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紙ふうせんだより 8月号 (2023/09/19)

「こころの平和」は「人として尊重」から

皆様、いつもありがとうございます。8月15日は「終戦の日」ですが、この日が「戦没者を追悼し平和を祈念する日」として記念日に制定されたのは1982年の閣議決定によります。一方米国では「対日戦勝記念日」を降伏文書調印の9月2日としていますし、ソ連は8月9日に対日戦争に参戦して火事場泥棒的に9月2日に歯舞群島攻略作戦を発動していることから9月3日を対日戦勝記念日(5日に千島列島全島制圧)としていました。

本来、日本でも「敗戦」の日をポツダム宣言の受諾(じゅだく)通知の日付の8月14日か降伏文書調印日の9月2日とすべきところですが、戦争体験者の記憶の中では「大事な放送があるから」とラジオの前に集められた「玉音(ぎょくおん)放送」の8月15日の正午が焼き付いているのです。

78年前の 「現実否認」

防衛大学名誉教授の佐瀬氏は『私の世代は「国民学校」に学び「小学校」を知らない。そこで行われたのは、文字通り軍国主義教育。二度とそういうことがあってはならない。だから日本は戦争に「敗れた」のであり、戦争が「終わった」のにという気はない』とコラムで記していますが、そこには二重の悲しみが見られます。

「戦争に負けてしまった」軍国少年の悲しみと、「勝つ」と信じさせられていたが「騙されて」加担させられていにということに気が付いてしまった悲しみです。国民を騙せても「現実」を騙すことはできません。

コラムでは、『後年調べた経済(OECD)協力開発機構の統計によると、「大東亜戦争」開戦時の昭和16年、日本の国内(GDP)総生産は2045億ドル強、米国のそれは1兆1002億ドル強。実に5倍の大差だった。しかも敗戦時の昭和20年には日本のGDPは987億ドル強、つまり大戦による疲弊のゆえに開戦時の半分以下に落ちた。これで勝てるはずはなかった』と、佐瀬昌盛氏は述べています。

日本の実力を「誇大妄想」する現実否認から始まった戦争は、政治的には、敗戦の現実を「終戦」という言葉で糊塗(こと)し、9月2日の全面降伏を意識しないようにする否認で終わっています。「否認」によって何かを守っていたのです。

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防衛機制の 「否認」 自分を守る心の働き

心理学の「否認」とは、自分にとって受け入れがたいことを認めない心理状態です。これは、自分の心がこれ以上傷つかないようにする無意識の働きです。現実を認めてしまうと自分が更なる苦悩に苛(さいな)まれてしまうから「現実を認めない」という防衛機制(※1)か働くのです。

これは、利用者さんにもよく見られます。既にやらなくなった事や出来なくなったことを聞かれて「やっている」「できている」と述べてしまうことについての原因は、「認知症だから忘れた」ということに限りません。記憶があやふやで自信が持てない不安な状況の中で、「できる」イメージを維持し「できない」自分を否認することによって心が壊れてしまわないように自分を守っているのです。この肯定的なイメージは急かして変える必要はなく、ご本人の気持ちを盛立てて本当に「できた」となるように支援していくことが大切です。

 




※ 1ディフェンス・メカニズム(defence mechanism)

自分の受け入れがたい状況に対して、元々あった自分の考えや現実認識やその時の実際の体調までも無意識的に修正(歪曲)してしまう無意識の働き。防衛機制が働き続けると精神的なバランスを崩しかねない「抑圧」や「逃避」や「否認」などもあるが、不安や満たされない欲求を良い方向への行動に置き換える「昇華」もある。




生きる意欲を奪う 「ディス・エンパワーメント」

「やっている」「できている」との発言を、認知症による「物忘れ」として単純化して理解してしまったらどうなるでしょう。

「物忘れ」なら「思い出せばいい」と、周囲の善意から「××しないように」「△△注意」といったお小言の貼り紙だらけになっているお宅もあります。それを本人が 非難に取り囲まれているように感じ、貼り紙が読めない(読みたくない)となることもあるでしょう。「この前言ったでしょ」「ここに書いてあるでしょ!」との支援者の言葉には、「忘れてしまうことを自覚して欲しい」との考えがありますが、否認の「否定」は悪循環の入口となりかねません。忘れたことを「聞いてない」などと言って「怒らないで欲しい」という気持ちもあるとは思いますが、「怒りたくなるくらいに『責められている』気持ちに本人がなってしまっている」のではないか、ということにも留意が必要です。

否認や反発の表現は、その時の支援者の関わり方が「非対称な力関係」になっていることも考えられます。支援関係は、支援者目線の庇護や救済や指導であってはなりません。利用者さんに「うまくできない」現実を理解させて「自分でやらせない」ようにしたり、言うことを聞かせて「自己管理させない」ようにすることを「ディス・エンパワーメント」と言います。これは「権限を奪い自信を奪うこと」であり、誤った支援方法となります。反対語の「エンパワーメント」とは「権限を付与し自信を持たせること」となります。支援関係の根底には、「人として尊重する」対等な人間観が無ければならないのです。

支援の肝は「元気にさせる」という一言につきます。「自分はもうダメだ」と思っている気持ちからは「困難を乗り越えよう」という気持ちは生じてきませんから、支援の第一は「ダメじゃないよ」というメッセージを利用者さんに送り続けることになります。その為には、「否認は自分の心を守ることであり、怒ることは意に添わぬことをはね返す力があることであり、どちらも本人の『強み』なのだ」と、支援者側の評価尺度を改めてみることも大切です。

利用者さんはネガティブな他者評価や自己評価の中で暮らしています。利用者さんが抑圧状況にあることを理解し、自己認識に揺れる言葉に耳を傾けて共感を示し「自信や自己決定力を回復・強化できるように支援する」ことがエンパワーメントなのです。

回復は 「エンパワーメント」 からはじまる

1945年8月15日以降、日本は挫折感に打ちひしがれていました。そんな中で、日本を元気にさせていったのは主に子供や女性たちでした(※2)。 8月25日には、「平等なくして平和なし」の信念を持つ市川房枝たちは「戦後対策婦人委員会」を組織し政府に婦人参政権実現を申し入れています。奇跡と言われる戦後復興の始まりは、差別や洗脳教育で「自己決定権」を奪われていた者の権限回復やセルフ・エンパワーメントから始まっています。

私たちは、「うまくできない」ところを、「大丈夫だよ」「できるよ」「一緒にやろう」などと声をかけ、利用者さんの参加意識や主体者意識を高めていきます。そして、たとえ物理的な参加が難しくても「本人の意に沿って」それが行われているように絶えず声をかけながら、できるところは一部分だけでも御本人にお願いをしていきます。たとえ大部分を物理的にヘルパーが手を出したとしても、本人が主体者意識を持って参加し「できた」ことを「良かった」と感じることができれば、それは本人の「できた」であり「元気」となるのです。

 




※ 2 文部省は9/20に教科書の軍国主義的記述の削除を指示し生徒による墨塗りが行われる。大人達の変わり身に時代の大転換を感じた子供達はいち早く新しい価値観を摂取していく。

10/9成立の幣原内閣はGHQの介入回避の為に翌日の初会議で婦人参政権を決定。翌年の衆院選で39人の女性議員誕生。市川房枝( 1893ー1981 )信念は「平和なくして平等なく、平等なくして平和なし」






 

紙面研修


 

(傾聴)深い体験を聞くために

今私たちが関わる昭和一桁生まれの利用者さんの人生体験の核に戦争があることは確かです。そこにうまく触れることができたなら利用者理解は進み、ケアの発展にもなります。しかし、戦争体験は時代背景を知らない人に対しては語りにくいものです。

当時の雰囲気はどうだったのでしょう。洗脳教育を受けた子供なら正しく「騙された」のですが、大人達はどうでしょうか。戦争を金儲けや成り上がりの機会として待望する声は民間にもありました。宮崎駿の映画「風立ちぬ」には日米開戦のラジオ放送に快哉を叫ぶ男子学生が描かれています。一方で、女学校では「みな沈んでいた」と話す利用者さんもいます。世代や男女でも受け止め方は異なるのです。

 
「戦争責任者の問題」映画監督:伊丹万作(1946.4.28

我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁(ちょうりょう)を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかったならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。

「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹(あんたん)たる不安を感ぜざるを得ない。

「だまされていた」といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによってだまされ始めているにちがいないのである。

一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。
 
「わたしが一番きれいだったとき」茨木のり子

わたしが一番きれいだったとき

街々はがらがら崩れていって

とんでもないところから

青空なんかが見えたりした

 

わたしが一番きれいだったとき

まわりの人達がたくさん死んだ

工場で 海で 名もない島で

わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

 

わたしが一番きれいだったとき

だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった

男たちは挙手の礼しか知らなくて

きれいな眼差しだけを残して皆発っていった

 

わたしが一番きれいだったとき

わたしの頭はからっぽで

わたしの心はかたくなで

手足ばかりが栗色に光った

 

わたしが一番きれいだったとき

わたしの国は戦争で負けた

そんな馬鹿なことってあるものか

ブラウスの腕をまくり

卑屈な町をのし歩いた

 

わたしが一番きれいだったとき

ラジオからはジャズが溢れた

禁煙を破ったときのうようにくらくらしながら

わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

 

わたしが一番きれいだったとき

わたしはとてもふしあわせ

わたしはとてもとんちんかん

わたしはめっぽうさびしかった

 

だから決めた できれば長生きすることに

年とってから凄く美しい絵を描いた

フランスのルオー爺さんのように
 
考えてみよう

利用者さんの人生体験の深いところを聞くために必要な態度は何だろう
 

セルフ・エンパワーメントをしてみよう

 

「できない」「できる」のあれこれ

「できない」ことを「できる」と言ってしまう心理は、「否認」以外にも様々なケースがあるでしょう。幼児は夢の世界にいるような「全能感」があり、本気で仮面ライダーに変身「できる」と思っていたりします。少年や青年期は、「できない」と言うことが恥かしかったり、見栄や自己認識の甘さによる背伸びもあります。『「できる」と言ってしまったから意地でも「できる」ようになって見せる』と努力すれば、防衛機制の働きは「昇華」となり、結果的に良かったことになります。中年期以降はさらに複雑です。経済観念が優位する大人は、ハッタリなど交渉術としての「できる」というのもあるでしょう。請負の仕事で「何でもできます!」と謳っておいて、実際は美味しいところの摘まみ喰いをしたいという打算もよくある話で、意識的に嘘をつける「大人」であれば、「できる」と言った場合の「できない」責任についても一応は、知ってはいるでしょう。「大人になるということは、責任を自覚する」とも言えます。

一方で、「できる」のに「できない」と言ってしまう場合もあります。これは「責任」の重みや自分自身を知っている「大人」ならではで、「責任」を負いたくないから「できない」ということもあるでしょうし、実際に自分の能力や仕事容量や時間などを計量して無理があるから、簡単に「できる」とは言えない責任感からの「できない」ということもあるでしょう。自己肯定感が低くて「できない」と言ってしまうケースについては、自己認識を拡げていく取り組みが必要となるでしょう。ある言葉を発したり自己認識の在り方によって自分はどう変わるのか、傾聴の耳は自分の心の揺れ動きにも傾ける必要があります。

【エンパワーメントの定義】 

元々のエンパワーメントは権利や権限の付与を意味する法律用語でしたが、公民権運動などの中で運動理念として発達しソーシャルワークに取り入れられていきました。エンパワーメントは単に「力を与える」という意味でも使われていますが、様々な論者が定義・再定義を試みています。キーワードは「自身のコントロール」「パワーレスからの回復」「社会参加」が共通します。

WHOのオタワ憲章「人々や組織、コミュニティーを通じて自分たちの生活を統御する過程である」

公衆衛生・健康教育の領域「コミュニティーやより広い社会において、自分達の生活をコントロールしていくために、人々やコミュニティーの参加を促進していくソーシャルアクションの過程」

看護の領域「自分の生活に影響する要因のコントロールを支援するプロセス」

コミュニティー心理学の領域「個人が自分自身の生活全般にわたってコントロールするだけでなく、コミュニティーへの自主的な参加にも同様にコントロールを獲得する一つのプロセス」

保健福祉領域「一般的にパワーレスな人々が自分たちの生活の中の制御感を獲得し、自分たちが生活する範囲内での組織的、社会的構造に影響を与える過程」

★支援過程におけるエンパワーメントは、「パワーレス(意欲を失った弱った状態)からの回復」に焦点があります。支援側から権限を本人に移譲して主体的な自己決定ができるように支援していくということを基礎として、コミュニティやケアへの参加過程で「自身のコントロール感」や「生活の中の制御感」を得て頂くことによってパワーレス状態から回復し、エンパワーメントから更なる「参加」が促進され、ますます元気になる、と説明できるのではないでしょうか。そうすると「セルフ・エンパワーメント」については、そのような過程を自覚して、「自分の態度を自分で決めていくこと」となるではないでしょうか




エンパワーメント(empowerment 「力を与える」「権限を与える」という意味で、ビジネスにおいては「権限委譲」を意味する言葉としてで用いられます。これまで上司が持っていた権限を部下に与えることで自律的な行動を促し、組織全体のパフォーマンスを高めることを目的としています。(人事労務用語辞典)




 

【考えてみよう】

「自身のコントロール感」が高まるのはどれだろう。

A「できない」のに「できる」と言ってしまい、後で後悔する。

B「できない」ことは「できない」と率直に言った上で、どうしたら部分的にでも「できる」かを検討する。

C「参加」を促されて、断り切れずに嫌々参加してしまった。

D「参加」を促されて乗り気では無かったが参加することになってしまったので、「参加」から何か得たいと思う。

 

「パワーレス」が増幅するのはどれだろう。

A「できない」ことや苦手なことはできるだけ避けたいしやりたくない。

B「できない」ことや苦手に気が付いたら、「できる」ようになってみたいと思う。

C できれば責任は負いたくないし、重要なことの決定については誰かが決めてくれれば良いと思う。

D どんなことでも「自分に一切無関係」ということは無いので、様々なことに関心を払い意見などを述べる機会があったら述べてみたり関わってみたいと思う。

E できれば自分の関心のある領域のみの関わりで生きていきたい。それ以外は疲れるから避けたい


紙ふうせんだより 7月号 (2023/09/08)

皆様、いつもありがとうこざいます。セミが鳴いていますね。セミの成虫の寿命は俗説では1週間などと言われてきましたが、1ヶ月程度生存する個体もいるようです。卵で1年間過こしに後、地中で木の根にしがみついて暮らす幼虫の期間は、種や固体や環境にもよりますが1年~ 5年と言われています。

繰り返す生と死の意味について

セミの寿命を長いと考えるか、短いと考えるか。真夏の始まりにセミの抜け殻の「空蝉(うつせみ)」を見かけます。これは「現身(うつしみ)」とかけた言葉で、「現世に生きているこの身」もまた「仮住まい」であって、空っぽの抜け殻にやがてはどこかに旅立たなけれはならない人身を重ねています。夏の終わりにはひっくり返った「落蝉(おちせみ)」が転がっています。触るとまた力の残るものは羽をハタバタさせますが、やがて死ぬ命です。どうせ死ぬのだから「生まれたってしょうがない」と、セミは考えるでしようか。

直射日光で焼かれたアスファルトの上に「陽炎(かげろう)」がゆらめくことがあります。同じ音の昆虫の「蜉蝣(かげろう)」は、数年の水生生活の後に一斉に羽化します。大量発生して交尾の饗宴を繰り広ける成虫の寿命は、数時間(※1)と言われています。コウモリがカケロウを狙って乱舞し、交尾を終えてカ尽きたオスは落下して群がる魚の餌食となります。その間にメスは着水し産卵を行いますが、メスも卵も魚に狙われます。大量投下された餌には必す食べ残しが発生し、残った卵が種の命脈を次世代に繋ぎます。そうやってカケロウは3億5千年間生き抜いてきました(※2)。

カゲロウは「ほとんど食べられてしまうし、すぐに死んじゃうのだから、産んでも意味が無い」と言うでしょうか。儚く弱い命の象徴のように語られるカゲロウですが、今生きている個体は、地球上で最初に空を飛んに生きものの最後の生き残りでもあるのです。




※ 1 短命種の場合、長命のものでも数日。

※ 2「生きた化石」とも言われる。




人を殺すのも人間 人を生かすのも人間

文明の発達で「人間の天敵はもはや人間」という状況に私たちは生きています。戦争は、医療や福祉が総力をあげてようやく助ける一つの命を単位にあっと言う間に殺戮します。だから戦争は人類が憎むべき最悪のものと言うべきですが、戦争には技術などの革新を呼び込んで文明を発展させてきた面もあります。

人に殺し合いをさせる権力の横暴に対抗すべく「人権」という概念は生まれました。戦争を起させない、起こせない社会を私たちは築くことができるでしようか。「戦争はどうせ無くならない」と言う人もいます。そのような人でも戦場に放り込まれれは、自分や家族や仲間の生き残りをかけて奮闘するでしよう。多くの人が死んでしまい、周囲の人に死なれても生き残った人は、自分も「生きていたってしようがない」と思うでしょうか。

心が傷つけばそう考える時もあるでしよう。罪悪感に苛(さいな)まれることもあるでしょう(※3)。それでも心の底からは「生きねば」という声が聞こえてきます。生き残った者の生き残った意味は、生き抜いてみないと本当には解からないからです。




※ 3 サバイバーズ・ギルトと言う。戦争や災害、事件事故、虐待等に遭って生き残った者は、周りの人々が亡くなって「自分が助かった」ことに、しはしば罪悪感を抱いてしまう。




 

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「社会」 に自分をぶつけていく

昭和5年生まれの利用者さんが、兄の話をして下さいました。「兄の及人が志願して(※4)戦死した報せが入ってきた時、兄や仲間たちは『次は俺たちだ!後に続こう』と吹き上がったことがあった。兄が志願したいと母に伝えると、おとなしかった母は、人が変ったように怒り狂い『死なせるために産んだわけじゃない』と泣き叫んで兄を怒った」とのことでした。しかし必死で母が守った兄は、東京大空襲下の両国で消息を絶ってしまいました。

戦死を美徳とする軍国教育を受けたこの世代の男子は、皆一度は死を覚悟しています。知人や親族の中には必す戦争関連の死者がいます。生き残った者の罪悪感は、刀の切っ先のような問いを突き付けます。生き残った自分に何の意味があるのか――。

少年はやがて大人になり社会に出るとがむしゃらに働きはじめます。結婚前の初デートも15分で仕事があるからと退席し、仕事に明け暮れる日々でした。答えを出すにめには、自己存在を何かに投じて全力で壊れるくらいにぶつかって、どうでも良いような自分の要素をぶっ壊してみたあとに残った「芯」を掴みにいくような生き方をせざるを得なくなるのでしょう。妻の多大な負担を背景に、仕事では大成功を納めやがて引退。老後の平穏な生活がしばらく続いたあと、だんだんと身心の自由がきかなくなってきます。

意図しなかった介護生活、再び妻に負担を強いる状況に「こんな状態で生きていて良いのか」と、もう一度生きている意味を問うことになります。それは、身心にガタがきた後に、残った「信」を掴みにいくような問いとなります。

 

人生からの問いかけに答えるために

生物学的には、多細胞生物の「死」は進化して「獲得されたもの」と考えます。種の遺伝子の多様性を開発し良きものを子孫に手渡していくために「個体の死」があるのです。私たち人類は、社会を開発し世代交代によって社会を変革していくことを種の生存戦略としてきました。個体だけの狭隘(きようあい)な視点では、生死の意味の全体を見通すことはできません。

答えを求める人生の最晩年に、介護というかたちで世代を超えた出会いがあります。手を繋ぐことによって伝わるお互いをいにわる気持ち。話し笑いあうことの純粋な楽しさ。それは一つの小さな社会でありながら、助け合って生きる人間の本質と、私にちが目指すべき社会の方向を示しています。人と人が触れ合う価値は、命ある限り紡きだすことができるのです。

先の利用者さんは、ヘルパーさんとの出会いを「こんな時に出会えるなんて、自分は幸運だった」「あなたは親友だ」と喜んでおられました。そうした介護生活もやがて終わりを告け、昏睡の枕もとで妻が手を握り感謝の言葉を述べています。本当の気持ちは言葉の次元を超えて伝わります。その刹那(せつな)に「これで良かったんだ」という確信が心を満たしていきます。90 年を超える生涯はあっという間に過きていたのです。奥様も「私が語りかけると瞼(まぶた)が動いた」と言われ、お互いの気持ちが伝わっていることを、確信しておられました。

人生に対する「私」の答えは、自分自身が「他者との触れ合いによって」発見する以外にありません。個人の視点のみでは、意味の全容を掴むことは構造的に不可能にからです。私たちが人生最晩年の喜びを利用者さんに届けるように、私の中の優しい気持ちは利用者さんによってリフレッシュされます。人生の彩りの豊かさや、やがて再発見されるだろう「意味」は、「あなた」がきっかけとなり「あなた」が友となり、私に届けられるのです。

 




※ 4 大戦末期には募集年齢が15歳から14歳に引き下げられ、志願の名のもとに「地域ぐるみ、学校ぐるみ」で徴募された。

既に15年戦争期には陸軍だけでも17歳未満の少年志願兵の総数は40万人にのぼるとされる。昭和18年には少年飛行兵を「絶対獲得ヲ期セラレ度」などと要請が出され、13歳の児童(現中学1年生)にも誕生日入隊の働きかけが行われた。非力なエンジンのためパイロットは小柄軽量も有用とされ、ようやく離陸できる程度の未熟な少年飛行兵が無謀な作戦に戦果無く散っていった。

 

紙面研修

回復過程としてのサバイバーズ・ ギルト

「個性化の過程」 「全ては回復過程」

『生き残ることの悲しみはどのようなものであるだろうか。そこには自らが「生きること」と「死ぬこと」をかんがえるだけではなく、自ずと「なぜ生きるのか」、 「なぜ死ぬのか」という問いを投げかけられることでもあるのではないだろうか。それは答えの出ない問いを投げかけられることであり、深い宗教的あるいは哲学的な問いを与えられる出来事でもある。

そして、深い悲しみは「どう生きるか」と、全存在を賭けた問いを投げかけてくる。禅の公案を投げかけられるような問いに人はどのように答えを求めていくのか。それが個性化の過程であるのかもしれない。』(「能『鐵門』と能『大原御幸』から見た「生き残ること」の「かなしみ」と語ることについて」花園大学心理カウンセリングセンター宮野知子)
サバイバーズ・ギルト (suivivor’s guilt) とは、自分だけ生き残った、もしくは自分だけ生き延びたなどの理由で抱く罪悪感、あるいはそれに似た感情のことをいいます。

アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトは『菊と刀』のなかで、西洋は「罪の文化」、日本は「恥の文化」と分類しました。そのため日本人は恥ばかり気にして、罪の意識が欠けている、などと批判されることがあります。

しかしその一方では、日本人は、サバイバーズ・ギルトという形で罪の意識をいだきやすいこともまた指摘されます。

たとえば、太平洋戦争のときは、戦地におもむいた兵士たちのあいだで、戦友が戦死したり、特攻隊で生き残ったりすると、「戦争で死ねなかった」ということが、その後のその人の人生の重荷になったりしました。

また、最近では東日本大震災の後に、被災地だけでなく、被災地から離れた人々のあいだにも、このサバイバーズ・ギルトが広がりました。

この感情は、人々がボランティアとして現地へ入っていく動機にもなりましたが、このために震災後多くの人が鬱になっているともいわれます。(日本トラウマ・サバイバーズ・ユニオン)

 
被災者が生き残ったことや損失が少ないこと対して抱く罪悪感

サバイバーズギルトは、心的外傷反応の一部である。サバイバーズギルトを持つ人への対応として以下のものがある。

①災害においては、生存するか否かは無作為であり、生き残ったものはそれを受容しなければならないことを繰り返し伝える。

②生き残ったことを罰する必要のないことを知らせ、日常生活に復帰できるように支援する。

③生き残った人の考えや感情、活動が展望を持てるように支援する。

④支援したい、役に立ちたいと思っている生存者を支援計画に巻き込む。誰かの役に立ち、人助けをしているうちに生存したことへの罪悪感を小さくしていく。(日本災害看護学会)
 

心の傷は受傷の無い環境に行けば治るというものではない。それが血肉となって人生の大切な一部として人生観に組み込まれていく過程は長い目で見ていかなければならないが、生き延びたということはその時から「回復過程」を歩んでいると言える。

ただ、簡単に起きたことの良し悪しを決めつけたり、無かったことのように振る舞ってしまえば、受傷の否認となって自然の治癒力の妨げになってしまうこともあるだろう。全ての回復過程は同時に自己統合・自己実現過程(「個性化の過程」とほぼ同義)でもあるのであって、それらは快適なことばかりではなく苦しいことも含むが、必ずしも苦しみだけとは限らない。

 
家族や親しい人を亡くした被災者にかけるべきではない言葉

兵庫県こころのケアセンター「サイコロジカル・ファーストェイド実施の手引き第2版」より要約

・きっと、これが最善だったのです。

・彼は楽になったんですよ。

・これが彼女の寿命だったのでしょう。

・少なくとも、彼には苦しむ時間もなかったでしよう。

・がんばってこれを乗り越えないといけませんよ。

・あなたには、これに対処する力があります。

・できるだけのことはやったのです。

・あなたが生きていてよかった。

・他には誰も死ななくてよかった。

・耐えられないようなことは、起こらないものです。

・もっとひどいことだって起こったかもしれません。あなたにはまだ、兄弟もお母さんもいます。
考えてみよう

「かけるべきではない言葉」の例がどうしてそうなるのか、考えてみよう。

 
I was born (あいわずぼ一ん)吉野弘(初出「消息」自費出版1957年)

確か英語を習い始めて間もない頃だ。

或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと青いタ靄の奥から浮き出るように白い女がこちらへやってくる。物憂げにゆっくりと。

女は身重らしかった。父に気兼ねをしながらも僕は女の腹から眼を離さなかった。頭を下にした胎児の柔軟なうごめきを腹のあたりに連想しそれがやがて世に生まれ出ることの不思議に打たれていた。

女はゆき過ぎた。

少年の思いは飛躍しやすい。その時僕は<生まれる>ことがまさしく<受身>である訳をふと諒解した。僕は興奮して父に話しかけた。

ーーやつばりI was bornなんだね

父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。

ーーI was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだねーー

その時、どんな驚きで父は息子の言葉を聞いたか。僕の表情が単に無邪気として父の顔にうつり得たか。それを察するには僕はまだ余りに幼なかった。僕にとってこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから。

父は無言で暫く歩いた後思いがけない話をした。

ーー蜉蝣という虫はね。生まれてから二、 三日で死ぬんだそうだが それなら一体何の為に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってねーー

僕は父を見た。父は続けた。

ーー友人にその話をしたら 或日 これが蜉蝣の雌だといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると口は全く退化して食物を摂るに適しない。 胃の腑を開いても人っているのは空気ばかり。 見るとその通りなんだ。 

ところが卵だけは腹の中にぎっしり充満していてほっそりした胸の方にまで及んでいる。 それはまるで目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまでこみあげているように見えるのだ。 つめたい光りの粒々だったね。

私が友人の方を振り向いて<卵>というと彼も肯いて答えた。<せつなげだね>。 そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ。お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのはーー。

父の話のそれからあとはもう覚えていない。ただひとつ痛みのように切なく僕の脳裡に灼きついたものがあった。

ーーほっそりした母の胸の方まで息苦しくふさいでいた白い僕の肉体ーー
 



 

 


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