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紙ふうせんだより 8月号 (2024/09/18)

あの夏を忘れない

皆様、いつもありがとうございます。連日の猛暑にも負けずにヘルパーさんが利用者さんのもとに訪問するその姿は、利用者さんの心の中に前向きな気持ちを呼び起こし、励みとなっています。いつもありがとうございます。

忘れられない記憶

 新聞を脇に置きながら利用者さんが「8月6日が過ぎましたね」と言われるので、「広島ですね。何か思い出はありますか?」と伺うと、利用者さんは「僕には忘れられない記憶があるんです」と言われます。その方の郷里は島根県で、中国山地を挟んだ反対側には広島県があります。「…8月6日には、『広島が大変なことになっているらしい』という話が伝わってきて、防空壕に皆で隠れていたんだ。大人達は食べ物を持ってきたりするために時々外に出たりするけれど、『子供達は隠れてなさい』と言われて、トイレの時以外は1週間くらい防空壕に隠れていたんだ…」

 その日の午後6時のラジオ放送は「8月6日午前8時20分、B-29数機が広島に来襲、焼夷(しょうい)弾を投下したのち、逃走せり。被害状況は目下調査中…」と「原子爆弾(※1)」を伏せ事実を隠す内容でした。当時、日本政府は情報統制や検閲をしており、政府にとって都合の良いことしか国民に伝えない方針でした。そもそも「表現の自由」に大幅な制限のある明治憲法でしたが、1940年12月に内閣情報局が設置されると、自主取材による報道は政府発表のプロパガンダに置きかわっていきます。しかし、人の口に戸は立てられぬものです。

 「そのうちに『広島に落とされたのは新型爆弾だったらしい』、『広島は全滅で大勢の人がやられたらしい』、ということが伝わってきて、防空壕の中で怖かったことを覚えている」と、その利用者さんは言われていました。緑豊かな山々の向こう側では多くの命が奪われているのです。しかし8日の新聞は曖昧で、「相當(そうとう)の被害を生じたり」「新型爆彈を使用せるものの如(ごと)きも詳細目下調査中」と、僅か2行の大本営発表のみを伝えています。




※1 日本も開発中だった。1945年8月6日の広島へのウラン型で約14万人、9日の長崎へのプルトニウム型で約7万4千人が45年末までに死亡したとされる。




死んでいたのは自分かもしれない

 9日、原爆を搭載したB-29爆撃機は、福岡県の小倉上空に現れます。しかし、雲と煙で目標が定まらずB-29は長崎に移動し、午前11時2分に原爆を投下します。当時、小倉在住だった別の利用者さんは、この投下目標の変更について戦後知ることになり、「死んでいたのは自分だったかもしれない」という思いを強く持ったそうです。

 なお、小倉上空の視界不良については前日の八幡大空襲の煙だと言われてきましたが、八幡製鉄の従業員が次に目標になるとしたら陸軍造兵廠のある小倉ではないか(※2)と予測して、敵機来襲の警報を聞いて用意していたコールタールに火をつけて煙幕を張ってから避難した、と近年証言しています。

  他人の死と自分の死を分けるものは一体何でしょう。いずれにしても、一歩違っていれば自分も死んでいたであろうことは、この時代を生きた多くの方が感じていることなのです。




※2 米軍機は9日から10日朝に「即刻都市より退避せよ 日本国民に告ぐ!」との「原子爆弾」投下予告チラシを大阪、長崎、福岡、東京に投下。ただし、日本では敵国宣伝チラシの所持や内容の口外は固く禁じられていた。




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運よく助かった命

 広島の思い出には続きがあります。「学校の校外学習で先生が連れていってくれて、僕は戦後の広島に行ったんだ。大きな部屋に長机がいくつも並べてあって、その間を歩いて回った。机の上には皿のような物が並んであって、その一つ一つに真っ黒な骨が置いてあった。子供の骨もあった。焼け焦げて炭になった肉がまだついているような骨もあった。見て回るのが辛くて、皆、涙を流していた。皆黙ったままで、しゃべることができなかった。旅館に戻って食事が出たが喉を通らず、皆、下を向いたまま食事ができなかった…。」

 当時、広島市は爆心地周辺に平和記念公園を建設中で、食器のかけらや黒焦になった家財道具とともに、多くの遺骨が掘り出されていました。現れるはずもない引き取り手を待っていた遺骨は、やがて原爆供養塔の地下納骨室(昭和30年建立)に納められていきますが、その後も復興工事の際には広島市内の各地から遺骨が見つかっています。

 のどかな山陰地方の島根県は玉湯や浜田に空襲があった他は大きな被害が見られない地域であり、利用者さんは昭和15年生まれでもあり、苛烈な戦争の記憶は無いように思われました。しかし、自身の避難体験と校外学習で見たものが重なった時、多くの子供や大人が死んでいった傍らで、自分が運良く助かっていたことを利用者さんは痛切に感じ取ったのです。

 この利用者さんは、やがて勉学を志して国立大学の夜間学生となり、上京して就職。苦学しながら60年安保闘争に参加。その後も労働運動や貧しい人を助ける活動を行うなどして、「人のために」という生き方を貫いていかれました。

かけがえのなさに気が付くこと

 奇跡的なことの結果として今の命があることを知った人は、その後どのように生きることになるのでしょう。自分自身にそのようなことが起こったら、その後の自分はどのような考えを持つでしょう。ただ、世の中には、突然の出来事であっけなく日常の連続性が絶たれてしまうことがあまりにも多くあり、それらを知るとむしろ「奇跡は大災害や大事件の中にのみあるのではない」と言わねばなりません。

 本当のところは、今日から明日へと命を繋いで行けること自体が、奇跡それ自体なのです。しかし私たちの日常の生活意識は、明日の後には変わらぬ明後日が来ることを疑いません。人が安心して暮らすために必要な心のメカニズムとして、日常の連続性を信じる思い込み(正常性バイアス(※3))が備わっているからです。

 あるご利用者さんが新型コロナに罹患され、気力も体力も衰えて寝たきりに近い状態となって退院、家族の自宅での懸命な対応がありました。落ち着いた頃、家族が大変な病気にかかっていたことをご本人に教えると、「そうか、助かったんだな。感謝しないとな…」と深く感慨され、家族の絆を深める話し合いができました。そして、ご本人の瞳には光が戻り、日に日に回復されてきました。

 生活や命の連続性が絶たれてしまうような時、私たちは「かけがえのない日常」の幸せに気が付くことになります。その時に後悔を抱いてしまうことになるでしょうか。それとも今までのことに感謝できるようになるでしょうか。良いことも悪いことも人生の一場面であり、それらを全部ひっくるめて「かけがえのない人生」です。そうであれば、本当のところは、後悔も感謝も全部ひっくるめて「かけがえのなさ」に気が付くことそれ自体もまた、「幸せ」と言えるのではないでしょうか。




※3 正常性バイアスは心の安定を保つメカニズムで、ちょっとした変化なら「日常のこと」として処理してしまう人間心理の事を言う。危険な状況であっても「異常を正常の範囲内」として判断の遅れや思考停止を生じさせてしまうので、災害時は要注意。例えば、火災時に「薄い煙だからまだ大丈夫だ。大きくはならないだろう」と願望と判断を取り違えて逃げ遅れてしまうのです。





紙面研修

震災時シミュレーション(業務中発災)

 

20XXXX日(秋)

 日本晴れの爽やかな風の吹く日、天気をネタに気分を盛り上げれば、いつもは「疲れた」と言ってすぐに歩行器機能付きの車椅子に座ってしまう大木さん(仮名)も気分よく歩行練習してくれるかな、と考えながら独居宅に訪問します。ベットサイドのリクライニングチェアに座っている大木さんにご気分を伺いながら外出に誘います。

 と、「ドン!」という突き上げの直後にグラグラと大きな揺れ、大木さんは目を見開いて恐怖の表情、携帯電話の緊急地震速報(1)が鳴っています。とっさに近寄ると大木さんは私の両肩を掴んでくるので、そのまま両脇を抱くようにして椅子から降ろし、二人でベット脇に身を横たえます(2)。ベットの足もとの引きダンスがベット柵に倒れ掛かります。天井が落ちてもベット柵が受け止めてくれるはず、と念じているとようやく揺れは納まりました。しばらくベット脇で抱き合いながら、ふいに笑みがでてきます。「怖かったですね~、死んじゃうかと思いました」と私が言うと、「私はいつ死んでいいんだよ」と笑う大木さんです。

 この(笑)は心理的な防衛機制(3)です。「じゃ、その時は残った寿命は私に下さいね」と努めていつもの調子で、大木さんを起します。幸いなことに二人とも怪我は無いようです。「さて、と…。まずは事務所に電話しますね…(4)」見まわすとテレビも倒れています。事務所の固定電話も事務所携帯も通じません。「ツーツー」という音は回線がビジー状態なのでしょう。大木さんの固定電話(5)を借りても同じです。

 「大木さん、息子さんの番号教えてください」と言うと、大木さんが手帳からメモを出します。息子さんの携帯は、幸いなことに呼び出し音が鳴ります。その間、サ責のラインに「大木様宅にいます。ご本人、私両名とも無事です」と入れました。結局、息子さんの携帯には「大木様宅のヘルパーです。ヘルパー、大木さん共に怪我無く無事です」とメッセージを残しました。リビングの食器棚の扉が開いて、食器のいくつかが床に落ちて割れています。「大木さん、区の助成で転倒防止器具(6)を付けてて良かったですね。食器棚は無事ですよ」と言いながら、内心では扉のロックを付けていた方が良かったかな…でもそれだと大木さんが自分では開けられないかもしれないし…などと思う。




(1)直下型地震では揺れの方が早い  (2)まず身の安全を確保する

(3)ストレスから身を守るための健全な働き (4)安否確認報告は必須

(5)携帯よりも固定、市内よりも遠方が繋がる 携帯の一斉通話で基地局はパンクする可能性が高い、市内固定通話も同じ

(6)上限2万まで助成 03-6432-7177(区)




臨時的内容のサービス提供

 「大木さん、休めるよう枕を置いておきますけど、しばらくここにいてくださいね。余震があるかもしれないので。私、外の様子を見てから買物に行ってきますね」と、リビングで掃除機のコンセントを差し込みました。しかし、停電(7)しています。ベランダのサンダル(8)を履いて玄関にたどり着きました。大木宅は古い都営住宅ですが壁構造の鉄筋コンクリート(9)なので、大きな損傷は無さそうです。エレベーターは案の定動きません。

 私は、落ち着くように自分に言い聞かせつつ優先順位を考えながら階段を登ります。最上階から街中を見渡します。酷い倒壊家屋や火災発生のような様子は見られません。急いで避難する必要は無さそうです。自分の家族にも安否確認のLINEを送ります。家族とは日頃から震災時対応を話あっているので、慌てる必要はありません。降りていくと、大木宅の隣の方(10)が廊下に出て外を見渡しています。

 「こんにちは、隣の大木さんのヘルパーです。私、これから買物に行ってくるのですが、大木さんは怪我無く無事です。大木さんの息子さんの留守電にはメッセージを残しましたが、私が帰ると大木さん一人になってしまうので、何かあったらよろしくお願いします」と伝えます。コンビニでは、店員が行列を前に電卓で会計を行っています。電子マネーは使えません。チリトリと箒は取り扱いが無く、ガムテープとお弁当、パンなどの常温で日持ちする食品とお菓子と飲み物を数点購入し、段ボールを貰って帰ります。

 大木宅に戻ると、大きな破片を拾ったあと段ボールを箒のように使って食器の破片を集めます。集めた破片はガムテープでくっつけて拾います。最後に仕上げとして濡れ雑巾で床をふきあげます。棚の食器は出してしまい、床のすみに置いておきます。普段使いするものは、台所の安全そうなところに置きます。水道は気のせいか水流が弱くなっている(11)ようで、止まってしまう可能性も考えられ、洗ってあるペットボトル全てに水を入れて(12)おきます。ガス(13)も止まっています。

 大木さんの座卓には、冷凍庫の保冷剤を出して置き、その上にお弁当を乗せます。他の食品やペットボトルもその周りに置きます。大木さんは食事に常温保存のレトルト食品や缶詰(自分では開けられないが)を取り入れており、そのストックが結構あるので、いざとなったらレトルトも加熱無しでも食べられなくはないので、食料については何とかなりそうです。テレビとタンスを直して臨時内容の記録を書き、大木さんには定位置に戻ってもらい「息子さんにも連絡したし、私たちもまた来ますね」と安心させる声掛け(14)をして退室します。




(7)送電ルートや発電所や変電所に被害がある 

8)慌てて足を傷つけないように

(9)地震に強く旧耐震でも倒壊事例なし (10)日常の声掛け大切

(11)埋設水道管が破損すると水漏れのため水圧が下がる

(下水管のズレ等の損傷時は流すと悲惨、要建物確認)

(12)カルキで保存に適す (13)震度5以上でマイコンメーターで自動停止

(14)絶対必須




事業所の対応

 事務所には社員1名しかおらず、皆出払っていました。全てのパソコンモニターが倒れましたがUPSで緊急時に稼働(15)させるパソコンを立ち上げると共有フォルダのヘルパーシフトを開き、全ヘルパーのシフト画像を撮影して、一旦電源を落としました。準備してある緊急連絡先一覧(16)震災時情報共有ボードと従業員名簿(17)を出して、事務所の目につきやすい場所に展開します。

 その日のシフトを見て、今から安否確認(今日中にこれからの訪問が無いお宅で、順位が高いお宅)すべきお宅を確認していると、大木様は今現在ヘルパーが入っています。大木様宅と担当ヘルパーに電話をかけてみましたが通じません。LINEで安否情報を流そうとすると、ホームタブに赤枠で「LINE安否確認(18)」が出現しています。どうやら“友だち”に一斉に安否情報を送れるようです。そのうちに社員が1人戻ってきましたが、「LINE?届いてないよ」と言います。

 「いやー、びっくりしたよ。私が伺ってた津山さん(仮名)は大丈夫だったけど、津山さん変に落ち着いちゃってさ、『私は良いから、他の皆さんを守ってあげて下さい。あなたは大切な人です』って津山さん言ってくれて、取り乱すどころかクリアになってて、これが一番びっくり感動だよ」と言った後、「で、どうする?」となりました。

 「これだけ回るところがあるんだけど、手分けした方が良いかな、それとも一人は待機した方が良い?」「ここにいても心配なだけだから、できることはやろう。とりあえず必要そうな物を買って持ちながら回ろう。ヘルパーさんが来たら、各種情報がわかるようにメモしてさ」ということで玄関扉に「中に情報共有ボードがあります。ご記入下さい」と貼り、従業員名簿の自分の安否OKに〇をして、これから回るところに対応実行中と書き込み出発。途中、食品等を買物(19)してリュックに詰め利用者宅に訪問し、必要な人には実費精算です。ヘルメット着用し、軍手、掃除用のコロコロも持参。




(15)無停電電源装置、PCやデータ損傷を防ぐため停電後も短時間電気を供給する

(16)安否確認優先順位等が記載

(17)これらの書式はブラッシュアップさせる

(18) iOSまたはAndroid 12.2.0以降対応、出現条件は震度6以上だが状況による

(19)現金必須、食品等はすぐに売切れ




ヘルパーさんの報告・その後

 大木さんの次のお宅はご夫婦ですが、奥様だけの認定なので少し遅れても大丈夫。事務所に寄ってみると、扉に貼り紙があり鍵が開いています。「安否情報書いて下さい」メモで目的の用紙はすぐに目につきました。自分の安否に〇をします。大木さんの名前等を書き、「在宅生活」は可能に〇をするも、困難条件に「毎日の食事提供?」と書きます。緊急対応状況の終結までの数日間を書き込む一覧で、自分の対応を記入。「あの息子さんなら、車でしばらくの間新潟(息子所在地)に連れてってくれるかな…」と考えながら留守電のことも記します。

 さて、次のお宅です。商店街では古い看板建築(20)が倒壊して屋根が電線に引っかかっています。停電の原因はこんな事でしょう。人だかりを裏道に避けながら、「古くて構造に問題のある建物は他にも倒壊しているな」と考えます。ならば火災が心配です。消防や救急のサイレンは遠くから聞こえますが火災とは限りません。しかし、街の雰囲気、音、臭い、空の霞みに目を凝らしながら移動します。もし火の気を感じたら、自分自身がまず避難行動(21)です。ご夫婦宅では、ご主人が割れた食器を片付けており、その手伝いをして臨時内容の記録(22)「共に行う掃除」を記録し30分で終了。ご主人は避難所を知っているとの事。その次へと向かいます。

 さて、また別の社員が事務所に戻ってくると、震災時情報共有ボード等へ記入があり、各自の自発的行動に勇気をもらいます。大木さんの留守電の件が気になり、事務所の電話番号で災害伝言ダイヤル(23)をしてみました。すると、大木さんの息子さんから「何時に着くか分かりませんが、これから東京に向かいます」と入っています。




(20)通りの壁面を看板用に四角くした木造家屋。店入口の開口部に柱無く脆弱

(21)木密地域の最大リスクは火災

(22)介助した記録あれば請求OK、安否確認のみは不可

(23) NTTは「171」




考えてみよう

シミュレーションに無理はないか? 季節や条件は? もっと工夫できないか? 日頃の自分の備えはどうか? 実際に出来ることと出来ないことは何か? 分らない事、知りたい事は何か?

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