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紙ふうせんだより 1月号 (2024/02/27)

竜を治める者

明けましておめでとうございます。お世話になっている皆様に感謝申し上げます。今年は辰年です。十二支の中で唯一伝説上の生きものです。時々、過去の干支の置物が飾ったままの利用者宅があります。その干支の頃までは自分でなんとかやって来られたと察するのですが、入れ替えを放擲(ほうてき)せざるを得ない「変化」がその年の間に生じてしまったのでしょう。

未知の物事を「恐れ敬う」こと

 人は、現在の安寧(あんねい)を脅かす「変化」を恐れます。しかし万物は流転します。だから人は、変化という根源的な力の発現を敬いもします。恐れるか敬うかによって、導かれる意味は両義性を持ちます。

「老い」という変化を恐れるばかりでは、それを悪化や理不尽な痛みにしてしまうでしょう。一方で、先達に対するように自らの老いを敬えば、変化を好機として良いことも見出せるはずです。かといって、「恐れるに足りず」という態度では、慢心からフレイル(※1)や転倒骨折となりかねません。古(いにしえ)より人は、自らの手に余るものや人間の思惑によって制御できないものに対しては、「正しく恐れ敬う」ことを旨(むね)としてきました。

 「老い」に直面した利用者さんは、必然的にそれぞれのやり方で老いを畏怖(いふ)するようになります。そのような時に、老いに慣れっこになっている支援者の態度が不遜(ふそん)なものとして目に映れば、ケアに拒否感を抱いてしまうことはあるでしょう。支援者がとるべき姿勢は、利用者さんと共に揺れる気持ちを共有しながら、適切に「恐れ敬う」ことを利用者さんに示していくことではないでしょうか。少しだけ「老い」について知っている私たちは、それを神聖なものに見立てて譬(たと)えるなら、利用者さんと老いの仲立ちをする「巫女(みこ)」のようなものと言えるかもしれません。

しかし、介護ニーズをネガティブ面からのみ捉えて(「老い」を恐れる家族と一緒になって)「対策」ばかりを考えていては、「不安」は決して解消されません。不安は「老いを適切に恐れ敬うこと」ができていない、その向き合い方の中から生じているからです。不安から逃げたい人に、魔法の薬を提供してみせるような「専門家」ぶった態度は、私たちを「毒薬を提供する魔女」に変えてしまうかもしれません。




※1 老年医学の概念で「虚弱」と訳される。心身が衰えた状態を指すが、適切な対応で回復する可能性を併せ持つ状態。要因に多面性があり、「心や認知機能」の虚弱、「身体」の虚弱、「社会性」の虚弱等などが相互作用して起こる。予防と早期対応が重要。




「神獣」であり「怪物」である根源的な存在の「竜」

竜もまた善悪理非(ぜんあくりひ)という両義性を持っています。古代メソポタミアの大河は、適度な氾濫なら肥沃な土地をもたらしましたが、ひとたび暴れれば人家を呑み込みます。河川の力や自然の脅威は竜の現れとされ、竜は大河を統べる王権の象徴にもなりました。しかしローマ皇帝がキリスト教を弾圧すると、竜はキリスト教から邪悪の化身とみなされるようになります。

一方、古代中国の漢の高祖劉邦(りゅうほう)には、雷と共に母親の上に竜が現れ懐妊したという出生伝説があり、日本書記では神話上の最初の天皇とされる神武の母親は海神(わだつみ)の娘であり竜の化身とされてきました。東洋では、王権と神威(しんい)が西洋のように分離されず近代文明に遅れた面もありますが、根源の多義性の表象としての「竜の両義性」は分離せず保たれていきます。

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物事の奥にある多義性を尊重する

やがて西洋では、竜を倒し姫や宝を手にする英雄譚(たん)が好まれるようになります。C・Gユングは、「神話の英雄は『目覚めた自我の典型的な姿』であり、その冒険行は『自己化の道』である」としています。冒険は困難です。近代自我が科学や人権思想を発展させ、「個人の確立」が努力の報われる社会への可能性を拓きましたが、同時に目覚めたことによって人は孤独を知りました。両義的存在の竜は「倒して終わり」にはできません。

人には意味を明らかにしたい欲求(不安)があるので、物事の表層的意味付けは時代が下るほど単純化されます。だからこそ、物事の根源的な意味の「重ね合わせ状態」を再認識し様々な物の見方をしていかなければ、生活実感は貧しくなります。心を豊かにしていく為には近代合理主義による人間の疎外(※2)を乗り越えて、多様な意味を含み持つ自己の全体性に気が付いていくことなのです。

西洋医学は、「死と生」の両義性を持つ「命」に対しても両義性を分離させ、悪と見なされる「死」の側にある「病や老い」と対決し、退治しようと試みてきました。その成果は超高齢化社会に表れています。

私たちは、病や老いから生じる苦悩を克服できたでしょうか。私たちは、「死」を恐れ、生活の中から一度はそれ追い出してみても、いつか病や老いに追いつかれ、その手に捉えられます。その時、適切に「恐れ敬う」ことをされてこなかった神が「祟(たた)り神」となるように、軽視したり目を逸(そ)らせたりしてきた者ほど「死」への想念が呪縛(じゅばく)と成り得るのです。

高度情報化により安易な正解に依存して誤答を恐れる「不安」な時代だからこそ、解ったふりをせずに「敬う」ことが一層重要になってくるのではないでしょうか。




※2 人間疎外とは、社会の巨大化や複雑化とともに、社会において人間というのは機械を構成する部品のような存在となっていき人間らしさが無くなることをいう。しかし、労働の意味を「お金の為の苦役」か「生きがい」とするかは自分次第でもある。




自分の片割れを受け入れて「均衡」をはかる

心理学者の河合隼雄は、ル=グウィンのファンタジー三部作「ゲド戦記」を解釈しながら竜について、「それは人間にとって時には、あるいは、一部は退治する必要があるが、すべてを退治すべきではないし、また、することはできないものだ」「竜は人間にとって『均衡』」をはかるべき、きわめて困難な相手なのである。西洋の物語において、竜退治の話が多かったときは、均衡よりも、『支配、統率』の価値が重く見られていたことを示す」と語っています。

若者は世に出ていくために自らを「支配、統率」する「強さ」を身につける必要があります。しかし、自分が追いやったように見える「弱さ」は、影のように静かについて回ります。いつかはその片割れの自分と自己統合を成し遂げなくてはなくてはなりません。それは、人生をかけた大仕事となります。

「ゲド戦記」は、自らの若さと傲慢と嫉妬により影を呼び出し世界の均衡を壊しかけたゲドが、「行く手にあるものよりも背後にあるもの」への恐怖から、自ら危険を求めて竜に挑み協定を結び、さらには逃げ回ってきた影に対して立ち向かい自己統合を果たしていく物語です。そして、三部目では、「大賢人」と称された後の年老いたゲドが「わしにはわかるのだ。本当に力といえるもので、持つに値するものは、たった一つしかないことが。それは、何かを獲得する力ではなくて、受け入れる力だ」と語っています。

「敬う」とは、他人や物事に対して敬意を払い、その存在や価値を受け入れていくことです。他者や高齢者や自己や死を敬うこと、その本質は同じです。それができる者は、荒ぶる竜を平定するように心の「不安」を治め、竜や人や死の可能性を善導し、やがては「竜王」や「大賢人」と称されるようになることは、物語が述べているところです。


紙面研修

紙面研修

「フレイル」について


↑画像は、都パンフレット「住み慣れた街でいつまでも-フレイル予防で健康長寿-」より

 

 

※ロコモ:ロコモティブシンドロームの略称。骨や関節、筋肉など運動器の衰えが原因で、歩行や立ち座りなどの日常生活に支障を来している状態のことをいいます。

サルコペニア:加齢に伴って筋肉量が減少する状態のことをいいます。

 

 

考えてみよう
  • フレイルは、社会的なつながりの減少などで生活範囲が狭くなることが一般的な入口とされています。どうしてこのような「社会性の虚弱」が生じるのだろう。
  • ヘルパーに「それ以上はやらなくて良い」「やったら早く帰って」と言うような「社会性の虚弱」が見られる方の生活範囲を拡げ、身体を動かしたり心や頭を使ってもらうなどして活性化して頂くためには、支援にどんな工夫が必要だろう。

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