日別:2025/1/15
「学ぶということ」は何かが変わること
皆様、いつもありがとうございます。今年も残すところあと僅かとなりました。やり残した事、やろうと思ってそのままになっている事、沢山あると思います。やりたい事が多いほど全部をやるのは難しいかもしれません。しかしそれでも良いのです。大切なことは形式的な達成よりも、様々な過程で学びを得て深めていくことです。学びにゴールはありません。
自分が変わったことで、利用者さんも変わる
11月11日は「介護の日」(※1)です。東京都では、11月を「福祉人材集中PR月間」として福祉の仕事の魅力の発信に取り組んでいて、「#なにゆえ私が介護職?」とハッシュタグをつけた投稿キャンペーン(InstagramやX)も行っています。そのPRサイトにインタビュー記事があったので、それぞれの福祉職が一歩深まる転機となった部分を引用します。
※1 介護について理解と認識を深め、介護従事者、介護サービス利用者及び介護家族を支援するとともに、利用者、家族、介護従事者、それらを取り巻く地域社会における支え合いや交流を促進する観点から、高齢者や障害者等に対する介護に関し、国民への啓発を重点的に実施するための日。2008年厚労省制定。
(訪問介護・障害児童対応)「最初から『それはできない』と否定して全て介助するのではなく、どうしたらできるのか一緒に考えて工夫した結果、少しの介助で、お味噌汁を飲むことができました。その子は『自分で食べると本当においしい!』と今までに見たことがない笑顔を見せてくれたんです。」
(有料老人ホーム)「仕事を続けていて思うのは、もちろん自分の心意気は大切だけれど、介護の仕事は利用者からもらうもののほうが多いということ。一人で悩んでいると『元気ないね、どうしたの?下向いてたら幸せ逃げちゃうよ』と声をかけてもらったり、昔話を一緒にして笑ったり、私が経験したことのない話を聞いて勉強になったり。人生の大先輩たちだからこそ、話と言葉がすとんと胸に落ちてくる。」
(障害者グループホーム)「『不安』から『楽しい』への気持ちの変化は、自然とご利用者様にも伝わったようで、その辺りから今まで以上にご利用者様との距離も近づき、仲良くコミュニケーションをとれるようになったと思います。」
これらの引用にあるような経験は、皆さんもしてきていることと思います。私たちはそこで何かを学び、その学びによって意欲を高め、自分を一歩前進させてきたのです。学ぶということの本質はどのようなことなのでしょうか。
最初のエピソードでは、自分の先入観で“できない”としてしまったのを改めて、本人の“したい”に向き合うように変わりました。次のエピソードでは “してもらう” ことが多いとの気付きがあり、一方通行の“してあげる”から元気が循環する心の交流へと変わっています。最後のエピソードでは、自分が変わったことで、利用者さんも変わるという発見がありました。
全てに共通しているのは「自分が変わる」ということであり、それによって相手との関係が変わり、好循環を発見した時に「これで良かった」という確証が持てて一歩前に進んでいます。正しい知識や新しい考え方を研修などで得ることはきっかけに過ぎません。きっかけを得て、自分の認識や態度や行動を変えてみる試行錯誤を始めてみることによって、本当の「学び」が始まるのです。
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本当の学びは自分だけのものではない
学ぶことは自分が変わることです。教育哲学者の林竹二(たけじ)(※2)は、次のように述べています。
「学ぶということは、覚えこむこととは全くちがうことだ。学ぶとは、いつでも、何かがはじまることで、終ることのない過程に一歩ふみこむことである。一片の知識が学習の成果であるならば、それは何も学ばないでしまったことではないか。学んだことの証しは、ただ一つで、何かがかわることである」(国土社 1978年)
学ぶということは知識の入力(インプット)ではありません。知識は種です。消費して終わりでは何も残りません。行動変容という出力(アウトプット)があって、自分次第で状況が変わるという循環的な再入力があってこそ、学ぶということの本当の理解が始まります。自分の働きかけには力があるという「自己効力感(※3)」を得て、好循環は加速します。その先には、学び始める前には思いもよらない「知らない自分」の姿があるはずです。
学ぶことの意義や価値は、学び始める前には理解できません。しかし学びの効果がわからなくても、種をまいて水やりをしましょう。芽が育ち始めると張り合いが出てきますが、その芽の意味はまだわかりません。ようやく育った植物が多くの実りをつけた時、種をまいたことの本当の意味がわかります。本当の学びは自分だけのものに留まりません。そして、本当の価値は多くの人を幸せにするものです。
※2(1906-1985)全国の小学校で対話型授業を実践した教育者でもある
※3 課題があるとき「どうせできない」ではなく「自分はきっとできる」と思えること。それまでの自分の経験や他者との関わり(成功体験の見聞や励まし)がそう思える背景にある。 |
学ぶということは、自他の相互作用の循環を確認すること
まずは失敗から学んでみましょう。介護職員を頻繁に呼び止めて不安を訴える利用者(入居者)さんがいたとします。「相手にしていたら、要求が多くなるからやらないで」と言う考えを持つ職員の声が大きくてスルーが標準の対応となっていった時、その方は職員を呼び止めることをしなくなり表情は失せ、状況への反応も弱くなっていきました。
これは認知機能の問題ではなく「学習性無力感(※4)」です。利用者さんは、状況への反応は無駄、自分の働きかけは無意味ということを職員の態度から学び、自らの心を守るために反応を閉ざしてしまったのです。これは悪循環です。この方法に職員は仕事のやりがいを保てるでしょうか。
好循環はどうでしょう。「呼び止められた時は、不安を安心に転換するチャンス」という方針のもと、手を止めて粘り強く関わり、笑顔にさせてハイタッチで締めくくるようにしていきました。利用者さんは職員が何をしているのか、自分と職員はどのような関係なのかを理解していきます。
ハイタッチの意味も自分なりに学び、職員が脇を通るとよく利用者さんが手を広げてくるのでハイタッチになります。「応援してるよ。頑張ろう!」というニュアンスでしょうか、職員が忙しくしていても一瞬で通じ合うものがあります。今では不安な様子も消え、目と目を合わせただけでお互いの暖かい気持ちが伝わってくるようです。
※4 自分の行動が結果を伴わないことを何度も経験していくうちに、やがて何をしても無意味だと思うようになっていき、たとえ結果を変えられるような場面でも自分から行動を起こさない状態のこと
「刮目せよ」 心の中の決意の火は、外からは見えない
「三日会わざれば刮目(かつもく)して見よ。」このことわざは、変り映えしないと揶揄された「呉下(ごかの)阿蒙(あもう)」の故事に由来します。
三国時代、武勇に優れるが文盲(もんもう)の呂蒙(りょもう)は、主君の孫権(そんけん)の「呂蒙に学があったら」との嘆きに意を決し、多忙な軍務の傍ら文字を学び書を読み始めます。後日、あまりの博学と見識の深さに魯粛(ろしゅく)が驚嘆した時、呂蒙は「志のある者は変わるから、三日会わなければ認識を改めるべき」と言いました。
人は変わります。行き詰まりは大きく変わる時です。僅かなことにも注意を払い変化の好機とし好循環にしていきましょう。
紙面研修
「学習性無力感」と「自己効力感」
学習性無力感とは
「学習性無力感」は、刺激に対しての反応を観察する行動主義心理学の考えのもと、動物実験によって1960年代にセリグマンによって確認されました。
実験1日目は、身体拘束をされて電撃を受けるイヌ(A)グループと、身体拘束をされるが電撃を受けないイヌ(B)グループに分けます。実験2日目、それぞれの身体拘束を解いて柵の中に入れ電気刺激を与えます。すると(A)は電撃を受け続けましたが、(B)は柵を飛び越えて回避行動をしました。この反応の差は、(A)は、「自分ではどうすることもできない状況」で苦痛を与えられたため「苦痛は回避できない」と学習してしまったと考えられたのです。しかし(A)に(B)を観察させると、回避行動を学習して回避できるようになることもわかりました。
人間を対象とした研究では、学生に答えの出せない計算問題を立て続けに出題すると、その後の問題(それが実は答えを導き出せるものであっても)に取り組む意欲が低下し、最初に簡単な問題を経験すると答えの出せない計算問題が出てきても意欲的に取り組めることがわかってきました。
【POINT】
- 自分の力ではどうすることもできない(統御不可能)と思い込むと状況を改善しようとしなくなる。
- 改善の可能性が示されると、無気力から脱することができる。
- 行為に対して結果が伴うこと(結果の随伴性)に、意欲は左右される。
さらに人間の場合には、動物には無い結果のばらつきや矛盾が見られたため、「自分」を勘定に入れる人間らしさが反映していると考えられました。人は、統御不可能状態の原因を自分の内的要因(状態の変わりにくい自分の基盤となるような要因)に結び付けてしまうと、無気力や抑うつに繋がってしまうのですが、統御可能性が自分の内的要因(自分にはそれを行う能力がある)に結び付けられると自信となるのです。
また、「無力感」は不運に対する「弱さ」としての反応ではなく、受動的になることで困難な期間をやり過ごして自分を守ろうとする反応であることもわかってきました。これはパワハラや虐待やDVの被害者にも見られる反応です。どんな状況になっても人は懸命に自分を守ろうとするものなのです。
「減量に失敗する人は、食事量と体重の間には関係が無いと感じており、カロリーの低い食品しかとらなくても、自分は太ってしまうと考える傾向がある。すなわち、減量失敗者はその失敗を「自己の体質」という安定的で、統御不可能な要因に帰属することによって、減量行動に無力感を抱いているのである。この安定的、統御不可能な要因への帰属を不安定的、統制可能な要因への帰属に変えれば、次回の減量に成功する可能性の認知が増すであろう。
しかし、不安定的、統制可能な要因に帰属を変えさせても、行動の変容が容易に生じない場合がある、それは『原因は自分が努力すれば変えられるところにあるが、自分にはその能力がない』と感じている場合である。この自己の行動する能力に対する認識は、健康行動の生起に重要な役割を果たしている。これが次に取り上げる自己効力感である。」
(「主観的統制感と健康」日本看護研究会雑誌Vol.22 No.2 1999)
どのように取り組んでいくか
取り組み慣れていない問題について「難しい」と人は考えてしまいますが、いたしかたないことです。何が問題なのかを上手く掴めなかったり、全体像が見えないこともあるからです。そのような時「どのように物事を考えるのか」という考える順番を意識してみるだけでも、何から取り組んだら良いか、少しは見えてくるのではないでしょうか。ここまでについて整理・検討してみましょう。
【物事への考え方を整理する】
- 改善可能な物事の場合は、自分にも要因がある部分については自分の行動を変えることが大切。
- 改善しにくい物事の場合は、それを自分の内的な本質的な要因のみに落とし込んでしまうことはしない。(改善行動への意欲が下がってしまうし、気分も落ち込んでしまう)
- 改善しにくい物事の場合は、要因は様々なものが合わさった構成的なものと考えるが、どんな物事でも、時間がかかっても、少しづつでも改善は可能であると考える。
- 改善しようとする時は、自分が「統制可能」なものを探してそこから着手する。
- 自分には「能力が無い」と思い込むと取り組めないので、他の事例の成功体験(自分の強み)を思い出して、強みを援用すれば自分にも「できる」と考える。
- 小さなことでも取り組んで「できた」ということがあったらそれを大切にし、一つひとつ積み重ねていく。
ポジティブ心理学の創設
マーティン・セリグマン(1942-)はアメリカ心理学会の会長に就任(1998)すると、「心理学は人間の弱みばかりでなく、人間の良いところや人徳を研究する学問でもあり、すでに主要な心理学的理論はそのような補強を行う方向に変貌しつつある」と指摘し、「どうすればもっと幸福になれるか」を領域とする「ポジティブ心理学」を創設します。人の長所や強みに着目しそれを促進することが課題なのです。
「自己効力感」とは
人が行動を起こす時、「その行為を行えば良い結果が得られる」という予測(結果期待)と、「自分にはその行為ができる」という予測(効果期待)の両者が伴ってはじめて実行に移されます。結果期待については、自分がわからなくても信頼のできる人から勧められれば、「やってみよう」という気になることができます。しかし、 効果期待については「できないだろう」という思いが強ければ、よっぽどのことでもない限り、やってみようとはなりません。
ここでより重要になってくるのは、効果期待についてです。これは言い換えれば「自信」ですが、「自己効力感」と呼ばれます。できるかどうかわからない問題について、「がんばってやってみよう」と思える人と、「無理そうだからやらない」と諦めてしまう人、その両者の間にある差は「自己効力感」なのです。
自己効力感(セルフ・エフィカシー)は、自己効力や自己可能感とも訳されており、アルバート・バンデューラ(1925-2021)が1990年代に提唱した概念で、ポジティブ心理学で大きな意味を持っています。
喫煙をやめる意思の強さは、喫煙による肺癌や心臓病の発生率の高さや疾患の重症度の認識よりも、自己効力感と強く関連していた。また、この効果は被験者が喫煙の中止が疾患の罹患率を下げると確信した時のみ有効であった。このことは自己効力感が健康行動の生起に関して重要であるが、さらにその前提条件として、結果期待が必要であることを示している。(同書)
自己効力感と結果期待の関係
自己効力感(効果期待)と結果期待のそれぞれの度合いの組み合わせによって、人の感情はさらに複雑に変化することがわかっています。その複雑さは一筋縄ではいきません。例えば、自己効力感が低下してしまっている人に配慮して、簡単すぎる課題をお願いすることで、かえって、モチベーションを低下させてしまうことも考えられます。結果を得られる期待が単純に高ければ良いというものでもないのです。
デイでのレクなどで考えてみましょう。自分には色々できなくなってきたことがあると嘆かれる方に配慮し、とても簡単にできる課題を用意した時、「こんな事をやらされるなんて、自分も落ちたもんだ」と捉えてしまい、「やらされ感」となって、かえって自己評価の低下や気分の落ち込みを誘発することもあります。(先日の管理者研修会での北原佐和子さんの講演にも同様のお話しがありました。)
また、「簡単にできる〇〇」等と誘導されて期待が高まったのに上手くいかなった場合も「がっかり感」となってしまうこともあるでしょう。押しつけにならないように勧めていくことが大切です。
自己効力感を高める方法
バンデューラは、自己効力感が高まる際の先行要因に、
1.達成経験 2.代理経験 3.言語的説得 4.生理的情緒的高揚
の4つをあげています。それらを理解しながら利用者さんとの語らいなどに取り入れていくことは、先行要因となって、自己効力感が高まることに繋がっていくでしょう。
1.本人が達成した経験を思い出してもらう。(強みはその人の歴史の中にある)
2.他人の頑張っているところを見てもらったり、「できるようになった」好例を話す。
3.「能力がある。きちんと出来ている。上手い」等と言葉で肯定的評価を伝える。褒める。
4.日頃から「できた」という時には、嬉しい感情を表現して喜びあう。気持ちが高まるような仕掛けを使う。ドキドキ・ワクワク感を演出する。楽しめるイベントを取り入れる。(例えば、盛り上がる音楽をかけたり、賞状を作成して読んだり…)
これらの他には、「できた」ときの状態を一緒に想像したり、自己効力感に揺れる気持ちを聞いて、それらを含めて承認していくことも大切です。自己否定に傾きがちな時だからこそ、ネガティブな発言についても、その発言や考えを安易に否定したりせずに「思慮深くて素晴らしい。物事をずっと深く考えておられて学びになった。一緒に考えていきたい」などと伝えて、肯定的に受け止めていくのです。
もう一つの要因「統制の所在」
例えば、自分の人生は運命によって決まっているか、運命は自分で変えられるか、という捉え方の違いによっても、自己効力感は異なってきます。「運命は変えられない」(統制の所在が運命にある)と強く思っている人は、過酷な目にあうと諦めてしまう傾向が強くなります。「統制の所在」の問題について示唆に富んでいる交流分析のエリック・バーンの名言を引用します。まずは自分自身の統御可能な態度や固定観念を変えていくことから始めましょう。自分が変われば、相手との関係も未来も変わり得るのです。
「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」
考えてみよう
リハビリに乗り気になれない方の心の中には、どのような気持ちや考えがあるだろう。
責められた気持にならないようにしながら、その人の考えなどを聞くことは可能だろうか。
気持ちや考えを聞けたなら、リハビリをめぐる支援者と利用者の関係はどのようになるだろう。 |
2025年1月15日 6:48 PM |
カテゴリー: 【紙ふうせんブログ】, 令和6年