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紙ふうせんだより 9月号 (2021/10/15)


学ぶ心を起動せよ!

ヘルパーの皆様いつもありがとうございます。学び問う秋です。気温の乱高下に体調も振り回されてしまう9月でしたが、このお便りが届くころは10月になってしまいますね。皆さんの体調はいかがですか? 無事に暑さを乗り切られましたか? 涼しくなってきて幸いです。10月なのにお便りが9月号という押し気味感に察して頂ければ幸いですが、倦(う)まず弛(たゆ)まずに続けていきたいと思います。

他の事はさておいても、利用者さんに対しては常に精一杯の気持ちで接したいものです。そこに惰性が生じてしまったら命に対して不誠実になってしまいます。とは言え、毎週同じ会話と同じサービス内容を繰り返していたら飽(あ)くこともあるわけで、そうならないためには「何が必要か」ということを真剣に考えねばなりません。

学ぶということ

「学ぶ」とは何でしょう。「知らないことを知る」ということがまず挙げられます。とは言え、知らないことを探して(確かに世の中は自分の知らないことに満ちていますが)興味のままにネットサーフィンをしても暇つぶしにはなっても充足感は得られず、変らない日常を過ごすということも多々あるわけで、単に「知らない“情報”を知る」ということだけでは学びにはならないようです。

何が足りないのか。充足感のある「学び」が得られた時のことを振返ってみると、その時には物事の成り立ちや構造や原理など、何かに「気が付いた!」「解った!」という発見や感動がありました。思い出してみましょう。学びを得た前と後とでは、何かかが違う。知りたかったことを知っている。解らなかったことが解った。学んだ後に見える景色は、学ぶ前とは少し違っているはずです。つまり「知らないことを知って“自分が少しだけ変わった”」ということが学びの本質にあるようです。

自律的学習に必要なこと
例えば、優れた教師は意欲の薄い子に興味を抱かせることが抜群に上手いのですが、これは、手を変え品を変え学ぶきっかけをどう作るか、という教える側の課題となります。きっかけを得られると、伸びる子は教わった所を超えて自分の興味で学習領域を拡げていく自律的な学習の循環に入っていきます。

この時、どんな内的変化が起きているのでしょうか。さまざまな物事に対して「なんでだろう」「どうしてだろう」「どんな仕組みになっているのだろう」と、疑問が沸き起こっているはずです。ひと度『自ら考える』ことが起動すれば、思考は次々と立ち上がります。「これはこうなっているのではないかな?」「こうしたら良いのではないかな?」と、仮説を立てては検証するというトライ・アンド・エラーの繰り返しとなり、ついに「わかった!こうだ!!」という“発見”に至ります。たとえそれが“皆が知っていること”であっても、この発見には大きな意味があります。発見したのは情報という“答え”ではなく、回答を自分の力で導き出せるという『自信』だからです。そしてこの自信は自己効力感(※1)の源ともなるのです。

※1自己効力感(セルフ・エフィカシー)とは、自分がある状況において必要な行動をうまく遂行できると、自分の可能性を認知していること。カナダ人心理学者アルバート・バンデューラが提唱した。自己効力や自己可能感などとも訳される。


自律的学習を阻むもの


自律的学習の好循環は、現実的には多くの壁があります。例えば“コスパ”といような効率重視の風潮です。学習が単に“情報を覚える”というような浅い認識にある場合、自分で考え仮説を立てて思考錯誤して回答を導くという迂遠なやり方は、「教えた方が、教わった方が速い」となってしまうのです。

しかしこれでは「習得」にはなりません。習うことは出来ても「得る」ことができないからです。学びによって本当に得るべきものは情報ではなく、問題に対して自律的学習を起動させて解決していく『自らの力』なのですから、その力が身につかなければ、習った情報を応用することもままならなくなってしまうのです。

学びの要諦は「学ぶ側」にあり

昔の職人は「見て覚えろ」と言われていました。弟子は道具の手入などの下働きを積みながら親方の仕事を手伝います。ほとんど教えては貰えずにモタモタしたら怒られるので、親方の一挙手一投足を観察します。「どうしてその動きなのか」「今何をしようとしているのか」「何でそれをやるのか」「次は何をやるのか」「次に必要な段取りは何か…」先回りして準備をします。手入で道具の扱いは自然と身についています。暇な時は見様見真似して自分でもやってみます。そうしているうちに親方から「お前、これやってみろ」と言われて出来てしまうのです。

これは不思議なことではありません。親方の手元をじっとみているうちに、脳内にあるミラーニューロン(※2)と呼ばれる神経細胞の波長が親方の脳波と同調し、いざ自分がやってみる段になった時、ミラーニューロンは学習した脳波を再現するのです。これは赤ちゃんが言語を習得していく過程に似ています。親の語りかけに何だろうと耳を済ましているうちに自然と音を覚え、認知機能の深いところで論理構造が構成されていくのです。

このように、現代ではあまり好まれない徒弟制度ですが、師匠の教える能力の高低に関わらず技の伝承ができるという優れた面を持っています。よく観察し絶えず自問自答する弟子は、「一を聞いて十を知る」態勢が整うので、案外早く独り立ちしていきます。また、不器用な弟子も長い下積みに飽きさえしなければ必ず出来るようになります。ともあれ、現代では促成栽培のような学習が求められていますが、その悪弊としてのマニュアル思考に陥ってしまえば、教わったこと以外は手出し出来なくなってします。いずれにしても、学びの要諦は教科書や指導者等の「教える側」にあるのではなく「学ぶ側」にあるのですから、「教わってないからできない」という受身では、学ぶ力を自分で弱めてしまうことになるのです。

※2霊長類などの脳内で、自ら行動する時と他の個体の行動を見ている状態の両方で、活動電位を発生させる脳神経細胞。他の個体の行動を見て、まるで自身が同じ行動をとっているかのように”鏡”のような反応をすることから名付けられた。単に行為の視覚特性に反応しているのではなく、他者の行為の意味の理解・意図の理解などに関わっていると考えられている。

学びの要諦は介護におけるコミュニケーションと同じ

利用者さんとのコミュニケーションも、基本的には利用者さんから「学ぶ」というスタンスが大切です。利用者さんが語った一言に「どうしてこの話題なのだろう」「何を伝えたいのだろう」という気持ちで耳をすませ続けていけば、深い理解に向けた態勢が整ってきます。そうしているうちに率直なやりとりの瞬間、利用者さんの気持ちが“腹落ち”します。

これが“登竜門”のように機能して、利用者さんとの間に信頼関係が築かれるのです。このようにして私たちは、利用者さんから私たち自身の目指すべき姿を学ぶことが出来るのです。そして、築かれた深い信頼関係は介護職員としての自己効力感となり、やりがいにもなるのです。利用者さんを「師匠」と捉えて、自身の学ぶ心を起動していきましょう。

 

紙面研修

自己効力感を高めるケア

心理学者アルバート・バンデューラ(1925 – 2021.7.26)によると、人は行動を起こす前に2つの予測を立てていると言います。それは「自分はうまく行うことが出来るかどうか」という予測(効力予期)と「結果を出す事ができるかどうか」という予測(結果予期)です。この予測のポジティブ度合いの高さが自己効力感となります。当然ですが、自己効力感が高ければ成功する可能性は高まります。

言い換えれば、自己効力感とは、行動を起こす時や目標に向かっていく時に「やってみよう!」と思える力のことです。この気持ちの背景には「きっとうまくやれる」「自分にはできる」という感情があります。その感情は、「失敗してもリカバリーすれば良い」とか「厳しい判断を迫られた時には人に聞いたり調べたりして適切に選択できるように最善をつくそう」とか「諦めずに続ければ必ずできる」「今、ノリノリだから必ず出来る!」等といった自分に対する認識の仕方によって強まったり弱まったりします。この自分に対する認識の仕方が「自己効力感の先行要因」となります。その要因は主に4つあります。

 

1.達成経験:自分が何かを達成したり、成功したりした経験。最も重要な要素

2.代理経験:身近な人などが何かを達成したり成功したりすることを見聞きすること

3.言語的説得:「君ならできるよ」等の言語による励まし。但し効果の度合いや持続期間は相手への信頼度等に左右される

4.生理的情緒的喚起:身体的・精神的・心理的要因での気分の左右。生理やお酒や体調等も含む。例えば緊張して失敗した経験があれば 緊張感はネガティブ要因になるし、リラックスはポジティブ要因になる等。心身の状態を整えてネガティブに向かないようにすること。

 

 

※その他にも想像的体験(自己や他者の成功経験を想像すること)や承認(周囲から認められているかどうか)や、行動に対する意味付けや必要性の理解、達成する為の戦略や、成功や失敗の責任が誰に帰属するか(失敗の責任を押し付けられるとたいていは躊躇する)、周囲の支援の有無や、認知能力なども関わってくる。

 

近年、臨床や看護の現場でも自己効力感の高さによって、患者の回復の度合いが異なる事例が多く報告されており、自己効力感の概念は重要視されています。具体的には、セルフケア不足の患者は自己効力感が低い状態が見られることがあり、自己効力感を意識したアプローチが大切だと言われています。

例えば、リハビリで日常生活動作(ADL)が拡大している患者でも、介護してもらうことが当然であると思いこみ、自分では行なわなくなってしまっているケースがあります。このような時は、全面的な介護の段階から一部介護の段階へと「励まし」を行いながら移行し、自己効力感を高めていく必要があります。そして、最終的には自分一人でも出来るような仕組みを構築し、やり方を教えていくのです。(全代償的看護システム→一部代償的看護システム→支持・教育的看護システム)当然ですが、リハビリ効果を高める為には、自己効力感の形成はとても大切なのです。

自立支援的介護も全く同じことが言えます。利用者さんが小さな成功体験を多く積んでいくことは、利用者さんと介護職員の信頼関係ともなります。そうなれば、介護する側も「自分なら利用者と信頼関係が築ける」「自分はよりよいケアが提供できる」という、介護する側の自己効力感となります。なお、自己効力感は「自己肯定感」と似ていますが、自己肯定感はありのままの自分を認める感覚であり、自己評価の高低とは関わりなくあるものです。


紙ふうせんだより 8月号 (2021/10/12)


自助を支える共助・公助


ヘルパーの皆様いつもありがとうございます。脱水や熱中症など、利用者さんや自分自身の体調不良にはくれぐれもお気をつけ下さい。やまゆり園事件(※1)より5年が経ちました。

やまゆり園事件に見る組織の問題

相模原19人殺害の植松聖が勤めた「やまゆり園」の実態”(文春オンライン 渡辺一史)

智子さんは事件後にやまゆり園を退所して横浜市内の施設に移ったが、智子さんの両親が、やまゆり園時代の支援記録を請求したところ、《突発的な行動もあり、“見守りが難しい”》という理由から、車いすに長期間拘束されていたことが明らかになったのである。

ところが、智子さんが今の施設で拘束を解かれた生活をするうちに、長年の拘束で凝り固まった足腰のリハビリによって歩けるようになったほか、散歩やカフェでの食事、地域の資源回収の仕事までできるようになったという。支援の仕方しだいで、障害の程度は大きく変わりうることが証明される形になったのだ。
「やまゆり園事件」の重い教訓、障害者虐待ゼロに向けた神奈川県の決意表明(DIOMONDオンライン 福原麻希)

検証からは「現場の職員や組織の都合を優先する管理的な支援体制と考え方」が見えたため、検討部会から「人権や権利擁護の理解や意識の不足」「専門的支援の知識や技術の未熟さ」「職員間・関係者間のコミュニケーションと情報共有の不足(職場の風通しの悪さ)」などを厳しく指摘された。

今回の検討部会で「重度知的障害者をどのように支援するか」についてプレゼンをした、社会福祉法人北摂杉の子会の松上利男理事長は「エビデンスに基づいた支援をしていけば、身体拘束はゼロにできます。仕方ないと言うのは“支援放棄”です」と話す。
 

どのようにして植松死刑囚は歪んだ“正義”を持つに至ったのでしょう。かねてより指摘されているのはインターネットに蔓延する差別や憎悪表現による感化ですが、やまゆり園の運営法人の組織的な問題も浮かび上がってきました。利用者への長時間に渡る身体拘束(虐待)などが常態化していた事実です。

植松は当該法人に入職当時、積極的なやる気のある職員で、利用者を「かわいい」と周囲にも話していたといいます。しかし、そこで見たのは素人感覚では理解を超える実態です。「職員が利用者に暴力を振るい、食事を与えるというよりも流し込むような感じで利用者を人として扱っていないように感じたことなどから、重度障害者は不幸であり、その家族や周囲も不幸にする不要な存在であると考えるようになった」と裁判でも事実認定されています。植松は悪しき組織文化にも感化され誤った学習をしてしまったのです。

「おかしいこと」に気が付くために必要なこと
ある職員は「『この支援はおかしい』(※2)と気付いても、上司や同僚に言い出せない雰囲気があった」と証言しています。

不適切支援を過度に正当化する論理が組織にあると虐待は構造化します。個人が組織の「おかしい」ことに気が付くためには、比較対象としての健全なめざすべき方向性をあらかじめ知っている必要があります。それは、様々な社会経験や人間関係から得られる多様な人間観や、学校教育や研修や先輩を通じての人権意識や、良い組織や良い支援での成功体験などを「自分のもの」として内面化することによって明確に自覚されます。

植松には教養不足やうわべ(※3)だけの人間関係もあったのでしょう。「めざすべき方向性」への自覚的な理解が形成されなかったがゆえに、植松は悪い組織風土を内面化させてしまったのではないでしょうか。

※1 異常な精神状態による犯行ではなく被告には「責任能力」があるとして2020年3月16日に一審で死刑判決。被告が控訴を取り下げたため死刑が確定した。

※2神奈川県による聞き取り調査。

※3「やんちゃでお調子者」との精神科医の評価。

 

正当化」と「合理化」の隘路(あいろ) 周囲と対立的な自己
社会保障制度の歴史と意義(日本医師会資料)田中滋

社会保障制度の真の受益者は、社会不安によって被りうる損失を予防される階層に他ならない。工員たちが革命側に行かないことによって得をする受益者は、政府と富裕層である。繰り返すと、社会保障機能の直接の対象者は、けが人や病人、日本の介護保険で言えば要介護の方々と理解してよいが、機能の本質的受益者は、政府・統治者・富裕層なのである。会社保有者が経営に専念できるとか、政府が外交や国家運営に専念できることと言い換えられる。
 

植松は誤った方向性を「正当化」していきます。そこには利用者に対する共感性よりも同僚職員に対する同調性もあったでしょう。「職員中心ではなく利用者中心」という理念が体現されていない環境では筋違いの愛着(※4)は修正がなされず、支援職や家族は障害者と対立関係にあると捉えて障害者理解を拒絶してしまった。それを「合理化」していった先に“重複障害者は家族や職員を不幸にするから不要”という考えが生じます。

そして“重度知的障害者を殺すことは正義”という独自の“正義”を発見します。それが植松に“真理の発見者”という自己陶酔をもたらしたことは想像に難くありません。植松の過剰な承認欲求や自己正当化・合理化は自己形成の未熟さや、病的な思い込みもあります。

しかし提起された問題を個人的側面にのみ帰着して処理してしまっては、事件の再発を防ぐことはできません。

第一に、「合理化」とは「後からもっともらしく理屈をつけて自分の行動を正当化すること(※5)」で「諸個人が自己正当化という意図をもってみずからの行為の真の動機を意識的あるいはなかば無意識的に隠蔽して、社会的な承認を獲得しようとすること(※6)」であるため、程度の差こそあれ個人でも組織でもやってしまいがちなのです。行き過ぎは自分以外を責め始めるので、関係性は対立的になり孤立します。

第二に、多様な個人を包摂することを前提とする社会は、個人(自助)の問題も周囲の人間関係(共助)や社会や組織の仕組み(公助)として支えることができなければ機能不全となるからです。

公助とは誰の為? 自他を包摂する考え

身体が弱くなれば介護を提供し、お金が無くなれば生活費を提供する。病気になったら誰でも病院にかかれるようにする。公助とは具体的にはこれらの社会保障制度です。弱者差別を正当化する人は「公助は弱者の為にあり、それに社会資源を差し出すことによって普通の人や強者が割を食っており、経済成長の妨げにもなっている」という定型的な言い分を持っています。しかしこれは事実として間違っています。

近代の社会保障は、富国強兵・殖産興業を驀進するドイツ帝国が発祥です。宰相ビスマルクは社会保障制度(※7)を疾病保険・労災保険・年金保険と世界で初めて整備していきます。なぜか。良質な労働者を確保できなければ重工業の発展が望めないからです。熟練工が病気になって困るのは資本家です。生活不安が高じて労働者が仕事をサボって生産が滞ったり、暴動や革命に走ったら困るのは政府や資本家なのです。

私は、社会保障は「資本家や政府のためにある」と主張したいのではありません。「他人の利益は自分の損」というような対立的思考や、自分の利益にならないものには「無関心」を決め込むような、自他や社会との有機的な繋がりを自覚しない断絶的な観念を問題と考えるのです。このような狭隘な自己認識は植松にもあったでしょう。そうであるならば、この社会の根本的な成り立ちを再確認しておきたいのです。『自助・共助・公助(※8)』は自分の為でも誰かの為でも社会の為でもある。そして、自助を支えるために共助・公助があるのです。

※4仏教では苦しみを生み出す根本的原因(三毒)として貪・瞋・癡(とん・じん・ち)を説く。「愛着」は慣れ親しんだ物事に深く心を引かれ、離れがたく感じる事で、「貪」である。「瞋」は対象への拒絶、「痴」は無関心。

※5日本語大辞典

※6ブリタニカ国際大百科事典

※7  1838年・1884年・1888年

※8「互助」を加えることもある。明確な定義はない。

 

 

コロナ感染拡大防止をお願いします。変異株(デルタ株)が蔓延しています。臭いや味がおかしい、風邪症状等がある場合は申告してください。原則は出勤停止です。

 

新聞記事より

三次の介護業者を提訴「ヘルパーから感染」、82歳死亡(中國新聞 2020/10/2)

新型コロナウイルス感染症のため82歳で亡くなった三次市の女性の遺族の男性=広島市=が、三次市の訪問介護事業所の運営会社に計4400万円の損害賠償を求めて広島地裁に提訴したことが1日、分かった。担当ヘルパーが訪問を控えていれば母親の感染は防げたとし、運営会社の安全配慮義務(※A)違反や使用者責任(※B)を問うている。

訴状などによると、三次市で1人暮らしをしていた女性は4月3日に発症し、PCR検査で9日に陽性と分かった。広島市内の病院に入院し、19日に新型コロナによる肺炎のため死亡した。10日に陽性が判明した50代のヘルパーの訪問サービスを3月23、27、30日と4月2、6日に受けていた。

このヘルパーは3月31日に発熱と味覚・嗅覚異常があったが、翌日にいったん症状が改善した。原告側は、ほかに母親を感染させたと考えられる人がおらず、ヘルパーの親族にも新型コロナが疑われる症状が出た4月1日までには、自身の感染可能性を十分に認識できたとする。ヘルパーが訪問サービスを回避すべき注意義務を怠り、運営会社に損害を賠償する責任があると主張。運営会社は安全配慮義務を怠ったとも指摘する。

新型コロナ関連を担当する広島弁護士会災害対策委員会の砂本啓介委員長は「現時点では、全国でも新型コロナに関連して病院や介護施設などの責任を問う訴訟はあまりないのではないか」とみる。遺族の男性は中国新聞の取材に対し「ヘルパーを交代させていれば母の命は奪われなかった。運営会社は責任を認めて謝罪してほしい」と話している。(略)

 

「ヘルパーから感染」と提訴の遺族、訪問介護事業所側と和解 コロナ82歳死亡「お悔やみ表してくれた」(中國新聞 2020/10/12)

(略)男性と運営会社が12日、和解した。男性側は法廷での審理開始前に、訴訟を取り下げた。和解書などによると、運営会社は女性の死亡について遺憾の意を表し、哀悼をささげるとし、運営会社に法的な賠償義務のないことを双方で確認した。

訴訟取り下げの理由として男性側は、介護現場の安全管理体制についての問題提起は報道である程度達成された▽訴訟継続で介護現場が萎縮するのは本意ではない―などを挙げた。提訴時にはネット上で「損害賠償が認められると介護現場が持たない」などの声が上がっていた。

男性はこの日、取材に対し「金銭の請求が目的ではなかった。運営会社にお悔やみと遺憾の意を表してもらい、和解という結果に満足している」と話した。運営会社は「早く解決に至り、ほっとしている。これまで以上に気を引き締めて感染対策に取り組んでいきたい」と話した。(略)

(※A)【安全配慮義務】従業員が安心して働けるために必要な企業側の義務。

(※B)【使用者責任】従業員が業務上の過程における不法行為により加害者としてより誰かに損害を与えた場合、その人に対して会社(従業員の事業監督者)も賠償しなければならない。
【東京都】介護従事者に対するワクチン(ファイザー社製)の

大規模優先接種開始

予約:インターネットのみ 会場:西国分寺、立川、丸の内、御茶ノ水

https://tokyovaccine.pa-cv19-reserv.jp/ed590140

厚生労働省によると、ワクチンの変異株に対しての発症予防効果は

若干低くなるものの重症化は予防できるようです。

「英国公衆衛生庁(PHE)が公表した、ファイザー社のワクチンを実際に接種した後の状況に基づく研究結果によると、発症予防効果に係るワクチン有効率は、B.1.1.7(アルファ株)で約94%、B.1.617.2(デルタ株)で約88%、また、デルタ株による入院を予防する効果は約96%と報告されています。(厚労省)」

※なお、ワクチンを接種しても感染はするようなので(デルタ株に対する感染予防効果はモデルナ76%、

ファイザー42%とのデータも:米国ミネソタ州)、引き続き感染拡大防止行動を取って下さい。
(厚生労働省HPより)
 

「生活保護」について正しく理解していますか?

不正受給“官製バッシング”(片山さつき厚労大臣2012年当時)以降、生活保護への誤解が広まっています
①    生活保護の利用率は低下している

2011年度は生活保護利用者数がそれ以前の過去最高となったが、2位の1951年度の204万6000 人当時(利用率2.4%)と比較すると人口も1.5倍に増えているので、利用率は3分の2に減少している。
②    日本の生活保護捕捉率は、先進諸外国とくらべると極めて低い

生活保護レベル以下の所得の方が、実際に生活保護を受給している割合が捕捉率。日本の生活保護捕捉率は先進諸外国よりも極めて低い(日本15.3~18% ドイツ64.6% フランス91.6% イギリス47~90% スウェーデン82%)。

全国で起きている「餓死」「孤立死」発生の背景には、生活保護の捕捉率の低さも影響している。不正受給バッシングの陰で、必要な人が受給できてい事の方がより大きな問題。生活保護の捕捉率は高めていく必要がある。

 
③    不正受給の割合は保護費全体の0.4%程度(大きな変化はない)

不正受給は件数で2%程度、金額で0.4%程度で推移しており大きな変化はない。悪質な不正受給(※昔から反社会勢力が「しのぎ」にするなどが言われている)に対しては厳しく対応すべきだが、「不正受給」の事例の中には「高校生の子どものアルバイト料を申告する必要がないと思っていた」等、不正とは言い難いケースもある。
④    「働けるのに働かないで生活保護を受けている人が増えている」は誤り

高齢者・母子・障害者・傷病者世帯以外の「その他の世帯」の増加を指摘しての誤り。「その他の世帯」=「働けるのに働かない人」ではない。「その他の世帯」の3分の1は「働いているが最低生活費以下の給料しか出ない」ために保護を利用している。

雇用情勢悪化で中高年齢者、中軽度の障害や傷病を持つ人、低学歴・無資格の人、人間関係が苦手な人などの「就職弱者」が順に仕事を失い生活保護を利用せざるを得なくなっている。

 
⑤    「財政破綻を防ぐには生活保護を減らせばいい」はミスリード

日本の生活保護費(社会扶助費)のGDP における割合は0.5%でOECD 加盟国平均の7分の1。

生活保護費が財政を圧迫しているとはいえない。生活保護費は国民の命を守るために必要な支出。
⑥    「外国人の生活保護受給は違法」は誤り

日本国は基本的人権の問題として、適法に日本に滞在し永住・定住等の在留資格を有する外国人については、日本人と同等の保護基準で国際道義上人道上の観点から予算措置として生活保護法を準用している。

外国籍(1永住者、日本人の配偶者等、永住者の配偶者及び定住者 2特別永住者〈1945年以前に日本国籍だった方等〉 3認定難民)の生活保護受給世帯は受給世帯のうちの2.87%(2016年、ここ数年は同程度で推移)、で日本人国籍者と同じく、高齢・障害・病気・雇用情勢悪化等で働けないなどの受給の条件を満たしている方である。
 

◆参考資料:⑥以外は「今、ニッポンの生活保護制度はどうなってるの?(日本弁護士連合会)」

 

差別発言を繰り返すネット系著名人の暴言には、一定のパターンがある。「俺様凄い」の裏返しの弱者叩きと「俺様の金が弱者に使われるのは許せない」というものだ。なぜ暴言が繰り返されるのか。一面には差別発言を受け入れる素地が社会の中にあり、不満のはけ口(弱者叩き)として差別を喜ぶ人が少なからず一定数存在することだ。

マスメディアでは扱わない情報が選択的にユーチューブなどで流通しているが、動画再生回数(=利益)を稼ぎたくて一部のユーチューバーが(迷惑系ユーチューバーなどと同様に)“過激化する”という構図がある。件の「メンタリスト」の炎上動画は怖いもの見たさ的な消費もあり20万回以上再生(現在は削除)されているが、“ファン”からの賛同も多数見られる。「炎上商法」をする人は、炎上をもコンテンツ化して“問題提起だ、タブー無く議論を”と正当化して言うが、その「差別扇動」に感化されて、暴力衝動を正当化して行動化する人がいるので許されない。

実際に、2020年には1月に上野公園、3月に岐阜県、11月に渋谷でホームレスの方が襲撃を受けて命を落としている。「生存権は社会的効用とは無関係に存在するのであり、たとえ「問題提起」だったとしても否定されてはならない。これが人権というものについて、妥協できない大前提なのだ。(NewsWeek日本版2021.8.15)」 言論の自由(基本的人権)は大切だ。しかし言論の自由を隠れ蓑にした生存権(基本的人権)の否定は根本的矛盾であり許されない。

 

生活保護を申請したい方へ 

生活保護の申請は国民の権利です。

生活保護を必要とする可能性はどなたにもあるものですので、ためらわずにご相談ください(厚生労働省より)

 


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