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紙ふうせんだより 1月号 (2025/02/26)

ひとりひとりへの気持ちを乗せて

 皆様、明けましておめでとうございます。正月にお仕事をしてくださった方、本当にありがとうございました。「株式会社いちしんウエルフェア」として出発して、本年がいよいよ本番の年となります。皆様のお力をお借りしたくお願いを申し上げます。本年もひとりひとりの利用者さんと向き合い、笑顔を交わしていきましょう。

「ひとりひとり」を忘れない

「ひとりひとり」という絵本があります。谷川俊太郎さん(※1)の四行連詩の一連ごとにいわさきちひろさん(※2)の美しい水彩画が彩ります。冒頭から第三連まで引用します。

ひとりひとり / 違う目と鼻と口をもち / ひとりひとり / 同じ青空を見上げる

ひとりひとり / 違う顔と名前をもち / ひとりひとり / 良く似たため息をつく

ひとりひとり / 違う小さな物語を生きて / ひとりひとり / 大きな物語に呑みこまれる

 いわさきちひろさんは大正7年、谷川俊太郎さんは昭和6年生まれです。この時代の「大きな物語」は国家でした。国家は大東亜共栄圏や八紘一宇をスローガンに戦争に邁進していきます(※3)。当時ほどの重圧はありませんが、現代にも大きな物語はあります。会社をイメージする人もいるでしょう。仕事をしていなくても人は文化や社会から様々な規制を受けていきます。

 私たち個人は、それらの枠組みに呑み込まれていきます。要介護高齢者は制度や事業所の在り方に生活が左右されます。その枠組みの在り方や雰囲気を決める力を持つ人は、ひとりひとりの物語を改変する力を持ち得ます 。そのような私たちだからこそ、そこにいるひとりひとりの存在とその揺れ動く心を大切にしていかなければなりません。




※1(1931-2024)1952年の「二十億光年の孤独」が第一詩集。以来詩作を中心に評論や脚本や翻訳なども行う。レオ・レオ二の絵本「スイミー」や漫画「ピーナッツ」は谷川の翻訳

※2(1918-1974)子どもの幸せと平和を生涯のテーマとした画家、絵本作家

※3 国民学校(小学校)では教育勅語が朗読され「一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ」は国に命を捧げることとされていた。




人に成るということ

 社会は、時にひとりひとりの物語に区切りをつける強制力を持ちます。民法改正により昨年から成人年齢が18歳となりました。成人式を迎えたら大人の自覚に立つことが個人の事情に関係なく求められます。谷川さんの詩に「成人の日に」というものがあります。

 成人とは人に成ること もしそうなら / 私たちはみな日々成人の日を生きている / 完全な人間はどこにもいない / 人間は何かを知りつくしているものもいない / だからみな問いかけるのだ / 人間とはいったい何かを / そしてみな答えているのだ その問いに / 毎日のささやかな行動で

 異なるひとりひとりが共に暮す世の中だからこそ、私たちは日々のささやかな行動の中に、人は人とどう関わるべきか、社会の枠組みとひとりひとりの関係はどうあるべきか、という答えを示していかなければなりません。

 子供は共同体に依って生存が支えられ育まれていきます。大人はその共同体がひとりひとりに対して優しいものとなるように共同体を支え、社会がその機能を発揮して多くの人の生存を支えられるように組み直していかなければなりません。それが、人が人に成っていくための基盤であり日々の務めなのです。

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私に自覚されて「私」は人に成っていく

 「人間とは常に人間になりつつある存在だ(※4)」という言葉は確かに本当です。人を粗末にすれば「人でなし」に転落します。自分も他人も等しく大切にすることが人を創り育てます。子供たちはいつかの自分です。大人はいつか老人となり、支えられる側に回ります。年寄たちはいつかの自分です。大切なことは、他者の気持ちを自分事のよう感受する共感性です。

 あるご利用者さんが言われていました。「ある時お母さんが『80にならないと、80の気持ちはわからない』と私に言ったの。私はその時お母さんに何かを言ったと思うの、お母さんの言葉を覚えているから。今になってお母さんの言葉が理解できる。」

 ここに、育つことや老いることを含めた「生きること」の価値があります。身体性の伴う実感がなければ理解しえないことは、人生にたくさんあります。老いてもなお「わかった」があるということは、学んだ内容に意義があり、学びの前奏としての今までの人生に意味があり、年を重ねた価値があり、今この時にも私は「人」に成っていっているということなのです。この方は「自分は自分でつくらないといけない。人のせいにしても始まらない」と言われました。

 人生とは、言い換えれば「私が私になっていく(※5)」過程であるとも言えます。私の可能性を持つ者が「私」として生まれ、私のささやかな行動の積み重ねとして「私」になっていく。そして、私を「私」たらしめるものは、「他者」に他なりません。「自分を大切にする」とは、「他者のように見なした私」を私が尊重することです。大切にされた(大切にされなかった)他者が私に対する表情で(声掛けや目線で)「私」が何者なのかを物語ってきます。

 「過去の私」は今の私に宿題を置いて去る者として他者であり、今の私が責務を負う対象として「未来の私」は他者なのです。今を生きる私の責任の中に「私」があるのです。




※4俊太郎の父、哲学者の谷川徹三(1895-1989)の言葉。「インテリで権威主義なところが嫌いで反面教師にして捉えてきた」と俊太郎

※5副題が「認知症とダンス」という同名の書籍があり、著者の若年性認知症当事者であるクリスティーン・ブライデンは認知能力が衰えても日々瞬間の私を生きるということが際立ち「私になっていく」ことが実感されるという趣旨を述べている。




一対一の関係を原点に

 谷川俊太郎さんは、昨年の11月13日に亡くなられました。谷川さんは朝日新聞に毎月一回詩を掲載されていました。11月17日発表の最後の詩は「感謝」という表題です。「目が覚める / 庭の紅葉が見える / 昨日を思い出す / まだ生きてるんだ」と始まり、「どこも痛くない / 痒(かゆ)くもないのに感謝 / いったい誰に?/ 神に?/ 世界に? 宇宙に? / 分からないが / 感謝の念だけは残る」と締めくくられています。

 人生の最後を迎える時、私たちは、自分の人生の一切を「過去」に手渡して、他者や過去の私に感謝を述べて「私自身」から去っていきます。そうやって私の人生が終わり、いつかまた未来に、今までとは違う別の私に「私」を手渡していくのです。

 人は物語を生きています。物語の核心はひとりひとりを大切にすることです。人を大切にすれば、それは自分に返ってきます。ひとりひとりの中には、過去や未来の「私」も含みます。そして、人間関係の原点は一対一の関係です。たとえ施設介護のように多対多のように見える状況であっても瞬間瞬間は一対一です。大勢に呼びかけている時でさえ、目線はひとりひとりと交わり、気持ちを乗せた声はひとりひとりの胸の内に重なっていきます。

 「認知症だから何を言ってもわからない」ということは絶対にありません。顔を忘れ言葉が出なくなり、たとえ意識が薄れても感謝の念だけは残り続けます。だから私たちは心をこめて気持ちを送り届けるのです。過去がどうあれ、それが最後の瞬間の「幸せ」を決するからです。


紙面研修
紙面研修
ひとりを大切にするケアの実践
 

「生きることの全体像」を見る

 私たちの「介護」という他者に対するアプローチは、医療に従属する立場で始まったこともあり、医療の考え方が採用されてきました。医療の第一は患者を治療すること(善行原則…医療的善行を施すこと)であるため、介護の方法論も身体(病気や障害)を見て「生きることの全体像」を見ていない、ということに陥りがちでした。

 例えば、身体的安全のために本人の意向に反して「施設入所をすすめる」というのもその一つです。在宅介護の限界ラインは個別的状況で変わっていきますが、意向に反する推進は身体的安全は確保しても心理的安全性は無視されてしまい、既存の生活からの切り離しとなり本人を追い込み生きる気力を奪ってしまいます。

 そういった反省から、支援の考え方は、「医学モデル(専門家モデル)」から「社会モデル(生活モデル)」へと変わってきました。生活モデルの考え方は、障害等が生じても既存の生活への再参加や社会参加を推進する考え方となります。

 一方で心身機能の回復の有用性も失われたわけではありません。そこで、「機能回復」と「参加」の両方の視点を取り交ぜた考え方が提示されています。それが、「統合モデル」とも呼ぶべき「生活機能分類モデル」です。

「障害分類モデル」の問題点

 「医学モデル」は“原因は一つ”の線形モデルで、疾患変調を全ての原因とする「障害分類モデル」です。原因を取り除かない限り解決しない考えで、医療的限界が全ての限界を決めてしまいます。「足を切断⇒切断は回復しない⇒歩けない・社会的不利は致し方ない」となるのです。

(図は厚労省PDFより)



 一方で「生活モデル」は生活上の機能に着目します。「歩く」ということは「移動できる機能」ですが、機能を車椅子やバリアフリー(社会的不利の除去)や支援で補えば、移動は可能となり社会参加や生活を取り戻せます。生活機能は多面的要素から成るため、改善の方法論も多面的に可能になります。

 



国際生活機能分類モデル

 生活機能分類モデルは、個人をとりまく状況(環境・文化・社会・歴史的要因)と個人的要因の上に「生きることの全体」が成り立っていることを示しています。そして、その中での生活のあり方を、「活動」を中心にすえ、身心機能や参加との相互作用によって生活が成り立っていることを示しています。

 心身機能は要介護ともなれば衰えていることが前提であり、その結果として本人の望まぬ活動制限が生じ社会参加が阻害され活動量が低下し、意欲が低下し更なるADLの低下がみられ健康が悪化する、という関係性が上記図表から読み取れます。

 では、回復の為にはどうしたら良いでしょう。「医学モデル」の中心課題の心身機能の回復を主題とするのではなく、「参加」を中心課題とするのです。介護職等の支援を受けて参加を促し、参加できたことによって活動量と自信や喜びを高め、それを心身の回復に結びつけるとともに、好循環によって全体を底上げしていくのです。

 目標はQOL(人生の質)そのものです。心身機能が低下しているから活動させない(ふらつきがあるから「歩かないで下さい」、危ないから「やらないで下さい」)というような働きかけは、かえって悪循環となります。「心身機能が低下しているからこそ」いかに支援によって「参加」を促し再び「活動」ができるようにするか、ということが大切なのです。

企業活動や事業所にたとえてみる

 「活動」の活性化は業績向上となります。組織の心身機能面は資金や運営体制やビジョンですが、従業員が嫌々の参加では活性化しません。企業活動は従業員の「参加」で成り立っています。「何にどのように参加してもらうか」を主題として、ひとりひとりと十分に関わり参加の価値(能力が認められる、自分の考えが採用される等)が明確であれば、受け身を脱して「活動」は活性化するのではないでしょうか。

ひとりひとりを大切に

 ひとりひとりを大切にしないということはどのようなことかと言えば、「十把一絡げ(じっぱひとからげ)」に人を扱うということです。ひとりひとりには、それぞれの要因、それぞれの心身、それぞれの活動への願い、それぞれの参加意欲があります。それらのひとつひとつをつぶさに見てそれらの相互作用的全体像を理解していくことが、ひとりの人間の「生きることの全体像」を見ることになり、ひとりの人を大切にすることになります。「ひとりの人が大切にされること」はそのまま「その人のQOLの向上」ともなるのです。

谷川俊太郎の背景要因と詩

学校 

「ぼくがはじめて暴力ふるわれたのは、やっぱり小学校の先生だもんね。ビンタ張られた。」

「ぼくの世代はちょっと特別で、自我が育っていく段階が、ちょうど戦争の時期だったんですよ。だから学校教育は荒廃してたわけ。教育のかたちがぼくは嫌ではあったけど、小学生の頃はまだ、ちゃんとしていたわけです。そのうち教科書がだんだん黒塗りになって、先生はみんな生活難。食うや食わずです。」

「強制疎開で、われわれ生徒も一緒になって、家の取り壊しなんかもしてました。そのとき、先生が壊した家のガラスを大切に持って帰ったりしてるわけですよ。そういうのを見ていたから、教育の権威みたいなものは、もう、なくなっちゃったわけです。教育と戦争が併行した時代だった、ということが学校嫌いの一因であると思います。」

(ほぼ日刊イトイ新聞2022.7.5 糸井重里と対談)

 

戦争

「中学生だった戦時中、東京の空襲で近所まで焼けて、翌朝、友だちと自転車で焼け跡を見に行きました。焼死体がゴロゴロ転がっていて、人間の体のようではなくて、焦げて鰹節みたいになっていたんですよね。子どもだから怖いっていうより、不思議な感じがしていました。それが強く印象に残っていて、自分に何らかの形で影響を与えていると強く思いますね。」

(GLOBE+2023.3.2 インタビュー記事)

 

父の教え

「私は人間とは常に人間になりつつある存在だと考えているものであります。という意味は、自己の人間成長を常に心がけているものにとって、これで満足だという状態はないので、まだ自分はほんとうに人間らしい人間になっていないという思いを常に抱かざるを得ないからでありますが、しかし同時に、少しでも成長のあるところ、そのほんとうに人間らしい人間に常になりつつあるものとして自分を考えることができるので、その二重の意味をこれはもっているのであります。」

(谷川徹三「調和の感覚」)




「ひとりひとり」

ひとりひとり

違う目と鼻と口をもち

ひとりひとり

同じ青空を見上げる

 

ひとりひとり

違う顔と名前をもち

ひとりひとり

よく似たため息をつく

 

ひとりひとり

違う小さな物語を生きて

ひとりひとり

大きな物語に呑みこまれる

 

ひとりひとり

ひとりぼっちで考えている

ひとりひとり

ひとりでいたくないと

 

ひとりひとり

簡単にふたりにならない

ひとりひとり

だから手がつなげる

 

ひとりひとり

たがいに出会うとき

ひとりひとり

それぞれの自分を見つける

 

ひとりひとり

ひとり始まる明日は

ひとりひとり

違う昨日から生まれる

 

ひとりひとり

違う夢の話をして

ひとりひとり

いっしょに笑う

 

ひとりひとり

どんなに違っていても

ひとりひとり

ふるさとは同じこの地球




「成人の日に」

人間とは常に人間になりつつある存在だ

かつて教えられたその言葉が

しこりのように胸の奥に残っている

成人とは人に成ること もしそうなら

私たちはみな日々成人の日を生きている

完全な人間はどこにもいない

人間は何かを知りつくしているものもいない

だからみな問いかけるのだ

人間とはいったい何かを

そしてみな答えているのだ その問いに

毎日のささやかな行動で

 

人は人を傷つける 人は人を慰める

人は人を怖れ 人は人を求める

子どもとおとなの区別がどこにあるのか

子どもは生まれ出たそのときから小さなおとな

おとなは一生大きな子ども

 

どんな美しい記念の晴着も

どんな華やかなお祝いの花束も

それだけではきみをおとなにはしてくれない

他人のうちに自分と同じ美しさをみとめ

自分のうちに他人と同じ醜さをみとめ

でき上がったどんな権威にもしばられず

流れ動く多数の意見にまどわされず

とらわれぬ子どもの魂で

いまあるものを組み直しつくりかえる

それこそがおとなの始まり

永遠に終わらないおとなへの出発点

人間が人間になりつづけるための

苦しみと喜びの方法論だ




感謝

目が覚める

庭の紅葉が見える

昨日を思い出す

まだ生きているんだ

 

今日は昨日のつづき

だけでいいと思う

何かをする気はない

 

どこも痛くない

痒くもないのに感謝

いったい誰に?

神に?

世界に? 宇宙に?

分からないが

感謝の念だけは残る




考えてみよう

ひとりひとり背景に触れながら「生きることの全体像」を感じてみよう。そして、ひとりひとりの関わりについて想像してみよう。


紙ふうせんだより 12月分 (2025/02/10)

せわしなさを越えて

 師走ですから忙(せわ)しないと思います。事故等にはお気を付け下さい。まずは皆様に御礼申し上げます。皆様の頑張りによって笑顔の利用者さんが増えたと信じております。本年はどうもありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いします。

タイパ志向の弊害

 近頃は老いも若きも忙しくしています。時代がそうさせるのでしょう。最近は「タイパ(※1)」と称して無駄な時間を嫌う若者もいます。寸暇を惜しんでトイレの中も電車の中もスマホに釘付けになって情報の消費に追われながら、次から次へと画面をスワイプします。2時間の映画は長すぎるので倍速再生をします。逡巡する間合いや息を呑むような沈黙は、早送りでスルーされます。

 登場人物の息づかいを賞味しながら自らを鑑みるという「鑑賞」ではなく、あらすじさえ把握出来れば良いという考えです。時間節約志向によって何にでも「速さ」を求めてしまうようになると、「熟慮」はどうしても疎(おろそ)かになってしまいます。




※1 タイム・パフォーマンスの略。費用対効果を指すコスト・パフォーマンス(コスパ)をもじってできた造語。




考えないで「判断」してしまう

 前提条件が1つ2つしかない問題と10も20もある問題は、条件が少ない方が「判断」が速く済みます。条件が多ければ優先度や重みを考量する必要があるからです。では、ある問題を構成する要因として視野に入っているものが1つ2つなのと、10も20も見えている場合、どちらがより適正に判断ができるでしょう。多い方が適正に近づくはずです。つまり、考えるということは、拙速(せっそく)に判断したい欲求(考えたくない欲求)を抑えて視野を広げて、更に考えを深掘りするというところに意味があります。「考えること」と「判断すること」は逆のベクトルを持つのです。

 しかし、判断したことを持って「考えた」と主張する「取り違えている人」がいます。人は、時間をかけたくないと思うと、考慮すべきめんどうくさい要素を無意識的に無視します。速さではそれが合理的だからです。そして、無視する要素は自分の思惑に沿わないものなので、気が付かずに判断は自分の願望に引きずられます(※2)。こうやって失敗は構造的に繰り返されます。これは「考えなかった」結果なのです。




※2自分の先入観や思惑を補強できるような都合のよい情報ばかりを見てしまう心理傾向は誰でも持っており、確証バイアスと言う。




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成熟とは「宙吊り」に耐える力

 哲学者の内田樹は、日本文化の特質を「『どこにも着地できないで宙吊りになったままでいられること』を成熟の指標と見なす」と述べています。難しい物事の難しさを理解せずに簡単なように言うことは誰にでもできますが、難しさの重みに耐えながら「宙吊り状態」の中で舵を取り続け時機の到来を待つということは、誰にでもできることではありません。

 「考える」ということは判断を留保することです。手持ちの情報の貧弱さに判断留保は選択されます。熟慮しようと決めた時、人は五感と記憶と思考をフル稼働させます。見落としはないか、理解を取り違えている問題は無いか、大切な事を聞き洩らしてはいまいか…。今までとは違う見方ができるようにならなければ、それらを発見することはできません。

考えることの目的は「視座が変わること」

 タイム・イズ・マネーと言われるような世の中です。決断を迫るプレッシャーは常にかかります。しかし、考えるということが必要な時は、「正か反か」どちらも選べないという競合があります。どちらも選ばないで、より最適解となる「合(ごう)」にたどり着くには、「正・反」を見下ろせる「合(※3)」の次元にまで自分の意識が変わらなければなりません。考えるということの目的は、まさにここにあります。今の自分の視点を脱して新しい視座を得ること。その跳躍を目指すことが考えるということなのです。

 心の中の競合に挟まれて葛藤にもがいている人に対して、河合隼雄(※4)は、魂が「ある」と思ってみると、ふっと次元がかわり、視座がより広がると述べています。「魂というものがあるかないか、そういうことを言っているのではない。『魂』という、ものの見方でみてみよう。」そうすることによって、損得や感情とは異なる見方ができるようになるのです。




こころの天気図」河合隼雄

魂が「ある」と思ってみると……

魂とか心とか言っても、誰もみたりさわったりした人はいない。実体はありません。ないけれども「ある」というふうにすると、自分の状態について違った観点から、ものが言えるわけです。――心が浮き立つとか、沈むとか、魂がゆさぶられるとか。そういうものがあるのだと「思ってみる」というのが一番近い言い方だと思います。

ユング派の分析家、ヒルマンという人が面白いことを言っています。

魂というものがあるかないか、そういうことを言っているのではない。「魂」という、ものの見方でみてみようと、そういうことなんだと。

そうやってみると違ってくるんですね。たとえば自分のしていることを、損得の面からみることもできる。また、自分の行為で誰が喜んだか悲しんだか、そういう感情面からみる見方もある。だけどもうひとつ、自分のこの行為で、私の魂はどう感じたろう、あの人の魂はどう感じたろうと思ってみるやり方もあるのだと。

そういう思い方をすると、ふっと次元がかわり、視座がより広がるんですね。




※3 正反合はヘーゲルの弁証法における用語。テーゼとアンチテーゼの葛藤を超克してジンテーゼに至ることを「アウフヘーベン」と言う。

※4(1928-2007)高校数学教師を経て心理学の道に進み米国留学。日本人で初めてスイスのユング研究所にてユング派分析家の資格を取得した分析心理学者。日本臨床心理士資格認定協会を設立(1988)。元文化庁長官。著作や著名人との対談が多数ある。




自分の枠を超えていく

 介護現場も時間に追われています。利用者さんが介護職員を呼び止めます。「(何?忙しいんだから。何だって?その話はさっきも聞いた。で、用があるの?無いの?無いなら私行くわよ)」と職員は心の中で思っています。職員は「(だからその話はさっき聞いたって!)」と、見通しが崩れてイライラします(※5)。「問題は無い」と判断して、さっさと次に行きたいのです。

 しかし、のんびりしてみせる勇気を持ちましょう。タイパ感覚では倍速映画と同じで、見落とす原因になります。言葉を聞いて終わりではなく、聴いたことを自分の心に入れて一言一句に重みを感じていきましょう。利用者さんの息づかいに触れ、利用者さんの目と耳と心で世界を見ようとすることが大切です。成熟とは待てることであり、様々な視座を受容できることでもあります。「自分の判断」を留保し、自分の見えてないものにも心を巡らせましょう。利用者さんの目や別の見方で自分自身を見てみようとすることによって感受性は高まります。

 自分が相手に及ぼしている影響を感じとっていきましょう。そうすると自然と自分の態度も柔らかくなり、相手も優しい表情になってくるはずです。全体と個がどのように相関しているのかを考えていくことも、五感で利用者さんを感じることも六感で魂を直覚しようとすることも、目指すところは同じです。自分の枠を超えた視座の跳躍を目指し、飛翔する鳥のような自由な目で世界を見ることができるようになること。人はそのような心の自由を求めています。

 見方が変わり解像度が高くなれば、何気なく通過していた日常の風景も、喜怒哀楽に美しく彩られた鮮やかな光景に変わっていくはずです。忙しくても新鮮で充実した日々となりますように。




※5河合隼雄はカウンセリング関連の著作も多く、話を聞きながらイライラするのは見通しが立っていない証、との旨を述べている。





紙面研修

感染症研修
感染症の流行 予防と対策
 

マイコプラズマ肺炎・伝染性紅斑が増加しています(厚労省)

マイコプラズマ肺炎、伝染性紅斑の定点当たりの報告数が増えており、例年の同時期と比べてかなり多い状況となっています(2024年12月現在)。

 

【マイコプラズマ肺炎】とは

 秋冬に増加する傾向のある、頑固なせきをともなう呼吸器感染症(肺炎マイコプラズマ細菌)で、患者の約80%は14歳以下(成人の報告もある)。発熱や全身の倦怠感、頭痛、せきなどの症状がみられます。せきは少し遅れて始まることがあり、多くは気管支炎で済み、せきは熱が下がった後も3~4週間残るなど軽い症状がしばらく続きます。しかし、一部の人は肺炎となるなど、重症化もあり得ます。(5~10%未満で中耳炎、胸膜炎、心筋炎、髄膜炎などの合併症の報告があります。)



※画像はイメージです

 

感染経路と予防と対策

 感染した人のせきのしぶき(飛沫)を吸い込んだり(飛沫感染)、感染者と接触したりすること(接触感染)により感染します。家庭のほか、施設などでも感染の伝播がみられます。感染してから発症するまでの潜伏期間は長く、2~3週間くらいです。短時間の曝露による感染拡大の可能性はそれほど高くなく、濃厚接触により感染することが多いと考えられています。

 普段から流水と石けんによる手洗いをすることが大切です。感染した場合は、家族間でも洗面所等のタオルの共用(洗濯済のものを個別使用)は避け、マスクを着用しましょう。治療にはマクロライド系の抗菌薬が主に用いられます。

 

【伝染性紅斑(でんせんせいこうはん)】と

 両頬がリンゴのように赤くなることから「リンゴ病」とも呼ばれます。ヒトパルボウイルスB19による小児を中心にみられる流行性の感染症です。患者の年齢分布では、5~9歳での発生が最も多く、ついで0~4歳が多いとされています。

 多くの場合、約10~20日の潜伏期間の後、微熱や風邪の症状などがみられ、この時期にウイルスの排出が最も多くなります。7~10日経って、両頬に蝶の羽のような境界鮮明な赤い発しん(紅斑)が現れます。この時点では、既にウイルスの排出はほとんどなく、感染力もほぼ消失しています。

 続いて、体や手・足に網目状やレース状の発しんが広がりますが、これらは1週間程度で消失します。少ないケースですが、一度消えた発しんが短期間のうちに再び出現したりするなど長引くこともあります。成人では関節痛を伴う関節炎や頭痛などの症状が出ることもありますが、ほとんどは合併症を起こすことなく自然に回復します。



※画像は紅斑の現れたこども(厚労省HP)

 

感染経路と予防と対策

 飛沫感染や接触感染により感染しますので、対策の基本の「手洗い・うがい・マスク着用・咳エチケット・現場の換気・共用タオルの中止」は同じです。軽い症状の病気のため、予防薬もワクチンもなく、特別な治療法はありません。また、感染しても症状がない場合(不顕性感染)もあります。

 

妊娠中又は妊娠の可能性がある方へ

 これまで伝染性紅斑に感染したことのない女性が妊娠中に感染した場合、胎児にも感染し、胎児水腫などの重篤な状態や、流産のリスクとなる可能性があります。熱や倦怠感が出現した後に発疹が出るなど、伝染性紅斑を疑う症状がある場合は、医療機関に相談しましょう。

 周囲に伝染性紅斑の人がいる場合は、妊婦健診の際に、医師に伝えてください。かぜ症状がある方との接触をできる限り避け、手洗いやマスクの着用などの基本的な感染予防(※)を行ってください。
(※)手洗い・うがい・マスク着用・咳エチケット・現場の換気・タオルの個別使用
 

冬の感染対策をお願いします(厚労省)

 インフルエンザは2024年第44週(10月28日から11月3日まで)に定点当たり報告数が流行開始の目安である「1」を上回り、流行シーズン入りしました。また、新型コロナウイルス感染症については、例年、冬にかけて感染者が増加する傾向が見られます。

 インフルエンザや新型コロナウイルス感染症をはじめとする感染症の予防には、「手洗い」「マスクの着用を含む咳(せき)エチケット」「換気」などが有効です。

 特に高齢者や基礎疾患のある方が感染すると、重症化するリスクが高まります。高齢の方と会ったり、通院や大人数で集まったりするときは、マスクの着用を含めた感染対策へのご協力をお願いします。

 
点検してみよう

感染症に対する自分の意識の持ち方などで、「油断」となってしまう要素はあるだろうか。

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