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日別:2025/2/26

紙ふうせんだより 1月号 (2025/02/26)

ひとりひとりへの気持ちを乗せて

 皆様、明けましておめでとうございます。正月にお仕事をしてくださった方、本当にありがとうございました。「株式会社いちしんウエルフェア」として出発して、本年がいよいよ本番の年となります。皆様のお力をお借りしたくお願いを申し上げます。本年もひとりひとりの利用者さんと向き合い、笑顔を交わしていきましょう。

「ひとりひとり」を忘れない

「ひとりひとり」という絵本があります。谷川俊太郎さん(※1)の四行連詩の一連ごとにいわさきちひろさん(※2)の美しい水彩画が彩ります。冒頭から第三連まで引用します。

ひとりひとり / 違う目と鼻と口をもち / ひとりひとり / 同じ青空を見上げる

ひとりひとり / 違う顔と名前をもち / ひとりひとり / 良く似たため息をつく

ひとりひとり / 違う小さな物語を生きて / ひとりひとり / 大きな物語に呑みこまれる

 いわさきちひろさんは大正7年、谷川俊太郎さんは昭和6年生まれです。この時代の「大きな物語」は国家でした。国家は大東亜共栄圏や八紘一宇をスローガンに戦争に邁進していきます(※3)。当時ほどの重圧はありませんが、現代にも大きな物語はあります。会社をイメージする人もいるでしょう。仕事をしていなくても人は文化や社会から様々な規制を受けていきます。

 私たち個人は、それらの枠組みに呑み込まれていきます。要介護高齢者は制度や事業所の在り方に生活が左右されます。その枠組みの在り方や雰囲気を決める力を持つ人は、ひとりひとりの物語を改変する力を持ち得ます 。そのような私たちだからこそ、そこにいるひとりひとりの存在とその揺れ動く心を大切にしていかなければなりません。




※1(1931-2024)1952年の「二十億光年の孤独」が第一詩集。以来詩作を中心に評論や脚本や翻訳なども行う。レオ・レオ二の絵本「スイミー」や漫画「ピーナッツ」は谷川の翻訳

※2(1918-1974)子どもの幸せと平和を生涯のテーマとした画家、絵本作家

※3 国民学校(小学校)では教育勅語が朗読され「一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ」は国に命を捧げることとされていた。




人に成るということ

 社会は、時にひとりひとりの物語に区切りをつける強制力を持ちます。民法改正により昨年から成人年齢が18歳となりました。成人式を迎えたら大人の自覚に立つことが個人の事情に関係なく求められます。谷川さんの詩に「成人の日に」というものがあります。

 成人とは人に成ること もしそうなら / 私たちはみな日々成人の日を生きている / 完全な人間はどこにもいない / 人間は何かを知りつくしているものもいない / だからみな問いかけるのだ / 人間とはいったい何かを / そしてみな答えているのだ その問いに / 毎日のささやかな行動で

 異なるひとりひとりが共に暮す世の中だからこそ、私たちは日々のささやかな行動の中に、人は人とどう関わるべきか、社会の枠組みとひとりひとりの関係はどうあるべきか、という答えを示していかなければなりません。

 子供は共同体に依って生存が支えられ育まれていきます。大人はその共同体がひとりひとりに対して優しいものとなるように共同体を支え、社会がその機能を発揮して多くの人の生存を支えられるように組み直していかなければなりません。それが、人が人に成っていくための基盤であり日々の務めなのです。

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私に自覚されて「私」は人に成っていく

 「人間とは常に人間になりつつある存在だ(※4)」という言葉は確かに本当です。人を粗末にすれば「人でなし」に転落します。自分も他人も等しく大切にすることが人を創り育てます。子供たちはいつかの自分です。大人はいつか老人となり、支えられる側に回ります。年寄たちはいつかの自分です。大切なことは、他者の気持ちを自分事のよう感受する共感性です。

 あるご利用者さんが言われていました。「ある時お母さんが『80にならないと、80の気持ちはわからない』と私に言ったの。私はその時お母さんに何かを言ったと思うの、お母さんの言葉を覚えているから。今になってお母さんの言葉が理解できる。」

 ここに、育つことや老いることを含めた「生きること」の価値があります。身体性の伴う実感がなければ理解しえないことは、人生にたくさんあります。老いてもなお「わかった」があるということは、学んだ内容に意義があり、学びの前奏としての今までの人生に意味があり、年を重ねた価値があり、今この時にも私は「人」に成っていっているということなのです。この方は「自分は自分でつくらないといけない。人のせいにしても始まらない」と言われました。

 人生とは、言い換えれば「私が私になっていく(※5)」過程であるとも言えます。私の可能性を持つ者が「私」として生まれ、私のささやかな行動の積み重ねとして「私」になっていく。そして、私を「私」たらしめるものは、「他者」に他なりません。「自分を大切にする」とは、「他者のように見なした私」を私が尊重することです。大切にされた(大切にされなかった)他者が私に対する表情で(声掛けや目線で)「私」が何者なのかを物語ってきます。

 「過去の私」は今の私に宿題を置いて去る者として他者であり、今の私が責務を負う対象として「未来の私」は他者なのです。今を生きる私の責任の中に「私」があるのです。




※4俊太郎の父、哲学者の谷川徹三(1895-1989)の言葉。「インテリで権威主義なところが嫌いで反面教師にして捉えてきた」と俊太郎

※5副題が「認知症とダンス」という同名の書籍があり、著者の若年性認知症当事者であるクリスティーン・ブライデンは認知能力が衰えても日々瞬間の私を生きるということが際立ち「私になっていく」ことが実感されるという趣旨を述べている。




一対一の関係を原点に

 谷川俊太郎さんは、昨年の11月13日に亡くなられました。谷川さんは朝日新聞に毎月一回詩を掲載されていました。11月17日発表の最後の詩は「感謝」という表題です。「目が覚める / 庭の紅葉が見える / 昨日を思い出す / まだ生きてるんだ」と始まり、「どこも痛くない / 痒(かゆ)くもないのに感謝 / いったい誰に?/ 神に?/ 世界に? 宇宙に? / 分からないが / 感謝の念だけは残る」と締めくくられています。

 人生の最後を迎える時、私たちは、自分の人生の一切を「過去」に手渡して、他者や過去の私に感謝を述べて「私自身」から去っていきます。そうやって私の人生が終わり、いつかまた未来に、今までとは違う別の私に「私」を手渡していくのです。

 人は物語を生きています。物語の核心はひとりひとりを大切にすることです。人を大切にすれば、それは自分に返ってきます。ひとりひとりの中には、過去や未来の「私」も含みます。そして、人間関係の原点は一対一の関係です。たとえ施設介護のように多対多のように見える状況であっても瞬間瞬間は一対一です。大勢に呼びかけている時でさえ、目線はひとりひとりと交わり、気持ちを乗せた声はひとりひとりの胸の内に重なっていきます。

 「認知症だから何を言ってもわからない」ということは絶対にありません。顔を忘れ言葉が出なくなり、たとえ意識が薄れても感謝の念だけは残り続けます。だから私たちは心をこめて気持ちを送り届けるのです。過去がどうあれ、それが最後の瞬間の「幸せ」を決するからです。


紙面研修
紙面研修
ひとりを大切にするケアの実践
 

「生きることの全体像」を見る

 私たちの「介護」という他者に対するアプローチは、医療に従属する立場で始まったこともあり、医療の考え方が採用されてきました。医療の第一は患者を治療すること(善行原則…医療的善行を施すこと)であるため、介護の方法論も身体(病気や障害)を見て「生きることの全体像」を見ていない、ということに陥りがちでした。

 例えば、身体的安全のために本人の意向に反して「施設入所をすすめる」というのもその一つです。在宅介護の限界ラインは個別的状況で変わっていきますが、意向に反する推進は身体的安全は確保しても心理的安全性は無視されてしまい、既存の生活からの切り離しとなり本人を追い込み生きる気力を奪ってしまいます。

 そういった反省から、支援の考え方は、「医学モデル(専門家モデル)」から「社会モデル(生活モデル)」へと変わってきました。生活モデルの考え方は、障害等が生じても既存の生活への再参加や社会参加を推進する考え方となります。

 一方で心身機能の回復の有用性も失われたわけではありません。そこで、「機能回復」と「参加」の両方の視点を取り交ぜた考え方が提示されています。それが、「統合モデル」とも呼ぶべき「生活機能分類モデル」です。

「障害分類モデル」の問題点

 「医学モデル」は“原因は一つ”の線形モデルで、疾患変調を全ての原因とする「障害分類モデル」です。原因を取り除かない限り解決しない考えで、医療的限界が全ての限界を決めてしまいます。「足を切断⇒切断は回復しない⇒歩けない・社会的不利は致し方ない」となるのです。

(図は厚労省PDFより)



 一方で「生活モデル」は生活上の機能に着目します。「歩く」ということは「移動できる機能」ですが、機能を車椅子やバリアフリー(社会的不利の除去)や支援で補えば、移動は可能となり社会参加や生活を取り戻せます。生活機能は多面的要素から成るため、改善の方法論も多面的に可能になります。

 



国際生活機能分類モデル

 生活機能分類モデルは、個人をとりまく状況(環境・文化・社会・歴史的要因)と個人的要因の上に「生きることの全体」が成り立っていることを示しています。そして、その中での生活のあり方を、「活動」を中心にすえ、身心機能や参加との相互作用によって生活が成り立っていることを示しています。

 心身機能は要介護ともなれば衰えていることが前提であり、その結果として本人の望まぬ活動制限が生じ社会参加が阻害され活動量が低下し、意欲が低下し更なるADLの低下がみられ健康が悪化する、という関係性が上記図表から読み取れます。

 では、回復の為にはどうしたら良いでしょう。「医学モデル」の中心課題の心身機能の回復を主題とするのではなく、「参加」を中心課題とするのです。介護職等の支援を受けて参加を促し、参加できたことによって活動量と自信や喜びを高め、それを心身の回復に結びつけるとともに、好循環によって全体を底上げしていくのです。

 目標はQOL(人生の質)そのものです。心身機能が低下しているから活動させない(ふらつきがあるから「歩かないで下さい」、危ないから「やらないで下さい」)というような働きかけは、かえって悪循環となります。「心身機能が低下しているからこそ」いかに支援によって「参加」を促し再び「活動」ができるようにするか、ということが大切なのです。

企業活動や事業所にたとえてみる

 「活動」の活性化は業績向上となります。組織の心身機能面は資金や運営体制やビジョンですが、従業員が嫌々の参加では活性化しません。企業活動は従業員の「参加」で成り立っています。「何にどのように参加してもらうか」を主題として、ひとりひとりと十分に関わり参加の価値(能力が認められる、自分の考えが採用される等)が明確であれば、受け身を脱して「活動」は活性化するのではないでしょうか。

ひとりひとりを大切に

 ひとりひとりを大切にしないということはどのようなことかと言えば、「十把一絡げ(じっぱひとからげ)」に人を扱うということです。ひとりひとりには、それぞれの要因、それぞれの心身、それぞれの活動への願い、それぞれの参加意欲があります。それらのひとつひとつをつぶさに見てそれらの相互作用的全体像を理解していくことが、ひとりの人間の「生きることの全体像」を見ることになり、ひとりの人を大切にすることになります。「ひとりの人が大切にされること」はそのまま「その人のQOLの向上」ともなるのです。

谷川俊太郎の背景要因と詩

学校 

「ぼくがはじめて暴力ふるわれたのは、やっぱり小学校の先生だもんね。ビンタ張られた。」

「ぼくの世代はちょっと特別で、自我が育っていく段階が、ちょうど戦争の時期だったんですよ。だから学校教育は荒廃してたわけ。教育のかたちがぼくは嫌ではあったけど、小学生の頃はまだ、ちゃんとしていたわけです。そのうち教科書がだんだん黒塗りになって、先生はみんな生活難。食うや食わずです。」

「強制疎開で、われわれ生徒も一緒になって、家の取り壊しなんかもしてました。そのとき、先生が壊した家のガラスを大切に持って帰ったりしてるわけですよ。そういうのを見ていたから、教育の権威みたいなものは、もう、なくなっちゃったわけです。教育と戦争が併行した時代だった、ということが学校嫌いの一因であると思います。」

(ほぼ日刊イトイ新聞2022.7.5 糸井重里と対談)

 

戦争

「中学生だった戦時中、東京の空襲で近所まで焼けて、翌朝、友だちと自転車で焼け跡を見に行きました。焼死体がゴロゴロ転がっていて、人間の体のようではなくて、焦げて鰹節みたいになっていたんですよね。子どもだから怖いっていうより、不思議な感じがしていました。それが強く印象に残っていて、自分に何らかの形で影響を与えていると強く思いますね。」

(GLOBE+2023.3.2 インタビュー記事)

 

父の教え

「私は人間とは常に人間になりつつある存在だと考えているものであります。という意味は、自己の人間成長を常に心がけているものにとって、これで満足だという状態はないので、まだ自分はほんとうに人間らしい人間になっていないという思いを常に抱かざるを得ないからでありますが、しかし同時に、少しでも成長のあるところ、そのほんとうに人間らしい人間に常になりつつあるものとして自分を考えることができるので、その二重の意味をこれはもっているのであります。」

(谷川徹三「調和の感覚」)




「ひとりひとり」

ひとりひとり

違う目と鼻と口をもち

ひとりひとり

同じ青空を見上げる

 

ひとりひとり

違う顔と名前をもち

ひとりひとり

よく似たため息をつく

 

ひとりひとり

違う小さな物語を生きて

ひとりひとり

大きな物語に呑みこまれる

 

ひとりひとり

ひとりぼっちで考えている

ひとりひとり

ひとりでいたくないと

 

ひとりひとり

簡単にふたりにならない

ひとりひとり

だから手がつなげる

 

ひとりひとり

たがいに出会うとき

ひとりひとり

それぞれの自分を見つける

 

ひとりひとり

ひとり始まる明日は

ひとりひとり

違う昨日から生まれる

 

ひとりひとり

違う夢の話をして

ひとりひとり

いっしょに笑う

 

ひとりひとり

どんなに違っていても

ひとりひとり

ふるさとは同じこの地球




「成人の日に」

人間とは常に人間になりつつある存在だ

かつて教えられたその言葉が

しこりのように胸の奥に残っている

成人とは人に成ること もしそうなら

私たちはみな日々成人の日を生きている

完全な人間はどこにもいない

人間は何かを知りつくしているものもいない

だからみな問いかけるのだ

人間とはいったい何かを

そしてみな答えているのだ その問いに

毎日のささやかな行動で

 

人は人を傷つける 人は人を慰める

人は人を怖れ 人は人を求める

子どもとおとなの区別がどこにあるのか

子どもは生まれ出たそのときから小さなおとな

おとなは一生大きな子ども

 

どんな美しい記念の晴着も

どんな華やかなお祝いの花束も

それだけではきみをおとなにはしてくれない

他人のうちに自分と同じ美しさをみとめ

自分のうちに他人と同じ醜さをみとめ

でき上がったどんな権威にもしばられず

流れ動く多数の意見にまどわされず

とらわれぬ子どもの魂で

いまあるものを組み直しつくりかえる

それこそがおとなの始まり

永遠に終わらないおとなへの出発点

人間が人間になりつづけるための

苦しみと喜びの方法論だ




感謝

目が覚める

庭の紅葉が見える

昨日を思い出す

まだ生きているんだ

 

今日は昨日のつづき

だけでいいと思う

何かをする気はない

 

どこも痛くない

痒くもないのに感謝

いったい誰に?

神に?

世界に? 宇宙に?

分からないが

感謝の念だけは残る




考えてみよう

ひとりひとり背景に触れながら「生きることの全体像」を感じてみよう。そして、ひとりひとりの関わりについて想像してみよう。


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