分は気がついていないものの、他人からは見られている自己」や「誰からもまだ知られていない自己」もあると考えられています。
自己覚知を深めていく事は、(Ⅰ)の領域を拡げ
ていく事です。自分には分かっていない事(Ⅱ)
を誰かに教えて貰ったり、他人に分かっていない
事(Ⅲ)を自己開示して知ってもらうようにする
事などで、自分の無意識を意識化していくのです。
そうすると結果的に未知の領域が減って(Ⅳ)
いきます。
「未知の窓」が大きいと、自分自身の感情
は自分の知らないコンプエレックスに左右さ
れ不安定になりますし、対人関係も他人から
見て理解しにくい付き合いにくい人になって
しまいます。しかし、どんなに努力してもこ
の(Ⅳ)が消滅する事はありません。言い換えればそれは未来に残された“可能性”であり、この未知の可能性がある限り、人間はどんな年齢でも成長していく事ができるのです。
個別研修計画の策定について
今私は、個別研修計画の検討作業を行っています。それは、研修の方向性を全体としてどのようにするかという事と、各個人の課題をどのように抽出・分析していくかという問題です。介護職に求められる職能をおおざっぱに分類すると、三つが考えられます。
- 介護技術力 ② 介護や制度の知識力 ③ コミュニケーション力
良いコミュニケーションとは何かついて考えましょう
利用者さんとの人間関係が、良い方向に発展していくコミュニケーションを“良い”ものとすると、それは、利用者への偏見の無い理解と、自
自己覚知適切な 自己開示 |
偏見の無い 利用者理解 |
良いコミュニケーション |
を相手に伝える適切な自己開示が交わった所にあるも
のではないでしょうか。自分と相手とのコミュニケー
ションの齟齬が見られる場合は、これらのどこが弱点
になっているのかを見つけ出す事は重要です。
その事を検討するために、ジョハリの窓を参考に以下の図を考えてみました。
|
と関係性は安定します。関係が不安定
な時はこの領域が狭いと言えます。こ
こを基盤に利用者・ヘルパー共に関係
性を深める心の活動を意識的・無識的
に開始します。それはもっと自分を知っ
て貰いたいという欲求ですが、欲求に
温度差があると上手くいきません。
(Ⅱ)は、利用者さんの周囲とのズ
レの領域ですがが、これは介護の方向性(目標)のズレでもあります。これが広いとヘルパーさんは利用者さんの老いの葛藤などに付き合う事になります。それは利用者さんの自分を知って貰おうとする正直な心の働きでもありますが、ちょっとした事から依存や反発をされて、ヘルパーさんは消耗してしまいます。クレームを生じやすいケースでもあります。
(Ⅲ)は、ヘルパーさんが自分の考えや感情を抑制・抑圧している領域です。あって当然の領域なので、バランスとれた状態である事が望まれます。利用者さんに自分を知って頂く事は、お互いの関係を深めていく事にもつながりますが、一方通行だと「ヘルパーさんが自分の事ばかり話して…」と利用者さんから反感を買う場合もあるでしょう。この領域の課題に取り組むには意識的・自覚的でなければなりません。利用者さんとのより良い関係を築くために戦略的に、自分を出したりひっこめたりする事ができると良いのです。もし、利用者さんに伝える事のできない自分の考えや気持ちが拡大すると、自分自身が何もかも抱え込んだような気持ちになって、突然心が折れてしまう事もあるでしょう。介護職離職の原因にもなってくる領域です。これは介護者が葛藤を抱えている状況ですので、思わぬミスを招きやすいとも言えます。また、そのように自分が我慢をしている気持ちを準備なく突然利用者さんに伝えると、気が付かずに自分が攻撃的になってしまって、失敗する事もあるでしょう。
目標を明確にしましょう
このように具体的に考えていくと、利用者さんとのコミュニケーションの困難さは、努力次第である程度改善ができそうです。ヘルパーさん一人一人が、まずは自分自身を検討して、どのような事を今後学習していく必要があるかを、自分なりに考えて頂けると良いと思います。新年度からはある程度グループ分けするなどした個別研修を開始します。是非、この機会に介護職として、また人としてより成長する為に、自分自身にできる事は何かと考えて頂きたいと思います。思考が具体化されれば取組みも明確になっていきます。また、私の考えだけでは絶対に足りないものになるので、皆さんの意見や考えをどんどん寄せて下さい。(その為の個別面談でもあります。)今後ともよろしくお願いします。
2016年9月15日 1:30 PM | カテゴリー: 【紙ふうせんブログ】, 平成28年, 紙ふうせんだより
月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | 日 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | |
7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 |
14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 |
21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 |
28 | 29 | 30 |
フリーワード記事検索
カテゴリー
最近の記事
紙ふうせん
紙ふうせん(梅ヶ丘オフィス)
●住所:〒154-0022東京都世田谷区梅丘1-13-4
朝日プラザ梅ヶ丘202(MAP)
●TEL:03-5426-2831
●TEL:03-5426-2832
●FAX:03-3706-7601


