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紙ふうせんだより 10月号 (2023/11/22)

「現実」の複層性

皆様、いつもありがとうございます。夜間は肌寒い日もでてきましたね。日中は暖かくても一枚余分に持参した方が良い季節になってきました。温度変化には薄物を重ね着するなど、工夫したいものです。

話は変わりますが、海の向こうでまた戦争が始まってしまいました。ハマスの民間人虐殺やミサイル攻撃は許されるものではありません。同様にイスラエルの無差別空爆や民間人虐殺は容認できません。いいかげん虐殺も地上侵攻も勘弁して下さい。

日常の裏側

ウクライナにロシア軍が侵略を開始した時も、そして今も、信じがたい暴力の行使に心が引き裂かれるような思いがします。なごやかに誰かと話し美味しいものを食べて、笑いあって過ごしていけるという日常が実は薄氷(はくひょう)を踏んでいるのではないのかという疑念。この瞬間にも誰かが血を流し涙も枯れて生き残ったことさえ恨んでしまうような凄惨(せいさん)な状況が、この日常の裏側で起こっています。

私たちに見えている世界のなんと狭いことか。自分が感じている現実は、無限とも言うべき無数の現実から選びとられた、わずかな一つであるということを思い知らされるのです。しかしたとえ自分の現実は針の穴から覗くような小さなものであったとしても、強制的に命を断たれるようなものではないのだから、自分とは異なる数多(あまた)の「現実の複層性」に戸惑いながらも、生きていることそのものをまず肯定し、失われていったものたちの弔(とむら)いのためにも、今ある得難(えがた)きものを大切にしていきたいと思います。

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ドキュメンタリー映画「ガザ 素顔の日常」(2019年制作 アイルランド)を見ました。パレスチナ自治区ガザは、約南北40km・東西10kmの狭い地域に240万人が押し込められており人口の半数は18歳以下で、平均年齢が世界で最も低い地域です。ガザはイスラエル軍によってほぼ完全に封鎖されており「天井の無い監獄」と言われています。ガザは3方を高い壁(※1)で囲まれ、西側の海岸も5.5㎞より沖に出ればイスラエル軍に殺されてしまいます。しかし映画は「監獄」であることに焦点をあてるのではなく、タクシー運転手や海で遊ぶ子供など、そこに生きる人々の日常を写していきます。そして車椅子の青年がでてきます。

「俺は魂の救済者」「今を求めてひたすら考える」とアラビア語の韻を踏んで自作ラップを歌う青年は、「障害があっても、自分でこうやって行動して、自分に満足を感じたいんだ。自分は声をあげているんだ…」と語り、16歳の時にデモ(※2)に参加して銃撃されたと言います。

言葉にできない気持ちが沢山あるからチェロ弾くと言う10代の少女は、英語で「よその国の人から見た私たちは『戦争ばかりの地域で暮らす人間』です。単にかわいそうと同情されるのはとても苦痛です。物事の表面だけでなく、本質を見てほしい」と語ります。

ベドウィン系の女性デザイナーはファッションショーを開き「国境検問所が開いたら、あなたたちをどの国にでも連れて行くわ。フランスやアメリカからモデルの仕事のオファーがたくさん来ているの。あなたたちにはガザの誇りであってほしい」とモデルに語っています。




※1 イスラエルによる不当なパレスチナ占領への抗議運動をインティファーダ(頭を上げる)と呼ぶ。第一次は1987年、投石・道路封鎖・納税拒否等による暴動・抗議となり多数の死傷者が出る。1993年のオスロ合意を挟み、第二次は2000年で武力蜂起の様相となり、過激派の自爆テロも発生したが圧倒的な武力で制圧される。以後イスラエルは占領地の周囲に巨大な壁の建設を開始。

※2イスラエルはガザを壁で封鎖して弾圧(集団懲罰)する方針に転換。生活物資や食料も枯渇し、市民の若者による壁への投石とタイヤを燃やすデモが散発的に発生しているが催涙弾と実弾射撃によって、毎回パレスチナ人に負傷者や死者が出ている。対イスラエル過激派のハマスがガザの実権を握ると、テロへの報復としてイスラエルはガザに武力侵攻を繰り返すようになる。




忘れてはならない「現実」

監獄のような場所、隣り合う暴力と死、高い失業率。将来の全く見えぬ暮らしの中で、ガザの子供や若者たちは、必死で明日を見ようとしています。「昨日に戻れるなら 俺は明日を変える 俺たちはチャンスが欲しい…」と青年ラッパーは歌います。

天を焦がす炎、吹き上がる黒煙、瓦礫の山…。圧倒的な暴力の映像に、私たちが見落としてしまっている「現実」は何でしょう。遠隔からのミサイル攻撃や爆撃や犠牲者何名という戦況報道は、ひとつ一つの命の「現実」を見えなくさせていきます。しかし、あの下に人がいます。困難な状況の中でも、私たちと同じように周囲の人と泣いたり笑ったりしながら、明日を紡ぎだそうとしている私たちと同じ命があります。それを忘れてはならないのです。

「自分でこうやって行動して、自分に満足を感じたい」

「単にかわいそうと同情されるのはとても苦痛」

「あなたたちにはガザの誇りであってほしい」

これらは、特殊な状況に置かれる特定の人の感情ではありません。どんな人にもあてはまる、生きている限り感じていたい素朴な感情です。悩んでいる人を見た時、誇りが失われそうになっている時、自分を見失いそうな時、「この当たり前」の気持ちを、何度でも私たちは思い出さなければなりません。

「自分らしくありたい」「自分に満足したい」「下に見られたくない」「誇りを持ち続けたい」という気持ちは、意識の表面を浮遊する「何もかもが嫌になりそうな現実」とは異なる「命の奥底にあるもう一つの現実」として、存在しつづけるのです。

もう一つの「命の現実」

子供を抱きながら防空壕に入り、空襲に恐怖した経験のある利用者さんがこう言っていました。「私たちの時代は戦争でひどい目にあったんだよ。平和になったんだって思ってたら、戦争だなんてびっくりだよ。戦争は本当に酷いからね。絶対にやってはいけないんだよ…」

短い言葉の中にも痛みが思い起こされていることが伺われるのですが、ここにも複数の「現実」があります。戦争を知っているこの方の胸中に去来する「現実」と、位相(いそう)の異なる現実の存在に気が付かないで、ただの世間話のようにその話を聞いてしまう戦争を知らない自分の「現実」です。人は同じ空間に存在し同じ風景を見たように思っても、そこから感じる「現実」は人によって異なります。

また、同じ言葉を発しているようでも、心の中の「現実」が違えば、意味あいもまた異なってきます。障害や認知症の方や余命宣告を受けている方の「自分でこうやって行動して、自分に満足を感じたい」という言葉と、生活能力に不自由を感じない健常者の「同じ言葉」とでは、込められた重みが違います。

人は、どうしても自分のモノサシで物事を見てしまいます。自分がそうだからと言って、どうして相手のその言葉も「わがまま」だと言えるのでしょうか。自分の目に映ることだけが「現実」ではないのです。ともあれ「現実」は複層的です。個人の心も複層的です。「もうどうでも良い」と捨て鉢になったところから心が澄んで執着を離れて「本当の願い」を拾いにいこうとする、「捨てる神あれば拾う神あり」というような、位相の異なる心の働きは誰の心の中にもあります。

私たちは、自分が辛い時だからこそ現実という名の「冷たい水」のその底で、凍えながら息づいている「魂」を、もう一つの「命の現実」をこの手ですくい上げなければならないのです。






↑2000.10.29 投石する13歳のガザの少年

このファレス少年は10日後イスラエル軍に射殺される(ABCNews)

 



↑2018.5.11 パレスチナ人が歴史的な祖国であるイスラエルの地に戻る権利を求めるガザのデモ。制圧にかかるイスラエル軍に車椅子上からスリングで投石する29歳のサーベル青年 (ABCNews)

「パレスチナ人だから石を投げるのではなく、石を投げるからパレスチナ人なのです(取材ガイド)」

 

↑ガザ地区には、バンクシーの作品(落書き)が複数あるが、その一つには「力を持つ者と持たざる者の争いに背を向けるなら、それは力を持つ側に立つことになるのだ。中立な立場などありえない」と記されている。(Banksy.co.uk)

 

冷戦終結の融和を受けて1993年、イスラエル国家とパレスチナ自治政府を相互承認する「オスロ合意」が結ばれた。翌年には、イスラエルのラビン首相とパレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長がノーベル平和賞をダブル受賞。しかし1995年、ラビン首相は和平反対の極右イスラエル青年によって暗殺される。

現在、イスラエルは極右強硬派の支持を受けた政権となっている。イスラエルはパレスチナ人への弾圧をやめて占領地から撤退し、パレスチナは国家を樹立して独立と尊厳を回復するという道(二国共存)は塞がれてしまっている。





 

紙面研修

「リアル」と「リアリティ」

「現実」認識の複層性の理由

映画やアニメの演出家が、「リアルとリアリティは違う」という言うことがあります。リアル(real)は形容詞で、「真の、本物の、 実在(存)する○○」という意味です。リアリティ(reality)は名詞で、「現実、実在、現実性、本性、迫真性」を意味します。品詞が異なるだけで本来の意味は同じですが、演出家が使う場合は、現実の存在を「なるべくそのまま描いた」ものを「リアルだ」と言い、時に空想の存在を「あたかも現実存在かのように描いた」ものを「リアリティがある」と言ったりします。そして現実存在を描いたのに下手糞で「ニセモノのよう見える」時は「リアリティがない」となります。

このような言葉使いを援用すると、私たちは、個人の外側にある現実世界(リアル)を個人の心象風景(リアリティ)によって認識している、と言えるでしょう。実は「リアル」の四次元的な時空間の拡がりは無限の情報量があり人間には認識不可能です(そこに他人の「心」という物理的に計量不可能な次元を加えれば一体「現実」は何次元になるのでしょうか)。そこで人間は、感覚器官からの入力情報を意識や無意識(これも複層性がある)のデータべースに照合して認識するという情報処理の簡略化を行っています。そのようにして認識された物が「リアリティ」です。

このような「リアル」と「リアリティ」を最初に論じたのは、古代ギリシアの哲学者プラトンです。

人間とは洞窟の住人で住人の後ろには様々な「リアル」があるが、洞窟の住人は振返って「リアル」を直接見ることが出来ない状態にあるので、人間は「リアル」の後ろで燃えるたいまつに照らされて洞窟の壁に映し出される「リアルの影」(リアリティ)を見て、「リアル」だと思い込んでいる。これがプラトンの主張(洞窟の比喩)です。

そしてプラトンはこれを個人の内面に生起する認識の問題のみならず、世界の存在についてもあてはめて考えました。本当の実在(リアル)は「イデア」であり、イデアを私たちは見ることはできないが、現実世界のさまざまなリアルはイデアの表れであり、その表れを見て私たちはイデアを観念し認識することができる、としたのです。

「現実の複層性」の話に戻りますが、これまで3つの階層構造が出てきたことになります。便宜的にそれを「イデア、リアル、リアリティ」と表記してみましょう。「現実」はこの3つで終わりでしょうか。そんなことはありません。

まず「リアル」に対する目の付け所は複数ありますし、「意識や無意識のデータべースに照合」と述べたように、照合先が「何であるか、どんな状態であるか」によって「リアリティ」は異なってきますから、原理的には、一つの事象からほとんど無限に近い「現実」認識が生じてくることになってきます。認識が異なってくることは、例えば、空腹の時に大好きな人から差し出された鯛焼きと、満腹の時に嫌いな人から差し出された鯛焼きの「味」は、異なりますよね。これは皆、経験済みです。

存在論では認識不可能なので、目的論的に考えてみよう

私たちは利用者さんの「本当の姿」を果たして見ることが出来ているでしょうか。これは原理的に不可能です。しかし「それぞれが見ている現実は異なるから何を持って本当かは言えない」と相対主義に逃避してしまっては、話は前に進まなくなるどころか後退してしまいます。

目的論的に話を前に進めましょう。テーマは、介護提供が「美味しい鯛焼き」になれば良いのです。目の前にリアルな利用者さんがいます。しかしリアリティには高低浅深があります。「肯定的なリアリティ」があれば鯛焼きはお互いにとって「絶対旨いやつ」になります。「肯定的なリアリティ」を得るために「イデア」を仮定します。利用者さんの「リアル」は今こんなだけど、この利用者さんは「本当はとても良い素晴らしい人なのだ」と考えるのです。すると当然ですが、今まで見えなかったことが見えてきたり、見えるものの解釈が違ってきます。

しかし本当に「イデア」なんてあるの?という疑いが生じてきます。プラトンは「イデアを観念できるなら、イデアは実在する。無から有は生じない」と、こんな風に答えています。これ、「神の存在証明」とほぼ同じなんですが、「人間は不完全な存在である。しかし、不完全な人間は完全なるもの(神)を観念することができる。不完全な存在は、完全な存在の実在が無ければ『完全』という認識を持つことはできないはずだ。したがって、神は存在する」とデカルトは言いました。

プラトンは、「善のイデア」を最高のイデアとしました。利用者さんも自分も「最高最善のもの」から生じたものだ、利用者さんの中にも自分の中にも「最高最善のものがある」、利用者さんも自分も本当は仏様だ等、言い方は色々あります。

信じるか信じないかはあなた次第です。でも、鯛焼きは美味しい方が良いですよね。

 
考えてみよう

①  どんな人にも可能性として「最高最善のもの」があると前提してみよう。

②  その上で、ネガティブな「リアリティ」が生じる要因について考えてみよう。自分が見落としている可能性や「現実」について考えてみよう。

 

 

 

 


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