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平成26年8月 紙ふうせんだより (2014/10/22)

ヘルパーの皆様いつもありがとうございます。暦の上では立秋ですが、残暑が厳しいですので体調にはくれぐれもご注意ください。

8月15日、黙祷のサイレンを聞くと私はいつも一年の折り返しがやってきたと感じます。歴史を学ぶ本質は、現在から過去を評価し、過去から得た教訓を現在から未来へと活かしていく事にあります。現在から未来へとより良く変化していこう(もしくは過去の失敗を繰り返さないようにしよう)という視点がなければ、歴史を学ぶ価値はありません。人生でも同じことが言えそうです。失敗は人の常ですが、失敗から学ぼうという気持ちがなければ失敗した甲斐も無いというものです。逆に、失敗ときちんと向き合った時“失敗は成功の基”となっていきます。失敗の無い仕事や失敗の無い年齢など無いのですから、自身の小さな失敗にも真摯に向き合っていった時、自分自身をより良く変化させていくチャンスは豊富になっていきます。しかし問題なのは、小さな失敗などは自分のプライドが邪魔をして、失敗とも思わない心の防御作用が働く事です。これを打ち破って「吾れ日に吾が身を三省す」(論語)を行うのは聖人君子でなければなかなかできません。だから自戒を込めて日本の歴史の転換点であった節目の日には、せめて自分自身を省みるという事を行っていきたいと思うのです。

自分らしさが見失われた時

近年、戦前の日本を過度に美化したり、正当化を試みる論調が増えているように思われますが、これも失敗を失敗と認めたく無いという心理と共に、自分自身と国家を同一視するような個人としてのアイデンティティーの脆弱さが感じられます。社会構造の複雑化と反比例して、他者同士の直接的コミュニケーションや地域コミュニティーが希薄化した現代では、個人としてのアイデンティティー(他者があるから自分自身が明瞭になる)が育ちにくいとも言え、その寄る辺として“強い国家”(無謬主義的・自国中心主義的)を求め、弱い個人が国家の代弁者のようにふるまう事によって自分自身を強く感じたいという、「虎の威を借る狐」状態になっていると考えられます。失われた自分らしさを虎に求めているとも言えます。

このような国家と個人の同一化ですが、戦時中の軍国教育や国家統制によって洗脳され弱体化した個人が、自己主張をする際に他人を“非国民”として罵ったり、「上官の命令は天皇陛下の命令である」とういような暴力の多用にも見てとれます。

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懐かしむ人 恨めしく思う人

ところで、戦前の日本(大日本帝国)を回顧する時、高齢者どうしでも、世代によって評価は異なってきます。そのあたりの歴史的背景を知っていると、高齢者と戦争の話題になった時に役に立つかと思います。参考に1925年生まれの人の年齢を年表に加えてあります。

 

 

1925年 4月陸軍現役将校学校配属令により、中学校以上で教科としての軍事教練はじまる…0歳

1925 年 12月大正天皇崩御され昭和天皇即位(昭和元年)…1歳

1927年 12月兵役法が公布され、満20歳の男子には徴兵検査が義務化される…2歳

1928年 7月関東軍による張作霖爆殺事件…3歳

1931年 9月柳条湖事件、関東軍の謀略(満鉄爆破)により満州事変勃発する…6歳

1332年 海軍青年将校によるクーデター5・15事件が発生し、以後軍部・右翼・マスコミが“非常時”を叫び国家総動員体制の地ならしとなる…7歳

1933年 3月国際連合脱退。4月尋常小学校の国語の教科書がハトハナ読本から“サクラ読本”となり「ススメ ススメ ヘイタイ ススメ」の文が現れる。児童への“思想教育”が強化される…8歳

1934年 3月満州国建国、陸軍の巨大な利権となる…9歳

1936年 陸軍青年将校によるクーデター2・26事件が発生し、犬飼毅首相暗殺、以後軍人による内閣または挙国一致内閣となっていく…11歳

1937年 7月関東軍の挑発により盧溝橋事件勃発し日中戦争開戦。8月上海事変。12月南京虐殺…12歳

1938年 5月国家総動員法施行 国民の多くの権利が国家に白紙委任される事になる…13歳

1939年 5月ノモンハン事件。7月国民徴用令公布され戦時下の重要産業の労働力を確保するために,厚生大臣が強制的に人員を徴用できるようになり,国民の経済生活の自由は完全に失われた。 9月ドイツがポーランドに侵攻し第二次世界大戦勃発…14歳

1940年 7月全政党が解散し大政翼賛会に加わってファシズム体制となり近衛文麿が総裁となる…15歳

1941年 4月国民学校令により、学校教育の目的は「皇国の道に則って初等普通教育を施し、国民の基礎的錬成を行う」ことを目的とされた。7月御前会議にて海軍の主張により仏印(フランス領インドシナ)進駐と陸軍の主張により対ソ戦開戦準備の二正面作戦が国策として決定。仏印進駐により米国より経済制裁を受ける。8月内閣直属の「総力戦研究所」が戦争シュミレーションし「日米戦日本必敗」の結論を下す。9月御前会議にて対米蘭英開戦準備決定するも昭和天皇は開戦を拒否。12月真珠湾奇襲攻撃、太平洋戦争開戦…16歳

1942年 3月治安維持法改正。言論思想集会結社等の自由が一切奪われる。4月ミッドウェー海戦で日本軍大敗するが、大本営発表では伏せられる。10月無謀な作戦を実施していた日本軍がガダルカナル島で補給を断たれ大量の餓死者を出す。以後、全滅や玉砕が相次ぐ…17歳

1943年 6月学徒勤労動員が閣議決定され中学生以上が軍需産業等に従事させられる。9月イタリア降伏12月徴兵適齢が満19歳に引き下げられる。12月第1回学徒出陣。

1944年 8月国民徴用令を朝鮮人にも適用し、朝鮮人徴用労務者を本土防衛の陣地等の建設の為に朝鮮より強制的な“連行”開始。10月本土空襲激化。10月神風特別攻撃隊編成。12月徴兵適齢を満17歳以上とし、17歳未満の者も志願可とする…19歳

1945年 3月国民義勇隊編成を目的とし病人までも動員の対象とした国民勤労動員が令公布施行される。

3月10日東京大空襲。3月26日沖縄戦始まる。徴兵により膨大な兵員数となる(陸軍1931年20万人、海軍7万8000人→1945年陸軍547万人、海軍169万人)5月ドイツ降伏。7月26日ポツダム宣言として米英中より日本への降伏勧告が発表される。8月6日広島原爆投下。8月9日長崎原爆投下。不可侵条約を破りソ連対日参戦。8月14日御前会議によりポツダム宣言受託決定。終戦の詔勅。8月15日玉音放送(玉音放送中止と本土決戦を遂行の為一部青年将校によるクーデター発生し失敗する)8月16日陸海軍に停戦命令が出される…20歳

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こうやって見ていくと終戦時に20歳過ぎ頃の世代は、板挟みの世代と言えます。小学校ではサクラ読本教育を1年生時からは受けていないものの、徐々に軍国主義に洗脳されていく友人もいる一方で、多感な子供は“サクラ読本世代”との違和感がありました。疑問を抱きながらの軍事教練は苦痛だったでしょう。年下の世代が、兵隊に憧れ単純に神国日本や神風を信じているのを見るにつけて、日本の国がおかしな方向に突き進んで行くのを、思春期の鋭敏さで捉えていた子もいます。サクラ読本世代にとっては、戦争は疑いようのない正義でしたが、ハトハナ世代にとっては恣意的な正義に映りました。またもっと年上の世代の、泥沼化していく中国戦線や地獄のような南方戦線に送られた者にとっては、戦争は国民に殺人や自らが屍となる事を押し付けるものでした。しかし、サクラ読本“ネイティブ”世代は、ウソの大本営発表に沸き立ち、勇ましい正義の遂行である聖戦の勝利は約束されたものでした。

1925年生まれの方が18歳の時には、確実に次に死ぬのは自分達だと覚悟したでしょう。冷静さを失っていない者は敗戦を確信していましたが、同時に米軍の無差別爆撃という一般市民虐殺に怒りを覚え、志願して一矢報いたいという気持ちもあったでしょう。学徒出陣で同級生が戦死しても悔し涙を見せる事もできず、行き着くところまで行かない限りは、どうにもならない世の中を痛感していた事でしょう。

一方で、多くのサクラ読本世代は、勤労動員されながらも「こんなに一億火の玉で頑張っているんだから神風が吹くはずだ」と純粋に信じていました。海軍兵学校や陸軍士官学校を羨望しながら、勝つために神風特別攻撃隊に志願する者もあったでしょう。

このように戦争体験は、世代による受けた教育の違いやその体験によって色合いが異なります。都市部で食に困り空襲を受けた者、田舎で田畑を持ち空襲は伝聞でしか知らない者、身内等が出征で死んだ者、それを美化する者恨む者、従軍の武勇伝が自慢だった者、それぞれに異なる体験があります。忘れてはならないのは女性も子供も戦争に参加させられている事です。軍需工場で働かされたり、多くの看護婦が救護班として召集され戦死しています。

そして全国民を「お国のため」と動員し加害者・被害者に追い込んだ「大日本帝国」は、自らその責任を裁く事無く、1947年の新憲法成立と共に「日本国」と名前を変えました。

深い個別的体験を聞くという事

介護はコミュニケーションが大切だと言われています。そんな事は十分解っているというヘルパーさんは、実際に常日頃いっぱい利用者さんと会話をしている事でしょう。その会話の質というものも、時には考えたいものです。

先日、あるヘルパーさんより紙ふうせんだよりで取り上げて欲しいと新聞記事を渡されました。大学の准教授を辞め介護職になった民俗学者がインタビューに答えていました。

<記者>人は老いると自分の人生について語りたくなるものでしょうか。

<六車由美さん>「人の世話になるだけで生き地獄だ」と絶望の言葉を吐く方もおられます。でも聞き書きを始めると表情が生き生きしてくる。いまを生きるために心のよりどころにしておられるのは、自分が一番輝いていた時代の記憶なんです。生きていたという実感のある時代に常に意識が戻っていく。そこを思い、語ることで何とか前を向いて生きていける。

六車さんは「そうやって相手の人生の深いところまで触れられること」が「面白い」と言われます。何気ない日常の会話は生きる為の潤滑油ですが、深い個別的体験を語る機会を得るという事は、生の“輝き”になります。しかし、前述の戦争体験のような話しを伺う為には、利き手にそれなりの知識やスタンスがなければ難しい面もあります。特殊な経験に関しては知識が必要でしょう。そして聞く側の立場は、安易なコメントなど評価を下すような態度は慎み、相手を尊重する事。また、人生観や歴史を受け止め“興味深く”聞く。相手にとって大切なところに焦点をあてて「伺う」「問う」という事ではないでしょうか。介助者の興味本位での質問や誘導は、相手の語ろうとする気持ちの妨げになる事もあるかと思われます。

利用者さんの戦争体験を伺うと、認知症の方でも鮮明に憶えておられる方が多く驚きますが、若い時の記憶という理由だけではない、その記憶そのものが持つ“力”というものを感じます。自分が一番輝いていた時代とは、単純に「楽しい」とか「しあわせ」だけではなく、「困難を乗り越えていこうとする苦労」もまた含まれるのではないでしょうか。あの時の自分はどのような思いに支えられ生きたか。置かれた条件の中でいかに精一杯生き抜いたか。それらを思い出す事は、「生きる力」を再び思い出す事になるのではないでしょうか。

従軍体験を懐かしそうに語る時、それは戦場でのドンパチを懐かしむのではなく、それらを潜り抜け生き延びた時の、その時に漲っていた命の力が鮮明に蘇るからなのです。

語り継ぐ事の意味

私達が利用者さんの深い個別的体験を伺う時、体験の継承という歴史的意味がありますが、その時、実は私達の中でも、深い個別的体験が生起しています。生きる力の輝きは、ローソクの火を一つから一つに静かに移していくように伝わっていきます。あの時、こんな事があった、あんな話を聞いた…と、私達の記憶の底に留められていきます。それらは、意識の表層の揺らめく乱反射に遮られて、無かったかのように見えなくなりますが、いつか心が穏やかな水面のように静まり返った時、水底の石のように顕になってくるのです。その時私達は、誰かの受け売りの言葉ではなく自分の体験としての自分自身の言葉として、それを語る事になるでしょう。それはまた誰かのローソクに火を灯します。

語り継ぐという事は、眼には見えない命というものを、言葉として伝え記憶に変えて継承してゆく命のリレーです。私達は、誰かからのバトンを受け取り、誰かにバトンを渡してゆくのです。訪問介護という仕事は、最終走者からバトンを受け取り、自分が走る仕事です。私達もいつか最終走者になります。今日も自転車でひた走るヘルパーの皆様、どうもありがとうございます。今後ともよろしす。

 


平成26年7月 紙ふうせんだより (2014/10/21)

ヘルパーの皆様いつもありがとうございます。

すっかり気候は真夏ですね。先日お伺いしたお宅では、窓を半開きで扇風機のみの使用で、部屋に入ると汗が噴き出してきました。「外より暑いですよ。熱中症とか大丈夫ですか?」と何度も問いかけしましたが、「水分摂っているから大丈夫。外から丸見えになるから窓は大きく開けたくないの」との事でした。息子様も同居なのでそれ以上は申しませんでしたが「具合が悪くなったら事務所に電話ください。水分はしっかり取って下さい」と念を押し、退室しました。今回は、“どうして熱中症のなるのか”という問いから深めていきたいと思います。

どうして熱中症になるのか

1高齢者が熱中症になってしまうパターンはいくつか考えられます。

(例1)①頻回なトイレを気にして、②水分を摂らなかったところ、③気温が高かったが水分が少なく汗が出ず、④放熱できなくなって、熱中症になった。

(例2)①電気代を気にして、②エアコンをかけなっかたところ、③高温で汗をかいたが多湿のため汗が乾かず、④放熱できなくなって、熱中症になった。

(例3)①認知症があり熱中症予防という明確な意図を持てずに、②いつもと同じように生活したところ、③高温多湿になったが換気や水分補給をしなかったため、④放熱できなくなって、熱中症になった。

例文のなかの①~④の数字は、アリストテレスの四原因説(①目的因②始動因③質量因④形相因)に基づいて分類してみました。目的因と始動因とは、「○○とは、なぜなのか」という問いへの答えであり、質量因と形質因は「○○とは、何なのか」という問いに答えるものです。このようにあらためて分析すると、意図せざる結果として熱中症になってしまった事が解ります。

どうして病気になるのか

誰でも病気になりたいなんて思っていません。当然ですが、病気は意図せざる望まぬ結果として現れます。例えば、肝臓の数値が悪く医者からお酒を控えるように言われており、自分自身も肝臓病になりたくはないけれど、少しくらいは大丈夫だろうと、“お酒が飲みたくなって”飲んだところ、結局肝臓病になったという場合、意図せざる衝動や欲求としての“意図”(目的因)が働いていると言えます。

このように考えると、病気を予防するためには、日常の意識にのぼりがちな「トイレに頻回に行きたくない」とか「お酒を飲みたい」などの“意図”よりも強く「熱中症を予防しよう」とか「肝臓を治そう」などの“意思”を目的因にしっかり捉える必要があります。

意図せざる意図とは何か

何か事故を起こしてしまった時、誰しも事故などは望んでいません。しかし、事故の背景には「急いでいたから」とか「考え事をしていたから」などの事故を意図してはいない別の意図があり、言わば“意図せざる意図”のようなものが働いて、事故を起こしてしまったと言えます。このような漫然とした意図よりも強く事故を防ごうという「意思」を持たなければなりません。なお、意図と意思の違いについては意思(will)は「未来への希望」、意図(intention)は「ふりかえり」などと論じられ、『思いを実現させる為には意志を強く持つこと』とは一般によく言われています。さて、“意図せざる意図”について、この“意図せざる”部分が強いと、それは“無意識”(意識されない心の領域)と呼ばれます。

無意識の可能性

とある男女が別れるか別れないかで揉めていました。話し合いでの男の態度がやる気なく感じられ、女は悲しく思い「私は別れないわ」と苛立ち男を激しく罵ります。しかし男はますます冷めてきたようで、女の怒りは募ります。結局二人は別れることになり、女は悔しくて虚しくて涙にくれていきました。そしてある時気が付きます。2

「私は別れてしまったら『今まで何だったの?』って必死で別れることに抵抗していたけど、実は別れたかったんだ!!感情を高ぶらせたのは、自分の本心に気が付くため、感情を相手にぶつけたのは、相手と別れようとする“無意識な力”だったんだ!私が別れたくないと思ったのは、思い出への愛着、一人になること事のさまざまな不安、世間的な体面、自分のプライド・・・。お互いのお互いへの愛情が薄れてしまっていた事を、私は自分を振り返らずに相手のせいにしていた・・・」

このように自分の中の“見えなかった自分自身”が見えてくると、「良かった思い出は大切にとっておいた上で未来の可能性に生きよう」と、新しい気持ちが開かれてきます。

ただし、この気持ちの切り替えができた後のところだけに注目すると、無意識がとてもすばらしいものに思われますが、必ずしもそうでない事には注意が必要です。無意識が無意識でいるのには理由があります。今の自分の意識では受け入れられない事であったり、不安なものだからこそ無意識なのです。この女性にとっては、自身の無意識を受け入れるまでは、この別れ話はひょっこりと“無意識”が顔を出してしまったために思いもよらない攻撃性が爆発して、相手を責めてしまい後悔が生じた失敗談だったのです。さらに検証すれば、自分自身の無意識にある“煮え切れない態度”を相手に「投影」し、本来は自分自身を省みるべきところを相手だけの責任にしてしまった、とも言えます。そして、もし関係が決裂する前に自分自身の中にある“心の距離が生じてきている自分”“相手に愛情を表現できていない自分”のも気が付いていたら、相手を責めず話し合いによってやり直すことを決意し、強い意志を持って、相手への愛情を努力によって新しく築いていく道を選ぶ事も、困難ではあるけれど可能だったのです。

確実に言える事は、無意識の中には、自分にとっての未知の可能性があり、良し悪しや自分の思惑とは別であるけれど、今の自分を変えていくエネルギーが潜在しているという事です。意識とは「既知の自分」であるならば無意識は「未知の自分」なのです。

無意識が問いかけてくること

老いという人生の“山路”を登っておられる利用者さんの中には、自分でもどうした良いか解らずに混乱しながら、無自覚的に周囲を振り回してしまう方がいます。このような方の圧力が高まってしまった背景には、自覚している意識のみを自分の心だと思い、それ以外を置き去りにしてきてしまったのかもしれません。夏目漱石『枕草』風に言えば“知っている自分”のみで働けば人間関係に角が立ってくる。そうやって自分の知らない自分が増えて行った時に、安易に“無意識”に棹を差せば流されてしまう。そこで意地を張ってしまうと自分自身が窮屈になってくる。と言えるのではないでしょうか?

そうならない為には、病気や事故が自分自身に投げかけてくる問いに、常日頃から耳を傾けていく必要があるかもしれません。しかし、中途半端に無意識と向き合おうとすると飲み込まれてしまう恐れもあり、そこは強い意志を持って臨まなければなりません。無意識の努力によって少しずつ意識化していく事は、自身の可能性を主体的に拡げていく自己実現の道といえるでしょう。それは、自分の人生に流される生き方ではなく、自分の人生の流れに乗り、自分から人生に意味を与えていく生き方となるでしょう。

介護者に問いかけられているもの

私たちはクオリティ・オブ・ライフ(QOL)という“生活の質”が、どうやったら向上できるかという問いをもって利用者さんと向き合います。その時、老いと向き合っている利用者さんの方は、「“人生の質”とは何だったのか」という問いの前に立っています。

人生には、“意図せぬ意図”ですら微塵も見当たらない病気や事故や事件などから、絶望的な状況に立たされることがあります。ナチス強制収容所に収容されながら生き延びたオーストリアの心理学者V・E・フランクル(代表作は強制収容所体験を綴った『夜と霧』)は、著書『それでも人生にイエスと言う』(春秋社刊)で、以下のように語っています。3

「生きる意味があるか」と問うのは、はじめから誤っているのです。生きる意味を問うてはならないのです。人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからです。私たちは問われている存在なのです。私たちは、人生がたえずそのときに出す問い、「人生の問い」に答えなければならない存在なのです。私たちは、ご利用者さんの前に立った時、「この人は、どうしてこのようになってしまったんだろう」という問いを抱く時があります。しかし、問われているのは私たち自身ではないかと思うのです。「私はこのように生きた。これが私の人生だ・・・(私を見てあなたはどのように生きる?」という無言の問いかけを利用者さんは発しているのです。その問いに一生かけて答えていく事が、本当の意味で“命”と向き合うという事ではないでしょうか。

 


平成26年6月 紙ふうせんだより  (2014/10/20)

ヘルパーの皆様いつもありがとうございます。梅雨に入ったと思ったら豪雨続き参りましたね。雨天の訪問は冷たいし蒸れるし、カッパを着替えなきゃならないし・・・と憂鬱です。ロゴ

先日、5歳の子供に、「雨はお父さんは好きじゃないみたいだけど、植物やカエルは雨が降るとうれしんだよ」と言われてしまいました「すごいね!よくわかってるね。どうして知ってるの?」と娘を褒めながら質問して気が付きました。忘れてましたが「雨も無駄ではなく大切なものだ」、私は娘に教えていたのです。朝雨が降っていると、知らず知らずに嫌そうな言動をしている私の姿を見ていたのでしょう。

それにしても皆様には、本当に頭が下がります。雨天の自転車はブレーキのききも甘く視界も悪いで(自動車も同様です)、くれぐれもご注意ください。事故予防には余裕を持った移動をお願いします。

無駄と感じること

雨もそうですが、私達はどうしても「無駄」と感じることを嫌う傾向があります。時間の無駄や労力の無駄、お金の無駄は、人生の無駄とさえ思えてきてしまいます。そのような背景には、経済的効率が重視される社会状況があると思われます。その影響を強く受けておられるご様子のある利用者さんは、「お金が儲かったり俳句を詠んだり絵を描いたり、何か得することや目的でもあればいいんだけど、何も無い旅行なんて意味がないだろ。俺はそんな旅行はションベン旅行だ!って言ってんだ」と、一度も旅行に連れてって貰えなかった奥様を尻目に豪語されていました。奥様のご主人と異なる胸中をお察しします。ご主人の趣味は株取引で、いつも衛星放送の株価情報の番組を付けっぱなしにされていました。

このような方は極端ですが、何を無駄と感じるかは実は個人個人の価値観によって異なってきます。他人からは無駄と思えるような儀式めいた作業が、本人にとっては重要であるような事はよく見られます。介護の現場でも、一方的な価値観だけでは新たな創造性は開花しないという事を再確認しておきましょう。

“役に立たないもの”の活躍

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民話では、一見役に立たないと思われる存在が活躍を得るという話がたくさんあります。

『長靴をはいた猫』では、貧乏な粉ひきが亡くなり、長男は粉ひき小屋、次男はロバを貰いました。末の弟は猫を貰って「猫を食べてしまったら、後は何もなくなってしまう」と嘆いていると、猫が「心配要りませんよ。まず、私に長靴と袋をください。そうすれば、あなたが貰ったものが、そんなに悪いもんではないことが近いうちにわかります」と応え、その後大活躍します。

日本では『三年寝太郎』という、三年間眠り続けた怠け者の男が突然起きだして、灌漑事業を行い飢饉から村を救うという話が日本各地に伝わっています。また『わらしべ長者』では、貧乏な男が石につまずいて転び、偶然1本の藁しべに手が触れ、それを持って歩いているうちに物々交換でいつの間に長者になるという民話もあります。

民話には庶民の夢が描かれており、貧しいものが富などを得るという展開は、庶民の願望そのものです。そこに知恵を読み取るならば、無価値と思えるものの価値に気が付いた者が成功を収めるという、寓話的な教訓でしょう。

無用の用

中国『老荘の思想』でも「無用の用」という言葉で、無価値なものの価値が語られています。『荘子』では「人はみな有用な用を知るも、無用な用を知るなきなり」と述べ、多くの人は、無用に見えるものが人生において真に役立つものだとは知らないと言っています。securedownload

また『老子』では、次のような問答があります。

「人が実際に使っているのは足の踏む大きさしかない。だからといって足の大きさだけを残して周囲を黄泉の国まで掘ってしまったらどうだろう。それでもその土地は有用と言えるだろうか。それでは何の役位にも立たない。」

これは、無用なものこそが有用なものの価値を支えているという、逆転の発想でもあります。物事に正と反、陰と陽というような両義的な意味を見出しつつ、その意味は時として逆転し、お互いに補い合いながら発展するという世界観です。

一見無用と思われる老いや病や認知症などが、周囲や本人にとっての、どんな価値を支えているのかというような事を考えてみると、介護観にも人生観にも深みが出てきます。

ところで、『老子』の本当の性は「李」といわれています(子は尊称)。そして「老」は立派もしくは古いことです。近頃は、“老”という字に良くないイメージがつきまとっていますが、本来の字義は決してそんな事はないのです。もちろん、“古い”事自体も価値のある事として考えられていました。

臨床心理学を日本で確立させた河合隼雄は、著作のなかで、青年や壮年がこちらの世界で忙しくしていることに対して、老人はもうすぐあちらに行くことになっている者として、その周囲への関わりが魂を導く“導者”としての役割を担ってくることを指摘しています。securedownload

私の目の前の利用者さんが、私を一体どこへ導いてくれるのでしょうか。また自分にとっての飼い“猫”や自分の中の“寝太郎”や偶然つかんだ“藁しべ”とは一体何なのか、と考えてみるのも価値があるかもしれません。

出会いの全てを無駄と感じる事無く楽しむことができれば、こんなに面白い人生はないでしょう。

 


「知って安心認知症」東京都リーフレット (2014/06/24)

東京都が認知症に関するリーフレットを作成しました。わかりやすく書かれています。

パンフレット「知って安心 認知症 認知症の人にやさしい東京都認知症リーフレットまち 東京を目指して」

特に⑥の「気持ち」は想像力を働かせて理解したいところです。

認知症の方に、「どうして忘れちゃったの?」「なんでわからないの?」などの声掛けは、本人を余計に混乱させて、不安にさせることもあるからです。

⑤の自己診断もしてみるとよいでしょう。

 

≪目次≫

①認知症は誰でもかかる可能性のある身近な病気です

②認知症とは?

③認知症の予防につながる習慣

④認知症に早く気づくことが大事!

⑤「自分でできる認知症の気づきチェックリスト」をやってみましょう!

⑥認知症になるとどのように感じるの?

⑦認知症の人を支えるために

⑧こんな時はどこに相談したらいいの?

 


平成26年5月 紙ふうせんだより (2014/06/16)

ヘルパーの皆様いつもありがとうございます。5月3日は憲法記念日です。

これから引用する文は、著作兼発行者「文部省」として発行した日本国政府による公式の「新憲法」解説で、学校生徒児童を主対象に広く配布されたものです。利用者さんの中には、学校の授業でこれを学んだ経験のある方もいるでしょう。長文ですが読んで下さい。

 

~あたらしい憲法のはなし~

 みなさん、あたらしい憲法ができました。そうして昭和二十二年五月三日から、私たち日本國民は、この憲法を守ってゆくことになりました。このあたらしい憲法をこしらえるために、たくさんの人々が、たいへん苦心をなさいました。ところでみなさんは、憲法というものはどんなものかごぞんじですか。じぶんの身にかゝわりのないことのようにおもっている人はないでしょうか。もしそうならば、それは大きなまちがいです。atarasikenpo2[1]

 (中略)もしみなさんの家の柱がなくなったとしたらどうでしょう。家はたちまちたおれてしまうでしょう。いま國を家にたとえると、ちょうど柱にあたるものが憲法です。もし憲法がなければ、國の中におゝぜいの人がいても、どうして國を治めてゆくかということがわかりません。それでどこの國でも、憲法をいちばん大事な規則として、これをたいせつに守ってゆくのです。國でいちばん大事な規則は、いいかえれば、いちばん高い位にある規則ですから、これを國の「最高法規」というのです。

 ところがこの憲法には、いまおはなししたように、國の仕事のやりかたのほかに、もう一つ大事なことが書いてあるのです。それは國民の権利のことです。

 (中略)みなさんは日本國民のうちのひとりです。國民のひとりひとりが、かしこくなり、強くならなければ、國民ぜんたいがかしこく、また、強くなれません。國の力のもとは、ひとりひとりの國民にあります。そこで國は、この國民のひとりひとりの力をはっきりとみとめて、しっかりと守ってゆくのです。そのために、國民のひとりひとりに、いろいろ大事な権利があることを、憲法できめているのです。この國民の大事な権利のことを「基本的人権」というのです。これも憲法の中に書いてあるのです。

  (中略)このほかにまた憲法は、その必要により、いろいろのことをきめることがあります。こんどの憲法にも、あとでおはなしするように、これからは戦争をけっしてしないという、たいせつなことがきめられています。

 これまであった憲法は、明治二十二年(1889)にできたもので、これは明治天皇がおつくりになって、國民にあたえられたものです。しかし、こんどのあたらしい憲法は、日本國民がじぶんでつくったもので、日本國民ぜんたいの意見で、自由につくられたものであります。この國民ぜんたいの意見を知るために、昭和二十一年四月十日に総選挙が行われ、あたらしい國民の代表がえらばれて、その人々がこの憲法をつくったのです。それで、あたらしい憲法は、國民ぜんたいでつくったということになるのです。

 みなさんも日本國民のひとりです。そうすれば、この憲法は、みなさんのつくったものです。みなさんは、じぶんでつくったものを、大事になさるでしょう。こんどの憲法は、みなさんをふくめた國民ぜんたいのつくったものであり、國でいちばん大事な規則であるとするならば、みなさんは、國民のひとりとして、しっかりとこの憲法を守ってゆかなければなりません。そのためには、まずこの憲法に、どういうことが書いてあるかを、はっきりと知らなければなりません。
(中略)こんどの憲法は、第一條から第百三條まであります。そうしてそのほかに、前書が、いちばんはじめにつけてあります。これを「前文」といいます。 atarasikenpo14[1]
この前文には、だれがこの憲法をつくったかということや、どんな考えでこの憲法の規則ができているかということなどが記されています。この前文というものは、二つのはたらきをするのです。その一つは、みなさんが憲法をよんで、その意味を知ろうとするときに、手びきになることです。つまりこんどの憲法は、この前文に記されたような考えからできたものですから、前文にある考えと、ちがったふうに考えてはならないということです。もう一つのはたらきは、これからさき、この憲法をかえるときに、この前文に記された考え方と、ちがうようなかえかたをしてはならないということです。

   それなら、この前文の考えというのはなんでしょう。いちばん大事な考えが三つあります。それは、「民主主義」と「國際平和主義」と「主権在民主義」です。「主義」という言葉をつかうと、なんだかむずかしくきこえますけれども、少しもむずかしく考えることはありません。主義というのは、正しいと思う、もののやりかたのことです。それでみなさんは、この三つのことを知らなければなりません。(引用終了)

法治国家では、政策などは全て法律に基づいています。その法律は憲法に基づいています。訪問介護サービスも、介護保険法に基づいています。私達のサービスが、介護保険法に基づいているかどうかの根拠(エビデンス)は、居宅サービス計画書や訪問介護計画書になります。だからこの2つの書類がないと、介護保険の根拠が無くなるので、絶対に不可欠の書類なのです。では、皆さんに質問です。利用者さんが体調不良な様子で、訪問介護計画に無い内容のサービスを依頼してきたが、計画に無いので断った。この対応は○か×か?

答えは×です。体調不良な状態で対応しないのは憲法で定める「基本的人権」に反する恐れがあるのです。このような時は、お手数でも一度事業所にお電話下さい。例えば施設等でありがちですが、嫌がる利用者を無理やり介護手順どうりに“援助”したというような時も、高齢者虐待防止法を持ち出す以前に基本的人権の尊重に反する事になるのです。このように憲法とは法律よりも上位にあり、法律の根拠になるものが憲法です。
さて、ジブリ映画の「風立ちぬ」を彷彿とさせる利用者さんが居ました。その方は東大航空原動機研出身で、戦時中はB29よりも上空を飛べるジェットエンジンの開発をされていました。B29は高度9,000メートルを飛翔でき、日本の戦闘機はその高度に到達できないので、されるがままに日本は空襲を受けていました。新型戦闘機は完成せず、その方は日本の女性や子供の命を救おうと特攻作戦に志願し、昭和20年9月に出撃予定でしたが敗戦で生き残り、昨年90歳で天寿を全うされました。

その方の奥様は学習院出身でフルブライト留学をされた方ですが、先日「アメリカの押し付け憲法だなんて言っている人がいるけど、あれは日本人が苦労して作ったんです。私の父の知り合いの高野さんや鈴木さんなど何人もの人が、憲法草案に携わっています」とおっしゃっていました。この頃、官民で多くの憲法草案が研究・発表されており、高野岩三郎(元東大学経済学部教授)によって民間の立場からの憲法制定の準備・研究を目的として結成された「憲法研究会」の草案が、GHQ憲法草案の原型となった事は有名な話です。

このような話を聞ける事も介護の楽しみの一つですね。
憲法は最高法規ですから、憲法の精神に反する“解釈”が「閣議決定」という国民の判断を経ない独断で決定される事などは、民主主義に反し違憲であると付言しておきましょう。私達も、介護手順を見て利用者さんを見ないような本末転倒や、介護保険法を重視して憲法の基本的人権をおろそかにすることのないようにしていきたいものです。
最近、日本の一主婦の申請により、日本国憲法第9条はノーベル平和賞にノミネートされました。受賞候補者は日本国民だそうです。思えば先の大戦では日本国民は大変な苦労と犠牲を強いられました。大日本帝国憲法では国民を「臣民」と呼び、「君主の従属者」(家来)としていました。国家(天皇)の決めた事に反対するには、死ぬような覚悟を持たないとできませんでしたし、事実多くの反戦平和主義者が特高警察の拷問にかけられて亡くなっています。また、戦死や戦災死の数は日本だけでも300万人を超すと言われています。そのような血の犠牲があったからこそ成立した新憲法だと考えると、その重みは日本民族の命の重みそのものだと思われてきます。

現代社会は、“命”との深いふれあいが薄れつつあるように思われます。そのような時、介護の仕事を通じて感じられる一人一人の存在の重さを噛みしめて、身近な誰かに伝えていく事も大切だと思います。

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(参考資料)新しい憲法のはなし 文部省著作兼発行昭和二十二年(1947)八月二日
六 戦争の放棄

 みなさんの中には、こんどの戦争に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戦争はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戦争をして、日本の國はどんな利益があったでしょうか。何もありません。たゞ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。戦争は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戦争をしかけた國には、大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戦争(筆者注 第一次世界大戦)のあとでも、もう戦争は二度とやるまいと、多くの國々ではいろいろ考えましたが、またこんな大戦争をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。atarasikenpo7[1]

 そこでこんどの憲法では、日本の國が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。

 もう一つは、よその國と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの國をほろぼすようなはめになるからです。また、戦争とまでゆかずとも、國の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戦争の放棄というのです。そうしてよその國となかよくして、世界中の國が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の國は、さかえてゆけるのです。

 みなさん、あのおそろしい戦争が、二度とおこらないように、また戦争を二度とおこさないようにいたしましょう。
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戦争の悲惨さは、利用者の皆様は、言葉少なくしか語ってはくれません。

 一つは思い出したくない事であったりするからです。例えばある男性利用者は、中国に出征中に長男が病死してしまい、戦時中の事は話したくない話題となっていました。もう一つは、若い世代が、戦時中の事をあまりに知らなすぎるので、語るだけ悲しくなるからです。時代は変わってしまったんだなあ…と人知れず思われるのです。

こんなに悔しい事は無い、と私は思います。(文責:佐々木伸孝)


平成26年4月 紙ふうせんだより (2014/05/13)

ヘルパーの皆様いつもありがとうございます。

五月の風は心地良いですね。花が揺れ心も軽くなります。でも新学期・新年度での新人さんには、“五月病”なんて言葉もあり、ここらあたりが正念場です。
 
新しい環境や状況に慣れていくために、最も気を使うのが新しい人間関係です。どんな人でも思うのは、「自分を受け入れてもらいたい」という事です。その為に人がとる態度は大きく分けて2つあります。「自分を抑えて周囲に合わせる」か「自分を周囲にアピールして理解してもらう」のどちらかです。しかしそれらの態度の偏りが強いと、後々大変になってしまいます。前者は、自分を抑えすぎて耐えかねて暴発という事もありうるし、自分を殺しきってしまうと自分で自分を見下してしまったりします。後者は、過剰にアピールしすぎて周囲から反感を買い孤立したり、旺盛なサービス精神や過大な自己PRに自分自身がついて行けなくなり疲れ果ててしまうという事もあります。
 

個人と周囲との関係について、2つの態度があると分析心理学の創設者のユングは「タイプ論」で示しています。「内向的」態度の人間の興味の対象は“自分の気持ち”であり、周囲との関わりが確立していない状態では、自分の気持ちを守るために概して消極的になるようです。周囲からの理解は低いのですが本人は気にしていません。自己評価は、自分で自分の生き方を守れているかにあり、どちらかというと高く、マイペースで頑固ではあるが他人に振り回されないので(但し他人に対する配慮に欠ける)打たれ強い面も持っています。一方で、「外向的」態度の人間は、興味の対象は“周囲の人”や物にあり、流行に敏感で、新しい環境では自分を積極的に売り込みます。自己評価は、自分が周囲の人から“価値がある”と思ってもらえているかにあり、実際に仕事など周囲との関わり合いは積極的です。しかし、外面を良くするあまりに無自覚なストレスを内に抱え込み、他人に対する過剰配慮から自分の本当の気持ちがわからなくなってしまったり、他者から低い評価を突き付けられて落ち込んでしまったりします。
 

現代社会では、何事も積極性が尊ばれるので外向的な人が増えているように思われますが、その弊害として、内向的な子供が外向的になるように矯正され自信を失い自己評価を自分で最低にしてしまったり、外向性ばかりを発展させてしまい燃え尽きてしまったり、周囲からの評価ばかりを気にして自分の中は虚ろであるような人が見受けられます。
 

さて、人間関係のトラブルが起きた時の自己防衛の一番最後の手段は“関係を断つ”事です。友人であれば絶交であり会社であれば退職です。このようにならないためには、どうしたらよいのでしょうか。一つは、自分の態度の癖を知る事であり、態度の偏りを修正していく事です。また、同時に異なる態度の人間からは、物事の見え方が全然違うという事も知っておいた方がよいでしょう。内向的な人間から外向的な人間がどう見えるかと言えば、せわしなくて騒がしくて軽くて薄っぺらで自分を持っていないと映りますし、その逆は、のろまでノリが悪く暗くて付き合いが悪くて理解不能で配慮不足で自分勝手と映ります。

人間関係のトラブルの要因の一つは、内向性と外向性の相互の無理解にあるとも言えます。同じ毛色を持つ者同士はお互いの理解が早く楽な関係ではあるが、そればかりを求めていると、自分の中に潜在している異なる側面の開発を置き去りにしてしまいます。“関係を断つ”という事は、自分自身の可能性を殺す事でもあります。ユングは、物事が偏った方向ばかりに進むと、それを補うかたちでの反動という“補償作用”という働き(無意識だったり出会いであったり事件だったり)が現れると言っています。どうしても反発したくなる人や出来事に遭遇した場合には、それが自分自身にとっての「補償」になるのではないかと考えてみる事も大切です。“相性”の問題を簡単に片づけてしまうと損をするのは自分自身なのです。
 

これらは、対人援助でも言える事です。対人援助で一番避けなければならない事は、援助関係を断つ事にあります。クライアントの希望だからといって援助関係を断ってしまうと、クライアントはその場は気持ちが楽になりますが、偏った心の在り方を拡げていく機会の喪失になるばかりか、クライアントに内在する元来の問題から目を背ける事にもなりかねません。そして、援助関係の後退は自身の失敗体験となり、クライアントの心のバランスをさらに悪くしてしまう場合もあるのです。
 

そもそも、人間関係のトラブルが発生するのは状況に変化があったからであり、変化への対応(適応)としてトラブルが発生するものと考えられます。トラブルは新しい状況に慣れていく過程であるし、その過程を通じて自分自身の人間的成長やより良いコミュニケーションを再構築するために必要な事だと肯定的に捉えていけば、トラブルの発生は恐れる事ではありません。むしろ、常に起こりうる事だと覚悟していくなかで、ぶれない対人援助ができるのです。援助者がぶれない事によって、ふらつきのあるクライアントを安定させる事ができるのです。
 

ヘルパーの皆様は、利用者さんから過大な期待を背負わされたり、やり場のない怒りのはけ口になったりと、いつもご苦労されていますね。本人の周囲を含めた全体状況の不備や不満への、矛先としてヘルパーさんが標的になってしまうのもしばしばです。そんなヘルパーの皆様を支えていく事が事業所の重大な使命と考えていますので、困った事があったら何でも相談しにきてください。本当にいつもありがとうございます。


平成26年3月 紙ふうせんだより (2014/04/23)

     ひかる

     わたしは だんだん

     わからないことが多くなる

 

     わからないことばかりになり

     さらに わからなくなり

     ついに

     ひかる とは これか と

     はじめてのように 知る

 

     花は

     こんなに ひかるのか と

     思う

 

これは、童話作家・工藤直子の『てつがくのライオン』からの引用です。

この児童文学の詩を、成長過程での子供の心という風に読んでいくと興味深い。例えば子供が学校で「昆虫の脚は6本です」と学んだとしよう。“勉強”のできる子は「6本ね」と暗記して、次の新しい知識を覚えるのに忙しい。しかし、勉強のできない子は、「なんで6本なんだろう」とか「人間は2本足なんだけどどうして違うの?」とか「6本もあるとどうやって動かしているんだろう、大変そうだ」とかいろいろ考えていく。「ムカデは何本なんですか?」なんて質問しようもんなら「今はムカデの話なんかしていません」と怒られてしまう。膨らんだいろいろな謎に、頭がいっぱいになって先生の言葉が耳に入らなくなる。「どうしていろんな生き物がいるんだろう」とか「なんで生きているんだろう」など、どんどんわからなくなってくる。考えれば考えるほど、どんどんわからなくなって、今度は親に質問すると、変な子だと思われてしまったりする。

 

しかし大人は子供のようには考えない。知識を増やす事は“わかる”という事だと考えている。だから、大人は子供よりも世の中の事を解っていると、大人は思っている。子供を育てる事は、“正しい知識”を教え込む事だと信じて疑わない大人もいる。

 

しかたがないので子供は大人に聞くのをやめてしまう。「このお花なあに?」と聞いても、名前は教えてくれるけど、どうしてお花はお花なのかは、大人は誰も教えてくれないから。だから、一人心の中で子供は花とお話しをする。なんで咲いているの?どうしてお花なの?なおも花を見ているうちに、ぱっと気が付く。「花はひかっているんだ。ひかりたいんだ!」それは自分だけが見つけたないしょの答えだ。子供は自分だけの秘密を胸に、その眼を輝かせる。自分の心の中に秘密の花が咲いている間は、自分は頑張れると思う。自分も花のようにひかりたいと思う。そして思う。成長すると、きっと、もっともっとわからない事が増えるんだな。簡単に解ったふりをしてしまっては面白くないな。と。

 

ところで、「ひかる」を認知症高齢者の詩として読んでみるとどうだろう。これも素晴らしく面白い。

 

認知症になると、大脳新皮質(合理的で分析的な思考や、言語機能をつかさどる)は、委縮してゆくが、大脳辺縁系(情動の表出、食欲、性欲、睡眠欲、などの本能や喜怒哀楽などの情緒をつかさどっている)は比較的保たれていると言われている。

 

「ひかる」では、今まで何度も見てきた花を今初めてのように“ひかる”と感じて驚いた上に、“ひかる”という言葉は知っていたけど、本当の“ひかる”はこんな事だったんだとさらに発見し感嘆して花を見ている。どうしてこのような発見ができたのかと言えば、「わからないことが多く」なったからである。これは、言語的思考での“知る”は単なる知識的理解に過ぎないが、言語的思考を離れたところに本当の“知る”が立ち現われてくる事を表している。この瞬間、未来も過去も刹那に収まり、全ての不安が霧のように去り、全てが手に取れるような輝きを放ち、透明な心に沁み込み満ちてゆく。

 

     みえる

     ナスもトマトも机もペンも

     みな元気でやっているような

     朝がある

 

     風景が透きとおり

     ナスやトマトや机やペンが

     見えすぎる朝である

 

     みえすぎて

     驚いてとびのく朝である

 

     ものたちはおそらく太古から

     わたしは ひょっとして今まで

     目を閉じつつけていたのではなかろうか

     と思われる朝である

 

 

この詩も同じ著作からの引用だ。

「ひかる」や「みえる」のように、存在の本質に触れるような感触を得た時、人は、自分自身が永遠の中に位置づけられるような、深い安定した気持ちを得る。存在の根源に迫ろうとする時、言語的思考はかえって妨げになる。禅が「無念夢想」を強調するのはそのためだ。言語的思考の束縛から解放され、わからないことが多くなる認知症も、決して悪くないと言っても良いのではないか、と思われる春である。

 

桜の花はどんな風に咲いているのだろう。風にそよぐ様はどうだろう。花びらの形はどんなだったろう。ミツバチは来るだろうか。雀も来るだろうか。蝶は飛んでいるだろうか。

幹のごつごつした風格は何だろう。そんな事を考えながら、でも頭を働かせる事は辞めて、心を働かせよう。ただ、感じる事に集中しよう。頭の声よりも、もっともっと小さい心の声が聞こえてきたら、今度は花の声も聴いてみよう。花の声が聞こえてきたら、花の魂は見えるだろうか。でも、形に捕らわれていたら、本当の姿は見えてこないのかもしれない。心を空っぽにしてただ花を見て、ただそこに居ることを感じていく。私の体に風が吹き込んだ時、風に吹かれて揺れている、何かひかっているのものが見えてくるかもしれません。


平成26年2月 紙ふうせんだより (2014/04/23)

まもなく3月11日です。3年という節目です。今、紙ふうせんにおられるヘルパーの皆様は、3年前もヘルパーをされていました。今、皆様が社会情勢の変化や体のガタにもひるむ事なく、ヘルパーを継続されている事は、とても素晴らしく立派です。皆様はこの3年間はどんな想いを越えてこられたでしょうか。

 

私は、あの日とその後に報道され続ける惨状に「これで日本が変らなかったらウソだ。どれだけ多くの人が生の営みを強引に絶たれたり、改変を余儀なくされたのにもかかわらず自分がのうのうと生き、その後の自分は“何も変わらなかった”では済まされない。自分自身も変わらなかったらウソだ」と思ってきました。「変わる」と言えば、かつては原発推進論者であった事を問われた小泉元総理が、「人間は変わるものです」と言っていましたね。

 

私達が関わっている要介護高齢者や認知症の方々なども、人生の変化を余儀なくされています。彼らは、時に変化を拒み悪あがきし、私達もそれに振り回されます。私達は、時に俳優となりピエロとなり、歯噛みしながら踊らされたり空回りしながら、彼らの生き抜いてきた城であり舞台である自宅にあがり、人生劇場の重要な登場人物となっていくのです。

 

それらをちょっと遠くから眺めてみましょう。設定はカンフー映画としましょう。ある若者が強くなりたくて、仙人のような(半分死にかけたような)老師の元へ、弟子入りを志願します。はじめは相手にされませんが、どうやら日々老師の元へ通う事は構わないようです。しかし老師は若者を小馬鹿にし、からかい嘲ります。若者はムキになって老師を追いかけますが、したたかな老師はなかなか捕まえられません。こんな事では修行にならないし、何も始まっていないと若者が思っているうちに、いつの間にか若者は強くなっていました。振り回され追いかけるうちに、若者は成長していたのです。このようなイメージが湧き上がってくるような出会いがあります。世の仕事は多かれど、他人の人生に参加させて貰えるような仕事はなかなかありません。人生の変化に私達も参加させて貰っているうちに、いつの間にか私達の心の奥底でも、変化は起こっているのです。(オチとして、実は老師はただ戯れていただけだったり、本当に呆けていただけなのかもしれませんがね。)

 

変わるという事は、二つに分けて考える事ができます。一つは、立ち位置が変化するとか移動するとか、見た目が変わるなどの水平軸の変化です。もう一つは、自分の今いる場所や環境や状況は変わらないけれど、目に見えにくいものではあるが、心が深まったというような、垂直軸の変化であり、これは深化とも呼べます。どちらが重要かといえば、垂直軸の変化でしょう。見た目は変わらないしょぼくれたままの自分ではあるが、あの日あの時から心の中に赤々とした火が燃えているという経験は、困難を乗り越えていこうとする心に起こるものです。そのような時には、周囲の景色も今までと違ったものとして瞳に映ります。

 

私達の舞台は世界ではないし金メダルも貰えませんが、人の心を舞台として最高の自分をめざして、日々自分自身を深めてまいりましょう。


平成26年1月 紙ふうせんだより (2014/04/23)

遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます!本年が皆様にとって良い年になるように、お祈り申し上げます。

 

風は未だに冷たいですが、陽ざしは温かくなってきています。ホトケノザが小さなピンクの花をゆすって愛嬌を振りまいています。実はこの草は、緑が枯れてゆく秋にひっそりと芽吹き冬を越し、他の草に先駆けて今花を咲かせるのです。いつの間にか繰り返される命の営みは、何かの指示や目標があるのでなく、ただ命の中に内在する力を自然に存分に発揮した結果なのです。ホトケノザは他の草花が咲き競う頃、種を残し枯れていきます。

 

一方、飽きずに繰り返される一年一年にどんな意味があるのだろう、と“意味”を考えてしまうのが人間です。「一年の計は元旦にあり」と、今年の目標などを書初めしてみたりするのです。その向上心が人類文明を発展させた事は言うまでもないのですが、いちはやく“意味”を掴もうとするあまりに、近視眼的になってしまう事もあります。

 

1月28日の研修では、「利用者さんと介護者の立場」や認知症の「竹内三分類」などの資料をもとに、私達の心の奥底では要介護高齢者や認知症の方に対してどのように“理解”しているのかについて話合いました。そのなかで、「人は生きたように死んでいくのよ」との意見が出ました。あえて「では、“痛いよ~苦しいよ~”と訴える方がいたら、この方は一体どんな生き方をしたんだろうと、否定的に考えてしまう事はありませんか?」と問いました。すると「みんな本当はいい人なのよ」と返ってきました。別の方も「どんな方にも、良い所を見つけていかないとやっていけないですよね」と言っていました。それらの意見には、“命”と命の営みから生じるさまざまな出来事、つまり“生老病死”全てを肯定しようとする視座がありました。

 

「目標を設定し、合理的に実行し、到達度を検証し、再度目標を立てる」というサイクルが成長の方程式であるという“思想”は介護保険制度にも採用されていますが、この思想は目標達成に対する阻害要因が現れると、それを不条理なものとして心情的に排除したくなる側面を持っています。西洋近代文明はこの思想によって爆発的に発展しましが、その代償として、“成長神話”を阻害するものとしての「老い」や「死」を、忌まわしいものと感じるようになりました。命の営みの半分を切り捨てるような思想は、“命”の本来の姿を見失い、かえって、心の病というような“不条理さ”を個人に押し付けるようになりました。

 

時々、「老いて衰えていくのを見ているのはつらい」との声が聴かれる事があります。しかし私達は、介護の経験から学んだ事、命の営みの全てを肯定する視座こそが本来“自然”なものであるという事を、このような時代だからこそ、語る価値があるのではないでしょうか。

 

もとより、ものごとの本当の“意味”とは、人間の知恵では把握しきれないものなのです。

だからこそ、どんな事でも肯定的に見ようとする視点が必要あると共に、それにとらわれないおおらかさが肝心なのです。

 

 

介護のヒントになるかもしれない『言葉』

 

『塞翁が馬』(さいおうがうま)

むかしむかし、国境の塞(とりで)の側に住むおじいさんがおりました。ある日おじいさんの飼っている馬が逃げていってしまい、村の人は「残念でしたね」とおじいさんに言いました。しかしおじいさんは「いやいや、これが福となるかもしれん」と言いました。

すると、逃げた馬が、別の立派な馬を連れて戻ってきました。村の人が「よかったですね」と言うと、おじいさんは「いやいや、これが禍になるかもしれん」と言いました。その後、おじいさんの息子が、立派な馬に乗っていると馬から落ちて足の骨を折ってしまいました。村の人が「大変でしたね」と言うと、おじいさんは「いやいや、これが福となるかもしれん」と言いました。

やがて隣の国と戦争が起こりました。村の若者は皆、兵隊として戦争に行かなくてはならなくなりましたが、おじいさんの息子は、足がまだ治ってなかった為に、戦争に行かずにすみました。そして村の若者の十人のうち九人は死んでしまうという有り様でしたが、おじいさんの息子は、助かりました。

福は禍となり、禍は福となるという変化は深淵で、見極める事はできないのである。

 

(解説)私達は、何か事は起こるとすぐに「良かった」とか「悪かった」とか決めてしまいがちですが、人生の禍福の本当の意味は簡単にわかるものではなく、それらに一喜一憂しない心が大切である。

人間(じんかん)万事塞翁が馬、人生万事塞翁が馬とも言う。

 

 


平成25年12月 紙ふうせんだより (2013/12/26)

皆様、いつも有難うございます!今年1年間、本当に有難うございました。皆様が、変わらぬ笑顔で訪問する事が、どれほど多くの方の励みとなっている事でしょう。1週間ごとのヘルパーさんの来訪を心待ちし、気が付けば1年が過ぎ、新年を迎えられるようになった…「また来年も来てね」との言葉には、積み重ねた時の重みが詰まっています。

 

新年を迎えるという事を、90年生きた人生の「90分の1」と捉えれば、大した事無いという受け止め方になります。しかし自分があと何年生きて「その何年か分の1」と捉えると、とても貴重な事です。「最後の正月かもしれないわね…」との言葉に、つい「そんな事ないですよ~お元気じゃないですか!」と答えてしまいがちですが、本人からしてみれば、現在の一つ一つの出来事の重みを噛みしめての言葉かもしれません。

 

 『一期一会』という千利休を源とする言葉は、「あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう」との意味です。このような精神性は、日本人に根強いものです。それは同時に、死に対する覚悟を伴います。鎌倉末期の随筆『徒然草』には、「我等が生死の到来、ただ今にもやあらん」とありますし、作家・宮本輝は「いつでも死んでみせるという覚悟を持って、うんと長生きをするのだ」と『命の器』で述べています。

 

新年とは、冬が終わり新しい春が訪れるという事です。また、暦が新しくなるという事でもあります。暦の始まりは、ナイル川の氾濫の周期性に気が付いた古代エジプトと言われていますが、以来暦は、未来を予見できるものとして考えられ、占星術や易などに深い影響を与えます。暦が新しくなる事は、運も新しくなると信じられてきました。そこには“死と再生”という象徴的な意味が込められています。お正月を祝うという事は、いわば“古い自分が死んで新しい自分が蘇る”事を、促す儀式とも言えます。

 

私達は、あとどれくらいの正月を迎える事が出来るでしょうか。今、まさに死ぬかもしれないと覚悟して、この一瞬一瞬を充実させていく事が、“生”を輝かせていく生き方となります。生と死は、その根源において一体不二のものなのです。もし、「心残りの死」というものがあるとすれば、自身の予期せぬ死に直面した時、それは、事故や災害などあらゆるところに潜んでいるのですが、心に何の準備も無かった悔しさではないでしょうか。

 

私達は、介護過程を通じて、利用者様の「死」への心の準備に立ち会います。私達も、「死」への覚悟を持ちつつ、今このサービスの一瞬に、笑顔で心地よく過ごして頂く事に、最大限、心を砕いていきたいと思います。

 

皆様、風邪などひかれぬようご自愛下さい。来年は、生まれ変わったような、脱皮したようなつもりで、またお会いしましょう。良いお年を!


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