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紙ふうせん便り 12月号 (2020/01/31)

私達の使命とは何か

ヘルパーの皆様、いつもありがとうございます。皆様のおかげで祖師谷訪問介護事業所の開設から一年が経ちました。梅丘もケアマネさんや訪問の社員が増え、大所帯になってきています。日頃からの皆様のご協力に感謝いたします。年末年始に稼働されるヘルパーさん、本当にありがとうございます。皆様が健康を維持され利用者さん共々に無事に年を越されるように念願しています。年末なのであらためて視野を拡げて介護について考えてみましょう。

目的が明確になる事によって高まる喜び

企業の目的は、サービスを通して社会(顧客)に貢献する事です。私たちが仕事をする事は、企業という枠組みを通して社会(顧客)に貢献する事です。企業の目的が明確になり正しく進んでいるならば、従業員の会社への貢献は、そのまま社会への貢献となります。これは「仕事のやりがい」にも直結します。自分自身が、誰のために何の為に働いているのか明確になれば、労働意欲は高まります。顧客のニーズに気付く力は高まり、会社の業績も伸びていくでしょう。逆に、社会の風潮や企業が目先の利益だけに捕らわれていると、個人の視野も「生活の為」「お金のため」だけに限定されてしまいがちです。そうなると仕事は面倒な作業をこなす時間の切り売りとなり、意欲は低くなってしまいます。目的が不明確で視野が狭い生き方からは、自分自身の人生を自分らしく生きているという豊かな実感は生じてくるでしょうか。人と人の様々な社会的な関わりは必ず誰かに影響を及ぼします。「善い関わり」という目的意識を明確にして、それを自分の態度に具体化させていく事は、周囲と自分を変えていきます。その関わりは自分の心にも影響を与え、自身の生きる喜びとなるのです。

現代経営学者でありマネジメントの父とも呼ばれるピーター・ドラッカーは、「事業の目的は顧客の創造である」としています。解り易く言えば「仕事の目的は(サービス提供を受けて)喜ぶ((顧客))人を増や((創造))す」という事になります。企業は大きな利益を上げた時、その利益を事業拡大などに再投資します。そこで顧客の再創造が行われますから、企業の目的は(仕事の目的も)どこまで行っても「喜ぶ人を増やす」事となります。ドラッカーは、経営者や株主の利益を増やすためだけに企業があるのではないと喝破しています。

ドラッカーは、「成功を収めている企業は、『われわれの事業は何か』を問い、その問いに対する答えを考え、明確にすることによって成功がもたらされている」としています。そして次の5つの問いを立てています。①われわれのミッション(使命)は何か? ②われわれの顧客は誰か? ③顧客にとっての価値は何か? ④われわれにとっての成果は何か? ⑤われわれの計画は何か? この問いが「われわれ」なのは、自分こそが自分自身の生き方のマネージャー(経営者・監督)でなければならないからであり、また、目的は周囲と共有する必要があるからです。

 

 

「5つの問い」を介護に即して考える

私達の使命とは「生きてて良かった」と利用者さんに感じてもらう事です。これが①です。➁利用者さん。 ③命の価値。(利用者さんが自分の命の価値を感じられるようにする事) ④「あなたに会えて良かった」という気持ちを利用者さんと支援者が交感できる事。 ⑤尊厳を守り自己決定を支援する「自立支援」の推進。 いかがでしょうか。この目的を皆で共有するのなら、私達全員が介護職員でありケアマネージャーであるとも言えます。利用者さんの声なき声に耳を澄ませ代弁者にもなる私達には、「支援の持つ意味」への深い自覚が必要なのです。ケアが上手くいかないのは誰か一人の責任ではありません。「家族が無理解だから」「制度が」「ケアプランが」「ヘルパーが」「サ責の対応が杜撰だから」と悪者を作っても解決しません。それで困るのは利用者さんです。元より「家族を含め関係者皆がケアの目的を共有しているか?」「目的を共有する事に対して、また共有された目的に対して一人一人が自分の役割を明確に自覚しているか?」「自分自身はどうか?」という事が問われている(反省)のです。事業所の体制も大きな課題です。皆でより良いケアを目指して行きたいと思います。

「命そのもの」を目的とする社会へ

さて、「社会に貢献する」という言葉に引っかかった方もいるのではないでしょうか。「能動的に周囲に働きかける事のできない重度障害者の方などは具体的に社会貢献するイメージが持てない方もいるのであって、“何かに貢献する事”が生きる価値のように言ってしまったら、“貢献できていない人は生きる価値がない”となってしまわないか。“貢献”という考えは、健常者に限定される尺度ではないか?」という疑問です。繊細で素晴らしい感性です。そこは、ドラッカーが企業の目的を利益確保から社会貢献へと視野を広げたように、視野を拡げて見ればどんな人も社会に貢献する事は可能であり、どんな重度者でも「生きているだけで価値がある」と断言できるのではないかと思います。

地(※)獄のような状況下で「生きる価値とは何か?」を考え抜いた心理学者V・E・フランクルは、人生の価値を次のように示しています。それは、人が何かを創造する事によって、世界に何かを与える価値(創造価値)。人が人との出会いや体験を通して、世界から何かを受け取る価値(体験価値)。人が現実に対して「とる態度」によって生じる価値(態度価値)です。このうちの創造価値と態度価値は社会貢献に該当します。フランクルは、強制収容所は人間からあらゆるものを奪ったが「与えられた事態にある態度をとる人間の最後の自由を、とることはできない」という事実を持って、何者にも奪われない人生の価値を確信し、「態度価値」はどんな状況でも実現可能だと訴えています。困難な状況に陥った利用者さん、思い出深い利用者さんを思い浮かべて下さい。その方から私達は生きる事の困難さと、それ故の「生きる事の崇高さ」を学びませんでしたか? 利用者さんが生きて死ぬ事によって示した態度価値によって、その方の頑張りが私達心の中に焼き付いているから、私達は今日も頑張れるのではないでしょうか。「社会に貢献する」とは特別な事ではありません。私達が目の前の利用者さんに一所懸命になる事、利用者さんが頑張って生きる事、それが社会の中の誰か対して「あなたは生きているだけで価値がある」「あなたに生きていて欲しい」というメッツセージを送る事になり、「命そのものを大切にする社会」へと社会の変革を促していくのです。

※ヴィクトール・E・フランクル(1905-1997)のナチスの強制収容所に収容された体験を元に著した『夜と霧』は、17カ国語に翻訳され多くの人に影響を与えている。(紙ふうせんたよりH26.7月号や「スピリチュアルケア研修」でもフランクルを取り上げています。この資料は自宅学習ができるようにまとめてあります。個別研修にお役立て下さい。
 
紙面研修
「生の意味」を見出す支援
 ユダヤ人として苛烈な体験をした神経科医で心理学者のフランクルは、「ロゴセラピー」を提唱した。ロゴセラピー(意味中心療法)とは、人が自らの「生の意味」を見出すことを援助することで心の病を癒そうとする心理療法だ。ロゴセラピーは以下の3点を基本仮説としている。

「意思の自由」 人間は様々な条件、状況の中で自らの意志で態度を決める自由を持っている。

(これは決定論や運命論の否定であり、自立支援の中でも最も基盤となる「自己決定権」とも重なる。)

「意味への意志」人間は生きる意味を強く求めている。

(支援の中で「生きる意味が無い」と言われる方は意味を見失っている状態。自分の役割や他者からの承認が無いような自分の意味を見出せない状況は苦痛である。)

「人生の意味」  それぞれの人間の人生には独自の意味が存在している。

(その意味は、その人自身が見出すものである。)

ロゴセラピーは、絶望している人に対して、「あなたは生きていてもしょうがないと言われますが、どうしてそう思うのですか?」「その理由が解消したらどう思いますか?」「考え方を変えてみたら、この状況も意味のあるものになりませんか?」「あなたを必要とする人がいても生きていく意味がないのでしょうか?」などの平易な言葉での対話によって、生きる意味の再発見や転換を促すものです。それは、人生の意味や価値への評価の「評価の仕方」を変えようというものです。ここでの対話は、説教ではありません。
 

自分自身の生きる目的を見出すのは誰だろう?

 自分が「どうする」か「どうしたい」かを決める権利や力は誰にあるだろう?

利用者さんに「〇〇したい!」と思ってもらえるような支援はどうやったらできるだろう?

 
介護に即して言えば、「だめよ、そんな風に思っちゃダメ!」という支援者本位の説教は、そう思える「支援者」とそう思えない「私」の間にある壁をより高く自覚させてしまい、利用者さんは本当に「利用者」という受け身の殻に閉じこもってしまい、自分の変革を拒んでしまいかねません。同様に、「危ないから歩かないでね」という声掛けも「もう歩けない、歩いてはいけない利用者の私」という支援者側の自己イメージを利用者さんに押し付けてしまい、利用者さんの生きる力を奪ってしまいかねません。声掛けをするなら「歩きたい時は声をかけてね」とか「歩くときは十分に気を付けてね」と言い換えるべきです。

ロゴセラピーは、「生きていく意味がない」という辛さに共感を示しながら、「どうしてそう考えるのですか?」「それはなぜですか?」と質問を重ね、「状況に意味を見いだせるような質問」を行う事によって、自己覚知を促していきます。そのような質問は経験を重ねる事で上手になれる技術のようなもので、実際に困難にめげないで挑戦できる人は、自分自身に対しても「どんな出来事にも意味がある。この出来事が自分に求めている変化は何だろう?」と、問いかけをしています。フランクルは、『自分の人生に意味を見出そうとする努力は、人間の内なる根源的な動力である。』『人間は、自分の人生の意味の充足に自らを委ねれば委ねるほど、その程度に応じてのみ、自分自身を実現する。』と言っています。意味を見出そうとする意欲も力も人間の中にもともと備わっているのです。だから、私達のなすべき事は「生きてて良かった」と感じられるような「楽しみ」や「喜び」といった「感情の交流」を支援の中で作っていく事なのです。

 

「紙ふうせんだより」のバックナンバーが必要な方はお申し出下さい。

 


紙ふうせんだより 11月号 (2019/12/25)

命そのものを目的に

ヘルパーの皆様、いつもありがとうございます。気が付けば師走の足音が聞こえます。寒くなると気も急いてきますね。陽が落ちるのも早いです。交差点では確実に減速しましょう。「急いては事を仕損じる」とのことわざもありますが、自転車事故には気を付けて下さい。

秋深き隣は何をする人ぞ

独りで過ごす時間は様々な思いが去来します。秋が深まってくると冬支度をしなきゃならないなどと思いますが、もう自分ではなかなかできない状況にあります。自分の「やりたい事」をやっていた生活は過去の思い出となり、今は自分に残された僅かな「できる事」を、どうにかしてやり続けていく事が、生活の中心となっています。「どのように生きて行きたいか?」などと悩んだ若き日を懐かしく思い出しながら、いつの間にか自分の胸に秘めている問いが「どのように死んで逝きたいか?」に変ってきている事に気が付いてしまう特にすることもない夕刻、静かにしていると利用者さんはふと隣家の生活音が気になります。

「隣の人は何しているのだろう?」忙しく何かをしている若者の姿を思い浮かべます。

そうだった、自分もそうだった…。あの頃も「やりたい事」を思い浮かべながら仕事に我が身を忙しくし、結局は「自分に求められているもの」を必死でやっていた。それが人生の大半だった。けど、今もそうだ。私は自分に求められている“介護を悪化させない”という事を一生懸命やっている…。できるだけ迷惑をかけたくないと思うから、それは自分の「やりたい事」と重なってもくる。しかし、本当に「自分のやりたい事」をやってこれたろうか。迷いながら生きてきた自分のやりたかった事の「本当」は、生きている不思議、人間や世界の秘密に触れてみたいという事ではなかったか。秘密を解き明かせる事なくこの齢になってしまったけれど、それが解る時は死んでゆく不思議が身をもって体験される時ではないか。そうであるなら死は大きな希望であって、今私はそのような“死んでも良い”という気持ちを秘めながら、ヘルパーの皆さんの支えに励まされて生きている…。

本当の「やりたい事」ってなんだろう

日本がまだ貧しく利用者さんが若者だった頃、ともかくお金が無かったから“憧れ”を抱きつつも「できる事や目の前の事を頑張った」という話をよく伺います。日本は高度経済成長を経て生活水準が高くなり、貧しかった頃の“夢”は若い世代に託されます。「夢を追いかける」事を理想とした漫画なども多く描かれました。そして現代、「やりたい事」や“夢”が見つからないために、自分の生きる価値が見出せなくってパワレス状態になる人もいれば、やりたい仕事が無いから「働かない」と“高学歴ニート”を決め込む人が現れたり、快楽や欲求を消費行動に置き換えて何かの消費を「やりたい事」とはき違える人も相変わらずいますし、「疲れるから」その方が「楽だから」と“理想を求めない生き方”を主張する人もいます。やりたい事は「本当のところ」何か? と悩む気持ちは老若問わず同じなのです。

介護の目的から考えるLife(命・人生・生活)について

介護の本当の目的は何でしょう。利用者さんに安全に生活して頂く事でも、食事や排泄に困らないようにする事でもありません。それらは必要な事ですが目的ではありません。手段が目的となれば「安全に生活する為の生活」「食事や排泄の為の人生」となってしまいます。人間の命が求めている本当の事は、一つの無駄も無く命を燃焼し尽して命を終える事です。それは命そのものの価値を実感する事です。だから介護の目的は「生きてて良かった」と利用者さんに感じてもらう事です。本来、安全や食事や排泄が侵される事も、その為の支援を受けなければならない事も、望んでそうなるわけではありません。介護を受けるような状態になるくらいなら「死んだ方がマシ」と多くの人は考えます。俗にいう「ぴんぴんコロリ」です。この考えは、命を「自分だけのモノ」として“自己所有”の観念で捉えています。しかし命は独りで生まれてくる事はできませんし、赤子は独りで成長できるものではありません。人が生きるという事は、人間の命の揺りかごである人間社会を支える事であり、その支えは誰かの命を育みます。命は自分だけのものではないのです。しかし、複雑に分業化した社会は、時(※1)に命と命の繋がりの関係を忘れさせてしまいます。「ぴんぴんコロリ」を理想としていた人が介護を必要とした時に、いったんは「死んだ方がマシ」と思うかもしれません。その時、やってきたヘルパーさんに食事や排泄の支援を受け励まされながら、生れてくる時と同様に「命は独りでは死ねない」という事を理解するのです。「命は命と命の繋がりの中にある」という本質の再認識は、「生きてて良かった」という実感として現れます。

“やりたい事の無い俺って無価値なのか?”と若者が悩める時、若者もまた人生を自分だけものモノとして捉えてしまっています。しかし、命が求める本当の事は、命を燃焼し尽して命の価値を感じながら命を終える事です。疲れるから“理想を求めない”としてしまうのは、“理想”が人を疲れさせてしまうのではなく、自分が“理想”として描いたものの中に、命そのものを目的とする考えが入っていなかったがゆえに、筋違いな努力による疲労なのではないでしょうか。お金も地位も名誉も外見は飾れても、命を磨く事にはなりません。命を命の底から喜ばすものは、命以外にありません。具体的には「あなたに会えて良かった」という気持ちを誰かとの間で交感する事です。それは、身体介護を通じた濃密な命と命の支え合いの関係の中で利用者さんとヘルパーの間に共に生じてくるものであり、分かち合えたならば、それぞれの中で「生きてて良かった」「生れてきて良かった」となるのです。

「生きるという事」とは

「やりたい事」が明確でそれを仕事にできる人は幸せです。だからと言って「やりたい事」が明確で無くても不幸せという事はありません。むしろそのような本源的な悩みと向き合う事こそが、自身の命の練磨となるからです。ことわざには「(※)艱難(かんなん)汝を玉(たま)にす」とあります。「大器晩成」にも通じる言葉です。あせってはいけません。命を目的とした支援とは、「生きてて良かった」だから今“死んでも良い”という実感とその日までの道のりを利用者さんのペースで歩む事です。急いては事を仕損じます。今「できる事」「やるべき事」に精一杯勤めましょう。人生の目的を命そのものに定めるなら死ぬまでに起こる様々な喜怒哀楽を味わい尽くす事こそが「生きるという事」なのだから、生きるに早いも遅いも長短もありません。

※苦労や困難を堪えてこそ立派な人間になれる。 〔西洋の諺ことわざ「逆境は人を賢くする」の意訳という〕

 

利用者さんの事は利用者さんに習え
 

 「自立支援」、皆さんはどんなイメージを持っていますか? 単純に「リハビリ」すれば良いと考えていませんか? リハビリ職の方はよく「やる気が無ければ意味が無い」と言いいます。例えば週1回リハビリを実施したとしても、日常生活での動作量を増やしていかないとリハビリ効果は上がらないからです。つまり日常生活そのものがリハビリ的な意味を持つ必要があり、日常生活でのヘルパーさんの関わりが大切なのです。これを「生活リハビリ」と言います。その為には「自分でやろうとする」という意欲を再び利用者さんが持つ事が大切です。そのような方向が模索される時に、「このままではもっと悪くなるよ!悪くなってもいいの!!」という声掛けは反発を招きます。「いいよ、もう悪くなってるし。もっと悪くなったらあなたがやってくれれば良いんだから、私はやらない!」という気持ちを引き起こします。まるで自分が「悪くなって良い」と思っているかのように言われてしまった上に生活の主導権を支援者に奪われてしまったら、残骸として投げやりな依存心だけが残るのです。「悪くなったらここに住めなくなるよ!!」という言葉も“呪い”となります。「どうせここに住めなくなるなら、頑張ってもしょうがない」と決まってもいない施設行きの身の上を嘆いて暮らす事になるのです。このような悪い声掛けは、利用者さんの表面的な事だけを見ていて、利用者さんの心の動きを見ていないところに起因します。もし、きちんとした目的意識を持ち利用者さんの心に関心を払っているなら、同じ意味内容でも「悪くならないように自分でやろうね」「ここに住み続けられるように自分で動こうね」という声掛けになるでしょう。悪い声掛けの失敗を介護職ならば誰でもしてしまった事があると思います。どうしてそのような失敗をしてしまうのか、それは「利用者さんそのものを見る」事を忘れ、方法論や介護手順ばかりに気を取られているからです。「松の事は松に習へ 竹の事は竹に習へ」とは俳聖・松尾芭蕉の言葉です。これは「自分の観点を捨てて対象と同じ気持ち(物我一如・主客合一)になるくらいでなければ本質は見えてこない」という教えです。芭蕉は俳諧に対する論評を著しませんでした。弟子が盲目的に信じ込んで、俳風が師匠の形を真似ただけの形骸と化すことを恐れたのです。訪問介護でも下手に手順書を示せば、利用者さんを見ないで手順ばかりを追いかけるという手段と目的の逆転現象が起こる事があります。常に本質を意識していきたいものです。

「利用者さんが〇〇して欲しいと言ってますが、どうしたら良いですか?」という問い合わせをヘルパーさんから受ける事があります。「どうしたら良いか利用者さんに聞いて下さい。聞いたら報告して下さい」と私は言っています。利用者さんの一番の専門家は利用者さん自身です。利用者さんの意欲がどうやったら高まるかは、利用さんと一緒に支援者自身も悩みながら探していく必要があります。第一に利用者さんの今までの生活を知る事です。いたずらに生活を改変する事は、生活の主役の座を利用者さんから奪う事になりかねません。利用者さんが何を求めているかは、日々の嘆きに現れています。まずはその嘆きに傾聴し、心の痛みを分かち合うところから始めましょう。敬意を持って「利用者さんから教えて頂く」という姿勢が大切なのです。

 
秋深き隣は何をする人ぞ

この句は松尾芭蕉が詠んだものです。この日、病床の芭蕉を励ます句会が催される予定でしたが芭蕉は床を離れられず、発句としてこれを弟子に託しました。床に臥せって静かにしている芭蕉の心にふと浮かぶ隣の人への想像。世間から隔絶しつつある自分。周りの弟子たちは自分と芭蕉が同じ世界の住人であると思っているだろうけれど、自分はもうこの世界から離れかかっていることを自分だけが解っている。2週間後の元禄7年10月12日(西暦1694年11月28日)、芭蕉は「病中吟」の句に「夢」を詠んで旅立っています。

旅に病んで夢は枯野をかけめぐる

芭蕉の夢は枯れて朽ちゆく身体を離れていきました。今、俳句は世界最短の定型詩の一つとしての日本文化の粋とされ世界にはばたいています。
 

 

 

 

 

 


忘年会2019 (2019/12/20)

先日、紙ふうせん梅ヶ丘事業所内で、居宅支援・訪問介護交えて

立食パーティー式の忘年会を開催しました。

今年1年を振り返り、皆様楽しく語らっておりました^^



 


紙ふうせんだより 10月号 (2019/11/21)

介護職に向いている人とは?

ヘルパーの皆様、いつもありがとうございます。急に寒くなりましたね。身体が冷えると風邪や腰痛が心配です。自身の体をいたわるとともに、利用者さんへの温かい声掛けをお願いします。ところで声掛けや会話のコツを皆さんはどうしていますか?

外向と内向 お互いの違いを知る

「え、そんなの普通だよ。思った事を普通に喋れば良いんじゃない?」と思ったあなたは「外向」です。実はこれが難しい方がいます。会話に対して苦手意識を持ってしまった「内向」は、自分の言葉や態度を相手がどのように受け止めるかについて注意を払う余裕が無くなり、ぎこちなくなってしまいます。一般に内向は研究者や思想家や芸術家などに、外向は接客業や営業や政治家などに向いているとされていますから、人類文明は“内向が創り外向が運用してきた”両者の棲み分けと補完による発展の歴史とも言えます。

外向や内向を世界や自分の内面に対する『構え』の違いとして初めて論じたのは分析心理学のユングです。この違いがなぜ生じるかは、本能や生物学的レベルでの生(※1)存戦略の違いや外部刺激に対する感受性の器(※2)質的な違い(感受性が繊細で刺激に常に圧倒されている人が内向となり、感受性が低く刺激に常に飢えている人が外向となる)など諸説言われています。現代の日本社会は外向性やコミュニケーションスキルが重要視されていますから、内向は苦労が多いのもまた事実です。そのため、ある利用者さんは自分のコツを持っていました。

「あなた、お住まいはどちらですか?」(利用者さんは会話の糸口にこう切り出します)

「○○! それは良いところにお住まいですね!」(知らなくても必ず褒める)

「○○は△△線ですか?」(褒めたあと知らない場合は聞く)

「○○は××があって良いですよね!」(聞いた情報を褒めて、会話を相手に譲る)

これは、おそらく夫が自宅に客人を招く事が多く接待をしなければならなかった奥様が意識して自らに躾(しつけ)たものでしょう。定型的手順が決まっていれば、強い刺激に疲弊する事無く自分を守りながら対応ができます。また、出身でも好物でも応用が利く上に必ず褒めるので相手を喜ばせ、聞き出した好物は次回に用意しておくというアップグレードが可能ですから、ある意味で外向の思い付きの対応よりも完璧です。このような“作法”の定型化は茶道などの日本文化の特徴です。日本人は、どうやら西洋人よりも本来的に内向気質が強く、「形」を重視する独特の文化を築きました。礼儀作法という約束事を互いにわきまえる事によって、お互いの生身の心を守り人付き合いのストレスを緩和してきたのです。

※1ユングは個体は弱いが猛烈に繁殖する戦略と、少産ではあるがハリネズミやゾウなど個体の防衛機制を高度に築き上げる両者の生存戦略の違いに言及。※2ジェローム・ケーガンは本能を司る大脳古皮質にある「偏桃体」の働きに着目、刺激に敏感に反応し大泣きする子が内向になるとし、極端な内向が2割、内向傾向が2割、外向傾向が6割とした。

ケーガンは、本能を司る大脳古皮質にある「扁桃体」という感情脳の反応に着目し、生後4カ月の赤ちゃんから成長するまでの多くの人を長期観察し、赤ちゃんの時に外界からの刺激(音・光・振動など)に敏感に反応し大泣きする子が、成長するとともに「内向型」のタイプを形成することを突き止めたのでした。

 
私達の介護職は「外向」向きの職業に見えますが、一概にそうは言えません。自分の考えを利用者さんに押し付けがちなのは外向ですし、利用者さんの気持ちを解った気にならない内向の方が、関係性ができれば利用者さんへの繊細な配慮ができて地道に寄り添う底力となります。内向や外向の強みや弱みを考えながら『構え』の成り立ちを想像してみましょう。

意識が内部に向うかう『内向』

誰かが僕の手を開いて何かを握らせました。「やめて!」と手を振りほどくとガランガランと大音響がしました。ぎょっとして見つめると(その時は知りませんが)手にはガラガラがありました。『自分の外に世界がある』と発見したのはその頃でしょうか。世界は光や色、臭いや音に溢れており、それらは脅威でした。「世界から自分を守れ!」本能は僕にそう呼びかけます。母が「メロンよ~、食べられるかな~」と笑いながら緑色の物体を皿に載せてきました。警戒しながら噛んだ瞬間に濃い甘みと原っぱの匂いが口に拡がりましたが、舌を痺れさせるような刺激が悪意を持って隠れています。「これは食べられない。」

僕はあらゆるものを警戒し、それが何であるかについて考え、世界から自分に入ってくるものが自分の中で何を生じさせるかについて敏感になりました。あるものは僕を夢中にさせ、あるものは不安にさせます。ある時、お花の塗り絵が渡されました。それは絵であって花ではありません。沢山の色鉛筆にワクワクし色とりどりに塗ってみたところ、母が「すごい色だね」と驚いたので僕は嬉しくなりました。僕はそうやって、自分の中で生じたものが世界に何かを与え、価値のあるものとなっていく事に喜びを見出したのです。

意識が外部に向かう『外向』

誰かが私の手を開いて何かを握らせました。「なんだろう?」と手を振るとガラガラと音を立てました。自分の動きと世界は一体でした。世界は興味に満ちており、感じるままに私は走り回っていました。『世界の中に自分がある』と発見したのはその頃でしょうか。「飛び込んで来い!」世界は私にそう呼びかけます。気が付くと私のした事で世界の反応はまるで違ってきます。クレヨンで紙に絵を描いていると母は笑っていましたが、もっと笑うかと思ってテーブルいっぱいに描いてみせると途端に怒り、私からクレヨンを取り上げてしまいました。それは世界を壊されるくらいの悲しみと恐ろしさでした。

私は自分が世界に何を生じさせるかについて敏感になりました。ある時、お花の塗り絵が渡されました。それはバラなので、私は花をピンクに葉と茎を緑色にきちんと塗り分けました。母が「上手だね」と喜んだので私は嬉しくなりました。私はそうやって世界から自分が受け入れられやすい態度を心がけ、自分の態度が相手を喜ばせる事に喜びを見出したのです。

たとえネガティブな学習をしてしまったとしても

外部の圧力から「世界は怖いものである」とネガティブな学習をしてしまった子供は何を感じるでしょうか。外向は「世界に呑み込まれる自分」、内向は「自分と敵対する世界」となり、内向は世界を警戒し自分を守るために強固な壁を築き、外向は世界に自分を受け入れて貰うためにただ空気を読むだけのカオナシになってしまいます。これは、子や介護職や社会や昔の自分から責められ、疎(※3)外されていると感じている利用者さんも同じではないでしょうか。ならば、多様な状態像や態度の変化も、自分らしさを取り戻す為の本能的な営み(ある意味プロテスト)なのかもしれません。福祉の仕事の使命の一つは、誰もが自分らしく生きられる社会を作る事です。介護職に向いているのは外向・内向は関係なく、自分の個性(苦手な事や困難な事)を通路として心の奥からの声を導き発する努力ができるかどうかです。自己統合に葛藤する利用者さんに寄り添い、声なき声に耳を傾けられるかどうかなのです。
※3平井俊彦は『人間疎外の論理』で「個人から分裂した社会機構は、主体化して人聞をかえって限定する」として人間が自分らしく生きられない原因を「労働の疎外化」「共同体の解体」「マス・コミまたはマス・プロによる人聞の受動化や画一化」「技術革新による人間疎外」「現代の政治における人問の疎外」とした。(『経済論叢』第88巻第2号)
 
ファーストコンタクトに備えて
幼少期に内向や外向の傾向性を無理やり変えようとする事は、子供の自己肯定感を損ない本来の強みすら発揮されないパワレス状態にしてしまう。齢を重ねるに従い、傷つけ傷ついた事による自戒や病気などの状況の変化(無意識の働きかけ)によって傾向性に変化が生じ、未発達な要素も表に出て磨かれて人生は円熟を志向する。今意識している自分の態度があれば、それは変化の過程である。
内向 外向
会話のテンポと内容 言葉の意味に意識が向くため、自分の考えや感情を吟味してから口を開く。テンポは遅く、深い意味は正確に述べる事は困難となり結果口数は少なくなる。 会話が成立している雰囲気に意識が向くため、会話を切らさないよう口を開いてから考える。早口になりやすく、深い意味には注目していない思い付きの会話となる。
強味 吟味されて出てきた言葉は本心でありしっかり考えられているため、長期的な信頼関係を築きやすい。 ノリで発言する事ができ、物怖じせずに誰にでも話しかけられる。相手の気分を察する事が上手なので、打ち解けるのは早い。
弱み 自分の意識に目が行くと、相手への気付きおろそかになるため、相手に合わせるのが苦手。苦手意識が悪循環すると、相手の気持ちが全く見えなくなる。 相手に合わせるために、忖度をよくする。合わせ過ぎのため、自分の考えが無い軽くて不誠実な人と見られる事もありへこむ。自分の気持ちが自分で解らなくなる事も。
ネガティブな反応 自分を責めてしまうが、本質は譲らないため壁を作ってしまい、壁の高さに相手を恨んでしまう事も。 相手を責めてしまうが、かえって自分が傷ついてしまい、自分の傷を見たくないので相手との関係を断つ事も。
違う相手に対して 外向と会話をすると急かされたり攻撃されたり同意を求められているようで尻込みしてしまい、自分の中の混乱から気遅れしてしまう。頑なになったり伝える事を諦めてしまう事も。 内向のテンポをじれったく感じ、相手の発言に言葉をかぶせてしまう。会話が続かなかったり同意が得られないと不安になる。相手からの苦手意識を感じ取ってしまい、イライラする事も。
集団に対して 複数だと刺激が強すぎるために疲れてしまう。腰を据えた1対1の関係が向いている。「自分は自分」が強い。 刺激好きで人を集めたパーティーなどが好き。「皆で」という仲間意識が強い。サービス精神が強くて疲れてしまう事も。
対策 会話の気分やテンポ(良い関係性)に着目して適当に相槌を入れて会話継続のコツを学ぶ。本来、観察力は高いので、それを相手への配慮(言葉では表現されない気持ちへの理解)や会話に活かす。 相手の話をすべて聞いて一呼吸置いて考えてから話す。“盛り上がったから私達は同じ気持ち!”という幻想を抱いてしまう事があり、雰囲気からは見えない本心の存在を意識する。
■内向的な人はコミュニケーションが下手ではない

コミュニケーションの苦手な人と得意な人の大きな違いは初期のコミュニケーションをうまく出来るか出来ないかが大きな原因となっている。喋るのが苦手な人と喋るのが上手い人とを比べた実験がありその実験によると最初の1、2回はコミュニケーションが苦手な人はあまりうまく喋る事が出来なかったのだが、喋る回数が3回を超えてきた段階で、喋るのが上手い人も苦手な人もあまり変わらないという結果になった。つまり喋るのが苦手な人は何が問題なのかと言うと「最初に何を言っていいのかわからない」「どうやって話を切り出していいのかわからない」という事が問題なのだ。

■ファーストコンタクトのテクニック

初対面の人と話す時に行う簡単なテクニックとして誰でも簡単に出来るのが「挨拶」をする事。挨拶なんていつもしていると思っているかもしれないが初対面の人に挨拶をするとなると受け身になってしまう人はたくさんいる。また、ただ挨拶をするのではなく「相手よりも先に挨拶をする」ことが大切でこっちから挨拶という先制攻撃を仕掛ける事によって主導権を握る。そうすると必然的に相手は、挨拶をされたからそれに対して挨拶をし返してくるのだがこの時点で相手は話す体制が整った状態になる。そこからは「はじめまして」の自己紹介をしてもいいし初対面の場合は、だいたい「宜しくお願いします」を兼ねた挨拶がほとんどだから何を喋るのかは事前に決めていればアタフタする必要もなくなる。それよりも相手より先に挨拶をする事に意味がありそれによってあなたの印象はまったく違った物になる。 第一印象が与える影響は大きく、その時に良い印象を与える事が出来ればそう簡単に覆る事は無なくて、一般的に人の印象を変えるのには48時間もその人と接する時間が必要だと言われている。最初は出来るだけ印象良く思ってもらえるように全力と尽くせばいい。      (ブログ「画家起業家の自転車の乗り方」より抜粋)
 


豚汁会@梅ヶ丘 (2019/11/11)

先日、梅ヶ丘の事業所にて来訪されたヘルパーの方々も交えて皆で豚汁を食べました。

最近寒くなり風邪など流行りつつあるので、たくさん食べて体を温めて過ごしましょう(^.^)


紙ふうせんだより 9月号 (2019/10/31)

転換点はどこにあるのか

ヘルパーの皆様、いつもありがとうございます。気が付けば夜道では秋の虫が鳴いています。9月5日に千葉県に上陸した台風15号は甚大な被害がありました。皆様が少しでも早く生活再建ができる事を祈っています。災害に乗じてインターネットでは関東大震災を模倣した悪質なデマが流されました。「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んでいる」というものです。同様のデマは熊本地震の時にもありました。これは冗談では許されない人権問題です。また、関東大震災で一体何があったのかを知れば見過ごす事はできません。関東大震の事件は周辺諸国への差別感情を増幅させて日本を戦争への入り口に立たせたのです。

日常的な差別感情がヘイトクライムに発展し、日本は正常な判断能力を失った

「その時私は6歳で中野に住んでいたんだけど、友達の家にいたら凄く揺れて、そこのお父さんが必死にタンスを押えてた。」今年で102歳になる利用者さんの思い出です。

1923年9月1日11時58分、相模湾海底で蓄積したプレートの歪みが一気に放出された。地球規模で見れば僅かな身震いだが近くには大都市があった。倒壊した建物からの火災はなすすべなく東京市内の64%の家屋が焼失、死者は10万とも14万人とも言われている。大災害は人々の心に鬱積している歪みをも一気に放出させる。不安と混乱が群集心理に火をつけた。「不逞朝鮮人が暴徒化、井戸に毒を入れ放火して回っている」等のデマが拡がり、新聞がフェイク記事を拡散。各地で自警団が組織されて警察や軍人も加わり、道行く人に「十五円五十銭」や「ガギグゲゴ」を言わせ、うまく言えない人を朝鮮人として数千人以上を殺害。知的障害者や聾唖者や中国人も多数殺害された。混乱に乗じて、民主化を要求する社会主義や労働運動や婦人解放運動の活動家を憲兵や警察が組織的に連行して10数名を私的に処刑する事件(甘粕事件・亀戸事件)も起きた。自警団で処罰された者は無く、誰が何の目的でデマを流したのか不明のまま政府は情報統制や検閲で虐殺の事実を闇に葬った。

日本は民主主義の終わりと戦争の入り口に立っていた。第一世界大戦後の不景気にあって米騒動があり、大正デモクラシーの民権運動や労働運動は高揚、対抗して右派も勢力を伸ばして社会は対立に揺れていた。植民地支配していた朝鮮では、日本の友好国として平和的な独立を目指した3.1独立運動が起こったが、日本側は7500名以上の朝鮮人を虐殺して弾圧。新聞は「不逞朝鮮人の暴動」と決めつけ差別を煽った。“平民宰相”が暗殺され社会不安が増大する中で大震災が起きた。命がけで朝鮮人への襲撃を止めた警察官がいた一方で、軍や警察もデマを流した。不安と混乱は強権政治を呼び込み震災直後に発布された「治安維持ノ為ニスル罰則ニ関スル件」は悪名高き治安維持法の前身となる。日本は、震災後の金融政策の失敗から金融恐慌となり世界恐慌に呑み込まれ、不景気の打開策を「日(※)本の生命線 満蒙」として海外利権獲得に求めた。1931年9月18日、陸軍が独断で南満州鉄道を爆破して中国への侵略(満州事変)を開始。以後、1945年の敗戦まで日本は戦争漬けとなっていく。

米騒動1918、3.1独立運動1919、国際連盟発足1920、原敬暗殺1921、治安維持法1925、世界恐慌1929、満州国建国1932

※1931.1に松岡洋右(当時野党)が発言し流行語に。松岡は1933年外相として参加した国際連盟で脱退を表明。




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無自覚さは、失敗を自覚できない。

私たちが関わっている利用者さんの多くの中核的な体験となっている“大東亜戦争”に至る淵源を大正末期までたどってみました。無自覚に差別に加担した人々は、近隣諸国民を蔑視するこの道がやがて泥沼の侵略戦争となり敗戦に至る亡国の道だという事を、どれ程理解していたでしょうか。「水は低きに流れ、人は易きに流れる」という格言があります。「易きに流れる」という人の持つ無自覚さが、人を低きに導くのです。人は、自分にとって気持ちのいい方向を望みながら、気が付けば「何で気が付かなかったんだ」という後悔の中に立ちすくみます。その時になって「一体何が悪かったんだ」と考えてみても、昔の出来事は、様々な要因と結びついていて明確な事が言えなくなっています。だからと言って、「想定外だった」「仕方がなかった」「気が付かなっかた」では何の反省にもならず、失敗から学ぶことはできません。失敗を自覚できていないからです。自戒を持って私はこの文章を書いていますが、例えば小学生が夏休みの最終日に残された宿題の山に泣きながら取り組むという事も、「早くやっておけば良かった」と結果論的には思いますが、一つだけの直接的な原因となる事象というものはありません。その気になれば、いつの段階でも流れを切り替えて宿題を開始する事が可能だったからです。しかしできなかった。「いつでもできる」という自分の慢心と、慢心に対する無自覚さが、自分をそうさせてしまったのです。

悪くなっていく 良くなっていく、その転換点はどこにあるのか

低きに流れる方向づけは、自然と気が付きにくい形でやってきます。昔の人は「油断大敵」と言って、注意を少しでも怠れば思わぬ失敗を招くから、十分に気をつけるべきであると戒めていました。一方で、高きに流れを変えていく転換点は、自然には絶対にやってきません。自覚と決意が無ければ転換点は作れないのです。逆に言えば、深い自覚と固い決意があれば、どんな状況からでも転換点を作る事が出来るのではないでしょうか。

介護に即して考えてみましょう。ヘルパーさんや利用者さんがお互いに、いつものケアを楽な方法でいつもの様に続けて行けば、そこに漫然としたものがある限り、気が付けば利用者さんのADLは必ず低下しています。「高齢だから仕方がない」と言ってしまう事は容易です。しかし介護とは、ADLや活動性が低下した人に対応する事が前提です。意欲の低い方や理解の乏しい方、年齢から諦めているような方に対しても、自立への転換点を作っていくために「何ができるのか?」が、最初から問われているのです。そして、介護の専門職の私達のとる態度が、利用者さんにとってどんな意味を持つのか常に自覚的でありたいと思います。

その後の日本について

満州事変以後、「万機(ばんき)公論に決すべし」という理念をかなぐり捨てて日本は強権政治をますます強めていきます。政府は「非常時」や「国難」を叫び、話し合いによる合意形成を軽んじました。その結果、問答無用の強固な主張が正論とされ、総理直属の総力戦研究所が日米戦争「日本必敗」のシュミレーション結果を示したにも関わらず開戦を決断してしまいます。

満州事変の年に生まれた利用者さんは先日、ヘイトスピーチが増えている状況等を踏まえ、「憲法改正したがる安倍さんは、戦争したがっているのではないか?」と呟いていました。戦時中を知る人の言葉として重く受け止め、怠りなく注意を向けていきたいと思います。

吉野作造の1923年10月末の聞き取りでは2613人の朝鮮人の殺害が記録され、世田谷区では三軒茶屋で2名のみとなっている。しかし千歳烏山では13名の朝鮮人が暴行され1名が殺害されている。起訴されたが放免となった自警団の12名を労って植樹された12本の椎の木が烏山神社に現存している。朝鮮人の殺害は6000人を超えるという研究もある。

 
政府によって徹底的に隠蔽された「関東大震災朝鮮人虐殺事件」の真相 (現代ビジネス)西崎 雅夫 

多くの朝鮮人や中国人が虐殺された。その数は数千人とも言われているが、実際に何人の方が犠牲になったのか、じつは震災から93年がたった現在でも詳細はわかっていない。

その要因のひとつとして、当時の政府の徹底した事実の隠蔽があげられる。

次の2つの証言を見比べてもらいたい。当時尋常小学校5年生の生徒が、震災直後に書いた作文である。

「3日に伯母さんから「朝鮮人が火をつけて歩く」というお話をきいて僕は驚いた。するとその夜「わっ」というさわぎがあちこちから起こり、同時に「ぢゃんぢゃん」と半鐘が鳴り出した。間もなく「ずどん」とピストルの音がした」

「3日に伯母さんから「しっ火がある」というお話をきいて僕は驚いた。するとその夜「わあっ」というさわぎがあちこちから起こり、同時に「ぢゃんぢゃん」と半鐘が鳴り出した。間もなく「どしん」となにか崩るる音がした」

上が元の作文、下が検閲後に発行された作文集『子供の震災記』に所収された作文である。
へイトスピーチ対策法

2014年、日本はヘイトスピーチ(外国人や外国出身者への人種的偏見や差別助長・憎悪表現)を野放しにしていると国連より是正勧告を受けた。オリンピックのホスト国になる事もあり、「ヘイトスピーチ対策法」通称)が、日本に居住している外国出身者やその子孫に対する差別意識を助長・誘発し、地域社会から排除することを扇動するような言動の解消に取り組むことを定めた法律として2016年に施行された。しかし2018年に国連人種差別撤廃委員会は、対策法を施行した後もヘイトスピーチがなくならない現状に懸念を表明し、対策が限定的で不十分だと日本に対して4度目の勧告を行っている。

法務省のHPには、『平成29年10月に実施された「人権擁護に関する世論調査」における「あなたは,ヘイトスピーチを伴うデモ、集会、街宣活動等を知っていますか。」という設問に対して、「知らない」と回答した方は42.6%に上りました。違いを認め合い、互いの人権を尊重し合う社会をともに築くためにも、まずは「ヘイトスピーチ」について知っていただくことが大切です。』とある。




 





 

 

 

 
今、アメリカでは銃乱射などのヘイトクライム(人種や民族に起因する憎悪犯罪)が年々増加している。イギリスでも人種に基づく子供のいじめが激増している。ニュージーランドで白人至上主義による銃乱射49人殺害事件が起きたのは今年だ。これらの潮流は、9.11テロ以降、憎悪に対する憎悪による応酬が始まってしまったのと、大国が覇権主義に偏り自己中心的な世界観を是としはじめている事などの影響が考えられる。日本でもヘイトデモが頻発している。お笑い芸人では、Aマッソが「大坂なおみに必要なものは? 漂白剤!」とやってみたり、金属バットが「黒人が触ったもの座れるか!」など差別ネタを“笑い”や“楽しい”事だと勘違いする不見識さを披露している。日本にも無自覚な差別が蔓延している状況がうかがえる。来年は東京オリンピックで多くの外国人が訪れる。厳重警備の緊張状態の中に「〇〇人がテロを企てている」などのデマが投げ込まれれば、ヘイトクライムが起きてもおかしくない。人権や人間の尊厳に関わる福祉職としても、差別に対しては迎合しない毅然たる態度を持ちたいと思う。
 
出勤簿は、お手数ですが「時系列順」に記入をお願いします。

事務所に来られた時は都度、実施記録の提出をお願いいたします。
 

稼働手当を支給します!!

 

特定処遇改善加算Ⅰを紙ふうせんは取得する事になりました。

「経験・技能のある介護職員」に、重点的に支給する加算という観点から、紙ふうせんではヘルパーさんには

稼働時間に応じて支給額を増額する事にしました。稼働時間が多いヘルパーさんは、経験を蓄積し技能を高めていっていると考えられるからです。そのため支給条件は二つあり、介護保険と総合事業の月間稼働時間が所定の時間を超えた者(経験)であり、かつ年間を通して4回以上ヘルパーミーティングや研修会等に参加した者(技能)とします。(今年度の支給は、急遽という事もあり残りの半年間で2回以上の参加で可とします。今後、稼働手当の支給を受けていきたいという方は、ヘルパーミーティング等に積極的に参加して下さい。
前月稼働時間実績 稼働手当/月 条件等
140時間以上 ¥20,000 経験を蓄積し技能を高めていっている登録ヘルパー(資格問わず) 年4回以上、ヘルパーミーティングや研修会等に参加
120時間以上 ¥15,000
100時間以上 ¥11,000
80時間以上 ¥8,000
60時間以上 ¥6,000
60時間未満 ¥0
 
支給方法は、前月の稼働時間の実績に基づき、翌月の給与に上乗せして支給します。給与明細の項目は「特処手当」となります。支給開始は、国保連より特定処遇改善加算が支払い開始となる令和2年1月からで、1月の給与(12月実働分)に11月の稼働時間実績に基づいて「特処手当」を上乗せ支給します。

※稼働時間の実績が非該当のヘルパーさんにも、年1回の一時金支給には、「特処手当」を若干上乗せして支給します。

【災害時対応のケアプラン上の位置づけ~世田谷区への質問~】

「災害が起こった際に、利用者の安否確認を行い必要があれば“落下物の片付け”“安全なところへの移動介助”“食料の買い出し”などを臨時対応として行われると考えるが、それらを介護保険(訪問介護)で算定できるか。またその為に必要な事(ケアプランへの明記・内容等)は何か、具体的にご教示して下さい」と質問したところ、回答は「臨時対応は介護保険で算定できる。但し安否確認のみでは不可で、“何か”を行えば可。しかし“救助活動(と判断される記録)”は不可。ケアプランへの災害時対応の明記は望ましいが、無くても算定できる」との事でした。ケアプランへの明記は取り組んでいきたいところです。
梅丘・祖師谷合同ヘルパーミーティング

10月18日(金)18:30~
~ヘルパーミーティングのお知らせ~

(内容)利用者さんの状況等・支援計画の変更の必要性の有無 今月の議題・伝達事項

★ミーティングと研修会を同時開催

会議参加手当(ミーティング)は1回につき1370円です。
【研修】虐待防止のためにできること (斉藤)
 

 

 

 

 

 

 

 

 


2019年度 防災訓練 (2019/10/18)

令和元年9月6日に防災訓練を実施した。

想定:震度5以上の地震が発生し、事務所が危険な状態

目的

  1. 避難方法・経路の確認
  2. 避難時の持ち物の確認
  3. 経路の危険な場所の確認
まず瀬口CMが全体の流れを説明。各自緊急バッグを背負い裏口から避難する。

道中塀など倒壊しそうな危険を予測しながら、避難場所である羽根木公園管理棟を目指す。斉藤HPを先頭に入山CMが車いす介助を

行いながら慎重に羽根木公園を目指す。目的地に到着した後は状況報告、人数確認。

帰所後は防災用の備品・転倒防止用の突っ張り棒の状況を確認する。突っ張り棒一部緩んでいた箇所があったため直す。

その後通常の業務へ戻った。

まとめ・感想

避難場所への経路・途中の倒壊しやすい地点の確認ができ、災害時の避難の良いシュミレーションになった。利用者ごとに避難方法は違うと思われる
ため日ごろから避難経路・方法や備品について考えておくことが重要であると感じた。


紙ふうせん便り 8月号 (2019/10/17)

2019年(令和元年) 8月 葉月号
命の重みを忘れない

ヘルパーの皆様、いつもありがとうございます。8月15日は終戦記念日と呼ばれてています。この日を境に、日本はその姿を大きく変えていきます。夫も子供も居ない独居の利用者さんから自筆の「手記」を託されましたので、ほんの一部を引用しご紹介します。

1945年より前の日本の空気

戦前の日本では、国民は天皇の家来(臣民)であり、お国の為に命をお国に捧げる事こそが尊い生き方とされてきました。それは同時に、“役立たず”とされる働けない人や、子供を産めない女性、兵隊になれない男性は、差別される時代でした。




父が若い時長男に苦労させたからだろう、長男はその恨みを感じているのか父とは何一つ会話しなっかた。母が良いことを云っていたことを覚えている。「昔のことは忘れてお父さんと仲良くお話をしておくれ」今ではお前にだけは済まない気持ちで一杯なんだから…と兄に頼んでいた。でも兄は黙っていた。でも兄はそれよりも自分の病気で一杯だったんだろう。不治の病故明るくなれなかったんだろう。

この兄が生きていたら私の人生も違った道を歩いていただろう。その兄の病がひどくなりひどい息切れをはじめた。すでに苦しんでいたようだ。

或る日珍しく兄が私を呼んだ。「猫がいて眠れないから『猫いらず』を買って来てくれ」私は何のためらいもなく買ってきた。その『猫いらず』を飲んでとてつもなく苦しみ兄はこの世を去った。私は何とも言えない気持ちで一ぱいだった。私はバカだなと同時に何もかも嫌になった。と同時に父が病の床についた。




戦争は“命の重み”への感覚を麻痺させて、人の心をおかしくさせる

人は、自分たちが作り上げた社会に縛られて生きています。国を挙げて“軍国教育”を施した“成果”として、お国の為に自分が死ぬことについて多くの国民は疑問を持てなくなっていました。戦争遂行のスローガンは「一億玉砕」、一億の国民は“玉のように砕け散って死ね!”そうすれば神風が吹いて日本は戦争に勝つ!というものでした。




兄の死後3ヶ月目に父はこの世を去った。「倒れるまで働いた父」「愚痴一つ云わなかった父」いまも思うことは父の言葉ばかりであーしてやりたい、こうもしてやりたい!つくづく思う。

まもなく私は女学校を卒業した。

昭和18年、大東亜戦争ますますはげしくなるばかり、お国の為少しは働きたいと思う心は誰しも強く、私は陸軍病院の看護婦婦生徒として試験を受けた。見事入隊して私達は生徒隊として一年間軍隊生活が始まった。それはそれは厳しい訓練であった。今の時代には理解できない教育であった。

やがて一人前の看護婦となり活躍をした。陸軍病院は完全看護である。軍隊故に身内が「危篤」でも会えないし、又見舞いも許されない。だから身内の居ない部屋で一人でベットで死んで去った兵隊…何人送っただろう…。

お通夜は一人淋しくしてあげる。きっと身内に会いたいだろう、でもその時は思わなかった、ただただお国の為であった。あの時の私達は一生懸命だった。何時死ぬかわからない死を覚悟した毎日がつづいた…。

でも女心にも有意義な日々と思った。今思うと時代の変わりのはげしさに昔のことが夢みたいに浮かんでくる。その時そっと心を寄せていた軍医がいた。「久垣大尉」であった。とても優しい大尉だった。今思うと淡い恋みたいなものだった。無論片思いである。時代としては許されない恋である。

まもなく終戦を迎えた。

考えられない事であった。天皇より終戦の言葉がラジオできかされた。はじめは、まさか天皇陛下だとは思わなかった。ただ頭を下げて聞いた昭和二十年八月十五日であった。広島原爆も長崎原爆も後で報じられた。これから日本はどうなるのだろう、そればかりだった。毎日考えた。まもなく進駐軍が上陸した。軍医衛生兵はみんな階級はずした。外地より引揚げてくる傷病兵の看護と地方患者護送にあたった。ぞくぞく引揚げる傷病兵は長い戦争に疲れた顔々…でも生きててよかったと思う心は誰しも同じであろう。




原爆投下後、8月13日の御前会議では、“特攻”の唱道者の一人大西瀧治郎軍司令部次長が「われわれが特攻で2000万人の命を犠牲にする覚悟を決めるならば、勝利はわれわれのものとなるはずです」と主張している。個人の命の重みは“赤紙一枚”でした。1945年9月発表の日本人「戦没者数」は陸海軍人約50万人という過小評価でしたが、1977年の厚生省発表の「戦没者数」は軍人・軍属230万人、一般邦人80万人となっています。

体の自由がきかなくなって思ったこと

戦後、天皇は「人間宣言」を行い、明治政府の統治政策としての「現人神」という虚飾を脱ぎ棄てました。時代は民主主義です。国民の命は「神」や「国」に捧げるものではなく、国民一人一人のものとなりました。そして、国民が主権者となって政治や社会を変えていける時代となりました。そうは言っても、人生の荒波は人々を木の葉のように押し流していきます。1973年、この利用者さんに病魔がやってきました。兄や父の命を奪った肺結核です。




私の肺はすでに空明が出来ていた。昨日まで一生懸命働いてたのに明日からは働けない…どうしよう。まだまだ借金が一杯あるのに…でも死んではいけない、私を助けてくれてる方々に御恩返し出来るまでは…。私は先生に聞いた。「働いたらいけませんか?」

「明日から貴女は動けませんよ」とお医者さんから言われたとおり、私は動けなかった…動くと息をすること自体が苦しかった。凄く痩せてきた。夕方は微熱が続いた。もう自分自身お金もいらない。健康であれば…とつくづく思った。それ以来私は治療に専念した。

(略)その内母の最期の知らせがきた。七月だった。絶対安静の最中である。母は去った。死ぬ目も合えずなんて親不孝だろう…と思った。(略)安らかに成仏して欲しい…心より祈った…
この利用者さんはお世話になった方に「こんなに心配して下さり」支えられ、戦争や兄や父の死による心の傷や、生きることに必死になる中で忘れていた気持ちを思い出します。




私は家族に恵まれなくても周りはとても暖かい人に恵まれていることをつくづく幸せに思った。人を愛することっていいことだなぁ…としみじみ思った。人を愛することって今まで自分から思ったことはなかった。やらなくてはいけない境遇と情にからまれ愛を出してきた。でもこれからは私は人を愛する事を基本として仕事をしようと体の自由のきかない時に心だけは力強く考え思った。




2012年、転居から体調を崩します。結核の後遺症の痛みや様々な葛藤が書かれています。




2013.9 ヘルパーさんが来てくれるようになった。お風呂のお掃除をしていただく。それだけでも楽である。だんだんと夕食の用意が苦になりだした。(略)

最近なにか考え込む。ただ食べることだけ毎日同じことばかり。時間がありすぎる。しびれの痛みだけが神経にひびく。毎日まいにち…来る日もくるひも…

お世話になることばかりで心苦しい。年をとるとだんだん弱くなり持病は良くならない。




「2015.1」の記述には「もう字が書けなくなった これからは字を書くのをやめよう」とあります。その次の項目は「2015.12.24」で、最後の行は「ヘルパーさんが来て下さるのでストレスも解消!!」とあり、その後は白紙を3ページ残して手記は終わっています。

白紙の部分をここで述べさせていただきます。ヘルパーさんなどから93歳の誕生日を祝ってもらって「今が一番幸せ!」とおっしゃったこの方は、誕生日の翌日の夜に心筋梗塞を発症、翌朝の訪問による発見で救急搬送され、3日後に息を引き取られました。病院には関わったヘルパー全員が見舞いに訪れ、「暖かい人に会えて本当に幸せ。ありがとう」との言葉を頂いています。誰かが生きて死んだ記憶は時代と共にやがて消え去ります。しかし、人が必死に生きて死んでいくその“命の重み”は、いつまでも忘れないでいたいと思います。

 
この利用者さんは身の上話をヘルパーさんにする事がとても大好きでした。利用者さんがどのように生きてどのような気持ちだったかを明きらかにする事は遺志にかなうと考え、一時は出版も考えたその「手記」を公開させて頂きました。
 
(上)生前、利用者さんより頂いた写真。小倉陸軍病院の看護婦時代。利用者さんは一番左。

8月9日の原爆投下の第一目標は小倉だったが、雲による視界不良で長崎に変更となった。

 



 

 

 

 

 

 

(中)

「手記」の見開き

 



 

 

 

 

 

 

(下)

仏壇にしまっていた紙片





【健康診断を受けて下さい!】

健康診断の領収書と診断書のコピーを持参して頂ければ、その費用をお支払いいたします。

※領収書の提出は、できるだけ当月以内です。

※費用にはオプションは含まれません。

【サービス実施記録と出勤簿】

記載間違いが多くなっています。身体介護はその内容、生活援助はその内容を必ず記載して、出勤簿に記載してから提出して下さい。




紙面研修

利用者さんが何か調子悪い

“何か調子悪い”“ぼんやりしていて、いまいち受け答えがはっきりしない”

この場面で、真っ先に疑うべき事は何だろう

今の季節はやっぱり“脱水症状”や“熱中症”!!と言いたいところですが、今すぐに救急車要請をしないといけないケースからまずは考えましょう。まずは「脳梗塞」です。これらは大きな病変が発生する前に、予兆がみられる場合もあります。「四肢のどこかに力が入らなくなったり痺れが現れた」などの症状があります。そして、脳梗塞は、脱水によってドロドロ血液になって引き起こされる事もあるのです。

脳梗塞を疑った場合、どうやって判断すると良いか?

脳血管障害の場合は障害が片側全体におよぶところが特徴的です。両手をバンザイしたり前方に伸ばしてみると、片方の腕が上がりにくかったりすぐに下がったりします。ポイントは左右差、これを「バレー徴候」と言います。手や足をつねったりくすぐってみると片方が感じにくい、温度を感じる事も片側が鈍くなったり、顔がひきつったりもします。これらのサインが「急に」現れた場合には脳を疑い、すぐに救急車要請です。救急隊には「バレー徴候あり」と伝えます。

“何か調子悪い”“ぼんやりしていて、いまいち受け答えがはっきりしない”

2番目に疑うべき事は何だろう?

これからも残暑が続きます。今度こそもちろん“脱水症状”や“熱中症”を疑います。このような時は、「水分+塩分」摂取を行いましょう。昼間エアコンを付けていても夜間は切っており、就寝中の“こもり熱”で“脱水”になっている事もあります。急ぎの「水分+塩分」摂取は経口補水液やポカリスエットなどがあると便利ですが、インスタントの味噌汁を水で溶いて飲ませるのも良いでしょう。

利用者さんに買い物を頼まれたら、塩飴や塩分タブレットをおせっかいで購入して「部屋に置いといて、調子悪い時、水分と一緒になめると良いですよ!」と声掛けするのもあり。何か簡単に対応できる物が普段から家にあると良いです。水分摂取しても改善しない場合は通院か救急車を検討します。

他に疑うべきものは何があるか?

暑さに体力が低下して食欲不振になっての栄養不足もあるでしょう。ビタミンB群はエネルギー代謝に関わるので慢性的に不足すると、食欲不振・記憶力減退・集中力低下・疲れ眼や眼の充血・口角炎・口内炎・うつ・無気力・幻覚症状・イライラ・不安・精神障害・かゆみ・浮腫性湿疹・皮膚炎・貧血・手足のしびれやもつれ・神経痛・筋肉痛・めまい・頭痛・動悸・傾眠などを起します。ビタミンB不足を放置すると、脳障害を引き起こす事もあります。介護職はすぐに「認知が悪化した!」と考えがちですが、可能性は様々あります。本当にアルツハイマー病などの進行である場合は、すぐにもっと悪くなるわけでも簡単に回復するわけでもないので、慌てて判断する必要はありません。対応として優先しなければならないのは、放置すると「悪化する可能性」と対応によって「回復する可能性」です。他にも回復する可能性のある認知症状としては「正常圧水頭症」や「老人性うつ」があります。
~ヘルパーミーティングのお知らせ~

月一回定例のヘルパーミーティングは、偶数月を梅丘と祖師谷の合同で全体のミーティングとして行い、奇数月は梅丘・祖師谷別に開催します。

(内容)利用者さんの状況等・支援計画の変更の必要性の有無 今月の議題・伝達事項

★ミーティングと研修会を同時開催しています。

会議参加手当(ミーティング)は1回につき1370円です。
梅丘ヘルパーミーティング

9月19日(木)18:30~

【研修】認知症ケア-理解と対応-

(荻野)
祖師谷ヘルパーミーティング

 9月10日(火)18:15~

【研修】回想法(認知症ケア)

(佐々木)
 


紙ふうせんだより 7月号 (2019/08/21)

2019年(令和元年)7月 文月号
 

利用者さんを笑わせたい

ヘルパーの皆様、いつもありがとうございます。今年は25度を下回る日が多く、16年ぶりの寒い7月のようです。8月からの急な高温には身体がついていかなくなってしまうでしょうから、体調管理にはお気をつけ下さい。

七夕の願い事

旧暦の7月7日は「七夕」で(新暦に直すと2019年は8月7日)、五節句の一つ「七夕(しちせき)の節句」のお祝いです。もともとは、古代中国の織女と牽牛の伝説にあやかった「乞巧奠(きこうでん)」という裁縫の上達を祈願する女性の行事でしたが、奈良時代に日本に伝わり、和歌や習字などの上達の祈願を短冊に書いたようです。今では願い事を何でも書いて良いものとなりました。

「笹に願い事を吊したってかなう訳ない」と、大抵の大人は思います。それでも短冊を渡されて「どうぞ」と頼まれたら、皆さんは何を書きますか? 書こうとした時に、経済的合理性や実現可能性や「どうせ無理」という諦めが先行してしまい、想像力の自由な飛躍に蓋をしてしまってはいせんか。結局安易に「サマージャンボが当たりますように」等と書いてしまいます。でも小さな子供は違います。「怪獣になりたい」等、自分の関心と情熱にまっすぐです。“無邪気”な子どもの願い事を見て癒されるというのも悪くはありません。では、大人になるにしたがって自分に入り込んでしまった“邪気”とは何なんだろうかと考えてみる事も、自身の本当の願いに対して自分が素直になれるかもしれなくて、良い事なのではないでしょうか。

持って生まれたままの自然な子供(FC)と型にはめ込まれて順応した子供(AC)

大勢の人の前ではツンツン棘(とげ)がある態度を取りながら二人きりになるとデレっと甘えてくるキャラクターの事を、アニメや漫画では「ツンデレ」と呼びます。ツンツンとは、「弱みを見せたくない」「しっかりしているところを見せたい」という気持ちで周囲に対して防御線を引いている状態ですが、“大人な”態度であろうとして子供状態の自我が無理をするから、意図しない棘が出てしまうのです。結果、周囲との人間関係がぎくしゃくしますが、その反動で、甘えさせてくれる相手(甘えられる関係)だと態度が逆転します。際限の無い甘えに今度は相手が疲れて、関係が破綻する事もあります。でもまあ、そのような失敗を経て自分について考えたり客観視する努力を重ねて大人の自我を育てていくのですから、発達のために必要な“大人子供”の段階とも言えます。この自我状態は、子供の自我ではありますが、生まれ持った天真爛漫さを純粋に発揮する状態(Free(フリー) Child(チャイルド)=FC)ではないので、エリック・バーン(※1)による「自我状態の分析理論(TA)」では、親によって躾(しつけ)けられた子供(Adapted(アダプテット) Child(チャイルド)=AC)と呼びます。このACは、その時の対人関係に自分が適応的だと、従順さを示したり甘えたりしますが、適応的でないと反抗を示したりひねくれたりという二面性を示します。もっともどんなものにも二面性があるという事は、心得ておきましょう。

※1 Eric Berne(1910-1970)カナダ出身の米国の精神科医、1957年に「交流分析」を提唱。

親の態度(P)に対応する子供の態度(C)

TAによると親の子供に対する態度には、批判的な親(Critical(クリティカル) Parent(ペアレント)=CP)と保護的な親(Nurturing(ナーチャリング) Parent(ペアレント)=NP)があります。CPは、指導的な態度で子どもの責任感などを育み、NPは、慈しみや励ましで、子どもの持って生まれた可能性を育みます。




「親の自我状態」(NPまたはCP)

親と同じように考え、感じ、行動する。

「子供の自我状態」(FCまたはAC)

子供の時と同じように考え、感じ、振る舞う。

「成人の自我状態」(A)

これまでの人生経験を基にその状況で最も適切な考えや気持ち、行動を示す。




躾けるという事は、子どもに規律や道徳を教える事です。しかしその教え方が、強すぎるCPによって、高圧的で言う事を聞かせようとするだけになってしまうと、子供は内心では怯えたり反抗したりしながらその気持を表現できずに、表面は従順で親に媚びたりします。このような裏腹な感情が先ほどのACの二面性を生じさせるのです。また、“優しい親”にも落とし穴があります。優しさはNPの要素ですが、親の都合で、子どもの為にというよりも自分の為に子供を甘やかすようになってしまうと、子供は、FCが持っている自己中心性を強化してワガママになってしまいます。このように二面性について検討してみると、養育過程で子供に侵入するものは、“子供を思い通りに操縦したいという親の支配欲”だという事が解ってきます。愛情も二面性があるんですね。

TAでは、人は時と場合に応じて、「子供の自我状態」と「親の自我状態」と「成人の自我状態」を取るとしています。そして「子」と「親」の自我状態は対応すると考えています。つまり、FCにはNPが、ACにはCPが対応します。そして、態度がコロコロと変わる人は「子」や「親」になったりを繰り返しているのであって、“成長によって獲得した自分(Adult(アダルト)=A)”が弱いという事なのです。このAを伸ばす為には、本や新聞を読むなどして視野を拡げたり、日記を書く事などによって自分を客観視する機会を作る事なんだそうです。「成人の自我状態」が安定すれば、自分の自我状態が相手に影響を与えて周囲を振り回したり、受け身になって自分が振り回されたりする事も少なくなってきます。(但し、Aが突出すると冷徹で打算的な印象を相手に与えます。)

※2「交流分析」のエゴグラム(CP・NP・A・FC・ACの視覚化)は自分の型や苦手要を自覚して、意識して自分を変えていこうとするものです。Eric Berne「他人と過去は変えられない。自分と未来は変えられる」

“子供心”を忘れていませんか?

さて、七夕の短冊に「利用者さん笑わせたい」と書いたとしましょう。どうしたら良いのか、答えは既に出ています。“純粋な笑顔”は無邪気な Free(自由な) Child(子供)の表れです。介護職は、対人援助という職務上「親」の自我状態になりやすく、それに対応して利用者さんが「子」の自我状態となってしまうと、ネガティブ面ではワガママや依存、受け身や反発を招きます。ベーシックな関係はAとAの関係ですが、Aばかりだと素っ気ない他人行儀となります。利用者さんを心から笑わすには、自分が自然とFCを出せる事が大切なのです。どうやったら仕事中にFCを出せるでしょうか。それは、仕事を子供の頃の遊びのように純粋に楽しむ事です。そんな事を言うと「介護を遊びだなんて不謹慎だ」と言う人がいます。でもちょっと考えてみて下さい。それは親から刷り込まれた先入観(CP)です。どんな事が自分のFCを素直に出す練(※2)習となるのでしょうか。日常生活で「感情を素直に出す」「趣味の時間を作る」「スキップをしてみる」等、なんだそうです。「なんだ、そんな事か」と思いませんでしたか? では明日からは、スキップをしながら利用者さん宅に訪問してみましょう。
紙面研修
救急車の呼び方■■■
  • 意識レベルが低い。呼びかけへの反応が薄い(寝てるわけでは無い)
  • 呼吸が苦しい様子。唇が紫色。(心臓?)
  • 胸痛がする。(心臓?)
  • 怪我をして自力で動けない。強い痛みがある。
  • 腹部を強く打った後、痛みが強く、嘔吐や吐き気がする。(内臓?)
  • 広範囲なやけどをした。
  • 頭を打った。または、その他の理由で意識状態がおかしい。(頭?)
  • 転倒などで、手や足の一部または全部に力が入らなくなった。(脊椎?)
  • 転倒などで、強い痛みがある。(骨折?)
  • 激しい腹痛がする。(胃腸?内臓?)
  • 多量の吐血や下血がある。(消化管からの出血)
  • 痙攣が続いている。(脳?神経神経障害?)
  • バレー徴候がある。(脳卒中?)
これら以外でも、緊急に病院へ搬送する手段のないときは救急車を要請して下さい。

通報の際は、おちついて、はっきりと通報する。(事務所と連携済の状態で対応します)
  1. 119番にダイヤル(携帯電話がベストです。電話しながら作業ができます)
  2. 火事ですか?救急ですか? →「救急です」 どうなさいましたか? →「訪問介護のヘルパーです。利用者さんが…」
〇訪問したら倒れていました。

〇目を離した隙に転倒して、起き上がる事が出来ません。股関節に痛みを訴えています。

〇訪問したら椅子に座って目を閉じていますが、呼びかけに名前は答えられますが、普段会話ができる方なのに、会話ができません。意識レベルがおかしいです。

※緊急性があると判断した根拠が伝わるように話す。

通報されてる方はどなたですか?→「ヘルパーの〇〇〇〇です。」

住所はどちらですか?記録ケースの中のケアプラン、介護保険証、テーブル上の郵便物等で確認

緊急連絡先一覧があると便利。

連絡先は何番ですか?→「この携帯番号でお願いします」

→これから救急車が向かいます。

「今救急車呼んだからね」と安心させる。

※この間、救急車と一緒に持っていく荷物をまとめる。(折り返し電話がかかってくる)

現場で全てを対応している場合は余裕があれば家族に「救急車を呼びました。搬送先が決まったら病院に向かえますか?」と電話する。

3.救急隊です。どのような状態ですか?いつからですか?

→先ほど伝えた情報を再度まとめて伝える。要介護〇、性別、氏名、生年月日も。

「○○さん、いつからですか?…ご本人に聞いたら昨夜からこの状態だそうです…」等、

(突然の激しい頭痛、急な息切れや胸痛や呼吸困難は、脳卒中や心筋梗塞か?)

4.サイレンの音が聞こえたら、可能であれば表に出て救急隊を誘導する。

5.救急隊が到着したら、行った応急手当、容体の変化、既往歴などを報告する。

救急隊は利用者さんのバイタルを確認する。

飲まれてる薬はありますか?→「用意してあります」等、薬の情報を伝えたりします。

かかりつけの大きな病院はありますか?→診察券を渡すか病院名診療科を伝える。

(搬送先選定に必要な情報です)

ご家族はどちらですか?→緊急連絡先への対応状況を伝える。

(搬送先の病院で手続きが必要で、連絡が付かない・身寄り無し等だと救急車に同乗を求められる)

ヘルパーさんは基本的には同乗しません。 現場でわからない情報は事務所に問い合わせをする。

6. 救急隊は利用者さんをストレッチャーに乗せて救急車の車内へ運ぶ。

※火の元の確認、窓と玄関の施錠、利用者さんの荷物を救急車へ運ぶ。

搬送先が決まったら救急車は出発します。事務所・ケアマネ・家族等へ搬送先を連絡する。



 



 

 

 

 

 

 

~~合同ヘルパーミーティングのお知らせ~~

【日時】 令和1年 8月23日 金曜日

暑気払い(研修会)と同時開催。(案内は別紙)

当日は、懇談が中心となります。ざっくばらんに話し合いましょう。

会議参加手当(ミーティング)は1回につき1370円です。

 

 


紙ふうせんだより 6月号 (2019/07/12)

2019年(令和元年) 6月 水無月号

雨にも負けず 自分にも負けず

ヘルパーの皆様、いつもありがとうございます。今年の梅雨は、しとしと長雨というより、大量に降っては晴れるので、まるで熱帯のようですね。ともかくこの時期は食中毒などにご用心。また、雨の日の自転車移動は見通しも悪くなるし、注意が前方ばかりに向きますので事故に注意して下さい。余裕を持った早め早めの移動をお願いします。

悩み苦しむ人とどこまでも一緒に悩み苦しむ」 宮澤賢治の覚悟

雨の季節に必死で自転車を漕いでいると、「雨にも負けず 風にも負けず」と東奔西走する一編の詩が思い出されます。この宮澤賢治の「雨ニモマケズ」を読むたびに、困っている人や悩んでいる人に“寄り添う”とはどのような事なのか、考えさせられます。

宮澤賢治は、東北の貧農たちと同じ生活苦を味わいながら、彼らの生活向上を目指す事を自らの理想としました。自ら農作業に勤しみ極端な粗食を良しとし、その中で農業技術者でもあった賢治は、周辺の農民達に肥料相談や稲作指導を行い、農民のための農民による芸術の実践をなど試みました。「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」とした賢治は、無理が祟り37歳でこの世を去っています。賢治の遺した手帳の書付け「雨ニモマケズ」からは、心の底に秘めていた想いが伝わってきます。「涙を流し」「おろおろ歩き」「みんなにデクノボーと呼ばれ」「ほめられもせず」などは、自分の能力を誇る事を徹底して拒否し、自分が無力である事を肯定し、それでも、だからこそ自分自身は悩み苦しむ人とどこまでも一緒に悩み苦しもうとしています。「そういうものに わたしはなりたい」という賢治は、自分の苦労が報われない事も覚悟しています。本当の心の痛みは、力があるから、強いから、知識があるから、専門家だから“助けてあげられる”というものではありません。それを知っているから、賢治は必死になって心の痛みに寄り添うのです。苦しむ人の「支え」となるものは、“解決策が与えられる事”ではなく、共に悩んでくれる人の「存在」なのです。

 

終末期に必要な「共に老い、病むべき仲間」による「支え」

終末期ケアでの

「ケア」の定義
CURE(キュア)

(治す・癒す)
CARE(ケア)

(配慮・気配り)
認識の原点 生を基点、病を治す 老い・病・死を基点
目的 健康に戻る 意味ある生の完成
援助者の立場 患者から見て指導的立場 共に老い、病むべき仲間
http://www.grief-survivor.comより、一部改変し引用
かつて“スパゲッティ・シンドローム”(延命装置などのさまざまな管に繋がれた状態)として、命の尊厳を脅かしていると批判された終末期の医療は、その反省から「治療」から「緩和医療・ケア」へと、残された人生のQOLを重視する方向へと転換するようになりました。「援助者自身が、共に死すべき者、共に老いるべき者、共に病むべき者として、有限な存在である自己を受容し、苦しみのなかにあるひとの想い・願い・価値観が成長し、変わるのを支える」と『ケアの思想と対人援助』(村田久行)にあるように、ケアを行う援助者の持つ意味も、「専門家による指導」から「共に老い、病むべき仲間」による「支え」へと転換してきました。

一回限りの人生を自分らしく生き抜くために

人生の最終段階で生じる「私は私でいてよかったか?」という人生の全てを振り替えるような疑問は、身体や精神よりも根源的なものとしてスピリチュアルペイン(魂の痛み)とも呼ばれていますが、それは“存在の苦悩”として実は誰でも持っています。「何のために生きているのか」、今まで一度も考えた事が無い人は居ないでしょう。自分が乗っていたバスが事故に遭って乗り合わせた人が亡くなった時には、「なぜ自分は生きているのか」と考えます。物心がついた頃に「人はなぜ生まれて死んでいくのか」と思ってみたり、終わりなき日常に「毎日繰り返される体験の意味は何か」と悩む時もあります。全てそれらは人生の『意味』についての問いであり、その回答を示さなければならないのは他でも無く自分自身であり、一回限りの自分の人生を自分らしく生き抜いてみる以外に答えはありません。このような人生の問いと答えには、専門家というものは存在しません。生老病死の意味を悩み『意味ある生の完成』に向けて生きているのは、利用者さんだけではなく私たち自身も同様なのです。
※宮澤賢治の自宅兼私塾兼集会所の羅須地人協会の黒板には、「下ノ畑ニ居リマス」とあった。「…おやつはそこに置いてあるよというやさしい心ずかいの意がかくされてあったのです。私たちは学校の帰り先生の家を訪ねては、おやつ捜しに入り、それをかってに取り出しては食べて帰るというのがなんとも楽しくて…」(当時の塾生の回想)
私たち自身が利用者さんと「共に老い、病むべき仲間」であろうとし続けるのであれば、利用者さんの苦悩は私たち自身の苦悩の一部となります。その時、私たちが安易に答えを出そうとするのではなく利用者さんと一緒に悩む事によって、その態度こそが、利用者さんが自分の答えを自身で見出していく支えとなるのではないでしょうか。ここに「人が人に寄り添う」ケアの本質があります。“生の完成”という大事業は創造の苦しみを必要とします。自暴自棄になって介護拒否をする方がいたら、その人自身も悩んでいますが私たちも悩みます。寄り添う事は言いなりになる事ではありませんから、提案が意に添わなかったために「デクノボー」と罵られる事もあるかもしれません。その時に刺された私の心の痛みは、その人の持つ痛みでもあるかもしれないと思い至る時、時を同じくして、自暴自棄という表現の裏側にある悔しさや憤りや悲しみの「意味」に、その人自身が気が付つくかもしれません。倒れた者もいつかはそうやって、これこそが自分の人生なのだと、一回限りの人生をもう一度自分らしく生き抜いて(死んで)みようと覚悟を決めるものです。私たちに必要なのは、その覚悟への歩みを見守り、隣に居ようとし続ける私たち自身の覚悟ではないでしょうか。

 

緊急時対応チャート

詳しくは紙面をご覧ください。

 

労災(労働災害)にご注意下さい


★介護中の事故(ヘルパーさん自身)→ぎっくり腰、圧迫骨折

◎腰痛予防などのために、就業前に準備運動をしましょう。

※無理な動作はしません。

◎入浴で血行をよくして、筋肉の疲労や強張りをとりましょう。

 

~ヘルパーミーティングのお知らせ~

月一回定例のヘルパーミーティングは、偶数月を梅丘と祖師谷の合同で全体のミーティングとして行い、奇数月は梅丘・祖師谷別に開催します。

(内容)利用者さんの状況等・支援計画の変更の必要性の有無 今月の議題・伝達事項

★ミーティングと研修会を同時開催しています。

会議参加手当(ミーティング)は1回につき1370円です。

◎入浴で血行を良くして、筋肉の疲労や強張りをとりましょう。
梅丘ヘルパーミーティング

7月17日(水)18:30~
【研修】熱中症・脱水対策(佐川)
祖師谷ヘルパーミーティング

7月23日(火)18:20~
【研修】残存能力を奪わない介護(小泉)
 


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