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紙ふうせんだより 5月号 (2019/06/12)
2019年(令和元年)5月 皐月号
紙ふうせんだより
自分”とは何か
ヘルパーの皆様、いつもありがとうございます。体調を崩されている方はいませんか? これからの季節気温も上がりますが、身体や生活環境が冬仕様のままの利用者さんは、脱水が心配されます。水分補給や薄着、エアコン使用への声掛け等をお願い致します。私たちも季節の変わり目には体調管理に努めましょう。そして人生の変わり目には自己覚知が必要です。
五月病の本当の意味
発達心理学(※1)では、人は生涯を通して変化・成長を続けるものと捉えている。人生の各段階に応じた心理的課題があり、幼児から高齢者に至るまで、誰でも人生の節目節目に発達課題を体験する。今の自分にはどんな課題が生じているだろうか。課題を自覚し、自己認識を改めていく必要がある。その時、以前の段階で抱いていた自己概念(自分がどんな人間であるかということについて抱いている考え)は、たいてい変更を迫られる。
例えば学業優秀な学生が、自信を持って自分のやりたい事に胸を膨らませて就職した。しかし、会社は自分のやりたい事を実現する為だけにあるのではない。多くの職場は、業務の基本的な流れに則る事やあるべき態度の習得や所定の条件など、会社側の要求を持っている。“自分のやりたい事は違う”“こんなはずじゃなかった”と、会社に対して幻滅するような事もあるだろう。この葛藤は新年度の五月病としてもよく現れる。どんな会社にも欠点はある。しかし、問わなければならないのは自分自身ではないだろうか。自我は、自分の内側からの欲求と外部からの要求の狭間で苦しみもがく。学生時代に確立した自分に自信が無くなったり、自分を手放さないように外部と戦ったり、周囲の期待に応えようと闇雲に頑張ったりする。自分の内側に自分を見出そうとする視点と、外側に見出そうとする視点との間で悩み揺れ動く事は、自分自身を鋳造しなおすために必要な心理的作業だ。この時、視野狭窄して 自分のイメージに固執すれば孤立してしまうが、孤独の中に内省を経て周囲との親密性が回復されれば、自分が見ている“自分”と他者から見えている自分は、実は異なるんだという事に気が付く。このような自分自身の再確立の機会は、人生で繰り返し何度も訪れる。
「自己統合」高齢者の究極の課題
利用者さんの場合はどうだろう。要介護高齢者ともなると自己概念の変更は自分の望まない変更となるので、受け入れる事により大きな困難が伴う。しかも、自分の再確立の機会は若者に比べたらもうほとんど残り僅かしかない。心の中では「私は私でいてよかったか?」という人生の全てを振り替えるような疑問が沸き起こり、過去の課題の持ち越しややり残しが余りにも多いと、自分の人生が本来の自分ではなかったのではないかと絶望を感じてしまう。しかしそこで「死(※1)そのものに向き合う中での、生そのものに対する聡明かつ超然とした関心」が生じ、自分が“自分であること”を認め、人生の全体を視野に入れた自己受容が行われれば、一生の課題であり続ける「自己統合」が行われ生涯の宝となるだろ。
※1エリクソンの8つの発達段階が有名 初期青年期の課題は「親密性 対 孤独」老年期は「自己統合 対 絶望」
自己概念が変化しようとする時、人はどんな気持ちになるのだろう
乳がん患者の場合は見てみよう。(右図)介護外から引用したのは、そこに高齢者の課題や自分の課題との共通項を見出して欲しいからだ。この論文には、「問題に直面したり意思決定する時には誰もが心の揺らぎを経験する。心の揺らぎが大きくなると(略)“不確かさ”が生じる。(略)不確かさは人が人生についてのひとつの見方から、より高い秩序に立った見方へと移行する機会である」とある。
乳がん患者の自己概念の変化を表すパターンとテーマ | |
パターン(抜粋) | テーマ |
これからの生活に自信がない 身体に対するショックを受けた 元の生活に戻れない自分がもどかしい |
納得していても心が揺らぐことがある |
周りの人に助けられているいる 同病者との関わりは大切だ 人に優しくなれる |
同病者を他人と思えない |
病気を知られることに抵抗がある 人に同情されたくない |
がん患者である自分を守りたい |
やりたい事をやっていきたい 前向きな気持ちでやっていく 自分を大切にしている |
これからは自分のためにも生きていきたい |
今までと変わらずにやっていく 頼ってはいけない |
今までの自分でやっていける |
「自己統合」への道
自己概念の変化の機会はいつだって誰にでも起こりうる。それまで自分自身に抱いていたイメージがどのようなものだったかは大した問題では無い。“自信のある自分”にこだわって自信を失う事もある。自信過剰だったと考え至れば、ポジティブさは劣等感の裏返しだったと思うかもしれない。“ネガティブな自分”を自覚するがゆえに素直に周囲のアドバイスを耳に入れ、勤勉に取り組んだ結果として劣等と思い込んでいたものの中の好ましい性質に気が付き、自己評価が反転する事もある。大切なのはそれまでの“自分の枠”を上手に壊してやる事だ。壊す事を恐れたら新たなものは何も創れない。社会や企業にも変化が必要だ。だが、自分自身の人生において最も標的としなければならないものは自分自身である。自分を棚に上げて外側を責め、自分が変化する機会を取り逃がしてはつまらない。この課題は、若者だけでなくベテランや高齢者にもあてはまる。自分で自分の入る牢屋をこしらえてそこの警備員に収まるくらいなら、全力で檻を壊さなきゃならない。
“自分”とは何だろう。それは、“自らのものと感じる領分(力の及ぶ範囲、領域)”だ。大抵の人は、好ましいところだけを“自分”として嫌なところは見ない振りをしがちだ。そんな自己不(・)受容な態度は自己統合の妨げとなる。狭い自分を拡げるために出来る事は何だろう。一つ提案がある。自己統合を目指す人を本気で支援する事だ。利用者さんの悩みや喜びを、自分の悩みや喜びとして捉えてみよう。癌患者の心の揺れも自分のものだ。鬱サバイバーや若者の悩みも自分のものだ。そうやって“自らの事として幸せを願う領域”を拡げていこう。
やがて自分自身にも死の床に回想する時が必ず来る。自分はどう生きただろう。生きとし生けるものは皆必死で生きている。その命の燃焼のなんと崇高な事か。あれもこれも全て自分自身の事だった。全てに意味があり自分は森羅万象と繋がっている。このような実感が「自(※3)己実現」や「自(※4)己超越」や「自(※5)己統合」なのだ.
『老いの近代』岩波書店 天野正子
「子どもに玩具を与えれば、子どもはそれを口に入れたり、叩いたり、投げたり、壊そうとする。一見、大人からすれば、玩具を壊そうとしているように見える。しかし、子どもはその対象物を知りたくて、理解したくて、所有したくて、壊すのである。すなわち、破壊そのものが目的ではない。こう考えると、人間の身体的・心理的・社会的減退も、また違った意味を呈してくる。加齢に伴う体力の減退、社会的地位の喪失、心理的不安定性、これらの現象は人間をまた新たに創造するために、人間を深く理解し、自分の存在を収斂するための手段であり、いわば人生の「統合」に匹敵するものではないだろうか」
※2「乳がん患者の自己概念の変化に即した看護技術」日本看護学会誌Vol.19 1999
※3ユング(分析心理学)1875-1961 ※4(人間性心理学)マズロー1908-1970 ※5エリクソン(発達心理学)1902-1994
労災(労働災害)にご注意下さい
★介護中の事故(ヘルパーさん自身)→ぎっくり腰、圧迫骨折
◎腰痛予防などのために就業前に準備運動をしましょう。
※無理な動作はしません。
★通勤・移動中の交通事故(自転車)→転倒・衝突
移動交通事故の“ヒヤリハット”報告書フォーマットを作成しました。ヒヤリハットの該当者は、申告して報告書を作成して下さい。(ヘルパーさんには文書作成手当がでます)
皆でリスクを確認し合いましょう。
◎交通事故予防の為には、環境要因(道路状況・混雑・時間帯・天気)や、自転車要因(機能構造・整備不良)、相手によるもの(飛び出し・よそ見・スマホ等)もありますが、自分自身の要因にも注意を払わねばなりません。以下を自分自身に確認しましょう。
思考 動作 認知 体調
□予想しなかった □無理なそうさをした □よく見えなかった □疲れていた
□大丈夫だと思った □不要な操作をしていた □気が付かなかった □イライラしていた
□考え事をしていた □急いでいた □よそ見をしていた □心配事があった
~ヘルパーミーティングのお知らせ~
月一回定例のヘルパーミーティングは、偶数月を梅丘と祖師谷の合同で全体のミーティングとして行い、奇数月は梅丘・祖師谷別に開催します。
(内容)利用者さんの状況等・支援計画の変更の必要性の有無 今月の議題・伝達事項
★ミーティングと研修会を同時開催するのは、今までと同じです。
梅丘・祖師谷合同ヘルパーミーティング
6月14日(金)18:30~ (場所:梅丘)
【研修】精神的ケア・ターミナルケア
紙ふうせんだより 4月号 (2019/05/09)
2019年(平成31年) 4月 卯月号
紙ふうせんだより
さまざまな事を未来に活かすために
さまざまの事おもひ出す桜かな 松尾芭蕉 |
自分の責任を棚上げし、誰かに押し付けてはならない
2005年4月25日 9時18分、JR福知山線が脱線。運転手含め死者107名、562名負傷、史上最悪の鉄道事故となった。制限速度70キロのカーブに時速約116kmで進入、1両目が外へ転倒するように脱線し後続車両が続いた。なぜ運転手のブレーキ操作が遅れてしまったのだろう。運転士歴11ヶ月の23歳の運転手は、事故直前の伊丹駅で70メートルのオーバーラン(正しい停車位置を越えるミス)を起してしまい、車掌に無線でミスを過小に報告するように「まけてくれへんか」と頼んでいる。列車は1分半の遅延を取り戻す“回復運転”のために速度を上げていた。この時、総合指令所にオーバーランを報告する車掌の交信を運転手は、慌てふためきながら聞き耳を立てていたのではないかと言われている。カーブ手前、列車は速度を落とす事はなかった。運転手が恐れていたのは、遅延やオーバーランなどのミスを起こすと会社から罰せられる「日勤教育」だったと後に証言されている。
日勤教育とは、就業規則や経営理念の書き写しや、プラットホームの先端に立って発着する乗務員に「おつかれさまです。気をつけてください」との声掛や、草むしりやトイレ清掃などを一日中させられる懲罰的な勤務で、軟禁状態にして管理者が集団で毎日のように恫喝や罵声を浴びせ続けて自殺や鬱に追い込んだ事例もあったという。このような“教育”を行うJR西日本の企業としての態度は、数多くのトラブルの原因を過密ダイヤや目一杯の運行速度等の組織の構造的問題と捉えずに、安全への責任を現場の個人に押し付けるものだった。
この事故とその後の変革への闘いを取材した『軌道』によると、「運転士のブレーキ遅れ」「日勤教育」「ATS-Pの未設置」等は事故の原因ではなく、結果だと言う。国鉄民営化から18年間の経営手法と、それによって形成された組織の無責任体質が招いた必然的な「組織事故」という指摘だ。これは責任者や事故当事者を追及すれば済むようなものではなく、一人ひとりが意識改革すべきものだ。自分に染み付いた“無責任”を問い、各自が「安全」と向き合う必要がる。
『軌道』東洋経済新報社 松本創
トップや幹部が悪いせいでこうなったと問題を単純化するのは、会社側が運転士個人のミスに帰そうとする姿勢の裏返しに過ぎない。組織の中の個々人が自分の責任を棚上げし、誰かに押し付けて断罪する、その『切断処理』こそが、組織全体を無責任体質にしたのではなかったのか。
「組織事故」という視点で「介護事故」を検討し、自立支援でリスクを減らす
これらが見られたら体力を維持向上させる取り組みや手すりや自助具の使用なども検討しなければならない。実は、これらはほとんどの利用者さんに当てはまる。利用者さんは異常をきたしているからこそ要介護の判定が出ているからだ。だから利用者さんの自立支援(ADLやIADLの向上への取り組み)をどうやって進めて行くかは、支援体制の最初から考えておくべきものなのだ。事故発生をシステムの問題として見る時、300の異常(要因)に対処しきれていないシステムの特性に問題があったと言えよう。
「前に家で転んだと言っていた」「ふすまが大きく破れていた」これらは既にヒヤリハットだ。ヒヤリハットはヘルパーさんの訪問時に起こるとは限らない。時間帯などを考えると訪問時以外の可能性が高いからこそ、目撃情報以上に利用者さんからの聞き取りが大切であり、会話の中のヒヤリハット事象を聞き逃してはならない。またヘルパーさんはヒヤリハットを目撃したら、宝くじに当たったくらいの重要事象だと理解してすぐに報告を入れなければならないが、現場のヘルパーさんに全ての責任があるのではもちろん無い。そもそも支援の方向性をサ責やケアマネが、自立支援など明確な意思を持って本人や家族やヘルパーさんと話し合っているかが問われてくる。私たち支援組織の全員は、利用者さんのADL低下に慣れっこになってはならない。異常を皆でスルーした結果としての事故と考えれば、異常に慣れ切った私たちの意識の問題があり、自立支援に有効な支援の仕組み作りの失敗があり、利用者さんときちんと向き合って来なかった私たちの態度こそが、より本質的な原因なのだ。私はここで“事故ゼロ”を声高に主張したいのではない。在宅生活とは自分らしい生活のためのリスク選択である。自立支援はその選択を支持し、リスクを減らすためにADL向上に取り組み、利用者さんが一人の時でも生活し続けられるようにしていく事が目的となる。在宅生活支援とはつまり継続的な自立支援なのだ。私たちの支援は、訪問時間だけではなく生活や人生の全体へと想像を拡げていく事によってこそ、本当に意味のあるものとなってくる。
利用者さんの変化に気づいたら(聞いたら)すぐ電話!!
紙面研修
失敗に学ぶ
300の異常やヒヤリハットをただ恐れてばかりでは、在宅生活に限界を感じてしまうのもまた事実だ。また、自立を促してご本人にやって貰おうと取り組んだことが、結果的に「できない」「やっぱり無理」という本人に対してのダメ出しになってしまい、本人が意欲を失ってしまうのも避けたい。また、「事故を起こさない事」のみが正しくて、一切の事故が許されないのであれば、「もう在宅生活はやめて施設に入ってもらおう」という事になりかねない。これでは在宅介護を推進する意味が無い。「角を矯めて牛を殺す」になってしまう。
【角を矯めて牛を殺す】 曲がった牛の角をまっすぐにするために叩いたり引っぱったりすると、牛は弱って死んでしまうことから、わずかな欠点を直そうとして、かえって全体をだめにしてしまうことをいう。「矯める」とは、矯正する。曲がったものをまっすぐにするという意味。
全ての「失敗」を排除しようとするのではなて、失敗からも学ぶ事ができるという事を理解しておこう。失敗があったからと言って落ち込む必要は無い。英語のことわざには「一度も失敗を経験したことのない者は成功できない」というものがある。発明王トーマス・エジソンは「私は失敗したことがない。ただ、1万通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ。」と言っている。失敗学では「失敗」を以下の3つに分類している。
1.織り込み済みの失敗。ある程度の損害やデメリットは承知の上での失敗。 2.結果としての失敗。果敢なトライアルの結果としての失敗。 3.回避可能であった失敗。ヒューマンエラーでの失敗。 |
- と2. の失敗は、「失敗は成功の元」となり得る失敗である。また、この2つの失敗については、状況・結果などがある程度予測できたり、経験からくる的確な判断で対処したりすることができる。3.の失敗は、失敗からさらなる悪循環が生まれる失敗である。予想しておけば回避可能であったにも関わらず、予想をしていなかったためにパニックに陥り、ますます、状況を悪くしてしまう。
3の失敗はどうやったら未然に防げるだろうか。
外部研修のご案内 (主催:世田谷区福祉人材育成・研修センター) | |
以下の研修は、登録ヘルパー対象で登録ヘルパーさんに世田谷区から助成金が支給される研修です。 研修1時間につき1,000円が支給されます。事前に区内の事業所からの申し込みと登録が必要です。 ご希望のある方は、お申し出下さい。(紙ふうせんからも数名の参加実績があります) |
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介護職員研修【新任】基礎的な内容です(4,000円助成)6月14日(金)13:00~17:00 成城6-3-101F研修センター | |
信頼関係を築くための接遇・マナー研修(2,000円助成)10月30日(水)15:00~17:00成城6-3-101F研修センター | |
障害福祉の理解研修 (仮)「当事者とその家族から学ぶ高次脳機能障害者への支援」調整中 |
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(仮)「性的マイノリティの理解研修」調整中 | |
上記以外でも社員向け(とは言え、登録ヘルパーさんの参加を拒むものではありません)のさまざまな研修があります。詳しい研修内容等はHPで確認下さい。 世田谷区社会福祉事業団 世田谷区福祉人材育成・研修センター https://www.setagaya-jinzai.jp/ |
月一回定例のヘルパーミーティングは、偶数月を梅丘と祖師谷の合同で全体のミーティングとして行い、奇数月は梅丘・祖師谷別に開催します。
(内容)利用者さんの状況等・支援計画の変更の必要性の有無 今月の議題・伝達事項
★ミーティングと研修会を同時開催するのは、今までと同じです。
会議参加手当(ミーティング)は1回につき1370円です。
梅丘ヘルパーミーティング
5月14日(火)18:30~
【研修】緊急時の対応 (本郷)
祖師谷ヘルパーミーティング
5月24日(金)18:10~
【研修】自立支援のアイデア (佐々木)
全てのヘルパーさん対象です!! 健康診断を受診して下さい。
受診結果と領収書をお持ち下さい。特定検診の費用(オプションを除く)をお支払いします。
紙ふうせんだより 3月号 (2019/04/22)
2019年(平成31年) 3月 弥生号
紙ふうせんだより
3月の記憶
ヘルパーの皆様、いつもありがとうございます。桜の開花に身心も軽くなりますね。自分も利用者さんも、何か新しい事に挑戦するにはもってこいの季節です。普段、家に引きこもっている利用者さんに、歩行力やADLの低下の心配から「リハビリしましょう!」とストレートに言っても、諦めかけている方はなかなか「うん」と言わないもの。でも、「桜を見に行きましょう」と楽しめる目的をみつければ、乗り気になるかもしれません。桜を楽しんだら「気持ちよかったですね、またでかけましょうね。」と約束して、出かける度に少しずつ歩く距離を伸ばしたら、身も心も少しずつ元気になります。ところで3月と言えば何でしょう。
東京大空襲
74年前の3月10日、天を真っ赤に焦がす明るく熱い異様な夜空を見たという方も多いでしょう。当時、足立区の鹿浜に住んでいた利用者さんは、「焼夷弾をぼんぼん落とすんだからみんな燃えちゃって浅草の観音様は残ったけど、観音様まで何にも無くなって家から見えたんだよ。上の子は山梨に疎開していたけど、下の妹を抱いてサ(※1)イレンが鳴る度に防空壕に出たり入ったりしてたんだよ。田舎だったけど、どこの家が爆(※2)弾が落ちてふっとんだ、誰それが亡くなったって言ってねぇ。爆弾が落ちると地震のように揺れるんだよ。戦争はもうやめて欲しいって思ったけど、そんな事を言ったら大変だからねぇ。」とおっしゃっていました。
9日22時30分、警戒警報のサイレンが鳴る。寝ている子供を叩き起こして防空壕に避難するが、しばらくして警戒解除のサイレン。翌午前0時7分、サイレンは沈黙したまま深川・本所・浅草・日本橋を皮切りに空襲が始まった。1機あたり1520発の焼(※3)夷弾を搭載した325機の大編隊は、日本一の住(※4)宅密集地に容赦なく焼夷弾の雨を降らせた。空襲警報が鳴った0時15分には、火炎旋風(炎の竜巻)が秒速100mであらゆるものを呑み込み始めていた。通りは“火の粉の川”となり、火炎は高度600メートルまで吹き上がった
「雨のように降る焼夷弾が炸裂し、不気味なB29の爆音が、その飛行する姿とともに身に迫り、赤々と天を焦がすさまは、何かこの世の最後のような、宇宙が終わりを告げるような、名状しがたい天と地の緊迫感が、ゴオーと鳴ってくるような押し流されてくるような異様な気配でした。 やがて、ざわめきの中で近隣の人びとが家を離れ避難するようになりました。吹く風は冬(※寒波によって防火水槽に氷が張る寒さだった)だと言うのに生暖かく、それが熱風と変わり強さを増してきました。ひょっと裏の路地を見たら、いつのまにか、すぐそこまで火災という差し迫っている状態に驚き、父は私たちを誘導し、人々と反対に風上に向かって、川っぷちに逃げ出そうとしました。するとどうでしょう。目の前は火の壁なのです。そして、今でも忘れようにも脳裏に鮮明に焼き付いて離れない恐ろしい事態を見ました。その火の海、火の渦の中に、人間が巻き込まれて宙をぐるっと回っているのです。火の車輪の中にはまって、人が輪っかになって燃え上がっているのです。 火勢がきっとつむじ風になるのでしょうか。私はこの光景を12か13歳の目で見て、大きな衝撃でした。私たち人間の身体が一片の紙くずのように火に燃えてしまうなんて!! 下町全部が火葬場のお釜の中と同じだったのです。」 『東京大空襲・戦災誌第一巻』 |
命の軽視の結果としての“破局”
41㎢全てを焼き尽くした大空襲は、一夜にして死者10万人以上、消火しようとして逃げ遅れた方も多い。空襲時の初期消火は防空法で国民の義務とされ、“爆弾が落ちたら待避所から飛び出して消火活動をせよ”“自分の家が燃えているのに爆弾を怖れて待避所に逃げているなど、言語道断だ”と言われていた。翌日の各紙の朝(※5)刊は「五十機に損害 十五機を撃墜」と大本営発表の“戦果”のみで、100万人を超える罹災者という未曽有の被害には沈黙した。
3月14日の貴族院議会で大河内議員は、「(政府は)『疎開する者は非国民だ』とまで言いだした。ぐずぐずしているうちに、昨日の被害、死傷者が出た。(略)大都会が焦土化するのは時間の問題だと思います。次は東京が全部やられるかも知れない。その場合に、人を助けるか物を助けるか、どっちを助けるかを伺いたい。(略)内務大臣から隣組長などに、『火は消さなくてもよいから逃げろ』と言っていただきたい。」と質問している。対して内務大臣の政府答弁は、「焼夷弾に対して市民が果敢に健闘いたしております」「初めから逃げてしまうということは、これはどうかと思うのであります」と、他人事のような態度に終始した。
さらに政府は、米軍による“空(※6)襲警告ビラ”を無届に所持した者は懲役2ヶ月と決定し、敵の宣伝を流布してはならないと命令した。国民の命を軽視したままツケは国民に押し付け、大空襲は全(※7)国へと拡大しついに広島・長崎の破局を迎えることになる。
惰性で過ごすのか、充実して生きるのか
政府は思考停止に陥っていた。国民が知るべき情報を改竄・隠蔽して国民の目と耳を奪い、死傷者をむやみに増やしてしまった。合理的に考えれば、国民の命をできる限り守り、助かった人材を活用する方が戦力維持にもなったはずだ。ひとたび政策決定されるとそれに従う事のみを“最善”とする態度は、“責任を取らなくて良い”“自分の頭で考えなくて良い”という気軽さはあるが、国民にとっては“最低”である。一体誰にとっての最善なのか、統治機構の中の「指示する側」は批判を免れ「従う側」は長いものに巻かれて、お互いの“支配者”の地位を保全しあう無責任体質が“政府の強み”となっている状況は、惰性でゴマカシを積み重ね、破局に至るまで軌道修正ができないので真に恐ろしい。
先の構図の「国民」を「利用者」に置き換えて介護について考えてみよう。“指示する側→従う側→利用者”の力関係が一方通行である限り、結局は利用者軽視となってしまう。そのような支援構造の歪みの結果として、利用者さんの“ADLの低下の見過ごし・転倒・入院”という破局に至る。「破局なんて大げさで、やがて誰でもADLは低下し死を迎えるんだから結果は同じ」という声もあるだろう。しかし大切なのは結果(死)ではなく、それまでの過程(生)だ。自分を軽視し軽視され早く死にたいと思いながら惰性で過ごすのか、自分が尊重され自分を再発見しながら充実して生きるのか、その違いは大きい。本当に“最善”を目指すなら、支援者自身が自身の態度について、自分の頭で考え、その考えに責任を持つ必要がある。「利用者さんに寄り添う」という言葉の意味を、もう一度よく考えてみたいと思う。
※5写真は読売報知新聞(一面の2番手の記事) ※6東京には2/7散布 ※7世田谷への空襲は散発的なもの含め12/20、12/27、2/19、2/16、3/10、4/4、4/7、4/15-16(城南京浜大空襲)、4/19、5/24、5/25(山の手大空襲)、6/11
緊急時の対応について《2》
【正常性バイアス】 自分にとって都合の悪い情報を無視したり過小評価したりしてしまう、人の持つ特性のこと。
《社会心理学・災害心理学の考え方として》
自然災害や火事、事故、事件などといった自分にとって何らかの被害が予想される状況下にあっても、それを正常な日常生活の延長上の出来事として捉えてしまい、都合の悪い情報を無視したり、「自分は大丈夫」「今回は大丈夫」「まだ大丈夫」などと過小評価するなどして、回避行動の遅れの原因となる。
古い考え方では、緊急時に人は容易に“パニック”陥ると考えられてきたが、パニックが起こるのは実際は希である事が分かっている。むしろ危機に直面した人々は、ただちに回避行動を取ろうとしない場合が多く、原因に「正常性バイアス」が指摘されている。
東日本大震災
津波避難では「警報が出ているのを知りながら避難しない」人たちがいた。地震発生直後のビッグデータによる人々の動線解析で、ある地域では地震直後にはほとんど動きがなく、多くの人々が実際に津波を目撃してから初めて避難行動に移り、結果、避難に遅れが生じたことが解っている。正常性バイアスによる根拠のない楽観的思考が対応を遅らせたと考えられる。
2014年の御嶽山噴火
死亡者の多くが噴火後も火口付近にとどまり噴火の様子を写真撮影していたことがわかっており、携帯電話を手に持ったままの遺体や、噴火から4分後に撮影した記録が残るカメラもあった。彼らが正常性バイアスの影響下にあり、「自分は大丈夫」と思っていた可能性が指摘されている。
ポイント
緊急時にもかかわらず、日常の延長のように行動してしまい、緊急対応ができなくなってしまう。
緊急時に緊急対応行動を起こせるようになるには、自分にも「正常性バイアス」が働く事を自覚する。
~ヘルパーミーティングについて~
来年度より月一回定例のヘルパーミーティングは、偶数月を梅丘と祖師谷の合同で全体のミーティングとして行い、奇数月は梅丘・祖師谷別に開催します。
★ミーティングと研修会を同時開催するのは、今までと同じです。
(GW対応) 4月は実施記録の早めの提出をお願いします!
月末まで溜めないようにご協力お願いします。 (祝日は、時給1.25倍です)
【2019年4月より、年5日以上の年次有給休暇の取得が義務化されます】
《対象者》 年10日以上の年次有給休暇が付与される労働者(管理者含む)に対して。
《義務》 年次有給休暇を付与する日から1年以内に5日以上の有給を取得させなければならない。
《ただし》 労働者が自ら申請して取得した年次有給休暇日数も、5日に含めることができる。
《有給取得が5日未満の場合》 有給取得の時季を(相談しながら)指定して取得させなければならない。
※使用者は労働者ごとに年次有給休暇管理簿を作成し3年間保存することが義務付けられました。
使用者と労働者があらかじめ話し合い、勤務表に計画的に有休取得日を入れる「計画年休制度」という法もあります。(年休有給休暇の申請書は事業所にありますのでお声掛け下さい。)
~~ヘルパーミーティングのお知らせ~~
【日時】 2019年 4月17日 水曜日 18:30~
梅丘の事務所内にて(祖師谷・梅丘含む訪問介護全体のMTGです)
★担当利用者さんの状況等・支援計画の変更の必要性の有無 ★今月の議題・伝達事項
会議参加手当(ミーティング)は1回につき1370円です。
【研修会】 テーマ 信頼とコミュニケーション (斉藤)
(関連項目:接遇等)
2019年4月22日 4:13 PM | カテゴリー: 【紙ふうせんブログ】, 紙ふうせんだより
紙ふうせんだより 2月号 (2019/03/05)
2019年(平成31年) 2月 如月号
終わらないもの 終わってはならないもの
ヘルパーの皆様、いつもありがとうございます。幸いにも今年は大雪には見舞われていません。寒さが和らぐのもあと少しの辛抱です。身体にはお気をつけください。
台湾で長年タブーとされてきた2月28日の出来事、「228事件」
大日本帝国敗戦後“光復”に沸く台湾は、工場も鉄道も滞りなく治める者も治められる者もいない平等な社会となり、誰もが台湾の未来に希望を抱いていました。しかし、10月に中国本土から“戦勝国”として台湾統治にやってきた蒋介石の国民党政府は、結局のところ台湾人(本省人)にとって外国人(外省人)だったのです。外国の軍隊が侵略的性質を帯びるのは歴史の常で、国民党軍による強姦や強盗が横行し治安は悪化、明治製糖の下で農園経営(小作人4000人)する利用者さんのお父さんはこの時暗殺されます。
1947年2月27日、当局は台北市で闇煙草を販売していた女性を摘発し殴打、その騒ぎに集まった群衆に発砲し市民の一人を射殺。翌2月28日、抗議デモに警備兵が機銃掃射、戒厳令(1987年まで続く事になる)が敷かれます。デモは外省人支配への反抗運動となって台湾ラジオを占拠、街頭ラジオは「台湾人よ立ち上がれ!」と外省人にわからないよう日本語で呼びかけ、嘉儀農林高校では学生が蜂起、利用者さんは農薬散布用の長いノズルを軍刀の代用として指揮を執ったそうです。農具で武装した学生隊は、利用者さんの運転するトラックの荷台に乗って武器庫を襲撃、銃器を確保すると続いて空港の制圧に向かう。多くの市民と学生が射殺されたが国民党軍は全面衝突を避けて逃げ出し、蜂起は旧日本軍の残党も加わり瞬く間に全島に拡大します。再び台湾が台湾人の手に戻ったのも束の間、蒋介石は「暴動は共産党の扇動によるもの」との虚偽の発表を行い、3月11日には中国から続々と国民党軍が上陸し、虐殺と恐怖政治が始まった。利用者さんは弾圧を逃れ、1949年漁船で与那国島を経由して四国に渡り日本に亡命。神田のYMCAを頼ってその後も独立運動を続けたそうです。(冷戦の下での反国民党は、親共産党とみなされてなかなか理解されなかったようです。)
戦前この方は日本国籍の台湾人でしたが、1952年の日華平和条約により日本国籍を喪失し“在日外国人”となり、その後帰化しています。亡くなる数日前、私は「祖国として思い浮かべるのはどこですか?」と尋ねてみました。答えは「台湾民主国」でした。台湾民主国とは、1895年5月に台湾民主国独立宣言が発表されてから10月下旬に台湾全土を日本が軍事占領(台湾平定)するまでの半年に満たない幻の独立国の名称です。「どんな国を夢見ていましたか?」と聞くと「台湾人・高砂族(台湾先住民)・日本人の皆が平等で、平和で自由な国」とおっしゃっていました。一般に1945年8月15日以降は“戦後”と呼ばれていますが、祖国を失い続け、その後も戦い続けたこの方に“戦後”はあったのでしょうか。
訪れない“戦後”
1944年3月、日本陸軍は援蒋ルートを断つべくビルマからインパール攻略に出撃。補給が無いままに、3個師団9万人が大河川を渡渉し密林や2000m級の山岳地帯を470㎞踏破する「太平洋戦争で最も愚劣な作戦」だった。栄養失調の軍隊はインパールにたどり着けず、餓死やマラリアやデング熱や赤痢から生き残った1万2000人の撤退路は「白骨街道」と呼ばれた。インパール作戦を含めビルマで命を落とした日本軍将兵は16万。敗戦後もこの地に留まり、戦死者の遺骨を拾い集め慰霊に身を捧げようとする水島上等兵の創作物語「ビルマの竪琴」は有名ですが、1985年の映画化では、もう亡くなられましたが紙ふうせんの利用者さんが美術監督を務めていました。インパール作戦の生存者の「まだ、あの地に残っている仲間がいる」という証言に、“戦争”が終わらないという事実に気づかされます。
戦争体験者が高齢になった今、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症し、不眠や悪夢に苦しむといった症例が増えているのだそうです。戦場の残虐な光景、加害の体験、沖縄戦やシベリア抑留など、壮絶な体験は人知れず心の奥底にしまい込む方がほとんどでしょう。高度経済成長やバブルに日本が物質的豊かさをいくら謳歌しても、平和の中に戦争を忘れていくという事はできないのです。
終わってはならない“戦後”
1945年4月1日、沖縄本島中部西岸に米軍は易々と上陸した。米軍を沖縄に上陸させて釘付けにして本土決戦への時間稼ぎとする作戦だった。「沖縄島に尺寸の土地が残る限り一兵まで戦え」と大本営は命じ、沖縄の60万の島民は軍隊と共に戦う事を強いられた。沖縄が本土防衛の“捨て石”となった凄惨な地上戦で9万4000人の島民が死亡、看護婦として動員された「ひめゆり学徒隊」の女学生も軍隊と行動を共にして自決を迫られた。1952年、日本は米軍支配下に沖縄を置き去りにしたまま独立。1972年に沖縄が日本に返還された後も、日本政府は米軍基地で要塞化した沖縄を本土防衛の“不沈空母”とする政策を取った。今も新たな基地が作られようとしている沖縄の本当の“戦後”とは何だろう。
沖縄に背を向け続ける日本政府の差別的態度とは反対に、明仁皇太子は「石ぐらい投げられてもいい。そうしたことに恐れず、県民の中に入っていきたい」と、1975年に沖縄を訪問。「(沖縄の)払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものではなく、人々が長い年月をかけてこれを記憶し、一人一人、深い内省の中にあって、この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません」と、“戦後”への決意を述べられた。そして即位した後も何度も沖縄に訪問し心を寄せられている。昨年末85歳を迎えられ「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」と述べられた。
もし“戦後” の意味を、日本が国権の発動としての戦争を行わなかった「時代」として限定的に考えるならば、「平成」は明治以降初めて始終一貫した“戦後”時代となる。この意味での“戦後”は、絶対に終わってはならない。そして平成も次の時代も、未来において“戦前”とならない事を願う。それが戦争を体験された方々のまっすぐな気持ちだと思う。
※「紙ふうせんだより」のバックナンバーが必要な方はお申し出下さい。
サービス実施記録を再確認!(記入漏れが多いです) 利用者印・利用者名・ヘルパー名・サービス内容 身体?生活? |
緊急時の対応について《1》 |
【ケース1】 利用者さんが、顔色が悪かったので体調を伺うと「大丈夫、大丈夫、休めば治るよ。」と言っていたので、特に事業所には連絡しなかった… |
(サ責の対応)ヘルパーさんから、「利用者さんが、顔色が悪かったので『大丈夫ですか?』って聞いたら『大丈夫、大丈夫』と言っていたので、大丈夫だと思いますが一応連絡まで」との連絡を受けたけど、大丈夫らしいので一応記録に書いておいた。→この対応は×です。〇の対応は、ヘルパーさんに質問をして、「いつからなのか、どうしてなったのか、時々なるのか、目まいふらつき、気持ち悪いかなどは無いか」等、様子を具体的に聞き込んだ上で、既往歴から考えて危険な兆候はないか検討する。検討した内容を含めケアマネに報告。必要があれば、訪看やかかりつけ医や前回訪問のヘルパーさんに電話して意見を頂く。翌日以降のヘルパーさんに連絡して様子を見るように伝える。◎の対応はすぐに様子を見に行く。(いつもできるとは限らないので代替案を検討する。)
【ケース2】 利用者さんが室内で転倒していた。力が急に入らなくなったらしい。どこかを打った様子は無く意識もしっかりしているので、とりあえずトイレに行けずに汚してしまっていたので、着替えさせてベットに誘導して、サービスが終わってから事業所に連絡した。 |
(ヘルパーさんの対応)この対応は△です。×の対応は事業所への連絡がもっと遅くなった場合。〇の対応は、利用者さんの安楽の姿勢を取ったあと、その場ですぐに事業所に電話をして倒れていた旨を伝え、救急車を呼ぶべきかどうかを相談する。
(サ責の対応)ヘルパーさんから連絡を受けたが、介助されながらベットに移動するなどの動作はできたようで意識もしっかりしている事から、一応今日のところは大丈夫なようなので、後日様子を見に行く予定を組んでサービス内容が変更になった事をケアマネに報告した。この対応は×です。〇の対応は、電話を受けた時点からあらゆる手段を講じて、救急搬送が必要かどうかの情報収集をする。様子を見て大丈夫だという確信が得られない場合は、家族にすぐに病院に連れて行くように約束をするか、救急車を呼ぶ。本人に電話を替わって貰って、「救急車に乗って病院にいきませんか? 大丈夫だと思ってもそれは、そう思いたいだけで、倒れてしまったんだから大丈夫なわけないです。力が入らなくなってしまった原因はわからないんだから、病院で検査して貰った方がよいですよ。それで問題が無かったら無かったで良いじゃないですか。様子見ている間に症状が悪化してしまう危険もあるし、どのみち調べた方が良いんですからすぐに行きませんか?」と話す。
★考えるヒント★下線のところに、用心しなければならない“いつものように物事を運びたい心理”が隠れています。それを『正常性バイアス』と言います。(次号へ続く)
~~ヘルパーミーティングのお知らせ~~ 【日時】 2019年 3月29日 金曜日 18:30~ 梅丘の事務所内にて(祖師谷・梅丘含む訪問介護全体のMTGです) ★担当利用者さんの状況等・支援計画の変更の必要性の有無 ★今月の議題・伝達事項 会議参加手当(ミーティング)は1回につき1370円です。 |
【研修会】 テーマ 高齢期になっても元気に生きる (荻野) (関連項目:フレイル、要介護に至る前の状態、介護予防体操、身体介護) |
衛生備品配布しています! 私たちの身の回りには目には見えないウイルスや細菌が潜んでいます。感染症等の拡大予防のためにうがい・手洗い・手袋の使用、手指の消毒等を行い感染症から身を守りましょう! 事業所に使い捨て手袋、アルコールを常時保管し、必要なヘルパーさんに提供しています。気軽にお声かけください。 |
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紙ふうせんだより 1月号 (2019/01/31)
「穏やかな生活」から「穏やかで豊かな生活」を目指して
ヘルパーの皆様、明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。昨年中に体調を崩された方や事故に合われた方は、今年は快方に向かうように、良いことのあった方は、良いことが次への基礎へとなっていくようにお祈りします。
これからの未来を大過なく過ごすことはできるのか?
2019年はどんな年になるでしょうか。もっとも安易な未来予測は“2018年と大して変わらない”という予測です。人や社会や経済には大きな変化を嫌う性質があって流動性にさらされても復元力が働きますから、この予測には根拠があります。このような人の心の性質は、昔から退職・退任のあいさつでよく使われてきた「大過なく過ごす」という言葉にも表れています。前例に縛られるような行政組織などの場合は特に“問題を起こさないように”こなす事に一定の価値があるのは確かで、実際に課題が何もないならば、前任者と同じ仕事のやり方によって安定感や信頼は維持されるでしょう。しかし、不確実性の高まってきている状況にあって、大過なく勤めようとし過ぎる事は、一歩間違えれば“何も仕事をしなかった”となってしまいかねません。判で押したような対応に慣れ、解決すべき課題を見過ごしているうちに、些細な事がついには大問題になってしまうのです。そして今、平成が終わるこの時代、社会情勢は不確実性を高めています。では、どうしたら良いのでしょう。
不確実性が高まる中での仕事のやり方
どのようなスタイルで仕事をしていきたいかは、仕事をする個人の主体的な選択に本来ゆだねられるべきものです。自分のスタイルに対する周囲の様々な評価を受け入れる必要もありますが、それを含めて責任を持って自分自身で決めていく事は自身へのマネジメントとなり、個人が良くマネジメントされていけば組織も上手く機能していくからです。しかし一方で、今置かれている状況はどのようなものなのかという視点を持ち、そこで自分が注力すべき事は何なのかを視野に入れていく事も、スタイルの確立と同じくらいの重要さがあります。自分自身の仕事は、自分だけで成り立っているものではありません。周囲との関係性への意識が薄くなれば、結局は自分が行き詰まってしまいます。自分のスタイルを確立しながら、同時に周囲の求めにも適切に応えていく。この同時作業が実は難しいのです。
この難しさは、先ほどの文章の「仕事」を「生活」に、「組織」を「家族」と読み替えて、利用者さんの生活として考えると客観的に理解できるかと思います。多くの要介護世代は、“老後”を大過なく穏やかに過ごしたいと願っています。それを願うあまりに「リハビリは要らない」「今のままで良い」と言って、不確実性の高まっているADLであるにも関わらず、自分のスタイルを変えようとしない方がいます。そのような頑なな方は、本当に一歩間違えて寝たきりになってしまう事があります。そうなるまでは“今年も変わらない”という願望を元に、何もしないでいても安定性を保って過ごせるだろうと漠然と考えていたのです。
安定性を保っているように見えるその背景 「複雑系の科学」
水を加熱すると水温は一定に上昇しますが、沸騰しはじめると温度上昇は止まり、臨界(りんかい)と呼ばれる状態になります。臨界では、水は水蒸気というまったく別の様相に変化(相(そう)転移(てんい))します。デンマークの物理学者パー・バクは、臨界と相転移を研究しているうちに、ある事に気が付きました。パー・バクはその気付きを砂山モデルとして説明しています。
平らなテーブルに砂時計のように砂を落としていくと砂山が形成されます。砂山は次第に高くなってこれ以上高くなれないところまで成長し、さらに砂をこぼし続けると砂山はどこかで雪崩を起こしながら一定の高さを保ち続けます。このとき砂山は、砂によって安定した形状を保っている(自己組織化)が、その形状は砂の流入によって維持されているという意味で臨界状態にあります。世の中の様々なものは、臨界という絶妙なバランスによって形を保ち続けている状態(自己組織化臨界)にあるのではないか?
この “自然のしくみ”は人間にも当てはまります。普通に安定を保っているように見える人間の身体は、体細胞や体細胞を構成する物質の絶え間ない新陳代謝や物質代謝の継続によって、実は動的平衡(へいこう)の中にかろうじて安定を保っているのです。「複雑系の科学」は、複雑なものを安易な要素に還元(かんげん)しないで、複雑な関係性そのものを理解しようという試みであり、人間理解にも役に立ちます。利用者さんのADLを砂山に譬えるなら、砂の供給量が日常生活動作であり、供給低下によって砂山はすぐに風化(廃用性)してしまいますから、砂の供給量をどうやったら確保できるかを考えていく事が、ADLの向上する介護となるでしょう。
「穏やかで“豊かな”生活」を目指して
利用者さんのADLが低下した時、私たちは安易に“利用者さんがリハビリを断ったから”などの個別的要素に還元して理解しがちです。一面的にそれは正しいのですが、利用者さんの気持ちの表現をそのままに受け止めるだけでなく、“その表現は、支援の関係性の結果として現れているのではないか”という視点も導入すると、より立体的な支援となるでしょう。実際、支援の関係性が利用者さんの気持ちに与える影響は、計り知れないほど大きいものです。関係性への着目が「穏やかで“豊かな”生活」の鍵となります。
どんな内容の支援でも、まずは気持ちだけでも利用者さんがヘルパーさんと一緒に行えている気分になれるように、支援内容を相談する声掛けをしながら支援を進め、利用者さんの気持ちの動きを感じ取っていきたいと思います。その中から、「本当は自分でやりたい」「自分ならこうしたい」という気持を読み取って“できるだけ共に行う”提案を試み、「工夫したらできるかもしれない」という想像を利用者さんにしてもらう事も大切です。利用者さんの諦めの気持の中には、説明不足や 決めつけと受け取られるような一方的な声掛けなど、私達の関わり方の課題もきっとあるでしょう。しかし期待するほどに人は変わりません。砂山に注ぐ砂のように私達の丁寧な取り組みもまた雪崩を起こし続けて、利用者さんの砂山は姿を保ったまま変わらないかもしれません。しかしその砂山のテーブルの下にもう一つ“意欲”という層があると考えてみて下さい。私達の注ぐ情熱の砂は、やがて臨界を迎えて下のテーブルに落ちはじめ、気が付いたら相転移のように意欲のテーブルには、“ヘルパーさんとの心の交流の楽しさ”や“生きがい”といった新たな砂山が築かれているかもしれません。
インフルエンザの予防接種を受けて下さい。1000円を助成します。
領収書を事務所までご持参下さい。(持参はなるべく当月以内)
<インフルエンザ患者数が200万人超え>
★すでに紙ふうせんのヘルパー・利用者さんが罹患しています。
★症状がまったく現れない「不顕性感染」というインフルエン
ザを発症する場合もあります。
★一般的にインフルエンザは急激に発症し、38℃以上の高熱、全身倦怠感、食欲不振などの「全身症状」が強く現れます。そのような症状がでない時でも、体調が悪い時はお申し出ください。
★高齢者などは、インフルエンザに感染していても免疫機能の衰えから生体防御反応としての自覚症状が出にくい場合があり、体に強い異常を感じることなく普通の生活を続け、周囲も感染させてしまうことがあります。
★利用者さんの体調をよく観察し本人の近況を聞きながら、気になる変化があったら報告をお願いします。
飛沫感染……感染している人の咳・くしゃみにより発生した
飛沫を吸い込む
接触感染……感染した人が触った直後のドアノブなどに触り、そのまま目、鼻、口に触る
【予防】人の集まるところでのマスク着用。うがい手洗い。電車のつり革などにも注意、洗わない手で食物や顔を触らない。洗顔も。スマホは油等でウイルスが生存しやすく、除菌ウエットティッシュで拭く。人前では咳エチケットに注意。
サービス実施記録を再確認!(記入漏れが多いです) 利用者印 ・ 利用者名 ・ ヘルパー名 ・ サービス内容 身体?生活? |
などが最近とても多いです。特に“自立支援”の項は、記入欄が下の方にあるため、記入漏れが多いようです。事務所でその都度確認してしますが、記入漏れにはご注意下さい。
~~ヘルパーミーティングのお知らせ~~
【日時】 2019年 2月20日 水曜日 18:30~
梅丘の事務所内にて(祖師谷・梅丘含む訪問介護全体のMTGです)
★担当利用者さんの状況等・支援計画の変更の必要性の有無 ★今月の議題・伝達事項
会議参加手当(ミーティング)は1回につき1370円です。
【研修会】 関連項目 事故発生・再発防止 (小泉) (関連項目はあくまで関連であり、内容はいろいろ膨らむ予定です) |
紙ふうせんだより 12月号 (2018/12/18)
一陽来復(いちようらいふく) 終わらない歌をうたおう
ヘルパーの皆様、一年間ありがとうございました。年末年始に稼働して下さる方、大変お世話になります。ありがとうございます。風邪をひかぬように、良い新年をお迎えください。
今年の冬至は12月22日です。古代では、冬至を一年の始まりとしていました。
太陽の死と再生
小田急線が多摩川を渡るころ丹沢山塊が一望できる。山塊の左に大(おお)山(やま)、背後に冠雪の富士。右に遠く奥武蔵の山々。そして山塊中央、最高峰の蛭(ひる)ヶ岳。蛭(ひる)ヶ岳にヤマビルはいないので「蛭」は当て字らしい。京王線多摩境駅近く多摩丘陵の台地の端から、西方の相模川が作った平原の後ろにどっしと横たわる丹沢山塊が見える。縄文人は今から3500年前、この地に石を環状に並べて祭祀場とした。直径7~9mのこじんまりとしたこのストーンサークル(田端環状積石遺構)に立つと、冬至の日に一番高いとがった頂きにちょうど太陽が沈む。そう、蛭(ひる)ヶ岳は日向(ひるが)岳なのだ。この日は一年の間で昼が最も短い日、太陽が一番弱まる日だ。縄文人は、沈みゆく太陽に向かって再び太陽に力が戻るようにと願う。その夜、縄文人は夜通し火を絶やさずに祈っただろうか。最も長い夜の間に太陽は生まれ変わり、再び陽は昇る。冬は去りやがて春がくると約束された。これで、悪いことも良い方へ向かうと約束された。
人々の死と再生
日向(ひるが)岳に日が沈むと新しい一年が始まる。縄文人は死と生の交わるこの地に、死者を祀り周囲に住居を配して集落とした。やがて土壙(どこう)墓(ぼ)の上には環状に石が積まれ、伝承を再現し受け継ぐ舞台となった。先祖に見守られながら太陽や人々や動物の再生を祈り、感謝した。狩りで奪った命は授かり借りたもので、殺した命は自然(カミ)のもとに戻れるよう祈りながら解体し、頂いた命は生きるものの力となるように願い太陽の分身の火で煮炊きした。その願いは土器の装飾美となっている。生と死は同居し、人々は大いなる循環の中で生きた。
昨日、集落のおばあが死んだ。竹籠作りを教えてくれたおばあだ。自然から生まれたものは、形を変えて再び自然へと帰る。おばあにもう会えないのは悲しいけど、それは自然な事だ――。縄文人から死は何も奪わなかった。縄文人に奪われるものは何も無かった。自然からの恵みは誰のものでもなかった。出土する縄文人の人骨に、殺し合いの形跡は無い。
いつから人々は死を恐れるようになったのだろう。弓矢や槍で全身を突かれた人骨が多量に出土するのは、弥生時代に入ってからだ。稲作の指導や蓄えの分配の役割をもった者が、本来自分のものではないものを、自分のものと思い込んで威張りだした。“富と権力”を独占する者は、それを奪われる“死”が怖くなった。呪術によって政(まつりごと)(政治)を行い、人々に命令を下した。奪われる前に隣国の王を殺して奪ってやれ! 自分のものではないものを自分のものにしようとして戦争が始まった。沢山の死が人の手によって作られるようになり、兵士として駆り出された人々は自然ではない死を恐れた。そしてどんな大王も必ず死んだ。
人心が乱れると強調された「メメント・モリ」=“死を想え”死を忘れるな!
古代ローマに「メメント・モリ」という警句がある。“死を想え”「食べ、飲め、そして陽気になろう。我々は明日死ぬから。」そうやってローマの将軍たちは戦争に励み凱旋した。本来この警句は“勝者の傲(おご)りの戒め”だったが、“どうせ死んだら終わり”が意識され命は生から死への一方通行となった。領地や奴隷を獲得し富を奪って“今を楽しむか”もしくは死か。
死は石器時代と変わらず日常だった。乳飲み子が育つのは難儀で、疫病で死ぬことも多かった。その日常に兵役や奴隷制度や階級差別が加わり理不尽な生死が増えていった。生と死は対立するようになった。生が快楽であるならば、それを奪う死は悪いものとなった。一方、生が絶え間ない苦しみであれば、死は救済となった。“天国”が渇仰(かつごう)され、虐げられた人々の願いは死のその先に向けられた。どうしたらそこに入れるのか。「メメント・モリ」が再び逆の意味で現れた。死を想え! 必ず人は死ぬから“現世の快楽や贅沢や手柄は虚しいもの”と心得よ。徳を保ちつつましく善良に生きなければ、救済の御手にはすくわれない――。
日本にも「メメント・モリ」がある。煩悩を払うために死を想え! 現世の肉体を不浄で無常なものと知るために、死体が朽ち変貌する「九(く)相(そう)」を観ぜよ。奈良時代に行なわれるようになった「九相観」は現世の生や欲望への“執着”を戒めており、死は恐れるものではなかった。しかし鎌倉以降に制作された「九相図」は、その異様さから死への恐怖をかき立てた。穢(けが)れた世間を厭(いと)い離れて極楽浄土での“救済を求める信仰心”を起こさせる目的があった。三途(さんず)の川や閻魔(えんま)大王の裁きなどを説く仏典(偽教)や地獄絵図が創作されて、死への不安はますます高まった。
生と死の断絶からの再生 その最前線にある“介護”
文明の果実を食べた人間の生死は自然の懐から引き離されてしまった。あるがままの自然との一体感は、死んでしまったのだろうか。縄文人の平均労働時間は一日3時間だったというが、文明は労働を下々に強いて“生産か死か”という状況で人々は生きてきた。生産性向上と私欲追求が経済成長(資本主義)の正義となり、生と死の断絶は現代人にとって三途の川よりも深くなってしまった。そして発達した医療によって、生産性はないが“まだ終わらない”というライフステージが長くなり“介護”が生じるようになった。ここから再生するものは何だろう。介護を受ける者は自然と命の終わりを意識し、“制約のない時間”だからこそ時に痛みを伴いながらも“生きている事実”が大きくなる。身体感覚によって頭に刷り込まれた先入観から解放される。ヘルパーさんがやってきてひと時を共に過ごし、死にゆく者とまだ少し生きる者の気持ちが交わり、互いの心に流れ込む。自他を立て分けていた何かが消え“祈りにも似た感謝の気持ち”が口に出る。ああ、この光景はずっと前から知っていた。私の中にあるこの思いは、先人から受け継いだものであって私だけのものではない。思いは再び種となり、あなたの中に静かに受け継がれていくだろう。死んだら終わりではない――。
繰り返し続いていく何かがあって自然には終わりが無いように、新しい一年が始まる時には、自身の介護観・死生観を捉え直してみたい。介護や福祉が社会で共有されていくならば、生老病死のありのままを受け入れられる世の中となるだろう。その一端を担いたいと思う。
想像の視点を拡げてみよう
ともかくもあなたまかせの年の暮れ 小林一茶
この句には、誰かにお願いしないとままならない年の瀬の侘びしさと、おまかせできる人が居るという温かさが同居していてしみじみとします。一人暮らしの利用者さんを想うとぐっときます。ここでの「あなた」とは一般には阿弥陀如来とされており、一茶が念仏者のならではの解釈ですが、俳人の作品をどのように味わうかは本来自由です。一般論や先入観を捨ててみましょう。困っている人にとって、おまかせできるヘルパーさんは“仏さま”です。
大晦日と言えば紅白歌合戦。歌謡曲と言えばオトナの色恋、やれ不倫だ逢引きだとドロドロ成分多めのイメージです。一方、ポップスは若者の葛藤や純愛や失恋、恋に恋してる感や自意識過剰さは否めません。さて、そのような先入観を捨てて想像を拡げてみましょう。コツは“熟年の火遊び”“思春期の苦悩”などの自分の思い込みに気が付くこと。試みに以下の歌詞の主人公を、障害者や要介護高齢者や死が目前に迫った人やマイノリティーなどいろいろな人を想像して、その人の視点になって読んでみましょう。想像が拡がりませんか? そこに思い出される自分はありましたか?本当にギリギリの切羽詰まった時、人は“大切なもの”“頑張った時のこと”を思い出して気持ちを奮い立たせるものなのかもしれませんね。
「星影のワルツ」
別れることは つらいけど 仕方がないんだ 君のため 別れに星影の ワルツをうたおう
冷たい心じゃ ないんだよ 冷たい心じゃ ないんだよ 今でも好きだ 死ぬ程に
一緒になれる 倖せを 二人で夢見た ほほえんだ 別れに星影の ワルツをうたおう
あんなに愛した 仲なのに あんなに愛した 仲なのに 涙がにじむ 夜の窓
さよならなんて どうしても いえないだろうな 泣くだろうな 別れに星影の ワルツをうたおう
遠くで祈ろう 倖せを 遠くで祈ろう 倖せを 今夜も星が 降るようだ
作詩・白鳥園枝 作曲・遠藤 実
歌・千 昌夫
「終わらない歌」
※終わらない歌を歌おう クソッタレの世界のため 終わらない歌を歌おう 全てのクズ共のために
終わらない歌を歌おう 僕や君や彼等のため 終わらない歌を歌おう 明日には笑えるように
世の中に冷たくされて 一人ボッチで泣いた夜 もうだめだと思うことは 今まで何度でもあった
真実(ホント)の瞬間はいつも 死ぬ程こわいものだから
逃げだしたくなったことは 今まで何度でもあった
(※繰り返し)
なれあいは好きじゃないから 誤解されてもしょうがない
それでも僕は君のことを いつだって思い出すだろう
終わらない歌を歌おう クソッタレの世界のため 終わらない歌を歌おう 全てのクズ共のために
終わらない歌を歌おう 一人ボッチで泣いた夜 終わらない歌を歌おう・・・・あつかいされた日々
(※繰り返し×2)
作詞・作曲 真島昌俊 歌・THE BLUE HEARTS
どんな人のどんな状況を想像しましたか? そこから何を感じましたか?
もしこれが自分だったら、どんな風に声をかけて貰いたいですか?
他人の気持ちを理解するために、自分ができる事はなんだろう。
【自転車事故に注意して下さい】
1.遅れそうだと思ったら、まず電話。
いつもの通り慣れた住宅街の路地などで、左右確認を怠ってしまって出会い頭の“思わぬ事故”が起きてしまいます。急いでるからこそ焦らない。焦りを感じるなら、あえてしっかりと左右確認。常に心に余裕を持つこと。
事務所に「遅れます」の電話を一本頂ければ、事情を利用者さんに伝えます。
まずは一呼吸を置いて電話下さい。
2.寒くなると体が硬くなって、反応も遅れがち。
寒くなると気がせいて、視野が狭くなります。暖かい時ときは発見・回避できる危険も、冬はオーバースピードとなってしまいます。ゆっくりめを心がけましょう。
3.慌てないために
早め早めの行動を心がけましょう。スケジュールの確認は怠らず、寝る前に目覚ましセットと天気予報の確認を。安眠してしっかりと体を休めて下さい。
4.夜が早いです
夜道では、危険を察知するのが昼間よりもずっと難しくなります。
5.先が見えない所では、誰かいる・何か来ると思っておく
「曲がり角」や「視界を遮るもの」の向こう側には何があるかわかりません。出合い頭の衝突に注意する。しっかりと確認して進行する。
6.漫然と運転しない
緊張感を持っている時よりも、ぼんやりと考え事をしているような時がヒヤリとする事は多いはず。交差点での確認不足の飛び出しは大事故のもと。自転車運転中は、運転に集中すること。
◎大雪の予報が出たら、スケジュール調整(キャンセル、振替、時間短縮、時間変更)を行います。調整して欲しいサービスについて事務所までご相談下さい。安全第一です。大雪や台風でバスや電車を利用した場合は、申請があれば交通費をお支払いします。※ただし、遅延やストップにご注意下さい。
~~ヘルパーミーティングのお知らせ~~
【日時】 2019年 1月22日 火曜日 18:30~
梅丘の事務所内にて(祖師谷・梅丘含む訪問介護全体のMTGです)
★担当利用者さんの状況等・支援計画の変更の必要性の有無 ★今月の議題・伝達事項
会議参加手当(ミーティング)は1回につき1370円です。
【研修会】 関連項目 倫理・法令遵守(本郷)
(関連項目はあくまで関連であり、内容はいろいろ膨らむ予定です)
2018年12月18日 2:18 PM | カテゴリー: 紙ふうせんだより
紙ふうせんだより 11月号 (2018/12/18)
紙ふうせん10周年の節目に
ヘルパーの皆様、いつもありがとうございます。「紙ふうせん祖師谷訪問介護事業所」を11月1日に開設する事ができました。皆様のおかげです。感謝いたします。この日は経堂に「紙ふうせん」を開設してちょうど10年です。
10年前を振り返って
この10年を皆様はどのように生きて来られましたか。2008年は、1月に大阪府知事に弁護士の橋下徹氏が当選。9月は福田首相辞任で麻生首相に交代。リーマンショックの発生。世界経済の混乱の中で、11月にはオバマ氏が黒人初のアメリカ大統領となり「Change」や「Yes, we can」のメッセージに、新しい歴史が開かれいくようでした。日本でも新しい時代の機運が高まり、翌年、旧態依然の顔をした麻生内閣が度重なる失言で倒れ、民主党政権が誕生。是非はともかく、10年前には、今に繋がる今の基礎となるものと、今とは違う昔があります。
十年一昔を9回繰り返すと、大抵の人は寿命を迎えます。10年の間に、自分の中で変ったものはあるでしょうか。また変わらなかったものは何でしょうか。変わったところは発展として自己の挑戦を称え、変らなかったところは本質として、謙虚に受け止めつつも誇りたいと思います。そして、そう思おうとした時に、ちくりと刺さる呑み込みにくい棘があったとしたら素直に自分を反省し、自分自身に何かを語りかけて、これからの10年へ向けて新しい一歩踏み出していきたいと思います。
私(佐々木)が訪問介護の管理者として「紙ふうせん」に入ってからもうすぐ6年です。その時から今も願い続けている事があります。それは、ヘルパーの皆様に、「介護の仕事をやって良かった」と感じていただきたい一点です。それは、その人にとっての何かの新しい発見や出会いでしょう。仕事の“対価”を得るだけのためなら、どんな仕事でも良いはずです。それが、介護を必要とするようになった方自身にも家族の方にとっても“負い目”や“負担”としてネガティブに理解されている介護の世界なのですから、だからこそ皆様には、対価以上に意味のある何かを見つけて欲しいのです。介護にネガティブさがつきまとうのはそこにある死のイメージからですが、そこから何かを見つけるとういう事は、“死と再生”という命の営みに直に触れる事であり、死の中に生の輝きを見つける事であり、ひいては自分自身の人生にも命の輝きを見出す事になるでしょう。介護の仕事をもっと好きになれば、自分の生も、それを取り巻く環境をも、もっともっと好きになっていくと思うのです。
願いを叶える力
社名を問われて『紙ふうせん』と答えると、「冬が来る前に」や「翼をください」の楽曲ので知られる夫婦デュオの「紙ふうせん」を連想される方がいます。その前身となるフォークグループの「赤い鳥」は、黒田三郎の現代詩「紙風船」に曲を付けて歌いヒットさせました。「紙風船」は小学校の教科書にも載っています。
ある授業では、子供たちに「『美しい願いごと』が落ちてくるというのは、どういう意味ですか?」と問うと、紙風船をふくらますように、「願い」を“ぱんぱんに詰め込む”と願いが実り“落果”として落ちてくるという意見と、「願い」はなかなか叶わないから、落ちてくるたびにその願いを“繰り返す”という二つの意見に割れたそうです。
「パスッ」と手で跳ね上げた紙風船はゆっくりと落ちてて、「パスッパスッ」と繰り返すとだんだんひしゃげて弾まなくなります。そうしたらもう一度「ふーっ」と息を吹き込んで膨らませて……。私としては、熱中して無心に繰り返すという事の中に瞬間の純粋な美しさを、それが続いて欲しいという願いの中に無垢さを感じ、またそれらと同時に、全ては流れ去っていくという儚(はかな)さも見てしまいます。いずれにしても、「何度でも」「もっともっと高く」という直向(ひたむ)きさが、「願いを叶える力」なんだと思います。
自分自身にもう一度息を吹き込もう
テクノロジーで“魔法”を実現させたスティーブ・ジョブズは、「素晴しい仕事をするたった一つの方法は、自分のやっていることを好きになること。まだそれを見つけていないのなら、探し続けなさい。安住してはいけない」と言っています。私たちの介護の仕事は、他者の人生に深く関わりますから、関わった人に良い変化が生じてこそ「良かった」となります。他者の人生に対して影響を及ぼす責任は重大ですから、他者と自己が切り離されているような“表面的な”関係を好む現代の風潮を破っていく覚悟が必要です。それは、一見嫌いと感じるような人に対しても「好き」になってみようとする努力なのかもしれません。
スペインの哲学者オルテガ・イ・ガセットは、「私は、私と私の環境である。そしてもしこの環境を救わないなら、私をも救えない。」と述べています。他者と自己はその究極において切り離せないのです。自身に対して願う事は、他者に対しても願うべき事であり、他者に対して願った事は自分にも還ってきます。利用者さんの本当の願いをくみ取ろうとする努力は、同時に、自分の人生に対する向き合い方となります。
「人生という本には、うしろのほうに答えが書いてあるわけじゃない。」これは漫画「ピーナッツ」(スヌーピー)の登場人物チャーリー・ブラウンの言葉。“死”に向かって歩を進める介護という状況から価値ある何かを見つけるという事は、見つけようとして答えをただ待つのではなく、今この瞬間にも自分自身と利用者さんを触発させて、そこから喜びを“創造”しようとする事ではないでしょうか。その触発の刹那に、命が火花のように輝くのです。
「人生とは自分を見つけることではない。人生とは自分を創ることである。」これは劇作家バーナード・ショーの言葉。皆様と一緒にすばらしい事業所を創っていきたいと思います。
将来の介護を想像してみよう
現在、正社員になりたくてもなれない「不本意非正規」の割合が若年層で増えていると言われているが、その遠因はどこにあるのだろう。2000年に開始された介護保険制度の訪問介護も、残念ながら非正規雇用を前提にしているような制度設計となっている。
派遣労働法は何度も改正されているが、特殊な専門業種に限定されていた派遣労働が、1999年(小渕内閣)には派遣業種の原則自由化となり、2003年(小泉内閣)には例外扱いで禁止だった製造業および医療業務への派遣が解禁となる。そこには、生産設備の稼働率に合わせて簡単に雇止めができる“雇用の調整弁”を必要とする経済界の強い要請があった。1989年の冷戦終結の後、中国(改革開放)やベトナム(ドイモイ)の市場経済導入が加速し、中国は“世界の工場”となっていったが、経済格差を前提とした『安い労働力』に日本の製造業は太刀打ちできないと言うのだ。1991年にバブル崩壊が始まり1993年には「リストラ」が流行語となった。日産のゴーンCOO(最高執行責任者)が2万人の削減に着手したのは1999年。労働者や下請け企業の現実は、国内や海外の『安い労働力』との競争となった。“国際競争力”を維持するには、原価(人件費)を下げなければならないと言われ、製造業の海外生産比率は1985年の3 %から2009年の17.8 %へと上昇。労働密度を高め一人のアルバイトに何でもやらせて人件費を切り詰めて価格競争に打ち勝ち利益を上げるというビジネスモデルが飲食業界で流行し、デフレを牽引するとともにブラック企業のモデルとなった。従業員は財産ではなくコストとなり、企業経営は顧客や従業員よりも株主の利益が第一となった。勝ち組・負け組がささやかれるようになった“失われた20年”に失敗があるなら、目先の利益確保に腐心して理念が歪んでしまった企業や政治や人々だろう。
そして今、日本では「外国人技能実習生」をどんどん拡大させる案件が取りざたされている。タテマエでは『開発途上国等の経済発展を担う「人づくり」に協力することを目的』という外国人技能実習制度は、実際には単純労働に従事させ、労働基準監督署の目が届かない事を良いことに“時給300円”“不当な給与の天引き”“無休”など、現代の奴隷かと思われるような人権侵害が横行している。
『安い労働力』との競争という軋轢は、実はヨーロッパが先取りをしている。1992年のEC(欧州連合)の発足により旧東欧諸国から『安い労働力』が流入し、仕事の無い若者が人種差別や排外主義に傾倒しネオナチなどが台頭、暴力が路上に溢れた。格差を是正しない社会は差別が肯定され、抑圧が“最底辺”に向かう。将来の日本の労働環境はどうなるだろう。あえて最悪のケースを想像してみよう。
“団塊の要介護世代”の需要が激増する2028年。介護労働の多くを外国人が担うようになり、差別感情から介護職は最底辺が固定され、社会保障費抑制のために低賃金に据え置かれ、日本人従業員はますます減っていく。訪問介護でも中間管理職は日本人が担うもののヘルパーの多くは外国人となる。困ったのはコミュニケーションだ。利用者とのトラブル防止のため、手順が徹底され指示に無い行為は厳禁となり、中間管理職とヘルパーの間にも差別と対立が生じる。利用者と打ち解けて気を利かせられるヘルパーは“命令を聞かない悪者”としてイジメられ排除される。給付抑制政策でプランはますます硬直化、利用者の不満を“法律ですから”と力で抑え込むマネジメントが普通となり「もし融通を利かせて欲しいなら“私費”を入れなければダメです」と脅して「私費を組み込んで利益確保」が常態化する。「私費だから」とヘルパーは下男下女のように酷使される。利用者は、私費を利用して十分な介護を受けられる層と、お金が無くてプラン自体が敬遠されて介護がなかなか受けられずに放置(生存権侵害)される層へと二極化し、後者には介護虐待が頻発する状況となる。人権侵害を放置する社会は差別と対立が蔓延し、心の断絶の溝に怨念が流れ込み怒りと暴力が溢れ出す―。(外国人労働者を許容しても、こんな介護や差別や人権侵害は許容できません!!自分が流されないために想像してみよう。)
日本の入国管理局の現状 (ハーバー・ビジネス・オンラインの志葉玲氏などの複数の記事から引用・再構成)
2018年4月、牛久入管で収容中のインド人男性クマルさんが自殺した。翌月には同入管で日系ブラジルなど3人が自殺未遂した。入管では、少しでも被収容者が反抗的な言動をすると大勢の職員が飛びかかり、何人もの体重をかけて床に押さえつける“制圧”という暴行が日常的に行われている。被収容者はアザだらけにされ腕を折られる事もある。この10年間で制圧による窒息死は1人、医療放棄が疑われる病死は7人を数える。自殺死は4人。自殺未遂はもっと頻繁に起きている。2016年頃から入管に収容される人数が急増し、被収容者の処遇は目に見えて悪化しているという。
クルド難民として6歳の時に来日し日本で少中高に通った22歳の女性は、在留資格のある男性と結婚したところ突然入管に拘束された。持病の薬の内服が許されず発熱・痙攣・吐血が頻繁に起きるようになった。発作を起こし「私はのたうち回りながら、何度も『誰か助けて!』『救急車を呼んで!』と叫んでいたのに、結局、誰も来ず」放置された。
「トルコ籍クルド人が、盲腸の手術の後に腹痛を訴えていました。ところが、その人は1か月もの間放置され、手術痕からは黒い膿が出ていました。耐えきれずに本人が救急車を呼んだら、東京入管は救急車を追い返した」
「17年3月、収容されていたベトナム人がくも膜下出血で死亡した事案、当初から頭痛などを訴えていた。収容から2日後、口から血を吐き、泡を噴き、失禁。ほかの被収容者によると、『痛い、痛い』と叫ぶN氏に、見回りの職員はそのたびに『静かにしろ』と言うだけ。被収容者の方々は眠れなくなるほどずっとN氏の叫び声を聞いていた。」
ネパールからの来日した留学生は、学費用の180万円を盗まれ大学を続けられなくなり、心を病み帰れなくなって滞在期間を超えてしまったため入管に拘束された。紛争地から命がけで逃げてきて、日本に助けを求めて難民申請を行っている“罪のない人”も入管に拘留されている。その方々が人権を無視され、犯罪者以下・刑務所以下の扱いで長く留め置かれているのだ。日本の入管の闇は、国連の人権委員会や拷問禁止委員会から度重なる是正勧告が出されている。「多数の暴行の疑い、送還時の拘束具の違法使用、虐待、性的いやがらせ」や「無期限・長期収容」は拷問の疑いがある。長期化する拘留に追い詰められてしまった被収容者の自傷行為も増えているようだ。
牛久入管では、クマルさんの死に抗議して被収容者140人以上がハンガーストライキを実行。抗議も命がけだ。
「昨年5月、品川の東京入管で被収容者たちが抗議のハンガーストライキをしていた頃のことです。共用スペースから雑居房に戻ることを拒み、座り込みをした私たちに対し、大勢の入管職員が硬いブーツを履いた足で、何度も激しく蹴りつけてきたのです。あれ以来、片目の視力がほとんどなくなってしまいました……」(中国人男性)
入管の被収容者を支援しようと、牛久入管や東京入管の前では日本人市民による抗議も行われ、クマルさんの死の真相解明や医療環境の改善、長期収容の見直しを呼びかける署名には1万7千筆(2018.6現在)が集まっている。
【発展研修】 会場:祖師谷 12/18(火)16:00~
構成的グループエンカウンターの手法で行います。梅丘・祖師谷のどなたでも参加できます。
(担当/佐々木)
~~ヘルパーミーティングのお知らせ~~
【日時】 平成30年 12月14日 金曜日
忘年会(研修会)と同時開催。(案内は別紙)
当日は、懇談が中心となります。ざっくばらんに話し合いましょう。
会議参加手当(ミーティング)は1回につき1370円です。
紙ふうせんだより 10月号 (2018/11/09)
2018年(平成30年) 10月 神無月月号
紙ふうせんだより
雨の後は上天気
ヘルパーの皆様、いつもありがとうございます。銀杏の葉が色づいて寒くなってきましたね。神無月です。俗説では八百万(やおよろず)の神が出雲に集まるので、日本中から神々が居なくなるとか。身体が寒さに慣れていないと筋肉が強張って、ぎっくり腰をやってしまうのもこの季節です。どうぞご自愛下さい。入浴時にふくらはぎなどのマッサージをしたり、ストレッチなどで腰痛を予防しましょう。また、体幹の筋肉を鍛える事も有効です。
壊れたからこそ強くなるもの
アスリートがトレーニングをして筋肉に負荷をかけると、実は筋肉に微小な破壊が生じます。その損傷が自己治癒される時、筋肉は以前よりも強くなります。これが筋トレによる筋肉強化のメカニズムです。壊れたからこそ強くなるものは、他に何があるでしょうか。
ことわざの「雨降って地固まる」は、「揉め事の後はかえって良い結果や安定した状態を保てるようになる」との教えがあります。人は雨を嫌がるものですが、その嫌なものこそが良い果報をもたらすのですから、目の前の物事に“好きだ嫌いだ”と一喜一憂するのは空回りかもしれません。類語には「雨の後は上天気」「諍い果てての契り」「喧嘩の後の兄弟名乗り」「破れりゃ固まる」などがあり、英語のことわざにも「嵐のあとに凪が来る」「うまくつながれば折れた骨は以前よりも丈夫になる」などがあります。これらの言葉の中には、「破壊と創造」や「死と再生」のように相矛盾するものが“対”になっているという考えがあります。それらは、互いに相手に勝とうと対立しながらも互いに無いところを補いあい、陰と陽のように相克(そうこく)と補完(ほかん)を繰り返しながら発展していくと考えられています。
古代から人々は考えてきました。生きている人が死ぬのはなぜだろう。春に草木が芽吹くのはなぜだろう。短い昼が長くなってまた短くなると一回りで、それを繰り返すのはなぜだろう。死んでゆく人が、その直前に清明な意識を取り戻し昔を懐かしみながら赴く事があるのはなぜだろう。万物は螺旋(らせん)のように円環しているらしい。そうなる原動力は何なのだろう。破壊の中には創造が、創造の中には破壊が、ある物事の中には一見それと矛盾するような性質も、実は種のように含まれているのではないか――。「破壊と創造」は本源的には同一のものではないのか――。古代インドでは、根源の神聖な存在が「創造、維持、破壊」という三つの機能として現れると考えました。それは「ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァ」というヒンドゥー教の三大神(三神一体論)となり、この三柱の神は仏教や日本の八百万(やおよろず)の神にも取り入れられました。このようなアジアの思想の系譜が背景にあり、実際の経験でも理解しているからこそ「壊れたからこそ強くなる」という意味のことわざ多いのではないでしょうか。また、“壊れたらそれで終わり”ではつまらないし、何かが終わってしまってもそこから何かが始まっていて欲しいし、一見悪いことのように見えるものの中にもの良いことがある、と願うのが人の素直な気持ちではないでしょうか。
「それで終わり」の一面的な視点からの逆転
何かの選択を迫られた後に結果が満足だった場合、「正解だったね」と言っている方いますよね。口癖なんだと思いますが、何だか“唯一の正しい答え”に縛られているような窮屈さを感じます。ランチがおいしくなかったとしても、それは不正解を選んだ事になるのでしょうか。選択が仮に“失敗”だったとしても、そこには「私の価値観を再発見した」「自分に無い感性に気が付いた」など何らかの発見があり、必ずしも「失敗=不正解」とはなりません。破壊には創造があるように、失敗にも創造があると考えてみる事は一面的な視野を拡げてくれます。衝突を回避しては何も始まりません。失敗したらそれで終わり、喧嘩したらそれで終わり、つまずいたらもう立ち上がれない、という考えはつまらないと思うのです。
しかし今、そのつまらない考え方が蔓延しているように感じます。随分前から巷間でささやかれる“勝ち組”“負け組”もそう。絶対に自分は負け組になりたくないと怯えている者が“卑怯者”の場合、(小学校などでも見られる光景ですが)勝手にルールを作ります。自分勝手なルールで他人を一方的に裁いて卑怯な“差別”をし、自分を“勝ち組”にしようとするのです。某国会議員の “生産性が無い人に行政の支援は不要”的な主張もそうです。どうしてそんな卑しい事をと思うのですが、一度手にした“勝ち”や“権力”を絶対に手放したくないため、誰かを“負け”に突き落としたい強迫観念があるのではないかと思います。負けたら「それで終わり」では、一度“確定”したものはなかなか挽回できません。一方で、「破壊と創造」などは円環するという考えを持つ人は、「失敗は成功のもと」「七転び八起き」となります。さらには“現世”の失敗ももしかしたら、死と共に生じる再生の中で、“それは本当は失敗では無かった”という真逆の視点に立てるかもしれません。
あるご夫婦利用者さんの夫が先に旅立たれました。夫婦が共に介護が必要な状況の中での必死の介護生活でした。その大変さに奥様は、“私は昔からこの人の下女(げじょ)だった”と自嘲ぎみにこぼしていました。奥様に言わせると、午前4時頃小さな呟きが聞こえたそうです。「・・・す き」と奥様の名前を呼ばれたそうです。早朝に、あの呟きは何だったろうと夫の方を見ると亡くなっていました。「急に亡くなって寂しいけど、あの呟きを思い出したら頑張っていける…」と奥様は言われました。夫の死から再生したものは何でしょう。雨上がりには、澄んだ空気に水滴の一つ一つが光り輝き風景は新しい色合いに包まれるのです。
創造と破壊の両方を見つめる
私たちの介護は、“悪いことのように見えるものの中の良いこと”を探していく仕事です。ならば逆に、良いことのように見える中にある悪いことにも注意を払う必要があります。祖師谷の訪問介護という新しい創造の中で、何かを傷つけてはいないか、真摯に問いながら進んでいきたいと思います。
紙面研修
腰痛予防
足の疲れは腰に出ます。自転車こぎの疲労がふくらはぎなどに蓄積すると、足の筋肉が固くなり膝が十分に伸びなくなります。そのため、重心が前かがみになり、まっすぐ立とうとすると「反り腰」(慢性腰痛の原因)になってしまいます(高齢者はバランスを取ろうとして逆に腰が曲がります)。そんな時に背中を無理して伸ばしてギクッっとなるのです。
【下半身のストレッチ】
① 息を止めずにゆっくりと吐きながら伸ばしていく
② 反動・はずみはつけない
③ 伸ばす筋肉を意識する
④ 張りを感じるが痛みのない程度まで伸ばす
⑤ 20秒から30秒伸ばし続ける
⑥ 筋肉を戻すときはゆっくりとじわじわ戻っていることを意識する
⑦ 一度のストレッチングで1回から3回ほど伸ばす
←素足で壁からかかとを5㎝ほど離して真っすぐ立つ。頭、尻、背中を壁や柱にぴたっとくっつけ、と腰の隙間に手がすぽっと入り余裕があるようなら、骨盤が前傾して反り腰になっています。
【体幹を鍛える】
右のような態勢をつくり、しばらく保持します。決して反り腰にはならないように。呼吸はゆっくり行います。ただ同じ姿勢をしているだけなのに、なぜ疲れるのか?片足立ちも同じですが、体幹を支える筋肉を使っているからです。(ぷるぷるしますよ。最初は30秒も持たないかも。徐々に長くできるようにしましょう。)
身体の筋肉は、主に身体の表面にある腕や足を大きく動かす筋肉と、身体が様々な動作や姿勢をしている時に体幹を支え骨格や関節を守る筋肉(身体の内側・深層)とがあります。
★最近、出勤簿の記載漏れ・誤記入が増えています★
★十分確認した上での提出をお願いします★
①11月中旬頃から年末年始の準備に入ります。年末年始のお休み希望は、できるだけ早目(11月15日までに)にお願いいたします。(サ責が梅丘と祖師谷に分散するため、お休みの交代が難航する可能性があります。あわせて、利用者さんの年末年始のサービスの要不要などを大まかに聞いて、事務所までご連絡頂けると助かります。
②上記を伺ったらケアマネにも打診して年末年始スケジュールの作成作業に入ります。時間変更や振替の提案などがありましたら(→事務所とのコミュニケーションが必要です)、「年末年始スケジュール」(事務所へ提出用)を同封しましたので、①の情報と併せて記入し11月末まで(出来るだけ早めに)に提出をお願いします。書面で確認させて下さい。
③提出をもって、年末年始のスケジュールの確定ではありません。12月中旬には、「年末年始スケジュール」を発送します。それをご確認下さい。
④また、月末は請求業務が大変になりますので、サービス実施記録は、出勤簿に記入した上での小分け複数回の提出をお願いいたします。実施記録を月半ばで提出する際は、できるだけ、提出物と対応する「出勤簿」のコピーも一緒に提出をお願いします(祖師谷は必須)。“仮”の出勤簿として実施記録との突合せに使用します。月末には正式な出勤簿が必要です。(月末にあと1日のサービスを残すのみというような場合は、未提出となるサービスも仮記載し、鉛筆などで“仮”として頂ければ、正式の出勤簿として受領します。)
⑤寒くなると視野が狭くなり気がせいてきます。事故にはくれぐれもご注意ください。遅刻はしないように早めの行動開始をお願いします。もし訪問時間に遅れる場合は、事務所までご連絡下さい。事務所より利用者様に一報入れますので、落ち着いて移動して下さい。
2018年11月9日 3:37 PM | カテゴリー: 紙ふうせんだより
紙ふうせんだより 9月号 (2018/11/09)
2018年(平成30年) 9月 長月号
紙ふうせんだより
銀色の月が自分を見下ろしているように
ヘルパーの皆様、いつもありがとうございます。うろこ雲が霞んだ空の高い所に浮かんでいます。気が付けば秋の風、油断すると風邪をひいてしまいます。利用者さんの寝具や衣類の入れ替えなど頼まれた時は、プランの中(生活援助や共に行う衣類整理)で行えるものはお願いします。また、そのような提案があれば事務所までご連絡下さい。
想像の視点をもっと遠くへと羽ばたかせながら
いわし雲が黄色に光り始めるとそろそろ夕方です。もう帰ろうか、まだ遊ぼうか。あとちょっとだけ、何か一つだけ遊べます。空全体がオレンジ色に染まったら、カラス空を横切ったら、帰る時間。子供の頃のそんな記憶は、不思議にも利用者さんの生活と接点を持ちます。黄昏(たそがれ)時になると“尋ね人”になってしまう方もそう。子供たちは朝日に照らされている一方で、高齢者は夕日の中にたたずんでいて、どちらも同じ色彩の世界に生きています。
子供と高齢者が不思議な親近性を持っている事は、河合隼雄やユング心理学が指摘するところで、その背景には東洋の円環(えんかん)の思想があります。万物は円環している。生も死も円環し繰り返すという考えです。還暦のお祝いに着せられる赤いちゃんちゃんこは“赤ちゃんに生まれ直す”という意味があります。この考えからみた時、高齢者の発達課題(成熟)は“どうやって上手に子供に戻るか”という逆説を含みます。とすると、老いの課題に直面して悩む利用者さんは、“大人”である事に捕らわれたままであるとも言えそうです。この気持ちは“大人”である私たちが、時に自分の“プライド”に捕らわれてしまうように、我が身に置き換えても理解できます。だから(利用者さんや自分自身が)どうしたら良いか方向性を見失ってしまったような時は、子供だった頃は一体何を喜び毎日をどうやって生きて、何に悔しがったのか、一緒に思い出してみるのも一つの手かもしれません。目の前の利用者さんと向き合っていく事は、関わる私たち自身の生い立ちまでも振り返る事になるでしょう。
また、例えるなら次のようにも言えます。目の前の利用者さんをもっと理解したい時は、もっと全体を見てみよう。その方の誕生と生育から今に至るまでの全体を想像するような、巨視的な視点に立ってみよう。雲を見てみよう。雲は近寄って見るとはっきりとした形など無く、水蒸気が霧となって風に流れていくだけです。しかし遠くから見た時、雲というまとまりをもった形あるものとして現れます。近くで凝視して見えるものは一断片でしかなく、遠くから眺めてみる事によって、関わりあう全体の姿が初めて見出されるのです。
実際、生や病や老いや死といった課題に翻弄される人生の意味は、雲を掴むように掴みどころのないものです。しかし掴めないのは、自分が近視眼的になっているのだけなのかもしれません。そんな時は朱色に染まる遠くの空の雲を眺めるように、銀色の月が自分を見下ろしているように、自分の来し方を眺めてみましょう。想像の視点をもっと遠くへと羽ばたかせながら。介護の仕事は、自分を再発見するきっかけを与えてくれます。
紙面研修
【自立生活支援・重度化防止のための見守り的援助】
3月号で既報の通り「老計第10号」が改正されました。(改正されても発出日は「平成12年」と以前のままで紛らわしいんです。)今回の改正の追加点はゴシック体のところです。あと、「痴呆性の高齢者」の言葉が「認知症の高齢者」に変っています。趣旨は変わりません。キーワードには下線を引いてみました。自立支援(身体介護)を算定する時は、キーワードがプランに必要になってくるかと思います。
1-6 自立生活支援・重度化防止のための見守り的援助(自立支援、ADL・IADL・QOL向上の観点から安全を確保しつつ常時介助できる状態で行う見守り等)
○ベッド上からポータブルトイレ等(いす)へ利用者が移乗する際に、転倒等の防止のため付き添い、必要に応じて介助を行う。
○認知症等の高齢者がリハビリパンツやパット交換を見守り・声かけを行うことにより、一人で出来るだけ交換し後始末が出来るように支援する。
○認知症等の高齢者に対して、ヘルパーが声かけと誘導で食事・水分摂取を支援する。
○入浴、更衣等の見守り(必要に応じて行う介助、転倒予防のための声かけ、気分の確認などを含む)
○移動時、転倒しないように側について歩く(介護は必要時だけで、事故がないように常に見守る)
○ベッドの出入り時など自立を促すための声かけ(声かけや見守り中心で必要な時だけ介助)
○本人が自ら適切な服薬ができるよう、服薬時において、直接介助は行わずに、側で見守り、服薬を促す。
○利用者と一緒に手助けや声かけ及び見守りしながら行う掃除、整理整頓(安全確認の声かけ、疲労の確認を含む)
○ゴミの分別が分からない利用者と一緒に分別をしてゴミ出しのルールを理解してもらう又は思い出してもらうよう援助
○認知症の高齢者の方と一緒に冷蔵庫のなかの整理等を行うことにより、生活歴の喚起を促す。
○洗濯物を一緒に干したりたたんだりすることにより自立支援を促すとともに、転倒予防等のための見守
り・声かけを行う。
○利用者と一緒に手助けや声かけ及び見守りしながら行うベッドでのシーツ交換、布団カバーの交換等
○利用者と一緒に手助けや声かけ及び見守りしながら行う衣類の整理・被服の補修
★支援を行っている利用者さんで、自立支援を積極的に取り入れるとADLやIADLやQOLが向上する方は誰だろう。
★今のやり方をどのように工夫すればば、自立につながる支援になるだろうか。また、ここに記載されていないような自立支援の工夫や取り組みは、何があるだろう。
★時間に追われながらも自立支援につながる適切な声かけは、どうしたらできるだろうか。
『生活歴の喚起』とは
日常生活の過ごし方は、どんな事でもその方のやり方というものがあります。
利用者さんが“認知症になったから”“身体機能が衰えたから”と安易に家事等の代行をしてしまうと、とたんに今までの自分のやり方が継続できなくなり、ますます衰えてしまう事があります。そのような時、利用者本人の今までのやり方や考えに基づいて、ヘルパーが一緒に行う事を試みる事によって、本人の生活の継続性や一貫性が保たれ、本人が自信を取り戻すという事があります。
それは、本人が生活の切り盛りの主役に返り咲く事であります。生活の継続性や一貫性は自分らしさの要素でもあります。老いという困難を迎える時、利用者さんに「今までどのように生きてきたのか」「どうやって困難を乗り越えてきたのか」「昔の自分はどんな自分だったのか」等、『回想法』を意識した会話を心がける事も生活歴の喚起につながっていくでしょう。
寒くなってきましたので風邪にはご注意を。
インフルエンザの予防接種を受けた方には、1000円を助成します。
領収書を事務所までご持参下さい(なるべく当月以内)。
<健康診断の受診のお願い>
★健康診断は年1回!! 平成30年度の診断書未提出の方は受診をお願いします。
★対象 介護保険訪問介護従事者(※雇用形態に関わらず全ヘルパー対象)
★診断書のコピーと領収書(原則当月内)を持参して頂ければ、その費用の全額をお支払いします。(※オプションは自己負担でお願いします。)
健康診断についてヘルパーさんに伺うと、「他の会社で受けた」「区の検診を受けた」等、伺っています。他事業所で受けたものを提出して頂いても構いませんし、区の検診でも構いません。コピーの提出をお願いします。
40歳以上の国民健康保険の方は、世田谷区の「特定健診」が便利です。毎年5月から6月に区から「受診券」が送られてきます。大抵のかかりつけ医で検診をやってくれます。問い合わせの上受診しましょう。(「受診券」は4~8月生まれの方は5月中旬頃、9~3月生まれの方は6月上旬頃発送で、緑色の封筒には「受診券」「受診票」「特定健診のご案内」「医療機関名簿」が入っています。)
(区ホームページより)
健診名 対象 健診内容 費用 (問合せ)総合支所
特定健診・特定保健指導 世田谷区国民健康保険に加入している40歳~74歳の方 問診、診察、身体計測、血圧測定、血液検査、尿検査、心電図、眼底検査、胸部X線等
500円 健康づくり課
(世田谷)
03-5432-2893
(北沢)
03-3323-1731
(烏山)
03-3308-8228
(砧)
03-3483-3161
区民検診 区内在住で16歳以上39歳以下の方
お勤め先等で健康診断を受ける機会のない方 問診・計測・診察・血圧測定・尿検査・血液検査 ※診断書無し
検診項目も少なく診断書もないので、39歳以下の方はどこで受診するかご相談下さい。
※世田谷区外の方など、どこで受診すればよいか解らない方は、ご相談下さい。定期健診の一般的な相場は1万円前後のようです。
~~ヘルパーミーティングのお知らせ~~
【日時】 2018年 10月24日 水曜日 18:30~
梅丘(本社)の事務所内にて、梅丘・祖師谷含む全体のMTGです。
★担当利用者さんの状況等・支援計画の変更の必要性の有無 ★今月の議題・伝達事項
会議参加手当(ミーティング)は1回につき1370円です。
【基礎研修】 関連項目 プライバシー保護等(佐々木)
ヘルパーMTGと同時開催の研修です。(内容はいろいろ膨らむ予定です)
【発展研修】 会場:祖師谷 10/12(水)16:00~
構成的グループエンカウンターの手法で行います。梅丘・祖師谷のどなたでも参加できます。(担当/佐々木)
お知らせ
紙ふうせん祖師谷訪問介護事業所世田谷区祖師谷4-25-20ぺルラ祖師谷102号
☎03-6411-9132 FAX03-6411-9140 080-9185-4882
処遇改善加算(Ⅱ) 特定事業所加算(Ⅱ)
「紙ふうせん祖師谷訪問介護事業所」の指定申請を東京都に9/25、世田谷区に9/26に提出してきました。審査が順当ならば、11月1日に指定予定です。(10月最終週に事業所番号が判明します)
つきましては一部の利用者様の一部のサービスが、11月1日から「祖師谷」からの派遣となるよう準備を進めています。ヘルパーさんに混乱が無いように、「祖師谷」への移行は、第一弾としてはヘルパーさん単位で行います
社員の祖師谷移行は、佐々木管理者・小泉サービス提供責任者・伊藤非常勤サービス提供責任者となります。
利用者さんの移行は、“移行”と言っても梅丘に加えて祖師谷と追加契約をして頂く形なので、当面はヘルパーさんのお休みをフォローする体制は、梅丘と祖師谷両方で対応できます。移行する利用者さんには10月中に順次サ責よりお願いしてまいります。
※サービス実施記録の提出は従来通り祖師谷で構いません。
11月以降、祖師谷対応となったサービスは、そのサービス実施記録を祖師谷用(梅丘用と色が異なる)に順次変更していく事を検討中です。また、出勤簿も祖師谷用を明確に表示して、祖師谷と梅丘の混同が起きない様にしていく事も検討中です。これは、シフトに祖師谷と梅丘が混在するヘルパーさんへの対応のためです。検討中の内容については、皆様のご意見をお申し出ください。
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梅丘・祖師谷と別れても、どちらの事業所も全てのヘルパーさんの為のものです。どちら所属などとこだわらずに、両事業所にお気軽にお越しください。また、佐々木は訪問介護の全体の責任者となります。
利用者さん・ヘルパーさん・ケアマネさん(ケアプラン・提供票)にはご迷惑をおかけしますが、ご協力をお願いいたします。また、利用者さんより何かお声を頂いた際は、事業所までご連絡下さい。
2018年11月9日 3:22 PM | カテゴリー: 紙ふうせんだより
創立10周年 (2018/09/10)
お陰様で弊社は平成30年9月9日をもちまして、創立10周年を迎える運びとなりました。
これもひとえに皆様方の厚いご支援と温かい激励の賜でございます。
ここに心よりの感謝を申し上げます。
これを機にスタッフ一同決意を新たにし、従前にもましてサービスの向上に努めてまいります。
今度とも、なにとぞご支援ご愛顧を賜りますようお願い申し上げます。
2018年9月10日 10:47 AM | カテゴリー: 活動報告
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